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西成の観光宣伝より先に南京虫を駆除しろ!

2021年08月29日 07時50分00秒 | 西成南京虫騒動

下記の要望を大阪市の行政苦情窓口に送りました。↓

私は4年前に西成に来ました。最初の2年はホテル暮らしで、その後、賃貸のワンルームに移りました。ところが、賃貸で南京虫が発生するようになり、家主が駆除してくれないので、やむなく引越す事になりました。南京虫の出る部屋にはもう住めないので、この2週間はホテルで避難生活を送っています。家賃や公共料金の二重払いに加え、ホテル宿泊費や引越し代で出費がかさみ、もう大変です。

大阪市は、新世界や西成あいりん地区に観光客を呼び込む為に、「新今宮ワンダーランド」という観光キャンペーンをやっています。観光ポスターを街角やホテルのロビーに掲げ、「新世界・西成ワンダーランド」という雑誌を本屋に並べています。観光キャンペーンでは物価の安さや下町暮らしの気安さを「人情の街」としてアピールしています。

しかし、安くておいしい弁当屋や気軽に行ける銭湯が(一杯)街角にあるのも、キッチンもバス・トイレも共同の劣悪な生活環境を、行政が長年に渡り放置して来たからです。日本では一時絶滅したはずの南京虫が、今も西成では猛威を振るっているのも、ドヤや福祉アパート、老朽マンションなどを行政が放置してきたからです。その上、外国人観光客が持ち込んだ南京虫も、野放しにしてきたからです。

少し前に、同区内の天下茶屋東で崖上住宅の崩落事故がありました。幸い住民は直前に異変に気付き避難して無事でした。これは何もこの事例だけに限った話ではありません。他にも崩れかけの住宅を周囲で目にしました。銭湯通いの帰り道でも、数か月前まで普通に建っていた住宅が、崩落寸前で立入禁止のテープが張られていました。

南京虫にかまれて夜も眠れない住民の苦境を放置して、何が「人情の街」か。何が「来ればだいたい、なんとかなる」か。そんな観光キャンペーンに力を注ぐ位なら、先に劣悪な生活環境を改善して下さい。劣悪な生活環境を放置して、いたずらに観光客だけを呼びこもうとするのは、もはや詐欺同然の行為ではないですか。

それでなくとも大阪市は、長年の公務員減らしや2度にわたる都構想住民投票によって、行政機能が麻痺しています。コロナ対策給付金・休業支援金の支給も全国一遅かったし、病院・保健所の統廃合で医療崩壊も起こりました。「見てくれ」の観光キャンペーンに力を注ぐより前に、住民向けの施策をもっと充実して下さい。(苦情投稿は以上)

6月下旬に南京虫の被害を初めて確認。南京虫が敷布団の裏にまき散らした血糞(赤黒い点々の染み、左)と虫の拡大写真(右)。この時はまだ南京虫だと気付かず、ダニの一種だと思っていた。

南京虫の血糞で汚れた床。

床のカーペットを取っ払い、通販で買った簀の子に置き換え、バルサンも2回焚いたが全然効果はなかった。最終的に、この簀の子も布団も書棚代わりのカラーボックスも、全て処分する羽目になる。当時の室内の様子も是非見て欲しい。私が決して部屋の掃除や整理整頓を怠って来た訳ではない事がお分かりになるだろう。南京虫は新築のマンションでも増殖するのだから。

私の部屋の外の廊下(壁紙が剥がれている)、すぐ横の屋上に上る階段(天井から雨漏り)。

これを放置してきたマンション管理会社の責任は重大だ。当然、私もその責任は追及した。その結果、「今の住宅には南京虫なんていない。お前が外から持ち込んだのだ。駆除費用はお前が払え」と言っていた管理会社も、最後には折れ、個人負担なしで無事退去する事が出来た。

西成区天下茶屋東の崖上住宅崩落現場(左)、同・山王市場通り商店街の倒壊寸前の住宅(右)。

でも、どこから入り込んだか分からない南京虫の管理責任まで、管理会社に負わせる事は、今の賃貸住宅管理業法の枠組みではなかなか難しい。それを解決するのが政治の役割なのに、大阪市や大阪府はこれまで一体何をして来たのか?下らない観光キャンペーンや都構想、オリンピックに入れあげて来ただけだったじゃないか!「誰でも健康で文化的な最低限度の生活を送る事が出来る」という憲法25条の理念は一体どこに行ったのか?コロナも南京虫も、全て自民と維新による人災だ!

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引越し後も南京虫との戦いは続く

2021年08月26日 21時17分02秒 | 西成南京虫騒動

とりあえず、引越し後の近況について、お知らせしておきます。8月18日に無事引越しも終わり、今は新しい賃貸マンションに住んでいます。6畳のワンルームに3畳のキッチンで家賃3万4千円余の物件です。今まで住んでいた所と比べると、家賃は8千円ほど高くなり、駅からの距離も少し遠くなります。

しかし、その代わりに、ユニットバスと冷蔵庫だけでなく、バルコニーやクローゼット、下足箱もあるので、住み心地はこちらの方が断然良いです。部屋も2階で、以前のように5階まで上がらなくても良いし、エアコンも以前のような窓用エアコンではなく、暖房も使えるので、不要になった電気ストーブはクローゼットに収納しました。

南京虫をこちらに連れて来ないようにする為に、家財道具の大半を処分して来ました。その為に、こちらで収納用の家財道具を買い揃えるまでは、引越しの段ボールをなかなか開梱する事が出来ませんでした。22日にカラーボックスを買って来て組み立て、ようやく荷物をそちらに移す事が出来ました。開梱した段ボールは全てバルコニーに放り出し、次の古紙収集日に排出しました。(今までの南京虫との戦いについては、こちらの記事を参照して下さい)

敷布団も防虫加工済のものを選びました。通販で購入した簀の子ベッドがまだ届いていないので、敷布団はフローリングの床に直に敷いて寝ています。そして、掛布団の代わりに毛布をかぶって寝ています。とりあえず夏の間はそれでしのぐつもりです。

 

段ボールを処分した後、数日間は南京虫は出て来ませんでしたが、先日また1匹見つけたので殺しました。これ以上、出て来るようなら、家主と相談して駆除業者を呼ばなければなりません。駆除費用も数万円に上るので、業者を呼ぶ以上は、完全に駆除して貰わないと困ります。

以前のように、始終、南京虫の被害に遭うような事は無くなりましたが、今もいつ出て来るか、気が気ではありません。その為に、今も枕元には殺虫剤を並べて寝ています。また、部屋の温度が上がって南京虫が出てこないように、不在時もエアコンはつけっぱなしにしています。エアコン代がかさみますが仕方ありません。

8月25日には、今まで住んでいた部屋の退去立会も済ませました。当然ですが、南京虫駆除費用の個人負担なども一切無しでした。この立会が、西成を最後に訪れた日となりました。西成には好い思い出も沢山ありましたが、こと、この南京虫に限って言えば、「とんだ置き土産」となってしまいました。

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マンション管理会社の責任を問う

2021年08月15日 09時49分51秒 | 西成南京虫騒動

南京虫(トコジラミ)は体長5~7ミリの吸血昆虫です。赤褐色で丸く平らな形をしています。ダニよりも大きいので肉眼でも確認できます。血を吸う際に糞を出すので、左写真のような血糞(赤黒い点々の染み)が残ります。

6月下旬に害虫に布団が汚されているのを確認してから、布団を天干ししたり、床のスノコを敷いたり、殺虫剤をまいたりバルサン焚いたりしたが、全然うまく行きませんでした。その害虫も、当初はダニだと思っていたのが、より厄介な南京虫だと分かり、しかもマンション管理会社は「私が南京虫を持ち込んだ」かのように言い募る始末。それどころか、バルサン焚いた後は更にパワーアップして、夜昼ともなく室内に現れるようになりました。

もうそんな部屋には住めないので、8月18日に別の物件に引っ越す事にしました。それまでは近くのホテルで避難生活です。家賃の二重払いにホテルの宿泊費も加わり、膨大な出費になってしまいましたが、背に腹はかえれません。自分の命を守る事が最優先です。急に引っ越す事になったので、ガス閉栓の立ち合いも引越しの翌週に回しました。それまでは公共料金も二重払いになりますが仕方ありません。

そんな状況なのに、元いた部屋のマンション管理会社は8月16日まで盆休みなので、もう既に解約通知を送っているにも関わらず、退去立会手続きの打ち合わせもまだ済んでいません。もし、これでマンション管理会社が私に南京虫の駆除費用負担を求めてきたら、私も裁判で白黒決着を付けるつもりです。

その準備も兼ねて、南京虫について、もう少しおさらいをしておきます。南京虫というのは俗称で、正式にはトコジラミと言います。名称からシラミの仲間だと思われがちですが、実はカメムシやセミの仲間です(カメムシ目トコジラミ科、学名はCimex lectularius)ベッドの下や部屋の隅などの物陰に潜んで、夜這い出てきて人間の血を吸うので、英語でベッドバグ(Bed bug)と呼ばれています。

南京虫にかまれても、最初は何も感じません。しかし、二度、三度とかまれると、猛烈なかゆみに襲われる事になります。南京虫が人間の血を吸う時に出す唾液がアレルギー反応となって現れるからです。但し、このかゆみも個人差があり、そんなに感じない人もいます。かみ口も、以前は2つあると言われていましたが、今はそうとも限りません。幸い、蚊と違って、感染症を媒介する事はありませんが、それでも、さされた人の中に、もしエイズ患者がいたら、自分もその血液で感染するおそれはあります。

南京虫の翅(はね)は退化して、自分で飛ぶ事は出来ません。腹ばいになって動き回るだけです。但し、繁殖力は旺盛で、1日に5個以上も卵を産みます。南京虫の寿命は1年足らずですが、その間に500個以上も卵を産むと言われています。南京虫は、かまれる被害よりも、むしろ繁殖を抑える方が厄介なのです。

この南京虫ですが、1965年頃までは日本にも普通にいました。その後、衛生環境の向上により、70年代には日本からは完全に駆除されたと思われていました。ところが、21世紀に入り、グローバル化の進展によって、外国人観光客が日本に大量に押し寄せるようになると、再び南京虫が日本に住み着くようになりました。

特に2007年頃からは、大都市部のホテルや病院を中心に、南京虫の害が報告されるようになりました。東京都の統計によると、都内の保健所に寄せられた相談件数は、1997年から2001年までは130件だったのに対し、2007年から2011年には793件と、約6倍以上に急増しています。

姿を消していたトコジラミがインバウンドブームで強力復活(日刊ゲンダイ)の他、ウィキペディア、「トコジラミ読本」、東京都ダスキンのホームページなども参考に。

これだけを見ても、「南京虫を私が外から持ち込んだ」とするマンション管理会社の言い分が、何の根拠もない決めつけである事が分かると思います。「日本では駆除されて住宅にはいない」はずの南京虫を、外国に行った事もない私がどうやって「外から持ち込める」と言うのか。

そこに西成あいりん地区の特殊事情が加わります。大阪市西成区の新今宮駅の南側に広がるあいりん地区は、西日本でも有数の日雇い労働者の街です。生活環境は劣悪で、その為に、日本ではとっくに根絶されたはずの結核が、ここでは依然として猛威を振るっています。無料の結核診療所が今でも活動しているのが、その何よりの証です。

ここでは南京虫も、日雇い労働者が住むドヤ(簡易宿泊所)や福祉アパートを中心に、今でも猛威を振るっています。そのドヤを外国人観光客向けに改装したホテルも、小ぎれいになっただけで、造りそのものはドヤと変わらないのですから当然です。そこに外国人が持ち込んだ南京虫も加わり、今や西成区は大阪市内の中でも最も南京虫の被害が多い地域となってしまいました。

私の今まで住んでいた部屋も、ドヤや福祉アパートではありませんが、築34年の老朽マンションで、隣に住んでいるのもベトナム人です。入居当初から廊下の窓は開けっぱなしで、雨水が入り込み壁紙がめくれあがっていました。それに加え、横の階段の天井も穴が開き、雨漏りしているような状態です。私がマンション管理会社に改修を要望してからも、ずっとそのままでした。(前回記事参照)

建物を荒れるがままにして来た自分たちの管理不行届きを棚に上げ、さも「私が南京虫を外から部屋の中に持ち込んだ」かのように言うマンション管理会社の言い分は、もう言いがかりとしか思えません。もし退去に際して、先方が私に駆除費用を請求して来たら、私も二重払いを強いられている家賃やホテル代、公共料金を先方に請求するつもりでいます。

最後に。南京虫を市販の殺虫剤で駆除しようとしても無駄です。バルサンなぞ焚こうものなら、かえって南京虫の害を広げる事になりかねません。何故なら、バルサンの煙や霧では、室内の隅々にまでは行き渡らないからです。南京虫は、更に壁紙の隙間やコンセントの穴に入り込み、バルサンの煙がなくなった後は、前にも増して室内を我が物顔にのし歩く事になります。

今の南京虫は、昔の南京虫とは違って、市販の殺虫剤では殺せません。たとえ、殺虫剤の効能書きに「南京虫にも効く」と書いてあっても、です。駆除業者は、市販では売ってないような強力な殺虫剤で、駆除しなけれなならなくなっています。それでも、一度では駆除しきれず、二度、三度と駆除しなけれならなくなっています。

その中で、個人で出来るのは、殺虫剤を南京虫に直接散布し、仮死状態となった南京虫をティッシュで摘まんで屑籠に入れるぐらいです。後は、南京虫の好む黒系統の服を着るのは避け、夜も照明を消さずにアイマスクして寝るぐらいです。こんなもの、個人で対処するのは無理です。

大阪府や大阪市も、「新今宮ワンダーランド」と称する観光キャンペーンにお金や人や時間を費やす暇があるなら、何故、南京虫の駆除にもっと本腰を入れて来なかったのか?害虫の駆除もろくにしないまま、「来ればだいたい、何とかなる」と言って、観光客をホテルに呼び込むのは、詐欺と同じではないですか。

私物の運び出しもようやく終わり、今、室内に残っているのは、粗大ゴミとして処分する予定の、スノコやカラーボックス、座卓、座椅子のみです。このスノコも、防虫対策として通販で買ったのに、わずか一週間で南京虫の糞・卵まみれになってしまいました。

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南京虫まみれの人情の街ともこれでオサラバだ。

2021年08月11日 08時30分00秒 | 西成南京虫騒動

 
次の入居先が決まりました。新しい入居先は大阪市住之江区内の洋室6畳、キッチン3畳の1Kマンションです。
 
家賃は賃料27,000円、共益費5,500円、水道代2,200円の合計34,700円です。今の家賃よりも約8,000円高くなりますが、居住環境、周辺環境は全然違います。まず、小さいながらもバルコニーがあり、洗濯機も置ける点が決定的に違います。それに、クローゼット(今までの様な棚状ではなく扉も付いた本格的なやつ)や下駄箱も付いていて、マンションの前には駐輪スペースもあります。
 
8月18日には、今の西成区の物件から新しい住之江区の物件に引っ越します。それまでに引っ越しの手配、初期費用の払い込み、住民票取得、家賃引き落とし手続き、今までのマンションの退去立会、電気・ガスの開・閉栓と、やる事が山の様にあります。コインランドリーも同じ建屋の中にあるので、洗濯機を購入するまでは、取り敢えずはコインランドリーで凌ごうと思っています。これでやっと南京虫の害から解放されます。
 
実は、結核だけでなく南京虫も、あいりん地区では昔から被害が多発していました。それも外国人観光客が押し寄せる遥か以前から。「今の日本には南京虫なんていない」というマンション管理会社の言い分は、こと西成については誤りなのです。
 
西成あいりん地区でホテルや中国人経営の居酒屋が続々とオープンしているのは、元々スラム街で地価が安いからに過ぎません。あいりんシェルターや結核の無料診療所、特掃(高齢者特別清掃事業)なども、野宿者やそれを支援する人達が運動の中で勝ち取って来たものであり、行政の方から積極的に行なったものではありません。
 
それを何を今頃になって、さも「私達は住民の味方です」みたいな顔して、「人情の街」とか「来ればだいたい、何とかなる」とか言って、「新今宮ワンダーランド」の便乗観光キャンペーンしているのか。
 
ここで、同じ西成の南京虫被害について報じながら、視点が全く対照的な二つの記事を紹介しておきます。前者は生活保護問題と絡め、住環境の貧困を人権問題と捉えているのに対し、後者は暗に外国人が南京虫を連れてきたと、まるで外国人排斥を煽るような内容に終始しています。人権問題の観点は全くありません。
 
ところが、世間の人は、そんな西成あいりん地区の実情なぞ知る由もない。だから「今時、日本には南京虫なぞいない。外から連れて来る奴が悪い」と言う事にされてしまうのです。当初は私もマンション管理会社からそう言われても全然反論出来ませんでした。無知ほど恐ろしいものはありません。
 
こんな劣悪な住環境を放置しておいて、何が「人情の街」か、ふざけるな!本当に新今宮や西成あいりん地区が「人情の街」なら、オリンピックや観光キャンペーンよりも、結核や南京虫の駆除、今住んでいる生活環境の整備に力を注げよ、と言いたいです。
 
 
再び私の引っ越しの話に戻ります。今まで住んでいた部屋の中にあった衣類は全てホテルに移しました。これから順次、洗濯の済んだ衣類や冬服も含め、全ての衣類をホテルの乾燥機で煮沸消毒する事にします。ホテルの乾燥機は、あいりん地区のコインランドリーの乾燥機よりも高性能です。地区の乾燥機は乾燥が済んでも衣類の一部が熱を帯びるだけですが、ホテルのそれは衣類全体が素手では持てない程の熱を帯びます。もし仮に部屋の南京虫が衣類に引っ付いて来ていたとしても、これで死滅させる事が出来ます。
 
問題は家電製品です。南京虫が入り込むのは衣類や布団類だけではありません。家電製品も熱を帯びるので、南京虫の格好の住処となります。モジュラージャックやコンセントの穴の隙間にも普通に入り込みます。しかも、家電製品は殺虫剤で消毒する事も、乾燥機で煮沸する事も出来ません。さて、どうしたものか。
 
取り敢えずは、少しでも南京虫が移り住まない様に、衣類と家電製品を部屋からホテルに移動する事にします。もし最悪、南京虫がホテルで見つかったとしても、まだホテルにいる間は従業員に清掃、駆除の助けを借りる事が出来ます。しかし、一旦、新居に持ち込んでしまったら、今度は私が自腹で清掃業者を呼んで駆除しなければならなくなります。
 
しかし、幾ら一人暮らしで荷物が少ないと言っても、まだこれだけの荷物が部屋に残っています。このうち、スノコやカラーボックスは粗大ゴミとして出し、書籍は近所の本屋で古本として買い取ってもらうつもりですが、残りを一体どうするか?
 
南京虫防除の観点から、引っ越しの荷物は最小限に止め、出来る限り処分するつもりでいます。職場の同僚や近所のブログ読者の方へ。もし、この下の写真の中で、欲しい物があるなら、無償で譲渡するので早めに連絡下さい。
 
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今の部屋を退去する事にしました。

2021年08月08日 07時52分07秒 | 西成南京虫騒動

今住んでいる西成あいりん地区のワンルームを今月一杯で退去する事にしました。原因は南京虫の増殖です。6月下旬に布団に虫が巣食っている事が確認されて以降、布団やカーペット、梱包の段ボール類は全て室内から撤去しました。それ以後は毎週休みのたびにこまめに室内を清掃するようにしました。床には簀の子を敷き、その上にエアクッションと冷感ラグを乗せて寝るようにしました。バルサンも既に2回室内に散布しました。ところが、虫の増殖は収まるどころか、更に勢いを増す様になりました。

そこで、虫の写真をマンション管理会社に送って駆除を依頼したところ、この虫はマンションによくいるダニではなく、南京虫(別名トコジラミとも言う)である事が分かりました。ダニは小さいので肉眼ではなかなか認識出来ませんが、それよりも大きい南京虫はすぐに確認出来ます。スイカの種の様な平らっぽい体形をしています。飛ぶ事が出来ないので腹ばいになって移動します。人間や他の動物の血液を吸い、卵を産んで増殖します。吸血する際に血液凝固を防ぐ唾液も分泌するので、それがアレルギー反応を引き起こし、皮膚の痒みの原因となります。吸血と同時に脱糞するので、血糞や脱皮した後の抜け殻が周囲に散らばります。

南京虫は、昔は日本に普通にいましたが、戦後の衛生環境向上により、日本からは一掃された事になっていました。ところが実際は、その後のグローバル化の進展、外国人観光客の来日に伴い、再び被害が全国各地で見られるようになりました。現に、私が先週末に旅行で訪れた静岡県大井川上流域の民宿でも、南京虫は普通にいました。ところが、マンション管理会社は「南京虫はもはや住宅には存在しない。今いる南京虫は私が外から持ち込んだ物だ。だから駆除費用も私が負担せよ」と言ってきたのです。

ところが実際は斯くの如しです。それどころか、今は殺虫剤にも耐えるスーパー南京虫が全国各地で猛威を振るう様になりました。虫害の件で西成区役所に相談に訪れた時も、大阪市南部の住之江・住吉・西成区を中心に、南京虫の被害報告が多数寄せられている事も、区職員から聞いています。

ダニアースやダニフマキラーを南京虫に吹きかけても全然死にません。一時的に仮死状態になるだけです。バルサンを焚いても、南京虫は壁の隙間に巧妙に隠れ、深夜になると更に増殖して、室内のあちこちに増殖する様になりました。パンツの隙間にも入り込んでうごめく様になりました。

その為に、夜も寝れなくなりました。連日、睡眠不足が続き、フラフラな状態の中で、仕事をしなければならなくなってしまいました。先日も、商品の仕分け中に、立ったままウトウトと寝入ってしまい、気が付いたら出荷用のデポカードだけを手にしていた事がありました。商品は全然違う宛先に出荷してしまっていました。この時は、流石にヤバいと思い、社員に理由を言って早退させてもらいました。

もう、そんな状態なので、今までのワンルームでは寝れなくなり、急きょ近くのホテルに避難する事にしました。コロナ感染予防の事も考え、あいりん地区によくある浴室・トイレ共同のドヤホテルではなく、個室に浴室もトイレもあるタイプのホテルに泊まり、そこから平日は出勤し、休日は次の物件探しに充てる事にしました。ワンルームの家賃に加え、ホテルの宿泊費も払う事になりますが、もはや緊急事態なので背に腹は代えられません。お陰で、ようやく、ぐっすり眠る事が出来るようになりました。

そんな状態であるにも関わらず、マンション管理会社は、設備の老朽化も放置して、私の個人責任を言い募るばかりです。そこでもう、賃貸契約を解約する事にしました。下記がその解約通知メールの全文です。

お部屋の状態 南京虫発生による血糞、抜け殻散乱。但し、南京虫を賃借人の私が持ち込んだとする証拠はない。仮に私の衣服に付着して持ち込まれたとしても、そんな事まで賃借人の瑕疵(かし=過失)にされたのでは、賃借人はおちおち外出も出来ない事になってしまう。事実、国交省の原状回復ガイドラインにも、虫害を賃借人の責に帰す旨の記述は一切無かった。南京虫は外から持ち込まれた物だと建物管理会社は主張するが、一時期、日本から一掃されたとされる南京虫も、その後のグローバル化、インバウンド訪日者の激増により、再び国内で繁殖する様になった。部屋のすぐ横の天井の雨漏り、廊下の壁紙の剥がれ等も放置している家主などの不作為を棚に上げ、賃借人の私が南京虫を持ち込んだとする賃貸人の主張には同意出来ない。逆に、バルサン散布により南京虫が壁の隙間に入り込み、深夜に更に増殖する様になった。もう夜は室内で眠れないので、私はホテルで避難生活を余儀なくされている。そこまで追い詰められている賃借人に対して、気遣う事もなく、一方的に害虫駆除費用の個人負担ばかりを言い募る賃貸人の冷酷さに愛想が尽きた。これが今回退去を決断した最大の理由である。

左:解約通知の理由記述。右:国交省の原状回復ガイドライン

左:今のワンルームマンション賃貸契約の原状回復条項。右:その条項に記載された入居者遵守事項。

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2021年夏の大井川鐵道探訪記

2021年08月04日 08時42分50秒 | 身辺雑記・ちょいまじ鉄ネタ

7月31日(土)から8月1日(日)にかけて、久しぶりに静岡県の大井川鐵道に乗って来ました。以下はその報告です。長文になったので段落ごとに小見出しを付けました。

(1)ネット情報だけを過信すべからず。
 
私が大井川鐵道に乗ったのは、もうかれこれ40年ぶりになるでしょうか?当時はダム建設による線路の付け替え前で、アプト式の電気機関車も走っていませんでした。
久しぶりに乗る大井川鐵道で、私はちょっとしたミスをやらかしました。ネットの時刻表では、新金谷10時38分発の急行かわね路13号に乗れば、本線終点の千頭(せんず)まで行ける事になっていました。
しかし、実際は、新金谷10時38分発はSL急行きかんしゃトーマス13号でした。
私の買った大井川鐵道の周遊切符では、SL急行には乗れない事が分かりました。しかも、追加料金を払うと言っても、周遊切符では併用も出来ないと言われてしまいました。
途方に暮れていると、次の新金谷11時7分発の普通電車に乗っても、千頭駅12時17分着で、井川線の千頭12時29分発のトロッコ列車に乗れる事が分かり、一安心。
しかも、きかんしゃトーマス13号が出た後に、千頭行きの臨時バスも出ている事が分かりました。
最初は普通電車と聞き、がっくり来ましたが、その普通電車も、昔の近鉄特急の車両だと聞き、逆に得した気分になりました。鉄道ファンの私にとっては、子供向けのきかんしゃトーマスよりも、むしろそちらの方が嬉しいもの。
しかも、途中駅の家山で待ち合わす事になった行き違いの普通電車も、元南海の特急電車でした。
ネットの情報だけを鵜呑みにするのではなく、現地で最新情報を手に入れる事の大切さを思い知りました。
 
左:金谷駅ホームの元東急電車。右:新金谷駅で乗り換えた元近鉄の千頭行き普通電車。
左:新金谷駅のきかんしゃトーマス。右:家山駅で撮影した元南海の普通電車。
上2枚とも千頭駅で撮影した井川線のトロッコ列車。最後尾に機関車、前から3両目に展望車。 
 
(2)アプト式重連運転の仕組み
 
ここで、井川線アプト式区間(アプトいちしろ駅・長島ダム駅間)の重連運転の仕組みについて説明します。
重連運転とは、2台以上の機関車で運転される仕組みです。勾配のきつい区間では、昔からこのような仕組みが取られて来ました。
この区間は、長島ダム建設で接岨(せっそ)湖が出来た事により、線路が付け替えられて出来た新線区間です。勾配が90‰(パーミル)=千メートルの間に90メートルも上る=もあるので、井川線のトロッコ列車では坂を登る事が出来ません。
だから、この区間だけは電化され、通常の線路だけでなく、アプト式のラックレールも中央に敷かれ、トロッコのディーゼル機関車だけでなく、アプト式の電気機関車も加わり、2両の機関車で運転される事になります。
まず、麓のアプトいちしろ駅で、駅の端にある引き上げ線で待機していたアプト式電気機関車が、係員に誘導されて、トロッコ列車のディーゼル機関車の後ろに連結されます。そして、機関車が客車を後ろから押し上げる推進運転で、アプト式の区間を上って行きます。
一つ先の長島ダム駅は、アプトいちしろ駅とは違い、2面2線の行き違いが出来る構造になっています。
電気機関車は、ここで井川行きのトロッコ列車と切り離された後、千頭寄りのポイントで方向を切り替えた後、次に来る千頭行きのトロッコ列車の先頭に連結されます。そうして、今度は牽引運転で、山を下って行くのです。
 
左:アプト式区間での重連運転図。右:アプトいちしろ駅概観。
 
左:アプトいちしろ駅での連結作業。右:長島ダム駅での連結作業。
上:帰りの電車から撮った雨にけぶるラックレール。右:同じくアプトいちしろ駅の引き上げ線で待機する電気機関車。
 
(3)湖上駅カフェのぼったくり商法
 
井川線の奥大井湖上駅は、長島ダム建設に伴う線路付け替えで生まれた新駅です。ダム湖の接岨湖にかかるレインボーブリッジの上に駅があり、プラットホームの半分は接岨湖に迫り出しています。
ここは井川線内でも有数の観光スポットです。湖上をもじった恋錠(こじょう)駅の愛称を持ち、カップル用のベンチや、結婚式の鐘に見立てたハッピーベルが置かれています。
レインボーブリッジを渡ると急な傾斜の階段が現れます。それを上ると道が二股に分かれ、下に降ると駐車場に出ます。更に上に上ると展望台に出て、レインボーブリッジが一望に見渡せます。
駅の近くにも、シーズン中だけ営業する湖上駅カフェがありました。木造三階建のログハウス風のカフェで、テラスにはハンモックもしつらえてあります。
しかし、値段は総じて割高で、コーヒー1杯500円、スティックタイプの冷凍チーズケーキが300円もします。
私も、最初はこの「ぼったくり」ぶりには頭に来ました。でも、よく考えたら、山間の過疎地帯で、農林業の衰退に加え、コロナ禍による乗客減に見舞われる中で、赤字の地方私鉄が、それでも地域住民の足を確保しようと、SLや昔の懐かしい特急電車を走らせるなどして、涙ぐましい努力を重ねているのです。ここは多少の「ぼったくり」もカンパだと思い、割り切る事にしました。
 
左:奥大井湖上駅の鐘(ハッピーベル)。右:同じくカップル用のベンチ。
左:展望台から眺めたレインボーブリッジ。右:奥大井湖上駅ホームを井川方向に望む。
左:湖上駅カフェの店内の様子。右:そこで注文したアイスコーヒーとスティックケーキ。
 
(4)秘境駅攻略法
 
山岳路線の井川線(南アルプスあぷとライン)の中でも、接岨峡温泉駅から先は、更に山並みが険しくなります。山また山、トンネルに次ぐトンネルが続く、その先に、全国秘境駅ランキング2位の尾盛(おもり)駅があります。
ここには1日に列車が上下とも4本しか止まりません。周囲には民家は一切無く、駅に通じる道もありません。鉄道でしか来れない秘境駅です。
ダム建設用の宿舎が近くにあった時は賑わったらしいですが、宿舎が無くなった今は、砂利を敷いただけの低い仮設用のホームが1本あるだけです。
反対側には昔のホーム跡があり、保線小屋の中には駅ノートも用意されています。しかし、それ以外には、駅の片隅に別の保線小屋が、朽ち果てた姿を止めているだけです。
後は駅名標と、置物の狸の鋳物があるだけです。しかし、そんな秘境駅にも、攻略法はちゃんとあります。
保線小屋に貼られた駅の時刻表をよく見れば、その攻略法が理解出来ます。14時57分に井川行きの最終列車が出た後も、千頭に戻る列車が15時18分、16時23分と、2本もあるのです。特に、最初の15時18分発に乗って山を降れば、駅の滞在時間を僅か23分に短縮出来ます。
誰もいない秘境駅に、5時間、6時間たたずんで、本を読み、思索に耽るのも勿論よいと思います。しかし、世間には、時間的・物理的な都合で、それが無理な人も少なくありません。
そんな人でも、秘境駅の醍醐味を手軽に味わう事の出来る方法として、行き違いダイヤを組み合わせるやり方が、広く行われて来ました。
私が訪ねた日には、工事関係者の方たちが5名ぐらい、小屋に荷物を置いて、線路敷の草刈りを行っていました。この人たちも、16時23分発の最終列車で、千頭に戻るのてしょう。
 
上から順に、尾盛駅の時刻表、ホーム跡に鎮座する謎の狸の置物、駅構内の様子。
 
(5)鉄道ファンの主が経営する民宿に泊まる。
 
昨日は、井川線奥泉駅近くの民宿奥大井に泊まりました。宿の主人も鉄道ファンで、津軽海峡線や三陸鉄道に乗った話を懐かしそうにされていました。
宿に着いたら、まず風呂に入り、茶の成分入りのシャンプーで頭を洗いました。そして、お風呂から出たら、ほどなく夕食となりました。夕食の後はしばらくテレビを見て、LINEにブログの下書きを書いていたら、もう夜の10時を回っていました。
 
左:民宿奥大井の外観。右:宿の玄関に飾ってあった鉄道模型。
 
(6)トロッコは時間がメチャメチャかかる。
 
翌日の朝食も、昨日の夕食に続き、川魚料理と山菜料理を堪能する事が出来ました。
翌日は日曜日で、既に学校も夏休みに入っているので、奥泉駅の駅員も多客輸送でピリピリしていました。井川行きのトロッコ列車も、昨日までの推進運転とは違い、先頭車輌で運転手がマスコンを操作する牽引運転に変わっていました。
奥泉駅には長島ダム建設前の旧線時代の写真も掲示されていました。その頃は、今のアプトいちしろ駅付近に川根市代駅があり、他に犬間、川根唐沢の2駅もありました。今はもう後者2駅は既にダム湖の中に水没してしまっています。
現在、ミステリーウォーキングと称して、この旧線を模したハイキングコースが整備されています。その中には、旧線時代のトンネルを抜ける箇所もありますが、トンネルの中は真っ暗闇で、懐中電灯がなければ踏破する事は不可能だそうです。
残念ながら、今回はアプト区間のミステリーウォークは諦め、終点井川から伸びる幻の未成線コース(廃線小道)をたどって帰阪する事にしました。
終点の井川には11時ジャストに着きました。始発列車で奥泉を9時42分に出ても1時間18分もかかった事になります。
距離僅か20キロ余、駅数も8つしかないのに、何故そんなに時間がかかるのか?山岳路線で線路が曲がりくねっているのに加え、観光客へのサービスで、ビュースポットでは速度を落として走行しているからですが、こんなに時間がかかっては、回れる観光地も回れなくなります。
もう今日は、終点の井川で降りて、ダムサイトと廃線小道だけ巡る事にしました。
 
上:井川ダム遠景。 
左:井川駅から分岐する元貨物線。右:井川駅遠景。この先に元貨物線との分岐ポイントがある。
上から順に、廃線小道のスタート地点、途中のトンネルとカーブ、終端部の土に覆われたポイント。
 
(7)幻の井川延伸計画
 
ここで私は大きな勘違いをしていました。終点の井川は、標高600メートル余の高地にあるとは言え、静岡市役所の支所や、郵便局、駐在所、診療所もある大きな集落です。そんな場所なので、当然コンビニぐらいは駅前にあると思っていました。
しかし、実際の駅は井川の集落から約5キロも離れた所にあったのです。駅前にあるのは、ジュースの自動販売機以外は、井川ダムと、それを記念して作られた資料館、井川の集落(本村)に向かう連絡船の乗船乗り場だけでした。
お陰で、昼食を駅前で食べようと考えた当てが外れてしまいました。急きょ手元の時刻表を見直し、帰りは次の閑蔵(かんぞう)駅でトロッコ列車を下車して、並行して走る短絡バスで千頭に戻る事にしました。それなら13時半に千頭に着き、遅めの昼食にもありつけます。これがトロッコだと何と14時22分までかかってしまうのです。
廃線小道は、元々、井川駅から分岐して、井川本村との間にある堂平(どうだいら)という所まで伸びる貨物線でした。井川より奥の電源開発に使う資材や作業員を輸送する為のものでした。その貨物線の廃止後に、散策路の廃線小道として整備されたのです。
今も井川駅から線路が二股に分かれ、右側の線路はすぐトンネルに入ります。それが元の貨物線ですが、現在そのトンネルの前には立入禁止のロープが張られています。そしてトンネル反対側も扉で封印されています。
その代わりに、井川資料館の裏手から、草ぼうぼうの線路が突然顔を覗かせていて、遊歩道として整備されています。しかし、遊歩道というのは形だけで、ベンチも線路も草ぼうぼう。
その遊歩道も、ポイントで線路が二手に分かれたと思ったら、突然、土に埋もれてしまいました。この先に堂平の貨物駅があったのでしょう。しかし、今となっては一体どこにあったのか皆目分かりません。
 
そんな草ぼうぼうの散策路にするぐらいなら、何故、井川線が開通した時に、ダムサイトだけでなく、本村の集落まで線路を伸ばしておかなかったのか?もし、井川線の終点が、村外れのダムサイトではなく、集落の中心部にあったなら、村の発展に多大な貢献をしていたはずなのに。
そう言うと、「幾ら村の中心部まで鉄道を伸ばしたところで、どうせ山間部の赤字路線になるのは目に見えているのだから、無駄ではないか?」と言う人も居られるかも知れません。
いいえ、決して無駄ではありません。たとえ線路を村の中心部まで伸ばしても、山間の村なので、確かに乗客数は限られます。どのみち赤字基調なのは同じです。
しかし、村の中心部に駅が出来る事で、人が集い、賑わいが生まれます。休日には農産物の直売市が立つかも知れません。村外れのダムサイトだと、こうは行きません。
たとえ少額でも、買い物需要が生まれ、雇用が発生すれば、村は確実に潤います。たとえ鉄道が赤字でも、潤う人がいるのと、いないのとでは、全然違います。
潤う人が増えれば産業も発展します。今の大井川鐵道も、昔の特急電車、アプト式の電気機関車を走らせるようになったからこそ、観光客が来るようになったのでしょう。
当初は、井川から更に奥地の開発も視野に入れて、鉄道を井川の本村にまで伸ばす計画もあったようです。しかし、線路は結局、ダムサイトまでしか伸びて来ませんでした。
 
何故、鉄道が井川の本村まで伸びなかったのか?詳しい事はまだ分かりません。しかし、ある程度は推測が出来ます。
最初に井川のダムサイトまで鉄道を敷いたのは、中部電力です。その中部電力が、井川ダム建設の為に敷いた専用鉄道を、大井川鉄道が譲り受け、1957年に井川線として営業運転を開始しました。
多分、当時の中部電力も大井川鉄道も、鉄道を「資源収奪」の手段としか考えていなかったのではないでしょうか?中部電力にとっては、大井川の水を水力発電に利用する事しか考えていなかった。それを譲り受けた大井川鉄道も、鉄道を観光客集めの手段としか考えていなかった。つまり、「ブラック企業」と同じような発想しか出来なかった。
だから、鉄道全線を電化して、アプト式の電気機関車を走らせ、曲がりくねった路線も一定整備して、スイス・アルプスの登山鉄道みたいにリニューアルする事も出来たのに、「森林鉄道」のまま、ずっと放置して来た。
 
つまり、中部電力も大井川鉄道も、鉄道を単なる金儲けの手段としか考えていなかった。その先にある村の発展や、雇用の創出、産業育成、村民の生活向上までは考えていなかったのではないでしょうか?
その為に、鉄道のリニューアルをして来なかった。SLや昔の特急電車を走らせても、鉄道設備の更新を怠って来た。線路は草ぼうぼうで、レールは錆びつき、架線柱も木製のまま。曲がりくねった路線もそのまんま。いまだに「軽便鉄道」さながらの運行を続けている。
鉄道ダイヤ一つ取っても、金谷で大井川鐵道に乗り換えた後、何故、次の新金谷で、きかんしゃトーマスやかわね路号の急行に、二度も乗り換えなければならないのか?金谷駅のホーム長が3両分しかないからです。昔のもうかっていた観光ブームの時に、ホームを増設しておけば、こんな二度手間な事なぞしなくても良かったはずです。
それ以前に、2014年のダイヤ大削減で、大井川本線の便数を14往復から更に8往復にまで減らし、週末と祝日には観光客が押し寄せるが、平日は誰も利用できない不便なダイヤにする事も避けられたはずです。
 
私鉄と言えども民間企業。儲けなければ経営を維持出来ません。では儲ける事さえ考えていたらそれで良いのか?社長一人では会社は動かせません。顧客や取引先、従業員の支えがあってこそ、初めて会社も成り立つのです。多少の「ぼったくり」にも「カンパ」と割り切り、会社を応援してくれるのです。
昔ながらの良さを残しながらも、設備更新は積極的に進め、乗客の利便性を図るなら、今頃はスイスの登山鉄道みたいになっていたかも知れないのに。それが返す返すも残念でした。
 
左:旅先で見つけた井川線延伸資料。右:井川駅から本村への連絡船などの案内図。
コメント
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