分類:村
村会議員の後に村長を1期務める 志賀林弥 いわき市鹿島町下蔵持字嘉睦家15番地
明治31年から同34年まで鹿島村会議員を務め、翌年には村長に推されて活躍した。村長の期間は、明治35年5月17日から同37年4月22日まで。 明治維新以前から、旧鹿島村に属するようになった村々の経済は、殆んどが米作をもって生計を立て、わずかに養蚕、コンニャク、薪炭等を副業とする家があった。
こういう米作一本鎗の鹿島村だったので、林弥の村長時代になった時も苦労が多かった。 明治35年以来、連年米作の不作が続き、それに明治37、38年の戦争も手伝って、村内の疲弊は一層高くなったのだった。 このような事情から、大正15年に於ける1村247町7反歩の水田のうち、12町歩ほどは他町村居住者の所有地になってしまった。
暮らし向きが楽でないので止むに止まれず、父祖伝来の田畑を売り払って生計を保たなければならない家が多かったのである。 こういう売り畑を買い求めた先には、平の諸橋家や、泉下川の江尻家などが絡んでいたようだ。
乗馬姿で役所通いをする志賀林弥(明治39年)
尊徳精神の 「一圓融合」 を村是とした16~17代(昭和9年~昭和17年)の村長、志賀直哉は林弥の長男である。