いわき鹿島の極楽蜻蛉庵

いわき市鹿島町の歴史と情報。
それに周辺の話題。
時折、プライベートも少々。

親切が仇になる?

2009-02-16 07:31:56 | Weblog
 日本は高齢化社会に突入したと云われて久しいが、これに纏わるエピソードを身近に起こったことを話そうとするだけでも枚挙に暇がありません。
 
 川崎に居た頃の話です。
 比較的、混んでいたバスの中で座席に腰掛けている女子高生の前に、これは私の推測ですが70歳前後のお婆さん(そう思うこと事態がまずい?)が吊革に手を伸ばして立ったのです。
 女子高生は、すかさず座席から立って「どうぞ」と声を掛けました。
 側にいた私は何んと微笑ましい光景なのかと思って感心しましたが、この後が非常に気まずい雰囲気が漂う状況に陥りました。
「私は未だ他人に席を譲って貰うほど歳はとっていません」と言って、いかにも不愉快そうな表情をして断ったのです。
 
 断った女性(誰が見てもお婆ちゃんに見えますが)も傷ついたでしょうが、席を譲ろうとした女子高生は、もっともっと心を痛めたと思います。
 「小さな親切、大きなお世話」などと冗句では言いますが現実に、このようなことが私の目の前で起こり得たのです。

 川崎市では70歳になると市バス(私バスを含む)の全路線無料パスが支給されます。
 もし、あのお婆ちゃんが無料パスを貰っていて老人として甘んじている一方、世間では「私は年寄りではありません」と主張してみせる行動だとしたら実に矛盾した話ではありませんか。
 勿論、プライドもあるでしょうが人は誰でも今日、只今から年寄りになりましたという自覚はありませんから例え70,80歳になっても本人にしてみれば少なくとも人前では、まだ年寄り扱いにされてたまるかという気持ちが心の奥底に常にあるのかも知れません。
 
 私は晩婚でしたから40歳をとうに越してから子供に恵まれました。
 その息子が3歳の頃でした。
 川崎大師公園に散歩に連れて行ったときに、ベンチに腰掛けていた老人が楽しそうに遊んでいる息子に「いいねえ、お爺ちゃんと一緒で・・・」と声を掛けているではありませんか。
 そして私に向かって「それにしても、よく似てますねえ、そっくりじゃないですか」と言いました。
 その人は決して悪気があって言っているのではありません。父親の私を勝手にお爺ちゃんと思い込んで喜ばせてあげようと思ってのセリフなのです。

 私は否定も言い訳もせずに、笑みを浮かべながら会釈をしました。
 無邪気に遊んでいる我が子に、いつ「お父さーん」と呼ばれるのかと心臓が止まりそうな思いをしながら・・・。

 言葉使いの難しさを、つくづく考えさせられる経験をしました。


 
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