分類:観
鹿島町を見て歩こう ⑥ 《全地区》
農耕馬への愛着・馬頭観音
昭和の初期まで馬は農家の財産で、人と馬は運命共同体として大切に扱われ、賄いは嫁か息子が行い、しかも人よりも早く餌を与えました。 その馬も発作的な腹痛からくる死や、背に荷物を積んで山越えの途中で絶命したりで飼い主を悲嘆させることも数々ありました。
《山坂や農道に立っている馬頭観世音の石碑の1つ》
馬頭観世音の石碑は鹿島町地区の各所に見られますが、馬の行路安全を祈願して建てられたり、急死した場所に供養塔の意味を込められて立てたというものが理由になっています。
《農作業にとって馬は大切な助っ人だった=昭和30年代》
鹿島村(現・いわき市鹿島町)に於ける過去の馬匹を調べてみると次のようになります。 明治 2年 牝124頭 牡15頭 合計139頭 大正 元年 118頭 大正13年 177頭 昭和 7年 177頭 △この年の全戸数による平均的な馬の頭 数は0,6戸に1頭の割合になります。 昭和17年 89頭 昭和20年 120頭
昭和30年代に至っては馬から牛に代わった事情や、農耕機械化、化学肥料の普及などにより、昭和55年には鹿島からは馬の姿が完全に消えてしまいました。 これは鹿島に限らず、全国どこでも共通の現象だったと思います。
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