アフガン・イラク・北朝鮮と日本

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こんな御用判決なら九官鳥で全て事足りる

2007年12月13日 09時02分49秒 | 戦争・改憲よりも平和・人権
・政党ビラ配布事件:東京高裁、逆転有罪 表現の自由「無制限でない」(毎日新聞)
 http://mainichi.jp/select/jiken/archive/news/2007/12/12/20071212ddm041040132000c.html
・葛飾ビラ配布事件/逆転有罪の不当判決/東京高裁 違法弾圧を追認(しんぶん赤旗)
 http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2007-12-12/2007121201_02_0.html
・政党ビラまき東京高裁逆転有罪判決を下した裁判官に問う!(情報流通促進計画 by ヤメ記者弁護士)
 http://blog.goo.ne.jp/tokyodo-2005

―共産党のビラを配布するため東京都葛飾区のマンションに立ち入ったとして住居侵入罪に問われた僧侶、荒川庸生(ようせい)被告(60)の控訴審で、東京高裁は11日、1審の無罪判決を破棄し罰金5万円の有罪判決を言い渡した。池田修裁判長は「住民は住居の平穏を守るため部外者の立ち入りを禁止できる。許可のない立ち入りは相当性を欠く」と指摘した。弁護側は即日上告した。―
―判決は「ビラ配布を含めた部外者の立ち入り禁止は、マンション管理組合の理事会で決定され、住民の総意に沿うものだった」としたうえで「被告は立ち入りが許容されていないことを知っており、住居侵入罪が成立する」と判断した。―(以上、上記毎日新聞の記事より)

 ふーん、なるほどねえ。ある意味では、非常に分かりやすい判決ですね。有体に言えば、「俺らはこう決めて、入口に掲示した。それを守らなかったアンタが悪い」という内容ですからね。しかし、これじゃあまるで、江戸時代の「村の掟」や、古代メソポタミアの王様が作った「目には目を、歯には歯を」の「ハムラビ法典」と、何ら変らないじゃないですか。

 この伝で行くと、マンションの管理組合で決めてしまいさえすれば、何でも通るという事になってしまいます。今回の「ポスティング禁止」とは逆に、「ピンクチラシ大歓迎」とか「盗撮・強姦したい放題」でも、何でも議決して掲示さえしてしまえば、それでOKなのですから。

 憲法21条に規定する「集会・結社・言論・出版、その他一切の表現の自由」と、マンション管理組合の何がしかの規定の、一体どちらが優先されるべきか。こんなモン、憲法の規定の方に決まっているじゃないですか。憲法は国の最高法規であって、そこで保障された人権も、今までの自由獲得の歴史の中で勝ち取られたものだからこそ、国民は不断の努力でこれを保持し、公共の福祉の為に用いる義務を負うのでしょう。

 そりゃあ、マンションの中には「ワシは共産党なんか嫌いや、共産党のビラなど読みたくない!」という人も居るでしょう。その人の権利も当然保障されなければなりません。だからそういう人は、黙って読まずに捨てるなり、「ワシとこのポストには入れんといてくれ」とビラ撒きの人に一声掛ければ、それで済む話じゃないですか。しかし、中には逆に「ビラを読みたい人」も居る訳でしょう。その「読みたい人」の権利まで、「読みたくない人」やマンション管理組合が一方的に侵害する事など、到底許されない筈です。

 或いは、マンションを管理する側からすれば、集合ポストの周辺がいつもピンクチラシやその他の営業広告のチラシで溢れかえりゴミだらけになるので、止む無くチラシ投函禁止の措置を決めた、という事もあるかもしれません。私もチラシ配布やマンション清掃のバイトをした事があるので、その酷さは分かります。しかし、それは、そのポストの住民一人一人がこまめに自分のポストを管理しないから悪いのであって、チラシ撒きの人には何の責任もありません。チラシで溢れかえっているポストには投函しない位の配慮はしてあげても良いかな、という程度で。

 そもそも、そう成らない様にする為に、マンション住民の自治組織たる管理組合があるのでしょう。「集合ポストのチラシはこまめに処分しましょう」と呼びかけるなり何なり、いくらでも先にやるべき事がある筈です。それをさておいて、公選法で保障された政治活動までピンクチラシと同列に看做して、国民の基本的人権の一つである「知る権利」まで一方的に「村の掟」で侵害するなど、許される事ではありません。

 「公共の福祉」という事もよく言われますが、その本来の趣旨は、今回の「ビラを読みたい人の権利」「読みたくない人の権利」「マンション管理の都合」の様に、互いの人権や利害が衝突しあった時に、どう折り合いをつけるか、という事でしょう。その際に議論されるべき事は、互いに人権が尊重されるにはどうすれば良いか、権利制約が伴う場合でもそれを最小限に押し止め、誰かだけが一方的に不利益を蒙らないようにするにはどうすれば良いか、という事の筈です。それが住民自治や民主主義という事でしょう。それを抜きにして、一方的な「村の掟」で住民を縛るのは、民主主義でも何でもない。それは「公共の福祉」とは全然異なる、単に「長いものには巻かれろ」という事でしか無い。

 そんな「村の掟」が堂々とまかり通るのであれば、憲法も法律も要りません。ミートホープや船場吉兆みたいに、オーナーが勝手に「村の掟」で待遇や賞味期限を決めてしまい、従業員に無理やり押し付けてしまえば、それで全てOKです。「何も異議が無かったので総員の意思と認められる」で全て通ってしまうのですから。憲法も労働基準法も最低賃金法も食品衛生法も、ここまで来ればもう単なる飾りにしか過ぎません。最近俄かに浮上してきた労働契約法案なんて正にそういう内容で、だからあれも今大問題になっているのでしょうが。

 これではもう、今回の判決を出した高裁の裁判官は、憲法と「村の掟」の、どちらが優先されるべきかも分からずに、国や検察の言うがままに、「結論先に在りき」の御用判決を出しているだけではないですか。
 こんなんで裁判官が務まるのなら、小学生で充分です。憲法など全然知らなくても、「村の掟」だけ知っておればそれで事足りるのですから。高い税金払って高い金かけて司法試験やって高い給料払ってまでして裁判官を雇うだけの意味は無い。小学生どころか、九官鳥で全て事足りる。何も考えさせず、ただ判決文をひたすら暗記させて、それを判決の場で復唱させるだけで良いのだから。そうすれば経費は九官鳥のエサ代だけで済む。これぞ究極の行政改革。但し、もうそこまで行くと、誰も裁判所の言うことなど聞かなくなりますが。
コメント (9)
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