京都で、着物暮らし 

京の街には着物姿が増えています。実に奥が深く、教えられることがいっぱい。着物とその周辺について綴ります。

「見てみて、虹よ、虹よ!」

2013年11月11日 | KIKUの庭

先日,わたしも大きな弧を描く虹を観ました。



以前に、KIKUの庭にも「虹」を書いたいい文章があったことを思い出して、ここに再掲しました。

「見てみて、虹よ、虹よ!」

                 きく子

今日の午後4時ごろ、京都でどなたか虹を見ましたか? 私は見たのです! 
ずいぶん久しぶりで見たような気がします。

夫と買い物に出かけ、帰途タクシーの窓からふと見上げた空に、大きな大きな虹がかかっていました。
思わず大声で「 虹! 虹! 大きい! すごい!」と子供のように叫び、夫と運転手さんを驚かせました。
それは東の空に、のびやかに鮮やかに、美しい大きな弧を描いていました。
家々の屋根が無かったら、地平線から地平線まで完璧な半円を描いていたはずです。

タクシーの中で「きれい、きれい」と叫び続け、私は家に着いた途端、転がり落ちるようにタクシーを降り、留守番をしていた娘に知らせなくてはと、もどかしい思いで鍵を開け玄関に飛び込んで、娘の名を呼び「早く、早く! 虹よ、虹よ、外へ出て、外へ」と叫びました。
娘も飛んで出てきて、「わあ、本当! きれい!」と見とれました。
3人の目の前で、虹はしばし優雅な姿を空の高みに横たえ、数分後にあわあわと消えていきました。
あまりに久しぶりに見た大きな虹だったので、思いがけずとても貴重なものを見たような、幸せな気分になりました。
そして昔大学で習った次のような詩を思い出しました。

それは英国の詩人ウィリアム・ワーズワース(1770-1850)が書いた「虹」です。

「大空に虹みれば、わが心跳り立つ。
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生まれながらの敬いに
わが日々の結ばれいくぞ願わしき。」(斎藤 勇訳)

「生まれながらの敬い」は原文では natural piety となっており、ワーズワースは“生まれながらに有する自然に対する敬愛の情”とでもいう意味で使ったのではないかと思われます。
自然のうちに神を認め、天地の恵みを歌い続けた彼は、生涯の日々を自然に対する敬愛の念を忘れずに生きていきたいと思っていたのでしょう。

虹が消えてから30分後の今、私の右手の甲はどんどん腫れ始めています。
色も赤紫色になってきました。大慌てで家に飛び込んだとき、玄関のどこかに思いっきりぶつけたことを思い出しました。
でもいい。数日腫れるかもしれないけれど、私は満足です! あんなに見事な虹を見られたのだから。

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