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アフガン・イラク・北朝鮮と日本

戦争も人権抑圧もNO!万国のプレカリアート団結せよ!

当ブログへようこそ

 アフガン・イラク戦争も金正日もNO!!搾取・抑圧のない世界を目指して、万国のプレカリアート団結せよ!

 これが、当ブログの主張です。
 詳しくは→こちらを参照の事。
 「プレカリアート」という言葉の意味は→こちらを参照。
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目くらましの絆ではなく解放への連帯こそ

2011年12月30日 21時04分51秒 | 映画・文化批評
  

・時代の風:「絆」連呼に違和感=精神科医・斎藤環(毎日新聞)

 3月の震災以降、しきりに連呼されるようになった言葉に「絆」がある。「3・11」「帰宅難民」「風評被害」「こだまでしょうか」といった震災関連の言葉とともに、今年の流行語大賞にも入賞を果たした。
 確かに私たちは被災経験を通じて、絆の大切さを改めて思い知らされたはずだった。昨年は流行語大賞に「無縁社会」がノミネートされたことを考え合わせるなら、震災が人々のつながりを取り戻すきっかけになった、と希望的に考えてみたくもなる。
 しかし、疑問もないわけではない。広辞苑によれば「絆」には「(1)馬・犬・鷹(たか)など、動物をつなぎとめる綱(2)断つにしのびない恩愛。離れがたい情実。ほだし。係累。繋縛(けいばく)」という二つの意味がある。
 語源として(1)があり、そこから(2)の意味が派生したというのが通説のようだ。だから「絆」のもう一つの読みである「ほだし」になると、はっきり「人の身体の自由を束縛するもの」(基本古語辞典、大修館)という意味になる。
 訓詁学(くんこがく)的な話がしたいわけではない。しかし被災後に流行する言葉として、「縁」や「連帯」ではなく「絆」が無意識に選ばれたことには、なにかしら象徴的な意味があるように思われるのだ。
 おそらく「絆」には、二つのとらえ方がある。家族や友人を失い、家を失い、あるいはお墓や慣れ親しんだ風景を失って、それでもなお去りがたい思いによって人を故郷につなぎとめるもの。個人がそうした「いとおしい束縛」に対して抱く感情を「絆」と呼ぶのなら、これほど大切な言葉もない。
 しかし「ピンチはチャンス」とばかりに大声で連呼される「絆を深めよう」については、少なからず違和感を覚えてしまう。絆はがんばって強めたり深めたりできるものではない。それは「気がついたら結ばれ深まっていた」という形で、常に後から気付かれるものではなかったか。
 つながりとしての絆は優しく温かい。利害や対立を越えて、絆は人々をひとつに包み込むだろう。しかし、しがらみとしての絆はどうか。それはしばしばわずらわしく、うっとうしい「空気」のように個人を束縛し支配する。たとえばひきこもりや家庭内暴力は、そうした絆の副産物だ。
 もちろん危機に際して第一に頼りになるものは絆である。その点に異論はない。しかし人々の気分が絆に向かいすぎることの問題もあるのではないか。
 絆は基本的にプライベートな「人」や「場所」などとの関係性を意味しており、パブリックな関係をそう呼ぶことは少ない。つまり絆に注目しすぎると、「世間」は見えても「社会」は見えにくくなる、という認知バイアスが生じやすくなるのだ。これを仮に「絆バイアス」と名付けよう。
 絆バイアスのもとで、人々はいっそう自助努力に励むだろう。たとえ社会やシステムに不満があっても、「社会とはそういうものだ」という諦観が、絆をいっそう深めてくれる。そう、私には絆という言葉が、どうしようもない社会を前提とした自衛ネットワークにしか思えないのだ。
 それは現場で黙々と復興にいそしむ人々を強力に支えるだろう。しかし社会やシステムに対して異議申し立てをしようという声は、絆の中で抑え込まれてしまう。対抗運動のための連帯は、そこからは生まれようがない
 なかでも最大の問題は「弱者保護」である。絆という言葉にもっとも危惧を感じるとすれば、本来は政府の仕事である弱者救済までもが「家族の絆」にゆだねられてしまいかねない点だ。
 かつて精神障害者は私宅監置にゆだねられ、高齢者の介護が全面的に家族に任された。いま高年齢化する「ひきこもり」もまた、高齢化した両親との絆に依存せざるを得ない状況がある。そして被災した人々もまた。
 さらに問題の射程を広げてみよう。
 カナダ人ジャーナリスト、ナオミ・クラインが提唱する「ショック・ドクトリン」という言葉がある。災害便乗資本主義、などと訳されるが、要するに大惨事につけ込んでなされる過激な市場原理主義改革のことだ。日本では阪神淡路大震災以降になされた橋本(龍太郎)構造改革がこれにあたるとされ、さきごろ大阪市長選で当選した橋下徹氏の政策も、そのように呼ばれることがある。
 人々が絆によって結ばれる状況は、この種の改革とたいへん相性が良い。政府が公的サービスを民営化にゆだね、あらゆる領域で自由競争を強化し、弱者保護を顧みようとしない時、人々は絆によっておとなしく助け合い、絆バイアスのもとで問題は透明化され、対抗運動は吸収される。
 もはやこれ以上の絆の連呼はいらない。批評家の東浩紀氏が言うように、本当は絆など、とうにばらばらになってしまっていたという現実を受け入れるべきなのだ。その上で私は、束縛としての絆から解放された、自由な個人の「連帯」のほうに、未来を賭けてみたいと考えている。
 http://mainichi.jp/select/opinion/jidainokaze/news/20111211ddm002070091000c.html

 何か難しそうな文章のように感じてしまい、最初は紹介するのを躊躇したのですが、言わんとする事は分るでしょう。
 3.11の東日本大震災以降、「頑張ろう日本」だとか「家族の絆」という事が盛んに強調されるようになったが、そういう事を言っている政府やマスコミが、例えば震災・津波で露わになった「原発安全神話の嘘」に今もまともに向き合わず、平気で原発の再稼働や海外輸出を図ろうとしており、それを本気で阻止しようとはしない。そして放射線許容基準を緩め、今も原子炉に近づけず放射性物質がどんどん漏れ出しているのに、既にメルトダウンしてしまった後の原子炉の温度低下だけを見て「冷温停止」と言いくるめ、実際は放射性物質を周辺に押しやっているだけなのに「除染」と言い張り、福島県民の被曝にも見て見ぬふりをしている。

 そんな、「頑張ろうにも頑張れない」「絆を破壊しようとしている」現実に頬かむりしたまま、いくら口先だけ「頑張ろう」とか「絆」とか、「風評被害に負けるな」とか、あれこれの「除染健康法・調理法」なるものを言われても、そんなものは只の「目くらまし、ガス抜き、矛先逸らし」でしかない。
 これは何も、「頑張る」事や「絆の大切さ」を否定しているのではない。「頑張り」や「絆」を破壊しようとする者や勢力の企みを暴き出し、それと闘わずして、「頑張る」「絆」も糞もないだろう。本気で除染を追求したり風評被害を食い止める気なら、もはや脱原発しかあり得ない。

 これは何も原発問題だけに限らない。沖縄や厚木・岩国の基地被害の上に胡坐をかいて、さも訳知り顔に日米安保を無条件に肯定する。自分ところのワンマン・ブラック経営や労基法無視には何も言えずに、公務員や生活保護受給者ばかり叩いて鬱憤を晴らそうとする。そんな奴らが、幾ら年末だけ「絆」だの「愛は地球を救う」だの、あるいは「拉致被害者を見捨てるな」とか言っても、そんなものは偽善でしかない。「いやそうではない、本気で絆や人類愛や拉致問題の解決を望んでいる」と言うのなら、沖縄問題や格差問題に対しても、他人事で上から目線の憐憫や同情なんかではなく、共に生きる仲間として連帯できる筈だ。幾ら個人の能力には限界があり、実際にできる事は僅かでも。
 そういう意味では、上辺だけの「絆」連呼よりも、それを実際に破壊する者(独裁・搾取・人権侵害、等々)との闘いを前面に出した、「タイム」誌年内最終号の表紙を飾った「PROTESTER」(抵抗者)の画像こそ、今年の締めくくりとしてより相応しい。大震災で揺れた日本のこの一年は、世界的には民衆蜂起がアラブ諸国を席巻し、ウォール街占拠の反格差デモという形で先進国にも波及した革命の一年でもあったのだ。歴史は確実に進歩しており、未だに橋下・石原に「寄らば大樹の陰」の日本が遅れているだけなのだ。それではよいお年を。
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2011越冬越年闘争 中間情勢報告

2011年12月26日 06時33分19秒 | 身辺雑記・ちょいまじ鉄ネタ
  

 ずっとブログ更新しないのもアレなので、通勤中に携帯から近況でも。
 24日(土)既に早出出勤に突入、クリスマスケーキの仕分けが終息に向かうも、引き続き正月用蒲鉾類の大量仕分けが始まる。この日は夜9時半まで残業。
 25日(日)出勤者はこの年末一番の早出で午前6時半から始業も、私は休みなので有馬記念の馬券を買う。◎オルフェーブル○ブエナビスタから△ヴィクトリーピサ、トーセンジョーダン、アーネストリーに三連複で流す。結果は、二強の片割れ◎オルフェが下馬評通り戴冠するも、もう一方の○ブエナは7着に沈み、無印のエイシンフラッシュ、トゥザグローリーが2・3着に入り、外れ。如何にGⅠ上位の実力馬と言えども、奢る平家は久しからず。自民党や北朝鮮の金正日、米国の保守派ネオコン、アラブの独裁者がそうであったように、民主党や橋下・石原も早晩同じ運命を辿るだろう。
 さあ26日の今日からまた早出が始まる。
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転載:女たちの御用納め参加者募集(原発いらない福島の女たち)

2011年12月23日 23時44分42秒 | 福島の犠牲の上に胡坐をかくな
※年末も闘いは終わらない。生活を再建できてこそ、初めて本心からXマスも正月も祝えるのだから。無料バスツアーの募集は既に締め切られましたが、直接現地に行ってアクションに参加する事は可能です。以下、当該団体のチラシより。

女たちの御用納め参加者募集

わたしたちの人生を、生活を、環境を、めちゃくちゃに破壊した福島原発事故から9カ月が過ぎ、2011年も終わろうとしています。
しかしこの間、避難も、防御も、除染も、補償も、東電および政府への責任追及も十分には行われず、その上、原発の再稼働や輸出といった信じ難い暴挙が行われようとしています。
「こんな気持ちじゃ、とても年を越せない!」
「東電にも、仕事納めなんかさせないわ!」
という声が、「福島の女たち」の中からわき上がってきました。
そこで師走の慌ただしい時期ではありますが、「女たちの御用納め」を企画しました。東電に今年最後のご挨拶に参りましょう!

日程■12月28日(水)
昼12時に東京電力本社(東京都千代田区内幸町1丁目1−3)前に集合し、霞ヶ関経産省前でもアクションを行う予定です。
あなたも、あふれる思いの丈を叫びに行きませんか。

■往復無料バスツアー(福島→郡山→須賀川→西郷バスストップを経由して東電へ)も企画しました(お申込は12月23日まで)。
バスツアー以外の方法で東電へ向かう人にも、交通費の補助(4000円)を支給します。ご連絡を。

■連絡先・申込先 TEL:090-7029-5617(地脇美和) メール:onna100nin@yahoo.co.jp

 http://onna100nin.up.seesaa.net/image/E38381E383A9E382B7E8A38F.pdf





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北朝鮮・金正日死去に関するアムネスティの発表より

2011年12月21日 23時39分26秒 | 北朝鮮・中国人権問題
図説 北朝鮮強制収容所
クリエーター情報なし
双葉社


 先の記事で、「これから仕事で忙しくなるのでブログ更新が余り出来ないかも知れない」と書きましたが、そうも言ってられません。北朝鮮の独裁者・キムジョンイル(金正日)が死去し、三男のキムジョンウン(金正恩)に権力を世襲する事が確実になりました。私としては、これを機に、かつてのソ連におけるスターリン批判や、ポーランドにおける自主独立労組・連帯のストライキ、東ドイツにおける市民層の決起による旧指導部の退陣という形で、北朝鮮の国民自身による民主化を期待したい所ですが、おそらく直ぐには無理でしょう。旧ソ連のスターリン批判にしても、スターリンの死後数年も経ってから、フルシチョフの秘密報告という形で、ようやく現れてきたのですから。
 この金正日死去のニュースは、私の職場でも休憩時間に食堂で少し話題になりましたが、結局は「北朝鮮は、指導者も国民も、国丸ごと変な国」「難民が日本に押し寄せてきたらどうしよう」という、他人事の受け止め方が大半でした。まるでサリン事件の時のオウムに対する接し方と同じです。拉致被害者や北朝鮮人民に対する「憐み・蔑み」や「好奇の目」はあっても、ともに同じ人間として、人権問題として捉えている人は殆どいません。況してや、下記リンク先のアムネスティ報告にある「指導者批判をした公務員が処罰・収容・処刑され」のくだりで、収容・処刑はともかく処罰については、「公務員を権力の下僕とみなす橋下の職員・教育基本条例も、本質的には北朝鮮と同じ発想であり、そんな政治家が人気を博す日本の民主主義も、北朝鮮ほどではないが危機に瀕している」と、そこまで掘り下げて捉えられている人なぞ殆どいません。そう考えると、もう暗澹たる気分になります。
 そんな中で、とりあえず今直ぐ来る事は、下記に紹介する人権団体アムネスティによる呼びかけに賛同する位です。みなさんも是非ご署名をお願いします。天安門事件で沈黙させられた中国の民主化運動が、労働争議や農民暴動の拡大を機に息を吹き返しつつあるのを見ても、たとえ時間はかかっても、いつか必ず人民が目覚め決起するのは確実なのですから。以下、「四トロ同窓会二次会掲示板」で「まこと」さんが引用したアムネスティ声明を、そのままこちらにも孫引き転載します。

(転載開始)
アムネスティ発表国際ニュース
2011年12月19日

朝鮮民主主義人民共和国 : 金正日総書記の死亡は、人権状況の改善に向けた機会となりうる

朝鮮民主主義人民共和国の指導者であるキム・ジョンイル(金正日)総書記の死亡と、息子であるキム・ジョンウン(金正恩)の政権掌握は、同国における悲惨な人権状況を改善する重要な機会をもたらす。アムネスティ・インターナショナルは12月19日、このように述べた。

「キム・ジョンイルは、同氏の父親がそうであったように、同国を貧困に陥れ、国民に十分な食糧や医療を与えず、数十万という人びとを収容所に拘禁してきました」と、アムネスティのアジア太平洋部長であるサム・ザリフィは述べた。

「この政権移行によって、新政権が、過去の恐ろしい、破綻した政策を放棄することを、アムネスティは望んでいます」

しかし、アムネスティが最近受けた報告によると、キム・ジョンウンの継承に脅威と見なされた数百人の政府関係者が、粛清されたという。彼らは処刑されたり、政治囚収容所に収監されたようだ。

「過去1年にわたってアムネスティが収集した情報によれば、キム・ジョンウンとその支持者は、抑圧を強化し、体制批判の可能性を徹底的に押しつぶすことによって、新たな支配体制を強固なものにしていこうとしているようです」

1949年にキム・イルソン(金日成)が死亡し、息子であるキム・ジョンイルが同国の指導者として後を継いだ。その直後の数ヵ月の間に、政敵と見なされたり、あるいはその可能性があると見なされた数万人、そして彼らの家族らが、政治囚収容所に送られた。また反体制派の人びとは、不公正な裁判によって、あるいはまったく裁判が行われないまま、秘密裏に、もしくは公の場で処刑された。

アムネスティは長年にわたり、同国の悲惨な人権状況を記録してきた。

同国においては、表現と結社の自由はほとんどない。国家体制に反対すると見なされた数十万人が、ヨドク政治囚収容所などの悪名高い収容所に囚われている。そうした収容所には、家族の三世代までが一緒に収容されている。囚人たちは、1日12時間にのぼる重労働を強いられている。

一方、同国では人口の3分の1が食糧不足に苦しんでおり、医療体制は危機的に後退している。人びとは木の皮や草を食べて飢えをしのいでおり、また未消毒の注射針の使用や、麻酔なしの外科手術が行われているという報告を、アムネスティは複数受けている。

「政府は、同国が強固で繁栄した国になりつつあると語っています。そうであるならば、新たな指導者は、人権状況の改善を重要な政策課題として取り上げ、キム・ジョンイル時代を特徴づけている抑圧に終止符を打たなくてはなりません」と、サム・ザリフィは述べた。

アムネスティは、同国政府とその支援国および機関に対し、同国において最も援助を必要としている人びとに十分な食糧を配給するよう、繰り返し訴えている。

「同国の人びとが、政治的不安定を理由に、これまで以上の貧困に苦しめられることがあってはなりません」

同国では、1990年代の半ばから、極度の食糧不足によって50万人近い人びとが死亡した。さらに数百万人、とくに子どもと高齢者が、慢性的な栄養失調に陥っている。このおもな原因は、キム・イルソンとキム・ジョンイル政権下で実施された、非生産的な政策にある。

朝鮮民主主義人民共和国の当局および新たな指導者は、人権状況の改善に向けて、以下の事柄に直ちに取り組むべきである。

・ すべての政治囚収容所に収容されている、すべての良心の囚人とその家族を、即時かつ無条件に釈放すること。政治囚収容所に囚われているすべてのその他の囚人については、国際的に明確な犯罪容疑で起訴しない限り、釈放するべきである。もしくは、独立した裁判所に差し戻し、彼らが公正な裁判を受けられるようにすべきである。

・政治囚収容所に囚われている人びとを含め、囚人に対する強制労働、拷問その他の虐待を直ちに中止すること。

・最も食糧を必要としている人びとに、食糧が届けられるよう、国連世界食糧計画など、国際的な人道支援機関に対する自由なアクセスを直ちに認めること。

・最も医療を必要としている人びとに、医療が施されるよう、国際人道支援を受け入れ、十分に協力して自由なアクセスを認め、医療制度の深刻な崩壊に対応すること。

・公開処刑および秘密裏の処刑を直ちに中止すること。

・過去および現在の拉致および強制失踪の疑いについて、十分かつ公正な、独立した調査を実施すること。

・憲法や関連する国際人権条約で謳われている、表現と信教の自由の権利を保障すること。

・国際人権専門家や国連人権委員会の定期審査による勧告を実施するために、直ちに行動を起こすこと。

・食糧に対する権利、表現のおよび宗教の自由の権利、そしてとりわけ同国の人権状況に関する国連の特別報告者など、独立した人権監視者を受け入れること。


▼関連アクション
政治囚収容所「ヨドク収容所」の閉鎖を!
http://www.amnesty.or.jp/modules/wfsection/article.php?articleid=4158

▼関連資料
報告書『朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮):政治囚収容所の実態』
http://www.amnesty.or.jp/uploads/mydownloads/DPROK_Media_b
(転載終了)
コメント (7)
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2011-2012 越冬越年闘争突入宣言!

2011年12月21日 22時40分03秒 | 身辺雑記・ちょいまじ鉄ネタ
 何ともはや大仰なタイトルを付けてみましたが、要はこれから年末年始にかけて、私の勤務先の某大手スーパー物流センターでも作業が忙しくなって、ブログどころではなくなるかも知れないので、更新が遅れても大目に見てねという、事前の言い訳です。ちなみに、下記が今年のその年末年始の早出(早朝出勤)日程です。

 12月21日(水) 普通通り終われるのは多分この日が年内最後でしょう。
 12月22日(木) 8:30始業  最初の早出。クリスマス・正月商品の大量荷捌きが始まる。(私は定休)
 12月23日(金) 一旦通常通りの始業時間に戻るも、前日に引き続き大量荷捌き。 
 12月24日(土) 8:45始業  これ以降早出が続く。
                     但しこの日については、普段でも6時過ぎに起きるので、まあ問題ないだろう。
 12月25日(日) 6:30始業  年末年始前半最大のピーク
                    (幸いにも私は定休・・もし当日出勤なら4時半起床の始発電車通勤になる所だった)
 12月26日(月) 7:15始業  5時起床で始発の次の電車に乗れば遅刻しなくて済むだろう。
 12月27日(火) 7:45始業  5時半起床、6時半頃発の電車に乗れば・・・(以下同じ)。
 12月28日(水) 8:00始業  遅くとも6時には起きなければ間に合わない。
 12月29日(木) 8:45始業  24日と同じ起床でOKだが、この日から大晦日にむけての特別作業体制に入る。
                    (おせち・正月商品の大量荷捌きの為)
 12月30日(金) この日から始業時間は通常通り9:15に戻るが、引き続き特別作業体制が継続。(私は定休)
 12月31日(土) 小規模店は一部元旦休業の為、前日31日の仕事量は少し減る。
  1月 1日(日) (私の定休日・・元旦に休めるのはもうかれこれ10年ぶり位か) 
  1月 2日(月) 元旦休業店も開店するので初荷が殺到。年末年始後半のピーク。
  1月 3日(火)
  1月 4日(水) この辺りから徐々に通常のペースに戻れるだろう。

・・・という事で、非正規雇用のブルーワーカーにとっては、クリスマスも正月も関係ありません。普段と同じ、企業カレンダーに基づく交代制の出勤日と休日(定休日)があるだけです。但し、仕事量が格段に増え、始業時間が早まり(しかも物量に応じて毎日変わる)、電車のダイヤ確認や外食の際のメシの確保に注意しなければなりません。年末年始も早朝から開いているのは牛丼屋・マクド・コンビニぐらいなので。勿論、仕事もハードになるので、体調にも十分気を付けねばなりません。
 そう考えると、「越冬越年闘争」という表現も、東京・山谷や大阪・西成などの寄せ場で取り組まれている実際の活動の足元には遥かに及ばないものの、必ずしもオーバーでもないのでは。特に私にとっては、今年配属先が変わってから初めて経験する年の瀬という事もあるので。

※記事の見出し写真は、前任地に始発やその次の電車で早朝出勤していた頃の、JR新今宮駅の乗り換え風景。この早朝時間帯には何と、JR難波から関西線で奈良経由で奈良線に入って京都まで行く普通電車が2本ほどあり、鈍行でちょっとした小旅行気分が味わえたりします。  
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ネトウヨの兄貴を黙らせたい

2011年12月19日 01時09分22秒 | 反ハシズム・弱い者虐め
 敢えて身内の恥を晒します。また、一気に思いのたけをぶちまけたので、不穏当な文章表現になった事についても十分承知しています。それを踏まえた上で、どうか意見・助言等があれば聞かせて下さい。

 前にもこのブログで書いた事があるが、私には小泉・橋下信者の兄貴がおり、私とは悉く政治的意見が対立する。既に結婚・独立開業して同じ屋根の下にはいないので、普段は会話を交わす事もないが、今でも何かの折に会うたびに、議論をふっかけて来られるので辟易している。
 昔は反自民で辻元清美を支持し、私ともそんなに意見が対立する事もなかったのだが、小泉政権が登場した頃から次第におかしくなっていった。郵政民営化や構造改革を熱烈支持するようになると同時に、当時のネトウヨ(ネット右翼)台頭や北朝鮮・拉致問題の影響もあって、ブッシュの「テロとの戦い」も支持するようになっていた。とはいえ必ずしも右翼という訳ではなく、今でも日の丸・君が代には否定的である。しかし、銀行員から脱サラして自営業(ビデオ屋)に転身した経歴もあってか、それ以上に新自由主義的な市場原理主義、弱肉強食肯定・競争至上主義的な立場からの意見を吐く事が多くなった。
 その傾向は、当初は好調だったビデオ屋経営がインターネット普及のあおりで次第に行き詰まり閉店し無職となって以降、更に酷くなった。部分的にはブッシュからオバマ支持、小泉自民党から民主党支持へと政治的立場を変転させながらも、根幹にある新自由主義的な価値観・発想は、豪も変わらなかった。しかも態度が自己中心的で、いつも自分から議論をふっかけておきながら、自分とは異なる意見は一切受け付けない。「こういう意見もある」「こういう本もある」と説明しても「興味がない」「読む暇がない」と聞く耳を持たず、果ては「そんな些末な議論を今頃していてもしょうがない」と一方的に決めつけ、自分の意見だけを一方的にゴリ押しして来る。もうここまで来たらネトウヨそのものだ。
 普通は、そんな場合は適当にその場の空気を読んで、兄弟なら猶更互いに気まずい思いをしないように遠慮するものだ。ところが兄の場合はそういう配慮も一切ない。これでは議論にならないので私は無視したいのに、常に兄のほうから挑発してくる。そこまでされたら、こちらも心ならずも応戦せざるを得ない。

 そんな中で、先日親戚からの米のおすそ分けを兄貴宅に持って行った折に、大阪ダブル選挙の事もあったので、いつも挑発されてばかりなのも癪なので、私から「橋下の日の丸・君が代強制について一体どう思っているのか」カマをかけてみた。すると「それについては俺も賛成できない」と言いながら、案の定すぐに他の争点に切り替えて橋下の事を熱烈に弁護しだした。
 最初は大阪都構想の話題から入り、やがて「二重行政」の弊害として「公務員や議員の数が多過ぎる」事を問題にし始めた。それに対して「やみくもに議員を減らしても住民の声が届かなくなり金権選挙や世襲議員がはびこるだけだ」と反論すると、また色々言ってきた。
 まず言ってきたのが「今頃そんな事を言っていてもしょうがない」。「今の議員は私利私欲の徒ばかり、こいつらをまず何とかしなければならない」「その為には選挙制度をいじくるよりも議員定数を減らすほうが早い」と。
 しかし、「しょうがない」どころか、それが一番大事な話だろう。問題は議員の数ではなく質にあるのだから。幾ら議員の数を減らしても私利私欲の徒ばかりでは、かえって密室での談合政治を強めるだけだ。庶民の為に動いてくれるなら、寧ろ数は多いほうが良い。そのためにこそ、有権者の意見が反映されるような選挙制度にしなければならない筈だ。
 http://ratio.sakura.ne.jp/archives/2010/07/02132208/
 http://masami-kodama.jugem.jp/?eid=1651
 その挙句に、「議会もなくして有権者が全部パソコンや携帯でネット投票できるようにすれば良い」とまで言い出す始末。しかし、今でもマンションでのビラ配布で逮捕されたり、企業ぐるみ選挙や「やらせタウンミーティング」「やらせメール」が横行する中で、幾ら投票用紙を電子投票に変えても、票の数え直しができなくなって不正の立証が難しくなるだけじゃないか。

 そして公務員や議員と並ぶ既得権益受益者の例として、生活保護受給者を貶める発言を始めた。「庶民が安い給料や年金で苦労しているのに、働かずに税金で食っている奴らがいるからだ」と。実際には受給資格者の2割しか受給できていない生活保護制度の不備や、そもそも戦後最大の200万人超まで受給者が膨れ上がる原因となった、構造改革やリーマン・ショックなどの経済失政や投機に走った経営者の責任こそまず問題にすべきなのに。それを私が指摘し、生活保護激増の背景には財界のリストラ経営がある事は兄貴も認識しておきながら、グローバリゼーションや産業空洞化は時代の趨勢で抗う事が出来ない運命だと、政治が引き起こした人災をまるで天災みたいに言う始末。
 その根本的な原因を不問にしたまま、やれ「生活保護をくれてやってもパチンコでスッてしまったり、貧困ビジネスのカモにされるだけだから、現金ではなく食糧などの現物支給に切り替えろ」とまで言い出す始末。
 しかし、生活保護受給者も人の子なのだから、たまにはパチンコしたい事もあるだろう。私がたまには競馬をする事があるのと同様に。兄貴自身もパチンコ屋によく行くくせに、生活保護受給者だけ我慢しろというのもどうか。それでは煙草すら吸えなくなる。食糧などの現物支給の話にしても、まるでエサさえ与えておけばそれで良いみたいにしか聞こえない。
 勿論、受給者がアルコール・ニコチン・ギャンブル依存症になり、貧困ビジネスの餌食にされるような事は避けねばならない。しかし、その為には、生活保護の仕組みそのものから見直さなければならない筈だ。震災義捐金すら収入に認定され受給額を減らされるような「飼い殺し」の現状では、酒に走りギャンブルで収入補填したくもなるだろう。ある程度貯金も出来るようにしてこそ、初めて経済的自立も可能となる。
 また、リストラされても直ぐには生活保護に至らないような、中間のセーフティネットが不十分で機能していない問題もある。例えば、自治体による家賃補助施策の適用・充実や、安価な公営住宅や雇用促進住宅の建設促進だけでも、大分様相が違ってくる筈だ。
 それ以前の問題として、この兄の議論には、そもそも「福祉はお恵みではなく人権だ」という観点が全然ない。受給者を人間扱いしていない。だから、動物にエサを与えるような捉え方しか出来ないのだ。
 これは何も兄貴だけの問題ではない。大阪ダブル選挙の争点の一つにもなった生活保護有期化の問題にしても、リストラや賃金下落に歯止めをかけずに、まともに食っていける仕事も用意せずに、受給者に就労訓練だけ強制して、期限が来れば問答無用に保護打ち切りでは、何の問題の解決にもならない。数字上の受給者数だけ減らしても、実際はホームレスの数を増やすだけにしかならないのは、米国の例からも明らかだ。

 ところが、そういうように理詰めで説明しても、兄貴は全然受け付けない。一方的に「そんなどうでもよい議論を今頃言っても無駄だ」と決めつけるだけで、何故それが「どうでも良くて無駄なのか」という説明が全然ない。そして自分の思い込みによる持論というかマスコミ報道の受け売りでしかないものを、一方的に押し付けてくるだけで、異なる意見には耳を貸そうともしない。
 また、何故そんな現象が生まれてきたのか、その背景なり根本原因を探ろうともせず、その議員の質の低下や生活保護受給者増加を嘆くばかりで、兎に角「表面上無くしてしまえばそれで好し」とする発想に憑りつかれている。実際には生活保護受給者がホームレスに姿を変えただけで、自分もいつ何時そうなるかも分からないのに。議員の数だけ減らしても質が変わらなければ、金権政治や政治の私物化が更に酷くなるだけなのに。自分を安心させる為に「見てくれ」だけを追い求める。正に「ジコチュー」の極みであり、単なる「臭いものに蓋」の発想でしかない。
 そして、有権者の一人としてその不正を糺そうとはせず、小泉なり橋下なり、ひたすら有力者の力に縋ろうとする。自分はその有力者の陰に隠れて、有力者の威光を盾に、傍観者・観客(ギャラリー)として叩きやすい敵を叩いて溜飲を下げたいだけ。決して財界・大資本の搾取や超大国アメリカの横暴は批判しない。何故なら、それは時流に逆らう事になり、自分の主体性や意志、本気度が試される事になるからだ。自分も観客では済まなくなるからだ。だから、時流に乗っかり、より叩きやすい公務員や中国・北朝鮮、誰でも叩ける社会的弱者だけを叩いて、自分の鬱憤を晴らそうとするのだ。朝日新聞や左翼、在日朝鮮人の批判はしても、産経新聞や「2ちゃんねる」「嫌韓流」の批判は一切しないのだ。中国や北朝鮮の人権侵害を口にしながら、日本国内の人権問題には甚く冷淡でいられるのだ。実際には、親米・構造改革推進の御用マスコミという点では朝日も産経も変わらず、単に営業戦略で多少の差別化をはかる為に、個別の靖国・原発・外国人参政権問題などで表向きの違いを強調しているだけなのに。
 兄の「自民党・民主党批判」についても、今は誰でも叩けるから世論に調子を合わせているだけで、本気で自民党・民主党を批判する気なぞ更々ないと思っている。本気で批判する気なら、政党だけでなく、その根本政策たる新自由主義の格差拡大、競争・利益至上主義、人権無視こそ批判する筈なのに、逆にそれらの政策を擁護している。これでは、批判は単なるポーズだけで、実際は「だらしない=もっと上手くやれ」と言う叱咤激励でしかない。実際、私が「そんな議員を選んだのは一体誰か、有権者にも責任があるのではないか」と、その時々の気分でブッシュや小泉・橋下を支持し、大量破壊兵器の嘘で始めテロを逆に拡散させてしまったイラク戦争や、リストラ・派遣切りで大企業を焼け太りさせただけに終わった構造改革に手を貸した事を反省もしない兄を揶揄すると、「俺も騙されて民主党を支持してしまったんや、だから今度こそ橋下に期待しているんや」と。そうやって兄貴は他力本願で何度でも騙されていたら良いかもしれないが、支持もしてないのにそのとばっちりを受ける私こそよい迷惑だ。
 そのくせ、自分は如何にも物知り顔に、ネットユーザーを自認しているから余計に始末が悪い。先の電子投票盲信発言からも明らかなように、ネットを過信しているのだ。幾らネットと言えども、実際に情報を把握・操作しているのはマイクロソフトなどの多国籍企業や電通などの広告代理店なのに、その事には頭が行かない。少なくともアラブの民衆は、情報を支配しているのは支配階級である事は充分認識した上で、その検閲の網を掻い潜る武器としてフェイスブックを活用した。ネットの限界もわきまえた上で、それをジャスミン革命の有効な武器にうまく活用したのだ。政府・共産党・御用組合の統制をはねのけストライキに決起している中国の労働者もそうだ。ところが兄貴ときたら、そのネットの効能と限界にも無頓着で、自分の都合の良い情報しか知ろうとしない。だから、一頃とは違って橋下批判本も多く出てきたのに、それを読もうともしない。橋下がサラ金の顧問弁護士として企業側の代弁者として報酬を得てきた事にも無頓着で、「弁護士だから弱者の味方だ」と能天気に思い込んでいる。正に「あばたもえくぼ」とはこの事だ。 

 故に、もう兄貴とはこれ以上、政治的な議論をするつもりはない。しても無駄だからだ。しかし、親族である以上、会話もしなければならないし、そのたびにまた議論を仕掛けられるとも限らない。政治的な話以外なら幾らでもしても良いが、こと政治的な話題については一切したくない。いざとなれば、一層この記事をそのままコピーして兄貴に読ませてやろうかと思っているが、他にもっと穏便な形で、兄貴を黙らせて政治的な議論などしなくても良い方法が何かないものか。


※兄貴のビデオ屋が営業していた頃の店内を写したもので、ブログにアップ可能な唯一の現存写真を追記。写真の雌猫は、開店当初に迷い込んできてそのまま約10年間居着き、閉店後暫くして亡くなった「店猫」のチョンマ。交通事故の影響からか顎の骨が一部欠けてはいるが、左右確認してから道路を渡る賢い猫だった。
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ブログ更新遅れで申し訳ありません

2011年12月13日 07時48分09秒 | 身辺雑記・ちょいまじ鉄ネタ
  

 ブログ更新が遅れています。申し訳ありません。
 遅れている理由は二つありまして、その一つが風邪です。実は数日前から喉が痛くて咳・鼻水が止まりません。幸い熱はないので、昨日仕事帰りに医者に行き、薬を処方して貰いました。だからあまり夜更かしが出来ません。この記事も通勤途上に携帯から投稿しています。
 更新遅れのもう一つの理由は、古いパソコンの再セットアップ(初期化)に手間取っている事です。既に先日の記事にもあるように、今までのパソコンが古くなったので、なけなしの金を叩いて割安のノートパソコンを買いました。こちらの方は既にセットアップやネット接続、データ移転も終わり、すこぶる快調に動いてくれていますが、問題は古いデスクトップのパソコンの方です。
 既にハードディスクに傷がついているようで、再セットアップ画面に移る前にスマート機能作動の警告画面に変わってしまい、肝心の再セットアップが始められません。古いパソコンもまだ動く事は動くので、一時はオフライン専用に使おうとも思いましたが、その都度プリンター等の周辺機器を繋ぎ直すのも面倒です。第一邪魔になって仕方がない。そこでやっぱり処分する事にしたものの、前述の理由で立往生という訳です。そういう事で更新が遅れています。もう少しお待ちを。
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ハシスト=レイシスト=エゴイスト

2011年12月08日 11時05分00秒 | 反ハシズム・弱い者虐め
  

 少し予定を変更して、もう一度だけ、大阪ダブル選挙関連の話題について書きます。多分これで最後になると思います。
 拙ブログ12月1日付記事「反独裁ではなく共生を、理屈ではなく情念で訴えるべきだった」のコメント欄に、「ゆんゆん」と称するハシスト(橋下主義者、橋下信者)と思しき人物からのコメントがあり、何度かやりとりした後に、お引取り願いました。
 橋下支持者の全てがこのような人物だとは、私も流石に思いませんが、確信的な支持者の中には、このような信者が確実に存在するであろう感触も、自分の身近にもいる支持者とのこれまでの会話の中で、実際に掴んでいました。橋下支持の政治構造を解明する上でも参考になると思いますので、当該コメント欄で明言した通り、ここにそのコメントを晒した上で、幾つか批判してみたいと思います。

(転載開始)
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●橋下氏勝利の理由 (ゆんゆん、2011-12-04 09:30:27)
 
橋下氏勝利の理由は、彼が既存勢力と対峙する改革者のように見えた事もあるかと思いますが、「庶民」が、平松陣営のエリート意識にうんざりしていた事もあるんじゃないかなあと思います。

普段あれだけ「人を生まれ育ちで判断してはいけない」とか「差別反対」とか訴えていた方々が、橋下氏の生育環境を罵り、それ故に人格に問題があるというように論じ、「リベラル」な方々の内に秘めたエリート意識や差別意識を垣間見たように思いました。
「人権」や「平和」を掲げる事で有名な精神科医の野田正彰氏が、普段の彼なら絶対に仕事をしないような保守雑誌の「新潮45」に寄稿した橋下批判文は相当ひどかったですよ。

自民や産経等は、元々差別上等人権無視で貫いてきましたが、リベラルな方々はムラがあるようですね…。

●あの差別知事にして、この差別週刊誌あり (プレカリアート、2011-12-04 16:53:34)
 
>普段あれだけ「人を生まれ育ちで判断してはいけない」とか「差別反対」とか訴えていた方々が、橋下氏の生育環境を罵り、それ故に人格に問題があるというように論じ、「リベラル」な方々の内に秘めたエリート意識や差別意識を垣間見た(ゆんゆんさん)

 はて?
 「自民や産経等は、元々差別上等人権無視で貫いてき」た事には何も異を唱えない人たちが、何故「「リベラル」な方々の内に秘めたエリート意識や差別意識」にだけ立腹するのでしょうか?
 もし「自民や産経は差別的でも構わないが、リベラルが差別的なのは許せない」というのであれば、それこそ差別ではないでしょうか?

 確かに野田正彰さんの「橋下氏は病気」云々の決め付けには私もどうかと思う部分はありますが、批判された橋下の物言いだって、決して褒められたものではありますまい。
 「バカ文春・新潮」発言ぐらいまでなら、まだ被差別者の怒りとして大目に見る事も出来ますが、その一線を越えて、ツイッターで週刊誌記者の個人情報暴露を煽るに至っては、もはや「あの差別知事にして、この差別週刊誌あり」のレベルでしかない。
 それで、もし当該記者が地区出身者で、それが明かるみになったりしても、今の橋下ではそれすらネガキャンに利用しかねません。実際、光市母子殺害事件懲戒請求の時のやり取りや「クソ教委」発言の例もありますしね。

 そもそも、「エリートで差別的だ」と批判するなら、独裁者気取りで自己責任論や新自由主義を礼賛する橋下やその取り巻き・チルドレンの方が、よっぽどエリートで差別的ですが。
 庶民からすれば元アナウンサーの平松は確かにエリートですが、リベラルだとは到底思えない。第一、そんな人物を自民党が初当選時から支持する筈がない。

 平松敗退の理由は、「橋下のほうが平松よりもパワーがありそうだから、雇用・景気対策への期待が集まった」、それだけの事です。マスコミもそれを煽ったし。
 NHKなどの出口世論調査にもあるように、投票動機の5割以上は景気対策への期待であり、大阪都構想などの政策の具体的内容を挙げたのは1割ぐらいにしか過ぎなかった。ましてや、「リベラルが差別的なのは許せない」なんて動機で橋下を支持した人なんて、殆どいませんでした。

●妬み差別の是非についてはどう思っているの? (プレカリアート、2011-12-04 22:42:53)

 先に書いたコメント「あの差別知事にして、この差別週刊誌あり」について、もう少し補足します。
 
 大半の橋下支持者は、野田正彰氏が新潮45に何を書いたかも知らなければ、新潮・文春や産経新聞が右翼的・自民党寄りだという自覚もなく、投票する際にリベラルがどうだとかもいちいち考えず、とにかく今の不景気の打開策を求めて、橋下に期待した・・・そう思います。出口調査の結果にもそれが現れています。

 ただ、世論調査には現れない形で、ゆんゆんさんが指摘するような感情も、支持者の中には確かにあるでしょうね。別にリベラルがどうとかではなく(そもそもリベラルの意味すらよく分からない人も多い)、もっと素朴な形で、「公務員や生活保護受給者は優遇されすぎている、その不公正是正を橋下に期待する」という意見も、「雇用・景気対策への期待」の中には含まれているでしょう。

 でも、それって矛盾した意見ですよね。例えば生活保護の問題にしても、失業・低所得層全体の2割ぐらいしか捕捉出来てなく、とてもセーフティネットとして機能していない事や、日本にはそれ以外のセーフティネットがまともに活用されていない、だからこそ北九州市の水際作戦で「おにぎり食べたい」餓死事件も起こったのに、その福祉の貧困は等閑にされたまま、「自分たちも低賃金や低年金で暮らしているのに、生活保護受給者は恵まれている」と叩く。

 しかし、その「今は何とか低賃金や低年金で食いつないでいる」人も、傷病とかで働けなくなれば、嫌でも生活保護に頼らなければならなくなる。しかし、今以上にセーフティネットをズタズタにしてしまったら、頼ろうにも頼れなくなるのに、そういう事も考えずに、自分で自分の首を絞める(豚が肉屋を支持する)ような事を言っているのですから。

 支持者は、その矛盾には無意識のまま、その時々の気分感情で橋下に投票する。橋下はずる賢い策士で、それで成り上がってきたのですから、その気分感情をうまく利用して、ますます出世していく。そうして、有権者同士の足の引っ張りあいで、ますます日本は没落していく。しかし、当の橋下にとっては、自分が出世し儲かりさえすればそれで良いのであって、それで下々の者がどうなろうと知ったこっちゃない。

 欧米人は搾取そのものの不当性を詰るが、封建的な日本人は、搾取する資本家や政府には何も言えず、自分よりはまだ恵まれた者をひたすら妬み、自分と同じ境遇に引き摺り下ろそうとする。

 私はそんな「妬み差別」に絡み取られるのは嫌だと、「自分で自分の首を絞めるような真似は止せ」とブログでも主張しています。
 それに対して、ゆんゆんさんは、私から見ると、ひたすら「そういう事がある」と言うばかりのように感じられます。それよりも、「それがどういう意味を持ち、本当はどうあるべきなのか」という意見こそが重要だと思うのですが、その点については一体どうお考えなのでしょうか?

●橋下氏勝利の理由2 (ゆんゆん、2011-12-05 00:54:21)
 
>「自民や産経等は、元々差別上等人権無視で貫いてき」た事には何も異を唱えない人たちが、何故「「リベラル」な方々の内に秘めたエリート意識や差別意識」にだけ立腹するのでしょうか?
>もし「自民や産経は差別的でも構わないが、リベラルが差別的なのは許せない」というのであれば、それこそ差別ではないでしょうか?

>そもそも、「エリートで差別的だ」と批判するなら、独裁者気取りで自己責任論や新自由主義を礼賛する橋下やその取り巻き・チルドレンの方が、よっぽどエリートで差別的ですが。

リベラルな方々は、普段仰っている事と、時折垣間見せる態度が正反対である(注:ので)腹立たしいのですよ。「人権を大切に」とか「差別は良くない」等と言いながら、ある日突然感情をむき出しにする。ゴキブリとシロアリの違いですね。目の前のゴキブリは殺虫剤を撒くなりできるけども、シロアリは知らず知らずのうちに巣食って、ある日突然明るみに出てしまう。庶民はまだ対応を取りやすいゴキブリを選んだわけです。


>庶民からすれば元アナウンサーの平松は確かにエリートですが、リベラルだとは到底思えない。第一、そんな人物を自民党が初当選時から支持する筈がない。

自治労や解放同盟や日教組から支持される平松氏は「リベラル」ではありませんか?自民は魔が差したとしか思えません。橋下氏当選後は擦り寄ってますし。

生活保護に関する自分の考えですが、生活保護そのものをなくすべきだと思ってます。「今は何とか低賃金や低年金で食いつないでいる」人は、それは本人の自己責任なのですから見捨てるべきですよ。「傷病とかで働けなくな」っても同様に。「肉屋の方に立ち回るよう努力する事」は眼中にないのですか?


「本当はどうあるべきなのか」という点ですが、公務員は民間のように業務成績が悪ければリストラし、反日教師はリストラと同時に子供達に変な思想を広めないよう再教育し、様々な利権を断ち切り、怠け者や社会の荷物となる者が淘汰される社会になってほしいですね。

●Re:橋下氏勝利の理由2 (プレカリアート、2011-12-05 07:52:56)

あなたの考え方がよく分かりました。ルサンチマン(歪んだ復讐心)に凝り固まったネトウヨの典型ですね。ネトウヨの心理が、池田小児童殺害事件被告の宅間某や、秋葉原無差別殺傷事件被告の加藤某などと同じものだという事が、これで図らずも証明されました。生憎ながら、私はそんな意見を聞くためにこのブログを立ち上げた訳ではありません。それに、他の投稿者にとっても迷惑ですので、以後あなたのネット落書きはブロガー権限で削除させて貰います。尚、今までの投稿については、ネトウヨの悪しき見本として、精々ここに晒させて貰います。どうぞ自分の巣にお帰り下さい。
------------------------------------------------------------------
(転載終了)

 以上がその「ゆんゆん」とのやりとりですが、特に終盤の「橋下氏勝利の理由2」(投稿日時:2011-12-05 00:54:21)の中に、橋下支持の理由が如実に示されていますので、その論理の倒錯ぶりをここに暴き出していきたいと思います。

>「人権を大切に」とか「差別は良くない」等と言いながら、ある日突然感情をむき出しにする。

 どんな人間にも感情があります。それは右翼も左翼も、国家主義者もリベラルも同じです。橋下とて同じ。だから自分が地区出身者だとマスコミに叩かれて激昂したのでしょう。
 誰だって足を踏まれたら痛いし、いきなり暴力を振るわれれば腹も立つ。いきなり畑違いのブログに現れて、このような落書きをされれば、誰だって怒って当然です。それを、ことさらリベラルと非リベラルに区別して、「自分は足を踏まれれば怒る権利があるが、リベラルの足は幾ら踏んでも構わない。それでリベラルが感情をむき出しにして怒るのは偽善だ」というのが、この人物の理屈のようですが、何をか況やです。自分から争いを引き起こしておいて、抵抗されたのを更に逆恨みするとは、「ジコチューも大概にしろ」という他ありません。

>ゴキブリとシロアリの違いですね。目の前のゴキブリは殺虫剤を撒くなりできるけども、シロアリは知らず知らずのうちに巣食って、ある日突然明るみに出てしまう。庶民はまだ対応を取りやすいゴキブリを選んだわけです。

 へえ~、橋下信者自身も、橋下が「ゴキブリ」でしかない事は自覚しているんだ。それで「シロアリよりもゴキブリのほうがまだマシだろう」と。ゴキブリかシロアリしか選べない国の有権者こそ、堪ったものではありますまい。そうやって、絶望を広め、現状変革を諦めさせようとする。正に政府・財界の手先、御用学者の物言いと瓜二つですね。

>生活保護に関する自分の考えですが、生活保護そのものをなくすべきだと思ってます。「今は何とか低賃金や低年金で食いつないでいる」人は、それは本人の自己責任なのですから見捨てるべきですよ。「傷病とかで働けなくな」っても同様に。「肉屋の方に立ち回るよう努力する事」は眼中にないのですか?

 私もその「低賃金や低年金で食いつないでいる人」の一人なんですが。そして腰痛も抱えている。何も好きでなった訳ではない。長期に渡って腰痛になるような働き方を強いられてきたからだ。
 そんな人がこの日本には他にも大勢居る。恐らく国民の大多数がそうだろう。それらの人々は、腰痛がきちんと労災で補償される事を望みながら、日々の仕事を一生懸命こなしている。その挙句に、不幸にしてリタイアしてしまった人も少なくない。
 それに対して「本人の自己責任だから見捨てよ」と言い放ち、「肉屋の方に(つまり自分さえ良ければよいと)立ち回るよう努力せよ」とは。正にレイシスト(差別者)にしてエゴイストの典型ともいえる物言い。私に喧嘩を売ってるとしか思えない。

>肉屋の方に(つまり自分さえ良ければよいと)立ち回るよう努力せよ
>肉屋の方に(つまり自分さえ良ければよいと)立ち回るよう努力せよ
>肉屋の方に(つまり自分さえ良ければよいと)立ち回るよう努力せよ

 橋下の強調する「国際競争に打ち勝つ為の、人材育成、強制教育、命令行政、福祉削減、カジノ・風俗誘致・・・」等々の裏にある思想が、正にこれじゃないですか。

>原子力村(原発利権族)の方に(つまり自分さえ良ければよいと)立ち回るよう努力せよ
>99%の人民を搾取する1%の金持ちの方に(つまり自分さえ良ければよいと)立ち回るよう努力せよ
>政府・財界の方に(つまり自分さえ良ければよいと)立ち回るよう努力せよ
>経済・軍事大国の方に(つまり自分さえ良ければよいと)立ち回るよう努力せよ

 実際に、橋下は自分の著書の中でこう述べています。

●政治家を志すっちゅうのは、権力欲、名誉欲の最高峰だよ
●ウソをつけない奴は政治家と弁護士にはなれないよ!ウソつきは政治家と弁護士の始まりなのっ!
 ~「まっとう勝負!」(小学館、2006年11月刊)

●すごく権限を持っていて、この人の意見や意志を尊重したほうが仕事がうまく運ぶと思われる人の力をうまく使うのです
●ジャイアンのような強い子についていくという方法です。もっとわかりやすく言うとスネ夫のような生き方といえばいいでしょうか
 ~「どうして君は友だちがいないのか~14歳からの世渡り術」(河出書房新社、2007年7月刊)

 こんな元府知事の大阪市長に強制教育される14歳の子どもこそ、よい迷惑です。これでは友だちなんて一生できないだろうし、「肉屋」に人材という材料にされて、好い様にこき使われた挙句に、使い捨てられるだけでしょう。
 そうさせない為には、「肉屋の方に(つまり自分さえ良ければよいと)立ち回る」のではなく、みんなが幸せになれるような政治・仕組み・国にするしかないでしょう。
 人間誰しも我が身が一番可愛い。それは私とて同じ。でも、そこまで他人を押しのけてまで、「自分さえ良ければよい」とは思わない。そんな人生、全然つまらないもの。そうして他人に憎まれながら死んでいく位なら、まだ自分も他人も幸せになる道を選びます。

※記事冒頭の画像は漫画「闇金ウシジマくん」(真鍋昌平・作、小学館ビッグコミックス・刊)の一コマより。橋下カジノ利権で大阪はますます闇金や法律ゴロがのさばる荒涼・殺伐とした街に。
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大阪ダブル選補足&実務連絡

2011年12月04日 23時56分33秒 | 反ハシズム・弱い者虐め
 大阪の府・市ダブル選挙について言及するのは、とりあえずこれが最後になると思います。今までの記事の中で書き足らなかった事や書きそびれた事について、少し書いておきます。

 まず前回記事の出来栄えですが、書いた後で読み返してみたのですが、斯く言う私の文章も、結構理屈っぽいなあ・・・。
 要は、橋下みたいに「公務員や生活保護受給者は恵まれている」と叩くのではなく、「みんなが最低でも公務員並みの待遇を保障され、生活の心配をしなくても良い世の中にするのが筋だろう」と言いたかったのですが。ブラック企業の水準に合わせるのではなく、憲法25条に書かれた「健康で文化的な最低限度の生活」のほうにこそ合わせるべきだろう・・・と。
 そこで、そうする為には、公務員も自分たちの身内の事ばかり考えず、もっと非正規労働者や外国人労働者とも連帯して、彼の人たちと一緒に自分たちの権利拡充・生活向上を目指すべきだ。そして、これは何も公務員だけに限った事ではなく、東電・関電などの大企業正社員にも言える事だろう。
 それを、もっと有権者に分かりやすく伝えるべきだ。橋下が優れているのはそういう天性の才能があるからだ。その才能を、橋下のように悪用するのではなく、前述の目的を実現するためにこそ、もっと知恵を絞るべきだ・・・と。
 その一例としてキヨシロー(忌野清志郎)を橋下と比較してみたのですが、キヨシローって反原発や反戦のテーマは結構取り上げていたのですが、経済については余り取り上げていなかった。「牛肉・オレンジ」はその数少ない歌ですが、反原発の曲ほどにはメッセージ性がないので、イマイチ分かりづらかったかも・・・。

 次に、選挙争点にもなった橋下の独裁的性格ですが、あれは単なる「言葉の綾」なぞではありません。それは、当選後の記者会見で彼が口にした、「俺は選挙で選ばれた政治家なのに、余りにも蔑ろにされている」「みんな、もっと俺に配慮しろ」という子どもじみた物言いに、如実に現れています。そもそも、住民こそ主権者であり、政治家はあくまでも住民に奉仕する公僕にしか過ぎない。それが何で、主権者のほうが政治家に遠慮しなくちゃならんのか。橋下は、自分が殿様か天皇にでもなったつもりでいるのか。
 独裁だからこそ、候補者を募っても次々と逃げられ、後継者も育てられずに、松井みたいな腰巾着しか府知事候補に出来ず、自分が市長選に出ざるを得なくなったのでしょうが。
 そうやって、北朝鮮みたいに世襲に頼ったり、ロシアのプーチン・メドベージェフのコンビみたいに、松井と二人芝居に明け暮れていたら良いわ。どうせ、大阪市長の仕事や大阪都構想の公約も任期途中で放り出して、ナベツネみたいに、総裁か大臣にでもなろうとしているのだろう。そんなモンにいちいち付き合ってられるか。
 
 最後に、「君が代」強制の件。昨日今日と、NHKで優れたドキュメンタリー番組をやっていました。そこで戦時中の出征兵士の体験談を放送していました。
 私は昨夜の前編しか見れませんでしたが、徴兵直前まで普通の百姓だった兵士が、如何に殺戮マシーンに変えられ、鉄砲玉・消耗品として使われた挙句に、無残な死を遂げていったか、その中で「日の丸」の寄せ書きがどういう犯罪的な役割を果たしたのか、非常によく分かりました。
 私には、とても戦時中の過去の話には思えませんでした。何の事はない、戦時中の「お国の為」が、今は「ルールだから守れ」に摩り替わっただけじゃないか。国策やルールの中身も検証させずに。
 本当は民間でもそんな事は許されない。「お前、今日からサービス残業で働け」「これが我が社のルールだ」なんて理屈は、本来は民間でも通用しない。そんな不当労働行為がまかり通るブラック企業の水準にまで、何で公務員の待遇を引き下げなければならないのか。話が逆だろうが。

 あと実務連絡。この掲示板・ブログとほぼ同じ約10年もの間使ってきた私のパソコンですが、もう大分あちこち不具合が出てきたので、思い切って割安の最新版に買い換える事にしました。既に買換え用のノートパソコンも届き、後はデータをそちらに移し変えた後、古いパソコンを引き取って貰わなければなりません。また、割引率を高くするために、プロバイダも変える事にしました。当分の間は、そういう一連の作業を優先しなければならないので、今までよりも記事更新の頻度は落とさざるを得なくなります。コメント・TB公開については携帯からでも可能ですが、記事は携帯では短文しか書けないので。どうしても書かなければならない事がある場合は、ネットカフェから投稿しますが。以上悪しからずご了承願います。
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反独裁ではなく共生を、理屈ではなく情念で訴えるべきだった

2011年12月01日 23時52分14秒 | 反ハシズム・弱い者虐め
ザ・タイマーズ - 牛肉・オレンジ


 この度の大阪のダブル選挙は、非常に残念な結果になってしまいました。この結果に対して、当ブログのコメント欄やメールでも多大な励ましの言葉をいただきました。返事が遅くなりましたが、ここに改めて御礼申し上げます。告示前は橋下批判もかなり出てきて、メディアもかつての橋下礼賛一色とは大分様相が違ってきていたように思っていたのですが、それでもいざ選挙戦に突入してみると、やはり橋下の独壇場に終わってしまいました。
 橋下が、たとえその内容がどれだけデタラメなものであっても、大阪都構想とか職員・教育基本条例とか、それなりに新機軸を打ち出してきたのに対して、反橋下陣営のほうは、旧来の自民党・民主党が中心で、反独裁しか言わなかった。それでは普通の有権者は、たとえ多少独裁的でも、反自民・反民主で勢いもあり、何かしら新しいことに取り組んでくれそうな橋下のほうを選びます。そこに、共産党がいくら反ファシズムの観点から自分の身を犠牲にして今回反橋下に回ったとしても、有権者からすれば、「共産党も解同や自治労と同じオール与党の一味だったか」と、逆に誤解されかねないような流れになってしまいました。この段階で勝負が決まってしまいました。

 これでは、せっかくの「反ファシズム統一戦線」も、「旧保守とそのお零れにすがる左翼の野合」に堕してしまいます。恐らく共産党の頭の中には、浅野と吉田に票が割れて石原慎太郎の3選を許してしまった2003年東京都知事選や、逆に左翼が保守のシラクを支持してファシスト・ルペンの当選を阻止できた2002年フランス大統領選挙の教訓があったのではないかと思います。そこから教訓を引き出して、今度の大阪市長選では独自候補を降ろして平松現市長支持に回った。
 しかし、2003年東京の場合は石原という既成の権威への挑戦者という立場にあったのに対し、今回は自分たちも保守の現職を擁護する立場になってしまった。そして有権者のほうも、フランスの場合とは違って、反ファシズムや民主主義擁護の強い思いは持ち合わせていなかった。その中で、実際は保守反動のファシスト(ハシスト)で、弱肉強食・競争至上主義の銭ゲバ・新自由主義者でしかない橋下が、まるで自分たちこそが「反権威・反保守」の旗手であるかのように立ち回った。だから、自民・民主両党支持層だけでなく、共産党支持層からも橋下支持に流れる人が多く出てしまった。1+1が3や4になるどころか、逆に2が1.5ぐらいになってしまった。次のブログ記事や掲示板投稿にもあるように。

>「大阪都構想」「教育基本条例案」など、橋下手法は強引かつ危険な内容をふくんでいる。しかしそれに対抗するスローガンが「独裁」や「ハシズム」でよかったのか。ずっと違和感を感じていた。「民主主義」VS「独裁」を対立軸にすれば、敗北したときにどう説明するのか。大阪市民は実際に「独裁」を選択した。選挙の結果は民意だから、合理的な解釈をするならば大阪市民の認識と行動を批判しなければならなくなる。それができないから「ポピリズム」(大衆迎合)だと橋下手法を批判するか黙するしかなくなる。〈「反ファシズム論」では彼には勝てない〉(「新潮45」)と佐藤優さんが書いたとおりになった。(大阪「秋の陣」が問うた政治言語の是非@有田芳生の『酔醒漫録』)
http://saeaki.blog.ocn.ne.jp/arita/2011/11/post_6361.html

>大阪ではハシズムの危機に対抗して共産党が初めて自派の候補を下ろしてまで保守の応援に回り、事実上の「反ハシズム統一戦線」が登場しました。しかしその「統一戦線」は結局何の目新しいものも提示できず、ただ「反橋下」にしか見えなかった。選挙の争点は「新しい解決手段は何か」であるべきでした。経済危機、そこから来る政治危機に対して、「新しい回答」が求められていました。しかしその回答を提示できたのは橋下側だけだったことが敗北の原因であったと思います。つまり庶民の目には「反ハシズム統一戦線」は単なる「改革反対派」に見えたのです。(三浦さんのご指摘ごもっとも 投稿者:まっぺん 投稿日:2011年12月 1日(木)09時21分33秒@四トロ同窓会二次会掲示板)
http://6305.teacup.com/mappen/bbs/8895

>今日(注:7月21日)の、朝日新聞のオピニオン欄で、大阪の平松邦夫市長が、生活保護について、「努力しない人、打ち切りも」という文を載せていた。もともと、生活保護の有期化に熱心な人ではあったのだけど。(中略)
 だけど、大阪をめぐってややこしいのは、大阪では、あたかも、橋下さんと平松さんの対決が、最大の問題のような報道をされていることだ。考えればすぐにわかることだけれども、新自由主義的な視点で、福祉の切り捨てに乗り出す姿勢は、橋下さんと平松さんの間には、それほど大きな差があるようには思えない。同じ、勢力の中での手法のちがいがあるにすぎない。本当の対決は、別なところにあるのではないのだろうか。そう考えると、大阪で、福祉を守り、発展させるような府・市政をつくっていくたたかいは、その本当の対決点を、メディアのキャンペーンをはねのけて府民・市民の前に提示するというとてもしんどい仕事がまずあるのだなあと。(平松大阪市長の発言@ささやかな思考の足跡)
http://ono-blog.cocolog-nifty.com/sikou/2011/07/post-bea5.html

 以前の小泉首相もそうでしたが、今の橋下や石原にしても、今の既成保守よりも更に右傾化や弱肉強食・格差社会化を進めようとする政治家が、巧みな扇動によって既成の保守派を「だらしない」と攻撃する。攻撃の中身はあくまでも「だらしない=もっと上手くやれ」という「叱咤激励」でしかない。しかし、今は左翼の力が余りにも影が薄くなってしまったが為に、そんな極右の超保守派が、まるで唯一の「反保守」であるかのように有権者には映ってしまう。かくして、(肉屋にされるはずの)「豚が逆に肉屋を熱烈に支持する」という、全く皮肉としか言いようのない結果になってしまった。

 じゃあ、反橋下陣営は何のビジョンも持ち合わせず「反独裁」を叫ぶしか能のない天邪鬼だっかたというと、私はそれも違うと思います。共産党推薦の梅田候補だけでなく自民・民主両党府連が推薦した平松市長候補や倉田府知事候補も、「with(ウイズ)」や「オール大阪」の形で、それなりに社会的弱者の生存権や社民主義的なビジョンは提示してきたと思います。たとえ、それが「非正規の上に胡坐をかく公務員や大企業正社員」「地方の上に胡坐をかく大都市住民」「アジア新興国・途上国の低賃金搾取の上に胡坐をかく先進国労働者」中心の不完全なものであっても、橋下のいう「競争・効率・利潤」優先の民営化・規制緩和や「大阪都構想」「カジノ・リニア誘致」なんかよりも、まだマシなビジョンを提示してきたと思います。
 それが大阪の有権者の心に響かなかったのは、公務員・正社員や大都市・先進国中心のものであったという限界も然る事ながら、それ以上に候補者(タマ)や戦術の問題が大きかったのではないかと感じています。

 共産党の「反ファシズム統一戦線」方針も、従来の共産党からすれば大英断なのかも知れませんが、正直言って、もう時既に遅しの感は否めません。理想を言えば、小泉政権誕生前の、まだ90年代後半の共産党躍進の余韻が残っていた段階でそれを提起しておれば、小泉新自由主義や安倍・靖国派の台頭を一定抑える事も出来たでしょうが、ここまで共産党の力が弱くなってしまうと、たとえ言っている事がどんなに正論であっても、有権者を橋下の呪縛から解き放つのは、相当至難の業ではないでしょうか。
 ズブズブの「既成政党」自民・民主に至ってはもう論外です。党勢衰退は共産だけでなく自民・民主も同じです。彼らが、たとえ「with」や「オール大阪」、或いは「国民生活が第一」を口にしても、それが「国民・府民」ではなく「自分たち」だけを指す事が、もうこれだけあからさまになってくると、何を言っても相手にされなくなります。たとえその中に社民主義的な主張や「正論」が幾ばくか含まれていたとしても。

 そういう意味では、今回の大阪ダブル選挙は、既成二大政党の終焉を告げるものでもありました。問題は、その受け皿として登場したのが、既成保守勢力よりも更に右翼的で銭ゲバのファシスト・ポピュリスト(扇動政治家)橋下だったという事です。それに対して、既成政党の候補者が、学校の先生が授業で語るような喋り方をしていたのでは、「ヒトラー」のような橋下の街頭演説には対抗出来ません。橋下以上に大衆を惹き付ける様な強烈なタマを立てて、もっと誰にでも分かるような端的な訴え方をしないとダメです。たとえば忌野清志郎のような。
 そして、「公務員・大企業正社員、大都市住民、先進国労働者」だけでなく「非正規、地方、途上国」の人々の解放も視野に入れて、単に有権者がキヨシローにすがるだけではなく、有権者自身もキヨシローのような生き方を求めるようになってこそ、初めてこの日本が真に自立した、民主的で人権が保障された国に変わっていけるのではないでしょうか。それがとてつもなく困難で大きな目標である事も充分承知の上で、それでも敢えて書いたのは、それを避けていてはこの国を変える事は到底無理だから。
コメント (6)
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