京都で、着物暮らし 

京の街には着物姿が増えています。実に奥が深く、教えられることがいっぱい。着物とその周辺について綴ります。

KIMURAの読書ノート『せんそうごっこ』

2015年12月01日 | KIMURAの読書ノート
『せんそうごっこ』
谷川俊太郎 文 三輪滋 絵 いそっぷ社 2015年9月

谷川俊太郎の作品と言えば、私の場合、子どもをみつめる優しい眼差しである。とりわけ、彼の詩集は、子ども達の今の姿や声をすくい上げ、ユーモアあふれた文章で綴ってる。その作者が今回出版したのは『せんそうごっこ』。

「ごっこ」遊びは子ども達の普遍的な遊びである。何かを模倣し、それになりきる遊びは子ども達の発達段階において不可欠と言っても過言ではない。しかし、その前の言葉「せんそう」は何やら物騒である。いや、物騒というよりは、谷川俊太郎には似つかわしくない言葉に思えてくる。タイトルだけ読めばこれをどう受け取ってよいのか少々とまどってしまう。更に絵を担当している三輪滋の挿画がおちゃらけているようにも思え、このコンビの目的は何なのか。

ページをめくる。シュールである。谷川俊太郎の文章も、三輪滋の絵も共にである。谷川は綴る。
「せんそうってべんりだね、ひとをころしてもだれにもしかられない。」
この場面の三輪の絵。血こそでていないが人が粉砕されている。しかし、粉砕されている女性の顔は笑っている。マネキンが粉砕されているという方がぴったりか。そして、続く。
「まけたほうはみんなしんだ、かったほうもみんなしんだ。おあいこだ」

この作品は、1982年に別の出版社から発行されたものが、今回復刻されている。当時は、アメリカ、ソ連の冷戦時代、核戦争の恐怖との狭間で作者はこれを作品として表している。しかし、復刊した今年の9月15日。日本は安保法案の決議間近で、初夏の頃からその法案に反対する国民の声が大きくなってきた。1932年生まれの作者は戦争経験者である。しかし、彼は、あとがきの中で、そうはあっても、現実の戦場に生きたことのない自分にとっての「戦争」という<悪>をどうとらえることができるのかと、自問している。その結果が、まずは自分の内面につながる戦争をこの本のテキストとしたと綴っている。絶版となったものがなぜこの時期の復刊となったのか、だれもが簡単に予測できるものであろう。当時はアメリカとソ連というまだ、日本は対岸の火事という感覚すらあった時期であったが、今回はまさに渦中の国。あえて、今復刊しなければならない、復刊せざる得ないという思いを作者に突き動かしたとしたら、この法案の罪は重い。

主人公の少年はこうも語っている。
「いいなみんななかよくしんじゃって」
戦争を体験した人々のインタビューを見聞きする機会は多いが、生きてしまったことへの苦悩も戦争はもたらしている。戦争は死ぬことが正しいのか、生き残ることが大切なのか。手のひらサイズの小さな絵本から問いかけてくるものは深い。

         文責 木村綾子

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする