いわき鹿島の極楽蜻蛉庵

いわき市鹿島町の歴史と情報。
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旧・鹿島街道の思い出

2018-07-07 06:55:52 | Weblog
                     《田舎のバスは、この道を走った》                                 
                                             分類・地

 旧・鹿島街道(※正式名称は、主要地方道いわき・古道線だった)下矢田地区の風景。
 この辺りは、走熊地区と下矢田地区のちょうど境になりますが、道幅は広くなっているし舗装もされていて昔に比べたら、これでもイメージ的には様変わりしています。

 かつて、この先に常磐交通バスの「白坂(しらさか)停留所」があって右にお地蔵さんが立っていました。地蔵堂は今でもあり赤い屋根の部分がそうです。                 
 以前は竹藪と雑木が生い茂っていてこの位置から地蔵堂は見えませんでした。
 いまは、この道路左側約100mほど隔てたところに鹿島街道が並行して伸びていて、右には、いわきニュータウンの一部が高台に見ることができます。
 道の先、左寄りに建物が見えるのは村松歯科医院です。 
                                                                                                  
      《上の写真とさほど変わらない位置から撮ったが、こちらの方が原風景に近い》

 この付近で、子供の頃に体験した忘れられないエピソードがあります。
 デコボコ道で曲がりくねった暗い夜道を走るバスの中に私は乗っていました。
 平の町に洋画専門の 「聚楽館」 という映画館があって、スクリーンに映し出される外国の生活環境と日本のギャップに驚き、ロマンスに感動していました。、小学6年生の頃でしたがある日、映画を観て帰りの出来事です。
 この辺り(写真)に差し掛かった所で、バスの運転手が急に車を止めて「すいませんが一寸待って下さい」と告げると、慌てて車外に出て行きました。エンジンが掛かったままで、残された5~6人の乗客は怪訝そうにして、「何だ?タヌキでも轢いたか」などと冗談を言って笑っていたのですが、外を確認した1人が「運転手は小便してらー」と言ったので、車内は安心感もあって笑いに包まれました。
 予期せぬ出来事が起こったのはその時で、運転手が不在のままバスは徐々に動き始めたのです。
「アー」と、どこかのおばさんが叫ぶのと同時に、車内は騒然となりました。運転手が気付いて用の途中なのだろうが夢中になって、ステップに足を掛けようとした時には既にバスは路肩から法面に向かって進んでいました。

 もう、バスは路肩からずり落ちて 「田圃に転落するのは間違いなし」 と覚悟を決めた時に、後部座席にいた40代くらいの男性が運転席に走り寄ってきて停止させました。
 運転手は乗客に平謝りをしましたが、乗客は当然のように不平不満をぶつけました。ところがバスを停止させた男の人は、運転手に笑みを浮かべて何も言いませんでした。僅かな時間に人さまざまな、人間模様を垣間見た気がしました。          
 バスを止めた男の人。子供ごころに 「格好良くて、男らしい……」 と思いながら、まるで映画のワンシーンを観ている錯覚を起こしたのも遠い昔のことです。
        

      
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