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アフガン・イラク・北朝鮮と日本

戦争も人権抑圧もNO!万国のプレカリアート団結せよ!

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 アフガン・イラク戦争も金正日もNO!!搾取・抑圧のない世界を目指して、万国のプレカリアート団結せよ!

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大川小学校の悲劇を職場で繰り返すな!

2021年03月17日 08時06分34秒 | 福島の犠牲の上に胡坐をかくな
 
津波の際は近隣の中学校だけでなく団地にも避難できるようにして下さい。
 
現在、スーパー〇〇の××物流センターに勤務する労働者は、南海トラフ巨大地震や東南海・南海地震などの大きな地震が発生した際は、〇〇さんの指示で、関連会社の従業員も含め、全員が近くの××中学校に避難する事になっています。しかし、同校の建物は2階までの高さしかありません。津波が来たらひとたまりもありません。同校だけでなく、その近隣の××団地にも避難できるようにして下さい。
 
××中学校が避難場所になっているのは、××区の防災マップで、同校が「災害時避難所」に指定されているからです。しかし、そんな形だけの施設に避難した所で、津波から逃れられる訳がありません。それに対し、団地の建物なら、高さが14階まであるので安心です。
 
防災マップには、同校の他に当該団地も、「津波避難ビル」に指定されています。地震と津波の両方の場合に避難できる「災害時避難所」とは違い、「津波避難ビル」は津波来襲時しか避難できません。しかし、避難しなければならないような巨大地震の際には、その後に津波も来襲します。巨大地震の場合は、地震だけでなく津波にも備えるべきです。
 
2011年の東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)でも、三陸沿岸の市町村で多くの方が津波に呑まれて亡くなりました。その多くは、行政の指定した公民館や学校の避難所に逃れた人たちです。巨大地震の際には、絵に描いた防災マップなぞ何の役にも立たなかったのです。
 
地震発生から津波来襲までの時間は、およそ30分間しかありません。その30分間に出来る事と言えば、半径1キロ圏内に徒歩で避難する事ぐらいです。××物流センターの場合で言えば、避難場所は××中学校と××団地の2ヵ所に限られます。いざ地震が起こってから、どちらに逃げようか考えている余裕なぞありません。
 
「津波てんでんこ」という格言があります。「津波避難の場合は、他人の事なぞに構っておらず、各人がバラバラになっても構わないから、一刻も早く高台に逃げろ」という意味です。津波避難には、それだけの緊急性が求められます。「我々は下請けだから、〇〇さんや行政の言う事には逆らえない」なんて言っていたら死んでしまいます。従業員の命を守るためには何が今最も必要なのか?標記の件について、是非ご検討をお願いします。(以上、転載終了)
 
先日、上記のメールを勤務先企業の本社窓口に送りました。メール送付に至ったきっかけは、やはり東日本大震災の特集番組です。阪神淡路大震災、東日本大震災の時期になると、マスコミは必ず震災追悼番組を流します。例年なら、それを聞き流すだけでしたが、今年は少し勝手が違いました。
 
それまでは、東日本大震災の犠牲者と言えば、福島原発事故の被災者がまず頭に浮かんでいました。しかし、震災の犠牲は原発事故由来によるものだけではありません。避難の杜撰(ずさん)さによるものも多数含まれています。
 
 
杜撰な避難の最も有名な例が大川小学校の悲劇です。宮城県石巻市立大川小学校(現在は廃校、上図A地点)は河口からわずか5キロの北上川沿いにあり、学校のすぐ後ろには避難できる裏山(同B地点)もありました。ところが、地震発生から津波来襲まで50分余も時間がありながら、実際に避難が始まったのは40分も過ぎてからです。明確な避難先を決めてなかった為、避難先を巡って教師の意見が分かれ、避難開始に手間取ったのです。
 
しかも、地面がぬかるんで滑りやすいなどの理由で、すぐ後ろにある裏山へは避難せず、わざわざ危険な新北上大橋のたもとにある高台の三叉路(同C地点)に避難しようとしたのです。その為に、避難中に北上川から逆流した津波に呑まれ、児童・教職員のほとんどが亡くなりました。
 
何故、わざわざ危険な川沿いに避難しようとしたのか?ハザードマップでは、津波は小学校までは来ない想定になっていました。その為、小学校自体が津波の避難先に指定され、近くに住む高齢者も小学校に集まり始めていました。だから、高齢者も簡単に避難できる川沿いの高台を避難先に選んでしまったのです。川沿いとは言え、高い堤防で囲われた高台なら安心だろうと。
 
しかも、児童が教師に「裏山に避難しよう!」と泣いて頼んでいるのに、教師はその児童を叱りつけ、わざわざ裏山に逃げた児童を学校に連れ戻す事までしていました。そして、マニュアルに書いてあるからと、校庭に児童を集め、点呼まで取っていました。一刻も早く逃げなければならない緊急事態であるにも関わらず。
 
どこに避難するかという肝心な事を何も決めないまま、ハザードマップや高い堤防などの既存の施策に寄りかかり、点呼などの形式にばかりとらわれていたのです。これは何もこの事例だけに限った事ではないでしょう。現に私の職場でも、高い団地ではなく低層の中学校に避難所が設定されてしまっています。民間の団地よりも公共の中学校の方が、人を集めやすいし避難所の設営も楽だからです。
 
でも、津波から身を守る事を最優先で考えるなら、誰が考えても高い団地の方が安全です。行政や企業も、「上が決めた事だから」という理由だけで、形だけの避難計画にとらわれるのではなく、従業員の安全を守る事を最優先に考えて欲しいです。
 
震災特集番組では、避難所で辛抱強く配給を待つ行列を、「日本スゴイ!」と称える場面も多く流されましたが、それでは「ただ黙って規則に従え」という事にもなりません。本当は「黙って規則に従え」ではなく、「安全の為に今何が必要か、自分の頭で考えて最善を尽くせ」。これこそが「避難の鉄則」であるべきです。
コメント (1)
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裸の王様はもういらない

2018年07月09日 09時00分32秒 | 福島の犠牲の上に胡坐をかくな

 この間の大雨による水害で、岡山・広島・愛媛・福岡などで大きな被害が出ました。私の知人も、岡山県倉敷市に住んでいます。「倉敷市の真備町が水没してしまった」とのニュースが流れ、LINEで安否を気遣う投稿があふれる中で、私も少し動転してしまい、下記の投稿を行いました。

●西日本の水害、テレビ報道以上に大変な事になっている。岡山県真備町では高梁川の氾濫で町全体が冠水。広島県でも山陽本線や呉線の駅に自動改札機が埋もれる位、土砂が流れ込んでいたり、岐阜市では長良川が決壊で全市に避難指示が出ていたり。

●でもNHKも民放も、「気をつけろ」と言う割には、具体的な被害の様子を全然報道しない。それで、各地の被災者がしびれを切らして被災地の写真をツイッターに拡散希望のタグ付けて流している。

●それなのに、テレビは災害報道そっちのけでオウム真理教信者の死刑執行を大々的に流したり、安倍は災害対策本部も未だに立ち上げず、15分間公邸に出勤したきり私邸に帰って静養。自民党も議員会館で総理や復興大臣も総出で宴会。バカじゃないの

●確かにマスコミの災害報道は少しおかしい。今朝(7月8日)のNHKニュースも災害報道そっちのけでW杯のライブ映像なぞ流してる。確かに大阪では雨も上がり晴れ間がのぞいているが、横の字幕にもある通り、鉄道運休や高速道路の通行止めが今も続いているのに。
今日は日曜だが、同僚と休みを振り替えた為に出勤しなければならないのに。天気予報ぐらい流せや!

●マスコミの災害報道
神戸西郊の山陽電鉄の線路に土砂が流れ込み電車が立ち往生、乗客を避難誘導(実際の被害報道はこれだけで後は運休情報のみ)

実際の被害
広島県内の呉線の駅では自動改札も土砂で埋まり復旧の目処が立たず

これ位の開きがある。

 その後、岡山の知人の無事が確認され、被災地も倉敷の市街ではなく、そこから離れた郊外の旧真備町である事が分かりました。私も落ち着きを取り戻し、下記の投稿をLINEに流しました。

●岡山・真備の水害の件。地域一帯が水没した映像がニュースで流れ、そこが「倉敷市真備町」と伝えられた事で、私も慌てましたが、同じ倉敷でも、中心市街地から離れた旧真備町だったのですね。××ちゃん(知人の名前)とこは無事という事で、ひとまず安心しました。

●しかし、真備町がなぜあんなに浸水したのか?調べてみたら、ここでは過去に何度も大きな水害が起こっています。高梁川に合流する小田川の流域で、三方を山に囲まれ、高梁川が合流点下流で湾曲している。こんな谷あいの場所で大雨に見舞われたら、谷が天然のプールみたいになってしまう。

●それと、倉敷にしても広島の水害にしてもそうですが、「平成の大合併」で市町村のエリアが広がった所に、被害が集中している様な気がします。合併で自治体の面積・人口は増えたが、実際は高齢化や公務員のリストラで、中心市街地から離れた地域まで目が回らなくなっている。幾ら住民がSOSを発信しても、対応できる人がいなくなってしまっているのではないでしょうか。数年前の紀州大水害が正にこうでした。

 数年前(2011年9月)の紀州大水害については、私のブログで取り上げていました。和歌山県田辺市の例を引いて、合併前は海沿いの旧市域だけ見てれば良かったのが、「平成の大合併」で熊野本宮あたりまで市域が広がってしまった事で、山津波にも警戒しなければならなくなった。しかし、地域の高齢化や行政機関のリストラで、市役所も地元の消防団も、住民からのSOS通報に対応できなくなってしまっている・・・という内容でした。

 真備町の例は決して他人事ではありません。例えば、大阪府の東大阪市や大東市、松原市も、よく水害に遭う土地ですが、それは何故だと思いますか?それは「河内」という、あの付近一帯の旧国名を思い浮かべれば分かります。

 あの付近一帯は、太古の昔は大阪湾の内海でした。海水が引いた後も、今は無き茨田池(まんたのいけ)や深野池(ふこのいけ)といった大きな池があちこちに点在していました。大和川も、大和盆地から大阪平野に出た後は、今のように西に流れるのではなく、北の方に流れ、いくつもの川に分かれた後、あの付近で寝屋川に合流していました。そして地形も、東の生駒山地、南の金剛・葛城山系、西の上町台地と、三方を山や台地に囲まれた谷状の形になっています。寝屋川を高梁川、大和川を小田川に置き換えれば、真備町と全く同じです。

 私の今住んでいる大阪・西成の「あいりん地区」も例外ではありません。「あいりん地区」の旧称「釜ヶ崎」は、海岸で塩を煮る釜があった事から付いたとする説があります。つまり海沿いの低湿地でした。1973年以前の旧町名が表示された西成区の地図を見ると、今の「あいりん地区」(右上地図の北東=右上隅)は、「東入船」「西入船」「甲岸」「海道」「今船」「今池」「曳舟」と、海や川にちなんだ旧町名だらけです。こんな所に津波が来たら、ひとたまりもありません。

 ところが、今の安倍政権と言ったら・・・。

●一説によると、政府が災害対策本部を立ち上げないのは、安倍の外遊に差し障りがあるからだそうだ。
7月14日のフランス訪問で、パリ祭(仏革命記念日)の軍事パレードを自衛隊幹部と閲兵し、改憲ムードを盛り上げたいから、実際の被害は余り報道しないのだとか。

●北朝鮮ミサイル騒動の時もそうだったが、散々Jアラートで国民の不安を煽りながら、自分達はモリカケで私腹を肥やし料亭三昧。国民の事なぞ、どうでも良いのだ。

 議員同士の親睦を深めるために、自党の議員事務所で打ち上げをする事まで否定はしません。しかし、多くの国民が大水害で被災し、衣食住にも事欠く状態にあるというのに、総理大臣や防災大臣が、災害対策本部も立ち上げずに、内輪の宴会にうつつを抜かし、それを堂々とツイッターに上げる神経が理解できません。

 しかも、この宴会では、オウム信者幹部7名の死刑執行を翌日に控える中で、参加者はあろうことか、刑務官が死刑執行のボタンを押す真似をして、親指を立ててボタンを押すしぐさをしていたのだとか。いくら相手がサリン事件の死刑囚でも、これは無いでしょう。相手が死刑囚ならオモチャにしても良いと思っているのでしょうか?これが総理大臣や法務大臣のやる事ですか!

 政府は7月8日になって、ようやく災害対策本部を立ち上げました。しかし、安倍首相が外遊に出かけるので、首相が本部長となる「緊急災害対策本部」ではなく、国務大臣が本部長の「非常災害対策本部」にしたそうです。その外遊は本当に必要なのでしょうか?自分の人気取りと、災害救援の、一体どちらを優先すべきなのか?そんな事も分からない首相なら、もう退陣してもらうしかありません。(注:外遊も周囲に言われて渋々取りやめたそうです。自民党総裁選のウリにしたかったのに、さぞや残念な事でしょうw)

 安倍首相は、「大規模災害に対応するためにも、憲法改正で緊急事態条項を設けて、災害時には総理大臣に権限を集中させなければならない」と言いますが、こんな「裸の王様」に権限を集中させてしまったら、それこそ取り返しがつきません。大規模災害に対応するためにも、「裸の王様」には一刻も早く退陣してもらわなければなりません。

首相動静―7月7日:朝日新聞デジタル
【午前】9時44分、官邸。10時1分、7月5日からの大雨に関する関係閣僚会議。11時49分、東京・富ケ谷の自宅。【午後】自宅で過ごす。

百歩譲って5日の酒盛りの席ではまだ大雨被害の全貌が掴めなかったとしても、7日には陣頭指揮が取れたはず。ところが翌6日も普段通りの公務をこなしただけで夜は会食。防災については何もなし。7日になっても上記の通り防災関係の会議に少し出ただけで後は自宅で静養。それが8日になって急に「救出は時間との勝負だ」と言い出した。安倍は完全に国民を舐めている。安倍に大甘な世論がそれを更に増長させている。

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温故知新

2018年06月20日 20時58分24秒 | 福島の犠牲の上に胡坐をかくな

 

昨日の朝9時頃、強い地震があった。震源は大阪府北部で震度6弱とアラートで警報が伝わって来た。建物内でも大きく揺れ、従業員は全員外に避難した。ニュートラムも現在止まっている

今回の地震で改めて今住んでるあいりん地区の危険を知る。釜ヶ崎の旧地名からも分かる様にここは昔海だった。そこに老朽化したタコ部屋が密集。住民も身寄りのない単身者・高齢者が多い。唯一の救いは上町台地の高層ビル群がすぐ隣にある事だ。津波が来たらひたすらあべのハルカス目標に逃げるつもりだ

1973年以前の地図(出典:http://kamamat.org/map/sin-kyuu/sinkyu-msp.html、上記写真)で今のあいりん地区(西成区萩之茶屋・太子・天下茶屋北)を見ると、入船・甲岸・海道・今池・今船・曳舟と、もう海や川にちなむ旧町名だらけ。こんな所に津波が来たら一発でアウトだ

大阪は昔から風水害に悩まされて来た。昔は淀川も大和川も大阪市内に流れ込み、上町台地以外は全て低湿地だった。高度成長期には工業用水取水による地盤沈下が大問題となった。海に沈んだ工場等、当時の写真からもその惨禍が偲ばれる。大阪の代名詞である八百八橋も、洪水との戦いの中から生まれた言葉だ

 

もし大阪に津波が来るとすれば、一番ヤバいのは大正区だ。周囲を海と川に囲まれ、川も貨物船を通す為につい最近まで一本の橋もかかっていなかった。ここでは今もバスと市営渡船が市民の足として大活躍。そんな所に津波が来たら、もう区役所裏の昭和山という浚渫工事で出来た人工の山に逃げるしかない(上記写真は大正区と西成区を結ぶ木津川べりの上落合渡船場)

 

大阪府・市ダブル選挙や都構想住民投票でも防災が一大争点として浮上した。当時の反維新陣営のビラには大阪府庁移転先のWTCビル(今のコスモタワー=咲洲庁舎)が如何に震災に脆弱かがつぶさに載っていた。大阪では震度3の東日本大震災で唯一大被害が出たのがこの咲洲庁舎だ。正に橋下政治のデタラメの象徴だった(上記は当時の反維新ビラとWTCビルの遠景。WTCはビラで赤色に示された津波浸水想定地域のど真ん中にある)


※やっとパソコンの買い替えが終わりました。新しいパソコンは結局、79,800円の東芝Dynabookにしました。このブログも新しいパソコンで書いています。但し、新しいパソコンにはまだ馴染めないので、今回はツイッターからの転載になります(一部編集済)。

※昨日の大阪府北部を震源とする震度6弱の地震では、私の勤務先の建物も大きく揺れましたが、建物自体には特に被害はありませんでした。しかし、配送先には地震の影響で休業を余儀なくされた店舗もあり、物流センターへの納品も高速道路網が全て止まってしまい大幅に遅れ、欠勤者や遅刻者も多く出て、当日はその処理に追われました。

※私の住んでいる新今宮のホテルも、建物自体には大きな被害はありませんでしたが、周辺の建物の中には室内のパネルが落ちたり、水道管が破裂して冠水した所もあったようです。

※ところで、震度3の地震でも大揺れでエレベーターが止まり水道管が破裂して上層階が水浸しになった前述のWTCは一体どうだったのでしょうか?津波常襲地帯で地盤も軟弱な湾岸埋立地にカジノを誘致する金があるなら、何故、小学校プールの崩れた擁壁を補強しなかったのでしょうか?それで小学生が一人亡くなっているのですよ!

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今村復興大臣の辞任を求める署名のお願い

2017年04月12日 21時07分51秒 | 福島の犠牲の上に胡坐をかくな

 ブログに公開するのが遅くなりましたが、下記のネット署名に賛同しました。皆さんも是非ご賛同いただけたらと思い、遅まきながら拡散させてもらいます。(以下引用)

※この署名は、2017年4月5日の正午にキックオフしました。4月6日夕方の復興庁への提出を予定していますが、その後も当面継続予定です。

国の責任を蔑ろにしたあげくの “自主避難は「自己責任」”発言
現在の被害者切り捨て政策を露呈

4月4日の記者会見で、記者から避難者が住宅提供を打ち切られ、困窮していることに対する国の対応を問われた貴職は、「自主避難者が福島に帰れないのは本人の責任である。基本は自己責任。裁判でも何でも,やれば良いではないか」という趣旨のご発言をなさいました。 

東京電力福島第一原発事故の責任は、国と東京電力にあります。

私たちは、「加害者」側におられる貴職が、「被害者」である避難者に対して、自分の責任だという発言を行ったことに強い憤りを禁じえません。 

避難者は、原発事故さえ起らなければ、故郷を離れ、違う土地で苦しい思いをすることもありませんでした。

2012年に制定された、「原発事故子ども・被災者支援法」の中でも、原子力政策を推進してきた国の責任を明記し、被害者が居住・避難・帰還のいずれを選択した場合でも、国が支援を行う旨が書き込まれています。 

貴職の発言は、これらを一切無視し、国の責任を放棄し、避難者の想いを踏みにじるものです。被災者支援の責任を担うはずの復興大臣としての資質を問わざるをえません。 

また、上記発言は,避難指示区域外から避難している方々の実情を全く知らないが故の発言です。 

4月以降の避難生活を継続される、多くの方が生活困窮に陥りながら、避難の理由である放射能被害から家族を守る為に苦闘しています

現在まで、復興庁は、住宅提供打ち切りおよびその後の責任を福島県に押し付け、避難者の実情の把握すら行ってきませんでした

さらに、3月17日、前橋地裁は,福島県から群馬県に避難した原告などが国と東京電力を相手に提起した損害賠償請求訴訟において,国に東京電力と同等の賠償責任を認めた上,原告となった自主避難者のほとんどの人について,避難することが合理的であったこと,また,種々の理由で避難を継続していることも合理的であることを認めました。すなわち,自主避難者が避難したことや避難を継続していることは,自己責任ではなく,国に法的な責任があることを認めています。

それにもかかわらず、「裁判でもなんでもやればよい」という貴職の発言は、被害者である原告が何故、裁判に訴えなければならなかった事情を理解せず、被害者全体を侮辱するばかりでなく、閣僚として司法判断を軽視するものです。 

私たちは、貴職に対し、発言の撤回と謝罪、そして復興大臣を辞任することを求めます。

今村復興大臣の辞任を求める避難当事者・支援者有志一同 

https://www.change.org/p/%e5%be%a9%e8%88%88%e5%a4%a7%e8%87%a3%e3%81%ae%e8%be%9e%e4%bb%bb%e3%82%92%e6%b1%82%e3%82%81%e3%81%be%e3%81%99?utm_medium=email&utm_source=notification&utm_campaign=petition_signer_receipt

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川内原発を止めてください。

2016年04月20日 08時40分07秒 | 福島の犠牲の上に胡坐をかくな
ネットで下記の署名が回って来たので、私もその趣旨に賛同し、ツイッターとブログで拡散させてもらいます。
※上記画像は週刊文春4月28日号特集記事「原発は本当に大丈夫か?」掲載資料。今回の熊本地震は断層帯に沿って震源が飛び火する群発地震で、その断層帯の先には原発がある。

キャンペーン:川内原発を止めてください。

私は、現在は県外在住ですが熊本市の出身です。
2016年4月14日及び4月16日に発生した震度7、震度6といった巨大地震及び百数十回を超える余震が続いています。
報道を見るにつれ、被害の状況が拡大し故郷の町が変わり果てた姿を見るに堪えません。
にもかかわらず、熊本県に隣接する鹿児島県にあり、今回の地震の震源となったと考えられる活断層上に建設されているといわれる川内原発は稼働を続けています。
万が一、福島第一原子力発電所のように事故が起きれば、九州全体が放射線の海と化することは想像に難くありません。
美味しい水と美しい自然に囲まれた熊本、そして九州のために川内原発の稼働の即時停止を決断してください。

Petitioning:
Motoo Hayashi, Minister of Economy, Trade and Industry
Shinzo Abe, Prime Minister of Japan
The President of Kyushu Electric Power Co., Inc.
Yuichiro Ito, Governor of Kagoshima Prefecture
Tamayo Marukawa, Minister of Environmental Issues

I am originally from Kumamoto, although I don't live there currently.
Over the past few days, Kumamoto and surrounding areas have been hit by 2 huge earthquakes and continue to experience hundreds of smaller aftershocks.
As the reports continue, I am overwhelmed and saddened to see the damage that my beautiful hometown has suffered.
Despite this, in Kagoshima prefecture (next to Kumamoto prefecture), Sendai Nuclear Power Plant (which is situated right above the fault line that is likely the hypocenter of the earthquakes) continues to be in operation.
It is not hard to imagine the whole island of Kyushu bathed in radiation in the case that something similar to the Fukushima Nuclear Power Plant incident should happen.
For the safety and preservation of Kumamoto prefecture and surrounding areas, please make the decision to cease operations at Sendai Nuclear Power Plant immediately.

賛同者の署名は以下の宛先へ届けられます

林幹雄経済産業大臣
安倍晋三首相
九州電力社長
伊藤祐一郎鹿児島県知事
丸川珠代原子力防災担当大臣


 今回の熊本地震を引き起こした布田川・日奈久(ふたがわ・ひなぐ)断層帯は、その東にある巨大断層帯の中央構造線とも連動しています。この中央構造線は、中部地方から近畿・瀬戸内海沿岸を経て九州にまで及ぶ大規模なものです。
 先のブログ記事では、主に愛媛県の伊方(いかた)原発の問題を、中央構造線との関連で取り上げましたが、鹿児島県の川内(せんだい)原発も、伊方に負けず劣らず、立地上の重大な問題を抱えている事が分かりました。
 川内原発のある鹿児島県には、霧島山や桜島、開聞(かいもん)岳などの火山が多くあります。いずれの火山も、今回の地震で動向が注目された阿蘇山と、同じ霧島火山帯で繋がっています。阿蘇山や桜島は、今も活発に噴煙を上げている活火山です。
 それらの火山が本格的に活動を始めたら、一体どうなるか?もし、原発が火砕流や火山弾の直撃から免れたとしても、火山灰によって原発の空調設備が機能しなくなったり、送電線に火山灰が積もって断線・ショートしてしまったら、川内も外部電源喪失で福島と同じような状況に陥ります。そうなったら、火山に取り囲まれた南九州一体は、もう逃げ場がなくなります。

 安倍政権は、この期に及んでもまだ、「川内原発周辺の地震動は12.6ガルだった。原発は620ガルの振動にまで耐えられるようになっているから大丈夫」と言って、原発を止めようとしません。しかし実際は、4月20日付「日刊ゲンダイ」によると、震源直下の熊本県益城町で14日夜に1580ガルの振動を記録していたそうです。今回、川内原発が無事だったのは、たまたま震源域がわずかにそれたから、偶然命拾いしたに過ぎません。
 その後も、震源域が断層帯に沿って双方向に広がりつつあります。その先には、伊方原発が北東に、川内原発が南西にあるのです。そもそも、「地震の巣」である日本列島に、54基もの原発が林立している事自体が異常なのです。住民の安全を考えるなら、一刻も早く伊方・川内の両原発を停止させるべきです。
 それにしても、「避難所に配給物資が行き渡らない」「食料も水も毛布も足りない」と、被災地の現状については詳しく伝えるマスコミが、なぜ、それに負けず劣らず重要な、原発の危険性については、ほとんど報道しないのか?そんなに政府の目が怖いのか?それでは、「せっかくの現地からの報道も、より重大な危険から国民の目をそらすために、煙幕として利用しているだけだ」と言われても仕方ないでしょう。
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熊本地震のニュースも福島みたいにお涙頂戴だけで誤魔化すつもりか?

2016年04月16日 20時11分18秒 | 福島の犠牲の上に胡坐をかくな


 今回の熊本震災でも、救援は口先だけで憲法改正しか頭にない政府。お涙頂戴や政府広報みたいなニュースばかり垂れ流し、肝心な事は何も報じないマスコミ。それを何とも思わない国民の奴隷根性。これらにはつくづく嫌気が差す。以下、「小出裕章ジャーナル」より転載。

伊方原発「適合」の問題「日本最大の活断層、中央構造線が動くようなことになれば、おそらく壊滅的な被害を受けるだろうと思います」~第126回小出裕章ジャーナル(2015年6月5日~12日放送)

湯浅誠:
今日はですね、伊方原発3号機の適合問題ということなんですけれども、5月20に原子力規制委員会が伊方原発3号機が新規制基準を満たしているという審査案を了承したと。九州電力の川内原発1・2号機、そして、関西電力の高浜原発3・4号機に続いて3例目ということなんですが、今回の伊方原発が抱えている独自の問題点というかですね、というのは、どういうところにあるんでしょうか?

小出さん:
はい。原子力発電所というのは、みんな問題を抱えているわけですけれども、それぞれにかなり特色のある問題を抱えています。

例えば伊方原子力発電所の場合には、愛媛県に佐多岬という細長い半島があってですね、四国から九州に向かって伸びているのですが、一番太い所でも6キロ程度だろうと思います。長さで言えば、40キロもあるというようにですね。細長く九州に向かって伸びているのです。

それの付け根の所に伊方原子力発電所が立地しています。もし原子力発電所で事故が起きた場合に、岬の先の方にいる人達は一体どうやって逃げることができるのだろうかと、私は昔から思っていましたし、福島第一原子力発電所の事故が事実として起きた今、もう到底、岬の先端の方の人達は逃げることができないだろうと、私は思うようになりました。この佐多岬という半島には伊方町のですね、多分5000人を超えるぐらいの人が住んでいるはずで、その人達がもし逃げるとすれば、何か船に乗って九州に逃げるという、そんなやり方しかたぶんないだろうと思います。

湯浅:
そういう避難計画っていうのは、愛媛県ないし伊方町は作ってるんですかね?

小出さん:
ええ、これから要するに作ることになるのでしょうけれども、一番初めに新規制基準に適合されたと認められた川内原子力発電所の場合も、もう到底逃げることなんかできないよということで、鹿児島県の知事自身がそのことを認めてしまうという状態になったわけです。伊方の場合にはもっと厳しく、逃げることができないだろうと思います。

湯浅:
鹿児島県知事は、だいぶ原発再稼働に前向きだった人でしたけども、愛媛県は中村知事ですかね、中村知事はどういう態度?

小出さん:
今のところ曖昧な態度ですので、どうなるのかは予断は許しませんけれども、基本的には原子力発電所を立地されてしまった自治体というのは、原子力発電所によって、私は麻薬患者にされたと言ってるわけですけれども、さまざまなお金でがんじがらめに縛られてしまっていますので、これからも認める方向に行くんだろうなと私は心配しています。

湯浅:
伊方町長はもう前のめりというか。再稼働して欲しいという立場なんですね?

小出さん:
はい。残念ながらそうです。

湯浅:
周辺自治体はどうですか?

小出さん:
多分、もし意見を言えるようになれば、あれこれと意見を言い出すだろうと思いますけれども、川内原子力発電所の場合も立地自治体、薩摩川内市と鹿児島県の同意だけあればいいということにされてしまったわけですし、伊方原子力発電所の場合も伊方町と愛媛県さえ「うん」と言えば、あとの自治体はほったらかしにされるという可能性が高いと思います。

湯浅:
それに加えて、伊方原発の近くには大きな活断層がある。南海トラフ地震の被害を受ける可能性があるということも言われているようなんですけれども。

小出さん:
はい。昔、小松左京さんが『日本沈没』という小説を書いたことがあるのですが、あの小説は日本最大の活断層に中央構造線という活断層があるのですが、中部地方からずーっと関西を横断して、四国を横断して、九州まで伸びていくという巨大な活断層なのです。

その『日本沈没』では、巨大な中央構造線の活断層が割れて、日本が太平洋に滑り落ちていくという、そういうことを書いた小説だったのですが、伊方原子力発電所の敷地の前面に、その日本最大の活断層、中央構造線が走っているのです。もし、それが動くようなことになれば、おそらく壊滅的な被害を受けるだろうと思います。

その上、伊方の場合にはそれだけでは済みませんで、「日本でこれから巨大な地震が起きる」と世界中の地震学者が言っていまして、東海地震、東南海地震、南海地震と呼ばれているような中部地方から関西、四国、九州に伸びてくような地域に、巨大なやはり地震の渦がありまして、そこで、近い将来必ず大きな地震が起きると世界中の地震学者が言ってるわけですから、伊方原子力発電所というのは中央構造線のおそれ、そして、南海地震のおそれというように、南北から挟まれた形で存在しています。

湯浅:
非常にまあ危ない…伊方原発だけじゃないですけどねえ。危ない所にあるということですが、川内、高浜、伊方と、結構ここのところ続々というか、いよいよ本格的にというか、再稼働に向けての準備が進んでいて、高浜原発は運転延長まで申請したと、20年間のですね、ということなんですが、小出さんからしてみれば、「それはそう来るに決まってんだよ」ということなんでしょうけども、いかがでしょうかね?

小出さん:
あまりにも愚かな選択だなと、私は思います。大きな原子力発電所の事故など決して起きないと言ってきた人達が、事実として事故が起きているのに、未だに目を覚ますことができない。ほんとに、この国の指導者達、あるいは経済界の首脳達、どういう人達がやってるのかなあと、私は大変残念だし情けなく思います。

湯浅:
今日もありがとうございました。

小出さん:
こちらこそ、ありがとうございました。
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右翼と政府による脱原発運動への弾圧に抗議する

2014年10月16日 22時48分24秒 | 福島の犠牲の上に胡坐をかくな
桜田修成(桜田修)他 撮影(江川麻莉)ツイキャスしながら脱原発テント村襲撃するも逮捕されず 1/2


(転載開始)
経産省前テントひろばはあらゆる攻撃に屈せず闘い続けます/2014.10.13

 10月12日午後5時半ごろ、経産省正門方向から接近した女1名を含む4名がテントを襲撃した。テント前の横幕などを引きはがし、特に第2テントの内部に侵入し、乱暴の限りをつくした。天幕を破り、備品を投げ、足の踏み場もないまでの狼藉を働いた。その間30分、途中から丸の内署の警官がかけつけるが、幸い居合わせた10人近いテント関係者に負傷はなかった。設置以来3年余、右翼の襲撃は何回もあったが、これだけの破壊行為は初めてである。

 襲撃の一部始終は、襲撃者の一人である女がツイキャスでネット上に流している。売名行為のつもりだろうが、自らの犯罪を証明した。動画を通して続く女の低劣な「おしゃべり」が連中の正体をよく示している。「ぶっ壊せ~」の叫びはまだしも、傑作にも、テント前のスローガンを読もうとしたが、「廃炉」の漢字が読めなかった。そして「竹島はどうなんだ」という難癖。脱原発テントは竹島問題などと関係がない。敢えて言えば、竹島などという無人島の何千万倍もの面積の「国土」が福島で失われている、今も原発事故によって十数万もの人々が故郷に帰れないでいることを知っているのか。

 襲撃者は、いわゆる街宣右翼とも違う在特会的ネトウヨの類だろう。だがわれわれは決してこうした暴力行為を軽視しない。なぜならこの背後には、安倍亡国政権のもとでの立憲政治の壊滅から異様な「朝日」バッシングまでのファシズム前夜的空気が広がっているからだ。中国や韓国に対する常軌を逸した排外主義的憎悪が氾濫しているからだ。ファシズムの重要な特性は、無知と倒錯と暴力にある。重要なのは、このような暴力が今日の閉塞した日本社会の危険な世情と共鳴していることだ。「茶色の朝」の接近を許してはならない。

 すべては、引き続きの支援、そして脱原発運動の全体の発展にかかっている。心から感謝しなければならないが、襲撃から1日足らずの間に、「テントの修復のため」の多額のカンパを含む様々な支援が寄せられている。テントは現在、その占有をめぐって東京地裁で係争中である。テント前の地裁公示書には「債務者らに限り使用を許す」とある。われわれはどのような暴力にも屈しない。非暴力・不服従のあらゆる手段で闘う。福島を初めとする全国の支援者とともに、この脱原発運動の重要な砦を今後も守り抜いていく決意である。

                  経産省前テントひろば・運営委員会

(転載終了)
http://tentohiroba.tumblr.com/

 上記の声明が回ってきたので私のブログにも緊急転載させてもらいました。
 「経産省前テントひろば」(通称:脱原発テント村)とは、2011年3月11日の福島原発事故によって故郷の暮らしを奪われた福島のお母さん方が、事故に対する補償と脱原発政策への転換を求め、東京の経済産業省前の広場にテントを張って24時間座り込みを始めたのがきっかけで生まれました。その後、支援者の数も増え、複数のテントに常駐体制が敷かれる今のような形になりました。私も2012年5月に東京旅行の際に一度立ち寄らせてもらっています。テント村の公式ホームページへはこのリンクをクリック。

 それをこの10月12日に、桜田修・江川麻莉など4名のクズ右翼どもが、いきなりタクシーで乗り付け襲撃してきました。「廃炉」の漢字も読めないくせに、政府べったりの産経新聞やネット掲示板「2ちゃんねる」から仕入れた生半可な知識だけで、核廃棄物や原発事故の処理に伴う膨大なコストも棚に上げ、「原発廃止で電気代が上がったらどうする」とか、原発問題とは全然関係ない竹島問題まで持ち出して、一方的に襲撃してきたのです。しかも、このクズどもは、それを自慢のネタとして、自分で撮影した動画をネットに公開までして。逆に暴行・脅迫の動かぬ証拠になる事にも気付かず。それが記事の最初に載せた動画です。

 このクズどもが動画の中でしきりに喚いている「経済産業省の敷地を不法占拠」との言い分も、元はと言えば、全然住民や世論の意見を聞かず、一方的に原発再稼働や放射能汚染地への帰還を推し進める政府にこそ、その責任があり、それに対する抗議として、やむにやまれずテントで座り込みせざるを得なくなった事を完全に無視しています。誰が好き好んでこの炎天下や寒空の下でテントを張って居座ったりするものですか。福島の住民をそこまで追い詰めた政府や東電こそが、真に糾弾されるべきではないですか。

 このテント村の立ち退きを巡る裁判(民事訴訟)は今も係争中です。今はあくまで係争中であり、裁判所から出ている仮処分命令も、あくまでも「テント村の現状保全」であり、「立ち退き」ではありません。それを、債権者の国の言い分だけを鵜呑みにして「不法占拠」と言い募り、一民間人の部外者のくせに債務者(テント村関係者)に一方的に暴行・脅迫を加え、器物損壊を働いたクズどもの方が、よっぽど「不法」ではないですか。

 このクズどもは、その後110番通報によって警察に連行されましたが、何と当日中に釈放されてしまいました。それもこれも、国家公安委員長の山谷えり子を始め、安倍政権の主要閣僚が軒並み右翼・ネオナチ団体の「在特会」「日本会議」等と表裏一体の関係にあるからではないですか。今回のテント村襲撃犯も「在特会」系の人物です。だから、現役の閣僚でありながら、ネオナチ団体の関係者と平気で記念撮影に応じ、それを後で指摘されても「知らぬ存ぜぬ」でのらりくらりと言い逃ればかりして、「ネオナチが人権の敵である」という当たり前の事すらちゃんと言えないです。
 こんな国は先進国の中では日本だけです。ヨーロッパや米国では、ネオナチや人種差別を公然と支持しただけで刑事罰に問われます。ドイツではヒットラーを称賛しナチスの旗を掲げただけで有罪になります。それがこの日本ではこの体たらくです。

 テント村の声明文の中に出てくる「茶色の朝」というのは、そういう「体たらく」を風刺したフランスの絵本です。「茶色の犬や猫しか飼ってはならない」とのおふれを政府が出し、それに違反したり批判したりする人間が片っ端から逮捕されるという話です。フランスではベストセラーになりました。日本でも大月書店という出版社から翻訳版が出ています。

 また、香港では、民主選挙を要求して街頭を占拠中のデモ隊に対して、中国政府が暴力団を使って弾圧に乗り出しています。それを日本のマスコミも盛んに報道します。しかし、この日本国内のクズ右翼どものテロについてはほとんど何も報道しません。右翼がこわいのか、政府ににらまれたくないのか。おそらく、その両方でしょう。今の日本政府も、この香港の現状や「茶色の朝」に出てくる政府と何ら変わらないのに。脱原発テントを襲撃したクズ右翼どもも、香港の暴力団や「茶色の朝」に出てくるゴロツキと全く同じではないですか。

 それでも「原発問題なんて我々とは関係ない」という人は、職場の現状についても考えてもらったら良いと思います。表面的には民主国家であると言われ、平和憲法で戦争を放棄したはずのこの国で、何で政府が秘密保護法の制定や集団的自衛権の行使にばかり力を入れ、消費税ばかり上げて法人税は引き下げるのか。米国や大企業にばかり顔を向け、戦争ごっこにばかりふけり、ブラック企業を野放しにするのか。それもこれも全て、今の日本が香港や「茶色の国」と大差ないからではないですか。

 人権蹂躙(じゅうりん)という点では、格差社会やブラック企業の問題も、原発問題も、根っこにあるのはみな同じです。脱原発テント村の弾圧を容認する者は、やがて自分自身も同じ様な事をされても何も言えなくなるでしょう。そんな事になる前に、日本が香港や「茶色の国」に完全になってしまう前に、どうぞ脱原発テント村への弾圧にみんなも出来る範囲で抗議の声を上げて下さい。「具体的に何をすれば良いか」という事については、前述のテント村公式ホームページを見て下さい。
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福島の悲劇も日本人の国民性が生み出したものだ。

2014年09月02日 18時35分41秒 | 福島の犠牲の上に胡坐をかくな
 

  

 先日、「A2-B-C」という映画の上映会に行って来ました。以前、長谷川健一さんの講演会でお世話になった方から、この映画の案内メールをいただき、私も当日の休みを利用して参加して来たのです。
 この映画は、イアン・トーマス・アッシュという在日米国人の監督が、原発事故以降の福島の子どもたちの姿を捉えたドキュメンタリーです。映画のタイトルも、事故後に福島で続発する甲状腺異常の判定レベル「A1、A2、B、C」から取られました。(注1)

(注1)一次検査の判定レベル(福島県のHPより)

 A判定
 (A1) 結節又はのう胞を認めなかったもの。
 (A2) 結節(5.0mm以下)又はのう胞(20.0mm以下)を認めたもの。
 B判定 結節(5.1mm以上)又はのう胞(20.1mm以上)を認めたもの。
 なお、A2の判定内容であっても、甲状腺の状態等から二次検査を要すると判断した場合は、B判定としている。
 C判定 甲状腺の状態等から判断して、直ちに二次検査を要するもの。
http://www.pref.fukushima.lg.jp/uploaded/attachment/71417.pdf

 通常、子どもが甲状腺がんになるのは100万人に1~2人です。それが事故後の福島県では、約36万人に50~89人の割合で存在しています。100万人当たりでは140~250人と、通常の100倍以上もの高い確率で甲状腺がんになる子どもが増えています。
 最初は何ら異常が見られなかった子どもたちの中から、小さなしこりや腫瘍(しゅよう)が徐々に見つかり、それが5ミリ以上の結節や20ミリ以上の嚢胞(のうほう=水ぶくれ)に成長し、やがて二次検査を受けなければならなくなる。そういう子どもがどんどん増えて行っているのです。
 他府県では、その存在すらほとんどの人が知らない、これらの判定基準が、福島では住民の日常会話の中に頻繁に登場します。今や福島では、時候の挨拶(あいさつ)代わりに、「今日はA2だった」とか「誰それはBだった」という会話が交わされるまでになってしまったのです。(注2)

(注2)甲状腺がん、疑い含め104人 福島の子供30万人調査(8月24日付朝日新聞)

 東京電力福島第一原発事故の被曝(ひばく)による子どもの甲状腺への影響を調べている福島県の検査で、受診した約30万人のうち104人が甲状腺がんやその疑いと判定されたことがわかった。県は「被曝の影響とは考えにくい」としている。この結果は24日に公表される。
 甲状腺検査は事故当時18歳以下だった県民を対象に実施。県内全域を一巡した今年6月30日現在の結果(暫定値)がまとめられた。
 甲状腺がんやその疑いとされた104人のうち、がんと確定したのは57人、良性が1人だった。104人の事故当時の平均年齢は14・8歳で、男性36人、女性68人。腫瘍(しゅよう)の大きさは約5~41ミリで平均14ミリ。(以下略)
http://www.asahi.com/articles/ASG8R6SN3G8RULBJ00B.html
 上記の記事では前述の記述よりも若干低い判定結果となっていますが、それでも他県とは比べ物にならないほど高い数値である事は間違いないでしょう。

 上映会は、8月31日の15時と18時からの二部構成で、以前長谷川さんのお話を聞かせていただいた西成の福祉施設からもほど近い、難波屋という居酒屋でありました。この難波屋は、刺身でも300円位から食べられるほど値段が安い事で有名です。そして、各種の音楽イベントや講演会・展示会を開催できるライブハウスも併設している事でも有名なお店です。私はそこで、15時からの第一部に参加させてもらいました。

映画『A2-B-C』予告編


 映画の冒頭で、御用学者と思しき人物が「絶対に安全だとは言えない」と言う場面がまず出てきます。「国は立ち入り制限を次々解除し、住民の帰還を進めようとしているが、本当に安全なのか?」と問いただす監督に対して、「あくまでも確率論でしか言えない」、つまり「100人中×人しか癌(がん)にはならない」としか言えない、「その×人の中にあなたが入らないとは絶対に言えない」と。この御用学者の無責任な態度への怒りから、映画「A2-B-C」が生まれる事になりました。映画ではこの後、住民や除染業者の発言が淡々と紹介されていきます。

 放射線量を測定するガラスバッジ(簡易線量計)をランドセルにぶら下げながら登校する低学年の子ども達。「これ何ぁ~に?」と聞く監督に、「グァラスバッジッ、ほうしゃのうをはかるやつ」と片言で答える子どもの姿が、痛々しくて見ていられませんでした。「本当はこんなチャチな線量計では正確な測定なぞ出来ない、こんな物はほんの気休めでしかない、でも、こんな物でも無いよりはマシだから持たせているのだ」と嘆く親。
 住民検診での放射線測定でも、「汚れた衣服で来ないように、新品の服を着て来るように」と指示され、「一体何の為の検診か?在りのままの状態で測らなくてどうする!」と嘆く親。

 学校での監督と教頭先生との押し問答。「許可を取らない取材には応じられない」との教頭の発言に、「子どもの命と許可云々の一体どちらが大事なのか?」と迫る監督。
 学校の校庭の横に張られた黄と黒の虎ロープと立ち入り禁止表示を前に、「子どもをこんな学校にやっていて良いのか」と自問する母親。その母親は、先生からは「塀の中の校内については除染が終わっているので一応は安全だ」と聞かされています。しかし、塀の外で放射線量を測ると、線量計のアラームが鳴り針がどんどん上昇して行きます。直ぐに時間当たりの線量が10マイクロシーベルトを突破してしまいました。ちなみに、安全の目安は1時間当たり0.23マイクロシーベルトだそうです。これが福島の現実です。
 
 そもそも除染なんて意味があるのかという問題があります。いくら除染して土を移し替えてその場の放射線量を一時的に抑えても、自分の敷地の放射性物質をよその土地に押しやっているだけで、地域全体の放射線量は全然減りません。やがて雨が降って放射性物質が海に流れ出ても、海の水が蒸発して再び山に雨が降れば同じ事です。これでは汚染を拡散・濃縮しているだけではないですか。その除染も、濡れタオルで屋根瓦や雨どいを拭き取り、住宅地や農地の表土を入れ替えるだけで、肝心の山林については、そこまでやっていたらキリがないと手つかずのまま放置されています。「現在、26歳の未婚です。結婚したらこんな仕事やっていられません」という若い除染作業員の発言や、「地域ぐるみの隠蔽だ」と憤る地元市議の発言がそれに続きます。

 また、放射線量を測定するモニタリングポストの周辺だけ念入りに除染して、ポスト周辺の数値だけ下げて安全・収束宣言しようとする行政の醜い姿勢も、映画は克明に捉えています。実際は、そのポストから数歩離れるだけで、線量がどんどん上昇して行くのに。国も県も市町村も見て見ぬふり。その中で、最初は「福島の真実を是非世界の人々にも紹介して下さい」とマスコミに言っていた人も、やがて「もうそんな事をいつまでも言っていないで、国が安全だというのだからもう放っておいてくれ」と変わっていくのです。そしてマスコミも、これを福島だけの問題にしてしまい、実際は関東地方なども広範囲に汚染されている事は絶対に言わないのです。現に監督の元にも、「報道ステーション」の古舘伊知郎自ら取材にやって来ましたが、最終的に上層部から圧力がかかり、この事実は遂に放送されませんでした。

 そして、除染で出たごみをどこに保管するのかという問題もあります。最終処分の場所や方法が定まらないまま、とりあえず黒いフレコンバッグに袋詰めにされ、地域に野ざらしにされる土やゴミの山。地元ではこのフレコンバッグの山を「黒いピラミッド」と呼んでいるそうです。フレコンバッグの耐用年数は僅か数年。既に震災・原発事故から3年が経過する中で、破れた袋から中の汚染物がはみ出て流れ出している所があちこちにあります。このままでは「中間処分場」がそのまま最終処分場になってしまうのが明白なのに、「最後は金目でしょ」とうそぶく環境大臣に、それを見て見ぬふりする有権者。

 その中で孤立させられる福島からの避難民。子どもの命を救いたい一心で、行政からの補助もなく自分の金で見知らぬ土地に引っ越しただけなのに、「国や県が大丈夫だと言っているのに、自分たちだけ勝手に故郷を捨てやがって」と、不当なバッシングを加えられる人達。しかし、その後ろには、同じ様に避難を望みながら、周囲からの非難を恐れ、声も上げられない人達も大勢います。それらの声を一つ一つ丹念に集めたのがこの映画です。

 この映画を差して、風評被害をあおり福島差別を助長するものだと非難する人々がいます。私は逆にその人達に問いたい。立ち入り禁止の虎ロープと隣り合わせで生活させられ、モニタリングポスト周辺の除染にばかり力を入れる行政の姿勢を目の当たりにし、放射線測定の検診でも「新品の服を着て来い」と言われる中で、住民が不安に思うのはむしろ当然ではないでしょうか。逆に平気でいられる方が不思議です。
 しかし、それは住民が悪いからでしょうか?住民の不安に向き合い、真摯(しんし)に応える事をせず、その不安を無理やり抑えつけようとする国や県の責任ではないでしょうか。その事実を伝えて、一体何が悪いのでしょうか。

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 この映画上映の後、参加者で簡単な交流会が持たれました。会場には福島から避難してきた人も大勢おられました。皆さんが口々に仰っていた事が一つあります。それは、「何故、この映画がもっと早く国内で上映されなかったのか?」「何故、日本人の監督の手で作られなかったのか?」という事です。実際、この映画は、外国でヒットするようになってから始めて、ようやく日本でも中小の映画館で上映されるようになりました。何故、国内で今まで上映できなかったのか。「弱い者虐めは得意だが、強い者やお上に対しては何も言えない」「他人の目ばかり気にして本質的な事には目が行かない」という、日本人のある種の弱さが災いしているように思えてなりません。

 これ、福島だけの問題ではないでしょう!私たちの職場でも、「強い者やお上には何も言えない」奴隷根性や、「体面ばかり取り繕い、臭いものに蓋や、見て見ぬふり」といった事例には事欠かないではないですか。労働者の安全や職場環境の改善なぞ二の次で、「カートの取り扱い」や「モギリのカスを残さない」事ばかり気にする、うちの会社の体質なぞ、正にその典型でしょう。そんな皆の中にある弱さが、福島の様な事例を他にも一杯生み出しているのではないでしょうか。

 表向きは、やれ「人の絆」がどうの「愛は地球を救う」のと言いながら、裏では「被災者はゴネ得」「賠償金せしめて昼間から酒びたり、パチンコ三昧(ざんまい)」という様な心無い落書きを仮設住宅の壁に書き殴ったり。表向きは「福島産を食べて応援」とか言いながら、裏では二束三文で買い叩き他県産のラベルに張り替えて高値で売ったり。自分は「放射能は怖い」と言いながら、「電気料金が上がるのも嫌なので原発再稼働には賛成」したり。
 それで、農家の人と消費者、福島から避難してきた人と故郷への帰還を望む人、脱原発派と再稼働賛成派というように、同じ原発事故の被害者同士が対立させられた挙句に、「もう仕方ないわ」で諦めさせられてしまうのです。

 この点について、アイリーン・美緒子・スミスという人が興味深い事を言っています。夫の米国人写真家ユージン・スミスと共に、長年に渡り水俣病問題を取り上げてきた人です。その人が、「かつて水俣で行われた事が福島でも行われている」として、それを「水俣と福島に共通する10の手口」にまとめています。

 1、誰も責任を取らない/縦割り組織を利用する
 2、被害者や世論を混乱させ、「賛否両論」に持ち込む
 3、被害者同士を対立させる
 4、データを取らない/証拠を残さない
 5、ひたすら時間稼ぎをする
 6、被害を過小評価するような調査をする
 7、被害者を疲弊させ、あきらめさせる
 8、認定制度を作り、被害者数を絞り込む
 9、海外に情報を発信しない
10、御用学者を呼び、国際会議を開く

 今の国民を見ると、見事にこの手口に絡み取られてしまっている事が分かります。そうして、原発を推進してきた政府や、原発でボロ儲けしてきた電力企業には、何の刑事責任も取らせないまま、そんな安倍内閣や自民党政府を今でも何となく支持し、あるいは棄権という形で黙認し、お墨付きをあたえているではないですか。

 思えば、昔からこの国はずっとそうでした。例えば広島・長崎の原爆被爆者。水俣病や四日市ぜんそくの公害患者。国によって差別され隔離・収容されてきたハンセン病患者。戦時中はセックスの奴隷にされた上に、戦後はその事実もひた隠しにされ、今でも売春婦と罵(ののし)られ続ける従軍慰安婦。本土の安定と引き換えに、今でも米軍の墜落事故や基地犯罪に苦しめられている沖縄県民、等々・・・・。それらの被害者同士が、原爆症・公害病の認定や、基地政策を巡って対立させられ続けてきた裏で、国は長年に渡り責任を取らないで来たし、渋々取らされるようになっても出来るだけ補償額を減らそうとして来た。それがこの国の歴史でした。

 それらの事柄が頭の中に次から次へと思い浮かんでくる私でしたが、そんな上映後の交流会の中で、ある在日韓国人の方の発言に非常に勇気づけられました。この在日の方の祖先(在日一世)も、日本の植民地時代に土地を日本人に取り上げられ、朝鮮半島では食べていく事が出来なくなって、祖国を見捨てて日本にやって来たのです。「だからこそ、生き延びる為に福島を見捨てざるを得なかった避難民の方の気持ちがよく分かる」と仰っていました。「避難民はゴネ得」なぞという差別感情を持つ日本人と比べたら、この在日韓国人の人の方が、よっぽど福島や日本への愛着を持っているのではないでしょうか。要は「いかに自分の事として捉えられるか」という事に尽きるのではないかと思います。

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あの日から3年~福島は今、どうなっているか

2014年05月27日 23時50分38秒 | 福島の犠牲の上に胡坐をかくな
  

 5月25日の日曜日14時から、大阪・西成の「ふるさとの家」という社会福祉法人の事務所で、「あの日から3年~福島は今、どうなっているか」という講演会があるのをネットで知り、私も飛び入りで聞きに行って来ました。講演会を主催したのは、震災後に地元・西成の居酒屋有志が集まって被災地支援を始めた「西成青い空カンパ」という団体です。その団体が、福島県飯舘(いいたて)村の酪農家・長谷川健一(はせがわ・けんいち)さんと、フリージャーナリストの守田敏也(もりた・としや)さんという二人の方をお招きして、福島の今の現状について語ってもらいました。
 上の写真が会場の「ふるさとの家」と、その時に入口に貼られていた講演会の案内チラシです。講演会はその建物の中の談話室で行われました。50名も入れば満員となる談話室には人があふれ、建物の外の庭にまで椅子を広げて熱心に話を聞いておられる人もいました。

 
 

 左上写真が開演前の様子。右上が第一部の講演で、長谷川さんが飯舘村の現状をお話されている所です。尚、第一部、第二部とも現地の映像を交えてお話されましたが、携帯では逆光でうまく撮れなかったので、映像の写真をブログに載せる際には、後述の写真集「飯舘村」掲載分で映像と同じ物の中から選んで載せました。

 

 飯舘村は福島原発から北西に30キロ以上も離れた山間の村です。人口6千人余りの農山村で、地元の牛は飯舘牛として高値で取引されていましたが、それも原発事故で全てダメになってしまいました。しかも酷い事に、最初は30キロ以上も離れているという事で避難指示も出なかったのに、1ヶ月も経ってから計画的避難地域に指定され、全村避難を強いられたのです。実は風向きの関係で高濃度の放射能に汚染されていたのを国もスピーディー(SPEEDI:緊急時迅速放射能影響予測システム)のデータで知っていながら、被害を小さく見せて賠償額を減らす為に、問題が表沙汰になるまで被曝の事実を隠していたのです。その為に、村民や原発近くから避難してきた人が、1ヶ月近くも高濃度の放射能に被曝させられました。
 左上の写真は売り物にならなくなり(とさつ)場に送られる牛。長谷川さんが飼っていた乳牛です。牛は嫌がってなかなか車に乗ろうとしない。そりゃあそうですよね家族同然に育ててきたのだから。それを「ごめんね、ごめんね」と泣きながら無理やり輸送車に押し込めようとする家族。他にも、見捨てられて餓死した牛を野生化した豚が食い散らかし骨だけになった姿や、無人の厩舎に牛の霊を供養する卒塔婆がひっそり立てかけられている様子など、とても正視できない映像が映し出されました。右上が無人になった飯舘村のビニールハウス(だった所)。雑草が2メートルもの高さに生い茂っています(2011年8月撮影)。

 

 では飯舘村の人がどれだけ被曝させられたのか。それが県民健康調査で示された上記二つの表で、いずれも原発事故発生から4ヶ月間の調査データです。
 左上が年間5ミリシーベルト以上被曝させられた人数を市町村別に集計した表で、原発直下の浪江町(右から二番目の棒グラフ)でも100名位なのに、人口6千人余りの飯舘村(一番右の最も突出した分)で800名以上も。最も多い人で15ミリシーベルト。ちなみにチェルノブイルでは5ミリシーベルト以上の地域は強制避難です。
 右上はその住民の被曝分布図。どれぐらいの人がどれ位被曝したのかが示されています。それによると、飯舘村よりはるかに原発に近い県北部(相馬市や南相馬市など)の住民でも9割以上が2ミリシーベルト未満なのに(上から二番目の棒グラフ)、飯舘村では2ミリシーベルト未満は僅か3割。5ミリシーベルト以上被曝させられた人も4割近く(一番上の突出分)。これでは村丸ごとレントゲン室に放り込まれたような物です。国が汚染の事実を知っておきながら1ヶ月も放置した為に。
 それもただ何もしなかった訳ではなく、御用学者を次から次へと村に呼び寄せ、「安心です、余り心配しなさんな、子どもは外に出しても大丈夫、病は気から、放射能も心配性の人の所にやって来る」と、村の公民館などでさんざん嘘を振りまかせた挙句の結果です。その御用学者の中でも特に有名なのが長崎大教授の山下俊一。こいつは今も県の健康アドバイザーの肩書で、地元の福島県立医大とつるんで嘘の安全宣言を広めています。
 国や県だけではありません。飯舘村の村長や村議会も、嘘の安全宣伝に積極的に加担しています。事故前までは年間1ミリシーベルトだった一人あたりの放射線規制値を、5ミリシーベルトや県に至っては20ミリシーベルトにまで引き上げようとしているのです。旧ソ連のチェルノブイリですら、5ミリシーベルト以上の地域は強制移住の対象にしたのに。「故郷への帰還促進を願う村長の思い」とも取れなくもないが、それで被曝を広めたのでは、殺人に手を貸しているのも同然ではないか。

 原発事故の後、その影響を隠蔽したのは民主党政権で当時の首相は菅や野田でした。その後再び政権に復帰した自民党の安倍も「原発はコントロールされている」と大嘘をかまして福島を見殺しにしています。自民も民主も同じ穴のムジナでしかない。今も原子炉には近づく事すら出来ず、中の様子も皆目分からず、それでも爆発だけはさせまいと、ただやみくもに注水しているだけなのに。その水が汚染水となって、急ごしらえのタンクから今も漏れ出し海に流れているというのに。その汚染された海から蒸発して雲になり山に降った雨で更に国土が汚染されているというのに。オリンピックだアベノミクスだと浮かれている場合じゃないだろう!
 「除染すれば良い」?アホか。除染なんて、自分とこの庭の土だけを剥ぎ取り他所の土と入れ替えて、「一時的に」放射能の数値を下げて誤魔化しているだけじゃないか。剥ぎ取った土は正規の貯蔵施設もないままに「仮・仮置き場」に野ざらしにしたままで、三年しか耐用年数の無い袋の裂け目からは土が再びあふれ出て来ているというのに。安倍は集団的自衛権行使で「国民の命を守る」と言ったが、福島をわざと見殺しにしておいて、戦争準備にばかりかまけて。奴にとっては国民の命なぞ、ただの鉄砲玉にしか過ぎないのだろう!
 福島県内や関東の各地にモニタリングポストというものが設置されています。放射能を自動的に測定する装置で、飯舘村の中にも置かれています。「そこの周辺だけ」土を入れ替え徹底的に除染されました。だからポストの周辺だけ土の色が違います。お陰様で、「ポストの周辺に限っては」放射線量は年間1ミリシーベルトと、他の地方と同じ位にまで下がりました。ところが、ポストから10歩離れて放射線量を測ったら、とたんに3ミリ、5ミリシーベルトと、どんどん線量が跳ね上がります。しかも「面的除染」と言って、とにかく掃き清めるなり土を入れ替えるなりして、除染面積を広げさえすれば良い。それで実際に線量が下がらなくても構わない。除染するのも住宅地や農地や道路沿いだけで、背後の山林までとても手が回らない。山林にたまった放射能が再び流れ出て来ても、モニタリングポスト周辺の数値さえ低ければそれで良い。もしそれで白血病やガンや内臓疾患で住民がバタバタ亡くなって行っても、疫学調査もやらず、ひたすらポスト周辺の低い数値だけを証拠として出せば、事故との因果関係も闇に葬る事が出来る。後はひたすら「もう安心だから、故郷に帰れるから」と宣伝すれば良い。人の命よりも原発、国威発揚、金儲け。これが今、福島ひいては日本全国で起こっている事の全てです。たかが漫画にしか過ぎない「美味しんぼ」があれだけ叩かれるのも、福島の実態がバレるのが怖いからです。

 

 長谷川さんはその中でも孤軍奮闘されています。事故直後に村役場に出向き、既に村が40ミリシーベルトもの放射能で汚染されている事を知り、役場の箝口令(かんこうれい=口封じ)を蹴って住民に事実を知らせ、おざなりな「面的除染」なんかではなく山林も含めた徹底除染を要求し、県のアリバイ的な健康調査に対しても「私は山下俊一のモルモットにはならない」と大書して調査票を白紙で突き返し(左上写真)、孤独死を防ぐ為に集落単位での移住を訴え、村内の帰還困難区域(住民以外の立入禁止)にも見廻り隊を組織して被曝覚悟で出掛け・・・。もう頭が下がります。
 その背景には仲間の死に対する無念の思いがあります。福島では震災や原発事故で被災し、家族が引き裂かれ生活も奪われ心の拠り所を失った方の自殺や突然死が相次いでいます。2011年に長谷川さんの知人酪農家が首にロープをかけ、右上写真の白い干し草ロールから飛び降りて亡くなりました。「原発さえなければ」との書置きを白チョークで厩舎の板壁に残して。

  

 第一部の長谷川さんの講演が終わった後、会場の書籍販売コーナーで(左上写真)。前述の写真集もここで売っていました。長谷川健一さんご自身の写真集「飯舘村」(七つ森書館・刊)です。ここで1冊千円で買いました。長谷川さんの講演DVD「飯舘のさけび」も買いたかったのですが、流石に3千円となるとちょっと手が出ませんでした(右上写真)。

 

 第二部は16時半から、守田さんが福島の現況について話して下さいました。左上写真がその時の様子です。その中で特に印象深かったのが住民同士による分断・対立の話です。同じ震災・原発事故の被災者でありながら、避難や原発の是非を巡って、互いに対立させられているのです。同じ家族の中でも、お爺さんは「国や県の言う事を信じろ、もうマスクも不要だ」、お婆さんは「マスクぐらいさせれば」、お父さんは「通学路が汚染されているので学校へは車で送り迎えしてあげる」、お母さんは「送迎どころか一刻も早く福島から逃げ出さないといけない」。「その中で僕は一体どうすれば良いの?」という様な事例がそこかしこで起こっています。小学校の正門の前で見ていても、マスクせずに来る子、マスクして来る子、車で送り迎えしてもらっている子、もう既に他県に転校してしまった子と、見事に分かれてしまっています。

 その中で行政はどんどん安全宣伝を広め、原発事故の被害をできるだけ小さく見せよう、隠せる物は全て隠そうとしています。原発を推進した国や県・東電その他の電力企業や原子炉メーカーの責任を不問にしたまま。
 その最も象徴的な例が「放射能の中、マスクをして屋外の校庭で運動会の玉入れ」の写真でしたが、今はその学校ではそんな写真は撮れないのだそうです。みんなもうマスクもしなくなったから。福島市内の何の変哲もない駐車場や線路際の草むらや側溝でも、線量計を近づけたら針が振り切れて測定不能になり、測定中も頭がクラクラ、ガンガンすると言うのに。実際、測定していた守田さんたちも、その後も鼻血こそ出なかったものの、スタッフ全員が原因不明の筋肉痛や倦怠感に襲われたそうです。右上写真の放射能拡散図でも明らかなように、福島原発から飛散した放射能は、北西の風に乗って飯舘村を経て福島市に流れ着いた後、東北新幹線や東北自動車道に沿う形で、郡山(こおりやま)市から南の栃木県の方に流れています。実際、守田さんが福島に新幹線で入られた時も、栃木県から福島県に入ったあたりから、新幹線の車内でも線量計の値がどんどん上がって行ったそうです。電車内でもそうなのですから、そこに長年に渡って住んでおられる住民は一体どうなるのか。

 以上、字数の関係もあり、相当端折って記事を書きました。この後も講演会は18時前まで続き、その後に近くの居酒屋で打ち上げとなった様ですが、私は明日も早朝から仕事という事もあり、16時半の第二部終了で退席させてもらいました。
 先日、福井県おおい町の大飯(おおい)原発3、4号機の運転差し止め訴訟で原告勝訴の「画期的」な判決が出ましたが、その判決内容も「いくら経済が大事だと言っても人命には変えられない」という至極「当たり前」の内容でした。いくら「国あっての物種」だと言っても、国民が滅んでしまったらもはや国もクソもありません。国家も経済も国民の為にあるのに、その肝心の国民を蔑(ないがしろ)にし、原発企業やワタミみたいなブラック企業で使い捨てし、戦争の弾除けにする事しか考えていないような国なら、そんな国なぞ滅んでしまったほうがマシです。こんな事を書くと早速「反日」だの「非国民」だのと言い立てる輩が湧いてくるご時世ですが、私に言わせれば、人を人と思わない原発推進派やブラック企業擁護派こそ、よっぽど「反日」「非国民」です。もう二度と、福島の悲劇を繰り返してはならない。今、福島で起こっている事が、いつ何時、大飯原発やその他の原発で起こるとも限らないのだから。そうなったら、もう日本は終わりです。もはや仕事や遊びどころではなくなります。琵琶湖の水も汚染され、水道の水も飲めなくなるのだから。そういう思いで会場を後にしました。
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転載:「金儲けより人命優先」という「当然」の事が書かれた「画期的」判決の要旨全文(NPJ)

2014年05月26日 18時36分17秒 | 福島の犠牲の上に胡坐をかくな
大飯原発3、4号機運転差止請求事件判決要旨

主文

1  被告は、別紙原告目録1記載の各原告(大飯原発から250キロメートル圏内に居住する166名)に対する関係で、福井県大飯郡おおい町大島1字吉見1-1において、大飯発電所3号機及び4号機の原子炉を運転してはならない。

2  別紙原告目録2記載の各原告(大飯原発から250キロメートル圏外に居住する23名)の請求をいずれも棄却する。

3  訴訟費用は、第2項の各原告について生じたものを同原告らの負担とし、その余を被告の負担とする。

理由

1 はじめに

 ひとたび深刻な事故が起これば多くの人の生命、身体やその生活基盤に重大な被害を及ぼす事業に関わる組織には、その被害の大きさ、程度に応じた安全性と高度の信頼性が求められて然るべきである。このことは、当然の社会的要請であるとともに、生存を基礎とする人格権が公法、私法を間わず、すべての法分野において、最高の価値を持つとされている以上、本件訴訟においてもよって立つべき解釈上の指針である。

 個人の生命、身体、精神及び生活に関する利益は、各人の人格に本質的なものであって、その総体が人格権であるということができる。人格権は憲法上の権利であり(13条、25条)、また人の生命を基礎とするものであるがゆえに、我が国の法制下においてはこれを超える価値を他に見出すことはできない。したがって、この人格権とりわけ生命を守り生活を維持するという人格権の根幹部分に対する具体的侵害のおそれがあるときは、人格権そのものに基づいて侵害行為の差止めを請求できることになる。人格権は各個人に由来するものであるが、その侵害形態が多数人の人格権を同時に侵害する性質を有するとき、その差止めの要請が強く働くのは理の当然である。

2 福島原発事故について

 福島原発事故においては、15万人もの住民が避難生活を余儀なくされ、この避難の過程で少なくとも入院患者等60名がその命を失っている。家族の離散という状況や劣悪な避難生活の中でこの人数を遥かに超える人が命を縮めたことは想像に難くない。さらに、原子力委員会委員長が福島第一原発から250キロメートル圏内に居住する住民に避難を勧告する可能性を検討したのであって、チェルノブイリ事故の場合の住民の避難区域も同様の規模に及んでいる。

 年間何ミリシーベルト以上の放射線がどの程度の健康被害を及ぼすかについてはさまざまな見解があり、どの見解に立つかによってあるべき避難区域の広さも変わってくることになるが、既に20年以上にわたりこの問題に直面し続けてきたウクライナ共和国、ベラルーシ共和国は、今なお広範囲にわたって避難区域を定めている。両共和国の政府とも住民の早期の帰還を図ろうと考え、住民においても帰還の強い願いを持つことにおいて我が国となんら変わりはないはずである。それにもかかわらず、両共和国が上記の対応をとらざるを得ないという事実は、放射性物質のもたらす健康被害について楽観的な見方をした上で避難区域は最小限のもので足りるとする見解の正当性に重大な疑問を投げかけるものである。上記250キロメートルという数字は緊急時に想定された数字にしかすぎないが、だからといってこの数字が直ちに過大であると判断す’ることはできないというべきである。

3 本件原発に求められるべき安全性

(1)  原子力発電所に求められるべき安全性

 1、2に摘示したところによれば、原子力発電所に求められるべき安全性、信頼性は極めて高度なものでなければならず、万一の場合にも放射性物質の危険から国民を守るべく万全の措置がとられなければならない。

 原子力発電所は、電気の生産という社会的には重要な機能を営むものではあるが、原子力の利用は平和目的に限られているから(原子力基本法2条)、原子力発電所の稼動は法的には電気を生み出すための一手段たる経済活動の自由(憲法22条1項)に属するものであって、憲法上は人格権の中核部分よりも劣位に置かれるべきものである。しかるところ、大きな自然災害や戦争以外で、この根源的な権利が極めて広汎に奪われるという事態を招く可能性があるのは原子力発電所の事故のほかは想定し難い。かような危険を抽象的にでもはらむ経済活動は、その存在自体が憲法上容認できないというのが極論にすぎるとしても、少なくともかような事態を招く具体的危険性が万が一でもあれば、その差止めが認められるのは当然である。このことは、土地所有権に基づく妨害排除請求権や妨害予防請求権においてすら、侵害の事実や侵害の具体的危険性が認められれば、侵害者の過失の有無や請求が認容されることによって受ける侵害者の不利益の大きさという侵害者側の事情を問うことなく請求が認められていることと対比しても明らかである。

 新しい技術が潜在的に有する危険性を許さないとすれば社会の発展はなくなるから、新しい技術の有する危険性の性質やもたらす被害の大きさが明確でない場合には、その技術の実施の差止めの可否を裁判所において判断することは困難を極める。しかし、技術の危険性の性質やそのもたらす被害の大きさが判明している場合には、技術の実施に当たっては危険の性質と被害の大きさに応じた安全性が求められることになるから、この安全性が保持されているかの判断をすればよいだけであり、危険性を一定程度容認しないと社会の発展が妨げられるのではないかといった葛藤が生じることはない。原子力発電技術の危険性の本質及びそのもたらす被害の大きさは、福島原発事故を通じて十分に明らかになったといえる。本件訴訟においては、本件原発において、かような事態を招く具体的危険性が万が一でもあるのかが判断の対象とされるべきであり、福島原発事故の後において、この判断を避けることは裁判所に課された最も重要な責務を放棄するに等しいものと考えられる。

(2)  原子炉規制法に基づく審査との関係

 (1)の理は、上記のように人格権の我が国の法制における地位や条理等によって導かれるものであって、原子炉規制法をはじめとする行政法規の在り方、内容によって左右されるものではない。したがって、改正原子炉規制法に基づく新規制基準が原子力発電所の安全性に関わる問題のうちいくつかを電力会社の自主的判断に委ねていたとしても、その事項についても裁判所の判断が及ぼされるべきであるし、新規制基準の対象となっている事項に関しても新規制基準への適合性や原子力規制委員会による新規制基準への適合性の審査の適否という観点からではなく、(1)の理に基づく裁判所の判断が及ぼされるべきこととなる。

4 原子力発電所の特性

 原子力発電技術は次のような特性を持つ。すなわち、原子力発電においてはそこで発出されるエネルギーは極めて膨大であるため、運転停止後においても電気と水で原子炉の冷却を継続しなければならず、その間に何時間か電源が失われるだけで事故につながり、いったん発生した事故は時の経過に従って拡大して行くという性質を持つ。このことは、他の技術の多くが運転の停止という単純な操作によって、その被害の拡大の要因の多くが除去されるのとは異なる原子力発電に内在する本質的な危険である。

 したがって、施設の損傷に結びつき得る地震が起きた場合、速やかに運転を停止し、運転停止後も電気を利用して水によって核燃料を冷却し続け、万が一に異常が発生したときも放射性物質が発電所敷地外部に漏れ出すことのないようにしなければならず、この止める、冷やす、閉じ込めるという要請はこの3つがそろって初めて原子力発電所の安全性が保たれることとなる。仮に、止めることに失敗するとわずかな地震による損傷や故障でも破滅的な事故を招く可能性がある。福島原発事故では、止めることには成功したが、冷やすことができなかったために放射性物質が外部に放出されることになった。また、我が国においては核燃料は、五重の壁に閉じ込められているという構造によって初めてその安全性が担保されているとされ、その中でも重要な壁が堅固な構造を持つ原子炉格納容器であるとされている。しかるに、本件原発には地震の際の冷やすという機能と閉じ込めるという構造において次のような欠陥がある。

5 冷却機能の維持について

(1) 1260ガルを超える地震について

 原子力発電所は地震による緊急停止後の冷却機能について外部からの交流電流によって水を循環させるという基本的なシステムをとっている。1260ガルを超える地震によってこのシステムは崩壊し、非常用設備ないし予備的手段による補完もほぼ不可能となり、メルトダウンに結びつく。この規模の地震が起きた場合には打つべき有効な手段がほとんどないことは被告において自認しているところである。

 しかるに、我が国の地震学会においてこのような規模の地震の発生を一度も予知できていないことは公知の事実である。地震は地下深くで起こる現象であるから、その発生の機序の分析は仮説や推測に依拠せざるを得ないのであって、仮説の立論や検証も実験という手法がとれない以上過去のデータに頼らざるを得ない。確かに地震は太古の昔から存在し、繰り返し発生している現象ではあるがその発生頻度は必ずしも高いものではない上に、正確な記録は近時のものに限られることからすると、頼るべき過去のデータは極めて限られたものにならざるをえない。したがって、大飯原発には1260ガルを超える地震は来ないとの確実な科学的根拠に基づく想定は本来的に不可能である。むしろ、①我が国において記録された既往最大の震度は岩手宮城内陸地震における4022ガルであり、1260ガルという数値はこれをはるかに下回るものであること、②岩手宮城内陸地震は大飯でも発生する可能性があるとされる内陸地殻内地震であること、③この地震が起きた東北地方と大飯原発の位置する北陸地方ないし隣接する近畿地方とでは地震の発生頻度において有意的な違いは認められず、若狭地方の既知の活断層に限っても陸海を問わず多数存在すること、④この既往最大という概念自体が、有史以来世界最大というものではなく近時の我が国において最大というものにすぎないことからすると、1260ガルを超える地震は大飯原発に到来する危険がある。

(2) 700ガルを超えるが1260ガルに至らない地震について

ア 被告の主張するイベントツリーについて

 被告は、700ガルを超える地震が到来した場合の事象を想定し、それに応じた対応策があると主張し、これらの事象と対策を記載したイベントツリーを策定し、これらに記載された対策を順次とっていけば、1260ガルを超える地震が来ない限り、炉心損傷には至らず、大事故に至ることはないと主張する。

 しかし、これらのイベントツリー記載の対策が真に有効な対策であるためには、第1に地震や津波のもたらす事故原因につながる事象を余すことなくとりあげること、第2にこれらの事象に対して技術的に有効な対策を講じること、第3にこれらの技術的に有効な対策を地震や津波の際に実施できるという3つがそろわなければならない。

イ イベントツリー記載の事象について

 深刻な事故においては発生した事象が新たな事象を招いたり、事象が重なって起きたりするものであるから、第1の事故原因につながる事象のすべてを取り上げること自体が極めて困難であるといえる。

ウ イベントツリー記載の対策の実効性について

 また、事象に対するイベントツリー記載の対策が技術的に有効な措置であるかどうかはさておくとしても、いったんことが起きれば、事態が深刻であればあるほど、それがもたらす混乱と焦燥の中で適切かつ迅速にこれらの措置をとることを原子力発電所の従業員に求めることはできない。特に、次の各事実に照らすとその困難性は一層明らかである。

 第1に地震はその性質上従業員が少なくなる夜間も昼間と同じ確率で起こる。突発的な危機的状況に直ちに対応できる人員がいかほどか、あるいは現場において指揮命令系統の中心となる所長が不在か否かは、実際上は、大きな意味を持つことは明らかである。

 第2に上記イベントツリーにおける対応策をとるためにはいかなる事象が起きているのかを把握できていることが前提になるが、この把握自体が極めて困難である。福島原発事故の原因について国会事故調査委員会は地震の解析にカを注ぎ、地震の到来時刻と津波の到来時刻の分析や従業員への聴取調査等を経て津波の到来前に外部電源の他にも地震によって事故と直結する損傷が生じていた疑いがある旨指摘しているものの、地震がいかなる箇所にどのような損傷をもたらしそれがいかなる事象をもたらしたかの確定には至っていない。一般的には事故が起きれば事故原因の解明、確定を行いその結果を踏まえて技術の安全性を高めていくという側面があるが、原子力発電技術においてはいったん大事故が起これば、その事故現場に立ち入ることができないため事故原因を確定できないままになってしまう可能性が極めて高く、福島原発事故においてもその原因を将来確定できるという保証はない。それと同様又はそれ以上に、原子力発電所における事故の進行中にいかなる箇所にどのような損傷が起きておりそれがいかなる事象をもたらしているのかを把握することは困難である。

 第3に、仮に、いかなる事象が起きているかを把握できたとしても、地震により外部電源が断たれると同時に多数箇所に損傷が生じるなど対処すべき事柄は極めて多いことが想定できるのに対し、全交流電源喪失から炉心損傷開始までの時間は5時間余であり、炉心損傷の開始からメルトダウンの開始に至るまでの時間も2時間もないなど残された時間は限られている。

 第4にとるべきとされる手段のうちいくつかはその性質上、緊急時にやむを得ずとる手段であって普段からの訓練や試運転にはなじまない。運転停止中の原子炉の冷却は外部電源が担い、非常事態に備えて水冷式非常用ディーゼル発電機のほか空冷式非常用発電装置、電源車が備えられているとされるが、たとえば空冷式非常用発電装置だけで実際に原子炉を冷却できるかどうかをテストするというようなことは危険すぎてできようはずがない。

 第5にとるべきとされる防御手段に係るシステム自体が地震によって破損されることも予想できる。大飯原発の何百メートルにも及ぶ非常用取水路が一部でも700ガルを超える地震によって破損されれば、非常用取水路にその機能を依存しているすべての水冷式の非常用ディーゼル発電機が稼動できなくなることが想定できるといえる。また、埋戻土部分において地震によって段差ができ、最終の冷却手段ともいうべき電源車を動かすことが不可能又は著しく困難となることも想定できる。上記に摘示したことを一例として地震によって複数の設備が同時にあるいは相前後して使えなくなったり故障したりすることは機械というものの性質上当然考えられることであって、防御のための設備が複数備えられていることは地震の際の安全性を大きく高めるものではないといえる。

 第6に実際に放射性物質が一部でも漏れればその場所には近寄ることさえできなくなる。

 第7に、大飯原発に通ずる道路は限られており施設外部からの支援も期待できない。

エ 基準地震動の信頼性について

 被告は、大飯原発の周辺の活断層の調査結果に基づき活断層の状況等を勘案した場合の地震学の理論上導かれるガル数の最大数値が700であり、そもそも、700ガルを超える地震が到来することはまず考えられないと主張する。しかし、この理論上の数値計算の正当性、正確性について論じるより、現に、全国で20箇所にも満たない原発のうち4つの原発に5回にわたり想定した地震動を超える地震が平成17年以後10年足らずの問に到来しているという事実を重視すべきは当然である。地震の想定に関しこのような誤りが重ねられてしまった理由については、今後学術的に解決すべきものであって、当裁判所が立ち入って判断する必要のない事柄である。これらの事例はいずれも地震という自然の前における人間の能力の限界を示すものというしかない。本件原発の地震想定が基本的には上記4つの原発におけるのと同様、過去における地震の記録と周辺の活断層の調査分析という手法に基づきなされたにもかかわらず、被告の本件原発の地震想定だけが信頼に値するという根拠は見い出せない。

オ 安全余裕について

 被告は本件5例の地震によって原発の安全上重要な施設に損傷が生じなかったことを前提に、原発の施設には安全余裕ないし安全裕度があり、たとえ基準地震動を超える地震が到来しても直ちに安全上重要な施設の損傷の危険性が生じることはないと主張している。

 弁論の全趣旨によると、一般的に設備の設計に当たって、様々な構造物の材質のばらつき、溶接や保守管理の良否等の不確定要素が絡むから、求められるべき基準をぎりぎり満たすのではなく同基準値の何倍かの余裕を持たせた設計がなされることが認められる。このように設計した場合でも、基準を超えれば設備の安全は確保できない。この基準を超える負荷がかかっても設備が損傷しないことも当然あるが、それは単に上記の不確定要素が比較的安定していたことを意味するにすぎないのであって、安全が確保されていたからではない。したがって、たとえ、過去において、原発施設が基準地震動を超える地震に耐えられたという事実が認められたとしても、同事実は、今後、基準地震動を超える地震が大飯原発に到来しても施設が損傷しないということをなんら根拠づけるものではない。

(3) 700ガルに至らない地震について

ア 施設損壊の危険

 本件原発においては基準地震動である700ガルを下回る地震によって外部電源が断たれ、かつ主給水ポンプが破損し主給水が断たれるおそれがあると認められる。

イ 施設損壊の影響

 外部電源は緊急停止後の冷却機能を保持するための第1の砦であり、外部電源が断たれれば非常用ディーゼル発電機に頼らざるを得なくなるのであり、その名が示すとおりこれが非常事態であることは明らかである。福島原発事故においても外部電源が健全であれば非常用ディーゼル発電機の津波による被害が事故に直結することはなかったと考えられる。主給水は冷却機能維持のための命綱であり、これが断たれた場合にはその名が示すとおり補助的な手段にすぎない補助給水設備に頼らざるを得ない。前記のとおり、原子炉の冷却機能は電気によって水を循環させることによって維持されるのであって、電気と水のいずれかが一定時間断たれれば大事故になるのは必至である。原子炉の緊急停止の際、この冷却機能の主たる役割を担うべき外部電源と主給水の双方がともに700ガルを下回る地震によっても同時に失われるおそれがある。そして、その場合には(2)で摘示したように実際にはとるのが困難であろう限られた手段が効を奏さない限り大事故となる。

ウ 補助給水設備の限界

 このことを、上記の補助給水設備についてみると次の点が指摘できる。緊急停止後において非常用ディーゼル発電機が正常に機能し、補助給水設備による蒸気発生器への給水が行われたとしても、①主蒸気逃がし弁による熱放出、②充てん系によるほう酸の添加、③余熱除去系による冷却のうち、いずれか一つに失敗しただけで、補助給水設備による蒸気発生器への給水ができないのと同様の事態に進展することが認められるのであって、補助給水設備の実効性は補助的手毅にすぎないことに伴う不安定なものといわざるを得ない。また、上記事態の回避措置として、イベントツリーも用意されてはいるが、各手順のいずれか一つに失敗しただけでも、加速度的に深刻な事態に進展し、未経験の手作業による手順が増えていき、不確実性も増していく。事態の把握の困難性や時間的な制約のなかでその実現に困難が伴うことは(2)において摘示したとおりである。

エ 被告の主張について

 被告は、主給水ポンプは安全上重要な設備ではないから基準地震動に対する耐震安全性の確認は行われていないと主張するが、主給水ポンプの役割は主給水の供給にあり、主給水によって冷却機能を維持するのが原子炉の本来の姿であって、そのことは被告も認めているところである。安全確保の上で不可欠な役割を第1次的に担う設備はこれを安全上重要な設備であるとして、それにふさわしい耐震性を求めるのが健全な社会通念であると考えられる。このような設備を安全上重要な設備ではないとするのは理解に苦しむ主張であるといわざるを得ない。

(4) 小括

 日本列島は太平洋プレート、オホーツクプレート、ユーラシアプレート及びフィリピンプレートの4つのプレートの境目に位置しており、全世界の地震の1割が狭い我が国の国土で発生する。この地震大国日本において、基準地震動を超える地震が大飯原発に到来しないというのは根拠のない楽観的見通しにしかすぎない上、基準地震動に満たない地震によっても冷却機能喪失による重大な事故が生じ得るというのであれば、そこでの危険は、万が一の危険という領域をはるかに超える現実的で切迫した危険と評価できる。このような施設のあり方は原子力発電所が有する前記の本質的な危険性についてあまりにも楽観的といわざるを得ない。

6 閉じ込めるという構造について(使用済み核燃料の危険性)

(1) 使用済み核燃料の現在の保管状況

 原子力発電所は、いったん内部で事故があったとしても放射性物質が原子力発電所敷地外部に出ることのないようにする必要があることから、その構造は堅固なものでなければならない。

 そのため、本件原発においても核燃料部分は堅固な構造をもつ原子炉格納容器の中に存する。他方、使用済み核燃料は本件原発においては原子炉格納容器の外の建屋内の使用済み核燃料プールと呼ばれる水槽内に置かれており、その本数は1000本を超えるが、使用済み核燃料プールから放射性物質が漏れたときこれが原子力発電所敷地外部に放出されることを防御する原子炉格納容器のような堅固な設備は存在しない。

(2) 使用済み核燃料の危険性

 福島原発事故においては、4号機の使用済み核燃料プールに納められた使用済み核燃料が危機的状況に陥り、この危険性ゆえに前記の避難計画が検討された。原子力委員会委員長が想定した被害想定のうち、最も重大な被害を及ぼすと想定されたのは使用済み核燃料プールからの放射能汚染であり、他の号機の使用済み核燃料プールからの汚染も考えると、強制移転を求めるべき地域が170キロメートル以遠にも生じる可能性や、住民が移転を希望する場合にこれを認めるべき地域が東京都のほぼ全域や横浜市の一部を含む250キロメートル以遠にも発生する可能性があり、これらの範囲は自然に任せておくならば、数十年は続くとされた。

(3) 被告の主張について

 被告は、使用済み核燃料は通常40度以下に保たれた水により冠水状態で貯蔵されているので冠水状態を保てばよいだけであるから堅固な施設で囲い込む必要はないとするが、以下のとおり失当である。

ア 冷却水喪失事故について

 使用済み核燃料においても破損により冷却水が失われれば被告のいう冠水状態が保てなくなるのであり、その場合の危険性は原子炉格納容器の一次冷却水の配管破断の場合と大きな違いはない。福島原発事故において原子炉格納容器のような堅固な施設に囲まれていなかったにもかかわらず4号機の使用済み核燃料プールが建屋内の水素爆発に耐えて破断等による冷却水喪失に至らなかったこと、あるいは瓦礫がなだれ込むなどによって使用済み核燃料が大きな損傷を被ることがなかったことは誠に幸運と言うしかない。使用済み核燃料も原子炉格納容器の中の炉心部分と同様に外部からの不測の事態に対して堅固な施設によって防御を固められてこそ初めて万全の措置をとられているということができる。

イ 電源喪失事故について

 本件使用済み核燃料プールにおいては全交流電源喪失から3日を経ずして冠水状態が維持できなくなる。我が国の存続に関わるほどの被害を及ぼすにもかかわらず、全交流電源喪失から3日を経ずして危機的状態に陥いる。そのようなものが、堅固な設備によって閉じ込められていないままいわばむき出しに近い状態になっているのである。

(4) 小括

 使用済み核燃料は本件原発の稼動によって日々生み出されていくものであるところ、使用済み核燃料を閉じ込めておくための堅固な設備を設けるためには膨大な費用を要するということに加え、国民の安全が何よりも優先されるべきであるとの見識に立つのではなく、深刻な事故はめったに起きないだろうという見通しのもとにかような対応が成り立っているといわざるを得ない。

7 本件原発の現在の安全性

 以上にみたように、国民の生存を基礎とする人格権を放射性物質の危険から守るという観点からみると、本件原発に係る安全技術及び設備は、万全ではないのではないかという疑いが残るというにとどまらず、むしろ、確たる根拠のない楽観的な見通しのもとに初めて成り立ち得る脆弱なものであると認めざるを得ない。

8 原告らのその余の主張について

 原告らは、地震が起きた場合において止めるという機能においても本件原発には欠陥があると主張する等さまざまな要因による危険性を主張している。しかし、これらの危険性の主張は選択的な主張と解されるので、その判断の必要はないし、環境権に基づく請求も選択的なものであるから同請求の可否についても判断する必要はない。

 原告らは、上記各諸点に加え、高レベル核廃棄物の処分先が決まっておらず、同廃棄物の危険性が極めて高い上、その危険性が消えるまでに数万年もの年月を要することからすると、この処分の問題が将来の世代に重いつけを負わせることを差止めの理由としている。幾世代にもわたる後の人々に対する我々世代の責任という道義的にはこれ以上ない重い問題について、現在の国民の法的権利に基づく差止訴訟を担当する裁判所に、この問題を判断する資格が与えられているかについては疑問があるが、7に説示したところによるとこの判断の必要もないこととなる。

9 被告のその余の主張について

 他方、被告は本件原発の稼動が電力供給の安定性、コストの低減につながると主張するが、当裁判所は、極めて多数の人の生存そのものに関わる権利と電気代の高い低いの問題等とを並べて論じるような議論に加わったり、その議論の当否を判断すること自体、法的には許されないことであると考えている。このコストの問題に関連して国富の流出や喪失の議論があるが、たとえ本件原発の運転停止によって多額の貿易赤字が出るとしても、これを国富の流出や喪失というべきではなく、豊かな国土とそこに国民が根を下ろして生活していることが国富であり、これを取り戻すことができなくなることが国富の喪失であると当裁判所は考えている。

 また、被告は、原子力発電所の稼動がCO2排出削減に資するもので環境面で優れている旨主張するが、原子力発電所でひとたび深刻事故が起こった場合の環境汚染はすさまじいものであって、福島原発事故は我が国始まって以来最大の公害、環境汚染であることに照らすと、環境問題を原子力発電所の運転継続の根拠とすることは甚だしい筋違いである。

10 結論

 以上の次第であり、原告らのうち、大飯原発から250キロメートル圏内に居住する者(別紙原告目録1記載の各原告)は、本件原発の運転によって直接的にその人格権が侵害される具体的な危険があると認められるから、これらの原告らの請求を認容すべきである。

福井地方裁判所民事第2部

 裁判長裁判官 樋口英明

    裁判官 石田明彦

    裁判官 三宅由子

http://www.news-pj.net/diary/1001
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