いわき鹿島の極楽蜻蛉庵

いわき市鹿島町の歴史と情報。
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いわき市鹿島町を歩こう48

2015-09-01 19:02:25 | Weblog
                              分類 : 歴
  いわき市鹿島町を歩こう  48

従軍馬慰霊塔   所在地 : 鹿島公民館 敷地内 (いわき市鹿島町走熊字鬼越)

 明治・大正・昭和の中頃まで営農に欠かせなかった馬は、農家の財産の半分に相当すると云われるほど大事に扱われてきました。
 鹿島村当時(明治42年)の馬匹数は139頭で、その内訳は牝124頭、牡15頭だったという調査記録があります。
 
 昭和12年(1937)から昭和20年(1945)の間に、日本と中国大陸の大部分を支配下においていた中華民国政権との間で行われた支那事変では、農家の馬も軍馬として徴用されたり買い上げられたりしました。 ▲通称 「日中戦争」 ともいいますが、当時の日本政府(大日本帝国)が定めた正式名称は「支那事変」としての公称なので、支那事変の記述としました。
 支那大陸の戦戦では軍馬が従軍していく数が増していき、徴用された家では新たに馬を買い求めると再び徴用されるという状況が続きました。
 従って、鹿島村全体で一体何頭の馬が従軍したのかは結果的に把握できていないようです。


        《丸山公園上り口(現・鹿島公民館敷地)にあった従軍馬慰霊塔

 昭和14年3月10日、鹿島小学校前にあった小高い山の丸山公園(現在では削り取られて平地になり、鹿島公民館が建っている)の上り口に、村の扶助受給者一同と国防後援会で造立した 「従軍馬慰霊塔=写真」 が置かれていました。

         《軍用供補馬の鍛錬会》 於・御代坂(昭和13年3月
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