分類 : 歴
いわき市鹿島町を歩こう
二宮金次郎像 所在地 : 鹿島小学校 (いわき市鹿島町走熊字中島1)
旧校舎(木造1階建て)の職員室玄関前にはシュロの木12本を円形に植え、その中央部に二宮金次郎(少年期)の像が建っていました。
シュロの木、12本は当時の村内12大字を表し、円形に植栽したのは村内一圓融合の姿を象徴したもので、昭和9年に村長に就任した志賀直哉の発想で、その翌年に各字がシュロの木を1本ずつ提供して植えられたものです。
昭和10年は 「鹿島村立鹿島小学校」 の新築落成と重なるので記念に造られました。
《12本のシュロの木に囲まれていた頃の二宮金次郎像》
二宮金次郎は江戸後期の実践的農政家、二宮尊徳(1789~1856)の幼名で、孝行・勤勉・学問・自営という4つの徳目を代表する人物として有名ですが、日本が14年戦争に突入したとされる昭和7、8年(1932~1933)頃から、その徳目を皇国意識と国威発揚の目的にされ、全国の小学校に「二宮金次郎像」が建立されていく大きな要因があったとされています。
《学童教室の前に移った現在の二宮金次郎像》
この金次郎像は全国統一されていたものではなく、顔の表情・着衣・スタイル・前に出ている足(右か左か)などが学校によってそれぞれ違います。
いわき市鹿島町を歩こう
二宮金次郎像 所在地 : 鹿島小学校 (いわき市鹿島町走熊字中島1)
旧校舎(木造1階建て)の職員室玄関前にはシュロの木12本を円形に植え、その中央部に二宮金次郎(少年期)の像が建っていました。
シュロの木、12本は当時の村内12大字を表し、円形に植栽したのは村内一圓融合の姿を象徴したもので、昭和9年に村長に就任した志賀直哉の発想で、その翌年に各字がシュロの木を1本ずつ提供して植えられたものです。
昭和10年は 「鹿島村立鹿島小学校」 の新築落成と重なるので記念に造られました。
《12本のシュロの木に囲まれていた頃の二宮金次郎像》
二宮金次郎は江戸後期の実践的農政家、二宮尊徳(1789~1856)の幼名で、孝行・勤勉・学問・自営という4つの徳目を代表する人物として有名ですが、日本が14年戦争に突入したとされる昭和7、8年(1932~1933)頃から、その徳目を皇国意識と国威発揚の目的にされ、全国の小学校に「二宮金次郎像」が建立されていく大きな要因があったとされています。
《学童教室の前に移った現在の二宮金次郎像》
この金次郎像は全国統一されていたものではなく、顔の表情・着衣・スタイル・前に出ている足(右か左か)などが学校によってそれぞれ違います。
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