アフガン・イラク・北朝鮮と日本

黙って野垂れ死ぬな やられたらやり返せ 万国のプレカリアート団結せよ!

当ブログへようこそ

 アフガン・イラク戦争も金正日もNO!!搾取・抑圧のない世界を目指して、万国のプレカリアート団結せよ!

 これが、当ブログの主張です。
 詳しくは→こちらを参照の事。
 「プレカリアート」という言葉の意味は→こちらを参照。
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来年こそもっと良い年に

2007年12月31日 09時58分58秒 | 二大政党制よりも多党制
 今年ももう大晦日。生憎私は年末年始も平常通りの出勤なので、暮れも正月も関係ないですが。昔は苦労したランチの確保も、今は年中無休の所が多いので、そんなに苦労はしません。これは裏を返せば、私と同様に暮れも正月も関係なく働かざるを得ない人が増えたという事で、あまり喜べない事柄ですが。
 年賀状も、確か去年は一枚も出さずにメールで済ましたような・・・(汗)。今年はアリバイ的に何枚か書いて、昨日やっとポストに投函した所です(再び汗)。

 それで今年起こった出来事ですが、ビッグニュースは何と言っても参院選での与党大敗とその後の安倍退陣でしょう。安倍政権誕生でピークに達した感のあったネオコン・ネオリベ・靖国派のしたい放題が、彼の人たち自身が生み出した格差・貧困の矛盾ゆえに、最後には民衆から包囲され総反撃を食らって、惨めな自爆攻撃を遂げたのがこの1年でした。しかし敵も然る者、今度は大連立という奇手に打って出てきましたが、これも民衆の包囲下で、そうは簡単に問屋が卸さなくなりました。
 世界に目を向けても、オーストラリア・ポーランドの政権交代を見ても明らかなように、ブッシュ流の「テロとの戦い」の破綻が、もはや誰の眼にも明らかになってきています。その一方で、表層の支配者の動きとは別に、北朝鮮人民自身によるジャーナリズム「リムジンガン」誕生に見られるように、「テロでも戦争でもなく、民衆自身による民主化」への希望が広がった年でもありました。
 来年は年明け早々に大阪府知事選挙があり、衆院解散・総選挙も予定されています。既に始まっているネオコン・ネオリベ・靖国派への反転攻勢を更に強め、「改憲・格差社会も人権抑圧も、イラク戦争も金正日もNO!万国のプレカリアート、団結せよ!」の声をより確かなものにしていきたい。安倍の次に打倒されるのは、福田よ、お前だ!

 1月1日元旦は午後2時から出勤なので、午前中に住吉大社にでも久しぶりにお参りして、その写真と一緒に、ブログに年始の挨拶を載せる予定でいます。乞ご期待。
 そして事後報告になりましたが、去年の秋から少しやり始めた第三バイト(競馬)も、もう今年で止めようと思っています。最初こそ勝ち進んだものの、その後は有馬記念も含めて泣かず飛ばずで、収支トントンに終わっただけでしたから。
 それでは、良いお年を。

<’07年 ブログ回顧>

・ 1月 http://blog.goo.ne.jp/afghan_iraq_nk/m/200701
・ 2月 http://blog.goo.ne.jp/afghan_iraq_nk/m/200702
・ 3月 http://blog.goo.ne.jp/afghan_iraq_nk/m/200703
・ 4月 http://blog.goo.ne.jp/afghan_iraq_nk/m/200704
・ 5月 http://blog.goo.ne.jp/afghan_iraq_nk/m/200705
・ 6月 http://blog.goo.ne.jp/afghan_iraq_nk/m/200706
・ 7月 http://blog.goo.ne.jp/afghan_iraq_nk/m/200707
・ 8月 http://blog.goo.ne.jp/afghan_iraq_nk/m/200708
・ 9月 http://blog.goo.ne.jp/afghan_iraq_nk/m/200709
・10月 http://blog.goo.ne.jp/afghan_iraq_nk/m/200710
・11月 http://blog.goo.ne.jp/afghan_iraq_nk/m/200711
・12月 http://blog.goo.ne.jp/afghan_iraq_nk/m/200712
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改めて「テロ」にも「テロとの戦い」にもNO!を表明する

2007年12月31日 00時19分02秒 | 二大政党制よりも多党制
・ブット元首相、暗殺 集会で自爆テロ 頭部銃撃の情報も(朝日新聞)
 http://www.asahi.com/international/update/1227/TKY200712270383.html
・ブット元首相、政治集会で狙撃され暗殺―パキスタン政局に激震(国際ニュース::Ishikawa-News.com)
 http://blog.ishikawa-news.com/ishikawa_mt/archives/2007/12/pakistans-bhutto-assassinated.php

 12月27日に、パキスタンの元首相ベナジル・ブット女史がテロリストの凶弾に倒れました。現時点では、テロの政治的背景については、政府側犯行説まで含め、様々な観測が為されています。その中で、それを行う事で誰が最も得をするかを考えると、一番可能性があるのは、やはりイスラム原理主義者によるものだと思われます。従って、本記事もその線に沿って論評を加えていきます。

 今回の事件に対する拙ブログの立場は、はっきりしています。「テロ」にも「テロとの戦い」にもNO!―これが拙ブログの基本的立場です。報復テロやその延長線上にしか過ぎない国家テロ(テロとの戦争)ではなく、あくまで国際世論の力でテロリストを追い詰め、それを司法の場で裁くと同時に、テロの温床となる社会的差別・抑圧の解消を図る、という立場です。

 まず、今回のブット暗殺に至る政治的背景について。パキスタンは1947年の独立以来、隣国インドとの対立関係の中で翻弄されてきた国です。インドの非同盟外交に対抗する形で、この国にはまず英米が、次いで60年代からは中印国境紛争との絡みで中国もそれに一枚噛む形で、それぞれ梃入れを図ります。その為にこの国は、米ソ冷戦時代は西側・中国主導による反共反ソ・開発独裁のショーウィンドウとして、冷戦終結後にイスラム過激派が台頭してくると今度はそれに対抗する前線国家として、ひたすら大国の駒としての役割を押し付けられてきました。
 その結果、パキスタンの国内政治は、西側大国に支援された封建領主・買弁資本家・軍人政治家が支配する所となり、軍事クーデターも頻発する事になります。国内では大地主制や封建的土地所有が温存され、政治の民主化は遅れ、労働・農民運動は徹底的に弾圧されてきました。それに部族・宗派対立も加わり、常にこの国は政情不安に苛まされてきました。そんな中では、押さえつけられた庶民の不満は、必然的にテロという形を取らざるを得なくなります。これが、テロのそもそもの背景です。
 そして、パキスタンを始めとする中東イスラム圏では、テロがイスラム原理主義の形を取る事が多いのは、(1)元々イスラム教徒が多数派で庶民の間に信仰が深く根を下ろしている、(2)過去の英仏による植民地支配や、パレスチナ問題での米国の親イスラエル姿勢などによって、根強い反欧米感情が存在している、(3)言論・集会・結社の自由が抑圧されている中では、宗教の形でしか民衆の意思を表明する手段が無い、(4)イスラム宗派勢力が前記の矛盾を勢力拡大に利用している―などの要因が絡んでいるからです。

 勿論、テロリストは民衆の困窮を自派の勢力伸長に利用しているだけであって、本気で国内政治の変革や民主化を追求している訳ではありません。若し本気で革命や民主化を追求する気があるのなら、こんな自爆テロや無差別テロではなく、民衆に根を張った統一戦線方式で政治変革を成し遂げようとする筈です。
 現代パキスタンの政治勢力は次の主要4党派から構成されています。(1)パキスタン・ムスリム連盟カイデ・アザム派(PML―Q、親軍政派与党)、(2)同ナワズ・シャリフ派(PML―N、軍政と袂を分かったシャリフ元首相の一派)、(3)パキスタン人民党(PPP、今回暗殺されたブット氏はこの党の党首)、(4)統一行動評議会(MMA、イスラム原理主義系)。
 確かに、欧米諸国では社民リベラル系に分類されているブット氏のPPPも含め、いずれも基本的には封建地主や寡頭支配層の利害を代表する勢力でしかありません。今回のブット暗殺も、ムシャラフ・ブットの二人の与野党親米政治家による大連立若しくは政権たらい回しに危機感を抱いたイスラム過激派が、先手をとって引き起こした可能性が濃厚です。
 しかし、パキスタン国内政治の動向をよく見ると、決して軍政与党のPML―Qが国内政治の主導権を握っている訳ではありません。寧ろこの軍政与党は、その他の野党勢力や貧困層に包囲されて、辛うじて政権の座についているというのが現状です。それならば残りの野党3派を、別に積極的に支持しないまでも、統一戦線に組織する、それが無理でもせめて政治的に利用するぐらいの戦略があって然るべきでしょう。
 http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/pakistan/kankei.html
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%82%AD%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%B3
 http://allabout.co.jp/career/politicsabc/closeup/CU20071129A/index.htm

 そうであれば尚更の事、テロリストを根絶するのに、その温床を為している軍部支配や封建寡頭制には一切手をつけずに、徒に「テロとの戦い」(それは、テロリストや庶民にとっては、もう一つのテロ、国家によるテロにしか他ならない)で決着をつけようとしても、問題を余計にこじらせるだけです。
 それに、「テロとの戦い」という言葉自体が、国によって、また時の為政者によって、自分達にとって都合の良い使われ方をされている、という問題もあります。実際に、ロシアのチェチェンに対する弾圧や、中国のウイグル・チベットに対する弾圧が、米国流の対テロ戦争の論理に便乗して、それを隠れ蓑にして行われている、という現状もあります。だから、私は安易に「テロとの戦い」という発想には組しないのです。
 インダス文明発祥の地・シルクロード中継地・民族興亡の坩堝としての長い歴史を有しながら、近代以降は英領植民地として辛酸を舐め、独立達成後も周辺諸国の情勢や大国の思惑に翻弄され続けたパキスタン。開発独裁、或いは対テロ戦争の前線国家としての役回りを押し付けられ、対外緊張や国内対立に不断に晒され、核兵器保持も不安解消の特効薬とは全然ならずに、その上にまだ「テロとの戦いに積極的に協力しなければ爆撃して石器時代に戻すぞ」と米国から脅されてきた国。しかしその国でも、生活向上・社会的不正義の一掃・民主化を求める人民の闘いは進んでいます。帝国主義者や宗派主義者・排外主義者の、いずれの介入・妨害・歪曲をも全て乗り越えて、その闘いがやがて勝利せんことを、つとに願って。

 もう年の瀬も押し詰まってきたので、もうこの辺でそろそろ今年も閉めようかなと思っていたのですが(本当は、書きたい事、書かなければならないと思っている事はもっと一杯あるのですが、余り根を詰めると身体がもたないので)、そこにこのブット氏暗殺のニュースが飛び込んできたので、最低限これだけは書いておかなければならないと思った事を今回は記事にしました。
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朝鮮民衆の社会発展史

2007年12月28日 08時53分53秒 | 北朝鮮・中国人権問題
 少し遅くなりましたが、下記のニュースについても。いずれも、是非記事に取り上げなければ、と思っていた事です。

・第17代大統領に李明博氏、10年ぶりの政権交代(YONHAP NEWS)
 http://japanese.yonhapnews.co.kr/pe/2007/12/19/9200000000AJP20071219005500882.HTML
・大統領選:李明博氏、531万票差で圧勝(朝鮮日報)
 http://www.chosunonline.com/article/20071220000007
・保守への政権交代か 韓国大統領選挙まで1週間(上)(JANJAN)
 http://www.news.janjan.jp/world/0712/0712127145/1.php
・左右イデオロギー対立の終焉 韓国大統領選挙(下)(同上)
 http://www.news.janjan.jp/world/0712/0712130164/1.php
・疑惑よりも経済手腕 新大統領は保守ハンナラ党(半島浪人レポ)
 http://blog.livedoor.jp/yorogadi/archives/51043090.html

 まず最初は韓国大統領選挙の話題から。然る19日に行われた第17代韓国大統領選挙で、保守野党ハンナラ党のイ・ミョンバク(李明博)候補が、中道左派連立与党・大統合民主新党のチョン・ドンヨン(鄭東泳)候補に圧勝しました。民主化後の90年代後半に野党に転落したハンナラ党が、これで再び与党に返り咲く事になりました。

 このニュースは日本でも多くのマスコミが取り上げました。その中でも、とりわけ産経・読売などの右派メディアは「国民の保守回帰」という論評を早速流していますが、私はこの見方は余りにも皮相的過ぎると思っています。
 何故ならば、今の韓国与党は確かに反軍政・民主化運動の流れを引継いだ人たちで構成されていますが、これは単に反軍政というだけであって、その中には保守から中道左派までいます。韓国左翼は寧ろ、民主労働党に代表されるように、与党を左から批判しつつも、さりとて旧軍政勢力(ハンナラ党)に組するような真似だけはしない、という立場に立っています。

 つまり、今の韓国与党は保守穏健派、せいぜい中道左派といった所で、決して左翼革新政権なんかではありません。北朝鮮に対して宥和的だとも言われていますが、これも与党に限った事ではありません。ハンナラ党も、程度の差こそあれ、今や同じ立場に立っています。そういう意味ではハンナラ党も、かつての軍政色は陰を潜め、今や中道右派政党に衣替えしたといって良いでしょう。
 イラク参戦・米軍再編協力についても、与野党のどちらも韓米同盟維持の立場に違いはありません。今の韓国与党を敢えて日本の例に準えるならば、かつての細川政権時代の非自民連立与党や今の小沢民主党の様なものでしかありません。

 今回の韓国大統領選挙の争点になったのは、イ・ミョンバク(李明博)候補の株価操作関与疑惑などもありましたが、基本的には格差社会問題でしょう。
 韓国では日本以上に経済格差が広がっています。彼の国の全労働人口に占める非正規雇用の割合は、今や日本の3割台をも遥かに凌ぎ、5割台にも達しようとしています。その上、民主化されてまだまだ日の浅い韓国では、日本以上に前近代的労使関係が蔓延り、それに今の経済グローバル化・新自由主義化の影響も加わり、あちこちで露骨な搾取や不当解雇がまかり通っているのが現状です。

 先日のNHKスペシャル・ワーキングプア特集第3弾の「海外のワーキングプア特集」番組でも取り上げられていた、ヒュンダイ(現代)百貨店のパート解雇問題一つとっても、それがよく分かります。せっかく非正規雇用規制法案が成立しても、その施行前に非正規職の大量解雇を断行し、経営者はそれがさも当然であるかのように、「日本の企業家も同じ事をするだろう」などと言い放っているのですから。これはもうホリエモンやグッドウィル会長の折口と同じで、会社の経営責任や従業員の生存権の事など、全然眼中に無いのです。片や政府も政府で、基本路線が新自由主義に賛成なものですから、それ以上は何も言わないし、しない。
 そんな中で、現実の格差拡大には何ら有効な手が打てず、相変わらず「民主化継続か軍政復活か」の旧来の枠組みにしがみついていた政府与党が、今回とうとう有権者から見放されたという事でしょう。大統領選挙の投票率が史上最低だったのも、今まで民主化を支持し、キム・デジュン(金大中)やノ・ムヒョン(盧武鉉)に投票してきた層が、今回はかなり棄権に回ったからでしょう。

 それで「保守派」のイ・ミョンバク(李明博)に今回お鉢が回ってきたのですが、この人は元々ヒュンダイ(現代)財閥の会長だった人です。それが、ソウル市長時代にドブ川の暗渠だったチョンゲチョン(清渓川)を親水遊歩道として復活するなどして、目に見える部分で人気を博してきた事もあって、「この人の企業家としての手腕に期待しよう」という事で当選したのです。先述のパート解雇断行の親玉でありながら。敢えて日本の政治家に例えるならば、「韓国の小泉純一郎」ともいうべき人物でしょう。
 そして、その「韓国の小泉純一郎」圧勝の呷りを受けて、かつての保守本流たる「韓国の安倍晋三」イ・フェチャン(李会昌、旧ハンナラ党総裁)候補は、今回は僅か15%ほどしか得票出来ずに惨敗しました。だから、今回の大統領選の結果は、決して<保守回帰>なんて復古的なものではなくて、それよりも寧ろ<格差社会批判を逆手にとってのネオリベ(新自由主義)勢力の巻き返し>とも言うべきものです。

 ここで誰しも疑問に思うであろう事は、<格差社会批判が争点になりながら、なぜ新自由主義者が大統領に当選したのか?>という事でしょう。更に言えば、その経済格差拡大をもたらした90年代後半のアジア通貨危機と韓国のIMF傘下入りの時に与党だったのが、何を隠そう当のハンナラ党自身であり、その時の危機に有効に対処し得なかったが為に、その後の選挙で民主化勢力(今の韓国政権与党)の後塵を拝する破目に陥ってしまったのでしょう。それなのになぜ新自由主義者が当選したのか?

 それに対しては、私は次の様に見ています。韓国は軍政時代から外資を導入して高度経済成長を続けてきた。遅れていた民主化への歩みも80年代後半からは本格的に始まり、今もその実現過程にある。その後90年代後半のIMF危機などで一頓挫あったが、それもどうやら乗り越えた。今後も経済の上昇と民主化は続くだろう。丁度、昭和30年代・40年代の日本がそうであった様に。そういう中で、日本の例に準えるならば、60年安保闘争後の池田内閣の登場と、橋本不況や森KY政権の後の小泉政権の出現という、らせん状の社会変化が、韓国社会で同時に進行しているのではないか、と。
 つまり韓国では、日本が戦後60年余りかけて経験した政治の民主化、経済の高度成長、経済のグローバル化、新自由主義への流れが、同時並行で進んでいるのです。だから、88ウォン世代と総称される韓国ワーキングプアのうちの、少なくない人々が「コリアン・ドリーム」実現の夢を託してイ・ミョンバク(李明博)を支持し、残りの人たちも経済無策で「民主化支持」一辺倒のチョン・ドンヨン(鄭東泳)には愛想を尽かしたのでしょう。
 もとより、新自由主義者で規制緩和論者のイ・ミョンバク(李明博)では、経済格差は広がりこそすれ縮まる事はありません。韓国民衆も早晩それに気付く筈です。日本でも、高度経済成長や細川政治改革、小泉改革の化けの皮が次第に剥れていったのと、同様に。

 以上俯瞰してみて気付く事は、韓国政治と日本政治のある種の相似性とともに、韓国政治の意外な健全さです。確かに韓国は、日本以上に縁故社会で賄賂が蔓延り、儒教社会特有の封建制もそこかしこに残存しています。しかし、その一方でイ・ミョンバクはソウル市長時代にチョンゲチョンを実際に復活させました。それだけでも、ウソとハッタリの道路公団民営化・郵政民営化や「美しい国」の謳い文句だけで票を掠め取った小泉や安倍よりは、まだよっぽどマシでマトモに見えます。

 「歴史はらせん状に発展する」というのは、元々はドイツの哲学者ヘーゲルや英国の歴史家トインビーの言葉だそうで、社会発展史(史的唯物論)の重要な命題の一つでもあります。その言葉の意味する所は、「歴史は単なる同じ事の繰り返しではない」「一見そう見える事柄でも、実はらせん階段を上るように、確実に変化発展しているのだ」という事ですが、今回の韓国大統領選挙の流れを見るにつけても、今更ながらその事を強く感じました。
 同様の「歴史のらせん状発展、社会発展史」は、そのお隣の北朝鮮でも、下記のニュースから垣間見る事が出来ます。情報鎖国社会で官製報道一色だった北朝鮮にも、脱北者が触媒となって、北朝鮮の民衆自身が参加・情報発信する独立系メディア「リムジンガン」が、遂に誕生したのですから。この動きが、芽吹く事無くしぼんでしまうのか、はたまた北朝鮮人民自身の手によるジャーナリズムとして広がっていくのかは、全て今後の活動・支援如何にかかっています。
  
・韓国大統領選挙と『リムジンガン』(朝民研)
 http://www.asiavoice.net/nkorea/2007/12/post_223.html
・北朝鮮からの通信 リムジンガン
 http://www.asiapress.org/rimjingang/

 このニュースは、先の韓国大統領選挙の陰に隠れて余り目立ちませんでしたが、社会の根本的変革を促すものとして、ある意味では、所詮は為政者交代劇でしか無い大統領選挙よりも、もっと重要なニュースであるとも言えるのではないでしょうか。既にケソン工業団地を舞台とした南北の経済交流が実際に始まっています。この「リムジンガン」創刊については、その流れとも相まって、南北朝鮮それぞれの政治支配者の思惑をも乗り越え、真に民衆と社会の自由化・民主化に繋がる動きにしていかなければなりません。映画「パッチギ」の中で歌われた同名の曲の様に。
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薬害肝炎裁判原告バッシングを警戒せよ

2007年12月24日 08時48分24秒 | 戦争・改憲よりも平和・人権
 ここ数日の間にも色んなニュースが流れて来ましたが、ブログ更新がそれに追いついていません。書かなければという気持ちはあるのですが、最初の書き出しの第一歩がなかなか踏み出せず、ついついネットサーフィンで気を紛らわしてしまう。これは、文章を書くという事に対して、私の中に、ついつい構えてしまう様な所があるからなのかも知れません。
 今回の薬害肝炎訴訟のニュースもそうです。このニュースについても最初の第一歩がなかなか踏み出せませんでしたが、少し気掛かりな事があって、今までずっとこのニュースには注目していました。

・クローズアップ2007:薬害肝炎、議員立法で「一律救済」 首相、求心力回復狙う(毎日新聞)
 http://mainichi.jp/select/seiji/news/20071224ddm003040070000c.html
・クローズアップ2007:薬害肝炎・和解交渉決裂 首相縛った官の論理(毎日新聞)
 http://mainichi.jp/select/seiji/news/20071221ddm003040086000c.html?inb=yt
・薬害C型肝炎訴訟「命の線引きが残った」(JANJAN)
 http://www.news.janjan.jp/government/0712/0712207618/1.php
・薬害肝炎(ウィキペディア)
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%96%AC%E5%AE%B3%E8%82%9D%E7%82%8E
・薬害肝炎訴訟全国弁護団HP
 http://www.hcv.jp/(トップ)
 http://www.hcv.jp/chronology.html(関連年表)
・検証C型肝炎シリーズ&スペシャル(フジテレビ・ニュースジャパン)
 http://www.fujitv.co.jp/newsjapan/hcv/
・薬害C型肝炎は厚労省とミドリ十字の犯罪(現役雑誌記者によるブログ日記!by オフイス・マツナガ)
 http://officematsunaga.livedoor.biz/archives/50476561.html
・ミドリ十字(ウィキペディア)
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%89%E3%83%AA%E5%8D%81%E5%AD%97

 少しあった気掛かりな事というのは、薬害肝炎被害者バッシングに対する懸念です。今でこそ薬害訴訟原告団が国や製薬企業を追い詰めていますが、いずれ国・企業が巻き返しに出てきて、そのうちに大規模なバッシングを仕掛けてくるのではないかと。イラク日本人人質事件や拉致被害者家族会バッシングの時の様に。

 今回の薬害C型肝炎訴訟で国・製薬企業に問われているのは、当事者として薬禍防止の対策を講じなかったという、不作為の過失です。これは薬害エイズの場合と全く同じ構図です。60~70年の製造開始以来、肝炎ウィルスが混入した血液製剤(フィブリノゲン及び第9因子製剤)をずっと製造し続け、その後に米国で問題が発覚して製造中止に追い込まれてからも、自らの天下り先・政治献金元でもある製薬企業を慮って、何ら有効な手立てを講じなかった末に、86年に日本でも問題が発覚するに至って、ようやく加熱製剤への切替などの対策が講じられる様になりました。

 それに対して、その薬を使用してC型肝炎を発症した患者が、国と製薬企業(三菱ウェルファーマ・日本製薬)を相手取って、東京・大阪・福岡・名古屋・仙台の各地裁に損害賠償訴訟を提訴し、その第一審判決が出揃いました。しかしその内容はというと、仙台判決では国は免責され企業責任だけしか認められず、その他の4地裁判決では国・企業双方の加害責任が認められ原告勝訴となったものの、その責任範囲や賠償額はまちまちで、製造段階から不作為の過失を認めたものから責任範囲を80年代の発症患者のみに限定したものまである有様でした。当然の事ながら原告団は、「同じ薬害被害者を線引きするもの」と糾弾の声を挙げていきました。

 この時点では国は、最悪の場合、仙台判決を引合いに出して控訴する事も在り得た訳です。国が今回そうせずに(したくても出来ずに)政治決着での和解に歩みだしたのは、一つには原告団とそれを後押しした世論の力によるものです。そこには当然、参院選での与党大敗北、その後の安倍退陣や、次の福田・現内閣もそれに有効に対処出来ずに支持率急落を前に逡巡しているという、現在の政治情勢が作用しています。後期高齢者医療制度導入・生活保護切り下げの一部凍結や、震災被害者生活再建支援法の成立などと相まって、これまで二十年来以上にわたってネオコン・ネオリベに好い様にあしらわれていた庶民が、ようやくここに来て反撃に転じつつあるというのが、今の政治情勢なのです。

 しかし、薬害肝炎訴訟原告が闘っている相手方製薬企業というのが、一癖も二癖もある企業なのが、少し気掛かりなのです。何故なら、相手方企業の三菱ウェルファーマの前身というのが、薬害エイズ訴訟の時もさんざん悪名を轟かせた、あのミドリ十字なのですから。
 このミドリ十字こそが、何を隠そう、戦時中に満州で中国人捕虜を細菌兵器の生体実験で虐殺した、あの旧日本軍731部隊の幹部が中心になって作った企業なのです。生体実験のデータを戦後米軍に売り渡したのと引き換えに戦犯追及を逃れ、同じく戦犯追及を逃れた旧政治家・厚生官僚の庇護の下で作られたのが、この会社です。そして、歴代厚生官僚がこの会社に天下りを繰り返して、政・官・財癒着構造の一角を形作ってきたのです。

 薬事行政の闇をとことん追及していくと、必然的にこの構造の解明にぶち当たざるを得なくなります。これは引いては、戦犯政治家が、反共冷戦政策の下で戦犯追及を免れ、戦後もしぶとく政権中枢に居座り続け、この十数年来の右傾化風潮の中で次第に復活を遂げてきたという、今の日本の政治体制の闇をも同時に炙り出す事にもなりかねません。国としては、それだけは何としても避けなければならない。
 だから、世論の手前もあって政治決着のポーズだけは取り繕いながらも、その実のらりくらりと問題をやり過ごして、何とか「カネの問題」だけで決着を図ろうとしているのではないか。そして、問題をC型肝炎被害の範囲だけに止め、B型肝炎・血友病患者の問題や、輸血や予防接種に伴う感染問題は、完全に視野の外に閉め出してしまおうとしているのではないか。

 この事は、「被害者を線引きするな」という原告の怒りに対して町村官房長官が垣間見せた「司法の立場をどう考えているのか」という、まるで「お上のやる事には口出しするな」と謂わんばかりの恫喝的コメントにも、その片鱗が窺えます。
 今俄かに浮上してきた議員立法による救済策にしても、首相の一存で全員救済すればそれで済むのに、何でそんなまだるっこしい手を使うのか。先手を打って、患者原告団・支援者や野党・国民をあわよくば財源問題に引きずり込んで、アメとムチで問題をウヤムヤにしてしまう魂胆ではないのか。そうこうしているうちに、頃合を見計らって逆に原告団バッシングを仕掛けてくるのではないか。そういう気がしてなりません。

 これ以上社会保障を削られたくなければ消費税を上げさせろ。自治体が交付金を貰いたければ米軍基地の再編・拡充に協力せよ。正社員に留まりたければホワイトカラー・エグゼンプションで仕事の成果を上げよ。警察に逮捕されたくなければ政府批判のビラなど撒くな・・・等々。そういう世に中になりつつある中で、薬害肝炎問題だけは政府がそう簡単に引き下がるとは、到底思えないのです。
 掴み金が欲しければ政府主導の和解案や議員立法に従え。言う様にしなければ遠慮なくバッシングを仕掛けるぞ、と。これが杞憂に終われば良いのですが。
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ネットウヨク言説の特徴

2007年12月21日 21時53分59秒 | 戦争・改憲よりも平和・人権
 今月13日付拙ブログ記事「こんな御用判決なら九官鳥で全て事足りる」に対して、「完全体」と名乗るネットウヨクと思しき人から、反論がありました。その詳しい議論の遣り取りについては、当該記事のコメント欄に全文が掲載されていますので、そちらを参照して下さい。ここでは長くなるので、大まかに説明させてもらいます。

 当該拙ブログ記事は、マンション内での共産党ビラ配付違法判決の不当性を糾弾したものでした。それに対して「完全体」氏は、概ね次の様に反論してきました。

●ビラ配付禁止のマンション組合の議決がある。これを無視してビラ配付に及んだのは住民の意思を踏みにじるものだ。
●マンションはオーナーの私有地。私有地内のビラ配付の認否はオーナーの一存による。それを否定するのはオーナーの財産権を侵害するものだ。

 それに対する私の再反論は概ね下記の通りです。

●そのマンション議決が即住民の総意だと言えるのか。個別具体的な中身の吟味が必要ではないのか。
●私有地内であれば、オーナーは何をやっても許されるのか。具体的にオーナーの財産権の何が侵害されたのか。
●マンション管理の都合や「ビラを読みたくない人」の為に、「ビラを読みたい人」の「知る権利」が損なわれても良いのか。一方の権利主張による他方の権利侵害ではなく、全員の権利が尊重されるように図られるべき。その際に大前提になるのは、あくまでも言論の自由や「知る権利」などの基本的人権の尊重だ。

 そうしたら「完全体」氏は、

●共産党のビラを読みたい人は支部に貰いに行くなり共産党のHPでその主張を見るなりすれば良い。
●あくまでビラ配付禁止のマンション組合議決が先に在りき。それに従わなかった奴が悪い。
●マンション所有者たるオーナーの意向が最も尊重されるべき。私有地内での事なので、どのビラを見逃しどのビラを排除するかは、オーナー・住民の一存に依る・・・と、水掛け論に終始し、
●これ以上いくら議論しても埒が飽かないのでお引取りを願った私に対して、「お前もマンションのオーナーと同じ事をやっているじゃないか」との捨て台詞を残して、去っていきました。

 まあ、こういう経過になるのは元より想定内。いつもなら事前にこういう荒らし投稿は削除するのですが、今回敢えて途中までそうせず泳がせていたのは、これを機にネットウヨクの価値観なり論理展開なりを天下に晒してやる良い機会だと思ったからです。それで豈図らんや、彼の人たちの下記論理と言うものを改めて再確認する事が出来ました。

★1.「勝てば官軍」「言ったモン勝ち」。民主主義を単に多数決としてしか理解していない。どれだけ住民が主体的に参加し、多様な意見が出たかという、一番大事な事には一切無頓着。だから、マンション組合の議決があるからとか、逆転有罪の二審判決が下ったからとか、そういう事しか言えない。それで「この葵のご紋が目に入らぬか~」で終わり。単なる権威主義者・事大主義者・形式主義者でしかない。

★2.「弱肉強食」「パワー・ポリティクス」信奉のネオコン・ネオリベ。単なる権威主義・事大主義でしかないから、何事につけても「私有地だから、オーナーだから何をしても良い」の一点張り。というか、そういう事しか言えない。IT社会の陰でパソコンも持てずにインターネットから排除され政治的・社会的参加の機会を奪われている地方・高齢者・貧困層の事などハナから眼中にないから、「ビラが欲しけりゃ自分で取りに行け」という様な事しか言えない。アンフェアであろうが無かろうが、とにかく勝者が一番偉いんだという発想の持ち主。

★3.ダブル・スタンダード(二重基準・アンフェア)。最初はさも公平を装って「中身が共産党のビラだろうがピザ屋のチラシだろうが関係ありません」(2007-12-16 01:22:45)なんて書いておきながら、その舌の根も乾かないうちに「自分にとって都合の良い行為であれば見逃す自由もあります」(2007-12-17 20:33:01)と馬脚を現す。だから、投稿規定に「反日投稿お断り」とか「北朝鮮を利する様な発言は厳禁」と謳ったウヨク板や拉致板の事は何も言わずに、拙ブログの運営についてばかり難癖を付けてくる。

★4.「ウソも百遍言えば真実になる」。完全体氏の投稿をよく読めば分かりますが、どの文章も具体的論証抜き、先に結論在りきの繰り返しです。同じ「ビラ配付禁止の組合決議は住民の総意」「それを無視した被告の行為は財産権侵害」と主張するにしても、真摯に議論する立場からのものであるならば、具体的事実の検証から出発するなり、被告無罪の一審判決への具体的批判から入る筈です。しかし二審判決も、その鸚鵡返しでしかない氏の投稿も、決してその様な形にはなっていません。これでは氏の投稿は(引いては二審判決も)、議論や事実検証など実はどうでも良くて、単なる印象操作だけが目的であると言わざるを得ません。

★5.問題のすり替え・我田引水・牽強付会。完全体氏の言う「お前もマンションのオーナーと同じ事をやっているじゃないか」というロジックが、正にそれ。この事については、もう少し突っ込んで書いておきます。

 個人のブログ・サイトなんて、基本的にはどれもこれも同好の士の集まりでしかない。だからそれぞれに、そのブログ・サイト独自の開設趣旨なり運営規定があるのでしょう。中には「2ちゃんねる」の様に「何でも在り」の掲示板もありますが、それはその「何でも在り」が其処のルールなのです。要するに「みんな違ってみんな良い」という世界なのです。
 そこで、例えばアフガン・イラク・北朝鮮・ダルフール・東ティモール、何処でも良いけど、そういう人権問題を考えるサイトに、それぞれの立場から人権問題を論じる以前のレベルで、「人権問題なんてどうでも良い」とか「こういう後進国の問題などどうでも良い」という立場の人物が現れて、好き勝手な事を書き始めたとしたら、どうでしょうか。
 それぞれの立場から人権問題を論じる限りでは、たとえそれが少数意見であっても議論の発展には必要不可欠です。しかし、それ以前の「人権なんて糞食らえ」という発言に至っては、単なる荒らしでしかない。そんな発言を放置していたら、そこで議論が停滞してしまい、他の参加者の言論の自由や発言の機会が損なわれてしまう。
 だから、他の参加者の自由を守る為に、荒らしは排除しなければならないのです。要は「八百屋に魚を買いに来るな、魚を買いたければ魚屋に行け」と。それだけの事。

 それに対して、マンションや企業などの現実の一般社会の場合は、個人ブログ・サイトの場合とは全然違うでしょう。これらは同好の士の集まりではありません。人権派も人権糞食らえ派も関係なく、それぞれ食う為、住む為に、企業に就職しマンションに居住しているのです。中には右翼系出版社や共産党系・××系企業の様に、それなりに色のかかった所もあるにはありますが、そういう所でも建前上は従業員の思想信条や言論・表現の自由を侵害する事は許されません。
 勿論、企業は物やサービスを生み出す所であり、マンションは居住する所です。そのいずれも政治活動を主たる目的とする場所ではありません。いくら自由だ権利だと言っても、仕事や生活に差し障る様な活動は出来ません。つまり、そういう差し障りさえ無ければ、憲法・法律・公序良俗に反しない限り、勤務時間外や共用空間では、活動の自由は基本的には保障されるべきでしょう。それこそ自民党であろうが共産党であろうが無関係に。

 勿論、その具体的な在り方については、それぞれの権利や利害の調整が必要です。いくらビラ配布が自由だといっても、チラシでテンコ盛りになっているポストへの投函は避けるとか、余りにも挙動不審な真似をして住民に要らぬ不安を与える事はしないなどの配慮は必要でしょう。またマンション住民の方でも、何でも規制してそれで事足れりとするのではなく、自分たちの方でも集合ポストの清掃に心がけるなどの呼びかけはあって然るべきだと思います。そうして互いの利害や権利を調整し合い、全員の権利・立場が尊重されるようにするのが、「公共の福祉の為に権利を行使する」という事です。まかり間違えても、「私有地だから何でもオーナーの言いなりにならなければならない」なんて理屈が「公共の福祉」になる訳が無い。それは単なるワンマン、独裁でしかない。

 ネットウヨクのロジックというのは、斯くの如く、結構単純なものなのです。何故ならば、彼の人たちにとっては、それが全てだから。本物の右翼の様にそれなりに独自の主張がある訳でも無く、その詭弁的なロジック以外には何も無いから。その応用編として手を変え品を変え色んな変形バージョンで現れる事はあっても、基本パターンは全てみな同じです。何故なら、彼の人たちは所詮は単なる天邪鬼、「反・反体制の僕ちゃん」でしかないから。
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福田マルコス 騙した後は逆切れ・開き直り・支持率急落

2007年12月18日 22時57分43秒 | 戦争・改憲よりも平和・人権
 安倍・自公連立内閣は、今年の参院選では、確か下記の公約を掲げていました。

・2007年参院選 年金問題に関する自民党の選挙公約(同党政策パンフより)
>ご安心ください!!あなたの年金は大丈夫です!!全国民が本来受け取ることができる年金を全額受け取れることをお約束します!
>現在は約5000万口の未確認の年金記録が残っています。この5000万口は消えたのではありません。基礎年金番号への統合が済んでいない件数なのです。
>これで大丈夫! ポイント1 今後1年間で、この未確認の年金記録5000万口すべての名寄せを完了させます。
 http://www.jimin.jp/jimin/kouyaku/pamphlet/pdf/2007_nenkin.pdf
 http://blog.goo.ne.jp/afghan_iraq_nk/e/50851970f823c23386ef0722b3468ae6

 その後、自民党は参院選で惨敗し、安倍内閣は政権を投げ出します。その後に誕生したのが福田内閣です。しかし、いくら内閣が変わったと言え、政権与党は前内閣と同じ自民・公明両党で変わりありません。次の福田内閣も、前内閣の基本政策を継承し、公約撤回も公言していない以上、それを実現する責任は当然あります。それが、選挙に負けて内閣が変わった途端に、下記の様な体たらくで。

・福田失墜警報…公約違反「悪くない」目に余る発言連発 (夕刊フジ)
 http://www.zakzak.co.jp/top/2007_12/t2007121725_all.html
・舛添大臣 ダマして逆ギレ&開き直り(スポニチ)
 http://www.sponichi.co.jp/society/news/2007/12/12/05.html
・<本社世論調査>福田内閣支持率33%…13ポイント急落 (毎日新聞)
 注:記事写真のグラフは当該記事から引用。
 http://mainichi.jp/select/wadai/news/20071218k0000m010116000c.html

 これじゃあ、選挙公約なんて、まるでスポーツ新聞の競馬予想と同じですね。「この馬が来る」とか書くだけ書いて、レースが終わったら知らん顔の。そんな事ばかりやっていたら、そりゃあ内閣支持率が急落するのも当たり前です。「マルコス」(注)は、何も安倍だけの専売特許ではありませんでした。

 そうこうしているうちに、内閣支持率は早くも3割台前半に突入。そう言えば安倍内閣の時も、支持率が3割を切リ出した途端に、まるで急坂を転げ落ちるかの様に瓦解していきました。既にネット世論調査では、福田内閣支持率16%台の数字すら出ています。

 しかし、自民党もここまで落ちるとは、もう世も末ですね。あの鳩山由紀夫や小沢一郎ですら、安倍や福田なんかと比べたら、よっぽどマトモに見えるのですから。

※注:「安倍マルコス」=私の造語で、安倍政治のデタラメぶりを、フィリピンの旧マルコス政権になぞらえて揶揄したもの。
 http://blog.goo.ne.jp/afghan_iraq_nk/c/bd513ab8cc8070b86ad027d437d8e594
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’08年大阪府知事選関連のTBをお願いします

2007年12月15日 10時15分59秒 | 都構想・IRカジノ反対!
 ’07年東京都知事選挙の時と同様に、オリジナル・リンク集を作ろうと思っています。’08年大阪府知事選に関するブログ記事を書かれた方は、是非こちらにもどしどしTBを飛ばして下さい。

 現状では、自身の政見を明らかにしているのは、梅田候補のみです。橋下候補も自身の公式サイト・ブログを持っていますが、現時点でそこに書かれているのは光市母子殺害事件弁護団に対する非難ばかりであり、大阪府政に対する政見・見識は一切述べられていません。熊谷候補に至っては、大学研究室の学術向けサイトがあるばかりで、そこには当然の事ながら、府政の「ふ」の字も出てきません。こんな体たらくで、徒に知名度・人気・風向きだけで知事が決まってしまう事にでもなるならば、それは誰が通ったとしても、余りにも大阪府民をバカにしています。

 そういう思いで、このコーナーを立ち上げました。送られてきたTBについては、こちらで確認の上、適宜編集・公開してこうと考えています。

 拙ブログは先の記事で梅田候補支持の立場を明らかにしましたが、別に橋下支持や熊谷支持の記事であっても、単なるヘイト(差別)発言やネガティブ・キャンペーンを意図したものではなく、第三者の検討に充分耐え投票の判断材料に資すると思われるものについては、出来るだけ受け付けようと思っています。

 また、告示日を過ぎてもこのリンクは削除しません。今の公選法が制約だらけ・欠陥だらけで、ネットの現実からもかけ離れ、各種各様の解釈が存在する中にあって、自分の方から必要以上に「言論の自由」の幅を狭めるような真似など、したくはありません。

 以上の趣旨で、’08年大阪府知事選関連のTBを募集します。積極的なTBをお願いします。
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ネオリベの逆襲を許すな!

2007年12月15日 07時32分57秒 | 都構想・IRカジノ反対!
 来年早々に大阪府知事選挙が行われます。今回の選挙は、太田房江・現知事が「政治とカネ」の問題表面化で今期限りの引退となった後を受けての、新人同士の争いとなりました。現在立候補しているのは、弁護士の梅田章二(うめだ・しょうじ、共産党推薦)、同じく弁護士の橋下徹(はしもと・とおる、自民・公明両党推薦)、阪大大学院大学教授の熊谷貞俊(くまがい・さだとし、民主党推薦)の、以上3氏です。

・庶民派弁護士 梅田章二がゆく
 http://www.umesyo.com/
・橋下徹オフィシャルウェブサイト
 http://www.hashimoto-toru.com/
・熊谷研究室
 注:候補者としての公式サイトが不明なので、当面はこれで代用。
 候補者サイトが判明次第、そちらにリンクを差し替えます。
 http://contr.pwr.eng.osaka-u.ac.jp/index.php
 
 この3氏の中では、共産党の梅田氏は早い時期から出馬表明を行いマニフェストも既に公表していたのに対して、残りの自民・公明両党と民主党は候補者選びで迷走を続けました。一時は民主党推薦候補に自公が相乗りするという話もありましたが、結局今の形に落ち着きました。

 そんな中で、タレント弁護士の橋下徹氏が、当初は大阪市長選の時と同様に府知事選出馬も固辞していたのが、ここに来て一転出馬を表明する事になり、俄かに世間の耳目を集める事になりました。
 橋下氏は、同じ弁護士でも前述の梅田氏の様な人権派弁護士ではなく、企業法務が専門です。山口県光市母子殺害事件被告弁護団に対する懲戒請求の仕掛け人として勇名を馳せ、ネットでは一躍有名人となりました。その一方で、関西ローカルを中心に多くのメディアに出演しており、タレント弁護士とも言われています。私自身も、懲戒請求の仕掛け人と言うよりは、関西ローカルのバラエティ料理番組「魔法のレストラン」のレギュラー出演者として認知していたぐらいですから。
 「口が悪い」という事は噂で聞いていましたが、私自身も光市母子殺害事件の被告に対しては、お世辞にも好い感情は持ち合わせているとは言えないので、まあ漠然と、被告弁護団も橋下弁護士も「どっちもどっちかな」という感じでいました。その一方で、企業法務畑出身(有体に言えば労務屋で、同じ弁護士でも人権派とは対極を為す)という事に、一種の胡散臭さを感じ取っていました。

 それで彼の今までの経歴や言動を調べていましたが、やはり「当たらずとも遠からず」でした。下記URLがそのソースですが、「自分の気に入った政策に2兆円つぎこむ」とか「子供を体育会系で叩き直す」とかいう発言に至っては、もうまるで石原慎太郎と瓜二つです。どうりで、徴兵制導入発言の東国原・宮崎県知事や、何かといえば嵩にかかった態度でネットウヨクばりの体制迎合・差別発言を繰り返しているタレントのやしきたかじんたちが、彼を応援している訳です。だから、今まで光市事件被告弁護団の活動とは一線を画していたきっこや江川紹子まで、今回の出馬の件では明確に彼を批判する側に回ったのでしょう。

・橋下弁護士、釈明会見(しっとう?岩田亜矢那)
 http://blog.goo.ne.jp/stardustkid0627/e/53b5e136ce9a016b25349e02017400dc
・大阪をどげんかせんといかん!(きっこの日記)
 http://kikko.cocolog-nifty.com/kikko/2007/12/post_9e59.html
・刑事弁護を考える~光市母子殺害事件をめぐって(江川紹子ジャーナル)
 http://www.egawashoko.com/c006/000235.html

 しかし、この一連の騒動だけを見ても、国政レベルでもそうですが、大阪府政においても、その政治の劣化ぶりは、もう目を覆うばかりです。この30年余りの大阪府知事の下記変遷を見ても、それをつくづく思い知らされます。

・左藤義栓 1959年4月25日 - 1971年4月22日 3期
・黒田了一 1971年4月23日 - 1979年4月22日 2期
・岸昌 1979年4月23日 - 1991年4月22日 3期
・中川和雄 1991年4月23日 - 1995年4月22日 1期
・横山ノック 1995年4月23日 - 1999年12月27日 2期
・太田房江 2000年2月6日 - 現在 1期
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%98%AA%E5%BA%9C%E7%9F%A5%E4%BA%8B

 70年万博を成功された左藤義栓ですが、大阪湾岸の堺・泉北沖に巨大コンビナートを造成して、公害問題を引き起こしました。当時は私はまだ小学生でしたが、本格操業を開始した石油化学コンビナートが、夜中に真っ赤な炎を上げ、周囲に騒音を撒き散らしていたのを、鮮明に記憶しています。この時の府知事選挙で、公害反対の住民運動をバックに黒田革新府政が誕生します。
 黒田府政はその後、解同問題を契機とした社会党の離反に見舞われながらも、公害規制や公立高校増設などで着実に成果を挙げていきましたが、70年後半の反動攻勢と社会党の右転落によって、他の東京・京都・沖縄などと時を同じくして、保守に府政を奪われます。この時に知事の座についたのが岸昌(きし・さかえ)ですが、この時はまだ、皇国史観や男尊女卑の本音は巧妙に隠蔽し、実際は自民党から担がれながらも、表向きは社公民統一候補として革新知事を詐称したりしていました。

 しかし、その後は見ての通り。岸昌の後は中川府政を経て、横山ノックが、当時の自公民オール与党体制に対する批判を背に、タレント候補として当選を果たしますが、二期目は自分もオール与党の蚊帳の中に納まり、最後は自陣営運動員へのセクハラ疑惑で墓穴を掘ります。その後の元中央経済官僚の太田房江も、最後は「政治とカネ」の問題で自滅を遂げる。正に「劇場政治ここに極まれリ」ともいうべき退廃ぶりで、その惨状は目を覆うばかりです。
 今回の橋下出馬にしても、穿った見方をするならば、単なる「タレント便乗」劇ではなく、格差社会批判・年金問題・参院選惨敗・安倍退陣・テロ特措法問題などで追い詰められた靖国派・ネオコン・ネオリベ勢力が、石原ばりの候補者を立てて、起死回生の逆襲に打って出てきたのではないか、とも取れます。当初は出馬を固辞していた橋下が一転して出馬したのも、裏でそれに向けての何らか利益誘導があったのではないか。

 そういう政治配置で行われる府知事選は、自民・民主・共産の三つ巴となり、形としては今年の東京都知事選と同じ構図となりました。こうなると、近年の風潮からすれば、「何故野党は候補者一本化出来なかったのか」「橋下当選を阻止するにはまずは民主党の候補者に一本化すべきでないか」という話になるかも知れません。正直言って私も梅田候補では、橋下に対して余りにもインパクトが弱いのではないか、と思います。
 しかし、それは民主党の熊谷候補とて同じ事。二大政党制の威力で反自民票はその多くが熊谷候補に流れるでしょうが、この人は梅田候補以上にインパクトが弱い。橋下陣営がネオコン・ネオリベ丸出しの宣伝戦を展開してきたら、多分防戦一方に回るか、下手に迎合するかの、どちらかになるのではないでしょうか。

 そもそも、民主党が本気で反ネオコン・反ネオリベで橋下を打ち負かすつもりなら、同じ単独推薦候補を出してくるにしても、もっと野党色・革新色の濃い候補を出してくる筈です。そうしなかったのは何故か。恐らく「候補者選定に時間が無かったから」でしょうが、それは取りも直さず、「党中央の相乗り禁止の方針もある事だし、ここは選挙後も睨んで自民党に対して自分を高く売っておこう」と、アリバイ的に対抗馬を出してきた、と言うに過ぎないからではないか。
 そういう意味では、今回の府知事選の構図は、今年の東京都知事選の場合とも異なります。都知事選の時も左派・リベラル系ブロガーの間では「浅野か吉田か」を巡る論争がありましたが、少なくとも浅野氏の場合はまだそれなりに反石原色を打ち出して来ていました。そして、「反石原の姿勢にぶれがある」という批判に応えて公約を書き直し(深化させ)、新宿2丁目の性的マイノリティーの集会に出掛けていく積極性もありました。また、一部支持者の間では野党統一候補擁立に向けての模索もありました。
 今回の大阪の場合は、その程度の素振りすらありません。今まで散々自民党と一緒にオール与党の府政を支えてきたくせに、「兎に角対抗馬を」というだけで、「関西財界からも支援が得られる」(鳩山由紀夫)なんて立場から、自身の公式サイトすら持たない候補者を擁立してきただけです。不況に喘ぐ中小企業や格差社会に苦しむワーキングプアの事など、まるで「どうでも良い」と言わんばかりの様に。しかし、これでは仮に橋下個人には勝つ事が出来たとしても、「ネオリベの逆襲」に打ち勝つ事は出来ません。

 兎に角、ネットウヨク・ネオナチばりの橋下は論外。民主党の熊谷も、とても対抗馬足りえない。という事で、どこまで勝てるか分かりませんが、私は梅田候補支持で行く事にします。

※写真は、去る’03年9月2日に行われた黒田了一・元大阪府知事追悼式の様子(大阪市労組HPより)。
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%98%AA%E5%BA%9C%E7%9F%A5%E4%BA%8B
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こんな御用判決なら九官鳥で全て事足りる

2007年12月13日 09時02分49秒 | 戦争・改憲よりも平和・人権
・政党ビラ配布事件:東京高裁、逆転有罪 表現の自由「無制限でない」(毎日新聞)
 http://mainichi.jp/select/jiken/archive/news/2007/12/12/20071212ddm041040132000c.html
・葛飾ビラ配布事件/逆転有罪の不当判決/東京高裁 違法弾圧を追認(しんぶん赤旗)
 http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2007-12-12/2007121201_02_0.html
・政党ビラまき東京高裁逆転有罪判決を下した裁判官に問う!(情報流通促進計画 by ヤメ記者弁護士)
 http://blog.goo.ne.jp/tokyodo-2005

―共産党のビラを配布するため東京都葛飾区のマンションに立ち入ったとして住居侵入罪に問われた僧侶、荒川庸生(ようせい)被告(60)の控訴審で、東京高裁は11日、1審の無罪判決を破棄し罰金5万円の有罪判決を言い渡した。池田修裁判長は「住民は住居の平穏を守るため部外者の立ち入りを禁止できる。許可のない立ち入りは相当性を欠く」と指摘した。弁護側は即日上告した。―
―判決は「ビラ配布を含めた部外者の立ち入り禁止は、マンション管理組合の理事会で決定され、住民の総意に沿うものだった」としたうえで「被告は立ち入りが許容されていないことを知っており、住居侵入罪が成立する」と判断した。―(以上、上記毎日新聞の記事より)

 ふーん、なるほどねえ。ある意味では、非常に分かりやすい判決ですね。有体に言えば、「俺らはこう決めて、入口に掲示した。それを守らなかったアンタが悪い」という内容ですからね。しかし、これじゃあまるで、江戸時代の「村の掟」や、古代メソポタミアの王様が作った「目には目を、歯には歯を」の「ハムラビ法典」と、何ら変らないじゃないですか。

 この伝で行くと、マンションの管理組合で決めてしまいさえすれば、何でも通るという事になってしまいます。今回の「ポスティング禁止」とは逆に、「ピンクチラシ大歓迎」とか「盗撮・強姦したい放題」でも、何でも議決して掲示さえしてしまえば、それでOKなのですから。

 憲法21条に規定する「集会・結社・言論・出版、その他一切の表現の自由」と、マンション管理組合の何がしかの規定の、一体どちらが優先されるべきか。こんなモン、憲法の規定の方に決まっているじゃないですか。憲法は国の最高法規であって、そこで保障された人権も、今までの自由獲得の歴史の中で勝ち取られたものだからこそ、国民は不断の努力でこれを保持し、公共の福祉の為に用いる義務を負うのでしょう。

 そりゃあ、マンションの中には「ワシは共産党なんか嫌いや、共産党のビラなど読みたくない!」という人も居るでしょう。その人の権利も当然保障されなければなりません。だからそういう人は、黙って読まずに捨てるなり、「ワシとこのポストには入れんといてくれ」とビラ撒きの人に一声掛ければ、それで済む話じゃないですか。しかし、中には逆に「ビラを読みたい人」も居る訳でしょう。その「読みたい人」の権利まで、「読みたくない人」やマンション管理組合が一方的に侵害する事など、到底許されない筈です。

 或いは、マンションを管理する側からすれば、集合ポストの周辺がいつもピンクチラシやその他の営業広告のチラシで溢れかえりゴミだらけになるので、止む無くチラシ投函禁止の措置を決めた、という事もあるかもしれません。私もチラシ配布やマンション清掃のバイトをした事があるので、その酷さは分かります。しかし、それは、そのポストの住民一人一人がこまめに自分のポストを管理しないから悪いのであって、チラシ撒きの人には何の責任もありません。チラシで溢れかえっているポストには投函しない位の配慮はしてあげても良いかな、という程度で。

 そもそも、そう成らない様にする為に、マンション住民の自治組織たる管理組合があるのでしょう。「集合ポストのチラシはこまめに処分しましょう」と呼びかけるなり何なり、いくらでも先にやるべき事がある筈です。それをさておいて、公選法で保障された政治活動までピンクチラシと同列に看做して、国民の基本的人権の一つである「知る権利」まで一方的に「村の掟」で侵害するなど、許される事ではありません。

 「公共の福祉」という事もよく言われますが、その本来の趣旨は、今回の「ビラを読みたい人の権利」「読みたくない人の権利」「マンション管理の都合」の様に、互いの人権や利害が衝突しあった時に、どう折り合いをつけるか、という事でしょう。その際に議論されるべき事は、互いに人権が尊重されるにはどうすれば良いか、権利制約が伴う場合でもそれを最小限に押し止め、誰かだけが一方的に不利益を蒙らないようにするにはどうすれば良いか、という事の筈です。それが住民自治や民主主義という事でしょう。それを抜きにして、一方的な「村の掟」で住民を縛るのは、民主主義でも何でもない。それは「公共の福祉」とは全然異なる、単に「長いものには巻かれろ」という事でしか無い。

 そんな「村の掟」が堂々とまかり通るのであれば、憲法も法律も要りません。ミートホープや船場吉兆みたいに、オーナーが勝手に「村の掟」で待遇や賞味期限を決めてしまい、従業員に無理やり押し付けてしまえば、それで全てOKです。「何も異議が無かったので総員の意思と認められる」で全て通ってしまうのですから。憲法も労働基準法も最低賃金法も食品衛生法も、ここまで来ればもう単なる飾りにしか過ぎません。最近俄かに浮上してきた労働契約法案なんて正にそういう内容で、だからあれも今大問題になっているのでしょうが。

 これではもう、今回の判決を出した高裁の裁判官は、憲法と「村の掟」の、どちらが優先されるべきかも分からずに、国や検察の言うがままに、「結論先に在りき」の御用判決を出しているだけではないですか。
 こんなんで裁判官が務まるのなら、小学生で充分です。憲法など全然知らなくても、「村の掟」だけ知っておればそれで事足りるのですから。高い税金払って高い金かけて司法試験やって高い給料払ってまでして裁判官を雇うだけの意味は無い。小学生どころか、九官鳥で全て事足りる。何も考えさせず、ただ判決文をひたすら暗記させて、それを判決の場で復唱させるだけで良いのだから。そうすれば経費は九官鳥のエサ代だけで済む。これぞ究極の行政改革。但し、もうそこまで行くと、誰も裁判所の言うことなど聞かなくなりますが。
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ベネズエラが某生協や北朝鮮みたいにならなくて良かった

2007年12月12日 07時57分43秒 | その他の国際問題
・ベネズエラ,今や批判こそが最大の支援?(ペガサス・ブログ版)
 http://blog.so-net.ne.jp/pegasus/2007-11-11
・ベネズエラの改憲投票結果から(編集者が見た日本と世界)
 http://matutake-n.blogspot.com/2007/12/blog-post_04.html
・チャベスをもっと批判的に見ていいのでは(コミュ・コミュblog)
 http://d.hatena.ne.jp/comu-comu/20071206/p1
・ベネズエラの憲法改正案否決に思うこと(さるのつぶやき)
 http://saru.txt-nifty.com/blog/2007/12/post_f06b.html
・ベネズエラは漸進、ロシアは何を選んだのか。(花・髪切と思考の浮游空間)
 http://blog.goo.ne.jp/longicorn/e/785b2120f634197be9b355a53fcca5f9

 このニュースも是非記事に取り上げなければと思っていましたので、少し遅くなりましたがアップする事にします。

 この、地球の裏側の南米ベネズエラの改憲国民投票否決のニュースですが、日本では余り注目されていない様に感じます。ウチの職場のバイトなんかになるともう、「そもそもベネズエラって何処にあるの?」という所から入っていかなければならない感じで。そこの大統領チャべスに至っては、「反米の暴れん坊」で「スペイン国王から黙れ!と一喝された」とスポーツ新聞に興味本位に取り上げられたりするばかりで。
 そんなどうでも良い三面記事ネタよりは遥かに重要な、「そもそも何であの地域が反米基調なのか」という社会・経済的な観点から、新大陸発見以来の白人による先住民侵略の歴史や、19世紀以来の米国の中南米支配や、その下でのかつての軍事独裁や今も続く寡頭支配体制の問題まで含めて、きちんと取り上げられる事が、最近の日本では余り無くなって来たように思います。

 チャべスは、確かに元は軍人上がりの大統領ですが、90年代末に貧困層の救済を公約に掲げて大統領に就任以来、ベネズエラの社会改革に取り組んできました。それまで石油収入を私物化して政権のたらい回しを続けてきた大地主・外国資本・既成二大政党から、政治を国民の手に取り戻す為に、参加民主主義を掲げて、様々な改革を実施してきました。だからベネズエラ国民も、圧倒的な支持を今まで彼に与えてきたのです。

 ところが今回の改憲国民投票では、それまでチャべスを支持していた民衆の少なくない部分が棄権に回り、大統領提案の改憲案が小差で否決されてしまいました。その改憲案の内容ですが、人民権力(地区住民評議会)の創設などで参加民主主義の一層の推進を図る内容が盛られた一方で、再選制限の撤廃などの大統領権限の強化や、社会主義推進という形での国家体制の方向付けが謳われたりしていました。これについては、流石にチャべス支持派の私も、少し先走りすぎではないかという気がしていました。

 私個人的には「社会主義、反帝国主義、人道主義を国の基本原則とする」のには大賛成なのですが、それをいきなり憲法の規定にまで盛り込むのは、何かちょっと方向性がずれているのではないか、という気がしていましたので。そもそも近代憲法というのは、マグナカルタや権利章典の歴史からも明らかなように、国家権力の暴走を抑える為に生まれてきたものでしょう。他の法律は個別の法律行為を規制するのが目的であるのに対して、憲法は国の法律行為を国民がチェックするために制定されたものです。少なくとも、欧米や今の日本の憲法はみんなそういう形になっています。

 それに対して、国の基本原則を予め盛り込んだのが旧ソ連や中国・北朝鮮・ベトナムなどの国々の憲法なのですが、これが得てして、社会主義の名で個人独裁が行われる温床ともなってきていました。しかしチャべスは、「21世紀の新しい社会主義」を唱え、旧ソ連タイプの「社会主義」は明白に拒否していたのですから、それならば憲法には社会主義ではなく、「あくまで複数主義に則って革命を推進する」という規定が盛り込まれなければならなかった筈です。近隣国ニカラグアのサンディニスタ革命政権が制定した憲法も、確かそのような規定になっていた筈です。

 これに対しては、少なくともアジア・アフリカの第三世界の人々にとっては、抽象的な国家権力一般の問題ではなく、大地主の搾取や外国資本の乱開発から国の資源や国民生活を如何に守るかが一番の問題であって、その為にも「社会主義、反帝国主義」云々の方向付けは必要だ、という意見もあるでしょう。これは各国の置かれた状況によって個別に判断しなければならない事だと思いますが、ことベネズエラに関して言えば、米国からの執拗な内政干渉や反革命工作の存在を考慮に入れても尚、今の段階でそこまで憲法に書く必要があるのかな、という気がします。

 しかし、このチャべスのワンマンぶりを見ていると、私がかつて居た某生協の元専務の軌跡とダブって見えてしまうのは、私のトラウマの為せる技なのだろうかw。このブログで散々悪口を書いてきた某生協にしても、最初からあんな「私物化」生協ではありませんでした。
 彼の生協は、70年代前半の第一次石油ショックの時に、大商社の買占め・売り惜しみに対抗する為に、その元専務が中心になって、近隣の大学生協から有志を募り、プレハブの掘っ立て小屋と中古の配送トラック一台で始めたものです。その当時の労働条件は今の比ではなかったそうですが(夜3時に仕事が終わってまた朝8時から開始とかだったらしい)、雰囲気はアットホームで、その専務の行きつけのバーで会議をしたり賃上げの団交をしたりしたそうな。

 私の入協当時も、まだそういう雰囲気の名残が微かに残っていました。しかしその後に80年代から90年代のバブル崩壊まで、彼の生協が市民生協として急速に成長を遂げるにつれて、そういう雰囲気は徐々に失われてきました。
 かつての、一癖も二癖もあるがそれなりに人情もあった(勿論嫌な奴もいたが)上司は次第に居なくなり、それに代って小粒の人物や「闇金ウシジマくん」みたいな奴が、運とハッタリだけでのし上がって来るようになっていった。「我々は消費者運動だけでなく事業活動もしているのだ、いつまでも学生サークルみたいな雰囲気の中でぬるま湯につかっていてはいけない」(その指摘自体は一概に否定はしないが)という掛け声の中で、次第に「戦陣訓」みたいなモノに犯されるようになっていった。生協の本部・支所・店舗の片隅には、元専務の言葉(基本業務を忠実に、とかいう他愛の無いものでしたが)が書かれたプレートが、まるで金正日の教示塔の様に掲げられるようになっていた。このようにして、かつての「サンディニスタ」は徐々に「朝鮮労働党」みたいなモノに変質していった・・・。

 そういう意味では、ベネズエラ国民は今回、非常に賢い選択をしたのではないか、という気がします。徒に米国の反革命工作に乗せられる事無く、チャべスの果たしている役割は正当に評価しつつも、彼のある種のワンマンぶりや暴走にはやんわりと釘を刺す事も忘れなかった、という意味で。
コメント (1)
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