分類 : 歴
いわき市鹿島町を歩こう
常磐炭鉱東部工業所の跡地
場所は鹿島街道沿いにある 「鹿島神社」 前の信号を曲がって、約600mくらい先に進んだところにあります。
常磐炭礦は昭和46年4月に全面閉山したが、それまでは東部礦(常磐水野谷地内に施設)への作業員入出口を 「鹿島上矢田立坑」 として、この松久須根町内田地内に設置して稼働させていました
《当時の常磐炭礦東部礦業所鹿島立坑》
昭和47年12月7日の17時46分頃、廃坑になったこの付近でガス爆発が発生し、10名の死傷者を出したほか近隣の松久須根町・上矢田・下矢田の地域に甚大な被害を与えました。
《廃坑付近で起きた爆発の現場》
この事故で死傷者が出たのは、廃坑になった現場に廃棄物を捨てに来ていた作業員たちで死者2名、重軽傷者8名を出しました。爆発による住家の被害65戸に及び、上矢田・下矢田双方の半径約1kmではガラスや窓、襖が壊れたり、飛んできたコンクリート破片で屋根がぶち抜かれたりしました。
《当時は近くの常磐ガラス工場(=写真)も被害を受けた》
いわき市鹿島町を歩こう
常磐炭鉱東部工業所の跡地
場所は鹿島街道沿いにある 「鹿島神社」 前の信号を曲がって、約600mくらい先に進んだところにあります。
常磐炭礦は昭和46年4月に全面閉山したが、それまでは東部礦(常磐水野谷地内に施設)への作業員入出口を 「鹿島上矢田立坑」 として、この松久須根町内田地内に設置して稼働させていました
《当時の常磐炭礦東部礦業所鹿島立坑》
昭和47年12月7日の17時46分頃、廃坑になったこの付近でガス爆発が発生し、10名の死傷者を出したほか近隣の松久須根町・上矢田・下矢田の地域に甚大な被害を与えました。
《廃坑付近で起きた爆発の現場》
この事故で死傷者が出たのは、廃坑になった現場に廃棄物を捨てに来ていた作業員たちで死者2名、重軽傷者8名を出しました。爆発による住家の被害65戸に及び、上矢田・下矢田双方の半径約1kmではガラスや窓、襖が壊れたり、飛んできたコンクリート破片で屋根がぶち抜かれたりしました。
《当時は近くの常磐ガラス工場(=写真)も被害を受けた》
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