いわき鹿島の極楽蜻蛉庵

いわき市鹿島町の歴史と情報。
それに周辺の話題。
時折、プライベートも少々。

小説 カケス婆っぱ(17)

2013-03-12 06:45:36 | Weblog
                                             分類・文
       小説 カケス婆っぱ
             第31回 吉野せい賞奨励賞受賞        箱 崎  昭

     (九)
 キクは少しでも手間賃が稼げることなら何でもした。
 小名浜港に大量のイワシが上がると浜では塩漬けで竹串に刺して洗浄し、広い敷地いっぱいに干し台の上で天日干しにする。
 乾燥の頃合を見計らって頬刺し作業へと進むのだが、この時に必要なのが藁刺しである。藁刺しは1本の藁を真ん中で折り曲げて2、3度捩じって15センチ位のところで結び、その先を切ったものだが農家の夜なべ作業としては人気があった。
  希望者には見本品が1本渡されてその通りに作ればいいので、キクは空かさず口利きに頼んで、その藁刺しを作る仕事に没頭した。
 農家では普段、縄綯(なわな)いをして慣れているのでこういう仕事は能率が上がったがキクにとっては容易なことではない。
 和起が寝た後も、静かな部屋で囲炉裏を前にして1人黙々と藁刺し作りをした。
           
           《干し台で乾燥したイワシは、このあと藁刺しにする(小名浜)》 
 
和起が既に中学生になって自分の小遣いは自分で稼ぐと言って新聞配達をしてくれているので現実を考えると歳月の周期の速さに驚かされたが、そういう成長をしていく過程で嬉しいと思う反面、寂しさが込み上げてくるものがあった。
 それは中卒後は和起が他県に就職して離れ離れの生活になることが目に見えていたからだ。
 近隣に職を求めるのは困難で、中卒者は金の卵だと持て囃し求人する企業が多い都会への就職に頼わざるを得ない状況にあった。
 唯一、和起と一緒に居られる方法はあった。
 それは常磐炭礦に就職して修技生になることだった。炭礦現場の技術を習得しながら高卒程度の教育が受けられ、給料が支給されるという好条件のものだった。
 就職担当教師からの打診があったがキクは炭礦そのものに強い拒絶反応を示した。  夫の源蔵も息子の和義も炭礦で死んでいったことを思い出すと、孫の和起までを犠牲にするようなことはとても出来ないという恐怖心のようなものがあったからだ。
 キクは和起にだけは将来のある人生を幸せになって欲しいと心の奥底から願っていたから、そのためには例え自分はどうなろうとも和起を離れさせなければならないと思っていた。
 藁刺し作りの手を休めることなく、あれこれと物思いに耽っては時折、和起の寝顔を見て自分が今こうして居られるのは和起に勇気付けられているからだと考え、複雑な心境になったりする。
 もの悲しいフクロウの鳴き声もいつの間にか途絶えて囲炉裏の残り火が、か細い炎を上げながらキクに1日の終息を告げていた。 (続)
 

                     
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 小説 カケス婆っぱ(16) | トップ | 小説 カケス婆っぱ(18) »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事