アフガン・イラク・北朝鮮と日本

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貧乏人奴隷時代

2014年08月26日 19時01分02秒 | 職場人権レポートVol.3


 前回記事でシフトの件について書いた後、職場のブログ読者からまた別の話題提供があった。
 それが上記の表だ。前回記事で取り上げたのと同じ勤務シフト表だが、そこに60歳以上の契約社員にはマーカーで線が引かれ、Sという印が所々に付けられている。
 Sというのはショート勤務の略だ。我々、昼勤のメンバーは、朝7時から16時までが通常の勤務時間なのだが、60歳以上の人間については、Sの日は14時上がりとなる。そういう日が全部で10日ある。1日2時間×10日で1ヶ月では20時間の削減となる。(当該表の赤枠部分参照。Aの例のみ示したがB以下についても同様)
 おまけに、60歳以上になったとたんに、時給まで50円も引き下げられる事になった。時給引き下げと時間削減のダブルパンチで、1ヶ月では2万円以上も減収となる。
 そのような労働条件改悪が、たった1回きりの契約更改面談で強行され、早速この9月度のシフトから実施されている。一応、本人の同意が前提だが、どうせ「もう他には仕事がない」と脅され、しぶしぶ契約させられたのだろう。
 何とみみっちい話か。こんな事をしても、該当者はたった5名だけなので、全体ではたかだが月10数万円ぐらいのコストダウンにしかならない。たったそれだけの為に、当事者個人にとっては月2万円以上にもなる賃下げが強行されたのだ。

 しかも、おかしな事に、60歳以上の人間すべてが対象ではないのだ。60歳以上の該当者が昼勤ではA~Gの7名いるのに対し、実際に削減対象になった者(マーカーで線が引かれた人)はE、Fを除く5名なのだ。E、Fが削減対象から外されたのは、この2人に辞められたら昼から農産の検品者やコレック(小型フォークリフト)乗務員が手薄になるからだろう。
 しかし、それでも仕事がやりにくくなる事は間違いない。たとえば8月27日の和風ドーリー部門では、14時以降は定休(公休)者と合わせて3名もの実質削減となる(当該表の青枠部分参照)。確かに、14時以降に入荷するドーリー商品の量なんて、たかが知れている。でも、その商品が入荷するたびに、その時間帯は既に別の持ち場についている残りのメンバーから、その商品の検品・仕分けの為だけに、わざわざ人を回さなければならなくなったと、話題提供者も私に愚痴をこぼしていた。
 それがどれだけ大変な作業なのかは、別部門の私(プレカリアート)には判断がつかない。しかし、そんな大事な話を、直前になるまで明らかにせず、1回きりの通り一遍の契約更改面談だけで済ませ、マーカーで線が引かれたシフト表も、全員には渡さずに、こっそり当事者だけに配布して強行しようとする会社の姿勢に、さらに不信感が募る事になった。

 確かに、それまでも予兆はあった。うちの会社が物流センター業務を請け負っている大手スーパーも、業界再編がらみのリストラ話が今までも噂に上っていた。その業界再編のあおりで、商品の入荷パターンも変わりつつあった。作業が午前中と夜間に集中するようになり、間の午後からの作業が少なくなって来ていた。だからといって、午後の少ない物量に人員を合わせていたのでは、午前中の仕事が回らない。かと言って、午前中や夜間の多い物量に合わせていたのでは、午後から人が余ってしまう。また、同じ午後でも平日と週末とでも違う。週末なぞは今でも終日てんてこ舞いの状況なのだ。
 だから、同じ非正規雇用の契約社員の中でも、さらに立場の弱い60歳以上の人間だけを、ことさら狙い撃ちに出てきたのだろう。

 しかも、高年齢者雇用安定法の適用を受ける事で、給与支払いを国に一定肩代わりしてもらった上に、リストラを定年延長と言い繕う事まで出来るのだ。
 高年齢者雇用安定法というのは、国が年金支給開始年齢引き上げの穴埋めとして、60歳から年金が支給される65歳の間まで、雇用継続を望む労働者の年齢による解雇を禁じた法律だ。企業はその見返りに、国から給与の2分の1から3分の2相当の助成金を受け取る事が出来るようになった。おそらく、ウチの会社も、この法律の適用を受けているのは間違いないだろう。
 この法律によって、高齢の労働者は解雇だけはまぬがれる事が出来るようになったが、雇用の内容までは立ち入る事が出来ない為に、定年延長に名を借りた賃下げがまかり通る事になったのだ。

 しかし、こうなったのは、そもそも俺らの働きが悪いからか?つまり俺らの責任なのか?違うだろう。業界再編のあおりで商品の入荷パターンが変わったのも、企業サイドの勝手な都合でしかない。
 なるほど企業は、「センターへの納品時間を前日の午後から深夜にシフトさせ、翌日の開店時間ギリギリまで遅らせる事で、より新鮮な商品を提供できるようにしたのだ」「これも他のスーパーとの競争に打ち勝つためだ」と言うかも知れない。でも、その結果、労働者の給与が下げられ、生活が苦しくなり買い控えに走る様になっては、元も子もないではないか。
 そんなに無理してまで、消費者が新鮮な商品を望んでいるとは到底思えない。それよりも、普通に働いて普通に生活できて、買い物もゆったりとできる方が、消費者にとってもよっぽど有難いのではないか。本当は自分たちの金儲けと生き残りしか考えていないくせに、お為ごかしにサービス向上なぞ持ち出すなと言いたい。
 定年延長にしてもそうだ。本当は助成金目当てなくせに、さも労働者の事を考えているようなふりをして、従業員の給与も国民の税金から出させるような真似をしておいて、それを賃下げの口実にするとは、正に「焼け太り」以外の何物でもないではないか。

 上記シフト表の60歳以上の該当者たちが、元々高給取りの上級公務員や大企業の重役だった人で、既に十分な年金を支給されているなら、たとえ、このような学生バイトのような低待遇でも、別に生活には困らないだろう。でも、現役時代も、安月給なのにサービス残業てんこ盛りで、過労死と紙一重で働かされてきた人に、この処遇はないだろうと思う。
 もはや合法でありさえすれば何でもありなのか。特に上記の表の該当者Cさんなぞは、今でも和風ドーリー部門の責任者として、当該部門のシフト作成に携わっているのに。片方で社員並みの仕事をさせながら、人の足もとを見透かして、バイト以下の待遇を押し付けられたのでは、Cさんも、もうやってられないだろう。Cさんを賃下げにするぐらいなら、まともにシフトも組めない社員の井下こそ、真っ先にバイトに降格すべきではないか。

「若者奴隷」時代 “若肉老食(パラサイトシルバー)”社会の到来 (晋遊舎ムック)
クリエーター情報なし
晋遊舎


 山野車輪という漫画家がいる。「嫌韓流」という韓国人差別をあおる漫画を描いた作者としても有名な人物だ。その山野車輪が、上記の「若者奴隷時代」という本の中で、「悠々(ゆうゆう)自適の年金生活を送る金持ち老人が、国民年金も払えない非正規雇用の若者の上にあぐらをかいている」という事を述べた事があった。
 しかし、一体どこにそんな「金持ち老人」がいるのかと思う。少なくともうちの職場には一人もいない。本当は「老人」ではなく「金持ち」が我々を搾取しているのだ。その「金持ち」の中には、当然「若者」もいれば「老人」もいる。「貧乏人」の中にも、「若者」もいれば「老人」もいるのと同様に。
 だから、本当は「若者奴隷時代」ではなく「貧乏人奴隷時代」と呼ぶべきなのだ。その階級間の対立を、あたかも世代間の対立であるように、いくら思い込ませようとしても、いざ自分も60歳以上になれば、否(いや)が応でも真実を思い知らされる事になる。
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有休泥棒を許すな!

2014年08月22日 22時21分10秒 | 職場人権レポートVol.3


 バカ社員の井下(仮名)がまた大チョンボをやらかしてくれた。
 私の会社では担当社員の井下が毎月バイトの出勤シフトを組む事になっているのだが、私が「8月31日と9月14日は休ませて欲しい」と事前に連絡していたにも関わらず、どちらも出勤にしてしまっていたのだ。8月19日に9月度(8/21~9/20日)のシフト表を渡されて、初めてこの事を知った。
 もちろん、いくら事前に公休の希望を出していても、業務の都合で出勤になる場合はある。でも、私には前述のこの日は必ず休まなければならない理由があり、その理由も事前に会社に連絡し了承もいただいていた。

 休まなければならない理由は、鍼灸治療の受診の為だ。私は隔週の日曜日ごとに腰痛の治療に通っている。もう、今の職場に就職するはるか以前から、その完全予約制の治療院に通っている。そこは今でも予約で一杯で、そう簡単に治療日を他の日に変更はできないのだ。治療日を変更してもらうには、他の患者さんの日程も変えてもらわなければならなくなるので、「よっぽどの事がない限り、なるべく変更しないように」と治療院からも言われている。値段も決して安くはない。それでも、腕は確かで、時間もみっちりかけてくれ、日曜日も診察してくれるというので、もうかれこれ10年以上も通っているのだ。

 だから、この鍼灸治療については、受診日程が隔週日曜日とあらかじめ決まっているので、毎年12月には、翌年1年間の治療日を公休希望日として、わざわざ理由も明記した上で、リストにしてシフト作成の担当社員に提出して来たのだ(上記参照)。そして、シフト作成者が井下に変わった時も、一抹の不安を覚えながらも、「隔週日曜日を休みにして欲しい事は、理由も含めて井下にはちゃんと引き継いでいる」との前任者からの言葉を信じ、これまでやって来たのだ。
 そして私の方も、特別に1年分の公休希望を一括で提出させてもらっている以上は、他の日は急に休む事が極力ないように、体調管理には気を付けてきたつもりだ。実際、若い頃は急に休む事はまずなかった。但し、最近はもう歳のせいか、腰痛で急に休まなければならない日もたまに発生するようになってしまったが。



 ところが、それがこのザマだ。上記の表にもとづいて、この間の経過を順に説明する。

 ※職場のブログ読者の方へ――上記の表ですが、ブラウザ(パソコン画面)でははっきり読めるものの、印刷プレビューでは用紙幅の関係で縮小表示となり、非常に読みづらくなってしまっています。その為、この表の原寸大の原版も、職場新聞(記事のコピー)に折り込みましたので、もし分かりにくい場合は、そちらを参照して下さい。

 8月19日に、バイト・社員(一般職)全員34名分の9月度出勤シフトが1枚の表にまとめられて業務連絡板に貼り出された。その中から私の分だけを抜き書きしたのが、上記表の一番左端の「8/19日の当初版」だ。
 それを見ても分かる様に、公休日が月・火・木・月・木・月・金…と曜日がバラバラな上、1日出勤したらまた休みの時があれば、逆に4日連続出勤の時もある等、休みの間隔もバラバラ。こんなシフトを組んでおいて、「健康管理は自己管理」なぞと良くも言えたものだ。うちの会社では休みは「定休日」と言っているが、これを見る限り、とても「定休」なぞとは言えないだろう。だから、ここでは敢えて「定休」ではなく「公休」と呼ばせてもらう。
 そして、リストにして早くから公休申請していたにも関わらず、8月31日の日曜日も、9月14日の日曜日も、どちらも鍼灸治療の予約日であるにも関わらず、平気で出勤扱いにされてしまっている。
 私はそれを19日の当日に、その日は井下が公休だったので、代わりに朝礼を行った社員に、シフトを組み直してほしい旨を苦情として上げた。

 そして、翌20日の私の公休日を挟んで、21日の発表されたのが、同じく上の真ん中の「21日朝の不完全な修正版」シフトだ。
 そこでは、「修正版」であるにも関わらず、8月31日は出勤扱いのまま修正もされずに放置され、9月14日の方は休みにはなったが勝手に有休扱いにされてしまっていた。しかも、この不完全な「修正版」が、21日の朝礼時には既に業務連絡板に掲示されていたのだが、呆れた事に「修正」した事の連絡も一切行われなかった。普通なら、少なくとも私を含めた当事者には口頭でもきちんと連絡するものだろう。連絡不徹底で休まれて困るのは会社なのだから。
 実はこの時既に、バイト仲間のT君に頼んで、休みを振り替えてもらう形で、8月31日の休みについては確保していたのだ。そうしないと、8月31日も9月14日も有休で休みにしてしまうと、月間の出勤日数が20日を割り込んでしまい、規定支給の交通費(上限1万円)も出なくなるから。そうして、8月31日は有休ではなく誰かと交替で休みを取る(出勤日数は減らさない)形にした上で、9月14日だけを有休で取る段取りでいたのだ。そうすれば、出勤日数はギリギリ20日をクリアでき、交通費も確保できるから。

 でも、その後で「修正版」が既に出され、勝手に有休が使われていた事を知り、9月14日の有休(下記参照)は公休(定休)に振り替えてもらうようにした。本来、有休(有給休暇)とは労働者の方から権利として行使すべきものなのに、使用者の方で勝手に使われたものを、わざわざ私の方からアリバイ作りに協力してやるような真似なぞしたくはなかったので。それが、上記の表の下段にある※印の但し書きの内容だ。



 
 そして、最終的に上記の表右端の「8/21日の確定版」シフトの内容に落ち着いた。
 私の9月度の休みは、8月25日(月)、26日(火)、28日(木)、31日(日、鍼灸治療日)、9月4日(木)、8日(月)、12日(金)、14日(日、鍼灸治療日)、19日(金)となり、休みの曜日も間隔もバラバラながらも、鍼灸治療を無事受けられるようになり、無駄に有休を使わずに済んだ。
 しかし、いくら結果オーライで終わったとは言え、事前に、それも大分以前から、わざわざリストにして公休希望日を提出していたにも関わらず、それをことごとく無視された上に、労働者の権利である有給休暇まで勝手に使用された事については、絶対にウヤムヤには出来ない。
 今までも、出した有休届けをダブりでカウントされ、翌週の同じ曜日も有休にされかけた事はあったが、提出もしていない有休届を捏造され、勝手に有休を使用されたのは、いくら何でも今回が初めてだ。どちらもあってはならない事だが、前者ならまだ過失と解釈も出来ようが、後者に至っては、もはや故意で(ワザと)嫌がらせでやっているとしか思えない。正に「有休泥棒!」としか言えない所業ではないか。こんなムチャクチャな事が平気で出来るのも、普段からバイトを人間扱いしていないからだろう。

 この井下については、たとえば下記の私の過去の記事にもある様に、これまでも色々と問題があった。

(以下、当該記事より引用)

(1)まだレーン(昔のシステム)で商品の仕分けしていた時に、床が傾いていてカゴ車にもストッパーが付いていなかったので、何度カゴ車を奥に収納しても手前に転がってきてしまうので、もうそのままにしていたら(それでも仕方ないと当時の所長からも了解を取っていたにも関わらず)、井下がいきなり私の所にやって来て「ちゃんと奥まで入れろ」と偉そうに言ってきた事があった。それに対して私が「そんな事を言うなら床の傾きを先に直せ」と言い返すと、「この床の傾きは排水の為だ」と見え透いた嘘までついて言い逃れをしようとした。排水口のマンホールの蓋は人力では到底開けられない程重く、周囲に排水溝もなく、牛乳をこぼしても誰も拭き取らず何日もそのままになっていた事が何度もあるにも関わらず。仮にも食品を扱っている職場で、そんないつ食中毒が起こっても不思議ではない状態を放置しながら、よくもそんな事が言えたものだ。

(2)やがて今の新しいシステムに変わり、今年2月の節分の季節に、014店の周辺が祭礼の交通規制の為に午前中の配送が中止になった時も、朝礼では理由も言わず「上からのお達しで配送中止になった」の一語で済ましてしまった。「節分祭の交通規制の為に午前中の配送が中止になった」と一言説明すればそれで済むのに。別に隠し立てするような事じゃなし。しかも、この節分の交通規制については、何も今に始まった事ではなく、例年恒例の年中行事なのに。「上からのお達し」とさえ言えば相手が黙るとでも思っているのか。江戸時代の殿様と町人の関係ならいざ知らず、曲がりなりにも民主主義のこの世の中で、いまだにそんな封建的な感覚で仕事をされては堪ったものではない。俺らは奴隷ではないぞ!

(3)井下は、朝礼でもそういう必要な連絡は全然せずに、「商品を誤積みするな、破損するな、出し忘れするな」といった一般的・抽象的な注意ばかりでお茶を濁してきた。「誤積みを防ぐ為にはどこに注意すれば良いか」といった個別・具体的な指示なぞ一切なく。これでは、「お前ら、たるんどる!」と言って、非科学的な精神論・根性論を振り回し、生徒に暴力をふるうしか能のない大阪市立桜宮高校体育科の体罰教師のやり方とも何ら変わらないではないか。

(4)その他、自分で朝礼開始の号令をかけておきながら、いつまで経っても朝礼が始まらず中止の連絡もしない事も何度かあった。この場には私だけでなく他のバイトも大勢いた。証言を集めようと思えばいくらでも集める事が出来る。他人には偉そうに言うクセに自分のやっている事は一体何だ。無責任、不誠実の極みではないか!

 これがまだ一度や二度の「言い忘れ」だけなら、誰にでもある「うっかりミス」で私も済ましていただろう。しかし、こうも同じようなミスばかり繰り返されるだけでなく、(2)(3)のような「人を小バカにしたような対応」や、(4)のような「意図的な怠慢、不作為」としか思えないような行為を何度もされると、もはや単なる井下個人の業務力量だけの問題だけで済ます事はできない。もはや、この井下という男は、バイトを家畜か奴隷のようにしか思っていないのではないか。そうとでも思わなけれな、到底とれないような対応ばかりではないか。
 ここまで来たら、もう単に「仕事が出来ない」とか、そんなレベルでは済まされない。バイトに対する明白な人権侵害、パワー・ハラスメントではないか。こんな社員の下で働いていたのでは、いつ何時、大事故に巻き込まれるかも知れない。若しそんな事になっても、今まで述べたこの男の普段の様子だと、自分の保身の為には平気で労災事故ももみ消しにかかっても一向におかしくはない。

(以上、引用終わり)

 その上にさらに今回の件だ。「もういい加減にせえ!」と言いたい。少なくとも今回の件については、「何故この様な結果になってしまったのか?」という原因と、「二度とこの様な事を起こさない様にする」手立て(対策)を、文書で明らかにするよう、井下と会社に断固要求していくつもりだ。
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第43回釜ヶ崎夏祭りに行って来た。

2014年08月20日 18時38分45秒 | 一人も自殺者の出ない世の中を
 

 戦没者慰霊式典での式辞コピペ等、安倍が色々やらかしてくれたお蔭で、報告が遅くなってしまいましたが、実は8月14日の仕事帰りに、釜ヶ崎の夏祭りに行って来ました。
 「釜ヶ崎」というのは、現在の大阪市西成区にある「あいりん地区」の旧称・通称で、西日本最大の「寄せ場」(日雇い労働者の街)です。故郷を離れ、この地で土木工事等の日雇いの仕事で生計を立てている労働者や野宿者(ホームレス)の人たちの為に、支援団体の人たちが中心になって、地域内の通称「三角公園」というグラウンドで、毎年ずっと夏祭りが行われてきました。もう今年でかれこれ43回目を迎えます。それまで暴力団や覚せい剤の売人等が支配していたこのグラウンドを、地域の人々の手に取戻し、憩いの場に変えようと取り組まれ始めたものです。今では地域外の住民も参加する大規模な祭りに発展しています。
 私がこの祭りの事を知ったのも、職場のバイト仲間で、西成の隣の阿倍野区に住んでいるT君の、「こんな祭りがあるんやけど、プレカリアートさんも一度行ってみたら」の一言からでした。ちょうどその日は夕飯は外食で済ます予定だったので、「仕事帰りのついでに、夕涼みがてら見てこようか」という事で行って来たのです。



 

 会場には夕方5時過ぎに着きました。さっそく夕食にしようと屋台を物色。150円の焼きそば、100円のチヂミ、100円の泉州野菜の天ぷら1舟を食べたら、もうそれで満腹になってしまいました。天ぷらコーナーでは他にタチウオ等の地場の魚も揚げていたそうですが、私が行った時にはありませんでした。
 他にも、カップ入りの冷やしソーメンが1杯50円、カレーライスも100円と、財布に優しいメニューが目白押し。安くても味は確かです。野宿者の方はカレーライスは無料です。
 また、お金を持っていなくても、アルミ缶1キロで200円前後の「釜マネー」と交換でき、その200「カマ―券」で200円の商品が買えます。但し、このアルミ缶と釜マネーの「交換比率」はアルミ缶相場に対応しているので、年によって数十カマ―(数十円)の開きがある様です。上二つ目右側の写真が、その「釜マネー」の交換受付所です。

 


 雑誌・書籍の販売コーナーでは、ホームレス支援雑誌の「ビッグイシュー(BIG ISSUE)」と「路上脱出ガイド」というパンフレットを購入。いずれも100円から300円前後の価格です。私はそこでついに小銭が切れ、とうとう、なけなしの1万円札を出す破目になったのですが、店員さんがお釣りが足らずに四苦八苦。余計な苦労を店員さんにかけてしまいました。いずれも安い商品ばかりなので、出来るだけ小銭を用意しておいた方が店員さんも助かるでしょう。お札はせいぜい千円札まで。





 会場では、他に記念写真・証明写真の撮影や書道展のコーナーもありました。
 お祭りのメニューも、12日夕方の前夜祭(ちんどんパレード)を皮切りに、ステージでののど自慢大会や、フォーク・ロックの演奏やダンス、参加団体のアピール、相撲大会やすいか割り、綱引き大会、夜の盆踊りと、色々あります。そして最後は15日夜の、今年1年間に釜ヶ崎で亡くなった仲間の追悼式(慰霊祭)で終了です。今年は歌手の加藤登紀子さんも祭りに参加されたそうです。私が行った時は、ちょうど真ん中で綱引き大会をやっていました。





 釜ヶ崎で誰にも看取られずに亡くなった方々の冥福を祈る為に、祭壇が設けられていました。



 現在、橋下徹・大阪市長の下で、大阪都構想と連動して進められている西成特区構想に反対の展示コーナーにて。
 今や区民の4人に1人が生活保護世帯と言われ、「あいりん地区」以外にも高齢者や母子家庭を中心に数多くの貧困問題を抱える西成区を、「敢えてエコヒイキする」と鳴り物入りで宣伝された「西成特区構想」ですが、「住民の意見も聞きながら進める」と言われる割には、詳しい事は何も伝えられず。
 それどころか、支援団体の情報によると、「ドヤ街」、つまり今の簡易宿泊所を中心とした既存の街並みを一掃して、日雇い労働者を追い出して官庁街や文教地区に造り変えようとしているだけとか。ちょうど、隣の阿倍野区で「あべのハルカス」や下町の再開発等として進められている様な形で。しかし、いくらそんな事をしても「臭い者に蓋」にしかならないでしょう。貧困問題は、分散され世間の目から見えにくくされるだけで、決して無くなりはしない。
 その中で、あいりん福祉センターや医療センターの移転、結核対策事業の打ち切り等が進められようとしているそうです。

 また、中央の特設ステージでも、住民票を一方的に奪われ選挙に投票も出来なくなったドヤ街住民による、選挙権を取り戻すアピールが行われていました。
 日雇い労働者は、寝起きする飯場やドヤが変わるたびに、いちいち住所変更などしていられません。また、訳ありで故郷に住民票を置いてきたまま釜ヶ崎に流れ着いた人たちも決して少なくはありません。かつてはそんな人でも、支援団体のビル(釜ヶ崎解放会館)にとりあえず住民登録しておく事で、免許証・保険証切替え等の行政サービスも受けられたし、選挙で投票する事も出来ました。
 しかし、2007年に、「実際の住所ではない」の一語で以て、そのビルに住民登録していた3千人からの住民票が、大阪市の手で一方的に抹消されてしまいました。今やこれらの人たちは、現に生きて働いているにも関わらず、戸籍上は行方不明者や死亡者と同じ扱いにされてしまっているのです。
 実際、釜ヶ崎以外でも、夫の暴力から逃れ、別天地でようやく生活基盤を確保できるようになった女性で、夫に現住所を知られる事を恐れ、戸籍や住民票を変える事が出来ない人が一杯いるでしょう。そういう人を保護し人権を保障するのが行政の仕事なのに、その肝心の仕事を何もしない言い訳に、「実際の住所でない」という口実が使われているのです。
 治安上の理由で、この措置を擁護する人もいますが、そういう人は、人権侵害という根本問題を放置したまま、見かけ上の治安さえ維持できれば良いと言うのでしょうか。そういう「人命より権力維持の方が大事」な人は、自分も同じ目に遭えば良いのです。それ位の目に遭わないと分からないのでしょうから。





 そうこうしているうちに、祭りもいよいよたけなわ。今正に盆踊りが始まろうとしています。中央の特設ステージでも歌手の中川五郎さんが登壇。私ももっと参加したかったのですが、あいにく明日も早朝から仕事なので、この辺で退散です。
 釜ヶ崎の夏祭りは、毎年8月13日から15日まで、時間は昼前から夜の22時頃までやっているそうです。会場の三角公園へは、JR新今宮駅からだと堺筋か阪堺線の線路沿いの道を南へ、南海萩ノ茶屋駅(高野線の各停しか止まらないので注意)からだとそのまま商店街を東へ。いずれの方から来ても、阪堺線今池駅のガードが見えてきたら、それを横目に見ながら、消防署(分署)手前の角を南に折れれば、もうすぐそこが公園です。みんなも、懐具合が寂しい時は、一度来てみたら良いのではないでしょうか。
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頭隠して尻隠さず

2014年08月17日 10時17分22秒 | 貧乏人搾取の上に胡坐をかくな


 6月の沖縄戦没者追悼式、8月の原爆慰霊式典と、式辞のコピペ(使い回し)を批判された安倍首相でしたが、8月15日終戦記念日の式辞はどうにか新しい原稿で臨む事が出来たようです。念の為に、私もデュフフ(difff:テキスト比較ツール)で昨年と今年の式辞を比較してみました。上記がその結果です。左の赤枠で囲った方が今年2014年(平成26年)、右が昨年2013年(同25年)の式辞です。表現が異なる部分のみ青で囲まれるので、それ以外がコピペという事になります。
 これで見ると、冒頭の「天皇皇后両陛下のご臨席を仰ぎ」「祖国を思い、家族を案じつつ」云々以外は、昨年と今年で全然異なる事が分かります。昨年の式辞は「御霊を悼んで平安を祈り」云々と、通り一遍の表現のみの「戦没者の顔が全然思い浮かんで来ない」内容で、しかも、その後にいきなり「戦後我が国は自由と民主主義を尊び」と続く、まるで「もう過去の終わった話で今は一切無関係」と言いたげな酷い代物でした。それに比べると、今年の式辞は、パプアニューギニアの戦場に散った兵士への具体的言及も為され、一応「顔の見える話」にはなっています。「今は一切無関係」と切り捨てた部分も今年はカットされました。日本が侵略した中国などアジア諸国への謝罪がないのは相変わらずですが、それを除けば、表面上は「コピペ」批判を見事にかわす事に成功したかに見えます。

 でも、根本部分は全然変わっていません。正に「頭隠して尻隠さず」。それは次のくだりからも明らかです。

―祖国を思い、家族を案じつつ、戦場に倒れられた御霊、戦禍に遭われ、あるいは戦後、遠い異郷に亡くなられた御霊、いまその御前にあって、御霊安かれと、心より、お祈り申し上げます。
http://www.kantei.go.jp/jp/96_abe/statement/2014/0815budoukan_sikiji.html

 まるで他人事の様に「戦場に倒れられ」「戦禍に遭われ」「遠い異郷に亡くなられ」と言っていますが、一体誰がその様な状況に追い込んだのですか?当時の戦争指導者である東条英機であり、その東条内閣の時に商工大臣だった岸信介(きし・のぶすけ)ではないですか。そして、その岸信介こそが安倍首相の祖父に当る人ではないですか。実際に、現首相の安倍晋三自身も、岸信介の生まれ変わりとして大人になるべくして育てられた事を、母の岸洋子自身が手記の中で明らかにしています。

 その結果、「パプアニューギニアにて、ジャングルで命を落とされ、海原に散った12万を超える方々」が一体どんな死を遂げたのか。それを下記の新聞記事から一部引用します。

●<戦没者230万人>6割「餓死」の学説も 無謀な作戦が惨劇招く(毎日新聞)

 日本は15日、69回目の終戦記念日を迎えた。日中戦争や太平洋戦争で亡くなった軍人・軍属は、政府見解によると約230万人。その内訳は不明確な点が多く、「6割が餓死した」との学説もある。兵站(へいたん)を軽視した無謀な作戦がこうした惨劇を招いたとして、昭和史の著作が多い作家の半藤一利氏(84)は「軍の指導者たちは無責任と愚劣さで、兵士たちを死に追いやった」と指弾している。

 総務省、厚生労働省などによると、1937~45年の戦没者230万人を戦死、病死などの死因別に分類した公的な記録は存在していない。終戦前後の混乱時に多くの資料が失われたことや、敗戦で記録を残すのが難しかったことなどが影響している。
 歴史学者の故・藤原彰氏(一橋大名誉教授)は旧厚生省援護局作成の地域別戦没者(1964年発表)を基礎データに独自の分析を試みた。著書の「餓死した英霊たち」(青木書店)で、全戦没者の60%強、140万人前後が戦病死者だったと試算。さらに「そのほとんどが餓死者ということになる」と結論づけた。
 個別の戦闘ではある程度のデータが残っている。「戦史叢書」(防衛庁防衛研修所戦史室編さん)によると、「ガダルカナル島の戦い」(1942年8月~43年2月)では、日本陸軍3万1000人のうち約2万人が戦没。その約75%、約1万5000人が栄養失調症、マラリア、下痢、かっけなどによる死者だったという。
 そうした日本軍兵士の生死を左右したのは「生きて虜囚の辱(はずかしめ)を受けず」の一節で知られる「戦陣訓」だった。太平洋戦争開戦前の1941年1月に東条英機陸相(当時、後に首相)が全軍に示達し、降伏は不名誉なこととされた。
 勝利か、しからずんば死か--。「皇軍」の兵士たちは文字通り、そうした状況に追い込まれた。戦死を免れても、補給を断たれてしまっては餓死するしかない。大本営参謀らのエリート軍人について、半藤氏は「緒戦の勝利におごり、自己の実力を省みず、攻勢の限界線をはるかに越えた」と戦略上の失敗を指摘したうえで、「人間をまるで、将棋の駒のように扱った」と批判している。(以上引用)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140815-00000000-maiall-soci

 しかし、この戦争批判でもまだ可愛い方です。探せばもっと酷い具体的な事例が一杯出てきます。たとえば次のネットの書き込みなど。ちなみに下記の牟田口廉也中将の逸話については、ネット辞典のウィキペディア(wikipedia)でも検索できます。

●牟田口廉也とは (ムタグチレンヤとは) [単語記事] - ニコニコ大百科

牟田口廉也とは、旧日本軍の陸軍軍人である。最終階級は中将。(中略)

現代では、史上稀に見る愚将として有名。あまりにも盆暗で、日本兵からは「鬼畜牟田口」「無茶口」と罵られた。
終戦後に戦犯として捕まったが、不起訴処分となった。
駄目な日本軍人を語る場では必ずと言っていいほどこの人の名前が出てくる。

彼の愚将としての評価を定着させたエピソードが、日本軍が大敗した(注:ビルマ・インド国境地帯で展開された)インパール作戦である。作戦を立案した際にも、補給が出来ない事が理由で、参謀長や指揮下の師団長などのほぼ全員が反対、にも関わらず主張を変えなかった(そして、反対派の参謀長を更迭してしまった)。その主張の内容は、つき詰めていえば「イギリス軍は弱い、必ず退却する。補給について心配するのは誤りである」。現場の将兵にとって不幸だったのは、無謀な作戦を中止させるべき存在であるはずの軍上層部が、悪化する一方であった戦局の打開をこの作戦に期待して、牟田口を制止するどころか後押ししてしまったことである。なお、インパール作戦におけるイギリス軍は、日本軍を自分たちの領域に十分に引き付けて、補給が出来なくなった時点で反撃する方針を早々と決めていた。
この戦いにおける戦死者は、日本軍が38,000でイギリス軍が17,500。

そして、牛に荷物を運ばせ、食料としても利用するジンギスカン作戦を実施させたが、現地の牛がジャングルや荷物運びに適応せず、エサも用意出来ずに大失敗。牟田口を代表するエピソードの一つになっている。

ちなみに、当の本人は終戦後に中華料理店「ジンギスカンハウス」を開店した。

牟田口は、次のような迷言も残している。彼は兵士たちに「周囲の山々はこれだけ青々としている。日本人はもともと草食動物なのである。これだけ青い山を周囲に抱えながら、食糧に困るなどというのは、ありえないことだ」と大真面目で訓示したという。言い換えれば、「野草がいくらでも食える」という論理である。

前線はイギリス軍の作戦通り、補給不足で大苦戦。空腹の将兵たちは、上述の呆れた訓示でも実施せざるをえず、タケノコ、野イチゴはもちろん、ヘビ、カエル、カタツムリ等、食べられるものは何でも食べて、飢えをしのいでいた。そんなときに牟田口は芸者と料亭で豪遊。 その様子をイギリス軍がスピーカー越しに流し続け、日本軍のやる気を激しくダウンさせ、兵士の身だけでなく心まで削る偉業を成し遂げた。

挙句の果てに、作戦の失敗が確実になると、作戦指揮そっちのけで戦勝祈願の呪文を唱え始める始末。戦勝を祈願していたことから、勝つ気はあったのかもしれないが、軍司令官が神頼みを始めた、ということから「いよいよこの作戦はダメだ」と将兵たちは感じたという。

各戦線は、補給不足から絶望的な戦いを強いられていた。指揮をとっていた師団長たちも、作戦中止を具申したら更迭された者、マラリアで健康を害したという理由で交替された者(後に死亡)、いよいよ呆れ果てて師団主力を撤退させたために更迭された者(作戦終了後、軍法会議にかけられそうになったが精神錯乱という扱いで回避)など、いずれも酷い目にあっている。…とはいえ、生きて帰れた者はまだマシというもので、もっとも悲惨な目にあったのは「白骨街道」とまで言われた死屍累々の道を歩む羽目になった一般兵士達であったのは言うまでもない。

さらに牟田口本人は敗戦の色が濃くなるってくるや一目散に逃亡。そして言い訳。
「逃げたんじゃねぇよ!補給路を確保したかったんだよ!それを卑怯だなんて、ぼく悲しいなぁ」(意訳)

インパール作戦失敗後の7月10日に将校を集め訓示。
そのときの内容。

…皇軍は食う物がなくても戦いをしなければならないのだ。兵器がない、やれ弾丸がない、食う物がないなどは戦いを放棄する理由にならぬ。弾丸がなかったら銃剣があるじゃないか。銃剣がなくなれば、腕でいくんじゃ。腕もなくなったら足で蹴れ。足もやられたら口で噛みついて行け。日本男子には大和魂があるということを忘れちゃいかん。日本は神州である。神々が守って(以下略)

訓示は一時間以上も続き、栄養失調で弱っていた将校たちは次々とぶっ倒れていった。(以上引用)

http://dic.nicovideo.jp/a/%E7%89%9F%E7%94%B0%E5%8F%A3%E5%BB%89%E4%B9%9F




 当時のボンクラ戦争指導者の孫として生まれ、その戦争指導者を仰ぎ見て、自身は何不自由なく育った安倍に、「戦禍に遭われ」なぞという他人事の様な式辞をする資格なぞ無い事が、これでお分かりになられたでしょう。

 しかも、これは何も昔の戦争だけに限った話ではありません。現在も同じ様な政治が行われています。今も安倍政権は、生活保護の切り捨てや、派遣労働者の使い捨てや、残業代ゼロ法案や、消費税増税や、原発推進や、集団的自衛権容認や、ガザの住民虐殺を続けるイスラエルへの武器輸出などで、今も日本と世界の民衆を死地に追いやっています。
 今の我々にとっては、ブラック企業の現場こそが正にパプアニューギニアの戦場なのです。昔「兵隊は一銭五厘のハガキ(召集令状)だけで集められるが、軍馬や武器はそういう訳には行かない、だから兵隊よりも馬や鉄砲の方が大事なのだ」と言われました。その「馬や鉄砲」が、今は「カゴ車やカート」にすり替わっただけではないですか。「労働者の安全や健康よりもカートの方が大事だ、カートを傷つけるな、カゴ車にラベルの跡を残すな」と言う表現にすり替わっただけではないですか。
 そんな政治を推進しているのは一体誰か。パソナのシャブ接待などで派遣企業や電力会社や「死の商人」から一杯ワイロを受け取り、規制改革会議や安保法制懇など各種の有識者会議に迎え入れ、ブラック企業のワタミ社長を自民党候補に擁立し、今も沖縄・福島・ガザの住民や貧しい人々を見殺しにしている現首相の安倍晋三、お前ではないか!!!

 第二次世界大戦の犠牲と引き換えに、ようやく手にした平和憲法や労働基準法がありながら、なぜ今もこの様な政治に苦しめられなければならないのか。それは、戦前の大日本帝国の復活をもくろみ、平和や人権を敵視する岸や安倍の様な政治家が、戦後も追放を逃れ政治の中枢に居座り続けたからです。そして米国も、岸や安倍の様な右翼を内心疎ましく思いながらも、一方ではソ連や中国に対抗させる為に積極的に泳がして来たからです。
 それでも今までは、平和運動や労働運動がそれなりに力を持っていた為に、これらの右翼は余り表に出る事はありませんでした。しかし、北朝鮮拉致問題などを契機に右翼が次第に台頭するようになります。そして今、平和憲法や労働基準法が再び改悪されようとしているのです。憲法や法律で保障された自由や人権や平和を、「絵に描いた餅」から本当の成果に変える為にも、安倍晋三を一刻も早く退陣させなくてはなりません。これは「もう過去の終わった話」なんかではなく、現に今も我々が直面している課題なのです。だから、私もしつこくこの問題を取り上げるのです。
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安倍犬の発生から消滅までの一部始終

2014年08月12日 05時03分02秒 | 貧乏人搾取の上に胡坐をかくな


フェイス ‏@FaceBackCapital · 8月7日
@afghan_iraq_nk1 あんた葬式でテンション高い奴をみたことあるのか?

村田新八 ‏@muratashinpati · 8月7日
@afghan_iraq_nk1 目を閉じてじっと聞き入っているようにも見えるけど

佐々 伸也(AL/MI作戦) ‏@geshtamjump · 8月7日
慰霊式典で生き生きとした表情を見せるような奴ってサイコパスだろ
RT“@afghan_iraq_nk1: 広島平和式典での安倍の退屈そうな顔。自衛隊閲兵式での生き生きとした表情や、靖国参拝時の緊張感に包まれた表情とは大違い。「絶対悪の核兵器は廃絶を」「威嚇だけで国を守れるのか」と

EXcircle ‏@EXcircle39025 · 8月7日
@afghan_iraq_nk1
批判するのに必死ですね^^

甘納豆 8/8 22:30 AL作戦開始 ‏@E1ina · 8月7日
@afghan_iraq_nk1 揚げ足取りおつかれ
1コマ抜き出して楽しい?ねえ楽しい?

甘納豆 8/8 22:30 AL作戦開始 ‏@E1ina · 8月7日
葬式でテンションあげる日本人がどこにいる
“@afghan_iraq_nk1: 広島平和式典での安倍の退屈そうな顔。自衛隊閲兵式での生き生きとした表情や、靖国参拝時の緊張感に包まれた表情とは大違い。(中略)聞く気がないなら帰れ! pic.twitter.com/rNdsakgr7R

かとぱん@名刺作り ‏@KATOPAN_ · 8月7日
@afghan_iraq_nk1 総理「式典最高~!!!広島焼ウメエ!!!これから平和のためにノリノリで行くぜフゥゥゥゥゥ!!!💃」これで文句ないだろ!

たゆまりl▽l ‏@raindrop310 · 8月7日
@afghan_iraq_nk1 いや、広島平和式典で生き生きとした表情されても

Jema ちくわ部 ‏@jematoho · 8月7日
@afghan_iraq_nk1 笑顔でいれば文句ないんですか?Rt

GOGO ‏@01yamero · 8月7日
あなたは葬式に生き生きした顔で参加するんですか?
“@afghan_iraq_nk1: 「絶対悪の核兵器は廃絶を」「威嚇だけで国を守れるのか」と幾ら言ってもコイツには馬耳東風だ。聞く気がないなら帰れ! pic.twitter.com/e0ossCTZnM”

プレカリアート ‏@afghan_iraq_nk1 · 8月9日
安倍犬の皆さん、「揚げ足取り」の見本の様な糞コメ有難う。私がいつ「葬儀で騒げ」と言った?そんな「テンション」云々の上っ面ではなく安倍の人間性を問題にしたのだが。安倍の式典挨拶が広島に続き長崎でも昨年同様のコピペ手抜きだった事も含め。やはりネトウヨは上っ面しか理解できなかったか。

プレカリアート ‏@afghan_iraq_nk1 · 8月9日
それにしても糞コメのウザい事。それも判で押した様に同じ内容ばかり。私から先に挑発する事はまず無い。ネトウヨなんかに構っている暇なんて無いもの。多分、誰にも構って貰えず寂しくて粘着して来るのだろうが、そもそも他者の言論の自由や価値観の多様性を認めない輩にネットやる資格なんて無いよ。

プレカリアート ‏@afghan_iraq_nk1 · 2 時間
@安倍犬ども 安倍は原爆慰霊式だけでなく沖縄戦没者追悼式の弔辞も昨年のコピペ。しかも被爆者の事を忘れないと言いながら原爆症の認定更新は次々却下。そのくせ防衛大学卒業式の訓示だけはオリジナル原稿。この差別はどう言い訳するのか?人に一方的に喧嘩を吹っ掛けておいて都合悪くなれば遁走か?

 以上が冒頭の私のツイート(つぶやき)と、そこに言いがかりをつけて来たネトウヨ(ネット右翼)・安倍犬(安倍自民党の犬)のツイートです。前回記事「揚げ足取りは一体どちらか」で述べた内容を、その後の経過も含めた実際のツイッターのやり取りで示してみました。

 「安倍政権や自民党を批判する者は全て”反日・極左””外国のスパイ”」としか見れないネトウヨは、政権批判の書き込みを見ると見境なくイチャモンをつけて来ます。それも、相手の主張もきちんと理解した上で自説を主張するのではなく、ただひたすら相手の揚げ足を取るだけ。今回の件についても、本来なら一番議論の中心とすべき安倍政権の挨拶(あいさつ)の中身には何も触れず、ただひたすら「葬式でテンション上げる奴なぞいない」と、上っ面の「揚げ足取り」に終始するだけでした。
 第三者が冷静に読めば、こんな物はおよそ議論の名に値しない、ただの「言いがかり」でしかない事は直ぐに分かるのですが、大勢で来られると、まるでこちらが悪い事でもして叩かれているように見えてしまう。しかし、それに嫌気が差して、誰も何も言わなくなったら、それこそネトウヨの思う壺です。民主主義が独裁政治に取って代わられてしまいます。ヒトラーがあれだけ猛威を振るったのも、当時のドイツ国民がナチスの暴力を怖れ、何も言わなくなって(言えなくなって)しまったからです。

 ところが、その後、原爆慰霊式典での安倍首相の挨拶が、ほとんど昨年のコピペ(切り貼り)手抜きでしかない事が発覚します。昨年との違いと言えば、大きな所では「68年前」を「69年前」に変え、今年は昨年とは打って変って雨の中での式典となった為に、「蝉しぐれが鳴き」との表現が無くなったぐらいです。いくら昨年も今年も「平和を求める基本的な考え方は変わらない」と言っても、1年も経てば情勢も人々の意識もそれなりに変わるのですから、挨拶の内容もそれに見合ったものに変えるのが普通です。でも、細かな語句を少しいじくっただけで、後は昨年とほとんど同じ挨拶では、手抜きと言われても仕方ないでしょう。
 では、安倍に文章力が無いかと言えば、そうでもない事は、後述の防衛大学校卒業式の訓示を見れば一目瞭然。こちらは熱心に原稿に手を入れ内容を毎年更新しているのですから。要は「やる気の問題」です。これでは戦没者(一般民間人犠牲者)と軍人を差別していると見られても当然でしょう。それは被爆者に対する態度にも現れています。少し批判されただけでもう逆切れ。元々「総理の器」ではなかったのです。
 それが明らかになった途端に、私に難癖を付けていたネトウヨ・安倍犬も、急に潮が引く様に退散してしまいました(苦笑)。





●ちなみに、下記がその平成24年度防衛大学校卒業式での安倍の訓話。
 4年前の1月15日、ニューヨークを飛び立った旅客機が、離陸直後のエンジン停止という最悪の事態に直面し、ハドソン川に緊急着水しました。当時、「ハドソン川の奇跡」とも呼ばれた、このニュースを覚えている人も多いと思います。
 最後まで機内に残り、乗客・乗員155人全員の命を守りきった、サレンバーガー機長は、高まる賞賛の声に対して、このように語ったそうです。
「私たちは、日頃の訓練どおりに行動しただけだ。」(後略)
●同じく翌25年度の同じ訓示も下記に示す。
 今日は、22日。15年前の11月、中川尋史空将補と、門屋義廣一等空佐が殉職したのは、22日でありました。まずは、諸君と共に、お二人の御冥福を心よりお祈りしたいと思います。
 突然のトラブルにより、急速に高度を下げるT33A。この自衛隊機から、緊急脱出を告げる声が、入間タワーに届きました。
 「ベール・アウト」
 しかし、そこから20秒間。事故の直前まで、二人は脱出せず、機中に残りました。
 眼下に広がる、狭山市の住宅街。何としてでも、住宅街への墜落を避け、入間川の河川敷へ事故機を操縦する。5000時間を超える飛行経験、それまでの自衛官人生の全てを懸けて、最後の瞬間まで、国民の命を守ろうとしました。(後略)
●いずれも首相官邸ホームページより一部抜粋。動画で観た安倍の表情も原爆慰霊式典の時とは大違い。



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揚げ足取りは一体どちらか

2014年08月08日 23時31分08秒 | 貧乏人搾取の上に胡坐をかくな


 8月6日は私は公休日でした。それでいつもより遅めに起きて朝のNHKニュースを見ていたら、広島原爆慰霊式の様子を流していました。ちょうど1分間の黙とうに入る前後の、広島市長が「平和宣言」を読み上げた後で、安倍首相がそれに応えて挨拶(あいさつ)している所でした。その時の安倍の態度や挨拶の内容があんまりだった、少なくとも私にはそう感じられたので、上記の呟(つぶやき)きをツイッターに流したら、下記の様な糞コメントが一杯湧いてきましたw。 

(引用開始)
フェイス ‏@FaceBackCapital · 8月7日
@afghan_iraq_nk1 あんた葬式でテンション高い奴をみたことあるのか?

村田新八 ‏@muratashinpati · 8月7日
@afghan_iraq_nk1 目を閉じてじっと聞き入っているようにも見えるけど

佐々 伸也(出師準備完了) ‏@geshtamjump · 8月7日
慰霊式典で生き生きとした表情を見せるような奴ってサイコパスだろ
RT“@afghan_iraq_nk1: 広島平和式典での安倍の退屈そうな顔。自衛隊閲兵式での生き生きとした表情や、靖国参拝時の緊張感に包まれた表情とは大違い。「絶対悪の核兵器は廃絶を」「威嚇だけで国を守れるのか」と

EXcircle ‏@EXcircle39025 · 8月7日
@afghan_iraq_nk1
批判するのに必死ですね^^

甘納豆 ‏@E1ina · 8月7日
@afghan_iraq_nk1 揚げ足取りおつかれ
1コマ抜き出して楽しい?ねえ楽しい?

甘納豆 ‏@E1ina · 8月7日
葬式でテンションあげる日本人がどこにいる
“@afghan_iraq_nk1: 広島平和式典での安倍の退屈そうな顔。自衛隊閲兵式での生き生きとした表情や、靖国参拝時の緊張感に包まれた表情とは大違い。(中略)聞く気がないなら帰れ! pic.twitter.com/rNdsakgr7R
(引用終了)

 私、それを見て呆れましたわ。誰が葬式の時に騒げと言いましたか。葬式の時には誰でも静かにしなければならないのは当たり前です。しかし、安倍のこの時の態度は何ですか。まるで緊張感がないじゃないですか。まるで居眠りしているかの様です。参列者で他にこんな態度の奴なぞいましたか?同じ「葬儀」でも、終戦記念日の戦没者慰霊式や靖国参拝の時の態度と全然違うじゃないですか。「テンションが高い低い」とか「静かか騒がしいか」以前に、真剣さ自体が全然感じられませんでした。

 だから批判したのです。それを「揚げ足取り」とか「1コマ抜き出して」とか。バカじゃないかと思いましたね。私がこの1シーンだけで判断したと思っていたら大間違いです。この時の安倍の挨拶や、それまでの安倍の行状も全部考慮した上で、「そのやる気の無さが態度にモロに出た」と批判しているのですから。

 確かに、この時の広島市長の「平和宣言」も、私の目から見たら物足らない物でした。「戦争ではなく平和を」とか「日本国憲法の平和主義を尊重せよ」とか言いながら、今最も問題になっている集団的自衛権やイスラエルによるガザ虐殺には全然触れていないから。安倍の様な奴にも受け入れられるギリギリの線で妥協したとも受け取れる内容でした。でも、やっぱりそこは「平和宣言」。一番大事な点についてはきちんと抜かさず書かれていました。それは「核兵器は絶対悪であり、その絶対悪を無くすために努力しなければならない」と、核保有国や日本政府に要求している点です。(資料1参照)

 それに対して、安倍や自民党政府の立場は「核兵器は必要悪」という物です。「出来れば無いに越した事はないが、今すぐ全部無くすのは難しい」「現実には、日本は米国の核の傘に守られている」というのが安倍や日本政府の立場です。こんな言葉が出てくるのも、本音では「核兵器を必要悪」と認めているからです。
 しかし、核戦争になれば、もはや勝者も敗者もなく、地球滅亡・人類滅亡しかありません。一発の核爆発で何十万という人間が瞬時にして消え、かろうじて生き残った人も長い間放射能に蝕まれ、その後何十年と環境が汚染され続けます。放射能が半分減るのにも(半減期)何十年、何百年、何万年とかかります。
 それを考えれば、核兵器は即時全廃するしかないでしょう。実際に、国連加盟国の圧倒的多数を占める非核保有国も、ずっとその方向で動いてきました。その中で、米国・ロシア・フランス・英国・中国・インドなど一握りの核保有国と、それに何も言えない操り人形の日本政府だけが、それに抵抗し続けて来たのです。

 だから、安倍は挨拶の中でも言い訳ばかりに終始し、「平和宣言」の問いかけに答える物には全然なっていません。
 確かに安倍が挨拶で言っている様に、日本政府は国連で「核廃絶の決意表明」を行い、「核廃絶決議」も1994年以降毎年提出して来ました。しかし、それらの決意表明や決議も、いずれも核廃絶を「いつか実現できれば良いな」といった程度の「究極目標」に遠ざけ、「出来る事しかやらない、核保有国でも受け入れられる」程度の「現実的措置」しか取り組まない代物です。「2025年までに核兵器2000発以下の世界をめざす」といった、単なる「数合わせ」の「アリバイ工作」でしかないのです。
 そして、アジア・アフリカなどの非同盟諸国が提出する期限を区切った(単なる核削減ではなく)核廃絶を求める決議や、2012年にスイスや北欧諸国など34ヶ国とローマ法王庁が国連に提出した「核兵器は絶対悪の非人道兵器」と謳った共同声明には、「時期尚早」とか言って、棄権や署名拒否の態度で背を向けてきました。
 しかも、表向きは「非核三原則を堅持する」とか言いながら、裏では沖縄米軍基地への核兵器持ち込み「密約」を隠し続け、石原慎太郎などと一緒になって核武装論議も始めているではないですか。

 この安倍の姿勢は原爆症認定の場でも貫かれています。自民党政府は長年に渡り、爆心地から半径2キロ以内で直接被爆した人しか原爆症には認定して来ませんでした。原爆投下後に捜索や救援にかけつけた入市被爆者は認定して来なかった。その余りにも厳しすぎる認定基準が世論の批判を浴び、近年ようやく少し緩め始めた所です。
 そうして渋々認めた物を、さも昔から率先してやって来たかのように言い繕っているだけなのです。この姿勢は原爆症認定だけでなく原発事故の被曝認定でも同じです。それが証拠に、福島原発事故の後も、逆に放射能規制値を年間1ミリシーベルトから20ミリシーベルトに緩和し、汚染水を垂れ流しながら原発再稼働とか原発の海外輸出とか、相も変わらず血迷った事を言っているではないですか。(資料2参照)

 実際、安倍は許しがたい事に、原爆慰霊式の後、広島のホテルで被爆者代表と会談した際に、その中の一人から出された「集団的自衛権についても再考を」という意見に対しても、その懸念には何ら答える事無く、「平和を守る為だ、戦争をする国にはならない」の一語で一方的に切り捨てました。相手から目をそむけ「テーブルに両ひじをつき」ながら。(資料3参照)

 そういう事も全部含めて、安倍の態度を批判したのです。表向き言っている事と実際やっている事が全然違うから。それを「揚げ足取り」とか「1コマ抜き」とか言う輩には、同じ言葉をそっくりそのままお返してやりましょう。「揚げ足取りなのは一体どちらか」と。


(資料1)広島「平和宣言」全文(広島市HPより)

 被爆69年の夏。灼(や)けつく日差しは「あの日」に記憶の時間(とき)を引き戻します。1945年8月6日。一発の原爆により焦土と化した広島では、幼子(おさなご)からお年寄りまで一日で何万という罪なき市民の命が絶たれ、その年のうちに14万人が亡くなりました。尊い犠牲を忘れず、惨禍を繰り返さないために被爆者の声を聞いてください。
 建物疎開作業で被爆し亡くなった少年少女は約6,000人。当時12歳の中学生は、「今も戦争、原爆の傷跡は私の心と体に残っています。同級生のほとんどが即死。生きたくても生きられなかった同級生を思い、自分だけが生き残った申し訳なさで張り裂けそうになります。」と語ります。辛うじて生き延びた被爆者も、今なお深刻な心身の傷に苦しんでいます。
 「水を下さい。」瀕死の声が脳裏から消えないという当時15歳の中学生。建物疎開作業で被爆し、顔は焼けただれ、大きく腫れ上がり、眉毛(まゆげ)や睫毛(まつげ)は焼け、制服は熱線でぼろぼろとなった下級生の懇願に、「重傷者に水をやると死ぬぞ。」と止められ、「耳をふさぐ思いで水を飲ませなかったのです。死ぬと分かっていれば存分に飲ませてあげられたのに。」と悔やみ続けています。
 あまりにも凄絶(せいぜつ)な体験ゆえに過去を多く語らなかった人々が、年老いた今、少しずつ話し始めています。「本当の戦争の残酷な姿を知ってほしい。」と訴える原爆孤児は、廃墟の街で、橋の下、ビルの焼け跡の隅、防空壕などで着の身着のままで暮らし、食べるために盗みと喧嘩を繰り返し、教育も受けられずヤクザな人々のもとで辛うじて食いつなぐ日々を過ごした子どもたちの暮らしを語ります。
 また、被爆直後、生死の境をさまよい、その後も放射線による健康不安で苦悩した当時6歳の国民学校1年生は「若い人に将来二度と同じ体験をしてほしくない。」との思いから訴えます。海外の戦争犠牲者との交流を通じて感じた「若い人たちが世界に友人を作ること」「戦争文化ではなく、平和文化を作っていく努力を怠らないこと」の大切さを。
 子どもたちから温かい家族の愛情や未来の夢を奪い、人生を大きく歪めた「絶対悪」をこの世からなくすためには、脅し脅され、殺し殺され、憎しみの連鎖を生み出す武力ではなく、国籍や人種、宗教などの違いを超え、人と人との繋がりを大切に、未来志向の対話ができる世界を築かなければなりません。
 ヒロシマは、世界中の誰もがこのような被爆者の思いを受け止めて、核兵器廃絶と世界平和実現への道を共に歩むことを願っています。
 人類の未来を決めるのは皆さん一人一人です。「あの日」の凄惨(せいさん)を極めた地獄や被爆者の人生を、もしも自分や家族の身に起きたらと、皆さん自身のこととして考えてみてください。ヒロシマ・ナガサキの悲劇を三度繰り返さないために、そして、核兵器もない、戦争もない平和な世界を築くために被爆者と共に伝え、考え、行動しましょう。
 私たちも力を尽くします。加盟都市が6,200を超えた平和首長会議では世界各地に設けるリーダー都市を中心に国連やNGOなどと連携し、被爆の実相とヒロシマの願いを世界に拡げます。そして、現在の核兵器の非人道性に焦点を当て非合法化を求める動きを着実に進め、2020年までの核兵器廃絶を目指し核兵器禁止条約の交渉開始を求める国際世論を拡大します。
 今年4月、NPDI(軍縮・不拡散イニシアティブ)広島外相会合は「広島宣言」で世界の為政者に広島・長崎訪問を呼び掛けました。その声に応え、オバマ大統領をはじめ核保有国の為政者の皆さんは、早期に被爆地を訪れ、自ら被爆の実相を確かめてください。そうすれば、必ず、核兵器は決して存在してはならない「絶対悪」であると確信できます。その「絶対悪」による非人道的な脅しで国を守ることを止め、信頼と対話による新たな安全保障の仕組みづくりに全力で取り組んでください。
 唯一の被爆国である日本政府は、我が国を取り巻く安全保障環境が厳しさを増している今こそ、日本国憲法の崇高な平和主義のもとで69年間戦争をしなかった事実を重く受け止める必要があります。そして、今後も名実ともに平和国家の道を歩み続け、各国政府と共に新たな安全保障体制の構築に貢献するとともに、来年のNPT再検討会議に向け、核保有国と非核保有国の橋渡し役としてNPT体制を強化する役割を果たしてください。また、被爆者をはじめ放射線の影響に苦しみ続けている全ての人々に、これまで以上に寄り添い、温かい支援策を充実させるとともに、「黒い雨降雨地域」を拡大するよう求めます。
 今日ここに、原爆犠牲者の御霊に心から哀悼の誠を捧げるとともに、「絶対悪」である核兵器の廃絶と世界恒久平和の実現に向け、世界の人々と共に力を尽くすことを誓います。
 平成26年(2014年)8月6日  広島市長 松井 一實
http://www.city.hiroshima.lg.jp/www/contents/0000000000000/1110537278566/

(資料2)広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式あいさつ全文(首相官邸HPより)

 広島市原爆死没者慰霊式、平和祈念式に臨み、原子爆弾の犠牲となった方々の御霊に対し、謹んで、哀悼の誠を捧げます。今なお被爆の後遺症に苦しんでおられる皆様に、心から、お見舞いを申し上げます。
 69年前の朝、一発の原爆が、十数万になんなんとする、貴い命を奪いました。7万戸の建物を壊し、一面を、業火と爆風に浚わせ、廃墟と化しました。生き長らえた人々に、病と障害の、また生活上の、言い知れぬ苦難を強いました。
 犠牲と言うべくして、あまりに夥しい犠牲でありました。しかし、戦後の日本を築いた先人たちは、広島に斃れた人々を忘れてはならじと、心に深く刻めばこそ、我々に、平和と、繁栄の、祖国を作り、与えてくれたのです。緑豊かな広島の街路に、私たちは、その最も美しい達成を見出さずにはいられません。
 人類史上唯一の戦争被爆国として、核兵器の惨禍を体験した我が国には、確実に、「核兵器のない世界」を実現していく責務があります。その非道を、後の世に、また世界に、伝え続ける務めがあります。
 私は、昨年、国連総会の「核軍縮ハイレベル会合」において、「核兵器のない世界」に向けての決意を表明しました。我が国が提出した核軍縮決議は、初めて100を超える共同提案国を得て、圧倒的な賛成多数で採択されました。包括的核実験禁止条約の早期発効に向け、関係国の首脳に直接、条約の批准を働きかけるなど、現実的、実践的な核軍縮を進めています。
 本年4月には、「軍縮・不拡散イニシアティブ」の外相会合を、ここ広島で開催し、被爆地から我々の思いを力強く発信いたしました。来年は、被爆から70年目という節目の年であり、5年に一度の核兵器不拡散条約(NPT)運用検討会議が開催されます。「核兵器のない世界」を実現するための取組をさらに前へ進めてまいります。
 今なお被爆による苦痛に耐え、原爆症の認定を待つ方々がおられます。昨年末には、3年に及ぶ関係者の方々のご議論を踏まえ、認定基準の見直しを行いました。多くの方々に一日でも早く認定が下りるよう、今後とも誠心誠意努力してまいります。
 広島の御霊を悼む朝、私は、これら責務に、倍旧の努力を傾けていくことをお誓いいたします。結びに、いま一度、犠牲になった方々のご冥福を、心よりお祈りします。ご遺族と、ご存命の被爆者の皆様には、幸多からんことを祈念します。核兵器の惨禍が再現されることのないよう、非核三原則を堅持しつつ、核兵器廃絶に、また、世界恒久平和の実現に、力を惜しまぬことをお誓いし、私のご挨拶といたします。
 平成二十六年八月六日  内閣総理大臣・安倍晋三
http://www.kantei.go.jp/jp/96_abe/statement/2014/0806hiroshima_aisatsu.html

(資料3)被爆者に背を向けた首相 集団的自衛権「閣議決定撤回を」の声に「抑止力」と繰り返す(8月7日付しんぶん赤旗より)

 「69年間、1人の外国人も殺さず、1人の戦死者も出さなかったのに、殺し、殺される国にするものだ」。6日午前、広島市内のホテルで安倍晋三首相と面談した被爆者が、集団的自衛権行使容認の「閣議決定」撤回を求めました。しかし、安倍晋三首相はこれを一顧だにせず、「抑止力」の名で解釈改憲を正当化しました。広島では首相に対する怒りと失望が広がりました。
 被爆者団体の7氏と向きあった首相は、相手の目を見て要望を聞くことはありませんでした。2人目の話の途中から手元の資料に目を落とし、さらにはテーブルに両ひじをつきました。
 ところが、最後に、16歳で被爆した吉岡幸雄さんから「閣議決定」の撤回を直訴されると、にらむような視線を向けました。そして手元の原稿を読まず、こう言い放ちました。「国民の命と平和な暮らしを守るためだ。戦争をする国になるという考えは毛頭ない」
 会談後の記者会見では、地元記者から「被爆地では抑止力に頼る安全保障の限界を指摘する声もある」「集団的自衛権ではなく、核兵器のない世界に向けて、核の傘からの脱却も含めて、武力に頼らない安全保障の新たな仕組み作りの考えはないのか」と問われました。
 これに対して首相は「抑止力によって、日本が戦争に巻き込まれる恐れはいっそうなくなる」と強弁。さらに、「抑止力が機能していることは多くの国民が理解している」とも述べました。たった今、地元記者から「抑止力」への疑問が出されたのを聞いていたのかと疑わざるを得ない受け答えでした。
 戦後、日本政府は究極の「抑止力」である米国の「核の傘」=「核抑止力」に頼り、国連での核兵器廃絶決議にも後ろ向きな姿勢を取りつづけてきました。「抑止力」にこだわることで、被爆地の願いに真っ向から背いていることを、首相はまるで理解していないようです。(後略)
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik14/2014-08-07/2014080702_03_1.html
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互換インクの粗悪品をつかまされた。

2014年08月06日 20時33分12秒 | 身辺雑記・ちょいまじ鉄ネタ


 実はこの間、パソコン・インターネットの光回線を別のプロバイダに乗り換えたオマケで商品券が手に入ったので、プリンターも新しい機種に変更しようと、色々調べていました。純正品インクのメーカーも既にカラーの製造を中止し、現在はブラックのインクしか手に入らず、何かと不便な思いもしていたので。
 でも、その後、プリンター買い替えよりも互換(リサイクル)インクを買った方が安上がりなのを知り、そちらの方を買う事にしました。プリンター自体には何の故障や不具合もなく、カラーのインクさえ手に入れば私はそれで良かったので。わざわざ重いプリンターを自宅まで運んで、パソコンへの接続や設定変更もしなければならないのも憂鬱だったし。

 しかし、それが間違いの元でした。ネット通販でカラーの互換インクを2個注文したのですが、そのうちの1個が不良品でした。上記がその比較写真です。ヤフー・トップページの試し刷りで比較してみました。写真の左側の紙が不良品のインクカートリッジで印刷した分、右側の紙が良品で印刷した分です。
 不良品の件は、すぐにメールで当該互換インクのメーカーに苦情を上げたのですが、やれ「カートリッジを使用前に軽く振ってみろ」だの、「セット後、数時間置いてから印刷してみろ」だの、果ては「クリーニングかけてみてテスト印刷した結果を送れ」だのと、最初はメーカー側はなかなか自分の非を認めませんでした。
 それで、上記の比較写真を証拠品としてメールで送る事で、ようやくクレーム交換にこぎつける事が出来ました。

 

 そして、今日ようやくその交換のインクが届いたのですが、何とこれも不良品でした。
 「妖怪ウォッチ」グッズの宣伝ページを試し刷りに使い、良品と不良品の印刷結果を比較したのが左上の写真です。写真の下方左側が良品で印刷した物、同じく右側が「交換品」として送られてきた不良品で印刷した物です。右の不良品カートリッジの方は、インクが黒と赤しか出ず、しかもインクがかすれまくっている事がお分かりになるでしょうか?
 しかし、クリーニング実施後のテスト印刷では、こちらも黒と赤しか出なかったものの、特有のインクのかすれもなく、きれいに印刷されているのですが。

 これが一度だけの不良なら、「今回は偶々運が悪かった」で済ます事も出来たでしょうが、こうも立て続けに不良を送られてくるとなると、もうこちらとしても利用を手控えざるを得ません。今回の件では、当該メーカーだけでなく、互換インク業界全体に対する印象も悪くなりました。聞けば、この業界も典型的な「隙間産業」で、零細業者も多く、この種のトラブルも頻出しているようです。
 実際、アリオンという会社が行った2012年のユーザー100人調査でも、キャノンの純正インクにはほとんどインク漏れのトラブルがなかったのに、互換インクではA社製24件、B社製49件、C社製40件と、いずれも多くのインク漏れがあったとの事です。但し、純正品を高く売りつけてパソコン安売り競争の元を取ろうとするキャノンなどパソコン製造業者の姿勢にも、私は疑問を感じますが。
 どちらにしても、私も、今使っている良品のインクが切れたら、次はもう互換品なぞ注文せずに、プリンターを買い替えようと思っています。

 このトラブルの影響で、この間ブログで取り上げようと思っていた話題も、次回以降の更新に延期せざるを得なくなりました。
 そういう事情なので、申し訳ないですが、次のブログ更新まで、もうしばらくお待ち下さい。
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沖縄・辺野古 現地からの報告

2014年08月03日 22時12分42秒 | 沖縄の犠牲の上に胡坐をかくな
 

 今回は沖縄・辺野古(へのこ)新基地建設問題を取り上げます。本土ではほとんど報道されませんが、沖縄では今やこの話題で持ちきりです。
 左上写真が沖縄県中部の宜野湾(ぎのわん)市にある普天間(ふてんま)の米軍基地です。大阪で言えば西の阿波座から東の森ノ宮・大阪城辺りまですっぽり入る程大きな基地が市域のど真ん中に居座っています。10年前には、この基地から飛び立った米軍ヘリコプターが近くの沖縄国際大学に墜落する事故も起きています。
 そして右上写真が、その普天間の移設先として工事が進められている沖縄北部・名護(なご)市にある辺野古の基地建設予定図です。現在、辺野古にある米軍基地キャンプ・シュワブの沖合を埋め立て、V字型の2本の滑走路が建設されようとしています。

 日本本土の0.6%の面積しかない沖縄県に全国の米軍基地の74%が集中しているのは何故か。それは、戦後長らく米軍占領下に置かれた沖縄で、米軍が「銃剣とブルドーザー」で住民から有無を言わさず土地を取り上げ、基地建設を強行してきたからです。その状態は沖縄が日本に復帰した今も全然変わりません。沖縄県民は、その間ずっと、基地の騒音や墜落事故、レイプや強盗・麻薬等の基地犯罪に苦しめられて来ました。戦後日本の平和は、この様な沖縄の犠牲の上に築かれてきたのです。
 その中で転機が訪れます。1995年の米兵による少女強姦事件を機に、全県ぐるみの基地撤去運動が盛り上がる中で、とりわけ住宅地に隣接し危険な普天間基地の移設がクローズアップされるようになります。当時も今も、県民の7割以上が普天間基地の県外・国外移設を求めています。それを日米両政府は、同じ沖縄県内の辺野古への移設に話をすり替え、県議会や市町村議会の度重なる抗議決議も無視して、辺野古の新基地建設を強行しているのです。辺野古沖の海には絶滅危惧種のジュゴンが生息し、国際環境保護団体からも建設中止要請が出ているにも関わらず。

 このたび、当ブログともお付き合いのある新聞「コモンズ」編集者の「まっぺん」さん(「レッドモール党」サイト管理人)も、この辺野古新基地建設反対の闘いに参加され、現地の様子を携帯の写真でネットに公開されました。その写真を、これまた当ブログともお付き合いがあり、実際にオフ会でもお会いした事のある東京在住の「草加耕助」さん(「旗旗」サイト管理人)が、自身のブログで動画に編集してユーチューブやツイッターに公開して下さいました。その内容の紹介・拡散が今回の記事のテーマです。パソコンで動画で見れる方はどうかその動画で現地の息吹を感じとって下さい。この記事のコピーを職場新聞でしか見られない私の職場のバイト仲間は、申し訳ないが、動画の後に付けた私の解説文や新聞記事の引用文で、その内容をつかみ取って下さい。

 今年の秋には沖縄県知事選挙が闘われます。今や沖縄では、県民を裏切り辺野古移設容認に寝返った現職知事の仲井真弘多(なかいま・ひろかず)に対し、那覇市長の翁長雄志(おなが・たけし)氏が自民党県連幹事長の職を投げ打って移設阻止を表明されました。このまま基地を受け入れ続けても失業解消には全然ならず、ますます事故や犯罪が増えるばかり。それどころか、下手すればテロの標的にされ観光客も来なくなる。今や辺野古移設反対は従来の保守・革新の枠を超えて県民の総意となりつつあります。先日、安倍首相が地元の頭越しで九州の佐賀空港に米軍輸送機オスプレイの一部受入れを表明したのも、このままでは敗色濃厚の知事選を、何とか有利にしようと焦った結果です。

 それでも「中国や北朝鮮が攻めてくるから多少の犠牲はやむを得ない」と言う人は、果たして安倍の軍拡一本槍のやり方で国が守れるかどうか、一度冷静になって考えて見たらよろしい。かつてのソ連や今の米国・イスラエルの姿も参考にして。ソ連は核軍拡競争で国がつぶれました。もう一方の米国も今や破産寸前。路上には戦場で精神に異常をきたした米兵くずれのホームレスがウヨウヨ。イスラエルも年がら年中戦争に明け暮れ。そうなれば消費税も8%や10%では済まなくなります。戦場には行かず生活にも困らない安倍はそれでも良いでしょうが、その身代わりにされる我々は堪ったものではありません。「ブラック企業もブラック国家も、嫌な物は嫌だ」と、この際はっきりと有権者の意志を表明しようではありませんか。

辺野古新基地建設阻止!シュワブゲート前、現地闘争! 2014.7.24~26 「横暴許さない!」


 以下、安倍政権の横暴性 県民にこそ正当性がある(7月27日付 琉球新報)より引用。
 これほど沖縄と敵対する政権が過去あっただろうか。住民運動へのどう喝、かく乱、だまし討ち。普天間飛行場の名護市辺野古への移設を強行する安倍政権の横暴性が、いよいよ露骨になってきた。県民はいま「県内移設ノー」の訴えを平然と押しつぶす政権の横暴と差別性を目の当たりにしている。
 海底ボーリング調査に向け、夜間や未明にキャンプ・シュワブへ資材が搬入された。住民からは「だまし討ち搬入を許さない」という抗議の声が上がった。基地反対運動の裏をかく沖縄防衛局の常とう手段であり、県民の声を切り捨てる安倍政権の抑圧的な性格もここに表れている。
 中城(なかぐすく)海上保安部がシュワブ沖500メートルにある長島に設置した「使用・立入禁止」と記した看板も不可解だ。上陸時に利用する桟橋の使用を禁じたものだ。長島は常時立ち入り禁止とされる「臨時制限区域」の境界線近くに位置する。
 保安部は「島自体への立ち入りを禁止するものではない」と説明する。ところが桟橋を使わなければ上陸は困難といい、保安部の説明は全く理解できない。島自体への立ち入りを事実上禁止しており、抗議行動を封じ込める狙いがあることは明らかである。
 これらを見るだけでも、普天間飛行場の辺野古移設に固執する安倍政権には民主主義を踏まえた正当性が存在しないことが分かる。辺野古沿岸部を埋め立て、新基地を建設するためには手段を選ばないという乱暴さが前面に出ている。
 このようなことが日本の他地域で許されるとは到底思えない。もしも沖縄ならば可能だと安倍晋三首相が考えているのであれば、この政権が抱える差別性の極みである。(後略)

辺野古新基地建設阻止!シュワブゲート前、現地闘争! その2 2014.7.27 「横暴許さない!」


 この動画の肝は二つ。
 一つは、沖縄防衛施設局は後ろに退き、地元採用の警察官やアルソックの民間警備員を住民弾圧の矢面に立たせている事。自分は手を汚さずに、同じウチナーンチュ(沖縄人)同士を対立させて運動を分裂させようとしているのだ。オロオロする若い警官を居丈高にどやしつける米軍兵士。今も沖縄が事実上、米国の「植民地」である事がよく分かる。
 もう一つは、同じ頃に沖縄の宜野湾市民会館で開催された「島ぐるみ会議」結成総会の様子。会場には2千人余りが詰めかけ、会場に入りきれなくて諦めて帰る人も。従来の基地反対派だけでなく、それまで基地を渋々受け入れてきた保守派や経済界の代表も加わり、基地のない沖縄を目指す建白書(けんぱくしょ=意見書)を採択。

 以下、前述「コモンズ」7月30日付掲載の沖縄特派員報告より引用。
 昨日の闘争はなかなかハードでした。しかし、こちらへ来て感じたことがあります。それは「沖縄のこころ」みたいなものです。温かく優しいものを感じるんですね。例えば東京の下町の人情にも似ているけど、もっと独特な連帯感です。山城ヒロジさんは、その沖縄マインドを持って若い機動隊員たちにも語りかける。「君たちをここまで育て上げた親たちを裏切る行為だぞ」「県民のための警察官となれ!防衛局の犬になるな!」
 何度も語りかけて来ました。すると防衛局は機動隊の数を減らし、警備会社アルソックのガードマンを増やして来た。面白い現象です。
 また、警察の側でも抗議者たちを決してケガさせないように、との指示が出ているようでゴボウ抜きした時の警官も対応がどことなく優しい。官邸前など本土で体験してきた事務的で敵対心むき出しの機動隊とは全く違う。沖縄全体をやさしく包むこの独特の「沖縄の連帯感」は、400年にわたる薩摩、明治政府、米軍支配の中で育まれて来たのでしょうね。(後略)

 そして、以下の辺野古阻止「再結集を」 島ぐるみ会議、建白書実現求める(7月29日付 琉球新報)の引用も参考に。
 県内政財界や労働・市民団体の有志、有識者らでつくる「沖縄『建白書』を実現し未来を拓く島ぐるみ会議」の結成大会が27日午後、宜野湾市民会館であり、主催者発表で2千人余が参加した。米軍普天間飛行場の県内移設断念などを求めて県内全市町村長と議会議長、県議らが署名し、昨年1月に安倍晋三首相に提出した建白書の理念実現に向け、全県民の再結集を訴える結成アピールを採択。普天間飛行場の名護市辺野古移設や米軍基地の過重負担に象徴される沖縄への「構造的差別」の解消を訴えた。(中略)
 共同代表の一人の呉屋守将金秀グループ会長は「経済活動は大事だが、ウチナーンチュ(注:沖縄人)の尊厳、基本的人権、平和はもっと重要だ」と訴えた。辺野古移設に反対する候補を支援したとして自民党を除名された仲里利信元県議会議長は「沖縄で保革がけんかして喜ぶのは日本政府と米国。金で人の心を奪い、それに乗る沖縄の偉い人もいるが、世論調査でも県民はあくまで県外・国外と言っている」と述べ、県民が一致する必要性を強調した。(後略)

辺野古新基地建設阻止!シュワブゲート前、現地闘争! その3 2014.7.28~30 「横暴許さない!」


 ついに沖縄施設局はなりふり構わぬ弾圧に出てきた。何とゲート前の公道に、山型のギザギザがついた鉄板を敷き始めたのだ。この上で乱闘騒ぎになれば、多数の死傷者が出る事を承知の上で、公道にこの様な危険な違法構造物を設置したのだ。「泥落としの鉄板」とのウソまでついて。これは憲法で保障された請願権や「表現の自由」を侵害する行為に他ならない。この落とし前は必ず次の沖縄県知事選挙と総選挙で、県民を裏切った仲井真と国民に敵対する安倍晋三に「NO!」を突き付ける事で示さなければならない。



 以下、辺野古「殺人鉄板」 直ちに撤去し人命守れ(7月31日付 琉球新報)より引用。
 国策に抵抗する者は負傷しても、死んでも構わないというのか。県民の生命を差し置いても普天間飛行場の辺野古移設を強行しようとする政府の手法に怒りを覚える。
 沖縄防衛局がキャンプ・シュワブのゲート前に三角形の突起が並んだ鉄板を設置した。移設に反対し、座り込みを続ける市民らは抗議行動の排除を狙ったものだとして反発している。
 防衛局はゲートに出入りする工事車両の「泥落とし」だと説明している。この説明を真に受ける県民はほとんどいないであろう。
 「泥落とし」が目的ならば、ゲートの内側に鉄板を据えればよいではないか。工事現場でタイヤや車体に付いた泥はその現場の出口で洗い流せば済む話だ。舗装された国道を長く通行してきて、ゲートに入る車両に多量の泥が付着するとは思えない。防衛局の説明は矛盾している。市民が指摘するように抗議行動の抑止が目的であることは明らかだ。(中略)
 米軍統治下の反戦・反基地運動のさなか、憲兵隊は銃剣を突き付けた。基地のない平和な島を希求する大衆運動に対する威嚇(いかく)行為だった。その非人道的な行為が普天間の辺野古移設の名の下に再現された。これも安倍内閣の専横の表れだといえる。
 県内移設を拒む県民世論に支えられた抗議行動を敵視し、市民の生命を奪うような行為は断じて許されない。憲法が保障する「表現の自由」に照らしても「殺人鉄板」を直ちに撤去すべきだ。 
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