2004年ウクライナ大統領選挙における州別得票分布。親ロシア系候補ヤヌコーヴィチの票が多い地域を青、親欧米系候補ユーシチェンコの票が多い地域をオレンジで着色。この分断状況に乗じて後者による前者の追い落としが始まる。後者陣営のシンボルカラーがオレンジなので「オレンジ革命」と呼ばれる。
2014年ユーロマイダン革命発生時の首都キエフにある独立広場の様子。こちらは親欧米派(ユーロ)による広場(マイダン)占拠がきっかけなので「ユーロマイダン革命」と呼ばれる。いずれの図や写真もウィキペディアから引用。
興味深い映画を見つけた。「ウクライナ・オン・ファイア」というドキュメンタリー映画だ。「プラトーン」などの映画を手がけたオリバー・ストーン監督が総指揮して仕上げた作品だそうだ。Netflix(ネットフリクス)の動画を誰かがYouTube(ユーチューブ)に上げたものを私も偶然観る事が出来た。
違法ダウンロードの可能性のあるリンクを貼るのもどうかと思ったが、それでも「知る権利」保障の公益性の方が優ると考えたので、敢えてここにリンクを貼る事にした。全部観るには約1時間半もの時間を要するので、出来れば時間に余裕のある時に観た方が良いだろう。
今ウクライナを巡っては、ロシアの侵略ばかりがクローズアップされるが、この映画を観た後は、それが如何に浅薄な物の見方であったか思い知らされた。ウクライナでは2004年のオレンジ革命に続き、2014年にもユーロマイダン革命という政変が起きる。いずれも独裁化した前政権に対する反政府運動が発展したものだが、それを欧米諸国が支援していた。
「欧米諸国が民主化を支援した」と言えば聞こえが良いが、実際には米国CIA(中央情報部)がウクライナ国内のネオナチを扇動して、ロシア系住民に対する虐殺を引き起こしたと、この映画は主張している。この虐殺が引き金となり、ウクライナ東部地域の独立、ロシアのクリミヤ半島併合、ウクライナ東西分裂、現在のロシアによる「独立国家承認」と、ウクライナ侵略に連なる一連の事件を引き起こしたと。そして、ウクライナだけでなく、中東諸国に広がった市民革命の波「アラブの春」など、他国の騒乱についても、CIAが関与したと。
私は、少なくとも「アラブの春」については、そういう側面も必ずしも無きにしも非ずかも知れないが、それでも基本的には独裁反対の民主化運動だと思っている。何故なら、「アラブの春」は左派軍事政権の国(シリア、リビア等)だけでなく親米独裁政権の国(エジプト、サウジアラビア等)でも例外なく起こっているからだ。
しかし、CIAが民主化支援を装いながら、他国の内政に干渉して来たのも、まぎれもない事実だ。例えば、1970年代に南米チリで起こったアジェンデ社会主義政権打倒クーデターにも、CIAが裏で関与していたのは、もはや公然の秘密だ。21世紀に入ってからも、米国政府機関NSA(国家安全保障局)が個人のネット情報を自由に盗聴していた事を、スノーデンが暴露している。
私はこの映画を観て、ウクライナという国の悲哀を改めて思い知らされた。周囲に高山や海などの天然の障壁に乏しく、生じっか大草原の穀倉地帯に国があるばかりに、周辺大国の覇権争奪の場にされ、ずっと内政干渉に晒されて来たのだから。それは次のウクライナ国歌の一節にもよく現れている。
ウクライナの栄光も自由もいまだ滅びず、
若き兄弟たちよ、我らに運命はいまだ微笑むだろう。
我らが敵は日の前の露のごとく亡びるだろう。
兄弟たちよ、我らは我らの地を治めよう。
我らは自由のために魂と身体を捧げ、
兄弟たちよ、我らがコサックの氏族であることを示そう。(国家の引用はここまで)
ウクライナは、1991年のソ連崩壊で、ようやく念願の独立を勝ち取る事が出来た。しかし、その後も大国の干渉は続いた。長年に渡る諸民族興亡の歴史を反映して、ウクライナ国内には様々な少数派集団が地域に分立している。その代表的なものが、東部を基盤とするロシア系住民と、西部を基盤とするポーランド系住民の対立だ。狭義のウクライナ人は、あくまで後者のみを指す。
その住民対立によって、政治も親ロシアと親欧米に二分され、同じような顔ぶれの政治家に政治をたらい回しにされて来た。歴代の大統領・首相の一覧表を見るだけでも、親ロシアのヤヌコーヴィチや、親欧米のユーシチェンコ、ティモシェンコなど、ごく少数の政治家に、政治が私物化されて来たのが分かる。
これではロシア帝国の昔とさほど変わらない。政治は常に親ロシアか親欧米かで争われ、それ以外のテーマは全て蚊帳の外に置かれて来た。ウクライナには、チェルノブイリ原発事故の後始末も含め、早急に解決しなければならない問題が他に幾らでもあるにも関わらず。
勿論、私はこの一事を以てロシアの侵略を免罪する気は更々無い。ロシア政府も、女性ジャーナリストを拉致したり、英国に亡命した元KGB(ソ連国家保安委員会)スパイのリトビネンコを毒殺したりと、冷酷無比である点については、米帝やネオナチとも人後に落ちないのだから。
ウクライナに真の民主主義が訪れ、真の自由や公正、平和を人々が手にする事が出来るようになるのは、一体いつの日になるのだろうか?
先日、本屋に立ち寄ったら一冊の本が目につきました。坂夏樹・著「命の救援電車-大阪大空襲の奇跡」(さくら舎)です。1945年3月14日未明の大阪大空襲で、深夜で動いていないはずの地下鉄がその日は動き、市民を安全な場所まで運んだ…という逸話について調べた本でした。私もそういう話がある事は知っていましたが、公式記録は一切残っていません。地下鉄自体は空襲の被害を免れたとしても、空襲であたり一面焼け野原となった大阪で、電車を動かす余裕なぞあろう訳がありません。私は今まで、これは単なる「都市伝説」だろうと思っていました。ところが、実際にその証言を集め、真偽を確かめた本が、こうして目の前にあります。思わず購入し、2日間で一気に読み終えました。
実際に、「3月14日の未明も地下鉄だけは動いていた。その為に、都心の心斎橋から梅田・天王寺方面に、電車に乗って避難できた」という証言が、数多く存在し、新聞やNHKの朝のドラマでも取り上げられて来ました。その一方で、そのような公式記録は一切存在せず、真相は闇の中でした。その中で、本書は数々の証言を繋ぎ合わせる事によって、救援電車の全体像を浮かび上がらせる事に成功しました。
大阪の地下鉄は、1933年に梅田・心斎橋間で開業したのが最初です。そして、大阪大空襲の頃までには、梅田から天王寺まで繋がっていました。当時、地下鉄が開通していたのは東京と大阪だけです。東京の地下鉄は民間の手によって開業し、既存の道路に沿って建設が進められました。その為にカーブが多く、トンネルも浅く掘られた為に、空襲では大きな被害が出ました。それに対し、大阪は、御堂筋の建設など、当時の都市計画に沿って、大阪市主導で建設が進められました。その為に、幹線道路沿いにまっすぐに伸び、トンネルも深く掘られたので、空襲下でも電車を動かす事は可能でした。
しかし、それでも疑問は残ります。①空襲があったのは前日の深夜から未明にかけてです。普段でも送電は止められている時間帯です。ましてや空襲の混乱の中で、どのようにして送電が行われたのでしょうか?②当時の地下鉄路線は、梅田・天王寺間と、途中の大国町から枝分かれして花園町まで一駅の区間しかありませんでした。いずれも都心部で、どこも空襲の被害を免れる事は出来なかったはずです。どこにそんな「安全な場所」なぞあったのでしょうか?③当時の国民は防空法という法律で、空襲下においても初期消火の義務が課されていました。空襲だからと言って、簡単に避難なぞ出来なかったはずです。
それに対し、本書では次のように答えています。①大阪市の幹部の中には、3月10日に東京、12日に名古屋が大空襲に見舞われた事から、次は14日に大阪が狙われると予想していた人もいました。その為に、当日は夜も地下鉄への送電を止めないよう極秘指令が出ていたのです(当時は電力供給も大阪市が担っており、自前の変電所も所有していました)。②大阪大空襲では、米軍は市内の東西南北4ヵ所に照準を定め、逃げ道をふさいで市内を絨毯(じゅうたん)爆撃する焦土作戦を展開しました。そうする事で、戦意喪失を狙ったのです。しかし、その中で、北区扇町付近に設定された照準点だけは、他の3ヵ所とは違い、延焼範囲は小幅に収まりました。多分、梅田のビル街で延焼が食い止められたのでしょう。その結果、梅田方面に逃げた人は助かったのです。
上記は「命の救援電車」に掲載された空襲当時の大阪市街図。◎印の4ヵ所の照準点のうち、北区扇町の照準点(図中の爆撃中心点4=赤枠で囲った部分)のみ延焼範囲が小さい事が分かる。
勿論、戦時下の事ですから、地下鉄もダイヤ通りの運行なぞ出来るはずありません。車両が故障しても直す部品がなく、整備不良のままで地下鉄を運行していたので、常に事故の危険とは隣り合わせです。動かせる車両も限られ、間引き運転が常態化していました。空襲警報が発令されれば、もうそこで運転は取りやめです。そうやって前夜に運転を打ち切り、途中駅に止まっていた車両や、送り列車(始発電車を運転する運転手と車掌を運ぶ回送列車)や始発電車などが、救援電車として走ったようです。
③避難民を地下鉄の駅に誘導したのは駅員だけではありません。警察官や憲兵の中にも、少なくない人たちが避難民を駅に誘導しています。初期消火もせず逃げ出した市民なぞ、彼らからすれば、取り締まるべき「非国民」に過ぎないはずなのに。ひょっとしたら、彼らも、焼夷弾の威力を目の当たりにして、初期消火の非を瞬時に悟ったのではないでしょうか?燃えるガソリンが空中で一杯炸裂してあたり一面に降り注ぐ。それが焼夷弾です。消防車ですら手も足も出ないのに、初期消火の「バケツリレー」なんかで、焼夷弾に対応できる訳がないでしょう。
戦時中はマスコミは完全に統制されていました。この3月14日未明の大阪大空襲すら、実際は米軍のB29が274機もの大編隊で大阪に襲い掛かり、市内を焦土と化した挙句に、ほとんど無傷で生還しているのに、大本営発表では「90機中11機撃墜、60機以上に損害を与えた」事になっています。大阪大空襲の日の朝も、空襲の被害に遭わなかった梅田駅では、普段と変わらぬ服装で乗車し、心斎橋駅から乗ってきた避難民と遭遇して、初めて大空襲があった事を知った人もいたようです。その日、救援電車が走った事も、公式記録からは抹殺されました。
当時、国民には「時局防空必携」という冊子が配られ、「焼夷弾なんて発火する前に庭につまみ出せば大丈夫」「それよりも延焼を防ぐために焼夷弾の落ちた周囲に水を撒け」という、もうトンデモとしか言いようのない指示が、政府や軍部から出されていました。その為に、東京大空襲では10万人もの都民が焼け死ぬ事になってしまったのです。大阪大空襲の死者も、公式には4千人とされていますが、実際には数万人に上るだろうと言われています。
上記は大前治・著「逃げるな、火を消せ! 戦時下『トンデモ防空法』」(合同出版)に掲載の当時の防災ポスター。「焼夷弾の火を消すよりも周囲の延焼を防げ」と、トンデモな解説をしている。焼夷弾の火がついた瞬間、周囲の全ての物が黒焦げとなるのに。
これは何も戦時中の大阪の地下鉄だけに限った話ではないでしょう。今も、多くのコロナ重症患者が、医療崩壊で病院に入院も出来ずに、自宅待機のうちに亡くなっています。マスコミで報じられる毎日の感染者数や陽性率も、PCR検査もろくに行われない中で、少なく見積もられた数に過ぎません。ワクチン接種も、諸外国と比べ、遅れに遅れまくっています。その中で、五輪だけは小学生も動員して歓迎行事が行われようとしています。この隠ぺい・ゴマカシ・弱者切り捨て体質こそ、戦時中の「大本営発表」「時局防空必携」と瓜二つではないか!
その戦時中のマスコミ統制の中においてすら、大阪大空襲の日時を正確に言い当て、防空法違反に問われるのも承知の上で、市民に避難を促した人たちがいました。「非国民」であるはずの防空法違反者を地下鉄に誘導して、市民の命を救った警察官や憲兵も少なからずいました。ところが、空襲の夜に救援電車が走った事は、もはや隠しようのない事実なのに、いまだに公式記録からは抹殺されたままです。抹殺の理由については、戦後の戦犯追及を逃れるためだと言われていますが、私はそれだけではなく、防空法違反に問われるのをおそれたからでもあると思います。今からでも遅くはないから、史実の掘り起こしと関係者の表彰を行うべきです。
マスコミも「大本営発表」ばかり垂れ流さず、もっと真実を報道すべきです。市民もいたずらに「大本営発表」だけに頼るのではなく、自分でも真相を知ろうと努力し、行動すべきです。自身と仲間の命を守り、日本の民主主義を守る為にも。













映画は学生運動とは何の関係もありませんでした。東京の映像制作会社に勤めるAD(アシスタントディレクター)のスヤマと、そのスヤマがインタビューした引きこもり青年のモトヤマ。この2人がこの映画の主人公です。(映画の公式HPではスヤマだけが主人公のようですが、私はモトヤマも含めるべきだと感じました)
引きこもりのモトヤマを取材する際の先輩ディレクターの強引なやり方に反発したスヤマが、先輩と喧嘩になった事で、会社の中に居づらくなり、かつて不良少年の取材に訪れた釜ヶ崎のドヤ街を再び訪れる所から、この物語は始まります。
確かに先輩ディレクターのモトヤマに対する取材姿勢は強引でした。せっかくスヤマがモトヤマと打ち解け始めた矢先に、いきなりモトヤマの部屋に闖入(ちんにゅう)し、自分達が勝手に思い描いたストーリー通りに、モトヤマを型にはめようとしたのですから。
しかし、その非をなじるスヤマ自身も、先輩ディレクターに負けず劣らず横暴で自分勝手な人間である事が、次第に明らかになっていきます。「俺と一緒に仕事しないか?」とモトヤマを大阪に呼び寄せながら、給料も払わず、逆に飲食費やドヤ代までモトヤマにたかるのですから。
スヤマは、西成で、かつて取材した不良少年の居所を突き止め、それを元に番組を完成させ、テレビ局に売り込む事で、ディレクターとして自立しようと考えました。それで、わざわざモトヤマを大阪に呼び寄せ、自分の助手として使おうとしたのです。
2人は、それぞれ別のドヤに住みながら、何とか不良少年の居場所を突き止めようと、新世界や釜ヶ崎、飛田新地一帯で人探しのビラを撒き始めます。しかし、一向に手がかりは掴めません。イライラを募らせたスヤマは、次第にモトヤマに当たり散らすようになります。
そのくせ、スヤマは行きずりの謎の女と意気投合し、ドヤでセックスした挙句に、女に財布を盗まれ、一文無しになってしまいます。そして、モトヤマから金を借りようとし、モトヤマから逆に給与支払いの催促を受ける羽目になります。
スヤマは、三角公園での炊き出しや、野宿者専用のシェルターを利用しなければいけない所まで、身を持ち崩してしまいます。そして、手配師の勧めで、建物解体の日雇い労働で働いている最中に、釘を踏んで足を怪我してしまいます。土木工事の親方からも「何が西成のリアリティーや?まず自分のリアリティーから見つめ直せ」となじられる有様です。
家族に黙って大阪までやって来たモトヤマも、弟に足取りを掴まれてしまいます。そして、大阪まで来た弟に、暴力的に連れ戻されそうになります。大阪には弟だけでなく前述の先輩ディレクターもついて来て、モトヤマをテレビ番組のネタにしようとします。弟の兄に対する暴力的な態度からは、兄への愛情が一切感じられませんでした。実際は兄の事を疎んじながら、兄弟としての義務感から、仕方なく大阪まで来たという感じでした。
その中で、「黙ってないで何とか言え」とけしかけるディレクター達に、モトヤマが発した次の怒りの言葉が、観客の心に突き刺さります。「若者のリアリティーを掴むとか何とか言って、弱者に寄り添うふりをしても、お前たちはただ上から俺たちを見下しているだけじゃないか!」と。私はここで、モトヤマもこの映画の主人公であると確信しました。
スヤマは、ついに覚せい剤にまで手を出してしまいます。それでも、ヤクザに連れられ、売人のマンションで覚せい剤を注射される場面を、ビデオに自撮りしようとしたのは、やはりディレクターになる夢をまだ諦めていなかったのでしょう。ヤクザがスヤマに「今まで色々ツラい事があったんだろう」と優しく声をかける場面も不気味でした。「こうして人は覚せい剤のとりこになって行くのだろう」と戦慄を覚えました。
それは映画「万引き家族」と対比すればよく分かります。あの映画も、一見貧しい一家が寄り添い助け合っているかの様に見えて、実はとんでもない家族であった事が、後に判明します。それは、親父は万引き稼業で生計を立て、幼い息子に真似させていただけではありません。その息子も実の息子ではなく、母親がさらって来た他人の子どもでした。おまけに祖母は亡くなった祖父の年金を死後も掠め取り、娘は家族に黙ってイメクラで小遣い稼ぎに精を出す。
しかし、たとえそんな家族でも、近所のDV被害者の女の子をかくまう中で、家族としての絆を深めて行きます。一時は息子を捨てて一家総出で夜逃げを企んだりしましたが、最後には万引き親父が、実の家族の元に帰る息子を追って別れを惜しむ場面で終わります。いかに「正義ヅラした偽善」であっても、そこに幾ばくかの正義がある限り、正義としての価値が損なわれる事はない...。そのメッセージが「万引き家族」の観客を勇気付け、パルムドール(カンヌ国際映画祭最高賞)受賞に結びついたのです。残念ながら「解放区」にはそれが余り感じられませんでした。



西成にもそんな「正義」はあるはずです。西成には確かにヤクザや覚せい剤の売人も多いですが、それに抗する人達も決して少なくはありません。年がら年中、炊き出しが行われ、年末には「1人の凍死者・餓死者も出すな」と見回り活動が繰り広げられる。そういう意味では、決してただの「お先真っ暗闇」のスラムやゲットーではない。
今秋、あいちトリエンナーレで行われた「表現の不自由展」に対して、一旦は認められた助成金交付が、「展示が反体制的だから」という理由で覆された事がありました。政治的メッセージが強く、公民館では展示を渋るような作品にも、芸術的価値があるからこそ、展示しようという企画だったにも関わらず。
実は「解放区」もそんな映画でした。当初支給されるはずだった映画助成金が、大阪市の反対で支給されなくなりました。「引きこもりや覚せい剤取引の場面が、引きこもり患者や西成への偏見を助長する」というのが、助成金支給見送りの表向きの理由でした。ところが実際は、それは単なる口実に過ぎませんでした。「臭い物に蓋」「寝た子を起こすな」...これが当局の本音でした。その辺は、「風評被害が福島差別を助長する」という口実で、放射能汚染の実害が隠蔽されようとしている構図とよく似ています。
しかし、この映画から、引きこもりや覚せい剤取引の場面をカットしてしまったら、映画そのものが成り立たなくなります。そこで、助成金には頼らず、自費とカンパだけで映画製作が続けられました。
主人公のスヤマ自身も監督が演じています。薬の密売人も元密売人が演じています。このような手弁当での悪戦苦闘の中から、ようやく映画公開にこぎ着ける事が出来たのです。折角、セミドキュメンタリー映画としては、これまでにないリアルな作品に仕上がったのだから、偽善の告発だけでなく、それを乗り越えようとする展望も指し示す事が出来たら、この映画はもっと素晴らしい物になると思います。
後で思い返せば、この映画にも、実はそういうメッセージが含まれていたのかも知れません。炊き出しや越冬まつりの場面が、映画に頻繁に出てくるのも、その一つの現れではないかと思います。少なくとも、単なる観光客向けのイベントに過ぎない「新今宮フェスティバル」よりは、よっぽど深みのある映画に仕上がったのは確かです。しかし、私にとっては、それはいつしか後景に退けられ、「偽善告発」のイメージだけが印象に残る「身も蓋もない話」で終わってしまいました。まさに「画龍点睛を欠く」という想いです。
大村知事「河村市長の主張は憲法違反の疑いが極めて濃厚」…県には”京アニ放火”に言及した脅迫メールも https://abematimes.com/posts/7013626 大村知事の言う通り。大村も河村たかしも同じ減税日本の穴の貉だと思っていたが、大村はまだ基本的人権の何たるかを理解している。それだけでも河村より遥かにマシ(8月5日)
大阪府知事、愛知の知事は「辞職相当」 表現の不自由展:朝日新聞https://www.asahi.com/articles/ASM875WW0M87PTIL023.html … 反日と叫べば何でもアリか?そんな理屈が通るなら、日本にポンコツ戦闘機を押し付ける米国も反日として、大使館にガソリン携行缶持ってお邪魔しても良いのか?吉村のイケメンは外見だけで中身は極右そのもの(8月7日)
宮本徹認証済みアカウント @miyamototooru
大村氏、大阪・吉村知事の発言に「はっきり言って哀れ」:朝日新聞 https://www.asahi.com/articles/ASM884RWCM88OIPE01D.html … 「憲法21条についてまったく理解していない。公権力を持っている人がこの内容はよくて、この内容はだめだとずっと言っている。日本維新の会は表現の自由はどうでもいいと思っているのではないか」
愛知トリエンナーレの慰安婦像に難癖付けてる奴等は、この広島原爆死没者慰霊碑の「安らかに眠って下さい。過ちは二度と繰り返しませぬから」の碑文にも「反日だ。平和記念式典に公費支出するな」と難癖付けるのだろうか?(8月8日)
河村たかし、吉村洋文らは、あいちトリエンナーレの慰安婦像や天皇を揶揄した作品は不敬反日で表現の自由の埒外だと宣う。しかし、その程度の「不敬」でも許されないなら、反戦平和・主権在民を唱えて天皇制政府に虐殺された小林多喜二はどうなる?不敬どころか鬼畜にも劣る所業ではないか!(8月12日)
あいちトリエンナーレの展示会では慰安婦像だけでなく天皇と女性ヌードのコラージュ写真も槍玉に挙げられたが、何故この程度の皮肉も許されないのか?これを不敬だ反日だと言うなら、戦前に特高警察が天皇の名で行った弾圧や虐殺は一体どうなる?その責任も取らずに不敬を云々する事自体許されない(8月14日、以下同じ)
戦前に特高警察の拷問で虐殺された小林多喜二が一体何をした?北洋漁場の蟹工船内で行われていた搾取の実態を小説で告発しただけじゃないか。それを特高は天皇制国家への反逆として虐殺した。それこそよっぽど自由や民主主義に対する反逆じゃないか。不敬だ何だ言う前にその責任をまず先に取れ!
「ゆきゆきて神軍」もそうだ。ニューギニア戦線で空腹を凌ぐ為に部下の人肉を食らった上官の責任を追及した映画だ。主人公は天皇にパチンコ玉を投げた罪で服役した。天皇にも戦争責任ありとして。本当に悪いのは主人公ではなく上官や天皇なのに、不敬だと封殺するファシズムを許してはならない
幾ら醜い真実でも、真実である以上は目を背けてはならない。それを醜いからと言って封殺してしまったら、原爆資料館の展示も出来ない事になってしまう。そんなに観たくなければ観なければ良い。観たい人の観る自由を奪うな。自分の意見が通らないからと言って暴力で封殺するのは只の我儘でしかない
(参考資料)
日本:あいちトリエンナーレ「表現の不自由展・その後」の中止に深刻な懸念(アムネスティ日本)
2019年8月 8日[日本支部声明]国・地域:日本トピック:国際人権法
国際芸術祭『あいちトリエンナーレ2019』の企画として8月1日より開催されていた「表現の不自由展・その後」が、数々の政治的な圧力や匿名の脅迫行為などの攻撃によって中止に追い込まれた。アムネスティ・インターナショナル日本は、公人による発言や匿名の脅迫者による圧力によって市民の表現の自由が侵害されたことに深刻な懸念を表明する。
この企画展における展示に「慰安婦」問題や天皇制などを題材とした作品が含まれていることが明らかになると、それらの展示を問題視する発言がインターネット上に現れた。8月2日には、菅官房長官と柴山文科大臣が同展を問題視して、芸術祭に対する補助金支出の見直しに言及した。河村たかし名古屋市長は同展を視察した上で、展示中止を求める「抗議文」を愛知県知事に提出した。自民党の国会議員らも展示は政治的プロパガンダであるとの意見を表明した。あいちトリエンナーレ実行委員会事務局には、メールや電話で多数の抗議が寄せられ、中にはテロ予告や脅迫もあったとされる。こうした状況下で、実行委員長の大村秀章知事と津田大介芸術監督は、8月3日に同展の中止を発表した。
自由権規約(国際連合 市民的及び政治的権利に関する国際規約:日本は1979年に批准)第19条は、締約国に対して、表現の自由の権利を保障すべき法的義務を課しており、特に公人は、表現の自由を保障し尊重する法的義務を負っている。しかし、官房長官、大臣、国会議員、市長らの今回の言動は、この法的義務に違反して同展中止に政治的圧力をかけるものであり、同展企画者および出展者の表現の自由を侵害するものである。
国連自由権規約委員会の一般的意見34(2011年)は、「締約国は、表現の自由についての権利を行使する人々を封じることを目的とした攻撃に対し有効な措置を講じなければならない」と述べており、日本政府には、同展への攻撃に対して、関係者の安全を保障し、脅迫行為については捜査を行うなど、表現の自由を守るための具体的かつ有効な措置を取る責任がある。日本政府は、「表現の不自由展・その後」に向けられた脅迫や攻撃に対して、同展関係者および『あいちトリエンナーレ』全体の安全を保障し、表現の自由を守るために具体的な措置を講じるべきである。
「表現の不自由展・その後」が中止に追い込まれて以来、実行委員会メンバーや、同展参加者を含む『あいちトリエンナーレ』参加アーティストらから、同展の再開や安全の確保を求める声が上がっている。アムネスティ日本は、「表現の不自由展・その後」における表現の自由の侵害を助長した複数の公人の言動に強く抗議するとともに、日本政府に対して、同展が再開できる環境を早期に整えるために必要な具体的措置をただちに取り、表現の自由を守るための有効な措置を取る責任を果たすよう強く求める。
以上
今度の米国の中間選挙では、アレクサンドラ・オカシオコルテスやイルハン・オマール等、今までなら考えられなかった顔ぶれの候補者が、民主党の下院議員として多数当選した。オカシオコルテスの前職はレストランのウェイトレスで、米国ではタブーとされる社会主義政策による格差是正を主張している。
イルハン・オマールもケニアの難民キャンプで生まれたソマリア系移民で、米国で必死に英語を習得し、イスラム教徒女性として初めて下院議員に当選した。日本のマスコミはトランプの一挙手一投足しか伝えないが、米国社会の底流ではこの様な変化が既に起こっている。
その背景を探る映画「華氏119」を先日観てきた。映画監督はご存知マイケル・ムーア。今までも数多くの映画で米国の暗部を暴露し、それに代わる未来を提示してきた。今回の映画も、かつて「華氏911」でイラク戦争の欺瞞(ぎまん)を追及したのと同様に、米大統領選挙でのトランプ当選のカラクリを指摘したものだ。
移民国家の米国で、なぜ外国人排斥を唱えるトランプが大統領に当選できたのか?失業地帯のラストベルト(五大湖沿岸の斜陽産業ベルト地帯)で外国人に職を奪われる白人労働者の扇動に成功した、そもそも米国の選挙制度自体が大政党や多数派有利に出来ている等、理由は色々あるが、映画が焦点を当てたのは、前大統領オバマの裏切りだ。
ブッシュ共和党政権のイラク戦争や格差拡大への批判をバネに誕生したオバマ民主党政権も、年を経る毎に次第に右傾化し、国を牛耳る大資本や軍需産業に阿(おもね)る政策を取る様になった。そして、それを批判するバーニー・サンダース等の党内左派を排除する為に、予備選挙の票を改竄(かいざん)する事までやってのけたのだ。
このオバマの裏切りに失望した1億もの有権者が次の大統領選挙で棄権に回った為に、票数では民主党クリントン陣営の方が300万票も上回っていたにも関わらず、大きな州の大統領選挙人をより多く獲得できた共和党トランプ陣営の勝利を許してしまったのだ。
その裏切りを象徴する事件がムーア監督の故郷ミシガン州フリントでも起こっていた。トランプが米大統領に当選する数年前に、ミシガン州では既にスナイダーというミニ・トランプみたいな人物が州知事に当選し、トランプさながらの独裁者として、富裕層を優遇し、批判勢力の組合弾圧に奔走していた。
ミシガン州知事スナイダーは水道民営化を推進し、故郷フリントの水道局を民間企業に売却。民間企業は儲け本位の経営に走り、設備のメンテナンスを怠った結果、水道水が有害な鉛で汚染されてしまった。その為、多くの市民が鉛公害で苦しめられる事になったが、知事は環境データを改竄し、この事実を隠蔽(いんぺい)。
怒った市民は州知事を追及し、教師のストライキに合流。追い詰められた州知事は、何と政敵である前大統領オバマに救援を頼んだ。市民や組合にも影響力のあるオバマに宥め役を頼んだのだ。しかし、市民の歓呼に応え登場したオバマは、水道水の水を飲む事もなく、一方的に州の安全宣言に加担するのみだった。
まるで、昔の日本の足尾銅山鉱毒事件やイタイイタイ病事件を彷彿(ほうふつ)させる様な出来事だ。最近では福島の原発事故がこれに相当する。日本では、この様な事が起こっても、僅かばかりの補償金と引き換えに、事態の幕引きが行われて来た。当事者の刑事責任は問われず、逆に水道民営化が推し進められようとしている有様だ。
今の日本も米国と同じだ。安倍・福田・麻生のデタラメ政治、派遣村の惨状に怒った有権者が、せっかく自民党を下野させ民主党への政権交代を成し遂げながら、民主党の裏切りに幻滅し、再び自民党の安倍を政権に呼び戻してしまった。お陰で安倍はやりたい放題。モリカケに公文書改ざん、高プロ導入、消費税増税。
その挙句に、今度は水道まで民営化しようと企んでいる。電気代は別でも水道代だけは家賃に含まれている物件が多いのは何故なのか?電気やガス以上に水が人間の生存に欠かせないからじゃないか。それを企業の金儲けの道具にしてしまったら一体どうなる?
南アフリカでは1千万人が水道水を飲めなくなり汚染された川の水を飲んでコレラに感染。ボリビアでは水道料金の高騰に怒った民衆デモで政権が倒れる事態に。金儲けの為なら国民の命も水メジャーに売り渡そうとする安倍の、一体どこが保守の愛国者なのか?それでも日本ではいまだ安倍は安泰。
ところがフリントの市民や米国民は諦めなかった。如何に選挙制度が大政党や支配層に有利に歪められていようと、自分達に今何が出来るか追求する中で、市民や労働者の代表を政界に送り込む事に成功した。それが今度の選挙でのウェイトレスやソマリア難民、先住民出身の下院議員、同性愛者の州知事当選だ。
トランプみたいなトンデモが大統領に当選した直後は、米国も日本と同じだと思ったが、やはりそれでも民主主義の伝統は生きていた。マスコミはトランプ批判の矛先を緩めなかった。麻生に少し脅されただけでもう何も言えなくなる日本のマスコミとは大違いだ。
日本では未だこの様な動きは国政では見られない。しかし地方レベルでは確実に広がっている。それが相次ぐ反原発知事の誕生や、国の米軍基地押し付けを今も拒否し続ける沖縄県知事選の勝利だ。京都の大山崎町長選では立憲民主党まで抱き込まれる中でも市民派が勝利した。決して諦めてはならない。
今度の米国中間選挙で下院議員に当選したオカシオコルテスも、前職は一介のウェイトレスだった。それなのに、健康保険制度すら「アカ」と忌み嫌い、オバマケアすら拒否する国民相手に、「民主的社会主義」による格差是正を主張して堂々当選を勝ち取った。
銃乱射事件に遭遇し、トランプ政権や全米ライフル協会相手に銃規制を訴えるエマ・ゴンザレスも現役の高校生だ。俺も、国会議員は無理としても、今バイトとして働いている職場の「オカシオコルテス」ぐらいにはなれるかも知れない。どんな人間も、希望を捨ててしまったら、もうそこで終わりだ。
(参考記事)
28歳女性がベテラン議員破る 米民主党の新星から学ぶ3つの教訓
https://forbesjapan.com/articles/detail/21863/1/1/1
「私のような女性は、選挙に出るべきではないとされている。私は裕福な家庭や有力者の家庭ではなく、自宅の郵便番号で運命が決まるような場所に生まれた」、でも、マスコミから泡まつ候補扱いされる中でも、「若者、有色人種、英語が第2言語の人、労働者階級の人、2つの仕事を掛け持ちしているため忙し過ぎて投票できない人」に焦点を当てた選挙戦を展開し、予備選で10倍もの選挙資金を集めた党内ナンバー4の現職候補を押しのけて民主党候補に推薦され、遂に定数1の下院選で当選を勝ち取った。(カッコ内はいずれもオカシオコルテス自身の言葉)
「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」(日本国憲法第13条)
「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。」(同25条)
昨夜放送の「ケンカツ(健康で文化的な最低限度の生活)」、観ました?区役所で生活保護を担当する新米ケースワーカーの頑張りを描いた連続テレビドラマですが、昨日の回はいつもの貧困問題に加え、児童虐待の問題も取り上げていて、「毒親」を抱える私にとっても、非常に身につまされる話でした。
島岡光(しまおか・こう)という、うつ病の若者が、区役所に生活保護申請に訪れますが、扶養照会を頑なに拒否します。扶養照会とは、扶養意思や経済力の有無を申請者の家族に問い合わせ、有りと判断されればそちらを優先する手続きの事です。光の父である島岡雷(しまおか・あずま)は総合病院の院長で、光を扶養する意思も示すのですが、光は父親と会う事さえ頑なに拒否し、その理由も言おうとはしません。
しかし、そんな事で生活保護受給を認めていたら、どんどん保護費が膨らみ、不正受給が幅を利かすことになると、業を煮やした生活保護課の係長・京極は、部下の新人ケースワーカー・義経えみるに扶養照会を強行させます。扶養照会で光が保護申請した事を知った雷は、区役所を訪れ、義経達に「今後は自分が息子の面倒を見る。これから息子と会って話をする」と言います。それを受けて、義経が光に、今から父親がそちらに向かう事を知らせますが、光は親父から逃れようと、アパートを逃げ出し駅で投身自殺を図ります。
幸い光は一命を取りとめ、病院に入院して怪我の治療を受ける事になりますが、オムツ交換の際に暴れて手がつけられなくなります。実は光は子供の頃に父親の雷から性的虐待を受けていて、それがトラウマとなってPTSDを発症していたのです。
それを聞いた京極係長は、扶養照会を強行した事を反省し、今後は光の立場に立った自立支援をする事を誓います。しかし、その直後に、父親の雷に息子の入院先を突き止められてしまいます。雷は、自分の名前では面会を許可されないので、区役所訪問で手に入れた京極の名刺を悪用し、京極に成りすまして息子を無理やり連れ帰ろうとします。それを病院の婦長や義経・京極たちが寸での所で食い止め、島岡光を守り、保護受給につなげます。
このドラマの中でも、父親の雷が、事ある毎に「私達は親子なのだから」「親が息子に会いたがって何が悪い」と言っているのが目を惹きました。これは典型的な「共依存」の症状です。
「共依存」とは、子どもを親の言う通りにさせる事で、自分自身の不安を紛らわそうとする親と、それを不憫に思う子どもが、互いにもたれ合いの状態に陥り、そこから抜け出せなくなる状態です。こんな状態になれば、親子で共倒れするしかなくなります。
本当の親なら、たとえ子どもが自分と違う道を歩もうが、それで子どもが幸福になるなら、子どもの自立を応援するものです。ところが「共依存」の親は、子どもにも無理やり自分の価値観を押し付け、自分と同じ道を歩ませようとします。この手の親にとっては、子どもは自分の思い通りになる「操り人形」でしかないのです。それをゴマ化すために、「私達は親子なのだから(他人があれこれ口出しするな)」と、しきりに強調するのです。
だから、島岡雷は身分を偽ってまで、無理やり息子の光との面会を迫り、息子という「操り人形」を取り戻そうとしたのです。こんな物は「親子の愛情」なんかじゃない。「愛情を装った支配」だ。
今から思えば、私の父親もそうでした。まだ私が幼い頃は、父親に懐く私を可愛がってくれました。
ところが、反抗期になって私が父親の言いなりにならなくなると、途端に暴力を振るうようになりました。
「勉強を見てやる」と言って、少しでも答えを間違うと物差しで引っ叩かれた。
少しでも権利主張すると、いきなりアカ呼ばわりし、ド突かれた。高校の部活や読んでいる本の内容まで干渉して来て、友達からの電話も取り次ごうとしなかった。
私の生協への就職が決まってからも、自分の口から言わず母親に言わせる形で、執拗に教員採用試験の受験を迫り、勝手に先走って校長との面接を設定し、私にすっぽかされて「よくもワシの面を汚したな」と…。
私は親父の体面を取り繕う為に生きているのではない。私の人生は親父の所有物ではない。私だけの物だ。社会人となり、生協に就職して、ようやく親の干渉も止みました。ところが、兄や妹が結婚を機に実家を出て、私も生協を辞めて非正規雇用となり、数年前に母親も亡くなり、実家には私と親父しか居ないようになってから、再び親父の「干渉癖」がもたげる様になって来ました。
「いつまでも親のスネかじってないで実家を出ろ」と言いながら、いざ一人暮らしを始めようとした途端に「何も今さら実家を出る事はないじゃないか。そんな事する位なら、何故もっと早く実家を出なかったのか」と泣きつく始末。
早かろうが遅かろうが、親父の言う通りしているんだから、それで良いじゃないか。「出ろ」と言ったり「出るな」と言ったり、一体どっちなんだ?
「いつまでもお前の夕食を作れない」と言うから、折角、外で食べて来るようにしたのに、今度は「冷蔵庫の食材が余るから家で食べて欲しい」と。母親が亡くなった後、「今後は各自外で夕食を済ますようにしよう」と私が提案しても、「いやワシが作るから」と頑なに言い張ったくせに。それを問い詰めたら「それが親父と言う物だ」。そんなの只のワガママじゃないか。
その挙句に、「年収200万では嫁の来てが無いから、資産も釣書の収入欄に計上しろ」だの、婚活するのは親父ではなく私で、釣書の書式も縦長の写真を掲載する事になっているのに、「(親父を真ん中に家族が周囲を取り囲んでいる横長の)この写真を載せろ」と、支離滅裂な事を言い出した末に、「そんなにわしの言う事が聞けないのなら、もう勝手にしろ!」と逆切れ…。
しかし、昔から家族は、こんないびつな物だったのだろうか?私が思うに、このゆがみは、明治以降の近代日本の歴史の中で、意図的に作られて来たように思います。
ケンカツの中の島岡雷や私の親父が、二言目には世間体や体面ばかり気にして、子どもの生活保護受給や非正規雇用や未婚を恥じる。この「恥の文化」は、昔の封建社会の中でも、武家社会に特有の価値観です。だから、武士はやたら体面にこだわり、敵討ちや切腹をする人が後を絶ちませんでした。
しかし、武士なんて、当時約3千万だった江戸時代の日本の人口の中で、約1割位しかいませんでした。残り9割の庶民は、士農工商の身分差別に縛られながらも、もっとフランクに生きていました。敵討ちや切腹に走る人なぞいませんでした。「宵越の金は持たねえ」が身上で、今みたいにあくせく働いたりなぞしませんでした。
ところが、明治維新で武家出身の政治家が政治の実権を握り(「西郷どん」も所詮はその片割れ)、日本が「欧米に追いつけ追い越せ」と富国強兵政策をとる中で、家族が国家による国民支配に利用され、隣組(今の町内会や自治会)が支配機構の末端に組み込まれて行きます。回覧板はその名残りです。
これが、今に続く女性差別やLGBT(レズ・ゲイ等の性的少数者)に対する差別の源です。自民党や右翼が、事ある毎に「社会秩序」や「家族の絆」の大切さを説き、家族の扶養義務を社会保障切り捨ての口実にするのも、家族を支配機構の末端に組み込みたいからです。
本当に家族や国民の事を思うなら、その暮らしを破壊する消費税値上げや過労死促進法案(いわゆる「働き方改革」法案)、福祉削減を進めるはずがありません。
とこれが、島岡雷やウチの親父は、自分がなまじっか総合病院の院長や地方公務員上級職に上り詰める事が出来たばっかりに、上から目線でしか物を考える事が出来ないのです。自分が出世できたのも、下積みの人達の苦労や犠牲があり、その上で、たまたま時代の流れに乗れただけなのに。
しかし、たとえそんな親父であっても、私はそれを許す事が出来るだろうか?
私はよく真面目で几帳面だと言われます。几帳面過ぎて融通が利かないと言われた事もあります。これも、今から思えば「毒親育ち」のせいかも知れません。
世の中の不正や偽善を許せず、それに過敏に反応してしまうような所があります。一種の完璧主義なのかも知れません。
このドラマでは一方で、家族間のもつれから、離婚や離縁に至った生活保護受給者も登場します。今回の島岡雷と同じ様に自身に問題を抱えた人達が、自分の弱みをまだ克服できない中でも、次第に家族とよりを取り戻しつつある姿も、同時並行で登場します。
それが、元生活保護受給者・阿久沢の娘・真理や、水原悟の母・律子です。水原律子が、担当のケースワーカーに頼んで、悟に子ども時代のホームランボールを届けてもらい、悟から「まだ会いたくないけど」と返事の手紙に書かれながらも、孫の写真が同封されて送られ来た場面には私もホロリと来ました。
映画「万引き家族」が国際的に高く評価されたのも、徒らにハッピーエンドで終わらせなかったからでしょう。万引きで生計を立てている家族が、虐待された子どもを拾い、自分の家族として育てて行く事になった。そこだけを切り取れば、貧乏家族の美談だけで終わってしまいます。
ところが一方では、この「万引き家族」自体が偽装家族で、死んだ肉親の年金に寄生し、亡くなった老婆を地中に埋め、怪我した息子を置いて夜逃げを図るような家族だった。
それがバレて、息子(実はこの息子も幼い頃に父親に誘拐されて育てられて来た)と父親が別れる事になり、息子の乗ったバスを父親が追いかける場面では、たとえ不完全な父親でも、それでも、この子にとっては掛け替えのないお父さんだったのだな、と思いました。
昨年夏に実家を出てから、親父とはほとんど会っていません。今はもう、親父の葬式も出たくはありません。しかし、そんな私でも、「言いなりになるのでも、恨むのでもなく、ごく普通に付き合える日が、親父が亡くなるまでに来るのだろうか?」と、このドラマを観て考えさせられました。
人間を生産性向上や国威発揚の道具としか見ず、「普通である事」や「社会秩序」をやたら強調する、国会議員で極右の杉田水脈(すぎた・みお)と、その対極にある「異常」「無秩序」そのものでありながら、ある意味では普通の家族以上に家族愛に満ちた「万引き家族」。
先日、大阪・十三の第七藝術劇場で映画「沖縄スパイ戦史」を観てきた。第二次大戦で沖縄では県民の実に4分の1が亡くなった。その理由は、地上戦の戦場となった上、住民が日本軍の盾として利用された挙句、スパイ容疑で虐殺されたからだが、現実はもっと悲惨なものであった。
戦場の様相は「悪いのは戦争指導者や軍で、住民は犠牲者」という単純なものではなかった。日本軍によって送り込まれたスパイによって、住民がスパイの指揮するゲリラ戦に駆り出され、住民自身も米軍のスパイと見なした人物の処刑に積極的に加担せざるを得なかったのだ。
沖縄本島南部のひめゆり部隊や鉄血勤皇隊が表の戦闘組織なら、北部でゲリラ戦を展開した護郷隊は裏の戦闘組織だ。そこでは軍は住民を護郷隊という自衛組織に編成し、山中のジャングルを拠点に少年兵にゲリラ戦の訓練をさせ、海岸部の米軍陣地に奇襲や夜襲をかけさせた。
護郷隊を組織したのは陸軍中野学校でスパイ養成訓練を受けた特務兵だ。彼らは、丸刈りの軍人ではなくイケメンの民間人を装い、軍人と悟られない様に秘密裏に、住民を破壊工作のスナイパー(狙撃手)に仕立て上げていった。
しかし、「護郷隊」と言っても決して郷土を守る為に作られた訳ではない。軍隊が守るのはあくまで国家権力だ。住民や郷土は、むしろ戦争の盾として、とことん軍隊に利用され搾り取られた挙句、足手まといになれば使い捨てられる運命にあった。
米軍の侵攻を食い止める為に本島の橋は全て護郷隊によって爆破されたが、米軍の工兵部隊が爆破した尻から仮設の橋を架けた。橋の爆破で逆に日本軍自身の補給路が断たれ、自分で自分の首を絞める事になってしまった。
米軍の侵攻により、本島北部の山岳地帯に追いつめられた護郷隊は、食糧難や疫病の流行に悩まされる中で、次第に疑心暗鬼に陥っていった。その中で、軍役に携わる中で軍の機密にたまたま触れた人や、米軍スパイ容疑をかけられた人が、次々と処刑されていった。
戦争の悲劇は、戦場になった沖縄本島や慶良間諸島だけでなく、戦禍を免れた八重山諸島でも起こった。波照間島では山下虎雄という教員を装った軍のスパイによって、マラリア感染地帯の西表島に全島民が強制移住させられた。これが有名な「戦争マラリア」の悲劇だ。
熱血教師の山下虎雄として波照間に赴任した男の正体は陸軍中野学校の特務兵、酒井清だった。酒井は戦争が始まるや、いきなり軍刀で島民を脅迫し、家畜の牛や馬を住民の手で処分させ、嫌がる島民を無理やり西表島に移住させ、次々とマラリアに罹患させていった。
米軍侵攻に備えて波照間島民を西表島に疎開させるというのが、強制移住の表向きの理由だ。しかし実際は、波照間島民を西表島に駐留する日本軍の監視下に置き、米軍への寝返りを避ける為と、島民の家畜を軍の食糧として没収する為だったと言われる。
「結果的に波照間島の住民1590人のうち、1587人がマラリアに感染し、477人が死亡。実に島民の3割の命が失われました。島民の方は言います。『私たちは沖縄戦の捨て石にされた』と。こうした過去の体験は、沖縄の方たちの国に対する強い不信につながっているように感じます」波照間島の知られざる「戦争マラリア」の悲劇。沖縄戦で島民絶滅の危機にhttps://www.huffingtonpost.jp/tomoko-nagano/hateruma-malaria_b_5696798.html
八重山平和祈念館のリーフレットに掲載された「戦争マラリア」概要図
また、沖縄本島の今帰仁(なきじん)村では軍の手で「国士隊」という監視組織が作られ、住民同士で互いに監視・密告させる様に仕向けられた。拒否した者は米軍のスパイとして処刑された。単に日本軍に迫害させられただけでなく、住民自身もスパイ冤罪に加担させられたのだ。
悲劇はそれだけに止まらない。護郷隊には第一護郷隊と第二護郷隊の2つがあり、村上治夫が前者、岩波壽(ひさし)が後者の隊長を務めた。特に後者では食糧が公平に分配された。それを恩義に感じる住民も少なくない。しかし、その後者の岩波隊長ですら敗残兵は見捨てざるを得なかった。
同じ事は今帰仁村の国士隊にも言える。国士隊ではスパイリストを基に住民虐殺が行われたが、その下でも「この人には世話になったから」という事で、スパイリストに載った女性が処刑を免れた。代わりに処刑されたのは戦前に住民運動を弾圧した巡査だった。
沖縄では、住民自ら住民虐殺に加担しただけでなく、この様に被害者と加害者が交互に入れ替わる「虐殺の連鎖」が繰り返されたのだ。 それに対し、日本本土では空襲で主要都市が焼け野原になったが、沖縄の様な「虐殺の連鎖」は起こらなかった。それでも300万人以上の日本人が亡くなった。その6割は戦死ではなく餓死だった。
もし本土決戦になっていたら犠牲者はもっと膨れ上がっていただろう。長野県の松代では大本営の地下壕が秘密裏に造られ、本土各地にも陸軍中野学校の特務兵が派遣されていたのだから。
これは決して過去の話ではない。それが証拠に、戦時中の野戦マニュアルが今も陸上自衛隊の教本に受け継がれ、そこでは住民に軍事協力させる事が謳われている。しかし、自衛隊が守るのはあくまでも国家組織や社会秩序であって住民ではない。住民は足手纏いになると判断されれば簡単に見捨てられる。
現在の秘密保護法も戦時中の軍機保護法が原型だ。戦時中は軍機保護の名目で天気予報さえ禁じられた。その為、戦争末期には台風や地震で大きな犠牲が出た。自衛隊が守るのはあくまで国家権力であって住民ではない。災害派遣はそれをカモフラージュしているだけだ。戦争の脅威に騙されてはいけない。
安倍政権が中国封じ込め政策を採る中で、沖縄の八重山・先島諸島がその最前線基地として重視されるようになった。今や自衛隊関連施設が続々とこの地に作られようとしている。他方で反基地運動も存在するが沖縄本島ほど強くはない。同じ住民が基地賛成派と反対派に分かれ争う現状は、まるで戦時中の「虐殺の連鎖」を想起させる。
今の自衛隊は過去の専守防衛、災害派遣や人命救助だけを主任務とする過去の自衛隊ではない。集団的自衛権行使によって、世界のどこにも米国の先兵として駆け付ける侵略の軍隊に変貌しつつある。このままでは再び護郷隊、国士隊、戦争マラリアの悲劇を繰り返す事になる。果たして本当にそれで良いのか?
戦後、護郷隊の元隊長が隊員慰霊の為に植えようと試みた本土のソメイヨシノは、沖縄の亜熱帯の気候に適応できず、遂に花を咲かす事は無かった。他方で、第二護郷隊の生き残りが同じ目的で植えたカンヒザクラは、沖縄の風土にもなじみ、やがて花を咲かせ実を結ぶようになった。元隊長の送った「同期の桜」が実を結ばず、元隊員が植えた地元種の桜だけが芽吹いたのも、「何があっても絶対に死ぬな。そうなる前に戦争になるのを食い止めろ」というメッセージの現れではないか。