《公民館前庭に植樹されている三代目の松》
分類・地歴
鹿島公民館 いわき市鹿島町走熊字鬼越83-1
0246-29-2250
鹿島で 「七本松」 という地名が残っているくらい歴史に名を残す史跡です。
《昭和50年、江名・湯本線工事と道路拡張の為に伐採されてしまった二代目の松=昭和30年代》
初代の松は、昭和10年までに5本が強風で倒れたという記録があり、同12年には全滅してしまい、それによって二代目の松が植えられました。
延暦年間(西暦782~805年)に坂上田村麻呂将軍が東夷征途の折、江名へも行ける三叉路の走熊で戦勝を祈念して七本の松を植樹したことに始まります。
註釈・昭和50年代に湯本へ抜ける道路が貫通して十字路になってしまい、場所は止むなく移転を強いられ、現在は若松を鹿島公民館の敷地内に植えられました。
その後、慶応4年(1868年)1月、鳥羽・伏見の戦いで始まった戊辰戦争では、ここ七本松に於いて7月10日に薩摩藩(西軍)と平藩・仙台藩の攻防戦があった場所としても知られています。
そして、7月13日は平城総攻撃を迎えることになります。
「・・・七本松・走熊・軍次山の塞尽く破れたり。賊、巳に谷川瀬に来る。新川町関門に於いて防戦す・・・」 と、平藩儒神林惺斉(かんばやしせいさい)の日記 『出城箚記』 (しゅつじょうとうき)には鹿島の地名が表記されています。
▲三代目になる若松の 「七本松」 については、2018年4月25日付のブログをご覧ください。
分類・地歴
鹿島公民館 いわき市鹿島町走熊字鬼越83-1
0246-29-2250
鹿島で 「七本松」 という地名が残っているくらい歴史に名を残す史跡です。
《昭和50年、江名・湯本線工事と道路拡張の為に伐採されてしまった二代目の松=昭和30年代》
初代の松は、昭和10年までに5本が強風で倒れたという記録があり、同12年には全滅してしまい、それによって二代目の松が植えられました。
延暦年間(西暦782~805年)に坂上田村麻呂将軍が東夷征途の折、江名へも行ける三叉路の走熊で戦勝を祈念して七本の松を植樹したことに始まります。
註釈・昭和50年代に湯本へ抜ける道路が貫通して十字路になってしまい、場所は止むなく移転を強いられ、現在は若松を鹿島公民館の敷地内に植えられました。
その後、慶応4年(1868年)1月、鳥羽・伏見の戦いで始まった戊辰戦争では、ここ七本松に於いて7月10日に薩摩藩(西軍)と平藩・仙台藩の攻防戦があった場所としても知られています。
そして、7月13日は平城総攻撃を迎えることになります。
「・・・七本松・走熊・軍次山の塞尽く破れたり。賊、巳に谷川瀬に来る。新川町関門に於いて防戦す・・・」 と、平藩儒神林惺斉(かんばやしせいさい)の日記 『出城箚記』 (しゅつじょうとうき)には鹿島の地名が表記されています。
▲三代目になる若松の 「七本松」 については、2018年4月25日付のブログをご覧ください。
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