アフガン・イラク・北朝鮮と日本

黙って野垂れ死ぬな やられたらやり返せ 万国のプレカリアート団結せよ!

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 アフガン・イラク戦争も金正日もNO!!搾取・抑圧のない世界を目指して、万国のプレカリアート団結せよ!

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石原都政を誰が支持しているのか

2007年03月31日 23時59分18秒 | 反石原・’07東京都知事選
 誠に時宜に適った本が世に出ました。小宮昌平氏他2人の識者の共著で青木書店から刊行された「石原都政の検証」という本がそれで、昨日早速買ってきました。まだ読み始めたばかりですが、早速「これは!」という箇所がありましたので、時節柄の事も在るので早々にアップしてみます。

 この本は石原都政2期8年間の全体像(誕生の背景、政策評価、強みと弱みなど)を多方面から捉えようとしたものですが、その中の第7章の「石原都政を誰が支持しているか」という項目について、読んだ感想などを少し。

 この項では、石原都政の高支持率の歴史的背景の解明と支持層の分析が為されています。前回2期目の'03年4月の都知事選と'05年7月に行われた都議選の、東京23区における得票動向の分析を通して、標記テーマの解明を試みたものです。都下市町村ではなく区部に的を絞ったのは、此処が石原大量得票の主戦場であり、尚且つその中で各区の政治的地域性の違いも現われており、得票動向の分析にはまたとない材料を提供しているからです。当該知事選の直ぐ後に行われた国政選挙ではなく2年後の都議選を比較検討対象に選んだのも、選挙規模が都知事選とほぼ同一で、生活者ネットを含む全党派が候補者を擁立しているので、どの政党支持層が石原を支持しているのかがよく分るからです。

 ちなみに、'03年4月都知事選と'05年7月都議選の結果は下記の通り。(注:ネット=生活者ネット、東京都議会の中の市民会派)

●'03年4月都知事選 候補者別得票数・率・主な支持層
 投票総数 4,441,972 投票率 44.97% 有効投票数 4,397,294
 石原慎太郎(無所属) 3,087,190 (70.21%) 自民・公明(+民主) 
 樋口恵子(無所属)   817,146 (18.58%) 民主・社民・ネット
 若林義春(共産党)   364,007 ( 8.28%) 共産
 ドクター中松(無所属) 109,091 ( 2.48%)
 池田一朝(無所属)    19,860 ( 0.45%)
 http://www.senkyo.metro.tokyo.jp/data/data01_07_02.html

●'05年7月都議選 党派別得票数・率・獲得議席
 投票者数 4,435,435 投票率 43.99%
 自民党 1,339,548 30.7% 48
 民主党 1,070,893 24.5% 35
 公明党  786,292 18.0% 23
 共産党  680,200 15.6% 13
 ネット   181,020  4.1%  3
 社民党    10,165  0.2%  0
 http://www.asahi.com/politics/2005togisen/

 まずは、'03年都知事選での石原慎太郎の300万大量得票の全体像について。石原はこの時には投票総数約440万票の実に7割にも及ぶ得票を記録しています。その300万余票の党派別内訳はというと、自民支持層130万余、公明党支持層80万弱の票に加えて、民主党支持層や無党派層からも90万票を集めているのです。
 それに対して、民主党・社民党が事実上支持した樋口恵子の得票は約80万票に過ぎず、民主党支持層からは半分ぐらいしか票が集まりませんでした。共産党公認の若林義春も同じで、共産党支持層約70万票の約半分しか集められず、残りの共産党票は主に樋口に流れました。(いずれも'05年7月都議選との比較)

 つまり、この選挙での石原の一人勝ちは、自公両党だけでなく民主党や無党派層をも飲み込んだものであったという事です。「反石原」の2人の候補(樋口・若林)は、そのあおりで、それぞれ自陣営の基礎票を半分づつ減らして、自分の「右側」に位置する相手候補に奪われた格好になりました(樋口→石原、若林→樋口)。

 次いで、その投票のバラツキ具合と、それをもたらしたもの(石原暴走の歯止め要因)に対する考察について。'03年都知事選における石原の得票ですが、区部の得票率は67~75%で、全体的に高得票ながらも、以下の様に地域によって有意のバラツキがみられます。

●'03年知事選各区別の石原票得票率と政治・生活動向の比較(前述書から)
 石原得票上位3区
 中央区 石原票75.59% 自民支持率高、世帯当り納税額・本社集積度高
 墨田区 石原票75.55% 自民・公明支持率高、生活保護率・高齢化率高 
 台東区 石原票75.09% 自民支持率高、生活保護率・高齢化率高 
 石原得票下位3区
 文京区 石原票68.92% 自民支持率低、生活保護率低、共産支持率高
 板橋区 石原票68.87% 自民・公明支持率低、生活保護率高、共産支持率高
 杉並区 石原票67.98% 自民・公明支持率低、生活保護率低、市民運動の存在
 (尚、当該著には全区のデータが掲載されています。詳細はそちらを参照の事)

 得票上位は都心(中央・千代田・港)と城東(江戸川・墨田・荒川・葛飾など)・大田の各区です。このうちで大田区は衆院議員時代の地盤を引継いだものですが、高所得者が集まる都心と低所得者の多い城東に支持基盤が二分されているのが目に付きます。
 それに対して支持が相対的に弱いのが城西・城北(杉並・板橋・中野・北など)と文京・世田谷の各区ですが、ここはいずれも生活者ネットや共産党の支持が強い地域です。石原に対立(或いは対抗)する社会運動・市民運動の存在が石原票の出方に影響を与えたとも言えます。

 この様に、石原の支持基盤が、自公両党の枠を超えて無党派をも巻き込んだ「草の根保守、草の根ファシズム」ともいうべきものであるとともに、より興味深いのは、都心の勝ち組・新中間層とともに城東・下町の低所得者層(主に自営業・主婦・高齢者で、学会・公明党の有力支持基盤でもある)が有力な支持基盤となっている事です。貧者が何故この様な強者の差別主義者を支持するのか?これが、同著第7章の当該項目における一つの眼目です。

 同著はここで「石原都政の性格の二面性」に言及します。石原が掲げた公約には、高所得層向けのものと低所得層向けのものが同居しているというのです。都市再生・再開発や羽田空港の国際化といった公約が高所得層(財界)向けのものであるとするならば、環境対策(ディーゼル車排ガス規制)や銀行税(外形標準課税)や治安対策などはさしずめ低所得層向けの公約となります。
 その中では、とりわけ前者の財界向け公約が、石原都政の中ではより本質的で根幹を為すものである事は言うまでも無いでしょう。石原が掲げる「世界都市・東京」というスローガンは、グローバリゼーションの下での新自由主義・新保守主義政策を掲げる自民党・財界の利害を代弁したものでもあるのですから。だからこそ石原は、圏央道や環状道や高層ビル群の建設にあそこまで拘り、その格好の口実となるオリンピック招致に拘るのです。

 後者の低所得層向け公約はそれを補うものであり、低所得層は排ガス規制や銀行規制に蛮勇を奮う石原を見て溜飲を下げるのです。謂わば、ヒットラー・ナチスがユダヤ人を排撃し小泉が抵抗勢力を排撃したのと同じ構図です。目に見える小悪叩きに溜飲を下げさせて、その実、より根幹を為す巨悪から目を逸らさせる。東京都が力を入れているものに「eモニター制度」というeメールによる政策アンケート活動があるのですが、そこで都民の要望を吸い取って、前述の様な政策を編み出していっているのだそうです。

 例えば石原都政は教育行政の分野では、日の丸・君が代強制などの国家主義的色彩の濃厚な施策の他に、都立高校の階層化と多様化を推し進めています。進学指導重点校に予算と人員を配分する一方で、低学力校は「エンカレッジ・スクール」として入試の学力選抜も定期考査も無くして職業訓練に特化する、そして「奉仕」(!)という科目を導入して生徒を街頭の清掃活動に動員する。これで、生徒は勉強しなくてもよくなったと喜び、地域のオッちゃん・オバちゃんは不登校が減ったと喜ぶ。これが石原都政の真骨頂なのだそうです。

 要するに上手いのです。おそらく石原という人物は、人を騙すという手腕にかけては天才的な能力を持った政治家なのでしょう。だから、新自由主義政治に苦しめられている犠牲者が、小泉を古い自民党政治を打破する旗手と看做して応援する、「自分で自分の首を絞めており、しかもその事に気付かない」という事になるのです。
 だから、石原都政を批判する場合は、石原政治と同じ土俵・基盤・発想の上で、単にあれこれの差別的言動を後追い的・表面的に批判しているだけでは不十分なのです。その裏にある「偽りの二面性」「弱者の味方を装ったファシズム」の基盤そのものを、事実に即した批判・検証によって暴き、石原になびいている「自分で自分の首を絞めている人たち」に、自分たちが騙されている事を気付かせなければならないのです。この種の批判が多少なりとも展開され大なり小なり対抗勢力が存在する所では石原支持が相対的に弱い事が、何よりもその証です。ただ如何せん、現状ではその対抗勢力が余りにも微弱で、しかも分散してしまっている事が、同著でも指摘されています。私はそれに加えて、石原の論理に絡み取られ殆ど与党と化してしまっている党派(民主党)もある事も指摘しておかなければならないと思いますが。

 この「石原都政の検証」という著作ですが、私もまだ読み始めた所ですが、なかなかお勧めの内容です。 
コメント (3)
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なにわB級グルメ探訪1 シチュウー

2007年03月29日 16時52分29秒 | なにわB級グルメ探訪
 たまには軽い話題も。
 私は大阪に住んでいるのですが、考えてみると大阪ってB級グルメの宝庫なのです。B級グルメと言っても自由軒の名物カレーぐらいになると今や全国的にも有名ですので、もっとディープなものを幾つか、気が向いた時に自分自身の気分転換も兼ねて、順次紹介していこうと思っています。

 まずは手始めに「シチュウー」の紹介から。「シチュー」ではありません、「シチュウー」です。
 記事トップの写真がその「シチュウー」なのですが、薄味のだし汁に牛肉と玉葱とゴロゴロのじゃがいもが入ったものです。今のコンソメ味やクリーム味のドロドロとしたシチューとは全然違う、あっさり味の料理です。シチューというよりはポトフに近いものです。或いは、うどんのだし汁から醤油っ気を抜いた様な感じのものかな。

 この「シチュウー」ですが、私が子供の頃はよく夕飯のオカズに食べていました。これにソースをかけて食べるのです。人によってはお好みで山椒を上から振りかけて食べたりして。私もこれが大好物で、ご飯と「シチュウー」と漬物があればもう言う事なしという感じで。「寄せ鍋」などと同様に、昔の大衆食堂の定番メニューでもありました。

 今はもうその大衆食堂も無くなり、この「シチュウー」が食べられるのも、大阪市内の新世界・ジャンジャン横丁にある「いづみ食堂」ただ一軒だけになりました(下記URL参照)。

 「シチュウー」350円、「たきみ」(ソースの代わりに醤油をかけて出してくる)も同じ値段。変形バージョンとして玉子入りや餅入りの「シチュウー」もあります(それぞれ400円、450円)。

・いづみ食堂@新世界。(YO-NのB級グルメ修行中!^^v)
 http://blog.livedoor.jp/yo_na/archives/50674576.html
コメント (2)
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国民投票(改憲手続)法案粉砕!安倍マルコスの居直りを許すな!

2007年03月29日 00時04分49秒 | 戦争・改憲よりも平和・人権
 政権支持率がとうとう3割台の危険水域に突入した安倍マルコス政権ですが、もうヤケクソになって「3割の固定ファンの支持さえあればそれで良い」とばかりに居直り、バカの一つ覚えで「戦後レジームの見直し」を喧伝しています。

 その一つの現われが例の「従軍慰安婦はただの売春婦」の河野談話見直し発言です。この問題は、安倍やウヨクが言う様な「北朝鮮や中国の陰謀」云々以前の問題として、「そもそも植民地支配や戦時暴力・戦争被害といったものをどう捉えるのか?―否定・克服されるべきものと捉えるのか?それとも容認・受忍すべきものと捉えるのか?」という事が問われているのであり、少なくとも現代では(まだまだ建前上ではあっても)前者の捉え方が世界の共通認識になっている中において、日本のウヨク戦犯政治家が第二次大戦前の時代感覚から未だに脱却出来ないでいる為に、アジア諸国のみならず欧米や豪州の機嫌まで損ねてしまい(拉致問題に理解を示したシーファー・米国駐日大使にまで愛想を尽かされる始末で)、またぞろ事実上の発言撤回に追い込まれてしまいました。

 そしてもう一つの現われが憲法改悪国民投票法案(改憲手続法案)の強行です。こちらも、第二次大戦(というよりはもう日清・日露戦争当時さながらの)「19世紀的帝国主義の時代感覚のままの人たち」が、今の平和憲法を憎悪して、それまでの修正案に替えて、より統制色の強い(公務員・教員に対する罰則規定を復活)当初の憲法改悪案を出してきて、衆院憲法特別委員会上程・公聴会開催の日程まで決めてしまいました。

・国民投票「改憲限定・18歳以上」 与党が修正法案(朝日新聞)
 http://www.asahi.com/politics/update/0323/001.html
・国民投票法案はアンフェア 法科系塾の伊藤真さん(高知新聞)
 http://www.kochinews.co.jp/0703/070318headline03.htm
・成立見通し強まる「国民投票法案」(競艇場から見た風景)
 http://kurumachan.seesaa.net/article/37021688.html
・憲法改正国民投票法案、自公が修正案合意!~公聴会でおかしいことはおかしいと言おう!(情報流通促進計画 by ヤメ記者弁護士)
 http://blog.goo.ne.jp/tokyodo-2005/e/e15e6cda814093430e0053414b1d1f94

 この国民投票法案の問題点については、上記の新聞・ブログ記事でも縷々述べられていますので、詳しくはそちらを参照して下さい。
 ここでは簡単にその問題点を四つに絞って列挙します。第一は最低投票率の規定が無い事。どんなに低投票率でも有効なので、例えば50%の投票率なら25%以上の賛成票さえ取れればそれで改憲されてしまう事になります。第二は公務員や教師の参加を極度に制限している事。一見中立性を装った規定ですが、狙いは公務員労組の反改憲運動潰しです。公務員が勤務時間外に改憲反対を訴えたり、学校で先生が憲法の授業をする事まで禁止して、個人の政治活動の自由を奪うのが目的です(この自由は本来は官民の別なく基本的人権として認められるべきもの、これを制約する現行の公務員法は憲法違反)。第三はメディアを使った有料の番組編成・キャンペーンが野放しである事。米国や財界の意向をカサにきた改憲派によるメディア乗っ取りの意図が見え見えです。第四は投票キャンペーンを担う広報機関を国会議員に委ねる点。改憲発議者が広報を担い、その構成も各党の議席数に準じるという、完全なマッチポンプ。
 要するに、改憲のハードルは出来るだけ低くしておいて、国民の目をふさいで自分の頭で考えさせないようにした上で、改憲派の宣伝だけをマスコミを使って垂れ流すという、あの小泉劇場の郵政選挙と同じ様な事を考えているのです。

 何故ここまでして政府は改憲をしたがっているのか。政府はそれについても「今の憲法は古くなった」とか色々言っていますが(では明治憲法みたいな内容の与党や民主党の改憲案は現代にマッチした新しいものなのかよw)、それは全てマヤカシです。その真の狙いは、今の日本国憲法の9条や13条、25条などを全て改悪する事にあります。そして、「権力の暴走を抑えるもの」という近代憲法の性格を放棄して、それを独裁国の憲法の様な「国民統制の道具」に変えて、この日本を「海外派兵や戦争の出来る国」「個人の幸福追求権や生存権よりも国益(その中身は為政者の利益)が優先される国」にする事が狙いです。国民投票法案はそれに向かってのレール敷設であって、だから別名「改憲手続法案」とも呼ばれるのです。
 こんな法案は公聴会でも国会審議でも徹底的に抵抗して、まずは何が何でもその息の根を止めなければなりません。その上で、万が一法案が可決されたとしても、可決後3年後から解禁になる最終場面(国民投票)では圧倒的多数の力で、憲法改悪を阻止しなければなりません。
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参考資料:共産党等との関係づくり活動まとめ(東プロ)

2007年03月25日 22時57分03秒 | 反石原・’07東京都知事選
※市民団体「東京。をプロデュース」(東プロ)のサイトに掲載された下記文書を参考資料として全文転載します。尚、転載にあたっては、読みやすくする為に、改行位置の是正や段落分けなどの最小限の技術的編集を加えました。


主に「共産党」・「革新都政の会」等との関係づくりに関する活動のまとめ(東京。をプロデュース2007)
 http://top2007hp3.exblog.jp/

2005年
9月30日
○共産党東京都本部へ、「石原都知事の対抗軸となる会派の統一候補づくりを呼びかける会をたち上げて活動していく旨」ご挨拶
 副委員長2名に対応していただく
 当会より「候補者選考がどういう形で始まるか、そこに関わることはできるか」と質問
 共産党「革新都政をつくる会で話し合う。そこに参加はできないが、もう少し広く懇談会にすることがあるので、そこへご案内をする。」
 ※連絡を待ったが、共産党からのお声かけはなかった。

10月中旬
○東京都の教育問題に取り組んできた、"学校に自由の風をネットワーク"の有志5人で、(仮称)風のネットワークへの参加呼びかけ

11月12日
○(仮称)風のネットワーク準備会発足

12月5日
○平和と人権の都知事を!市民連絡会に名称決定

2006年
1月13日
○渡辺治氏(一橋大教授)と面談
 2003年の都知事選で、野党共闘で候補者擁立を目指し活動された経験の聞き取り調査、そこからのアドバイスを受ける目的

2月中旬
○会の活動を紹介するリーフレット作成
  
下旬
○革新都政をつくる会へ挨拶
○以後、労働組合、市民団体等へ挨拶

3月  
○4・6集会の準備(都知事選1年前というタイミングで、「今からつながり始めよう」という主旨)

下旬
○共産党、革新都政の会へ、4・6集会へのご案内

4月6日 
「4年に一度のチャンスをつかむ4・6集会」開催:なかのZERO小ホール)
○共産党、革新都政の会の方々参加
 ※以降、4・6集会からつながった人たちとともに、運営委員会を重ね、会の形(名称、スタンス、活動内容)などの話し合いを持つ

27日
○革新都政をつくる会と都民要求実現全都連絡会「都民要求署名」スタート集会で、「平和と人権の都知事を!市民連絡会」として発言
 参考資料:「都民要求署名」スタート集会共同ニュース(2006年6月5日)掲載の全文
 タイトル:統一候補でチャンスを活かそう」
 「平和と人権の都知事を!市民連絡会」
************************
4月初めに斎藤貴男さんを招いて「 '07年都知事選、つながるのは今」という集会を中野ゼロで開いた市民団体です。東京タワーのイラストを覚えて頂いている方もおられると思います。都民連に入っていない独自の市民組織が何故ここに来て発言をしているのか、またその存在意味についてお話したいと存じます。
(1)どういう人たちがやっているのか
 日の丸君が代の押し付けに反対する都立高校保護者が中心となり、大元である都知事を替えたいと考え活動を始めました。またその源流には杉並の市 民運動があります。元気な無党派層を中心に民主党支持者から社民党、新社会党、共産党支持者まで幅広い有志が集っています。 
(2)どういうプロセスを考えているのか
 複数乱立すれば敗北は明らかです。民主党も含めた統一候補を是非実現したい。
そのために市民運動の盛り上がりを作り、学者・文化人にも一肌脱いでいただき、諸団体や各政党に少しづつ(大幅に?)歩み寄ってもらい、統一候補づくりに一緒に悩んでもらいたいと考えています。実際に連合を始めとする多くの団体に働きかけを始めています。
(3)何が大事と考えているか
 とにもかくにも市民の熱い盛り上がりが全ての土台と考えています。政党間の共闘や良い候補者は勿論重要ですが、市民の主体的関わりを抜きに例えムードで勝利したとしても、すぐムードでひっくり返されてしまうでしょう。都知事選挙は、市民自身が政治に関わり民主主義社会を支える主体として自覚と力を高めるチャンスであると位置付け、市民の運動を広めることが大事と考えております。
本日は各分野から当事者ならではの切々たる訴えが聴けました。今後とも各分野の皆様と繋がりあって参りたいと存じます。

6月14日
○「東京。をプロデュース2007」という名称で活動開始
 ※以降、呼びかけ人をお願いしながら会員・賛同人を募集

7月20日
○共産党都副委員長に経過報告、
 4・6集会において出演者による共産党関連の発言の中で、「共産党が党独自のPRをしたがることへの対策」などの表現があったことをお詫び
 ※候補者選考はすでに2月から開始しており、9月25日の日比谷公会堂集会でお披露目ができればいいという情報

21日 
○社民党衆議院議員と面談

8月3日  
○生活者ネットワーク事務局長と面談
○都議会民主党新・旧政調会長と面談

9日 
○前回候補者・樋口恵子氏と面談

9月25日
○日比谷公会堂での革新都政をつくる会の集会に参加

9月末  
○共産党都副委員長と面談
 当会が出した※第2回運営委員会(8月8日)の報告書について、組織内で前回7月20日に対応してくださった副委員長の立場が悪くなったこと について謝罪
 ※当会の報告書より抜粋:
 ○政党等との面談報告 《主な内容》
 ◇共産党東京都本部副委員長 (7月20日)
 ・革新都政をつくる会において、8月末までには候補者を選出したい。できれば9月25日の日比谷公会堂集会でお披露目ができればよい
 ・その後であっても、よりよい候補者と政策協定を結べる場合は、交渉して降ろす用意はある
  副委員長より「過去にそういったこともやってきたという流れの中での話」

10月23日
○民主党都連幹事長との面談

10月25日
○吉田万三氏立候補表明

10月31日
○渋谷公会堂で吉田万三さん立候補の集会に参加

11月 2日 
○革新都政をつくる会と面談

6日 
○共産党都副委員長と面談
 ※以下、11・26シンポジウムへの企画提案と参加要請の過程

8日
○急遽吉田万三さんに直接話を聞くという内容を提案。

9日
○革新都政をつくる会へ申し入れ。その日のうちにOKのお返事。

10日 
○民主党が独自候補擁立の方向性を新聞発表。
○民主党都連へシンポジウム出演要請。夕方OKのお返事。
○生活者ネットワーク、社民党、新社会党へも出演要請。

11日 
○お声をかけた全ての会派からOKの返事。

26日
○大胆シンポジウム「統一候補の可能性」開催

12月5日 
○第6回運営委員会
 シンポジウムの出演交渉の経過に関する反省(第6回運営委員会報告書より)
・当初、吉田万三さんに来ていただいて直接語っていただくという企画が、次の日には民主党の独自候補擁立の方向性の発表によって、「では民主党にも・・。」となり、最後には「各会派にみんなに。」と、企画内容が変わったことで、最初にお声かけをした革新都政の会と共産党に対して不備が重なり、共産党にもお声かけをしたが、間に合わなかった。

11日
○生活者ネットに挨拶
○新社会党に挨拶
○共産党に挨拶

12日 
○革新都政の会へ挨拶
 ※以降、当会でも民主党から共産党までが応援できる候補者探しを開始

29日
○革新都政の会へ候補者選考の経過報告
 「なぜ、吉田万三が統一候補の俎上に上らないのか」と反論される
       
2007年
1月11日
○民主党都連へ挨拶
※民間人で著名なニュースキャスターなどを中心に交渉
  
中旬~下旬
○民主党へ、党内候補ではなく、共産党も乗れるような人物と形態での擁立をお願いしながら情報交換を行なう

2月8日
○革新都政の会へメールで、吉田万三さんの志を持って都政にあたってくれる方がいないものか、懸命に探していることを報告

12日
○当会でも複数の推薦があった浅野史郎氏と面談
○世田谷で遊説中の吉田万三さんを訪問、激励

13日
○浅野氏が信頼する方と面談
○革新都政の会に、浅野さんが信頼を寄せる方と会っていただけないか電話で打診。

14日 
○蒲田で遊説中の吉田万三さんを訪問。統一候補の可能性がある候補者が見つかりそうだということをお伝えする

15日
○第8回運営委員会にて、浅野氏を統一候補の可能性のある候補者として当会でも立候補要請活動をしていく方向を確認

16日
○「浅野史郎さんを東京都知事に出馬させる会」の集会に合流

17日
○革新都政をつくる会に、当会としては浅野さんを統一候補として今後の活動をやっていきたい旨を報告。
 革新都政の会からの「なぜ吉田万三さんが統一候補の俎上に上らないのか。」という憤まんに対し、「吉田万三さんを統一候補にと考えるならば、なぜ最初から民主党をはじめとした、石原都知事の対抗軸になるような会派も含めて候補者選考を行なわないのか? 共産党一党のみの推薦で、共産党系の労組や市民団体が多く参加している革新都政をつくる会で擁立という形をとって進んできた状況で、民主党等が乗るのは非常に難しいことは素人でもわかる。そこで、どちらにも属さない市民としてなんとかしようと努力してきた。」と反論。

18日
○江東区で浅野さんの講演があった際、出馬要請行動に参加
  
25日
○「浅野史郎さんのハートに火をつける会」に参加し、立候補要請のイベントを開催

3月1日
○革新都政の会へ、3・9イベントで吉田万三さんの出演を依頼
 浅野氏の政治姿勢や宮城県政の総括などの報告(共産党)を根拠に浅野さんを支持できないということなどを理由としてお断りされる

2日 
○赤旗に志位委員長の会見報道という形で浅野県政批判記事

4日 
○当会・臨時運営委員会
 統一候補への気運を高めるためには
 ① 浅野さんへの声を大きくすること
 ② 統一候補という視点で、共産党員への個々の働きかけ等、各自でできることから、会として出来ること等、あらゆる工夫をしていく

5日
○当会の事務局長、事務局次長とで仙台へ行き、記事の裏付け調査

6日
○浅野史郎氏、正式出馬表明記者会見

9日 
○「浅野さんと都民が東京を語る会」開催      
 (以上)
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現代的保革対決の底流が民主党解体と真の政界再編を促す

2007年03月25日 22時50分27秒 | 反石原・’07東京都知事選
・知事選告示日に都県超え石原氏と松沢氏が相互応援(神奈川新聞)
 http://www.kanaloco.jp/localnews/entry/entryxiimar431/

 今回の統一地方選挙で、元民主党衆院議員の上田清司・埼玉県知事や松沢成文・神奈川県知事が石原慎太郎の応援を受けています。三人は、この相互応援に対する「自・民馴れ合い」との批判については「従来からの首都圏知事同士の行政協力の現われであり、国政と地方行政は別物だ」と言い訳しているようです。
 しかし、この様な「自・民馴れ合い」については、別に今に始まった事ではありません。従来からも地方政治では、革新自治体が崩壊した80年代以降は、自・公・民・社オール与党の枠組みの中での馴れ合い・談合・汚職政治がずっと続いてきましたし、国政選挙でも候補者が自民党と民主党に二股をかけて公認が得られた党の方から出馬するという事が公然と行われてきました。

 自民党と民主党は、憲法観や外交などの基本路線では全く「同じ穴のムジナ」です。大手マスコミが喧伝する「自民・民主の対立」なるものは、「同じ穴のムジナ」の本質を糊塗する為に、多少の毛色の違いで「ニセ対立」を演出するものでしかありません。
 そもそも民主党というのは、1996年の結成当初は、新党さきがけを母体として、寧ろ当時は二大政党(自民・新進)に対抗する第三極の政党として出発した筈です。しかし、そこに旧新進党・旧自由党からの保守派と旧社会党からの保守転向組が合流して、やはり自民党や新進党と変わらない政党になってしまいました。これも偏に、大臣病患者の幹部に支配された90年代当時の社会党・連合や反共「中道」諸党と自民党との裏取引によって、一旦は参院で否決された筈の小選挙区制が復活・導入され、その後はひたすら「勝者総取り」選挙の下で「勝ち馬に乗る」合従連衡が繰り返された末の結果です。
 これは、今思い返してもかえすがえすも残念な出来事です。しかし、そういう制度が一旦導入された以上は、制度自体の廃止を志向しつつも、とりあえずはその下でも勝てる戦略を革新側は編み出していかなければなりません。

 翻って今回の東京都知事選挙。浅野氏を擁立した市民団体は「吉田氏の方がより革新的で、石原政治ときっぱり縁を切れる事は間違いないが、共産党単独推薦では石原都政は倒せない」「民主党も支持できる候補を擁立しなければならない」と言います。それに対して共産党は「自民党も民主党も同じ穴のムジナであり、確かな野党である共産党の躍進と吉田勝利でしか石原都政打倒の展望は開けない」と主張します。

 このように双方の主張は対立していますが、奇妙に一致している点があります。それは、浅野陣営も吉田陣営も「民主党を一つの政党と看做している」という事です。浅野陣営は「護憲リベラルから改憲右派までの寄り合い所帯である民主党の全員から受け入れられる候補者」との触れ込みで浅野史郎氏を石原慎太郎の対抗馬にしました。それに対して共産党は「護憲リベラルから改憲右派までひっくるめて」民主党全体を第二自民党だとして攻撃しています。
 しかし、今の民主党は、はっきり言って凡そ政党の体を為していません。それは素人が常識で考えても分る事です。一体全体、戸倉多香子さんの様な護憲リベラルな人と西村真悟や土屋たかゆきの様な極右のキチガイが呉越同舟で同じ政党から出馬する事自体が、そもそも尋常ではないのです。土屋もそれが分っているからこそ、都知事選終了まで自分のHPを休止してまで、自身の極右体質が民主党にまで累が及ぶのを避けようとしているのでしょう。

 だから、こんな民主党などは、市民の側から積極的に政界再編を仕掛けるなどして分裂・解体させてしまい、本来は石原陣営や自民党と組んで当然の輩などはとっとと向こう岸に追いやってしまって、市民派や良心的な社会民主主義者と革新勢力で共闘を組み、更には新党立ち上げまで視野に入れて行動すべきなのです。この新党は結成当初の民主党の様な「対決軸無き根無し草の自称・第三極」などではなく、改憲・先軍政治や新自由主義の格差政治に対抗するという明確な対決軸を持った「反リストラ平和連合」ともいうべきものです。共産党も、中選挙区制時代と同じような感覚で十年一日の如く「確かな野党」宣伝と「民主党総体への批判」だけに終始する戦術から更に一歩前に出て、民主党の分裂を積極的に促すと共に、将来的には民主集中制を含むそれまでの前衛党的体質も改めて、市民派や良心的社会民主主義者とももっと広く共同でき合流も視野に入れた、反共右翼社民でも旧来の共産主義政党でもない、二大政党制下でも勢力を拡大していける、この様な新しい型の左派政党に脱皮していくべきなのです。

 これからは、今の小選挙区制・二大政党制の下では、大手マスコミが喧伝する「自民・民主のニセ対決」路線でも、中選挙区制時代からの共産党組織のみに依拠した「確かな野党」路線でもない、「現代的な保革対立」路線で自民党政治を追い詰めてかなくてはならないのではないでしょうか。勿論、選挙制度についてはあくまでも、民意をゆがめ大政党に「虚構の多数」を与える今の小選挙区制の廃止と完全比例代表制への移行を展望しながら、ですが。
 この「現代的な保革対立」というのは、1960年代後半から70年代前半にかけての「保革対立」に現代の対立軸を重ね合わせた路線です。それは、日米安保廃棄などの「革新三目標」をベースにしつつも、必ずしもそれだけに囚われずに、資本主義的グローバル化や生活格差の問題から中国・北朝鮮・拉致問題、ジェンダーフリーの問題までも含めて、明確な対立軸を提示しつつ柔軟な戦術を採用する、そういう「保革対決」の姿です。
 例えば北朝鮮問題について言えば、ブッシュ・安倍・「救う会」・「つくる会」などの「帝国主義・靖国史観肯定」「先軍政治・密告社会による日本の北朝鮮化」路線とは明確に対峙しつつも、旧来左派の「民族自決権を隠れ蓑にした中国・北朝鮮の人権問題見てみぬふり」ではなく、寧ろ「国際人権運動」や「人間の安全保障」の観点から「難民救援・人権キャンペーン」と「日本社会の排外主義克服」の両方を見据えた対立軸を提起するなどの、そういう左派本来の立場に立ち返っての再生が求められているのです。

 そういう目で改めて浅野氏擁立の母体となった市民団体「東京。をプロデュース」(略称・東プロ)が今回発表した自身と共産党サイドとの協議経過をまとめた文書を読むと、あくまで「民主党を一つの政党と看做」した上で、ややもすれば政策のすり合わせよりも「民主党総体も呑める有名人探し」に走っていった軌跡が伺えます。候補者選定で、官僚出身で基本的には自民党政治の枠内に在りながら「改革派」で名前の通った浅野史郎氏に落ち着いたのも、それで全て説明がつきます。それに対しては共産党も「何故、吉田万三を統一候補の選定に含めないのか」と不信感を募らせ、こちらも旧来の「確かな野党」論の立場に徐々に回帰していってしまいました。
 当該文書を読む限りでは、東プロは共産党との協議には早い段階から着手していたのですから、「一つの政党としての民主党まず在りき」ではなくもっと政策本位で候補者選定を進めていたならば、田中康夫氏を始めとして、もっと多様な候補者の名前が選考線上に浮かんできたのではと悔やまれます。

 そうは言っても選挙の告示も済んで匙は投げられたのですから、後はもう都知事選終了まで浅野・吉田の両候補がそれぞれ最善を尽くして、内ゲバで票を食い合う醜態を演じるのではなく、それぞれが一票でも多く石原陣営から票をもぎ取るという能動的・攻勢的な闘いをしなければいけないのです。それでどちらかが勝てればそれで良し、若し負けても最低限、次の統一地方選後半戦や夏の参院選、その後の改憲・先軍・新自由主義政治阻止の闘いにつながる結果に結びつけなければならないでしょう。
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気分だけの反石原では石原の引立て役にしかならない

2007年03月21日 08時39分02秒 | 反石原・’07東京都知事選
 今回の東京都知事選挙ですが、どうも私が一番懸念する展開になりそうな気がして仕方がありません。その展開というのは、「浅野vs吉田(若しくは反石原)の"どんちゃん騒ぎ"」が悪い方に作用して、「反石原」の大義自体が"道化・茶番劇"と化した場合です。当初は明確だった「反石原」の機運が、候補者乱立と三流芸能人紛いの泡沫候補の参入によって、「何となく、気分としての反石原」や「反石原の気分にのった機会主義者の単なる狂宴、劇場政治」に成り下がってしまって、逆に石原慎太郎を「低次元のバッシングに屈しない鉄の男」として引き立ててしまう事になりはしないか、という懸念です。丁度、郵政解散で追い詰められた小泉純一郎が「不屈の男」を演じる事で逆に自民党の大勝をもたらした時と同じ様に。

 実はこの間、自分の勤め先でも何人かの人に、「今度の都知事選、どうなると思う?」と、それとなく聞いてみたのです。今の勤め先はガテン系で「自民ウヨク大好きB層」も一杯屯する職場ですが、それでもごく数人ですが「これは」と思う人に、自分の「反石原」の立場を明らかにして石原都政の諸々の問題点も指摘した上で、さり気なく聞いてみました。すると案の定、浅野候補に対する評判はイマイチでした。彼らは政治の事や浅野・吉田・黒川の違いもよく分らないですが、それでも「浅野は、装いだけは何やらケバケバしいが、何だかんだ言っても結局は"後だしジャンケン"で出てきたタマじゃないか」という事は見抜いていました。そして、「結局、叩かれれば叩かれるほど余計に石原が引き立つのでは」という事を言っていました。

 これが杞憂であれば良いのですが、どうも現実になりそうな嫌な感じがします。世論調査では「一歩リードの石原を浅野が追う」というのが大方の見立てだそうですが、私はどうも「これは上滑りの観もあるのではないか」という気がします。確かに、浅野候補の方が吉田候補を凌いで、そこそこの得票はするでしょうが。

 この間、石原都政のデタラメぶりがここまで明らかになってきて、当初風は明らかに「反石原」の方に吹いていたのに、何故この様な展開になってきたのでしょうか。
 私ははっきり言って、浅野候補自身の責任が大きいと思います。浅野候補を支持する人たちは「共産党単独推薦の吉田では勝てない、ここは市民が推して保守層からの得票も見込める浅野候補への支持を"人民戦線"方式で広げていこう」と主張しますが、私はこの「保守層からの得票も見込める」云々のくだりが逆に仇となって、後々まで浅野陣営の足を引っ張る事になるのではないかと思うのです。

 政策や人柄では何といっても吉田候補がピカイチですし、私も吉田候補を支持する立場ですが(その上で場合によっては浅野氏への票の集中もアリだとは思っている)、確かに今のご時世では、かつての美濃部都政や黒田大阪府政が誕生した時の様な支持の広がりは期待できないのかも知れません(今回擁立したのが田中康夫氏ならまた違った展開を辿ったでしょうが・・・)。
 では仮に百歩譲って「かつての社共革新共闘の様な感覚ではもはや勝つ事は出来ない、ここは支持層を広げる為にもっとソフトに行かなければならない」「党人候補ではなく知名度のあるタレントや有識者・著名人を市民が担ぐ形にしなければならない」というのが正しいとしましょう。しかし、いくら「ソフトで行く」にしても、肝心要の政策・対立軸は、寧ろ戦術面でソフトに行くのなら尚更余計に鮮明にしなければ、有権者にとっては「一体今の都政の何が問題で、それをどう変えたいのか」が全然見えてこないのではないでしょうか。
 その中で、さあこれから石原三選阻止に向けてと言う時に、逆に浅野候補の「石原都政一期目の評価は80%だった」とか「オリンピックは一度立ち止まってやるか止めるか考えてみる」とか言う言明を聞くと、私などは「この人、今頃になって何でこんな興ざめするような事を言うの?」「本気で石原都政を変えたいと思って出てきているの?」「ただ何となく反石原の時流・気分に乗って出てきただけではないの?」「何でこんな人の為に吉田候補が降りなければならないの?」と思ってしまうのです。そしてウチの職場の「自民大好きB層」は、そこに更に「プロ市民」の陰を見てとってしまうのです。実際、私が聞いた中でも、「浅野が出たから丸山やドクター中松なんかも俺も俺もと出てきたんだ」と言っていた人もいました。

 浅野候補の政治的"曖昧さ"は、ひょっとしたら民主党支持層の支持を取り付ける為の方便なのかも知れません。しかしその事で「反石原」市民団体と候補者の政治性との間で齟齬を生んでいたのでは、逆にそれがある種の「胡散臭さ」や「ワザとらしさ」を醸し出す事になり、折角の「反石原」票も逃げてしまいます。それが吉田候補へと流れれば未だしも、「棄権」となって「石原の一人勝ち」となっては目も当てられません。
 東京の民主党など、元々石原与党でハナから反石原ではなく、単に勝ち馬に乗りたい一心で浅野候補に接近しているだけなのですから、前回都知事選でも石原支援に回ったような勢力などは浅野陣営の方から切り捨てて、反石原の革新色を鮮明にすればもっと支持が広がりそうなものを。何に遠慮しているのか知りませんが、周囲がことさら反石原を強調すればするほど、候補者自身の歯切れの悪さが余計に目につきます。「ルペン阻止の人民戦線」に投票したつもりが、蓋を開けたら「反ファシズムなど形だけだった社会大衆党」への支持にしかならなかったというのでは、投票した庶民がバカを見るだけです。

 この選挙、試されているのは石原慎太郎だけではありません。浅野・吉田・その他の候補の「反石原の本気度」もまた試されているのです。そういう目で各候補者を見ると、浅野氏には、個々の政策が新自由主義的とかいう以前の問題として、この「本気度、気迫」がイマイチ感じられないのです。これが私が浅野氏に対して魅力を感じられない最大の理由です。
 それは浅野候補が保守にもウイングを広げようとしている故なのかも知れませんが、しかし「八方美人」であろうとすればするほど「反石原」の焦点は逆にぼやけ、それだけでなく「B層」からは「反石原」の大義自身にまで「不信の目」が注がれる結果になる(従って単に浅野陣営だけの問題では収まらない)事を、もっと自覚すべきではないでしょうか。
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参考資料:千田夏光著「従軍慰安婦・慶子」の記述から

2007年03月19日 08時37分54秒 | ヘイトもパワハラもない世の中を
・右旋回の慰安婦問題(宮崎日日新聞)
 http://www.the-miyanichi.co.jp/column/index.php?typekbn=1&sel_group_id=6&top_press_no=200703072301
・首相の河野談話継承を歓迎 米大使、米軍再編では注文(毎日新聞)
 http://www.nishinippon.co.jp/nnp/world/20070314/20070314_015.shtml

 この従軍慰安婦の問題については、先日「戦争レイプも過労死も自己責任でゴマカすんじゃないよ!」という記事をアップした後で、以前読んだ千田夏光著「従軍慰安婦・慶子」(光文社新書)がまだ本棚にあるのを思い出して、早速手にとって読み直してみました。

 私は、従軍慰安婦(今は単に慰安婦と呼ぶのが一般的だそうですが)の問題については、一部ウヨク論壇で持てはやされている小林よしのりの「ゴーマニズム宣言」や「戦争論」よりも、こちらの記述の方が真実であると認識しています。今またこの問題がウヨクによって蒸し返されていますので(そうして、"反植民地主義"や"人権尊重"や"諸国民の平等・連帯"といった、現代に至る諸々の普遍的価値自体を全否定したが為に、今や"特定アジア"のみならず、その他のアジア諸国や欧州や米国まで敵に回しつつある様ですが)、この機会に、その千田氏の著作の当該箇所を、参考資料として改めてテキストアップしておく事にします。
 尚、テキストアップするに際しては読みやすいように適宜段落分けを施しました。また冗長になるのを防ぐ為に引用を略した箇所も少なくないですが、それでも長文の引用になった事は予めお断りしておきます。

 以下、同上著「従軍慰安婦・慶子」より引用します。(P.75~80)

(引用開始)
 この事件(注:南京大虐殺)の背景には、上海から南京めざし総追撃戦にうつるさい、軍当局者が進撃速度をあげるため第一線戦闘部隊に「糧ヲ敵ニモトム」すなわち食糧は補給にたよらず略奪しながら前進することを求めた、略奪公認、というより略奪を強要した事情がまずある。(中略)
 こうした中で、中国人、中国の農民市民が日本兵を"東洋鬼(トンヤンキー)"蛇蝎そのもの、犬畜生として敵視しはじめたのは当然であった。(中略)

 ここで上海派遣軍とよばれた現地軍司令部で考えられていたことは二つあった。
 一つは軍隊内部の性病蔓延の怖れである。これには前例があった。大正七年から大正十一年にかけての"シベリア出兵"のときである。シベリア出兵とは革命後まもないソ連革命政府の弱体につけこみシベリアを軍事占領しようとする明らかな侵略戦争だったが、侵略戦争において侵略軍将兵の風紀はかならず紊乱する。その法則どおり派遣日本軍のあいだに暴行強姦事件が続出、その結果、潜在患者をふくめ七人に一人がなんらかの性病におかされ軍務につけなくなるという非常事態がおこったのだ。(中略)
 チャンコロ(と、さげすみの言葉で呼んでいた中国人)を、兵隊がどれほど殺そうがおかそうがさしたる痛痒を彼らは感じないが、七分ノ一の兵力が戦わずして潰滅でもしたらどうなるかと頭をかかえたのであった。(中略)
 ではどうするか。生まれてきたのは、ここは急きょ性病の心配のない、軍が衛生管理をする女を兵隊にあてがうしかないのではないかという思考であった。

 二つ目は、その中国人などどれだけ殺されようがおかされようが痛痒は感じないという思考と矛盾するようだが"治安対策"問題であった。(中略)
 (注:日本は日華事変後、中国占領地区への永久駐留を図ろうとしたが)ところが永久駐屯するとなれば治安が問題となってくる。
 野盗まがいの略奪暴行が横行していては住民の抗日意識がより盛りあがり、とうてい治安維持は求められない。なんとか永久駐屯(永久占領)のために現状をおさえねばならぬと考えはじめたのだ。ここでも出されたのは、兵隊が現地中国の婦女子に手を出さぬよう"軍"が"女"を、つまり"軍御用売春婦"を与えるということだった。(中略)

 ここに中支派遣軍の兵站(補給)を担当する第十一兵站司令部へ「急ぎ女を集めよ」の急令が出されることになったのだった。ただし目的が目的だから現地中国で中国人女性を集めることは好ましくない。反感が予想されるからである。
 となると、集める場所は日本内地となるが、まさか軍が直接手を出すわけにはいかない。"皇軍"の名誉にかかわるからである。そこで考えられたのが名は「軍属」としているが正式に軍籍はない、軍内部においては「御用商人」とされている石橋徳太郎のような存在を使うことだった。万一問題がおこったときには「御用商人が勝手にやったこと」としらを切ればすむとしたのだった。(中略)

 集める条件として、慶子(注:当時の数少ない日本人売春婦の一人)がそうであったように女一人一人に千円の前渡金(したく金)を手渡すことにしたが(実はそれは急きょかき集めるためのエサだったのだが)、すべて大蔵省(国庫)から派遣軍に渡された"臨時軍事費"より支出するとした。臨時軍事費は決算報告をする必要のない金である。領収書もいらない。したがって女集めに使ったと知られることもない。(中略)

 いまひとつ付け加えると、(中略)かつての陸軍船舶輸送規則によると陸軍輸送船には兵器、陣用具、営繕具、弾薬、砲、戦車、車輌のほか"生きもの"は軍人、軍属、軍馬、軍犬、軍鳩にかぎられていた。日本赤十字社から召集される"従軍看護婦"は女性でも乗船前に軍属としての宣誓をさせられ軍籍に入れられていたから問題はなかったが、この規則によると慶子たちの乗船は認められないことになっていた。
 そこで第十一兵站司令部では、慶子たちを「軍需貨物」すなわち「人間ではない物」として乗船させる、いや搭載してくれるよう船舶輸送司令部に依頼していた。船舶輸送司令部も事情をきいていたので「そういうことか」と、これを承諾、乗船から下船まで「人間ではない物」として書類をつくったのだ。(中略)つまり慶子たちは、馬(軍馬)や犬(軍用犬)や鳩(軍鳩)ですらない"物"だったのである。船底で馬といっしょにおかれても当たり前だったということだ。
(引用終了)


 最近は、先述のウヨク本「戦争論(特にその第2巻)」も含めて、やれ「軍が無理やり連行して慰安婦に仕立て上げた訳ではない」「従軍ではなく、単なる売春婦であり、代価も受け取っている」(実際は世を欺く為にそういう形を装っただけなのに)とか「待遇や食事も比較的良かった」(商品を傷物にする筈がないだろう)とかいう言説で以って、過去の日本軍の侵略・略奪行為を正当化しようとする動きが表に出てきていますが、実態は斯くの如しです。

 昔「兵の命は一銭五厘、鴻毛よりも軽し」、今「産む機械、働く部品、ワーキング・プア」
 昔「臨時軍事費、戦時国債」、今「報償費、議員事務所経費、政党助成金」


 もう一つ念のためについでに。昨今流行の、拉致問題や北朝鮮や中国の人権問題を口実にして、強制連行や慰安婦などの過去の日本帝国主義が犯した歴史事実まで帳消しにしようとする向きに対して一言(実はウチの職場にも一杯いるのです、こういう人が・・・非常に鬱)。
 前者と後者の問題はあくまで別の次元の問題です。両者は共に人権問題として、別個に事件の全容が究明され被害者への補償が為されるべきものです。尚それと関連して、戦後になって日本政府が行った賠償やODAなどの経済協力について言及すると、これはあくまで政府間の談合でしかなく、その究極の目的は日本資本による賠償・援助利権漁りにあり、いずれにしても真の賠償とは似ても似つかない代物です。これで以って「賠償は解決済」などとはユメユメ思わない様に。
 そして、拉致問題や中国・北朝鮮の人権問題の解決の足を引っ張っているのも、脱北者の支援や日本国内への定住に反対し、この種の問題を、人権問題としてではなく単に民族・国家間の対立としてしか捉えられず、日・中・韓三国のネットウヨク同士の罵倒合戦に貶めている、前述の【反植民地主義"や"人権尊重"や"諸国民の平等・連帯"といった、現代に至る諸々の普遍的価値自体を全否定したが為に、今や"特定アジア"のみならず、その他のアジア諸国や欧州や米国まで敵に回しつつある】人たちだという事もお忘れなく。
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田中康夫擁立という第三の選択肢

2007年03月15日 17時17分48秒 | 反石原・’07東京都知事選
 東京都知事選挙で、反石原陣営が浅野・吉田の二大陣営に分裂してしまっています。私は今まで吉田さん支持の立場を堅持する一方で、何とか反石原陣営が統一できないかと自分なりに思い巡らせてきましたが、私も含めて双方の言い分が錯綜しているのが現状です。

 吉田さん支持派は「浅野氏は自民党以上に自民党的」と言い、浅野さん支持派は「吉田さんでは無党派を引きつけられない」と、それぞれ相手を批判してきました。「反自民の旗色が鮮明」で、尚且つ「無党派を引きつけられる」人、それに加えて「行政経験もある」人がいたら一番ベストなのでしょうが、現実にはそんな都合の良い人はそうそう居るものではありません。もう選挙の告示日も迫っているし、「石原の高笑いが聞こえてくる」「このまま浅野・吉田の分裂、候補者乱立で選挙戦突入を指をくわえて座視するしかないのか」という気持ちでいました。

 ところがここに来て、まだ出馬表明こそ表立ってしていないものの、究極の隠し玉候補になり得る人がいる事が分かりました。前・長野県知事で現・新党日本の田中康夫氏が、その人です。

 実は、田中康夫氏は、民主党サイドが都知事選候補の擁立を進めていた時にも、候補者の一人として名前が挙がっていたのですが、その時は長野県議会百条委員会での自身の情報公開もみ消し疑惑への対応で手一杯で、都知事選への出馬を躊躇していたのでした。ところがここにきて、そのもみ消し疑惑そのものがデッチアゲだった事が明るみに出てきて、この問題はほぼ終息に向かいつつある中で、俄然、都知事選立立候補の話が再燃してきたらしいのです。
 http://www4.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=429793&log=20070312
 http://ttokura.exblog.jp/4702623

 例えば、週刊「SPA!」掲載の「東京ペログリ日記」の2月26日の記述などを読むと、当人は結構その気になっているのでは、という気もするのですが。
 そう言えば、3月11日放送のTV番組「サンデー・プロジェクト」でも、櫻井よし子と田中康夫氏が対談していた折に、田中氏が櫻井よし子から「あなた、都知事に立候補しなさいよ~」とか言われたのに対して、肯定も否定もせずに笑ってお茶を濁していました。私はその時は、まさか田中康夫が立候補を考えているなどとは露ほども思っていませんでしたので、「国防婦人会が何をまた心にも無い事を」と一瞥しただけで気にも止めませんでしたが。

 若しそれが本当なら、私個人としては、もう田中康夫しかないのではないか、という気がします。願わくば、浅野・吉田・田中の3人の「左派・リベラル」系「反石原」候補の間で、公約のすり合わせと候補者一本化に向けての協議がきちんと為され、合意されれば一番良いのですが。

 田中康夫氏なら、浅野史郎氏よりは遥かに知名度も高いし、政策も浅野氏よりはずっと革新的で、何よりも長野県知事時代の脱ダムの実績もあるので、このタマなら吉田万三氏や共産党サイドも心置きなく一本化出来るのでは。おそらく本人も、立候補について考える以上は、そういう事も視野に入れての事ではないでしょうか。政治的には未知数な部分もあり、石原とは趣こそ違えワンマンな部分もありますが、少なくとも石原のようなゴリゴリのファシストでないのは確かでしょう。国家観・歴史観について言えば、寧ろそれとは対極的な信条の持ち主ではないでしょうか。

 私が「浅野で行こう」と言われてもイマイチその気になれないのは、候補者が民主党寄りで与党にも親和的という事や今までの経緯もさる事ながら、候補者が「優等生」的で「大人しすぎる」という面が否めないからです。相手はあの石原ですよ。あんなウヨクのバケモノみたいなのに対抗しようと思えば、それに圧倒されないだけのキャラの持ち主でないと、今まで石原に投票していた無党派層をこちらに引き戻すのは、はっきり言ってシンドイのではないでしょうか。相手が愈々本格的に軍艦マーチを鳴らして襲い掛かってこようかというのに、「当たり障りの無い八方美人」的な立ち位置や「手作り・市民・情報公開のイメージまず先に在りき」的なマニフェストで、果たして打ち勝つ事が出来るのでしょうか。

 田中康夫氏は、そういう意味で言っても、「石原打倒」のカリスマ性という点でも、吉田氏や浅野氏なんかとは比べ物にならない位の「破壊力」を期待でき、「石原B層」の無党派票もごっそり吸収出来るのでは。そういう手法は「小泉劇場」そのものであり「禁じ手」であるのかも知れませんが、それ以上に、これ位の「毒を以って毒を制する」でないと石原ファシズムを打倒出来ないのではないか、という気がします。新党日本結成に至った経緯については不透明な部分がありますが、それはもうこの際ですから私としては余り拘りません。

 私がこんな事を書いたら、「この期に及んで今頃何を血迷った事を」と訝しがる人もいると思います。「また一人、後出しジャンケンで出てきやがって」という声が、恐らく浅野・吉田の両陣営から上がる事でしょう。しかし、これも双方にとっては痛み分けという事で、逆に言えば、もう一度候補者選定を一旦白紙に戻した上で一から出直すチャンスなのではないでしょうか。まだ当人が正式に出馬表明した訳ではありませんし、告示日が迫っているのも確かです。しかし私は、ここに最後の一縷の望みを託しても良いのではないかと思います。
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ボールはあくまでも浅野氏の側にある

2007年03月14日 00時41分04秒 | 反石原・’07東京都知事選
 東京都知事選挙で、浅野・吉田の両「反石原」陣営の間で候補者を一本化出来ないか、という話が暗礁に乗り上げています。確かに、私も率直に言って、現状では吉田陣営単独では石原三選阻止は非常に難しいと思います。吉田候補よりは可能性が高いと言われている浅野候補でも、単独で石原都政を倒すのは至難の技でしょう。候補者乱立の今のままでは、せっかくの石原都政打倒のチャンスをみすみす逃す事になるのは、目に見えています。

 「反石原」候補が一本化出来ればそれに越した事がないのは、浅野陣営も吉田陣営も、本音の所では分っていると思います。そうであるにも関わらず、候補者一本化が出来ないのは何故でしょうか。私は、「最初にボタンを掛け違えた」浅野陣営の側に、より多くの責任があると思います。そして、それは取りも直さず「ボールは今はあくまでも浅野氏の側にある」という事でもあります。

 浅野陣営の側は、「吉田陣営が独自候補擁立に固執するのは、共産党のセクト主義によるものだ」と批判しますが、私はそれは「少し違うのではないか」と思います。
 だってそうでしょう。東京で石原の独裁政治と一期目から闘ってきたのは、候補者サイドでは吉田万三さんと「革新都政をつくる会」、政党サイドでは共産党だけだったでしょう。この間の「反石原」世論の盛り上がりも、これらの人たちの今までのキャンペーンがあったからでしょう。それに対して、キャンペーンが盛り上がってからやにわに「後出しジャンケン」みたいに出てきて、最初から石原独裁と闘ってきた人たちに対して、いきなり頭から「お前らでは力不足で勝負にならないから、俺たちと代われ」なんて態度を取られたら、そりゃあ別に共産党の志位委員長でなくても、私でもカチンときますよ。最初に浅野陣営や民主党サイドがとった態度というのが、正にそれではないですか。

 元々民主党は東京では石原都政の与党でした。石原都政の大型開発優先・福祉切り捨てや側近・ワンマン政治、「日の丸掲揚・君が代斉唱」押し付けにも、無条件に賛成してきました。そんな中でも吉田候補は、昨年11月の、その後に浅野候補擁立の母体となった市民団体「東京を。プロデュース」の主催による最初の会合に出席して、「反石原」共同候補擁立にむけての協議に加わりました。その時点で吉田候補は既に都知事選に出馬表明しており、会合の席上でも共同の申し出を行いましたが、民主党に蹴られました。その頃は浅野候補は名前すら浮上していませんでした。

 それが今年に入って、当該市民団体の間で浅野候補の名前が浮上してきました。最初は浅野氏本人も出馬するのかしないのか迷った挙句、「反石原」の世論に絆された(便乗した)形で、最終的に出馬表明をしました。普通ならその次に、先に「反石原」で出馬表明していた人との間で、公約のすり合わせや政策協議、共同候補の話し合いが為されるのが筋でしょう。本当に石原に勝つ気があるのなら。しかしそれより先に、それと前後して「まず浅野在りき、吉田では勝てないから降りろ」という話がいきなり出てきました。

 「セクト主義」云々という批判は、双方が最初から「反石原」の立場でそれぞれ活動してきて、尚且つ双方の側から共同の歩み寄りの模索があって、それでも尚且つ、どちらか一方が自分の立場に固執し共同の歩み寄りを放棄した時に、始めて言える事です。今回の場合は、それ以前の問題でしょう。

 遅れて出馬レースに出てきた人が手を挙げた際に、先に手を挙げていた隣の人の顔に、うっかり手をバシッと当ててしまった。それが偶然か故意かは分らないが、顔に手を当ててしまったのは事実だ。そういう場合、普通はどうしますか。まずは、手を当ててしまった人が当てられた人に対して一言「ゴメン」というのがケジメでしょう。
 しかし手を当ててしまった方は、そういうケジメを一切つけずにそのまま手を挙げ続け、周囲の人間も周囲の人間で、先に手を挙げていた人にいきなり、「お前は普段から独りよがりで役不足だから、この際お前は手を下ろせ」と、ある事ない事お構いなしに一方的に決め付け始めた。それで、今まで先に手を挙げていた人を応援していた人たちはすっかり逆上してしまい、後で手を挙げた人たちに対して、今度はその人たちとの過去の言い掛かりを蒸し返し始めた。・・・それがこの間の経過ではないですか。

 浅野氏の出馬表明を境にして、共産党が浅野批判キャンペーンを始めた事については、いろいろ議論がある事でしょう。私から見ても、あれは少し大人気ない態度だと思います。その事によって、今度は共産党の方が更に候補者一本化の可能性を遠ざけてしまう事になりました。しかし、この共産党の、確かに戦術論としては色々議論のある所の対応ですが、これも一方的に「共産党だけが悪い」とか「共産党はセクト主義だ」いうのは、私は共産党にとっては余りにも酷な評価だと思います。逆上の原因については一切不問にしたままで、逆上した事やその程度だけを取り上げて問題視するのでは、不公平の謗りは免れません。

 若しこのまま仮に、共産党が安易に吉田候補を降ろす形で決着を図ってしまったら、今まで吉田候補を支持していた人たちから総スカンを食います。「では、今まで吉田候補を支持してきた事は一体何だったのか?」という事ですから。私自身も、こんないい加減な決着の仕方では納得できません。だから共産党も、安易に浅野候補に収斂する形での候補者一本化は飲めないのです。たとえ、戦術的には「一歩後退、二歩前進」という可能性も考慮に入れなければならない事が分っていても。これは「セクト主義」とか「主要社民打撃論」とか言う以前の問題です。

 浅野陣営からすれば、私の言っている事は、「やっとこさ当人をその気にさせて出馬表明まで漕ぎ付けたというのに、何を外野が偉そうに」という事になるのかも知れませんが、私は何も間違った事を言っているとは思いませんし、浅野氏に無理難題を押し付けているとも思っていません。浅野氏も政治にズブの素人ではないのですから、私の言っている事ぐらいは分る筈です。また、若し民主党がこの事でとやかく言ってきたとしても、今は浅野氏の方が民主党を引っ張っている優位な立場に立っているのですから、当人にその気さえあれば、浅野氏の方から充分説得出来る筈です。
 まずは、浅野陣営の方から吉田陣営に対して、ボールをきちんと投げ返す事が先決だと思います。候補者一本化に向けて、政策をどうすり合わせるかとか、誰に一本化するかとかいう事は、全てそのケジメがついてから後の問題です。


※追記:
 上記内容の文章を、先程ほぼそのままの形で、「浅野史郎・夢らいん」の、マニフェスト募集のページにも送信しました。「マニフェストの提案でもないのにそのままの形で送信するのは、流石に如何なものか」と思いましたが、もう都知事選告知日までそう日数がありませんので、とりあえず今の自分の思いの丈を書いて送らせてもらいました。
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小泉劇場を逆手に取る、それも浅野vs吉田で

2007年03月10日 10時51分52秒 | 反石原・’07東京都知事選
 東京都知事選に関連して、「そいつは帽子だ!」というブログに、面白い記事が載っていました。「小泉劇場」を逆手にとって、「石原」以下は徹底無視して「浅野vs吉田」の「大どんちゃん騒ぎ」を巻き起こす、というのです。

●夢の保革一騎打ち(そいつは帽子だ!)

(開始引用)
右 浅野候補支持:自民・民主 保守、リベラル etc
        VS
左 吉田候補支持:共産・社民 護憲、平和主義 etc

これが普通の選択だ、それで以下に

泡沫 イシハラ
泡沫 クロカワ
泡沫 マルヤマ?

これらは完全にスルー
だって何してくれるのかわかんないんだもん
都民のために

現状では
共産党が浅野候補を叩いて
浅野候補支持者が共産党を叩いている
反イシハラ陣営にとっては、非常に憂慮すべき状況に見える
だがここに勝機が見出せないかと考える

吉田 VS 浅野

この構図でどんちゃん騒ぎを展開して
現職石原を完全無視するのだ
(引用終了)
 http://teagon.seesaa.net/article/35557109.html

 我々はともすれば、昨今の「右傾化」風潮や、職場・地域・家庭であふれ出る「B層」言説に引きずられる余り、「今はもう革新の時代ではない」とか「浅野でないと石原には勝てない」とかいう消極的な発想に陥ってしまいがちです。しかし、この「右傾化」の今だからこそ、敢えて「浅野vs吉田」のどんちゃん騒ぎで「打って出て」、「自民・ウヨク大好きB層」をそっくりそのまま「貧乏人の大反乱」に変えてしまう。「浅野でないと石原には勝てない」と萎縮するのではなく、逆に積極的かつ徹底的に「石原叩きに徹する」と。

 私はそれに加えて、次のように考えます。出来るならば浅野擁立仕掛け人団体の「東京。をプロデュース」辺りが接着剤になって、以下の様な「浅野vs吉田」大公開討論会の場を作っていただけたらなあ、という気がします。

 その討論会では、「石原」系(黒川その他の傍系・亜流候補も含む)の存在・動静は徹底的に無視した上で、石原の今までの数々の悪行・ヘイトスピーチについては徹底的に叩いて叩いて叩きまくる(ここ肝心)。そこにブルジョア・マスコミも総動員する(読売・産経に貶されるのは当然折込済、話題にされる事に意義あり)。そして、その討論会を皮切りに、選挙戦でも「お前ところこそ石原与党だったじゃないか」「いや、お前ところの党内体質こそ、石原と似たり寄ったりじゃないか」「あんな赤尾敏(注)みたいな石原に出し抜かれて恥ずかしくないのか」と、互いに思う存分「石原をネタに」(ここ肝心)罵倒しまくる。それも「貧乏人大反乱」のノリで、街頭でボケとツッコミのお笑いパフォーマンスに徹して。

 そうして散々相手を罵倒しまくった挙句に、選挙終盤情勢如何によっては、投票日直前に「今までの論争の結果、とにかく石原三選阻止を最優先に考える事にした」という事で、どちらかに候補者を一本化する事もあり得る。但しその場合でも、候補者一本化工作の帰趨を決するのは、民主党でも共産党でもなく、あくまでもネット投票などで示された「反石原」の世論動向である。そうして、有権者の心の中に「石原のボカサぶり」を徹底的に焼き付けた上で投票日を迎える、と。

 こうすれば、浅野陣営も吉田陣営も、今の様な「疑心暗鬼」や「腹の探り合い」ではなく、互いに自分の思う所を存分に述べる事で、後腐れの無い論争を繰り広げる事が出来るし、しかもその事で、分裂を深めるのではなく逆に「反石原」票の掘り起こしにも繋がるのではないでしょうか。自民党お家芸の「保守分裂による票の掘り起こし」や「小泉vs抵抗勢力の演出」を逆手に取ったこの方法、あながち荒唐無稽な試みでもないように思うのですが、どうでしょうか。

(注)後日、「赤尾敏」についても、もう少し詳しく調べてみました。さすが右翼だけあって、全体的に見ると言っている事はもうトンデモだらけですが、下記発言に限って言えば、何だ石原よりはまだよっぽどマトモじゃないか。石原は<赤尾敏にすら劣る>単なるゴロツキの様で。

>「今の右翼(注:自民党応援団の既成右翼の事)は口ばっかでね、いい加減なことばっかやってんだよ。民族主義なんて言葉だってそうだ。民族主義なんてものはいかんよ、君! そんなことで世界が平和になるか。キリストでも釈迦でも孔子でも、民族の道は説いていないよ。人類普遍の道を説いているんだ。共産主義も世界的だよ。民族を超えてるんだ。民族主義なんて、バカの言うことだ。日本民族だけがよければいいというのは、民族利己主義じゃないか。(以下略)」<
 http://www.hh.iij4u.or.jp/~iwakami/right1.htm
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