分類・歴
戊辰戦役の砲台跡地
所在地 : いわき市常磐上矢田町
鹿島街道にある鹿島神社の階段を上ると直ぐ右側に、幅が1メートルほどの細い道がある。
そこの入口に華木公園と刻まれた白い御影石が建っている。
先は、見るからに公園があるような雰囲気ではなく枝葉を掻き分けながら奥へ進んで行くと、何の変哲もない長方形の僅かな空間に出る。
《華木公園の入口》
真下に旧鹿島街道と新道が並行して伸びているのが見えるが、実はこの華木公園というのは慶応4年(1868)の戊辰戦争の時に砲台を据えて官軍を迎え撃った場所で、昭和2年10月に建立した戊辰戦役鉋台古跡の石碑がある。
《公園の中央に古跡碑だけがある公園》
七本松、上矢田、そして平城に最も近く要塞ともいうべき拠点、軍次山(くうじやま)もしかり、要所に砲台を据えて官軍の侵攻を防ごうと戦ったが敗北した。
戦略的には平藩、仙台藩などの同盟軍(東軍)が、地の利からいっても有利かと思われるが官軍の攻略術と勢いが、いかに優っていたかが窺われる。
戊辰戦役の砲台跡地
所在地 : いわき市常磐上矢田町
鹿島街道にある鹿島神社の階段を上ると直ぐ右側に、幅が1メートルほどの細い道がある。
そこの入口に華木公園と刻まれた白い御影石が建っている。
先は、見るからに公園があるような雰囲気ではなく枝葉を掻き分けながら奥へ進んで行くと、何の変哲もない長方形の僅かな空間に出る。
《華木公園の入口》
真下に旧鹿島街道と新道が並行して伸びているのが見えるが、実はこの華木公園というのは慶応4年(1868)の戊辰戦争の時に砲台を据えて官軍を迎え撃った場所で、昭和2年10月に建立した戊辰戦役鉋台古跡の石碑がある。
《公園の中央に古跡碑だけがある公園》
七本松、上矢田、そして平城に最も近く要塞ともいうべき拠点、軍次山(くうじやま)もしかり、要所に砲台を据えて官軍の侵攻を防ごうと戦ったが敗北した。
戦略的には平藩、仙台藩などの同盟軍(東軍)が、地の利からいっても有利かと思われるが官軍の攻略術と勢いが、いかに優っていたかが窺われる。
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