アフガン・イラク・北朝鮮と日本

戦争も人権抑圧もNO!万国のプレカリアート団結せよ!

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 アフガン・イラク戦争も金正日もNO!!搾取・抑圧のない世界を目指して、万国のプレカリアート団結せよ!

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住吉川沿いの桜並木

2022年03月30日 18時25分25秒 | 身辺雑記・ちょいまじ鉄ネタ
今日は近所にお花見に行って来ました。私が今住んでいるのは住之江区なので、まず真っ先に住吉公園が花見の名所に上げられます。しかし、住吉公園は花見の名所として余りにも有名で、例年お花見の季節になると大勢の人が押しかけます。コロナ対策で人混みは出来るだけ避けたいです。そこで、桜だけ見れて人混みの少ない所を探したら、ありました。
 
それが住之江公園周辺です。住之江区には住吉公園と住之江公園の二つの大きな公園があります。元々は住吉公園だけでしたが、国道26号線や南海本線の開通で公園が寸断されてしまったので、もう一つ住之江公園も作られる事になりました。
 
 
住之江公園周辺の桜の名所は主に次の三ヶ所です。一つは大阪護国神社の境内。護国神社は、戦没者を弔う為に、明治政府によって都道府県に一社ずつ作られた神社です。いわば靖国神社の地方版です。鳥居周辺では桜がもうすぐ満開を迎えていました。桜の周りでは骨董市が開かれ人で賑わっていました。
 
 
もう一つは公園のグラウンドや池の周辺です。公園の南側は花壇になっていて、綺麗な花が咲いていますが生憎桜の木はありません。それに対し、公園の東側から北側にかけて散策路が整備され、桜が見頃を迎えていました。池にはコンクリート製の太鼓橋もかかっていました。
 
 
最後に住吉川の川沿いです。住之江の競艇場や公園の北側を比較的大きな川が流れています。これが住吉川です。少し上流に行くと細江川と名前が変わり、川幅も大幅に狭まります。その住吉川の阪神高速ガード下から下流の住之江大橋のたもとまで、両岸に見事な桜並木が続きます。
 
 
川の両岸に遊歩道が整備され、桜並木を楽しむ事が出来ます。特に川の北側(右岸)では所々にベンチが設置されています。住之江大橋近くでは、土手が盛り上がり、まるで丘の上で花見を楽しむような気分になれる場所もあります。ここも週末となれば混雑しますが、それでも住吉公園と比べたら大分空いています。
 
ここから再び川の源流を巡ります。上流に遡ると、住吉大社の境内の横に出ます。住吉大社に奉納するお米を栽培する御田(おんでん)や、住吉大社末社の浅沢社や大歳社が現れます。川を挟んで南側(左岸)にあるのが大歳社で、北側(右岸)にあるのが浅沢社です。
 
 
浅沢社の周囲は池になっていて、杜若(かきつばた)が植えられています。以前来た時は水が枯れていましたが、今日はポンプから水が勢いよく出ていました。
 
 
橋を渡って対岸の大歳社に行くと、境内に一本だけ桜が咲いていました。境内には「おもかる石」が三つ並べて置かれていました。この石を持ち上げると願いがかなうと言われています。
 
そこから上流には、もう桜はほとんど見られません。南海高野線の鉄橋をくぐり、千躰(せんたい)の交差点に出ると、川は暗渠に変わります。そして交差点の先で、親水河川に変わります。暗渠の代わりに大阪市が整備した人工河川です。その人工河川のたもとに桜が二つ咲いていました。
 
 
私のお薦めの花見の名所は、何と言っても住吉川の桜並木です。ここも週末になると人で混み合いますが、住吉公園ほど人混みは酷くありません。桜が散るまでに、後もう一回ぐらいは花見が楽しめそうです。
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泉佐野の魚市場に行って来た。

2022年03月25日 19時53分22秒 | なにわB級グルメ探訪
 
3月23~24日とシフト連休でしたが、運転免許の更新や部屋の掃除、洗濯、ブログ更新などで初日を費やし、翌日も近所の整骨院のお試し無料診療で午前中が過ぎ、気が付いたらもうお昼前。
 
そこで、いつも夕食はレトルトや炒め物料理ばかりだったので、たまには新鮮な魚介類を食べようと、泉佐野漁協の青空市場へ。ただ新鮮な魚を食べるだけなら、大阪市内の木津市場の方が近いのですが、昔ここで写真撮影を巡り店主と少し揉めた事があったので、きれいな海の新鮮な魚を求めて大阪府南部の泉佐野までプチ遠出して来ました。
 
南海泉佐野駅を降りて泉佐野の下町を10分程歩くと、やがて漁港に出て、お目当ての青空市場が。市場の古びた建物の中に通路を挟んで約20軒の魚屋さんが軒を連ねていました。
 
 
市場の中には食堂も2軒ほどあり。私はそのうちの1軒、「裕太朗寿司」と言う店に入りました。最初は980円の「はみ出し海鮮丼定食」を注文しようと思ったのですが、生憎売り切れで、1500円の「大漁海鮮丼」に変更。消費税の150円にオプションの赤だしと穴子の天麩羅も注文したので、その分の330円も上乗せされて、合計1980円もの豪華な昼食に。
 
他のメニューも全体的に高めでした。確かにネタは新鮮でボリュームもあるのは認めますが、この程度のネタなら回転寿司や海鮮丼チェーンで千円程度で食べられるのでは?注文のタッチパネルなんかに金をかけ過ぎでは?市場の中には自民党や維新の候補者ポスターが方々に張り出されていたので、政治力を背景に殿様商売の上に胡座をかいているのではないか?
 
 
市場では「ちぬうみ丼」と言う地元食材を使った料理の宣伝もしていたが、これも別に青空市場だけでなく、駅前の大衆食堂でも食べる事が出来ます。むしろ、そちらで食べた方が安上がりで済むのでは?…次から次へと雑念が入ります。
 
 
しかし、出てきた大漁海鮮丼を食べた途端に、雑念は一挙に吹っ飛びました。刺身の具で丼が覆いつくされ、中のご飯が見えません。具を取り除くと、ご飯の上にしらすと錦糸卵が載っていました。非常に美味しく、ボリュームもたっぷりあり、私はすぐに満腹に。
 
 
帰りに土産でも買って帰ろうと市場の中を覗いたら、一盛り5匹以上ある舌平目が何と100円や200円の値段で売られていました。
しかし、舌平目を調理するには頭や内臓を取らなければならず、それらを取ったら身は半分ぐらいに減ってしまいます。調理の手間も考えたら、決して割安とは言えないし、生(なま)物で保存も利かないので舌平目はパス。
 
代わりに、ザル一盛り300円のちりめんじゃこを200円、一舟600円のいかなごくぎ煮を500円に負けてもらい、土産に買って帰りました。
 
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ゼレンスキー大統領の国会演説に対する違和感

2022年03月23日 22時22分03秒 | その他の国際問題
「国連改革が必要」ゼレンスキー大統領が国会でオンライン演説【ノーカット】
 
アジェンデ 最後の演説 チリ・クーデター (日本語字幕付) Salvador Allende ultimo discurso
 
先程放送されたゼレンスキー・ウクライナ大統領のオンライン国会演説を私も聞きました。聞いて非常に違和感を感じました。ゼレンスキー大統領に対してではありません。それをスタンディングオベーション(起立拍手)で迎えた岸田総理や衆参議長に対して、私は非常に薄気味悪い違和感を感じました。
 
客観的に見れば、この戦争は明らかにロシアによるウクライナ侵略戦争です。たとえ、どんなに双方に言い分があったとしても、先に手を出したのはロシアです。ウクライナが先に手を出したのではありません。
 
あくまでロシアが侵略者で、ウクライナはその被害者です。被害者の国の大統領が、世界各国に向けて、オンラインで侵略を非難するのも、当然の行為です。その非難する言葉の中に、多少行き過ぎた表現や誇張があったとしても、その為に侵略自体を免罪するような事があってはなりません。
 
問題はそれを聞く我々の側にあります。今回、ゼレンスキー大統領は、ロシアによる侵略を告発する被害国の指導者として、スタンディングオベーションで迎え入れられました。
 
侵略戦争に反対するのは当然の事です。まして日本は、過去に「大東亜共栄圏」の名目で、アジア侵略に走り、その反省の上に立って、平和憲法を制定した国なのですから。他国以上に、平和や自由・人権を擁護する立場に立たなければならない筈です。
 
しかし、日本政府は今までそのような立場で外交を行って来たでしょうか?日本国民も、そのような立場で他国民と交流して来たでしょうか?
 
例えばベトナム戦争の時はどうだったでしょうか?ベトナム戦争では、沖縄や岩国・厚木の米軍基地から、多くの戦闘爆撃機が飛び立ち、ベトナムの戦場を空爆しました。それに対して、日本の政府や国民は、当時のベトナム指導者ホーチミンに対して、スタンディングオベーションで応えたでしょうか?
 
確かに、「ベ平連」などの形で、反戦平和や侵略戦争反対の運動は盛り上がりました。横浜では市民が米軍の戦車輸送を阻止する戦いに立ち上がりました。でも大多数の国民は、それを対岸の火事として見ていただけではなかったでしょうか?酷い奴になると、戦争で一儲けしようと、「死の商人」に成り下がる輩も少なくなかったのではないでしょうか?
 
南米チリの反革命クーデターの時はどうだったでしょうか?選挙で民主的に選ばれたチリのアジェンデ社会主義政権に対し、米国は1973年に反革命クーデターをけしかけました。「9.11」は、米国では2001年のニューヨーク同時多発テロの日として記憶されますが、南米では、この米国による反革命クーデターの日として記憶されます。
 
アジェンデ大統領は最後の演説で米国の侵略を告発しました。このアジェンデ演説もゼレンスキー演説と同じ侵略に対する抗議です。それに対し、日本の政府や国民は、この決死の抗議に対して、スタンディングオベーションで応えたでしょうか?完全に黙殺しただけだったではないですか!
 
「当時はインターネットなぞ無かったから、スタンディングオベーションなぞ起こりようもなかった」と言いたいのでしょうか?別にインターネットなぞ無くても、ラジオ演説だけでも、流そうと思えば流せたのではないでしょうか?アジェンデ大統領が、最後にまだ唯一掌握していた放送局に託した、自決前の最後の演説を、テレビを通して全国放送する事も、可能だった筈です。
 
ミャンマーのアウンサン・スーチー氏に対してはどうだったでしょうか?軍事政権によって捕らえられた民主活動家のスーチー氏の演説も、オンラインで国会に流し、政府も国民も、スタンディングオベーションで応えるべきだった筈です。「平和・自由や人権・民主主義を守る側への支援を惜しまない」と、当時の政府は言っていたのですから。そして、当時はもう既にインターネットの時代に突入していたのですから。
 
しかし、日本はベトナム戦争、チリ反革命、ミャンマーの人権弾圧に対しては、沈黙したままでした。それどころか、ベトナム戦争では、米国に侵略の基地まで提供しました。ミャンマーの人権弾圧に対しても、形だけ遺憾の声を上げるのみで、裏では逆に軍事政権と血脈を通じているではないですか。
 
ミャンマーの軍事政権を育成したのは実は日本なのです。第二次大戦中に、当時ビルマと呼ばれたミャンマーでは、英国の植民地統治に対する独立運動が起こっていました。それを日本軍が、戦争遂行に利用しようとしました。「南機関」という軍直属のスパイ組織が、独立運動の指導者を拉致して、独立を認める代わりに日本への協力を迫ったのです。
 
そして、ビルマ独立義勇軍(BIA)を編成し押し立てて、ビルマを占領し、形だけの独立を義勇軍に与えました。しかし、実際は日本が英国に代わってビルマを新たな植民地にしただけでした。これが「大東亜共栄圏」なるものの正体です。やがて、その正体を見抜いた義勇軍は、親日から反日に転じます。その独立義勇軍の末裔(まつえい:子孫)がスーチー氏であり、南機関の一員だったビルマ人ネ・ウィンの末裔が、今のミャンマー軍事政権なのです。
 
この様に、ミャンマーについては、もはや日本は第三者ではありません。当事者でもあるのです。それに対して、日本の政府や国民は、どう振る舞ったでしょうか?親日か、反日か?米国寄りか、中国寄りか?そんな自国の都合で、ある時は独立運動や民主活動家を、またある時は軍事政権の側を、打算的に利用して来ただけだったではないですか!
 
ロシアのウクライナ侵略を非難しながら、米国のアフガン・イラク侵略は見て見ぬふり。ベトナム戦争に加担しながら、その反省もなしに、「今のベトナムは反中国だから応援する」と言う職場のパートや、ベトナム人労働者を低賃金搾取する事しか考えない日本のブラック企業。「ウクライナのゼレンスキー頑張れ!」とあれだけ言っていたのに、彼が日本軍の真珠湾攻撃を揶揄した途端に、ゼレンスキー叩きに変わる日本の右翼。
 
そんな日本が、自分に都合の良い時だけ、スタンディングオベーションで迎えても、最後には民主活動家の側からも、軍事政権や侵略者の側からも、見透かされ見捨てられるだけです。日本が真に平和・民主国家で、自由・人権の守護者であろうするなら、そこには一切のエコひいきや二枚舌があってはならない筈です。全ての侵略や人権侵害に抗議してこそ、初めて世界から尊敬される国になると思います。
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プーチンに戦争を止めさせる為の緊急署名

2022年03月15日 00時19分00秒 | その他の国際問題
 
どこぞの冷笑系の元サラ金顧問弁護士(橋下徹)が、「戦争反対なぞ叫んでも無駄。欧米諸国はエネルギーを依存している大国ロシアと妥協せよ」と言いながら、国民には「憲法改正で国防力強化」を説く二枚舌。
橋下が「国防力強化」で守ろうとしているのは、利権や政治権力であって、国民の命や人権ではない。だから、こんな「二枚舌」の詭弁も平気で言えるのだ。
しかし、現実は戦争反対の世論がベトナム戦争を終結に導いた。その後のアフガン戦争やイラク戦争はくい止められなかったが、核兵器の使用は今も全く許してはいない。
高校生が戦争反対の署名を集めると、日本ではすぐに「政治的」だの「左寄り」だのと批判する声が上がる。しかし、本来「戦争反対」に右も左もないはずだ。今、ロシアの国営放送中に反戦プラカードを持った女性が乱入した事がニュースで取り上げられているが、この女性に賛同しながら、高校生の反戦署名集めに眉をひそめるようでは、先に述べた橋下の「二枚舌」と同じだ。
「見て見ぬ振り」では虐めも戦争も絶対に無くならない。是非署名にご協力を!以下転載。
 
 
緊急署名 プーチン大統領、すぐに戦争をやめてください。
 
ロシア連邦政府によるウクライナへの軍事侵攻と核兵器使用の威嚇、原子力発電施設への攻撃に抗議します。

プーチン大統領、ただちに戦争をやめてください。

今回の国連憲章と国際法に違反したロシアの侵攻は、平和な世界を希求している私たちにとって許せるものではありません。

私たちが求めているのは、戦争も核兵器もない世界です。私たちは、世界で唯一の戦争被爆国であり平和憲法を持つ国の未来を担う主権者として、平和を求める世界中の人々と連帯し、「戦争反対」を強く訴えます。

〈呼びかけ人〉
沖縄高校生平和ゼミナール 東京高校生平和ゼミナール 広島高校生平和ゼミナール
〔署名集約日〕 2022年3月20日

*私たちは各地で平和について学び交流している高校生の平和学習サークルです。
*この署名はロシア大使館に提出します。個人情報はこの要請目的以外には使用しません。
*これはネット署名です。賛同していただける方は、下の欄に入力して「送信」してください。重複をさけるため紙の署名用紙に署名した方は、このネット署名には署名しないでください。
 
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季節は一気に冬から春へ

2022年03月14日 21時57分36秒 | 当ブログと私の生い立ち
 
季節は一気に冬から春に変わりました。今日は静岡や宮崎で最高気温が25℃を越えたそうです。つい1週間ほど前まで寒い寒いと言いながら防寒ジャンバーで早朝通勤していたのが嘘のようです。
 
暖かくなるのは結構なのですが、職場は寒い冷蔵倉庫で、服装もそれに合わさなければならないので、余り暖かくなり過ぎても却って身体が疲れます。
 
季節が春めくに連れて、スーパーの売場でも春物野菜が並ぶようになりました。春キャベツに新玉葱、新じゃが、筍など。私もいつものほうれん草だけでなく、カボチャにアスパラガス、甘とう(甘い獅子唐)も買う事にしました。
 
鮮魚コーナーでは真鰯がザル一盛りに6匹百円で売っていました。私は思いの安さに思わず買ってしまいました。
 
 
今日のお昼はいつも定番のベーコン・ほうれん草のパスタです。ベーコンは保存も利き、何にでも合うので、たいてい冷蔵庫に常備しています。ほうれん草も調理がしやすいので重宝しています。
 
 
ところが今日買った鰯は、血合いが入っていて、余り新鮮そうではありませんでした。フライパンにアルミホイルを敷いて、6匹とも一気に焼き上げましたが、焼き足らなかったのか、余り美味しくありませんでした。まだ3匹残っているので、明日はもう少しこんがり焼く事にします。
 
明日の夕食は、この鰯とカボチャ・ししとうか、カボチャ・アスパラで食べようと思います。これにベーコンを加えれば更に彩り豊かになるのではないでしょうか。
 
ところで、ベーコンもほうれん草も、食べ過ぎても余り良くないかも知れません。塩分や保存料、ほうれん草に含まれるシュウ酸の結晶が身体に悪影響を及ぼすかも知れません。
 
 
しかし、そんな事言い出せば、何も食べる物が無くなってしまいます。学校給食のマーガリンが毒だと言って食べるのを拒否した子どもの話題がツイッターを賑わしていましたが、そんな事言い出せば、私がいつも朝晩飲んでいるスティックコーヒーは一体どうなるのか?w
 
しかし、そんなズボラで家事下手な私でも、唯一自慢できる事があります。それは、一人暮らしを始めてから、インスタントラーメンとカップヌードルだけは今まで一度も食べなかった事です。どんなに忙しくても、どんなに家事を疎ましく思っても。彼の食品類が、保存料や着色料などの食品添加物、つまり「毒」の塊である事を、生協勤務時代に身に染みて知っているから。
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ウクライナ料理のボルシチを初めて食べた

2022年03月09日 20時24分46秒 | なにわB級グルメ探訪

今日初めてウクライナ料理のボルシチを食べました。実は、ニュースでウクライナの事が取り上げられるたびに、ウクライナの料理を一度食べてみたいと思っていました。でも、ウクライナ料理店自体の数が少ない上、コロナ蔓延防止措置で営業休止になっているお店も少なくなく、探すのに苦労しました。また、本格的なウクライナ料理の店は値段が高いので、簡単には手が出ません。そこで、色々探した末に、大阪市中央区の谷町6丁目にある「カフェ・ボーチカ」というお店で、ようやくお目当てのウクライナ料理を堪能する事が出来ました。

この「カフェ・ボーチカ」ですが、本来はロシア料理店なのです。でも、調べたらロシア料理の中にも元々はウクライナ料理だったものが数多くあるので、ここに食べる事にしました。地下鉄谷町線・長堀鶴見緑地線の谷町六丁目駅を降りて直ぐの所にお店がありました。マトリョーシカ(ロシアの木彫り人形)が店の壁を飾り、正面にも看板代わりに置かれているので、場所は直ぐに分かると思います。小さなお店なので、正午の開店と同時に席が全部埋まってしまいました。行くなら早めに行って店の前で並んで待たなければなりません。店の中には阪神タイガースのマトリョーシカも置いてありました。レジの前には、この3月19日から大阪でも封切られるウクライナを舞台とした映画「ひまわり」の宣伝パネルが置かれていました(後に映画の詳しい説明あり)。

私はピロシキランチを注文しました。ボルシチ(赤カブのスープ)とピロシキ(揚げパン)に野菜サラダが付いて税込千円のランチです。ボルシチもピロシキもロシア料理のように思われていますが、どちらも元はウクライナ料理です。まず最初に温かいボルシチが運ばれて来ました。スープと言うよりもむしろシチューに近いボリュームがあります。しかし、煮込み料理のシチューとは違い、野菜も豊富に入っています。キャベツに人参がどっさり入っていて、それ以外に玉葱やパプリカも。白いサワークリームがその上に載っていました。サワークリームとは、生クリームに乳酸菌を加えて発酵させたもので、そう言われれば味もヨーグルトによく似ています。程よい酸味が食欲を引き立てます。

ボルシチを食べ終わったらサラダが出て来て、やがてピロシキも出来上がりました。ところが、メニュー(左写真)のピロシキは揚げパンなのに、出て来たピロシキ(右写真)はパイで包まれていました。同じピロシキでもパイピロシキです。私は揚げパンのピロシキが食べたかったのに。でも、ボルシチが結構な分量だったので、パイピロシキで逆に丁度良かったかも知れません。パイの中にはポテトとビーフストロガノフがぎっしり詰まっていました。サラダの中の小鉢には、そばの実を炊き詰めたものの上にチキンが載せられ、サワークリームが掛けられていました。

ウクライナ料理には、他に餃子やロールキャベツがあります。餃子はロシアでは「ペリメニ」、ウクライナでは「ヴァレーニキ」と呼ばれます。ともに国の代表的な料理です。これもサワークリームをかけて食べます。メニュー左ページの右上がペリメニのスープ、左下がボルシチ、右下が単体のペリメニです。その中で、私はボルシチが気に入りました。野菜も多くて具だくさんなので、これだけで身体が温まります。日本で言えば鍋料理に相当するのではないかと思います。でも、サワークリームがヨーグルトみたいな味なので、コメ料理には合いません。合うのはやはりパン料理です。

以上、今までなじみがなかったウクライナですが、調べたら日本とも意外な所で少なからず接点がありました。何も知らない私が知ったかぶりして解説するよりも、在日ウクライナ大使館の公式ホームページからそのまま紹介した方がはるかに分かりやすいので、そのまま引用します。

  • 「ひまわり」

 第2次世界大戦時に引き裂かれた悲運の愛を描いたこの映画をご覧になった方は多いのではないでしょうか? 実はこの広大なひまわり畑は,ウクライナで撮影されたものなのです。ソフィア・ローレン扮するジョバンナが,行方不明となった夫マルチェロ・マストロヤンニ扮するアントニオを一面に咲き誇るひまわり畑の中で必死に探している姿は,みなさんの記憶にも鮮明に残っていることでしょう。
 撮影現場はキエフから南へ500kmほど行ったヘルソン州と言われています。今でも7月下旬頃にキエフから南下して郊外へ行くと,一面に咲きわたるひまわりを見ることができます。
 但し,面白いことに,日本で販売されている「ひまわり」のビデオの説明書にわざわざこう書いてあるのです。
 「(映画に出てくるひまわり畑は)ウクライナと信じておられる方には申し訳ないが,ひまわり畑はモスクワのシェレメチェボ国際空港の近くだった。」
 この映画が撮影された1960~70年代及びビデオが販売された時代には,ウクライナは旧ソ連の一共和国であり,外国人はクレムリンから80km以上離れてはいけないと言う規則があったため,多くの観光客がウクライナに押しかけるのを当局が恐れたせいかもしれません。
 この映画がウクライナで撮影された証拠に,ひまわり畑の中でソフィア・ローレンが老婆に夫の消息を尋ねるシーンがあるのですが,その老婆はウクライナ語で答えています。

  • 「戦艦ポチョムキン」

 ウクライナ南部の港町オデッサが舞台となったこの映画は,ラトビア・リガ生まれのエイゼンシュテイン監督が,モンタージュ技法という言葉を世界に普及させたものとして映画ファンには有名になっています。実はエイゼンシュテイン監督は,1910年代にモスクワの参謀本部アカデミー東洋部で日本語を学び,それがモンタージュ技法に影響を与えたと言うから不思議ではありませんか。
 例えば,「水と目の描写は“泣く(泪)”を意味する」といったことこそが「モンタージュ」だと彼の著作で述べられています。また,歌舞伎から「演技の切断」及び「演技の分解」のヒントを得たそうです。
 オデッサに行くと「ポチョムキンの階段」と呼ばれるこの映画に使われた階段があります。どこにでもありそうな階段なのですが,不思議なことに階段の下から見上げると,階段と階段の踊り場(数カ所あります)が全く見えず,あたかも長い階段が連なっているかのように見え,また,上から見下ろすと階段部分が見えず踊り場だけが下まで連なっているかのように見えます。残念ながら,現在では踊り場部分が広告になっており,上から下まで広告という味気ない風景になってしまいました。
 映画の中で,この階段を転げ落ちる乳母車のシーンがあるのですが,これに似たシーンは,映画「アンタッチャブル」を初め多くの映画の中に見られ,「戦艦ポチョムキン」が映画界にもたらした影響の大きさを測り知ることができます。

  • 「クレヴァニ 愛のトンネル」

 ウクライナの「愛のトンネル」は,日本においても有名になっています。2015年には,日本において「クレヴァニ 愛のトンネル」という今関あきよし監督,未来穂香主演の映画が公開されましたが,この映画は実際にウクライナにおいてロケを行っています。
 「愛のトンネル」とは,ウクライナの西部リーウネ州にあるトンネルで,木々に囲まれた鉄道路線上のトンネルが美しい景観を作っており,カップルがこのトンネルをくぐると願いが叶うという言い伝えがあります。ウクライナの首都キエフから車で約5時間かかる距離にあり,なかなか訪れることが難しいのですが,写真にあるように緑のアーチが続く不思議な世界を醸し出しています。
 映画の題名にあるクレヴァニとはトンネルのある場所の名前で,高校の教師と生徒との不思議な愛の物語の舞台となっています。今関監督によると,撮影にあたって一番悩まされたのがトンネル内の蚊の問題だったそうですが,主演の未来穂香さんは全く苦情も言わずに演技を行っていたそうです。映画にはキエフの中央駅やウクライナの美しい田舎の風景も出てきますので,この映画を見てからウクライナに来られると興味が倍増すると思います。(以上、ウクライナ大使館ホームページからの引用終わり)

今日は夜にウクライナ侵略反対の反戦デモが大阪でも予定されているそうです。私は翌日朝早くから仕事なので、このデモには参加できませんが、ロシアのウクライナ侵略には断固反対します。今日も地元の駅前で婦人団体が集めていた反戦署名に名を連ねさせてもらいました。同時に、欧米主導の軍事同盟NATO(ナトー:北大西洋条約機構)にウクライナが加盟する事にも私は反対ですが、それを決めるのはロシアのプーチンではなくウクライナの人民です。

ロシアのウクライナ侵略に反対するのも、ウクライナ人民の民族自決権を尊重するからこそです。たとえ、ウクライナの民族運動の一部にネオナチが加わっていたとしても、それを口実に、ロシアのウクライナ侵略を認める訳には行きません。それでは、かつてウクライナを侵略したナチスのヒトラーと同じ立場に成り下がってしまいます。今、日本では、自民党や「維新の会」が、ロシアのウクライナ侵略を口実に改憲を企んでいます。しかし、トランプやプーチンには何も言えずに、「ナチスの手口に学べ」と言い放ち、過去の大日本帝国の侵略も正当化するような彼らに、ウクライナを語る資格なぞあろうはずがありません。戦争反対、侵略反対、核廃絶、脱原発で、世界の人々が団結する以外に、ロシアのウクライナ侵略を阻止する道はありません。それを最後に声を大にして言いたいです。

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ウクライナ問題を扱った映画の紹介

2022年03月02日 17時13分25秒 | 映画・文化批評

2004年ウクライナ大統領選挙における州別得票分布。親ロシア系候補ヤヌコーヴィチの票が多い地域を青、親欧米系候補ユーシチェンコの票が多い地域をオレンジで着色。この分断状況に乗じて後者による前者の追い落としが始まる。後者陣営のシンボルカラーがオレンジなので「オレンジ革命」と呼ばれる。

2014年ユーロマイダン革命発生時の首都キエフにある独立広場の様子。こちらは親欧米派(ユーロ)による広場(マイダン)占拠がきっかけなので「ユーロマイダン革命」と呼ばれる。いずれの図や写真もウィキペディアから引用。

興味深い映画を見つけた。「ウクライナ・オン・ファイア」というドキュメンタリー映画だ。「プラトーン」などの映画を手がけたオリバー・ストーン監督が総指揮して仕上げた作品だそうだ。Netflix(ネットフリクス)の動画を誰かがYouTube(ユーチューブ)に上げたものを私も偶然観る事が出来た。

違法ダウンロードの可能性のあるリンクを貼るのもどうかと思ったが、それでも「知る権利」保障の公益性の方が優ると考えたので、敢えてここにリンクを貼る事にした。全部観るには約1時間半もの時間を要するので、出来れば時間に余裕のある時に観た方が良いだろう。

今ウクライナを巡っては、ロシアの侵略ばかりがクローズアップされるが、この映画を観た後は、それが如何に浅薄な物の見方であったか思い知らされた。ウクライナでは2004年のオレンジ革命に続き、2014年にもユーロマイダン革命という政変が起きる。いずれも独裁化した前政権に対する反政府運動が発展したものだが、それを欧米諸国が支援していた。

「欧米諸国が民主化を支援した」と言えば聞こえが良いが、実際には米国CIA(中央情報部)がウクライナ国内のネオナチを扇動して、ロシア系住民に対する虐殺を引き起こしたと、この映画は主張している。この虐殺が引き金となり、ウクライナ東部地域の独立、ロシアのクリミヤ半島併合、ウクライナ東西分裂、現在のロシアによる「独立国家承認」と、ウクライナ侵略に連なる一連の事件を引き起こしたと。そして、ウクライナだけでなく、中東諸国に広がった市民革命の波「アラブの春」など、他国の騒乱についても、CIAが関与したと。

私は、少なくとも「アラブの春」については、そういう側面も必ずしも無きにしも非ずかも知れないが、それでも基本的には独裁反対の民主化運動だと思っている。何故なら、「アラブの春」は左派軍事政権の国(シリア、リビア等)だけでなく親米独裁政権の国(エジプト、サウジアラビア等)でも例外なく起こっているからだ。

しかし、CIAが民主化支援を装いながら、他国の内政に干渉して来たのも、まぎれもない事実だ。例えば、1970年代に南米チリで起こったアジェンデ社会主義政権打倒クーデターにも、CIAが裏で関与していたのは、もはや公然の秘密だ。21世紀に入ってからも、米国政府機関NSA(国家安全保障局)が個人のネット情報を自由に盗聴していた事を、スノーデンが暴露している。

私はこの映画を観て、ウクライナという国の悲哀を改めて思い知らされた。周囲に高山や海などの天然の障壁に乏しく、生じっか大草原の穀倉地帯に国があるばかりに、周辺大国の覇権争奪の場にされ、ずっと内政干渉に晒されて来たのだから。それは次のウクライナ国歌の一節にもよく現れている。

ウクライナの栄光も自由もいまだ滅びず、
若き兄弟たちよ、我らに運命はいまだ微笑むだろう。
我らが敵は日の前の露のごとく亡びるだろう。
兄弟たちよ、我らは我らの地を治めよう。

我らは自由のために魂と身体を捧げ、
兄弟たちよ、我らがコサックの氏族であることを示そう。(国家の引用はここまで)

ウクライナは、1991年のソ連崩壊で、ようやく念願の独立を勝ち取る事が出来た。しかし、その後も大国の干渉は続いた。長年に渡る諸民族興亡の歴史を反映して、ウクライナ国内には様々な少数派集団が地域に分立している。その代表的なものが、東部を基盤とするロシア系住民と、西部を基盤とするポーランド系住民の対立だ。狭義のウクライナ人は、あくまで後者のみを指す。

その住民対立によって、政治も親ロシアと親欧米に二分され、同じような顔ぶれの政治家に政治をたらい回しにされて来た。歴代の大統領・首相の一覧表を見るだけでも、親ロシアのヤヌコーヴィチや、親欧米のユーシチェンコ、ティモシェンコなど、ごく少数の政治家に、政治が私物化されて来たのが分かる。

これではロシア帝国の昔とさほど変わらない。政治は常に親ロシアか親欧米かで争われ、それ以外のテーマは全て蚊帳の外に置かれて来た。ウクライナには、チェルノブイリ原発事故の後始末も含め、早急に解決しなければならない問題が他に幾らでもあるにも関わらず。

勿論、私はこの一事を以てロシアの侵略を免罪する気は更々無い。ロシア政府も、女性ジャーナリストを拉致したり、英国に亡命した元KGB(ソ連国家保安委員会)スパイのリトビネンコを毒殺したりと、冷酷無比である点については、米帝やネオナチとも人後に落ちないのだから。

ウクライナに真の民主主義が訪れ、真の自由や公正、平和を人々が手にする事が出来るようになるのは、一体いつの日になるのだろうか?

コメント (3)
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