先週の木曜日と言えば、石原慎太郎が唐突に都議会で「新党作りに忙しくなるから今日で知事を辞めるわ」と言ってのけた日でした。そんな理由で辞める事が出来るのなら、私だって「ブログやミクシイの投稿で忙しくなるから今日はもう帰るわ」と言って、バイトをほっぽり出して帰っても文句ないですわね。石原が良くて私がダメだとするなら、それこそ差別じゃないですか!新党と個人ブログを同じにするなって?新党も所詮は石原個人の野望実現の為のもの。東京都民にとってはどちらも同じ他人事!
それに、わざわざまた新党作る位なら、何故今まで新党「立ち上がれ」何チャラの党首に収まってきたのでしょうかね。今までの何チャラでは一向に人気が上がらないので、また別の新党を作ってイメチェンを図るつもりなのでしょうが、そんな物に付き合わされた挙句に、支持してもいないのに政党助成金までむしり取られる国民こそいい迷惑!
そんな事の為に知事を辞められたのでは堪ったものではないですね。都民や国民は石原の出世の道具じゃない!でも、これで折角目の上のたんこぶがいなくなるのですから、もう二度と石原みたいな奴を知事にしてはいけませんね。
そんな事を考えながら、丁度その日は私は仕事休みだったので大阪の難波を歩いていたら、高島屋前で「緑の党」が街頭宣伝でビラを撒いていました。一番最初に掲げた写真がそのビラですが、読んでみて「意外と行けるんじゃないか」という感想を持ちました。「脱原発」で急速に勢力を拡大しつつある同党ですが、それでもまだまだ「環境保護だけ」のイメージが、それまでの私の頭の中にもありましたから。幾ら脱原発デモで「地方や下請け労働者に被曝を強要するような社会を変えよう」と叫んでも、実際投票するとなると、やはり前述のイメージが頭をもたげて来て、「貧困・格差の問題や外交問題は二の次か」「所詮は有閑階級の暇つぶしでしかないのか、食うや食わずの人間の事なぞ何も考えていないのか」という意識を払拭する事が出来ませんでしたから。どちらかと言うと80年代ドイツの「緑の党」の様なイメージを抱いていました。
しかし、この「緑の党」のビラやその中の結成宣言を見て、決して「環境保護だけ」の党ではない事を知り、改めて感銘を受けました。以下、同党の結成宣言をこちらに転載します。(読みやすくする為に別途改行等を施した以外はそのまま引用しています)
緑の党 結成宣言 (2012.7.28)
3.11後の今ここに 新たな道を歩み出す
森を奪う都市文明から 森に寄り添う文明数多(あまた)へ 答えを生きる時がきた
果てない世界市場化と 経済成長呪縛から 世界各地が共に奏でる 色どる経済成熟へ 答えを生きる時がきた
いのち汚す原発と 奪い合いの地下資源より 太陽による永遠の平和へ 答えを生きる時がきた
はやさ・大きさ・効率主義から スロー・スモール・シンプルで 適正規模と多様性へ 答えを生きる時がきた
過剰なほどにカネ追わず 過剰なほどにモノ造らず
過剰なほどに働かず 仕事と時間を分かち合い
豊かなこころを蘇らせる 答えを生きる時がきた
買うしか術ない暮らしより 手・足・知恵で創るを楽しみ
与え・支え・いのちを謳歌し 自立しあう安心へ
地域でつながる循環へ 答えを生きる時がきた
色んな人と色んな生き方 互いに凹凸△認め合い 組み合わさって補い合い 宿命を宿しおのおの輝く 答えを生きる時がきた
テレビの向こうに決断任せず 自ら責任引き寄せて 足元からの微力をつらね 笑顔の未来えらびとる 答えを生きる時がきた
今日から土に種を蒔き こころに緑を育てよう
いのちにぎわう 豊かな地球を いのちみんなで分かち楽しみ
100年先を見渡して 答えを生きる一歩をここに 歩み出したい一歩をここに
「緑の党」を立ち上げる (引用終了)
「答えを生きる」等の分かりにくい表現や、生硬な言い回しが気になるものの、全体として非常に格調の高い文章で構成されています。特に中段以降の拝金主義批判(過剰なほどにカネ追わず)や競争・市場原理主義批判(互いに凹凸△認め合い)のくだりからは、今の資本主義・新自由主義の限界を乗り越える展望が感じられます。
要するに、「カネだけが全てじゃないよ」「あくせく働くだけが全てじゃないよ」という事です。幾ら金儲けの為に馬車馬のように働いても、その結果、一部の金持ちだけが肥え太り、その下で原発や核兵器が作られ、広島・長崎や福島みたいな事を繰り返しているようでは、何もならないじゃないか。もうそんな事から卒業し、もっとみんなが幸せになれる道を探ろうよ・・・。それがこの結成宣言の言いたい事ではないでしょうか。
競争・成長至上主義で自治体や学校も企業の金儲けの道具にし、市民や社員や生徒もその金づるや歯車としか見做さない「維新の会」や「みんなの党」。
国家至上主義で「強い日本」ばかりを追い求め、国民を一兵卒や「産む機械」としか見做さない自民党・「立ち上がれ日本」や石原慎太郎。
これらの、やたら大言壮語ばかり並べ立てて、国民には更なる我慢や犠牲を強いるばかりで、人々の生活や人権をどう保障していくかとか、地球環境をどう守っていくかという疑問には何ら答えようとはしない、「夢も希望もない」右翼保守派の選挙公約とは、正に対極にある宣言であると言って良いでしょう。
それはまた同時に、今の拝金主義(資本主義・新自由主義)に対する強烈なアンチテーゼであると同時に、金持ちだけでなく貧乏人にも自由と平等を求めた当初の理想から乖離し、資本主義と同じ拝金主義や国家主義の道を歩み、原発や核兵器も温存・拡大し続ける既存の社会主義国(中国・北朝鮮・ベトナム等)にも一石を投じるものとなっています。
こんな事を言うと昨今決まって出てくるのが、「尖閣・竹島・拉致問題で中国や北朝鮮が攻めて来るかも知れないのに、何を理想ばかり言っているのか」「人権も強い国家あっての物種だ」という決まり文句なので、それに対しても少し反論しておきます。被曝労働や下請け・派遣差別の上に胡坐をかいた国家や企業なら、そんな国家や企業なぞ要らない。そんなモノは「強い」国家でもなければ企業でもない。ただ単に「不正な」国家・企業であるに過ぎない。上辺だけ民主主義を装っているだけで、その本質においては中国や北朝鮮と何ら変わりはない。
「中国や北朝鮮の侵略に対抗しなければならない」と言うなら、尚更そうではない道を目指すべきだ。「緑の党」の目指すものこそが、そんな国家であり社会ではないのか。自国民だけでなく外国人の人権も保障し、政治難民も積極的に受け入れる、北欧やカナダみたいな国こそが、独裁体制下の国民にとっても「駆け込み寺」となるのだ。東ドイツやソ連が崩壊したのも、そんな「駆け込み寺」があったからであって、決して戦争で崩壊したのではない。戦前の大日本帝国のような国家であったなら、わざわざ逃げてきたりはしなかっただろう。
ただ如何せん、今の「緑の党」のままでは余りにも小さすぎて、日本の政治に対して殆ど影響力を行使出来ません。「緑の党」自身の党勢拡大を図ると共に、「脱原発」や「格差是正」という点では志を同じくする共産党・社民党・生活党とも、積極的に連携を模索していくべきでしょう。別に合同なぞしなくても、最初は選挙協力の形で、やがて選挙連合から一種の統一戦線を志向すべきではないかと思います。
その為には政策のすり合わせが必要でしょう。共・社両党とのすり合わせは、国内政策についてはそう難しくはないでしょう。問題は外交面で、今の中国や北朝鮮についてどこまで踏み込んだ対応が取れるかにかかっています。国民もそこを見ています。これは決して自民党や「立ち上がれ日本」等が主張する日米安保強化や軍拡を意味するものではありません。友好関係を維持しながらも人権外交を推進する事で、「駆け込み寺」の役割を果たせば済む事です。自民党や「立ち上がれ」とは違い、あくまで人権で勝負するのです。北欧諸国やカナダに出来る事が日本に出来ない訳がありません。
生活党(新党「国民の生活が第一」)とのすり合わせについては、この党が橋下や石原との関係をどこまで清算出来るかにかかっています。幾ら「脱原発」や「格差是正」を掲げていても、原発・新自由主義推進の自民・民主・「みんな」・「立ち上がれ」・維新や石原新党と二股をかけている限り、国民からは単なる野合としか見做されません。
なかなか一筋縄ではいきそうもありませんが、全く不可能でもないと思います。若しこの様な形で、「右翼ブラック連合」vs「緑・革新連合(所謂日本版「オリーブの木」)」の争いになれば、誰が国民の敵で味方か、はっきりと鮮明になり、今までの様な世襲議員やチンピラヤクザの離合集散の閉塞状況から抜け出す事も出来るのではないかと思います。
それに、わざわざまた新党作る位なら、何故今まで新党「立ち上がれ」何チャラの党首に収まってきたのでしょうかね。今までの何チャラでは一向に人気が上がらないので、また別の新党を作ってイメチェンを図るつもりなのでしょうが、そんな物に付き合わされた挙句に、支持してもいないのに政党助成金までむしり取られる国民こそいい迷惑!
そんな事の為に知事を辞められたのでは堪ったものではないですね。都民や国民は石原の出世の道具じゃない!でも、これで折角目の上のたんこぶがいなくなるのですから、もう二度と石原みたいな奴を知事にしてはいけませんね。
そんな事を考えながら、丁度その日は私は仕事休みだったので大阪の難波を歩いていたら、高島屋前で「緑の党」が街頭宣伝でビラを撒いていました。一番最初に掲げた写真がそのビラですが、読んでみて「意外と行けるんじゃないか」という感想を持ちました。「脱原発」で急速に勢力を拡大しつつある同党ですが、それでもまだまだ「環境保護だけ」のイメージが、それまでの私の頭の中にもありましたから。幾ら脱原発デモで「地方や下請け労働者に被曝を強要するような社会を変えよう」と叫んでも、実際投票するとなると、やはり前述のイメージが頭をもたげて来て、「貧困・格差の問題や外交問題は二の次か」「所詮は有閑階級の暇つぶしでしかないのか、食うや食わずの人間の事なぞ何も考えていないのか」という意識を払拭する事が出来ませんでしたから。どちらかと言うと80年代ドイツの「緑の党」の様なイメージを抱いていました。
しかし、この「緑の党」のビラやその中の結成宣言を見て、決して「環境保護だけ」の党ではない事を知り、改めて感銘を受けました。以下、同党の結成宣言をこちらに転載します。(読みやすくする為に別途改行等を施した以外はそのまま引用しています)
緑の党 結成宣言 (2012.7.28)
3.11後の今ここに 新たな道を歩み出す
森を奪う都市文明から 森に寄り添う文明数多(あまた)へ 答えを生きる時がきた
果てない世界市場化と 経済成長呪縛から 世界各地が共に奏でる 色どる経済成熟へ 答えを生きる時がきた
いのち汚す原発と 奪い合いの地下資源より 太陽による永遠の平和へ 答えを生きる時がきた
はやさ・大きさ・効率主義から スロー・スモール・シンプルで 適正規模と多様性へ 答えを生きる時がきた
過剰なほどにカネ追わず 過剰なほどにモノ造らず
過剰なほどに働かず 仕事と時間を分かち合い
豊かなこころを蘇らせる 答えを生きる時がきた
買うしか術ない暮らしより 手・足・知恵で創るを楽しみ
与え・支え・いのちを謳歌し 自立しあう安心へ
地域でつながる循環へ 答えを生きる時がきた
色んな人と色んな生き方 互いに凹凸△認め合い 組み合わさって補い合い 宿命を宿しおのおの輝く 答えを生きる時がきた
テレビの向こうに決断任せず 自ら責任引き寄せて 足元からの微力をつらね 笑顔の未来えらびとる 答えを生きる時がきた
今日から土に種を蒔き こころに緑を育てよう
いのちにぎわう 豊かな地球を いのちみんなで分かち楽しみ
100年先を見渡して 答えを生きる一歩をここに 歩み出したい一歩をここに
「緑の党」を立ち上げる (引用終了)
「答えを生きる」等の分かりにくい表現や、生硬な言い回しが気になるものの、全体として非常に格調の高い文章で構成されています。特に中段以降の拝金主義批判(過剰なほどにカネ追わず)や競争・市場原理主義批判(互いに凹凸△認め合い)のくだりからは、今の資本主義・新自由主義の限界を乗り越える展望が感じられます。
要するに、「カネだけが全てじゃないよ」「あくせく働くだけが全てじゃないよ」という事です。幾ら金儲けの為に馬車馬のように働いても、その結果、一部の金持ちだけが肥え太り、その下で原発や核兵器が作られ、広島・長崎や福島みたいな事を繰り返しているようでは、何もならないじゃないか。もうそんな事から卒業し、もっとみんなが幸せになれる道を探ろうよ・・・。それがこの結成宣言の言いたい事ではないでしょうか。
競争・成長至上主義で自治体や学校も企業の金儲けの道具にし、市民や社員や生徒もその金づるや歯車としか見做さない「維新の会」や「みんなの党」。
国家至上主義で「強い日本」ばかりを追い求め、国民を一兵卒や「産む機械」としか見做さない自民党・「立ち上がれ日本」や石原慎太郎。
これらの、やたら大言壮語ばかり並べ立てて、国民には更なる我慢や犠牲を強いるばかりで、人々の生活や人権をどう保障していくかとか、地球環境をどう守っていくかという疑問には何ら答えようとはしない、「夢も希望もない」右翼保守派の選挙公約とは、正に対極にある宣言であると言って良いでしょう。
それはまた同時に、今の拝金主義(資本主義・新自由主義)に対する強烈なアンチテーゼであると同時に、金持ちだけでなく貧乏人にも自由と平等を求めた当初の理想から乖離し、資本主義と同じ拝金主義や国家主義の道を歩み、原発や核兵器も温存・拡大し続ける既存の社会主義国(中国・北朝鮮・ベトナム等)にも一石を投じるものとなっています。
こんな事を言うと昨今決まって出てくるのが、「尖閣・竹島・拉致問題で中国や北朝鮮が攻めて来るかも知れないのに、何を理想ばかり言っているのか」「人権も強い国家あっての物種だ」という決まり文句なので、それに対しても少し反論しておきます。被曝労働や下請け・派遣差別の上に胡坐をかいた国家や企業なら、そんな国家や企業なぞ要らない。そんなモノは「強い」国家でもなければ企業でもない。ただ単に「不正な」国家・企業であるに過ぎない。上辺だけ民主主義を装っているだけで、その本質においては中国や北朝鮮と何ら変わりはない。
「中国や北朝鮮の侵略に対抗しなければならない」と言うなら、尚更そうではない道を目指すべきだ。「緑の党」の目指すものこそが、そんな国家であり社会ではないのか。自国民だけでなく外国人の人権も保障し、政治難民も積極的に受け入れる、北欧やカナダみたいな国こそが、独裁体制下の国民にとっても「駆け込み寺」となるのだ。東ドイツやソ連が崩壊したのも、そんな「駆け込み寺」があったからであって、決して戦争で崩壊したのではない。戦前の大日本帝国のような国家であったなら、わざわざ逃げてきたりはしなかっただろう。
ただ如何せん、今の「緑の党」のままでは余りにも小さすぎて、日本の政治に対して殆ど影響力を行使出来ません。「緑の党」自身の党勢拡大を図ると共に、「脱原発」や「格差是正」という点では志を同じくする共産党・社民党・生活党とも、積極的に連携を模索していくべきでしょう。別に合同なぞしなくても、最初は選挙協力の形で、やがて選挙連合から一種の統一戦線を志向すべきではないかと思います。
その為には政策のすり合わせが必要でしょう。共・社両党とのすり合わせは、国内政策についてはそう難しくはないでしょう。問題は外交面で、今の中国や北朝鮮についてどこまで踏み込んだ対応が取れるかにかかっています。国民もそこを見ています。これは決して自民党や「立ち上がれ日本」等が主張する日米安保強化や軍拡を意味するものではありません。友好関係を維持しながらも人権外交を推進する事で、「駆け込み寺」の役割を果たせば済む事です。自民党や「立ち上がれ」とは違い、あくまで人権で勝負するのです。北欧諸国やカナダに出来る事が日本に出来ない訳がありません。
生活党(新党「国民の生活が第一」)とのすり合わせについては、この党が橋下や石原との関係をどこまで清算出来るかにかかっています。幾ら「脱原発」や「格差是正」を掲げていても、原発・新自由主義推進の自民・民主・「みんな」・「立ち上がれ」・維新や石原新党と二股をかけている限り、国民からは単なる野合としか見做されません。
なかなか一筋縄ではいきそうもありませんが、全く不可能でもないと思います。若しこの様な形で、「右翼ブラック連合」vs「緑・革新連合(所謂日本版「オリーブの木」)」の争いになれば、誰が国民の敵で味方か、はっきりと鮮明になり、今までの様な世襲議員やチンピラヤクザの離合集散の閉塞状況から抜け出す事も出来るのではないかと思います。
嫌な事は続くもので。つい最近風呂場で手を滑らせて脇腹を打ったばかりなのに、今度は仕事中に労災です。大した怪我ではありませんが。
昨日16時過ぎに、商品を積み替えて空になったカゴ車(上左端写真)を折りたたんで片づけていた時に、後ろのフックに止めて折りたたんだ筈の中間網(棚上の間仕切り)が上から落ちてきて、下の底板を折りたたんでいた私の頭に当たってしまいました。網をフックにかけたつもりが、実際はフックが歪んでて網が固定されていなかったようです。
ちゃんと見れば不良フックである事は直ぐ分ったのでしょうが、レーンで商品を仕分けしながら(同左から2番目写真)、その後ろでまた別の商品を積み替えてレーンで仕分けした分と積み合わせなければならなかったので、焦りもあったのでしょう。
この事故自体は決して大層なものではなく、よくある職場の小さな事故で、私も他の人も何度も同じ経験をしてきたのですが、今回はモロに頭に当たってしまったようで、血が一杯飛び出てきてしまいました。今までこんな酷い怪我になる事はなかったのに。
頭を拭ったら血が一杯出ていて、帽子も血に染まっていたので、流石にこのままではマズイと思い、急遽隣の人に自分のレーンも見て貰うよう頼んで事務所に駆け込みました。その時はまだ化膿止めの応急処置だけでまた直ぐに作業に復帰出来ると思っていたのですが、事務所で見て貰うと1センチほど頭が切れていて、そこから血がまだ流れている状態だったので、急遽所長の車で近くの病院に連れて行って貰いました。
病院で診て貰った結果、やはり頭部打撲挫創という事で、医療用のステープラーで2針縫う破目になってしまいました(同3番目、右端写真)。「ステープラー」というのは「ホッチキス」の事です。そう、文書を綴じる時にカチャカチャやるあのホッチキスです。普通のホッチキスとは別に医療用のホッチキス(スキン・ステープラー)があって、それで人間の頭も文書みたいにカチャカチャと止めるのです。私、初め何かの冗談かと思っていましたが、本当に麻酔もなくカチャカチャと止められてしまいました(泣)。流石に止められた時は痛かったです。(ちなみに、ホッチキスというのは商標名=平たく言えばチキンラーメンとかマジックインキとかと同じ商品名で、ステープラーというのが正式な製品名なのだそうです)
それでその日はもう業務免除で帰宅し、翌日の今日も休んで同じ医者に通い、明日からまた通常通り出勤し、その後数日後に抜鉤(ばっこう=ホッチキスの針抜き)が終わってようやく完治となります。その間は、風呂には入れますが患部は絶対に水に濡らせないので洗髪も叶いません。こうなった原因は、不良フックである事を見抜けなかった私の不注意にあり、同時に、そんな不良フックのカゴ車を使っていた会社側の安全管理ミスでもあります。しかし、今更そんな事を言っていても始まらないし、一番痛い目に遭うのは自分なのですから、今後は「たかが打撲」と侮らず、充分注意していこうと思います。もう二度と頭をホッチキスでカチャカチャ止められるような目には遭いたくないですから。
それにしても、何故こんな不幸が立て続けに起こるのか。そうか、これはきっと「ハシシタの祟り」に違いないw。私が先日の記事で橋下徹の事をボロクソに批判したから、橋下が怒って私に呪いをかけたのだろうw。橋下って、まるで「帝都物語」に出てくる「魔人・加藤保憲」みたいな奴だw。
ブログ更新が滞りがちで恐縮です。実は最近風呂で手を滑らせて、右わき腹を浴槽に打ち付けてしまいました。座って身体を洗っていた時に打った程度だったので大事には至りませんでしたが、打ち所が肋骨の間の薄い呼吸筋なので、なかなか痛みが治まりません。そんなに大した痛みではなく、普段の仕事や生活にも特段支障はありませんが、深呼吸したり横になったりすると今でも少し痛みます。職場のラジオ体操の時も飛び跳ねる動作は控えています。骨折や骨にひびが入ったり等はなかったので、後は医者の言う通り、他の筋肉痛と同様に冷湿布で痛みが引くのを待つしかなさそうです。最近は腹の立つニュースばかりなので、余計に身体に堪えるのかもしれません。
腹が立つと言えば、橋下大阪市長の「週刊朝日」叩きもその最たるものです。橋下市長が自分の出自を暴いた10月26日付「週刊朝日」最新号の記事に対して、ツイッターであらん限りの罵詈雑言を加えています。そのお蔭で逆に当該号がどこも品切れでなかなか手に入らず、今日になってようやく図書館で当該記事を読む事が出来ました。
読む限りでは、確かに余り褒められた記事ではありません。折角、橋下の「弱肉強食、エリート実力主義、大衆迎合」や「自分や身内には甘く他人や支持者でない人間には非寛容」な所を突くと謳いながら、肝心の政策批判を脇に置いて、ことさら出自だけに拘るのはどうかと私も思います。これは、ヒトラーの欺瞞を暴くのに、ナチのプロパガンダや当時の世相への批判抜きに、ヒットラーの対人コンプレックスだけで説明しようとする様なものです。確かに、対人コンプレックスの影響もあるでしょうが、それはあくまで誘因の一つでしかなく、取り上げる場合も当時の時代背景との兼ね合いの中で取り上げなければ、ヒトラーやナチズムの全体像を理解する事は出来ないでしょう。正に「木を見て森を見ず」の典型です。
それも「維新の会」パーティーで出会った自称「橋下の親戚筋」の「謎の人物」の発言を、裏取りもせずにそのまま垂れ流している。そういう所にも胡散臭さを感じました。
但し、この第一部の連載記事だけで以て、差別を煽ったとまで批判するのも、聊か無理がある様に思います。先のヒトラーの例で言えば、対人コンプレックスの影響も全くなかった訳ではないのですから。「出身者はみんな橋下のような歪んだ人間になる」と決めつけてしまえば差別扇動になりますが、「橋下の歪んだ性格には家庭環境の影響もある」と書く限りでは、それだけで差別と決めつける訳にはいかないでしょう。要は書き様の問題であって、それを全体像の中で必要な範囲で取り上げるか、その部分だけをクローズアップして恰もそれが問題の全てであるかのように取り上げるかによって、当該記事の評価は全然変わってきます。
しかし、橋下の「週刊朝日」叩きと、それに屈し一方的に連載を打ち切った「週刊朝日」・朝日新聞グループや執筆者(作家の佐野眞一氏)の無責任な態度によって、それを確かめる術もなくなってしまいました。私としては寧ろそちらの方が問題だと思います。「橋下の欺瞞を暴く」と言いながら、「所詮は低俗な差別・ゴシップ記事によって売り上げを伸ばそうとしただけだったのか」という気持ちです。これでは、低俗な発言によって今まで人目を引いてきた橋下と、「どっちもどっち」でしかありません。
そして何よりもましてムカつくのが、ドヤ顔で勝ち誇った様に「週刊朝日」を叩きまくる橋下徹や石原慎太郎の態度です。若し仮に「週刊朝日」サイドに「低俗な差別・ゴシップ記事で世人に阿り利益を図ろう」という邪な意図があったとしても、橋下や石原にそれを批判する資格が果たしてあるのか。私はないと思います。
今まで散々、「三国人」「ババア」「精神障碍者には人格はない」「津波は天罰」と差別発言のオンパレードで当事者を貶めてきた石原に、「週刊朝日」記事の「血脈主義」を批判する資格はありません。サラ金の顧問弁護士として格差や差別の上に胡坐をかき、文教予算を削り教育格差や学力差別を煽り、人権博物館(リバティおおさか)の縮小・変質を図ろうとする橋下に、差別の被害者面する資格はありません。靖国史観・皇国史観を肯定し、「日の丸・君が代」「親学」を学校や父兄に強要する橋下や石原に、「ナチズム・ファシズム」「優生思想」や「人種差別」を批判する資格はありません。
強ち穿った見方をするならば、今回の「週刊朝日」叩きも、最近落ち目の維新人気の挽回を狙って、寧ろ橋下の方からワザと仕掛けたのではないかと思われる節があります。何故なら、橋下が地区出身者である事も、既に「バカ文春」「バカ新潮」の暴露記事によって、今や周知の事実となりました。橋下自らも「親がヤクザで自殺し従兄弟が金属バット殺人、上等じゃないか」と連呼する事で、それを逆手にとって選挙を有利に進めてきました。今更過去の経歴を暴かれた所で、橋下にとっては痛くも痒くもありません。
それを鬼の首でも取ったかのように騒ぎ立て、そのくせ行政責任者として人権啓発に繋げるような事は一切発言せず、ひたすら自分の被害ばかり強調する。
これでは、「ヤクザやは使いよう」と、裏では松井一郎・笹川良一コネクションや食肉王・浅田満(ハンナン元会長)との癒着で利権を山分けしながら、表では朝日新聞グループや人権歴史博物館と派手なバトルを繰り広げる事で、維新人気の挽回を図ろうとしているのではないかと、勘繰られても仕方ないでしょう。だから、事実に基づき「タブー」にも物おじせず橋下批判を展開する「一ノ宮美成・グループK21」や「宝島社」には返り血を怖れて何も言えず、所詮は産経・読売と同じ低俗な商業メディアでしかない弱腰の「反日」朝日を叩く事で、橋下劇場の挽回を図ろうとしているのではないか。
虐めっ子が旗色が悪くなった途端に虐められっ子のふりをして同情を集め、ほとぼりが冷めたらまた何食わぬ顔で虐めを再開。どこまでふてぶてしいのやら。私はこんな奴を決して差別の犠牲者だとは絶対に認めません。寧ろ逆に「とことん地獄に落ちろ」と言わせて貰います。
腹が立つと言えば、橋下大阪市長の「週刊朝日」叩きもその最たるものです。橋下市長が自分の出自を暴いた10月26日付「週刊朝日」最新号の記事に対して、ツイッターであらん限りの罵詈雑言を加えています。そのお蔭で逆に当該号がどこも品切れでなかなか手に入らず、今日になってようやく図書館で当該記事を読む事が出来ました。
読む限りでは、確かに余り褒められた記事ではありません。折角、橋下の「弱肉強食、エリート実力主義、大衆迎合」や「自分や身内には甘く他人や支持者でない人間には非寛容」な所を突くと謳いながら、肝心の政策批判を脇に置いて、ことさら出自だけに拘るのはどうかと私も思います。これは、ヒトラーの欺瞞を暴くのに、ナチのプロパガンダや当時の世相への批判抜きに、ヒットラーの対人コンプレックスだけで説明しようとする様なものです。確かに、対人コンプレックスの影響もあるでしょうが、それはあくまで誘因の一つでしかなく、取り上げる場合も当時の時代背景との兼ね合いの中で取り上げなければ、ヒトラーやナチズムの全体像を理解する事は出来ないでしょう。正に「木を見て森を見ず」の典型です。
それも「維新の会」パーティーで出会った自称「橋下の親戚筋」の「謎の人物」の発言を、裏取りもせずにそのまま垂れ流している。そういう所にも胡散臭さを感じました。
但し、この第一部の連載記事だけで以て、差別を煽ったとまで批判するのも、聊か無理がある様に思います。先のヒトラーの例で言えば、対人コンプレックスの影響も全くなかった訳ではないのですから。「出身者はみんな橋下のような歪んだ人間になる」と決めつけてしまえば差別扇動になりますが、「橋下の歪んだ性格には家庭環境の影響もある」と書く限りでは、それだけで差別と決めつける訳にはいかないでしょう。要は書き様の問題であって、それを全体像の中で必要な範囲で取り上げるか、その部分だけをクローズアップして恰もそれが問題の全てであるかのように取り上げるかによって、当該記事の評価は全然変わってきます。
しかし、橋下の「週刊朝日」叩きと、それに屈し一方的に連載を打ち切った「週刊朝日」・朝日新聞グループや執筆者(作家の佐野眞一氏)の無責任な態度によって、それを確かめる術もなくなってしまいました。私としては寧ろそちらの方が問題だと思います。「橋下の欺瞞を暴く」と言いながら、「所詮は低俗な差別・ゴシップ記事によって売り上げを伸ばそうとしただけだったのか」という気持ちです。これでは、低俗な発言によって今まで人目を引いてきた橋下と、「どっちもどっち」でしかありません。
そして何よりもましてムカつくのが、ドヤ顔で勝ち誇った様に「週刊朝日」を叩きまくる橋下徹や石原慎太郎の態度です。若し仮に「週刊朝日」サイドに「低俗な差別・ゴシップ記事で世人に阿り利益を図ろう」という邪な意図があったとしても、橋下や石原にそれを批判する資格が果たしてあるのか。私はないと思います。
今まで散々、「三国人」「ババア」「精神障碍者には人格はない」「津波は天罰」と差別発言のオンパレードで当事者を貶めてきた石原に、「週刊朝日」記事の「血脈主義」を批判する資格はありません。サラ金の顧問弁護士として格差や差別の上に胡坐をかき、文教予算を削り教育格差や学力差別を煽り、人権博物館(リバティおおさか)の縮小・変質を図ろうとする橋下に、差別の被害者面する資格はありません。靖国史観・皇国史観を肯定し、「日の丸・君が代」「親学」を学校や父兄に強要する橋下や石原に、「ナチズム・ファシズム」「優生思想」や「人種差別」を批判する資格はありません。
強ち穿った見方をするならば、今回の「週刊朝日」叩きも、最近落ち目の維新人気の挽回を狙って、寧ろ橋下の方からワザと仕掛けたのではないかと思われる節があります。何故なら、橋下が地区出身者である事も、既に「バカ文春」「バカ新潮」の暴露記事によって、今や周知の事実となりました。橋下自らも「親がヤクザで自殺し従兄弟が金属バット殺人、上等じゃないか」と連呼する事で、それを逆手にとって選挙を有利に進めてきました。今更過去の経歴を暴かれた所で、橋下にとっては痛くも痒くもありません。
それを鬼の首でも取ったかのように騒ぎ立て、そのくせ行政責任者として人権啓発に繋げるような事は一切発言せず、ひたすら自分の被害ばかり強調する。
これでは、「ヤクザやは使いよう」と、裏では松井一郎・笹川良一コネクションや食肉王・浅田満(ハンナン元会長)との癒着で利権を山分けしながら、表では朝日新聞グループや人権歴史博物館と派手なバトルを繰り広げる事で、維新人気の挽回を図ろうとしているのではないかと、勘繰られても仕方ないでしょう。だから、事実に基づき「タブー」にも物おじせず橋下批判を展開する「一ノ宮美成・グループK21」や「宝島社」には返り血を怖れて何も言えず、所詮は産経・読売と同じ低俗な商業メディアでしかない弱腰の「反日」朝日を叩く事で、橋下劇場の挽回を図ろうとしているのではないか。
虐めっ子が旗色が悪くなった途端に虐められっ子のふりをして同情を集め、ほとぼりが冷めたらまた何食わぬ顔で虐めを再開。どこまでふてぶてしいのやら。私はこんな奴を決して差別の犠牲者だとは絶対に認めません。寧ろ逆に「とことん地獄に落ちろ」と言わせて貰います。
橋下徹のカネと黒い人脈 (宝島NonfictionBooks) | |
クリエーター情報なし | |
宝島社 |
橋下「大阪維新」の嘘 (宝島SUGOI文庫) | |
クリエーター情報なし | |
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遅くなりましたが、10月14日・扇町公園での反貧困フェスタの記事で書き漏らした事を補足しておきます。会場で配布していた各団体のチラシ・ビラの中で、POSSEの標記チラシが一番気に入りました。ブラック企業の環境の中で、ウツにならない為の防御策や、ウツになってしまった場合の対処、ウツを引き起こしたブラック企業への対抗法の解説です。そこで書かれている一番大事なポイントは「労働時間や労働実態を記録に残す」という事です。
ブラック企業に未払い賃金請求やうつ病を引き起こした責任を取って貰う訳ですから、当然裁判になる訳ですが、訴えようにも未払いやパワハラ・セクハラの証拠がなければどうしようもありません。まずは証拠集めから闘いが始まります。
証拠として一番良いのは何と言ってもタイムカードの控え(コピー等)ですが、無ければそれに代わるものとして、退勤時刻の自筆記録や深夜タクシーの領収書等も充分証拠になります。勿論、タイムカードのようにはっきりとした物的証拠ではなく、あくまでも状況証拠でしかありませんが、それでも何もないよりはマシです。後は、パワハラの事実があればその記録を、何時何処で誰が誰に対してどの様に行ったのか(5W1H)、後ではっきりと特定出来るように残しておく事も重要です。
もう数年前の話ですが、以前の配属先で、前の勤め先で辞める直前に一週間ただ働きさせられたバイトがいました。彼はそこでは配送会社のドライバーをしていたのですが、余りにも積み荷の誤配・破損・延着や事故が多かったので、そこの社長に言われて、辞める直前の一週間は会社への罪滅ぼしとして無給で働かされたそうです。私それを聞いて開いた口が塞がりませんでした。
今更言うまでもない事ですが、給料も払わずに働かせるのは労基法違反の犯罪行為です。どんな理由があろうと許されるものではありません。
それを彼に教えた後、一体何年前の話か問い質したら、もう2年以上も前の事でした。如何に未払い賃金と言えども、2年以上も請求せずにそのままにしていたのでは、請求権を自ら放棄したと受け取られても仕方がありません。時効で請求権消滅です。
当時の私は内心そんな彼をバカにしていたのですが、生協に未払い賃金を請求出来なかった私も、彼とは五十歩百歩でしかなかった。毎日2~4時間はサービス残業していたので、直ぐに請求出来る2年分に限っても膨大な未払い額になります。生協退職後も前述のように記録を取ってトコトン争っていたら、今頃はまた違った展開になっていたかも知れません。彼の事をバカにしていた自分も、「他人の事を言えた義理ではなかった」と今では反省しきりの毎日です。
ブラック企業に未払い賃金請求やうつ病を引き起こした責任を取って貰う訳ですから、当然裁判になる訳ですが、訴えようにも未払いやパワハラ・セクハラの証拠がなければどうしようもありません。まずは証拠集めから闘いが始まります。
証拠として一番良いのは何と言ってもタイムカードの控え(コピー等)ですが、無ければそれに代わるものとして、退勤時刻の自筆記録や深夜タクシーの領収書等も充分証拠になります。勿論、タイムカードのようにはっきりとした物的証拠ではなく、あくまでも状況証拠でしかありませんが、それでも何もないよりはマシです。後は、パワハラの事実があればその記録を、何時何処で誰が誰に対してどの様に行ったのか(5W1H)、後ではっきりと特定出来るように残しておく事も重要です。
もう数年前の話ですが、以前の配属先で、前の勤め先で辞める直前に一週間ただ働きさせられたバイトがいました。彼はそこでは配送会社のドライバーをしていたのですが、余りにも積み荷の誤配・破損・延着や事故が多かったので、そこの社長に言われて、辞める直前の一週間は会社への罪滅ぼしとして無給で働かされたそうです。私それを聞いて開いた口が塞がりませんでした。
今更言うまでもない事ですが、給料も払わずに働かせるのは労基法違反の犯罪行為です。どんな理由があろうと許されるものではありません。
それを彼に教えた後、一体何年前の話か問い質したら、もう2年以上も前の事でした。如何に未払い賃金と言えども、2年以上も請求せずにそのままにしていたのでは、請求権を自ら放棄したと受け取られても仕方がありません。時効で請求権消滅です。
当時の私は内心そんな彼をバカにしていたのですが、生協に未払い賃金を請求出来なかった私も、彼とは五十歩百歩でしかなかった。毎日2~4時間はサービス残業していたので、直ぐに請求出来る2年分に限っても膨大な未払い額になります。生協退職後も前述のように記録を取ってトコトン争っていたら、今頃はまた違った展開になっていたかも知れません。彼の事をバカにしていた自分も、「他人の事を言えた義理ではなかった」と今では反省しきりの毎日です。
10月12日(金)大阪・天六でのストップ・ハシズム大集会に引き続き、14日(日)に扇町公園で開催の反貧困フェスタにも飛び入り参加してきました。こちらの方は午後から数時間顔をのぞかせただけだったので、スナップ写真の紹介だけに止めておきます。
当日は予定があったので午後から会場に。各団体の出店が並び、中央ステージでは誰かが歌っていました。
舞洲工場への放射能ガレキ受入れ・焼却反対のボード(ストップ・ザ・もんじゅの出店だったか?、上左写真)と、マイミクの鈴木のびたさんのジーンズショップの出店(同右写真)。鈴木さんは元・派遣労働者で現在はネット販売で生計を立てておられます。
無責任男・橋下徹への怒りの書き込みと、オーガニック・クッキー販売の出店。私も一つ買いました。
書籍販売とブラジル産焼肉・おにぎりの出店。
「追い出し屋」の実態告発ビデオも上映していました。通常の賃貸マンションだと住民にも賃借権があるので家賃滞納後も直ぐには追い出されないが、施設(部屋の鍵)貸与契約にしてしまえば追い出しが可能に。保証人や敷金を用意出来ない貧しい賃借人をターゲットに、保証会社が考えついた脱法・貧困ビジネス。福祉アパート斡旋の形で行政が一枚かんでいる場合も少なくない。
「大阪のおばちゃんの会」などが「橋下市政についてどう思うか」シール投票&ひと言アンケート。それに応えて私が書いた「つぶやき」。
「人には君が代強制しながらオノレはツイッター・コスプレ・WTC府庁移転と好き勝手するな!」
「役立たずは死ね!byハシモト ならお前がまっ先に死ね!byプレカリアート」
日雇い・派遣・請負などの有期・非正規雇用についてのシール投票(上左写真)と、韓国非正規労働者(キム・ジンスクさん)の闘いを綴った書籍・DVDの販売。キムさんは職場の低待遇に怒ってクレーンの上に立てこもり、「希望のバス」を仕立てて駆け付けた労働者の応援を得て勝利を勝ち取った(同真ん中・右写真)。
ゲイ・レズビアン・バイセクシュアル・トランスジェンダーなどの性的少数者の「メーデー」=「レインボーパレード」の紹介(上左写真)と、タイ・ミャンマーなどの少数民族の難民救援キャンペーン・マラソン「ラン・フォー・ピース」の展示(同真ん中・右写真)。
この反貧困フェスタは、単に反貧困ネットだけでなく、大阪労連・生健会・なかまユニオン・POSSEなどの労働団体や、生活保護・野宿者支援・難民支援などのNGOも網羅した、多彩で国際色豊かな催しでした。
とかく貧困問題といえば、生活保護とかワーキングプアだけの問題というイメージが、正直言って私の中にもありました。しかし、実はそれだけではなく、難民や野宿者、性的少数者についても、貧困の中で差別・排除され、人権が蹂躙され苦しめられている、共に闘うべき仲間だという事が実感できました。
以下、パンフなどに載っていた各団体の今後の取り組みを日付順に拾い書きしておきます。
●10月20日(土) 「おばちゃんと各党政治家のトーク会」(主催:ど~よ大阪!おばちゃんの会)
13時半~16時半 大阪市立中央会館ホール(地下鉄長堀橋下車・徒歩8分)
●10月22日(月) 橋下市長による入れ墨調査拒否者への不当処分を撤回させる会 集会
18時半~21時 エルおおさか606
●11月10日(土) KANSAIレインボーパレード2012
12時半中之島公園・女神像前集合、13時半から御堂筋を難波に向けてパレード。
●2013年1月20日(土) Run for Peace
趣旨:アジア諸国の難民・少数民族を支援する平和マラソン。
集合:9時半、大阪城公園内の太陽の広場→9キロ・6キロ・3キロの各コースを走破。
参加費:大人3千円、中高生2千円。
参加申込期間:2012年10月1日~2013年1月12日
当日は予定があったので午後から会場に。各団体の出店が並び、中央ステージでは誰かが歌っていました。
舞洲工場への放射能ガレキ受入れ・焼却反対のボード(ストップ・ザ・もんじゅの出店だったか?、上左写真)と、マイミクの鈴木のびたさんのジーンズショップの出店(同右写真)。鈴木さんは元・派遣労働者で現在はネット販売で生計を立てておられます。
無責任男・橋下徹への怒りの書き込みと、オーガニック・クッキー販売の出店。私も一つ買いました。
書籍販売とブラジル産焼肉・おにぎりの出店。
「追い出し屋」の実態告発ビデオも上映していました。通常の賃貸マンションだと住民にも賃借権があるので家賃滞納後も直ぐには追い出されないが、施設(部屋の鍵)貸与契約にしてしまえば追い出しが可能に。保証人や敷金を用意出来ない貧しい賃借人をターゲットに、保証会社が考えついた脱法・貧困ビジネス。福祉アパート斡旋の形で行政が一枚かんでいる場合も少なくない。
「大阪のおばちゃんの会」などが「橋下市政についてどう思うか」シール投票&ひと言アンケート。それに応えて私が書いた「つぶやき」。
「人には君が代強制しながらオノレはツイッター・コスプレ・WTC府庁移転と好き勝手するな!」
「役立たずは死ね!byハシモト ならお前がまっ先に死ね!byプレカリアート」
日雇い・派遣・請負などの有期・非正規雇用についてのシール投票(上左写真)と、韓国非正規労働者(キム・ジンスクさん)の闘いを綴った書籍・DVDの販売。キムさんは職場の低待遇に怒ってクレーンの上に立てこもり、「希望のバス」を仕立てて駆け付けた労働者の応援を得て勝利を勝ち取った(同真ん中・右写真)。
ゲイ・レズビアン・バイセクシュアル・トランスジェンダーなどの性的少数者の「メーデー」=「レインボーパレード」の紹介(上左写真)と、タイ・ミャンマーなどの少数民族の難民救援キャンペーン・マラソン「ラン・フォー・ピース」の展示(同真ん中・右写真)。
この反貧困フェスタは、単に反貧困ネットだけでなく、大阪労連・生健会・なかまユニオン・POSSEなどの労働団体や、生活保護・野宿者支援・難民支援などのNGOも網羅した、多彩で国際色豊かな催しでした。
とかく貧困問題といえば、生活保護とかワーキングプアだけの問題というイメージが、正直言って私の中にもありました。しかし、実はそれだけではなく、難民や野宿者、性的少数者についても、貧困の中で差別・排除され、人権が蹂躙され苦しめられている、共に闘うべき仲間だという事が実感できました。
以下、パンフなどに載っていた各団体の今後の取り組みを日付順に拾い書きしておきます。
●10月20日(土) 「おばちゃんと各党政治家のトーク会」(主催:ど~よ大阪!おばちゃんの会)
13時半~16時半 大阪市立中央会館ホール(地下鉄長堀橋下車・徒歩8分)
●10月22日(月) 橋下市長による入れ墨調査拒否者への不当処分を撤回させる会 集会
18時半~21時 エルおおさか606
●11月10日(土) KANSAIレインボーパレード2012
12時半中之島公園・女神像前集合、13時半から御堂筋を難波に向けてパレード。
●2013年1月20日(土) Run for Peace
趣旨:アジア諸国の難民・少数民族を支援する平和マラソン。
集合:9時半、大阪城公園内の太陽の広場→9キロ・6キロ・3キロの各コースを走破。
参加費:大人3千円、中高生2千円。
参加申込期間:2012年10月1日~2013年1月12日
トオルちゃんエンディング 大きなウソを並べ立て
10月12日(金)に大阪・天六の市立住まい情報センターで開催された「ストップ!ハシズム大集会」に参加して来ました。その様子を以下かいつまんで報告します。
18時半開演の直前に会場到着。千人位入る会場だが既に満杯状態だった。
まず最初に「維新のトオルちゃん」ビデオ(記事冒頭で一部紹介)を見た後、WTC住民訴訟原告団を代表して集会主催者の一人でもある西谷文和さんがビデオの内容と当該訴訟について説明(上左写真)。何故、大手前の既存庁舎を潰してまで交通不便で震災・津波に脆い南港埋立地のWTCビルに府庁移転をゴリ押ししようとしているのか。ビル周辺は再開発に失敗し買い手がつかない遊休地が広がる。そこに府庁が移転すれば地価上昇と跡地再利用で地主の大資本や地上げ屋・ゼネコンが潤う。マスコミもそれらがスポンサーなので橋下ヨイショ記事しか書かず、庶民は橋下に扇動され生活保護受給者などを叩く。実際にはWTCへの移転に生活保護予算など比べ物にならない程の浪費がされているのに。見事なまでの矛先逸らしの構図がそこにある。
次に「なにわの歌う巨人」趙博さんが登場し、即興のオリジナルソングを披露(上真ん中写真)。中でも福島原発事故隠蔽を告発した「核々死か慈か」は秀逸だった。橋下政治の労働者虐め、福祉削減・文化敵視・弱者切り捨てでどれだけの人間が泣かされてきたか。「殺人罪がなければ今直ぐにでも橋下を殺したい」と私も思う。
19時20分頃からは各界の報告が続く。まず日本軍「慰安婦」問題・関西ネットワークの方が登壇。「従軍慰安婦などいなかった、河野談話見直しを」などの橋下の暴言に怒った韓国の元慰安婦の方が、橋下に面会を申し込んだが休日を理由に拒否され、橋下は逃げ回り自宅に籠ってツイッター三昧の挙句に、面会を諦めた慰安婦が帰国の途につく直前にワザとらしく「会っても良い」とシラを切る。橋下の卑劣さに改めて怒りが湧く。
続いて思想調査アンケート訴訟支援の訴え。勤務時間外に聞いた街頭演説の内容まで業務命令で申告させるような、まるで戦前の特高警察まがいの憲法違反の思想調査アンケートを強行しておきながら、アンケートのきっかけとなった労組ぐるみ選挙の告発自体が捏造だと判明した途端に、その責任を顧問弁護士一人に擦り付けて逃げようとする。先の元慰安婦との面会逃れといい、このアンケートの責任逃れといい、どこまで卑怯な奴なのか。
その次は入れ墨調査不当処分を受けた人からの怒りの告発(上右写真)。この入れ墨調査も、きっかけとなった市立保育所での保育士による入れ墨見せびらかし事件そのものが捏造だった。そんな捏造から生まれた、業務とは無関係の思想調査やら入れ墨調査の目的は何なのか。どんなムチャクチャな命令でもゴリ押し出来ると、単に己の権力を誇示したいだけではないか。だから、自分は入れ墨などしていないが(これは上司も確認済)、こんな無法には黙っていられないと調査拒否したら不当処分を食らった。どれもこれも「でっち上げ」で「ムチャやり放題」で問題になれば「責任逃れ」という点は共通している。
各界報告の後半は福島原発事故による核汚染の隠蔽について。チェルノブイリ並みに汚染されているのは福島の警戒区域だけではない。福島市周辺や関東のホットスポットにも汚染が広がっているのに、マスコミは隠蔽に躍起となっている。登壇した避難民のお母さん(上左写真)も、原発事故後に甲状腺に腫瘍が出来た。それでも日本は原発に固執し、橋下も「脱原発」ポーズをかなぐり捨てて容認に転じた。この男にとっては自分の人気取りだけが全てで、住民の命などどうでも良いのだ。
その後も公衆衛生研究所の独立行政法人(独法)化反対の取り組みや、地下鉄民営化・赤バス廃止反対の取り組み報告などが続く。行政機関の独法化とは、要は民間委託で業務を民間に丸投げするという事で、実質は民営化と同じ。放射能検査などの重要な検査も儲からなければ廃止。WTC府庁移転やリニア・カジノ誘致、道頓堀プールのような、ゼネコンだけが潤う無駄な事業に金をつぎ込んでおきながら、赤バス廃止や行政の民間丸投げを強行し、儲かっても(黒字化)地下鉄のように民間に払い下げ食い物に。地下鉄売店もファミリーマートの金儲けの道具に。でも、マスコミもゼネコン・大資本の息がかかっているから見て見ぬふり。
20時過ぎからはカンパの訴えと笑福亭竹林さんの落語(上真ん中写真)。夫婦喧嘩の愚痴を放り込む「堪忍袋」が人気を呼んでみんな殺到し、松井知事も「橋下も本当は俺の事バカにしているやろ」と袋に向かって叫ぶという落語のオチには笑わされた。
最後の報告は梅田章二弁護士から(上右写真)。橋下と連携している「東京維新の会」が、都議会に何と現憲法廃止・帝国憲法復活の時代錯誤な請願を出したが、自民も含め他会派全ての反対で否決されたという話に、会場から嘲笑と怒りのため息が。
日本語で維新といえば「維(これ)を新たにする」という事で改革を意味するが、英語に訳せばRestoration(王政復古)となる。明治維新は「Meiji Resotration」、「日本維新の会」は「Japan Restoration Party(日本復古党)」となる。都議会の請願には「(現憲法の)国民主権は傲慢な思想」なる文言まであった。改憲派が敵視するのは単に憲法9条だけでなく、民主主義や人権そのものである事がこの事からもよく分かる。自民党も橋下も本音では賛成したいのだろうが、流石にこれでは今の日本でも受け入れられない。だから橋下なども無関係と火消しに躍起となっている。(参考記事)
しかし、そもそも明治維新そのものが、西欧列強に負けじと日本も帝国主義国として近代化しアジア侵略に乗り出していった、そのきっかけとなった事件ではないか。謂わば、「単に虐められっ子が虐めっ子に取って代わろうとしただけ」で、「決して虐めそのものをなくそうとするものではなかった」。そういう歴史の史実だ。それはまた、地区に生まれながら差別をなくすのではなく逆に自分が差別する側にのし上がろうと「努力」してきた橋下の生い立ちと重なると同時に、そこから抜け出せない日本人の限界でもあるのではないか。日本人が橋下の「立身出世」や明治の「近代化」賛美から抜け出せない限り、日本に真の人権の夜明けはない。「卒(脱)・維新」は先の大阪W選挙で倉田陣営が唱えたスローガンで、単に党派としての「維新の会」に反対の意思表示でしかなかったが、本当は維新史観、司馬遼太郎史観から卒業しなければならない事を、図らずも示唆しているのではないか。その事を痛切に感じた集会だった。
10月12日(金)に大阪・天六の市立住まい情報センターで開催された「ストップ!ハシズム大集会」に参加して来ました。その様子を以下かいつまんで報告します。
18時半開演の直前に会場到着。千人位入る会場だが既に満杯状態だった。
まず最初に「維新のトオルちゃん」ビデオ(記事冒頭で一部紹介)を見た後、WTC住民訴訟原告団を代表して集会主催者の一人でもある西谷文和さんがビデオの内容と当該訴訟について説明(上左写真)。何故、大手前の既存庁舎を潰してまで交通不便で震災・津波に脆い南港埋立地のWTCビルに府庁移転をゴリ押ししようとしているのか。ビル周辺は再開発に失敗し買い手がつかない遊休地が広がる。そこに府庁が移転すれば地価上昇と跡地再利用で地主の大資本や地上げ屋・ゼネコンが潤う。マスコミもそれらがスポンサーなので橋下ヨイショ記事しか書かず、庶民は橋下に扇動され生活保護受給者などを叩く。実際にはWTCへの移転に生活保護予算など比べ物にならない程の浪費がされているのに。見事なまでの矛先逸らしの構図がそこにある。
次に「なにわの歌う巨人」趙博さんが登場し、即興のオリジナルソングを披露(上真ん中写真)。中でも福島原発事故隠蔽を告発した「核々死か慈か」は秀逸だった。橋下政治の労働者虐め、福祉削減・文化敵視・弱者切り捨てでどれだけの人間が泣かされてきたか。「殺人罪がなければ今直ぐにでも橋下を殺したい」と私も思う。
19時20分頃からは各界の報告が続く。まず日本軍「慰安婦」問題・関西ネットワークの方が登壇。「従軍慰安婦などいなかった、河野談話見直しを」などの橋下の暴言に怒った韓国の元慰安婦の方が、橋下に面会を申し込んだが休日を理由に拒否され、橋下は逃げ回り自宅に籠ってツイッター三昧の挙句に、面会を諦めた慰安婦が帰国の途につく直前にワザとらしく「会っても良い」とシラを切る。橋下の卑劣さに改めて怒りが湧く。
続いて思想調査アンケート訴訟支援の訴え。勤務時間外に聞いた街頭演説の内容まで業務命令で申告させるような、まるで戦前の特高警察まがいの憲法違反の思想調査アンケートを強行しておきながら、アンケートのきっかけとなった労組ぐるみ選挙の告発自体が捏造だと判明した途端に、その責任を顧問弁護士一人に擦り付けて逃げようとする。先の元慰安婦との面会逃れといい、このアンケートの責任逃れといい、どこまで卑怯な奴なのか。
その次は入れ墨調査不当処分を受けた人からの怒りの告発(上右写真)。この入れ墨調査も、きっかけとなった市立保育所での保育士による入れ墨見せびらかし事件そのものが捏造だった。そんな捏造から生まれた、業務とは無関係の思想調査やら入れ墨調査の目的は何なのか。どんなムチャクチャな命令でもゴリ押し出来ると、単に己の権力を誇示したいだけではないか。だから、自分は入れ墨などしていないが(これは上司も確認済)、こんな無法には黙っていられないと調査拒否したら不当処分を食らった。どれもこれも「でっち上げ」で「ムチャやり放題」で問題になれば「責任逃れ」という点は共通している。
各界報告の後半は福島原発事故による核汚染の隠蔽について。チェルノブイリ並みに汚染されているのは福島の警戒区域だけではない。福島市周辺や関東のホットスポットにも汚染が広がっているのに、マスコミは隠蔽に躍起となっている。登壇した避難民のお母さん(上左写真)も、原発事故後に甲状腺に腫瘍が出来た。それでも日本は原発に固執し、橋下も「脱原発」ポーズをかなぐり捨てて容認に転じた。この男にとっては自分の人気取りだけが全てで、住民の命などどうでも良いのだ。
その後も公衆衛生研究所の独立行政法人(独法)化反対の取り組みや、地下鉄民営化・赤バス廃止反対の取り組み報告などが続く。行政機関の独法化とは、要は民間委託で業務を民間に丸投げするという事で、実質は民営化と同じ。放射能検査などの重要な検査も儲からなければ廃止。WTC府庁移転やリニア・カジノ誘致、道頓堀プールのような、ゼネコンだけが潤う無駄な事業に金をつぎ込んでおきながら、赤バス廃止や行政の民間丸投げを強行し、儲かっても(黒字化)地下鉄のように民間に払い下げ食い物に。地下鉄売店もファミリーマートの金儲けの道具に。でも、マスコミもゼネコン・大資本の息がかかっているから見て見ぬふり。
20時過ぎからはカンパの訴えと笑福亭竹林さんの落語(上真ん中写真)。夫婦喧嘩の愚痴を放り込む「堪忍袋」が人気を呼んでみんな殺到し、松井知事も「橋下も本当は俺の事バカにしているやろ」と袋に向かって叫ぶという落語のオチには笑わされた。
最後の報告は梅田章二弁護士から(上右写真)。橋下と連携している「東京維新の会」が、都議会に何と現憲法廃止・帝国憲法復活の時代錯誤な請願を出したが、自民も含め他会派全ての反対で否決されたという話に、会場から嘲笑と怒りのため息が。
日本語で維新といえば「維(これ)を新たにする」という事で改革を意味するが、英語に訳せばRestoration(王政復古)となる。明治維新は「Meiji Resotration」、「日本維新の会」は「Japan Restoration Party(日本復古党)」となる。都議会の請願には「(現憲法の)国民主権は傲慢な思想」なる文言まであった。改憲派が敵視するのは単に憲法9条だけでなく、民主主義や人権そのものである事がこの事からもよく分かる。自民党も橋下も本音では賛成したいのだろうが、流石にこれでは今の日本でも受け入れられない。だから橋下なども無関係と火消しに躍起となっている。(参考記事)
しかし、そもそも明治維新そのものが、西欧列強に負けじと日本も帝国主義国として近代化しアジア侵略に乗り出していった、そのきっかけとなった事件ではないか。謂わば、「単に虐められっ子が虐めっ子に取って代わろうとしただけ」で、「決して虐めそのものをなくそうとするものではなかった」。そういう歴史の史実だ。それはまた、地区に生まれながら差別をなくすのではなく逆に自分が差別する側にのし上がろうと「努力」してきた橋下の生い立ちと重なると同時に、そこから抜け出せない日本人の限界でもあるのではないか。日本人が橋下の「立身出世」や明治の「近代化」賛美から抜け出せない限り、日本に真の人権の夜明けはない。「卒(脱)・維新」は先の大阪W選挙で倉田陣営が唱えたスローガンで、単に党派としての「維新の会」に反対の意思表示でしかなかったが、本当は維新史観、司馬遼太郎史観から卒業しなければならない事を、図らずも示唆しているのではないか。その事を痛切に感じた集会だった。
ブログ更新再開第二弾の記事は、急遽予定を変更して、自分の生い立ちについて少し書いてみたいと思います。mixiボイスの呟きで、マイミクさん(ここでは仮にAさんとしておきます)の下記の呟きに触発されて、自分の生い立ちについてコメントしました(以下P=プレカリアートと表記したのが私の呟き)。mixiに残したままでは、どんどん流れて後で探し出せなくなってしまうので、自分自身を顧みる為にも、こちらのブログにも保存しておきます。
(転載開始)
A:うちの親のいいなりになったら、他人の自由と幸福を素直に喜べないひねくれた性質になったよ。それに、自分の権利のために闘えないふぬけになった。脱却しなきゃ。縁を切らなきゃ。
P:ひょっとしたら封建的で内弁慶な頑固親爺タイプの親御さんでは?保守的な公務員に多いタイプで、堅物で世間が狭く、目上にはペコペコ目下には偉そう、面と向かって批判されたら逆切れ。金八先生のドラマで性同一性障害の生徒に差別的な態度で臨んだ校長キャラ。少々オーバーな表現ですが実は私の親爺がそんなタイプでした。(続きを見る)
P:それでも5人家族時代はみんなそれぞれ貶し合ったり庇い合ったりで特定の誰かだけを意識する事は殆どなかった。しかし兄が独立し妹も嫁ぎ母も亡き今は、否が応でも親爺を意識せざるを得ない。もう互いに好い齢なので昔みたいに取っ組み合いにはならず適当に譲り合ってはいるが、何かの折に昔のようになりかけたりもする。(続きを見る)
A:うーん。プレカリアートさんのおうちもいろいろあって大変のようですね。(以下、Aさんの生い立ちが数回に渡って綴られるが、個人のプライバシーに立ち入った内容をmixi外の一般公開ブログに転載する訳にはいかないのでここでは割愛)
P:Aさんも色々あったのですね。以下自分史の続き。幼少期は近所のガキの虐めと親爺の家庭内暴力に晒される。それを勉強で見返してやろうと非進学校から某有名私大へ。当然保守的な親爺とは対立、但し世捨て人として。大学時代になって漸く虐めを克服。民青・共産党に誘われ差別や暴力を生み出す社会矛盾に目覚め。(続きを見る)(注:民青=日本民主青年同盟、共産党系の青年組織)
P:やがて社会変革に生きがい求め生協に就職。その生協が実は民主的なのは外面だけで内部はパワハラの巣だった。退職し労働者を守らない共産党にも幻滅して離党。しかし虐めや差別を生む資本主義や右翼はもっと嫌いなので今も共産党は批判的に支持。こういう根っからの反体制左翼なので保守的な親爺とは今もウマが合わず。(続きを見る)
(転載終了)
字数制限のあるmixiボイスでの呟きなので、内容は大幅に端折っています。今までの全人生が虐められるだけの灰色人生だった訳ではありません。病弱だった幼い頃の虐めはもうすっかり忘却の彼方に消え、小中学校時代の虐めも決して全学年を通してではなく実際にはのべ数年間だけで、その間にはバトミントン部に所属した青春時代もありました。
生協時代も、新人当時こそ先輩から虐めにあったものの、二年目には他の職員を味方につけて反撃に転じ謝罪・和解に至り、その後は長時間のサービス残業も苦にせず、それなりに楽しんで仕事をしていました。
一番腹立たしかったのは1998年頃からの虐め・搾取です。当時、日本経団連がそれまでの終身雇用を見直し、今後は一握りの幹部正社員だけを重宝し、残りの大多数は非正規労働者として使い捨てていくと宣言し、生協もその新自由主義の流れに便乗する形で、それまでの民主的ポーズをかなぐり捨てて、資本の本性を露わにしてきました。私が知っているだけでも4名の職員が過労死で亡くなっています。私もうつ病一歩手前まで追い詰められました。退職しなければマジで自殺か暴発していたかも知れない。
前のバイト先でドーリーの件や労働条件切り下げに抵抗したのも、もう生協時代のように泣き寝入りはしたくなかったから。差別・搾取や虐めをする奴は絶対に許せない。
そんな生い立ちの影響もあってか、今から思えば中学時代にはもう一端の「サヨク」だった様に思います。但し、斜に構えた「世捨て人」のガキンチョ「サヨク」で、共産党と中核派や革マル派の区別もつかず、寧ろ後者の方に憧れていたような記憶が。今でも、弱肉強食・競争至上主義の強欲資本家や御用経済学者、石原や橋下の様な国家主義で「上から目線」の右翼政治家は、自分とは絶対に相容れず、生協の共産党の官僚体質にも反発してきました。ただ、生協退職以後はその反発も次第に和らぎ、離党したのも単にバイトの勤務時間との関係で活動に参加出来なくなったのと、正直言ってオジン・オバン党員ばかりで魅力が失せたから。だから今でも頼まれれば選挙のビラ撒きを手伝ったりもします。
そんな私なので、保守的な親爺とは昔から悉く対立してきました。但し、今はもう親爺も私に気を遣うようになり、今は互いに譲り合って生活しています。ただ何気ない拍子に、私からすれば取るに足らないような事で(例:たまたま急いでてスリッパを乱雑に脱ぐ)、いちいち人格絡みの小言を言ってくる事があり(例:お前は人間が出来ていない)、私も売り言葉に買い言葉で応酬になる事がある(例:親爺こそ奴隷根性でスネ夫みたいな人間で云々)。もうお互い別人格なんだから、人は人で放っておいてくれたら良いのに。年寄の冷や水と諦めるしかないのでしょうか。寧ろ今まで育ててくれたのだから、私の方が親をいたわらなければならないのに、「スネ夫」呼ばわりは流石に言い過ぎだと思いますが、だったら親爺もたかがスリッパの置き方ぐらいで人格や道徳を振り回す事ないと思いませんか?
(転載開始)
A:うちの親のいいなりになったら、他人の自由と幸福を素直に喜べないひねくれた性質になったよ。それに、自分の権利のために闘えないふぬけになった。脱却しなきゃ。縁を切らなきゃ。
P:ひょっとしたら封建的で内弁慶な頑固親爺タイプの親御さんでは?保守的な公務員に多いタイプで、堅物で世間が狭く、目上にはペコペコ目下には偉そう、面と向かって批判されたら逆切れ。金八先生のドラマで性同一性障害の生徒に差別的な態度で臨んだ校長キャラ。少々オーバーな表現ですが実は私の親爺がそんなタイプでした。(続きを見る)
P:それでも5人家族時代はみんなそれぞれ貶し合ったり庇い合ったりで特定の誰かだけを意識する事は殆どなかった。しかし兄が独立し妹も嫁ぎ母も亡き今は、否が応でも親爺を意識せざるを得ない。もう互いに好い齢なので昔みたいに取っ組み合いにはならず適当に譲り合ってはいるが、何かの折に昔のようになりかけたりもする。(続きを見る)
A:うーん。プレカリアートさんのおうちもいろいろあって大変のようですね。(以下、Aさんの生い立ちが数回に渡って綴られるが、個人のプライバシーに立ち入った内容をmixi外の一般公開ブログに転載する訳にはいかないのでここでは割愛)
P:Aさんも色々あったのですね。以下自分史の続き。幼少期は近所のガキの虐めと親爺の家庭内暴力に晒される。それを勉強で見返してやろうと非進学校から某有名私大へ。当然保守的な親爺とは対立、但し世捨て人として。大学時代になって漸く虐めを克服。民青・共産党に誘われ差別や暴力を生み出す社会矛盾に目覚め。(続きを見る)(注:民青=日本民主青年同盟、共産党系の青年組織)
P:やがて社会変革に生きがい求め生協に就職。その生協が実は民主的なのは外面だけで内部はパワハラの巣だった。退職し労働者を守らない共産党にも幻滅して離党。しかし虐めや差別を生む資本主義や右翼はもっと嫌いなので今も共産党は批判的に支持。こういう根っからの反体制左翼なので保守的な親爺とは今もウマが合わず。(続きを見る)
(転載終了)
字数制限のあるmixiボイスでの呟きなので、内容は大幅に端折っています。今までの全人生が虐められるだけの灰色人生だった訳ではありません。病弱だった幼い頃の虐めはもうすっかり忘却の彼方に消え、小中学校時代の虐めも決して全学年を通してではなく実際にはのべ数年間だけで、その間にはバトミントン部に所属した青春時代もありました。
生協時代も、新人当時こそ先輩から虐めにあったものの、二年目には他の職員を味方につけて反撃に転じ謝罪・和解に至り、その後は長時間のサービス残業も苦にせず、それなりに楽しんで仕事をしていました。
一番腹立たしかったのは1998年頃からの虐め・搾取です。当時、日本経団連がそれまでの終身雇用を見直し、今後は一握りの幹部正社員だけを重宝し、残りの大多数は非正規労働者として使い捨てていくと宣言し、生協もその新自由主義の流れに便乗する形で、それまでの民主的ポーズをかなぐり捨てて、資本の本性を露わにしてきました。私が知っているだけでも4名の職員が過労死で亡くなっています。私もうつ病一歩手前まで追い詰められました。退職しなければマジで自殺か暴発していたかも知れない。
前のバイト先でドーリーの件や労働条件切り下げに抵抗したのも、もう生協時代のように泣き寝入りはしたくなかったから。差別・搾取や虐めをする奴は絶対に許せない。
そんな生い立ちの影響もあってか、今から思えば中学時代にはもう一端の「サヨク」だった様に思います。但し、斜に構えた「世捨て人」のガキンチョ「サヨク」で、共産党と中核派や革マル派の区別もつかず、寧ろ後者の方に憧れていたような記憶が。今でも、弱肉強食・競争至上主義の強欲資本家や御用経済学者、石原や橋下の様な国家主義で「上から目線」の右翼政治家は、自分とは絶対に相容れず、生協の共産党の官僚体質にも反発してきました。ただ、生協退職以後はその反発も次第に和らぎ、離党したのも単にバイトの勤務時間との関係で活動に参加出来なくなったのと、正直言ってオジン・オバン党員ばかりで魅力が失せたから。だから今でも頼まれれば選挙のビラ撒きを手伝ったりもします。
そんな私なので、保守的な親爺とは昔から悉く対立してきました。但し、今はもう親爺も私に気を遣うようになり、今は互いに譲り合って生活しています。ただ何気ない拍子に、私からすれば取るに足らないような事で(例:たまたま急いでてスリッパを乱雑に脱ぐ)、いちいち人格絡みの小言を言ってくる事があり(例:お前は人間が出来ていない)、私も売り言葉に買い言葉で応酬になる事がある(例:親爺こそ奴隷根性でスネ夫みたいな人間で云々)。もうお互い別人格なんだから、人は人で放っておいてくれたら良いのに。年寄の冷や水と諦めるしかないのでしょうか。寧ろ今まで育ててくれたのだから、私の方が親をいたわらなければならないのに、「スネ夫」呼ばわりは流石に言い過ぎだと思いますが、だったら親爺もたかがスリッパの置き方ぐらいで人格や道徳を振り回す事ないと思いませんか?
またまたブログ更新の間が開いてしまいました。日々思う所は色々あれど、どう書こうか踏ん切りつかぬまま、ついつい雑事にかまけてタイミングを逃してしまう。その繰り返しです。申し訳ない。またボチボチと無理のない範囲で書いて行こうと思っています。まずはOurPlanetTVニュースから転載。
名前こそ原子力安全・保安院から規制委員会と変わったものの、実際は今まで以上に原発推進の下請け機関に成り下がってしまいました。先週金曜日の関電本社前での「転び公妨」逮捕も、この流れの中で起こった事でしょう。正に「臭いモノに蓋」「知らしむべからず、依らしむべし」で。それに対しては、まずは転載でも何でも良いから、真相を探り声を上げる事から始めねば。
原子力規制委員会~公安警察に委員会監視を要請
(転載開始)
原子力規制委員会~公安警察に委員会監視を要請(OurPlanetTV)
先月9月19日に発足した原子力規制委員会が、委員会の傍聴者やメディアを監視するために、警察を要請していたことが10日わかった。
委員会の傍聴者やメディアを監視していたのは、麻布警察署から来たと名乗る公安警察。原子力委員会が開催される13階会議室の一番後壁の出口付近に待機し、取材に来ているメディアや傍聴者を確認しては逐一メモをし、時折、廊下に出て無線で内容を報告していた。
委員会10分ほど前に、傍聴者の数人が警察が監視していることに気づき、「あなたは誰ですか?何をしているのですか?」と詰め寄ったところ、「規制庁の要請で来ている。それ以上、話す必要もない」と回答。OurPlanetTVに対して、撮影をやめるように声を荒げた。市民は「何のための警戒なのか」「一般市民の知る権利を侵害してる」と廊下まで出るように求めたが、警察は「自信を持って仕事をしている」と応酬し、一時、押し問答となった。
委員会の監視に警察を要請していたことに関して、原子力規制委員会の田中俊一委員長は会見で、「委員会で声を聞くまでは、全然知りませんでした」と回答。
原子力規制庁の森本英香次長は「庁舎内の秩序維持という観点から、警察署に対して警備を依頼しているのは事実」とし、制服を着用しない公安警察である理由については、「制服で入っていただくことが、むしろ威圧を与えるようなことを、僕の直感的にはそう思いますので、そういうことがないように、最低限の警備という形で取り組んでいくのがいい」と説明した。
傍聴者の監視問題では今年7月、当時の原子力・安全保安院が、関西電力大飯原発(福井県)の断層調査をめぐる専門家会議の傍聴希望者の情報を警察に提供した可能性が指摘され、その後、保安院の森山善範原子力災害対策監が記者会見で、警察から詳細な説明を差し控えるよう要請を受けたことを明らかにした経緯がある。しかし、会議室内部に警察が入り、市民を監視した例はなかった。
森本次長は「保安院の時にどうだったのかは、知らないが、規制委員会はじまって試行錯誤している状態で平穏な会議の維持ができれば柔軟に対応したい」と話した。
「日本の公安警察」の著者でジャーナリストの青木理さんは、「規制庁が警察に警備を要請し、公安警察が情報を収集しているとしたら気持ち悪い話だ。規制庁のモラルが問われる。規制庁のトップが、池田克彦元警視総監であることとも関係がある可能性が高いのではないか」と指摘している。
今回のように、市民やメディアの「知る権利」を侵害したケースとして、2002年に当時の防衛庁が、情報公開請求した市民の身元を本人に内緒で調査しリスト化していた例がある。毎日新聞のスクープによって発覚した後、防衛庁は調査を行い、官房長と文書課長が更迭され、事務次官ら計29人が減給処分。長官は給与20%2カ月分自主返納した。毎日新聞はこの記事で、2002年度の新聞協会賞を受賞している。安心して政策決定プロセスを傍聴出来るという民主主義の根幹を揺るがす今回のケースは、防衛庁と同程度か、それ以上に大きな問題をはらんでいる。
(転載終了)
名前こそ原子力安全・保安院から規制委員会と変わったものの、実際は今まで以上に原発推進の下請け機関に成り下がってしまいました。先週金曜日の関電本社前での「転び公妨」逮捕も、この流れの中で起こった事でしょう。正に「臭いモノに蓋」「知らしむべからず、依らしむべし」で。それに対しては、まずは転載でも何でも良いから、真相を探り声を上げる事から始めねば。
原子力規制委員会~公安警察に委員会監視を要請
(転載開始)
原子力規制委員会~公安警察に委員会監視を要請(OurPlanetTV)
先月9月19日に発足した原子力規制委員会が、委員会の傍聴者やメディアを監視するために、警察を要請していたことが10日わかった。
委員会の傍聴者やメディアを監視していたのは、麻布警察署から来たと名乗る公安警察。原子力委員会が開催される13階会議室の一番後壁の出口付近に待機し、取材に来ているメディアや傍聴者を確認しては逐一メモをし、時折、廊下に出て無線で内容を報告していた。
委員会10分ほど前に、傍聴者の数人が警察が監視していることに気づき、「あなたは誰ですか?何をしているのですか?」と詰め寄ったところ、「規制庁の要請で来ている。それ以上、話す必要もない」と回答。OurPlanetTVに対して、撮影をやめるように声を荒げた。市民は「何のための警戒なのか」「一般市民の知る権利を侵害してる」と廊下まで出るように求めたが、警察は「自信を持って仕事をしている」と応酬し、一時、押し問答となった。
委員会の監視に警察を要請していたことに関して、原子力規制委員会の田中俊一委員長は会見で、「委員会で声を聞くまでは、全然知りませんでした」と回答。
原子力規制庁の森本英香次長は「庁舎内の秩序維持という観点から、警察署に対して警備を依頼しているのは事実」とし、制服を着用しない公安警察である理由については、「制服で入っていただくことが、むしろ威圧を与えるようなことを、僕の直感的にはそう思いますので、そういうことがないように、最低限の警備という形で取り組んでいくのがいい」と説明した。
傍聴者の監視問題では今年7月、当時の原子力・安全保安院が、関西電力大飯原発(福井県)の断層調査をめぐる専門家会議の傍聴希望者の情報を警察に提供した可能性が指摘され、その後、保安院の森山善範原子力災害対策監が記者会見で、警察から詳細な説明を差し控えるよう要請を受けたことを明らかにした経緯がある。しかし、会議室内部に警察が入り、市民を監視した例はなかった。
森本次長は「保安院の時にどうだったのかは、知らないが、規制委員会はじまって試行錯誤している状態で平穏な会議の維持ができれば柔軟に対応したい」と話した。
「日本の公安警察」の著者でジャーナリストの青木理さんは、「規制庁が警察に警備を要請し、公安警察が情報を収集しているとしたら気持ち悪い話だ。規制庁のモラルが問われる。規制庁のトップが、池田克彦元警視総監であることとも関係がある可能性が高いのではないか」と指摘している。
今回のように、市民やメディアの「知る権利」を侵害したケースとして、2002年に当時の防衛庁が、情報公開請求した市民の身元を本人に内緒で調査しリスト化していた例がある。毎日新聞のスクープによって発覚した後、防衛庁は調査を行い、官房長と文書課長が更迭され、事務次官ら計29人が減給処分。長官は給与20%2カ月分自主返納した。毎日新聞はこの記事で、2002年度の新聞協会賞を受賞している。安心して政策決定プロセスを傍聴出来るという民主主義の根幹を揺るがす今回のケースは、防衛庁と同程度か、それ以上に大きな問題をはらんでいる。
(転載終了)
【IWJ_OKINAWA】「沖縄オスプレイ配備阻止アクション」ハイライト映像
(注:音声しか聴こえない場合は右下のyoutubeボタンをクリックして直接youtubeで視聴して下さい)
米軍輸送機オスプレイの沖縄配備については本土のメディアでも取り上げられていますが、事故多発機に対する地元の不安について言及はされても、ともすれば領土問題や安保・国防といった「上から目線」でしか報じられませんでした。私自身も、現地で抗議集会やゲート前封鎖が行われている事を知ってはいても、ここまで全県ぐるみの盛り上がりになっているとは思いませんでした。これでは私自身も他人の事なぞとやかく言えませんね。肝心の「民」を守らずして何の「国防」か。これは何も沖縄だけに限らず福島原発事故その他の問題についても全て言える事です。遅まきながらではありますが、自分自身のメモも兼ねて、本土ではなかなか報じられない「沖縄の怒り」をこちらにも転載しておきます。
・宮森の悲劇 二度と オスプレイ配備阻止へ写真展(琉球新報、2012年9月26日)
【宜野湾】米海兵隊の垂直離着陸輸送機MV22オスプレイの普天間飛行場配備に反対する機運を高めようと、1959年の宮森小米軍ジェット機墜落事故を語り継ぐ「石川・宮森630会」(豊濱光輝会長)の写真展が24日、宜野湾市役所で始まった。28日まで。
写真展では、墜落事故直後のがれきと化した宮森小の写真や担架で運ばれる児童らの写真に加え、当時の在校生らによる証言など約80点を展示している。
同日午前の開幕式で松川正則副市長は、2004年に起きた沖縄国際大学への米軍ヘリ墜落事故に触れ「記憶をつなぐことは重要で、二度と同じような事故を起こしてはいけないという思いは同じ。オスプレイ配備撤回に向け、一緒に取り組みたい」と話した。
同会の久高政治事務局長は「事故は過去の出来事ではなく、現在起こりうる沖縄の現実。事故の実情を見てもらい、オスプレイ配備反対に心一つに取り組む一助になれば」と期待、豊濱会長は「18人が命を落とした宮森小事故を教訓としなければならない」と力を込めた。
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-197357-storytopic-5.html
・300人、阻止へ拳 首長ら抗議集会(同上、2012年9月27日)
【宜野湾】県議会の各会派代表者らでつくるオスプレイ配備に反対する県民大会実行委員会による抗議集会が26日朝、米軍普天間飛行場野嵩ゲート前で始まった。呼び掛けに応じ集まった県選出・出身の国会議員や県内市町村長のほか市民団体も参加し、約300人が「オスプレイ配備断固反対」「普天間基地を閉鎖・返還せよ」などと拳を上げた。
実行委は当初座り込み行動を予定していたが、人数が膨れ上がったために抗議集会に切り替えた。27日も朝から実施する。28日以降も、強行配備に対抗する行動を起こす予定だ。
共同代表の喜納昌春県議会議長は「民主主義を日米両政府に示していく。沖縄には絶対オスプレイを飛ばさない。仮に来たとしても、一日も早く日本から排除する、そういう闘いを粘り強くやっていこう」と述べた。
県内7市町長が駆け付けた。共同代表も務める翁長雄志那覇市長は「県民大会の第2弾の運動になる。あらためて運動を盛り上げ、私たちの意思を示していこう」とあいさつ。佐喜真淳宜野湾市長は「県民大会の延長で、オスプレイに反対していく。政府にはしっかり受け取っていただきたいし、無視するのはいかがなものか」と話した。
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-197391-storytopic-3.html
・騒々しい工場内と同等 オスプレイ通過時 県の騒音測定(同上、2012年10月2日)
米海兵隊の垂直離着陸輸送機MV22オスプレイが、1日に宜野湾市の普天間飛行場に初飛来した際の基地周辺の住宅地の騒音は、最大で89・2デシベルだったことが、2日に発表された県の騒音測定結果で分かった。騒々しい工場内やカラオケ店内が目安となる90デシベルに迫る音量。
県が1日に、宜野湾市の上大謝名公民館に設置している騒音測定器で計測した。最初の2機が公民館上空を通過した午前11時6分に83・7デシベルを測定。3機目通過の同24分に86デシベル、4機目の同27分に89デシベルが計測された。5、6機目が通過した同44分が最大の89・2デシベルだった。通過時はいずれも地下鉄の車内やテレビの大音量が目安となる80デシベルを超えた。
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-197617-storytopic-252.html
・オスプレイ飛来 県民「反対」の中強行(沖縄タイムス、2012年10月1日 11時54分)
米海兵隊の垂直離着陸輸送機MV22オスプレイ6機が1日午前、一時駐機していた岩国基地(山口県)から普天間飛行場に相次いで離陸、同日正午までに6機が着陸した。仲井真弘多知事をはじめ沖縄側が配備中止を強く求める中、米軍は普天間への移動を強行した。民意に反して配備を強行した日米両政府と沖縄側の隔たりは決定的となり、激しい県民の反発を招くことは必至だ。
普天間に向かったオスプレイはまず2機が同日午前8時51分、岩国基地を離陸。続いて2機が9時5分、さらに2機が9時17分にそれぞれ離陸した。
仲井真知事は9時40分ごろ、県庁内で記者団に「県民の不安を払拭(ふっしょく)しないまま強行することは理解を超える。極めて残念で遺憾としか言いようがない」と述べた。知事は宜野湾市役所に向かい、機体の到着を確認する。普天間飛行場周辺では市民団体などが抗議行動を行い、配備反対のシュプレヒコールを上げた。
http://article.okinawatimes.co.jp/article/2012-10-01_39691
・オスプレイ:市民ら抗議のたこ揚げ(同上、2012年10月3日 09時41分)
【宜野湾】沖縄平和運動センターのメンバーら約20人が2日、普天間飛行場南側の森川公園でたこを揚げて抗議した。オスプレイが普天間に着陸する直前には大謝名からも揚がった。野嵩ゲートで座り込んだ人は「もっとたこや風船を揚げ続けるための募金を集めよう」と呼び掛け、約130人から約7万円が集まった。山城博治事務局長は「県民が本気になれば、オスプレイを止められる」とたこ揚げや風船掲揚を広く呼び掛ける考えだ。
森川公園ではフェンス越しに海兵隊憲兵隊が軍用犬を連れて警戒、公園を管理する宜野湾市職員や警察官が約20人訪れ、たこ揚げを遠巻きに見ていた。
飛行ルートに住む宜野湾市愛知の男性(44)はこの日早朝の野嵩の抗議集会に訪れて知り、たこ揚げ行動に賛同。「気合を入れてたこ揚げするなんて、沖縄の悲しい状況があるが、意思表示したい」と話した。
伊波義安さん(70)は「戦後67年の怒りが爆発するのはこれからだ。沖縄の人が誇りを持って扱われるまで終わらない」と話した。
http://article.okinawatimes.co.jp/article/2012-10-03_39770
・オスプレイ:市街地上空でヘリモード(同上、2012年10月3日 09時46分)
オスプレイは2日までに、山口県の岩国基地から9機が配備された。プロペラを垂直方向に向けるヘリモードで基地外を飛んだり、人口の多い住宅街を飛ぶこともあり、初日から9月に日米で合意した安全策に反して飛行した。「ほとんどの時間を(プロペラを前に向けた)固定翼モードで飛ぶ」ことを原則としながら、ヘリモードでしかできない急旋回で着陸するなど、米軍が意のままに飛行する実態が浮かんだ。
6機が飛来した1日は、初めの2機が中城方面から飛来し、沖縄自動車道の西原インター上空から右に急旋回し、宜野湾市の上大謝名区方向から進入、着陸。3~6機目は那覇軍港方面から浦添を通って滑走路に入ってきた。
いずれのルートでも、複数の機体がヘリモードで、市街地上空を飛んでいるのを住民や本紙記者が確認。日米が合意した安全策はヘリモードの飛行を基地や訓練場内に限定しており、目撃した住民からは「合意を守っていない」との批判が相次いだ。
3機が飛んできた2日は、北中城村方面から中城村をへて普天間に。人口密集地を避けることになっているが、その間、住宅街上空を飛んだことになる。
3機は1日と異なり、滑走路東側を右に急旋回し、滑走路の中ごろを目指して進入した。真横から入るには急激にスピードを落とす必要があり、市街地上空でヘリモードにせざるを得なくなる。
ヘリモードでの市街地飛行に、宜野湾市の佐喜真淳市長は「安全策は今後も守られると思わない」と厳しくみている。
http://article.okinawatimes.co.jp/article/2012-10-03_39766
・オスプレイ:市民「沖縄版アラブの春だ」(同上、2012年10月3日 09時57分)
反基地運動で復帰後初めて普天間飛行場のゲートを封鎖し、警官と衝突した市民の座り込み行動。1週間がたった2日、オスプレイ配備の強行に、この日も野嵩ゲート前には、午前7時ごろから200人以上の市民が集まり、飛行中のオスプレイに向かって怒りの拳を突き上げ、「反対」を叫んだ。
連日、座り込みに参加している北谷町の源河朝喜さん(73)は「県民の反対に、日米両政府もさすがに配備を遅らせるのではと思っていたのだが」と怒りを新たにした。今後は「基地機能の強化に反対する視点を持ち、多くの県民を結集させる取り組みが必要」と語り、3日以降も野嵩ゲート前に足を運ぶつもりだ。
毎朝、65歳以上の人を中心に抗議を続けている大山ゲート前でも、この日は約20人が集まり、シュプレヒコールを上げたり、ゲート前の道路で車を徐行させて基地への出入りを阻もうとした。沖縄市の照屋秀伝さん(75)は「強行は想定内。諦めず、可能な限り戦う」と決意を示した。
沖縄平和運動センターの山城博治事務局長は「飛来を許して申し訳ない。でもありがとう。濃密な1週間だった」と座り込んだ仲間に感謝。「座り込み行動で基地の機能が止まることが証明された」と胸を張り、「熱い思いを無駄にしたくない。いつかオスプレイを追い返そう」と3日も座り込む。
市民報道メディア「インディペンデント・ウェブ・ジャーナル(IWJ)」は、連日の座り込みの様子をネットで配信。カメラを向けるIWJの原佑介さん(27)は、7日間の動きを昨年の中東民主化運動になぞらえ、「沖縄版アラブの春」と称した。「脅威にさらされてきた県民の諦めない姿勢を伝えたい」と報道を続ける。
9・9県民大会実行委員会の集会は2日で終了したが、市民らは3日以降も午前7時から午後8時まで座り込み行動を続ける。
http://article.okinawatimes.co.jp/article/2012-10-03_39763
(注:音声しか聴こえない場合は右下のyoutubeボタンをクリックして直接youtubeで視聴して下さい)
米軍輸送機オスプレイの沖縄配備については本土のメディアでも取り上げられていますが、事故多発機に対する地元の不安について言及はされても、ともすれば領土問題や安保・国防といった「上から目線」でしか報じられませんでした。私自身も、現地で抗議集会やゲート前封鎖が行われている事を知ってはいても、ここまで全県ぐるみの盛り上がりになっているとは思いませんでした。これでは私自身も他人の事なぞとやかく言えませんね。肝心の「民」を守らずして何の「国防」か。これは何も沖縄だけに限らず福島原発事故その他の問題についても全て言える事です。遅まきながらではありますが、自分自身のメモも兼ねて、本土ではなかなか報じられない「沖縄の怒り」をこちらにも転載しておきます。
・宮森の悲劇 二度と オスプレイ配備阻止へ写真展(琉球新報、2012年9月26日)
【宜野湾】米海兵隊の垂直離着陸輸送機MV22オスプレイの普天間飛行場配備に反対する機運を高めようと、1959年の宮森小米軍ジェット機墜落事故を語り継ぐ「石川・宮森630会」(豊濱光輝会長)の写真展が24日、宜野湾市役所で始まった。28日まで。
写真展では、墜落事故直後のがれきと化した宮森小の写真や担架で運ばれる児童らの写真に加え、当時の在校生らによる証言など約80点を展示している。
同日午前の開幕式で松川正則副市長は、2004年に起きた沖縄国際大学への米軍ヘリ墜落事故に触れ「記憶をつなぐことは重要で、二度と同じような事故を起こしてはいけないという思いは同じ。オスプレイ配備撤回に向け、一緒に取り組みたい」と話した。
同会の久高政治事務局長は「事故は過去の出来事ではなく、現在起こりうる沖縄の現実。事故の実情を見てもらい、オスプレイ配備反対に心一つに取り組む一助になれば」と期待、豊濱会長は「18人が命を落とした宮森小事故を教訓としなければならない」と力を込めた。
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-197357-storytopic-5.html
・300人、阻止へ拳 首長ら抗議集会(同上、2012年9月27日)
【宜野湾】県議会の各会派代表者らでつくるオスプレイ配備に反対する県民大会実行委員会による抗議集会が26日朝、米軍普天間飛行場野嵩ゲート前で始まった。呼び掛けに応じ集まった県選出・出身の国会議員や県内市町村長のほか市民団体も参加し、約300人が「オスプレイ配備断固反対」「普天間基地を閉鎖・返還せよ」などと拳を上げた。
実行委は当初座り込み行動を予定していたが、人数が膨れ上がったために抗議集会に切り替えた。27日も朝から実施する。28日以降も、強行配備に対抗する行動を起こす予定だ。
共同代表の喜納昌春県議会議長は「民主主義を日米両政府に示していく。沖縄には絶対オスプレイを飛ばさない。仮に来たとしても、一日も早く日本から排除する、そういう闘いを粘り強くやっていこう」と述べた。
県内7市町長が駆け付けた。共同代表も務める翁長雄志那覇市長は「県民大会の第2弾の運動になる。あらためて運動を盛り上げ、私たちの意思を示していこう」とあいさつ。佐喜真淳宜野湾市長は「県民大会の延長で、オスプレイに反対していく。政府にはしっかり受け取っていただきたいし、無視するのはいかがなものか」と話した。
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-197391-storytopic-3.html
・騒々しい工場内と同等 オスプレイ通過時 県の騒音測定(同上、2012年10月2日)
米海兵隊の垂直離着陸輸送機MV22オスプレイが、1日に宜野湾市の普天間飛行場に初飛来した際の基地周辺の住宅地の騒音は、最大で89・2デシベルだったことが、2日に発表された県の騒音測定結果で分かった。騒々しい工場内やカラオケ店内が目安となる90デシベルに迫る音量。
県が1日に、宜野湾市の上大謝名公民館に設置している騒音測定器で計測した。最初の2機が公民館上空を通過した午前11時6分に83・7デシベルを測定。3機目通過の同24分に86デシベル、4機目の同27分に89デシベルが計測された。5、6機目が通過した同44分が最大の89・2デシベルだった。通過時はいずれも地下鉄の車内やテレビの大音量が目安となる80デシベルを超えた。
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-197617-storytopic-252.html
・オスプレイ飛来 県民「反対」の中強行(沖縄タイムス、2012年10月1日 11時54分)
米海兵隊の垂直離着陸輸送機MV22オスプレイ6機が1日午前、一時駐機していた岩国基地(山口県)から普天間飛行場に相次いで離陸、同日正午までに6機が着陸した。仲井真弘多知事をはじめ沖縄側が配備中止を強く求める中、米軍は普天間への移動を強行した。民意に反して配備を強行した日米両政府と沖縄側の隔たりは決定的となり、激しい県民の反発を招くことは必至だ。
普天間に向かったオスプレイはまず2機が同日午前8時51分、岩国基地を離陸。続いて2機が9時5分、さらに2機が9時17分にそれぞれ離陸した。
仲井真知事は9時40分ごろ、県庁内で記者団に「県民の不安を払拭(ふっしょく)しないまま強行することは理解を超える。極めて残念で遺憾としか言いようがない」と述べた。知事は宜野湾市役所に向かい、機体の到着を確認する。普天間飛行場周辺では市民団体などが抗議行動を行い、配備反対のシュプレヒコールを上げた。
http://article.okinawatimes.co.jp/article/2012-10-01_39691
・オスプレイ:市民ら抗議のたこ揚げ(同上、2012年10月3日 09時41分)
【宜野湾】沖縄平和運動センターのメンバーら約20人が2日、普天間飛行場南側の森川公園でたこを揚げて抗議した。オスプレイが普天間に着陸する直前には大謝名からも揚がった。野嵩ゲートで座り込んだ人は「もっとたこや風船を揚げ続けるための募金を集めよう」と呼び掛け、約130人から約7万円が集まった。山城博治事務局長は「県民が本気になれば、オスプレイを止められる」とたこ揚げや風船掲揚を広く呼び掛ける考えだ。
森川公園ではフェンス越しに海兵隊憲兵隊が軍用犬を連れて警戒、公園を管理する宜野湾市職員や警察官が約20人訪れ、たこ揚げを遠巻きに見ていた。
飛行ルートに住む宜野湾市愛知の男性(44)はこの日早朝の野嵩の抗議集会に訪れて知り、たこ揚げ行動に賛同。「気合を入れてたこ揚げするなんて、沖縄の悲しい状況があるが、意思表示したい」と話した。
伊波義安さん(70)は「戦後67年の怒りが爆発するのはこれからだ。沖縄の人が誇りを持って扱われるまで終わらない」と話した。
http://article.okinawatimes.co.jp/article/2012-10-03_39770
・オスプレイ:市街地上空でヘリモード(同上、2012年10月3日 09時46分)
オスプレイは2日までに、山口県の岩国基地から9機が配備された。プロペラを垂直方向に向けるヘリモードで基地外を飛んだり、人口の多い住宅街を飛ぶこともあり、初日から9月に日米で合意した安全策に反して飛行した。「ほとんどの時間を(プロペラを前に向けた)固定翼モードで飛ぶ」ことを原則としながら、ヘリモードでしかできない急旋回で着陸するなど、米軍が意のままに飛行する実態が浮かんだ。
6機が飛来した1日は、初めの2機が中城方面から飛来し、沖縄自動車道の西原インター上空から右に急旋回し、宜野湾市の上大謝名区方向から進入、着陸。3~6機目は那覇軍港方面から浦添を通って滑走路に入ってきた。
いずれのルートでも、複数の機体がヘリモードで、市街地上空を飛んでいるのを住民や本紙記者が確認。日米が合意した安全策はヘリモードの飛行を基地や訓練場内に限定しており、目撃した住民からは「合意を守っていない」との批判が相次いだ。
3機が飛んできた2日は、北中城村方面から中城村をへて普天間に。人口密集地を避けることになっているが、その間、住宅街上空を飛んだことになる。
3機は1日と異なり、滑走路東側を右に急旋回し、滑走路の中ごろを目指して進入した。真横から入るには急激にスピードを落とす必要があり、市街地上空でヘリモードにせざるを得なくなる。
ヘリモードでの市街地飛行に、宜野湾市の佐喜真淳市長は「安全策は今後も守られると思わない」と厳しくみている。
http://article.okinawatimes.co.jp/article/2012-10-03_39766
・オスプレイ:市民「沖縄版アラブの春だ」(同上、2012年10月3日 09時57分)
反基地運動で復帰後初めて普天間飛行場のゲートを封鎖し、警官と衝突した市民の座り込み行動。1週間がたった2日、オスプレイ配備の強行に、この日も野嵩ゲート前には、午前7時ごろから200人以上の市民が集まり、飛行中のオスプレイに向かって怒りの拳を突き上げ、「反対」を叫んだ。
連日、座り込みに参加している北谷町の源河朝喜さん(73)は「県民の反対に、日米両政府もさすがに配備を遅らせるのではと思っていたのだが」と怒りを新たにした。今後は「基地機能の強化に反対する視点を持ち、多くの県民を結集させる取り組みが必要」と語り、3日以降も野嵩ゲート前に足を運ぶつもりだ。
毎朝、65歳以上の人を中心に抗議を続けている大山ゲート前でも、この日は約20人が集まり、シュプレヒコールを上げたり、ゲート前の道路で車を徐行させて基地への出入りを阻もうとした。沖縄市の照屋秀伝さん(75)は「強行は想定内。諦めず、可能な限り戦う」と決意を示した。
沖縄平和運動センターの山城博治事務局長は「飛来を許して申し訳ない。でもありがとう。濃密な1週間だった」と座り込んだ仲間に感謝。「座り込み行動で基地の機能が止まることが証明された」と胸を張り、「熱い思いを無駄にしたくない。いつかオスプレイを追い返そう」と3日も座り込む。
市民報道メディア「インディペンデント・ウェブ・ジャーナル(IWJ)」は、連日の座り込みの様子をネットで配信。カメラを向けるIWJの原佑介さん(27)は、7日間の動きを昨年の中東民主化運動になぞらえ、「沖縄版アラブの春」と称した。「脅威にさらされてきた県民の諦めない姿勢を伝えたい」と報道を続ける。
9・9県民大会実行委員会の集会は2日で終了したが、市民らは3日以降も午前7時から午後8時まで座り込み行動を続ける。
http://article.okinawatimes.co.jp/article/2012-10-03_39763