京都で、着物暮らし 

京の街には着物姿が増えています。実に奥が深く、教えられることがいっぱい。着物とその周辺について綴ります。

うそつき

2005年12月12日 | 着物あれこれ
「うそつき」=袖には襦袢の生地を使い、身頃には綿など他の布を使ったじゅばん。
これはコートの肩裏にしようと買っていたものを利用して、二重ガーゼの半襦袢につけて仕立ててもらったオリジナル襦袢。麻の葉のカジュアルなデザインが好きなので、主に冬場の紬ものに重宝しそう。

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大城廣四郎の本染かすり帯

2005年12月12日 | 染め帯
沖縄のフクギの草木染め@大城廣四郎遺作
南の空を飛ぶツバメのトゥイグヮー(鳥)の柄にひかれて求めたもの。

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琉球がすり大城廣四郎遺作

2005年12月12日 | 合わせ 織り
やっとこの着物を帯とセットで着ることが出来た。前回は足に装具をはめていた
澤地久枝さんの『琉球布紀行』でこの方の業績を知った。

手織り手染めの風合いを体感しつつ、沖縄もの着物イベントに着た。
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琉球の染織工芸会でカリスマのような存在 
輝くような受賞歴を持つ大城廣四郎氏は2003年10月に亡くなられました(享年82)

戦後、琉球かすりをここまで発展させることができたのは氏なしでは語ることができません。沖縄の伝統産業のほとんどがそうだったように、琉球かすりもまた家業として受け継がれてきました。小さな頃から家の仕事として手伝いをし、ものごころついた時にはすでに絣の技術を身につけていたという人が多いのもそのため。廣四郎さんも職人たちが話すのを聞いているうちに、自然と機織の基礎が身についたと語られていました。

廣四郎さんが織をはじめたのは戦後のこと。琉球かすりは戦前は沖縄本島南部、那覇泊といった地域で作られていましたが、戦後は南風原町を中心に復興され、現在はそのほとんどが南風原産です。その南風原町に大城廣四郎織物工場はあります。

黄綬褒章受賞
◆伝統工芸士
◆卓越技能賞(現代の名工)受賞
◆勲六等瑞宝章受賞    
(kimono 関連サイトより引用)

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