やっとこの着物を帯とセットで着ることが出来た。前回は足に装具をはめていた
澤地久枝さんの『琉球布紀行』でこの方の業績を知った。
手織り手染めの風合いを体感しつつ、沖縄もの着物イベントに着た。
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琉球の染織工芸会でカリスマのような存在
輝くような受賞歴を持つ大城廣四郎氏は2003年10月に亡くなられました(享年82)
戦後、琉球かすりをここまで発展させることができたのは氏なしでは語ることができません。沖縄の伝統産業のほとんどがそうだったように、琉球かすりもまた家業として受け継がれてきました。小さな頃から家の仕事として手伝いをし、ものごころついた時にはすでに絣の技術を身につけていたという人が多いのもそのため。廣四郎さんも職人たちが話すのを聞いているうちに、自然と機織の基礎が身についたと語られていました。
廣四郎さんが織をはじめたのは戦後のこと。琉球かすりは戦前は沖縄本島南部、那覇泊といった地域で作られていましたが、戦後は南風原町を中心に復興され、現在はそのほとんどが南風原産です。その南風原町に大城廣四郎織物工場はあります。
黄綬褒章受賞
◆伝統工芸士
◆卓越技能賞(現代の名工)受賞
◆勲六等瑞宝章受賞
(kimono 関連サイトより引用)