2023年の幕が開きました。新年明けましておめでとうございます。今年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。
新年早々から朗報です。コロナ禍で休止を余儀なくされていた釜ヶ崎の越冬祭りが今年から再び始まりました。大阪・西成あいりん地区(旧称・釜ヶ崎)の萩之茶屋南公園(通称・三角公園)を中心に、野宿者支援の炊き出しや、野宿者を無法者の襲撃から守る為の集団野営、公園ステージのイベント、難波・梅田など繁華街で暮らしている野宿者に対する夜回り・弁当配布・医療支援活動が、50年ほど前から毎年暮れの時期に行われてきました。これらの支援活動を総称して「越冬闘争」と呼ばれます。何故、単なる支援活動ではなく「闘争」なのか?野宿者にとっては仕事のなくなる年末年始を生き抜く事自体が一つの「闘争」だからです。しかし、幾ら「闘争」でも野宿者自身が楽しく参加できなければ意味がありません。そこで三角公園で毎年盆と暮れの時期にコンサートが開催されてきました。それが釜ヶ崎の夏祭りと越冬祭りです。
その越冬祭りが、2019年の年末を最後に、コロナ禍の為に2年間休止を余儀なくされてきました。炊き出しも人の密集を避ける為に弁当配布に縮小され、夜回りだけが行われてきました。今もコロナ禍は依然として猛威を振るっていますが、コロナウィルスの「弱毒化」に伴い、今年から越冬祭りが再開される事になりました。私もつい最近まで、このあいりん地区に住んでいて、釜ヶ崎の夏祭り、越冬祭りには毎年参加して来ました。今年から再び越冬祭りが行われるようになると聞き、昨日の大晦日に久しぶりに顔をのぞかせて来ました。
越冬祭り会場の三角公園への行き方は上の地図を参照して下さい。グレーの線と囲みがJR・南海・阪堺各線の線路と駅、ピンクの囲みが旧あいりんセンター、ピンクの直線が南海電鉄萩ノ茶屋駅から阪堺線今池駅の方に抜ける萩之茶屋商店街、オレンジの囲みが祭り会場の三角公園です。下の表は祭りイベントのコンサートプログラム(12/30~1/3日開催)で、私はその中の12月31日の部、17時から始まった中川五郎さんのコンサートに顔をのぞかせて来ました。
中川五郎さんの熱唱は圧巻でした。この方は60年代末からギターでフォークソングの弾き語りをされています。その頃の世代の方にとっては、高石ともや、ザ・ナターシャセブン、六文銭などとともに、割と名の知られた方だったそうで。その方が、70歳を超えた今でも、現役のフォークシンガーとして活躍されていました。会場で聴いたのは「図書館でデモをする」「一台のリヤカーが立ち向かう」の2曲です。どちらもスマホでビデオ撮影しましたが、残念ながら容量オーバーと著作権法との関連でブログに載せる事が出来ません。どちらの曲もYouTubeで公開されていますので、興味のある方はそちらのリンクを開いて聴いてください。
私はむしろ、それら2曲よりも、「1923年福田村の虐殺」という曲に圧倒されました。この曲も越冬祭りの会場で演奏されたそうですが、私は残念ながら聴く事が出来ませんでした。1923年の関東大震災で、多くの朝鮮人や社会主義者が虐殺されました。震災の混乱の中で、「朝鮮人や社会主義者が、混乱に乗じて日本を乗っ取ろうと、井戸に毒を投げ込んだ」と言うデマが、警察も含めて半ば意図的に流された中で、起こった出来事でした。殺されたのは朝鮮人や社会主義者だけではありません。香川県から行商にやって来た被差別部落の人も、千葉県野田市の利根川の渡しの所で、大勢殺されました。被差別部落の人が「我々は日本人だ」と幾ら説明しても、千葉の人は讃岐弁が分からず、「喋り方がおかしい、こいつら朝鮮人じゃないか?」と疑われ、行商人15人のうちの9人もの方が虐殺されたのです。
虐殺に加わったのは地元の自警団に組織された200人もの村人です。その中で逮捕されたのはわずか8名のみ。その8名も後の昭和天皇即位の恩赦で釈放されています。逮捕者の家族には村から見舞金まで支給されています。その反面、被害者の被差別部落の人には謝罪も補償もありませんでした。千葉だけでなく地元の香川県でも、真相は闇から闇に葬られ、最近まで明るみに出る事はありませんでした。ようやく数年前に、虐殺現場となった利根川の渡しのたもとに慰霊碑が建てられたそうです。(Wikipediaの解説記事参照)
福田村事件について書かれた本と、同事件を題材に今年公開される映画の写真。
私、そんな事全然知りませんでした。それどころか、中川五郎さんの名前も知りませんでした。近年、北朝鮮の拉致問題やミサイル発射報道の影響で、在日朝鮮人へのバッシングや、「従軍慰安婦なぞ居なかった、あれはただの売春婦だ」というデマが広まっています。戦前は今と違い公娼制度(国が限定付きで売春を認めた)がありましたが、その公娼制度の下でも、娼妓(しょうぎ)取締規則で「強制売春」は禁止されていました。建前上は、あくまでも本人の自発性に基づく許可営業だったのです。実際は借金返済の為に遊郭に売られた人がほとんどでしたが。それに対し、慰安婦は「いい仕事がある」と騙されて連れて来られた人が大半です。公娼制度下の建前上の「許可」や健康診断受診などの「保護」措置もありませんでした。従軍慰安婦は当時でも違法な「強制労働」の「犯罪行為」です。
私のブログでも過去に北朝鮮の拉致問題を取り上げた事がありました。拉致問題をきっかけに、北朝鮮国内の政治犯収容所の存在や、餓死寸前の北朝鮮難民が中国や韓国、日本に逃げてきた脱北者の存在が明るみに出て来ました。私のブログでも、北朝鮮の人権侵害に対して抗議のキャンペーンを張りました。しかし、その一方で、北朝鮮拉致問題を口実に、国内の在日朝鮮人に対するバッシングが広まり始めました。拉致被害者支援に名を借りて、朝鮮人差別を煽る投稿が目に付きだしました。それに対して、私は次第に距離を置くようになりました。幾ら北朝鮮の人権侵害が酷くても、それとは何の関係もない在日朝鮮人を叩いたり、過去の戦争犯罪に目をつむるのは筋違いじゃないかと。
その中で知ったのが、中川五郎さんのこの歌でした。朝鮮人虐殺の犠牲になったのは朝鮮人だけではない。同じ日本人も犠牲になった。日本人の中でも被差別部落の人が、「怪しい行商人」として震災の混乱の中で殺された。被差別部落の人は、貧しさゆえに田畑を持てず、高い小作料も払えず、やむなく行商で生計を立てる他なかっただけなのに。差別や排除の対象にされるのは朝鮮人や慰安婦だけではない。被差別部落民や野宿者、非正規労働者も差別の対象にされる。不景気になれば真っ先に首を切られるのは派遣の労働者だ。現に私も、世間が休みの正月も、通常の休み以外は働かなければならない。これが差別でなくて一体何なのか?
中川五郎さんの「福田村の虐殺」の歌詞は余りにも長いので、ブログの字数制限の関係で全文を転載する事は出来ません。ここでは後半の一部だけを転載する事にします。歌詞の最後の「デマや流言飛語に弱いのは臆病者の証拠 信じることから始めよう、人はみんな同じ」のくだりは、私も含めて今も全ての日本人の胸に突き刺さる言葉です。たとえ正月であっても。むしろ年頭の正月だからこそ。
見知らぬ人には親切に、苦境の人には助けの手を
それがよその土地の人であれ、よその国の人であれ
たとえ自分たちと違っていても、言葉が違っていても
信じることから始めよう、それが人の心というもの
昔も今も日本人はよそ者を嫌い、
身内だけで固まる狭い心の持ち主なのか
デマや流言飛語に弱いのは臆病者の証拠
信じることから始めよう、人はみんな同じ
※追記:コメント欄に「福田村の虐殺」歌詞全文を投稿する事が出来ました。gooブログでは、本文の方は字数オーバーで投稿出来なくても、コメント欄なら出来るようですw。
株の入門書を勧められて読んだ。漫画で読みやすかったが、株を買う金のない人には縁のない話である。それでも、円安の恩恵に浴するのは自動車などの輸出産業だけで、原材料を輸入・加工・販売する小売業には物価高などの悪影響しかなく、それを推進したアベノミクスが如何に酷い物だったか良く分かった。







衆院選が終わった後なので本当は選挙の総括も書きたいのですが、党派別比例区得票数の推移集計に予想以上に手間取り、記事作成になかなか踏み出せないでいます。その代わりに、兵庫県三田市にある人気スイーツ店エス・コヤマの長時間労働について、私がつぶやいたツイート(ツイッターでのつぶやき投稿)を下記にまとめました。最初の私がツイートに対して、ケツメドJPさんという方からリプライ(返信ツイート)があり、それに応える形で、私が更にツイートしています。以後のツイートも、一応ケツメドJPさんへのリプライの形にはなっていますが、私自身としては、むしろ自分自身に言い聞かせる感じでつぶやきました。以下紹介します。末尾に(ケツメドJP)とあるのがその方のツイートで、それ以外の末尾に何も付いていない投稿は全て私のツイートです。
兵庫県の人気スイーツ店で月100時間以上の残業が常態化。労基署から2度も是正勧告。やりがい搾取が背景にあると識者がコメント。薄給のバイトや社員にパティシエの心構えを求める事自体が間違っている。幾ら美味しいケーキが作れても人が過労死していたら何もならない。仕事もやりがいも命あっての物種
社員の中には月のサービス残業が200~300時間超えの人もいたらしいです。 300時間と言ったら30日間は休みなしで1日10時間も残業するレベルです、過労死するレベルを超えている残業です。 1度目の是正勧告をしても、もし改善されない場合は営業停止や事業停止処分等の法律が必要です。(ケツメドJP)
実は私も残業が月100時間超えの時期がありました。生協勤務時代の末期です。慢性的なバイト不足の上に、正規職員の仕事を派遣など外部委託する為の業務マニュアル作成に追われる様になった為に。しかもその残業のほぼ全てがサービス残業。今から思えば私もやりがい搾取に洗脳されていたんだと思います
バイト不足の為、私が午前7時から出勤して冷凍庫の中で少ないバイトと一緒に検品・仕分け作業。仕分けが終わらず午後6時位まで現場作業がずれ込み。そこから慣れないパソコン作業でマニュアル作成。帰りはいつも終電車で時々泊まり込みも。もうやりがい搾取どころか奴隷労働。ほうほうの体でやっと退職
やりがいを感じられるうちはまだ良い。奴隷労働のレベルになると、まともな考えが出来なくなる。ただ過労死させられるだけでは癪だからパワハラ上司と差し違えて死んでやるとか、妄想が頭をよぎる様になる。別にそんな事しなくても、賃金不払いは犯罪行為なんだから、労基に告発すれば良いだけなのに
だから、従業員がケーキ職人になる事を夢見て長時間労働を受け入れて来た話も、決して他人事とは思えないのです。たとえ長時間のサービス残業やパワハラが横行する職場であっても、我々は生協運動やってるんだと。違法労働やパワハラが横行する時点で、金儲け主義のスーパーとも何ら変わらないのに
仕事にやりがいを求めるのは決して間違ってはいない。同じ仕事をするなら、やりがいが感じられないより感じられる方が良いに決まってる。しかし、命を削ってまで求める仕事ややりがいなぞは無い。そんな物は新興宗教のお布施ノルマと同じで、ブラック企業搾取の常套手段だ
私のブログの下記記事に、その当時の事が書かれています。今初めて明かす、いずみ生協問題 - アフガン・イラク・北朝鮮と日本 (goo.ne.jp)
このいずみ生協にも労働組合はありました。しかし、その労組も今から思えば生協の「企業内組合」だった様に思います。生協運動を頑張る中で労働者の権利も守って行く、みたいな。しかし、ハラスメントが横行する様な職場に、真のやりがいなぞある筈がない。仕事にやりがい求めるより先にパワハラ無くせ
私が今の会社で、バイトの組合のない職場でも、1人からでも入れる労働組合に入って、おばちゃん委員長と2人で会社幹部4人相手に団交に臨んだり、会社の労災揉み消しと闘えたりしたのも、もう二度と生協勤務時代の様な惨めな事は繰り返してはいけないと、痛切に思ったからです ※この件の詳細については次の記事参照。11.24団交の到達点を改めて再確認しておこう - アフガン・イラク・北朝鮮と日本 (goo.ne.jp)
この最初の団交は散々な結果に終わりました。会社が備品の台車を買う金ケチった為に、わざわざ台車が空くまで待って、重たい荷物を空の台車に積み替えなければならなくなった。その証拠写真を団交の場で会社に突き付けたら、逆に勤務時間内に組合活動した、果ては機密漏洩だと突っ込まれた。(続)
団交は失敗に終わったと皆思った。しかし実際は翌日の朝礼で、無理に一人で積み替えなくて良くなった。1人では無理なら2人で、2人でも無理なら誰か出来る人に。無理させて怪我させたら会社の責任になるから。これが団交の威力です。(続)
そこから次の手が見えて来る。法律には荷物の重さに制限はないと会社は言った。確かに労働基準法には重量制限の規定はない。しかし、労基法第1条にはそれに代わる条文がちゃんとある。この法律に定める基準は最低限のもので、定めがないからと言って基準を緩める様な事をしてはならないと。(続)
写真撮影がダメならスケッチで代用すれば良いのです。勤務時間も勤務場所も休日も皆バラバラ、これでは団結なんて無理と思っても、駅前の集合場所で送迎バス待つ間ならビラの一つ位撒けるじゃないか。勤務時間外に社外で何しようが個人の自由なんだから。最初から諦めていたら何も出来ない
ウチは大手スーパーから仕事を貰って、それで食っている下請け企業だ。仕事をくれるスーパーには逆らえない?いいえ、私達は只の下請けではない。そのスーパーの商品を買う消費者でもある。消費者を蔑ろにするようなスーパーには不買運動で対抗する事も出来る
その後の労災揉み消し事件についても述べておく。改装工事中の見通しの悪い作業場で、私が台車を運んでいる際に、前の作業者の後ろ足に台車を当ててしまった事があった。そいつは私に治療費と慰謝料を請求して来た。会社に労災申請しても、従業員の不注意による事故では労災降りないと言われて(続) ※この件の詳細については次の記事参照。これは俺だけの責任か? - アフガン・イラク・北朝鮮と日本 (goo.ne.jp)
確かに第三者行為(従業員の不注意)による事故には労災は適用されない。でもどんな不注意にも労働問題が絡んでいる。運転手の居眠り運転にも過労運転が背景にある様に。それを全て自己責任にしてしまったら労災なぞ画餅に終わる。改装工事に伴う障害物除去や注意喚起を怠った会社にも当然責任はある
それらを外部労組の援助も受けながら会社に労災申請したらあっさり認められた。脅かしに屈したらそこで負け。何でもゴリ押しすれば良いと言う物ではないが、ここ一番と言う時には絶対に引いてはいけない。自分で自分を追い込んで自殺してしまったり、京王線の犯人の様に暴発してしまっては絶対にダメだ
それともう一つ大事な事。何事も他力本願ではダメ。私が生協にいた時も労働組合員で、しかも共産党員だった。でもどこかに組合や共産党が助けてくれるという意識があった。常に相手頼みで、自分の意志はそんなに強くなかった。しかし、実際は組合も「企業内組合」で、共産党も職場のパワハラは黙認
幾ら労組や共産党でも、所詮はサポート役に過ぎない。肝心の自分が動かない事にはサポートも出来ない。それが分かったからこそ、今の職場では腹据えて闘えたのだ。その後、私は組合からも共産党からも抜け、今はしがない下請け企業の一バイトに過ぎない。でも生協時代より今の方が遥かに充実している
そうすると面白いもので、仕事でも評価されるようになった。職場にベトナム人のバイトが急に増え出し、仕事のやり方教えるにも一苦労。そこで写真入り、漢字振り仮名付きのマニュアルを作業場に掲示したら、仕事の引き継ぎが上手く行く様になった。どんな困難な事態にも打開策はきっとある


兵庫ゴールドトロフィーの馬券を買いに訪れたDASH心斎橋に、園田競馬の馬券の買い方を説明した漫画のパンフレットが置かれていました。私はその漫画を読んで、「そう言えば、今、非正規雇用で勤めている物流センターや、今住んでいる西成あいりん地区にも、こんな人が一杯いるなあ」と思いました。刹那的ではあっても、その日一日を精一杯生きている、そんな漫画の登場人物の気持ちが、今ではかなり分かるようになりました。
漫画の説明をすると、大隅春香という競馬ビギナーの女の子が、中央競馬(JRA)のテレビ・コマーシャルに出て来るようなイケメン男子との出会いを求めて、園田競馬場にひょっこりやって来ます。そこで、競馬ファンと思しき同年代の女の子と出会います。その女の子の名前は山田火酒。火酒と書いてウォッカと読みます。いわゆるキラキラネームです。酒飲みの親父が、女の子にそんな名前を付けたのです。
山田火酒の親父はもう肝臓がんで亡くなっています。その代わりに、競馬場で山田と知り合った労務者風のオッサンが大隅春香の前に登場します。大隅が労務者に名前を尋ねても「何でそんな事聞くねん?名前なんか何でもええやないか」と返されてしまいます。そしてパンフレットには「ビギナーズアドバイス」として「競馬場で出会った人の個人情報や過去を深く詮索するのは避けましょう。人それぞれ色々とふれられたくない過去があるのです」と書かれているのです。
あいりん地区での処世術も、全くこれと同じです。個人の過去をあれこれ詮索する人はまず嫌われます。あいりん地区の住民は外から来た人間をものすごく警戒します。目と目が合っただけでも「何メンチ切ってんねん!」と凄んで来ます。その代わりに、一旦お友達として認識されてしまうと、それまでの邪険な扱いとは裏腹に、手のひらを返すように親切に、色々と教えてくれるようになります。
但し、この「親切」も、時によってはものすごく馴れ馴れしく感じられる時があります。私が釜ヶ崎の夏祭りで買った「黙って野垂れ死ぬな」という文字の入ったTシャツを着て街を歩いているだけで、「兄ちゃん、兄ちゃん、そのTシャツかっこいいな!一体何て書いてあるねん!何々、黙って野垂れ死ぬな......そうや、その通りや、黙っとったらあかんねんで!」と勝手に盛り上がり、いつまで経っても私を離してくれません。これから会社に出勤しなくてはならないのに......(下の写真がそのTシャツ)。
以前の私なら、そんな人間には一切近寄ろうとしませんでした。でも今は、スーツ着てパリッとした礼儀正しい紳士よりも、むしろ、そんな変なオッサンの方に、より親近感が湧くようになりました。素の自分をさらけ出せるからです。周りに気を使わなくても良いからです。「~でなければならない」「~しなければならない」といった呪縛から解放されるからです。
今から考えると、私の生まれ育った家庭は、それとは正反対でした。公務員上級職の親父は典型的な毒親でした。外では物分かりの良い親父のふりして、家でお袋に暴力を振るっていました。子供の意見も一切聞こうとせず、自分の価値観を平気で子供に押し付けようとしていました。
親父は、役所内で労働組合の人から共産党機関紙の「赤旗」を勧められても断り切れずに自宅に持ち帰りながら、もう大学生になった私がその「赤旗」を読もうとすると、私の手から奪い取り、お袋にも「あいつに読ませるな」と命令するのです。直接私には言わずに。家で購読している新聞ぐらい自由に読ませろよ。それが嫌なら最初から購読するなよ。
私が生協に勤めだした時も、親父はお袋に「生協は共産党だ。すぐに辞めさせて教員採用試験を受けさせろ」と言っていたそうです。当時まだ生協に勤めだしたばかりで、早く新しい職場に慣れ、新しい仕事も一杯覚えなければならない時期に。それでお袋が「形だけでも受験してくれ」と泣いて頼むので、仕方なく筆記試験だけ受けて白紙答案を出して試験場から帰って来てやりました。
今の職場で労災もみ消し事件に遭った時も、私が労働組合に入って会社と闘おうとする姿勢を見せた途端に、私を庇うどころか、逆に会社と一緒になって「報告書にそんな事まで書くな」と、とにかく穏便に済まそうとしました。まるで暗に「泣き寝入りせよ」と言わんばかりに。
その挙句に婚活の強要です。「その年になってまだ独身なのか?今まで一体何して来たのか?ただ、のんべんだらりと生きて来ただけではないか」と言って、近所に住んでいるというだけで私とは一面識もない目の不自由な整体師の女性と、いきなり「結婚したらどうか?」と言って来たのです。一面識もないのに。それで私が「何故そんな事を言うのか?」聞くと、いきなり「お前、もう年いくつだと思っているのか!」と怒鳴り散らし始めたのです。
この婚活強要事件が決定打となって、私は実家を出ました。出勤時に電車の中から「自分の世間体ばかり気にして、俺にいちいち指図して、俺の人権も認めず、まるで所有物みたいに扱いやがって。もう帰らない」とメールを送って。親父はまさか私が本気で家出したとは思わなかったようで、夜11時頃まで「早く帰って来い」と命令メールをよこした挙句に、12時を回り翌日に日付が変わった途端に、今度は「いつ帰って来るのかなあ♪待ってるゼ!」と猫なで声メールに豹変。その夜はネットカフェに泊まり、翌日からは、あいりん地区のホテルから会社に出勤するようになりました。
しかも、そんな経過で今に至ったにも関わらず、親父はいまだに相手の釣書(婚活プロフィール集)を私に渡そうとするのです。そりゃあ、経済的な観点からすれば、一人より二人夫婦で住む方が、家賃や水光熱費、税金の負担も軽減されるでしょう。でも、今の非正規の給与では、私一人が食っていくだけで精一杯なのに、二人も養える自信がありません。相手にも両親はいるでしょうし、その両親の老後の世話もしなければならなくなる。これでは老々介護で共倒れになりかねません。
それに、親父の知り合いだとしたら、相手も親父と同じような人間である可能性が高い。上流階級の狭い世界しか知らず、常に上から目線で、地位や財産の有無で人間を差別するような人間である可能性の方が高い。私はそんな人と結婚したくはありません。そんな人と結婚するぐらいなら、まだ一生独身で通した方がよっぽど幸せです。
無理に結婚して、家族を守る為に、馬車馬のようにこき使われて、過労死してしまったり、うつ病になってしまっても、泣き寝入りしなければならないぐらいなら、まだ独身の非正規雇用のままでいる方が、精神衛生上はるかに健康的です。社畜の裕福より非正規の自由!
しかし、親父は何故そこまでして結婚に拘るのか?兄貴が何度聞いても、帰って来る答えは「人は支え合って生きて行かなければならない」と、まるで判で押したような抽象的な答えが返ってくるばかり。それが親父の本音だとはとても思えず。多分、早く私を誰かと結婚させて、夫婦で自分の面倒を見させようとしているだけではないか?
それでも私が相手の釣書の受け取りを断固拒否していたら、今度は何も思ったのか、いきなり兄貴を通して、私に百万円もの大金を送り付けて来たのです。「お前も大変だろうから家賃の足しにでもしてくれ」と。でも、私は、それを「有難い」なんてこれっぽっちも思いません。その百万円も、元はと言えば、私が就職してから実家に入れて来た給与の一部分に過ぎないのですから。親父はそうやって、社会人となった息子たちから預かった給与の一部を元手に、株や生命保険に投資をしてきたのです。それらも元は私の給与の一部です。
親父からもらった百万円は、その大半を年一括払いの生命保険ファンドの個人年金保険料の支払いに充て、残りを私の銀行口座に入金しました。確かにこれで生活は少し楽になりました。そこで、普段は見向きもしなかった地方競馬に、試しに三千円ほどつぎ込む気になったのです。ほんの暇つぶしです。今やコロナでどこにも旅行に行けず、明日からまた年末繁忙期の激務が待っているのですから、その合間のシフト連休に、地方競馬に三千円ほどつぎ込んだぐらいで、罰が当たる筈はありません。
先ほどの園田競馬ビギナーズ漫画に話を戻します。「私、年上の男の人が好き」とつぶやいた大隅春香の言葉を真に受け取った労務者風の男が、本気で春香にプロポーズ。しかし、春香は一足先に、職場で競馬ファンの男性社員と知り合い、二人で園田競馬場にやって来るようになる。それを知った労務者は失望の淵に。でも「生きてりゃあ、そのうちいい事あるさ」と、再び山田と競馬三昧の日々を送り始める……で終わります。
人生なんて、「生きてりゃあ、そのうちいい事あるさ」ぐらいのノリで送っていたら良いのです。親父からすると「のんべんだらり」と生きているだけかも知れませんが。でも、山田も労務者も、親父が知らない所では精一杯生きているのです。ホームレスですら、その日一日食つなぐ為に、必死になって缶集めに精を出しているのです。必死に努力しているという意味では、親父と何ら変わりません。
それを上から目線で「怠け者」と勝手に決めつけて、バカにする権利なぞ誰にもありません。どんな人間であろうと、自由・平等に、幸福に生きていく権利はあるのです。それを踏みにじる権利なぞ誰にもない。同じ努力するなら、単にホームレスにならないように努力するだけでなく、ましてや、他人をホームレスに蹴落として自分だけ助かろうとするのではなく、逆に、ホームレスを生まない社会を皆で作っていくように努力したいものです。



















