アフガン・イラク・北朝鮮と日本

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私にとってのガザ・パレスチナ問題

2009年02月26日 07時55分17秒 | その他の国際問題
 2月23日に書いた志葉玲ガザ緊急報告会のエントリー記事に対して、「zames_maki」という方から、次の様な質問が寄せられました。

(1)パレスチナ問題は今後どのように推移するのか、イスラエルの行き着くゴールは何か?
(2)それに対してパレスチナ問題は本当はどのように解決される「べき」なのか?
(3)今、アメリカはどういう方向に進んでいるのか?強い影響力を持ち調停役であるアメリカはどういう存在なのか?
(4)その時日本はどのような動きをとるべきなのか?

 これらの一見何の変哲も無い質問に対して、私はずっと返答に迷っていました。何故ならば、これらの質問は、一見何の変哲も無い様に見えて、実は私のこれまでのパレスチナ問題の捉え方や、当ブログの従来のスタンスにまで、根本的な転換を迫るものだったからです。

 これらの質問は、いずれも「パレスチナ問題のあるべき解決とは何か?」を問うものです。それに対して、今まで私はと言うと、次の様な「模範解答」しか、持ち合わせていませんでした。「イスラエル人とパレスチナ人が、共に対等・平等な存在として、相手の人権を認め合い、平和共存を図る事」と。つまり、「いい加減仲直りせーや」と。

 曰く、「イスラエル人もパレスチナ人も共に、第一次大戦当時の英国の二枚舌外交の犠牲者なんだから、いい加減反目するのはもう止めたら」「シオニスト右派もイスラム原理主義者も、徒に排外主義を煽って相手を攻撃するのは止めろ」「報復の連鎖を断ち切れ」と。まるで、「帝国主義に利用されるな」と、アフリカ・ルワンダの部族対立を諌めるかの様に。

 斯様な「平和共存路線」の見地に止まっている限り、「zames_maki」さんの質問に「模範解答」で答えるのも、そう難しい事ではありません。次の様にでも答えておけば、それで良いのですから。

(1)の答え:折角のオスロ合意も、リクードとハマスの所為で全てぶち壊しだ。もう為る様にしか為らない。
(2)の答え:差別しないで、みんな仲良く。
(3)の答え:あくまで表向きは中立の立場で調停。(本音ではユダヤ・ロビーの影響もあってイスラエルに加担しつつ)
(4)の答え:右派は人道復興支援やらPKOやら国益擁護の名目で自衛隊派遣を、左派は護憲平和主義の立場で「仲直り」を主張。両者とも、あくまで表向きは中立の立場で調停者として。

 先日の志葉さんの講演内容は、2001年911テロとアフガン戦争を機に立ち上げ、「テロにも報復戦争にも反対」を言い始めた私のブログ(当時はサイト・掲示板)の、上記の「無自覚の欺瞞」とも言うべき部分に対して、カウンターパンチを浴びせかけるに、充分なものでした。

 幾ら、共に英国の二枚舌外交によって生み出されたとは言えども、片や、ロスチャイルドなどの金融資本をバックに、西側諸国や国連を味方につけ、「ナチスの仇をアラブで討つ」と言わんばかりに、パレスチナの地に乗り込んできたイスラエル人と、もう片や、ナチスとは何の関係も無いのに、一方的に民族自決権や生存権を蹂躙され、戦後ずっと難民として放置されてきたパレチナ人が、同等な犠牲者である筈がないだろう!と。

 上記の立場に立つと、「zames_maki」さんの質問に対する答えも、次の様に訂正せざるを得なくなりました。

(1)の答え:イスラエルの、パレスチナに対する一方的な占領や人権抑圧が廃絶されない限り、どんな和平も共存もあり得ない。しかし、イスラエルは、今やそれとは全く正反対の、軍国主義化と自滅への道に、更に突き進みつつある。

(2)の答え:「イスラエル人とパレスチナ人が、共に対等・平等な存在として、相手の人権を認め合い、平和共存を図る事」でしか、根本的解決の道は無い。しかし、その為には、イスラエルの全占領地・入植地からの撤退と、パレスチナ難民に対する帰還権・賠償権の承認は、避けては通れない課題だ。

(3)の答え:まずは、イスラエルの全占領地・入植地からの撤退が、和平開始の前提条件でなければならない。それには、イスラエル国民や海外ユダヤ人の意識変革(排外主義・選民思想の克服)が必要。しかし、米国にはそうする意志も力も無い。今は米国は、只のイスラエルの後見人でしかない。

(4)の答え:日本は、先進国の中では、中東を植民地支配した事の無い唯一の国である。加えて、日露戦争以来の親日感情や、平和国家・経済大国としてのイメージもある。だから、ODAに基づく経済援助以外にも、本当はもっと色んな事が出来る筈。また、米国やイスラエルに対しても、彼の国々の暴走を止める事も充分可能な筈。それが真の国際貢献であり、また、同盟国としての「あるべき姿」ではないのか。然しながら、現実には単なる「米帝ネオコンのポチ」として、アフガン・イラク戦争、イラン攻撃、ソマリア派兵にも唯々諾々と従っている。このままでは早晩、「全中東人民の敵」として、米国と共に放逐されてしまう運命にある。

 そして、日本の市民運動の「あるべき動き」としては、以下の方向性が考えられるのではないかと。

(1)米国ネオコンとイスラエルのシオニストに対しては、ボイコットを初めとした、あらゆる圧力を駆使する事によって、不断に政策変更を迫るべき。
(2)イスラエル国内で、シオニスト排外主義との困難な闘いを強いられている国内パレスチナ人や反戦運動に対して、連帯・支援すべき。
(3)ガザ・パレスチナ人民のイスラエル抵抗闘争については、物心両面で支援し、国際的にも支援を呼びかけるべき(但し、自爆攻撃などの評価については保留)。これは、ハマスであろうとPLOであろうと、党派を問わず。

 最後に、ハマスの自爆攻撃について。勿論、私はハマスのこの様な戦術は、今でも支持しません。若し、この様な立場まで肯定してしまうと、それはブッシュの「悪の枢軸」論を、反対側から補強してしまうという、陥穽に陥ってしまうからです。
 イスラエル国内にはシオニストだけでなく、反戦活動家や、イスラエル国籍のパレスチナ人も居住し、シオニストと闘っているのですから。そういう人たちまで何故自爆攻撃に晒されなければならないのか。
 また、これは、他の問題と置き換えて考えてみても、分かるかと思います。例えば、ヒロシマ・ナガサキや北朝鮮問題に。日帝のアジア侵略があったからといって、原爆投下や北朝鮮拉致まで免罪されるのか。

 しかし、だからといって、「どっちもどっち」の立場にも組はしません。米帝を後ろ盾にしたイスラエルの不法占領・パレスチナ人民の自決権蹂躙さえなければ、ハマスのテロも起こりようがなかったのですから。また、日帝のアジア侵略さえなければ、原爆投下も南北朝鮮分断もなかったのですから。
 ハマスが、それまでのPLO各派(ファタハ・PFLPなど)に代わって、パレスチナ解放の主導権を握るようになったのは、裏を返せば、これらの世俗左派が、限界を抱えていたからではないでしょうか。創立当初のパレスチナ解放の大義から次第に遊離し、党派闘争に明け暮れたり、官僚主義に染まったり、周辺アラブ諸国や旧ソ連に従属して自主性を失っていた面も、あったからではないでしょうか。
 その中で、幾ら「机上の和平」が一進一退や空回りを繰り返した所で、占領と経済封鎖は愈々強まり、生活困窮度は増すばかり。その結果、パレスチナの民衆は、次第にPLOからハマスを支持するようになった、それだけの事です。
 故に、ハマスの戦術や政治的立場を、全て無条件に肯定はしません。しかし、イスラエルの不法占領に対して、ハマスが人民の利害を代弁する限り、その一点については、ハマスを支持します。これは、ハマスであろうとPLOであろうと同じです。

※記事冒頭の画像は、ガザのアブデルワーヘド教授から送られてきた写真からの出典。
※参考までに、旧掲示板過去ログの、2006年レバノン侵攻当時の議論も。この時も、よく似た議論をしていたんだなあと、今になって思い出しました。
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志葉玲ガザ緊急報告会で考えさせられた事

2009年02月23日 21時50分28秒 | その他の国際問題
■当日の企画について

   

 2月21日に、大阪市の浪速人権文化センターで開催された、「ガザ この現実 『たたかうジャーナリスト』志葉玲・緊急報告会」に行って来ました。当日配布された本レジュメ(上記左写真)以外にも、他の企画案内の資料や、会場で買ったパンフレットもあり、まだその全てに目を通した訳ではありませんが、とりあえず当日の様子や、その時に考えさせられた事などを、思いつくまま書いていきたいと思います。
 この企画は、20日から22日にかけて、大阪以外にも京都・神戸で連続開催されました。21日は、14時から16時半近くまでを大阪の標記会場で行った後、夜は近隣の堺市でも同じ報告会が開催されました。
 私が行ったのは当日午後の標記会場で、ホールには最終的には100人ぐらいは来ていたのではないかと思います。其処で14時から途中休憩を挟んで16時近くまで、志葉さんが、パソコンに落とした現地の画像を、スライドに写し出しながら(上記右写真:但しこれは開演前に撮ったもの)、現地の様子を語られて、その後は最終まで、私も含め数人の方と質疑応答、というスケジュールでした。

■スライドを使っての現地報告 (14:00~15:50)

 現地報告の部分では、白リン弾やダイム(DIME)と呼ばれる新型実験兵器の被害や、ガザ侵攻イスラエル兵による民間人蹂躙の実態、エジプト国境に掘られたトンネルについての説明がありました。
 白リン弾は、もう既に知っている人も少なからず居られるでしょうが、焼夷弾の一種で、酸素がある限り燃え続けます。従って、水(酸素が含まれる)をかけても消えません。小さな破片の場合は砂をかける事で消し止める事も出来ますが、大きなものになると、下手に触れたりしたら爆発します。
 以下、報告会で紹介された事例から。―曰く、白リン弾を蒙ったが、幸いにも直撃を免れて軽度の火傷で済んだ少女を、体内に弾の破片が残っているのに気付かなかった医者が、応急処置だけ施して帰した所、数時間後に再び瀕死の状態で運ばれてきた。その時にはもう、患部は焼けただれて、手の施しようのない状態だった。弾の破片がずっと体内で燃え続けていたのだ。そういうのが、クラスター爆弾の様に、多くの子爆弾に分かれて、民間人の頭上に降り注いだのです。

 ダイムについても少し触れられていました。ダイムとは、これは帰宅後にネットでも調べて、改めて知ったのですが、タングステン合金で作られた高密度不活性爆弾で、被害は半径数十メートルの狭い範囲に止まります。しかし、爆発と同時に弾片も全て粉末状になって飛散してしまうので、爆撃の証拠が残らないのです。その一方で、殺傷力は非常に強く、その狭い範囲内に居合わせた人は深刻なダメージを蒙ります。たまたま生きながら得る事が出来ても、タングステンの影響で、今度は放射能障害に苦しめられるのです(小型核兵器の異名もある位です)。
 白リン弾やダイムは、当初は、煙幕・照明弾や、民間人の犠牲を最小限に食い止めるためのピンポイント爆弾として、開発されたものなのだそうです。米国やイスラエルも、表向きにはそれを頻りに強調します。しかし、その裏では、人口密集地のガザで、それを意図的に民間人に対する「無差別ピンポイント空爆」に使用しているのです。

 また、報告会では、イスラエル兵の侵略行為についても、具体的な説明がありました。―曰く、今回の侵攻で農地の6割余りが破壊され、トマトや茄子のビニールハウスが空爆を受けた。事前に無人偵察機で、其処に武器も戦闘員もいない事が分かっていたにも関わらず、白旗を掲げていた邸宅にも砲撃が加えられ、近所の避難民も含め48人以上もの住民が虐殺された。そして、其処を数日間に渡って不法占拠した挙句に、壁に次の様な落書きを残して去って行った。―「お前らは逃げても逃げ切れないぞ」「平和ではなく戦争を」。「アラブ人、1949年~2009年」と書かれた墓標の落書きもあった。1949年はイスラエル建国の年で、2009年が今回。これは即ち、今回の空爆が民族皆殺しを意図したものである事を、イスラエル自らが表明したに等しい。
 また、ハマスがガザ・エジプト国境に構築した物資運搬用のトンネルについての説明もありました。スライドに映し出されたのは入口だけで、内部は取材のみ可、撮影は禁止と言う事でしたが。何故、撮影禁止になったのかというと、度重なる嫌がらせの経済封鎖の為に、食料も医薬品も払底する中で、生活物資搬入の為にやむを得ず掘った、折角のトンネルの存在を、マスコミが報道した為に、イスラエルによる空爆の格好の標的にされてしまったから、との事でした。

 勿論、トンネルで多少の武器も運んでいた事でしょう。それを捉えて、イスラエルは、「ほれ見たことか」と、ハマスによる自爆攻撃を論い、欧米や日本のマスコミも、「報復の連鎖」だと騒ぎ立てます。
 しかし、そもそも、米国からの膨大な軍事援助によって、最新式兵器で武装し、新型兵器の実験場として、国際法無視の民間人虐殺を続けるイスラエルと、度重なる虐殺に対して、手製の武器でやむにやまれず反撃に出たハマスを、等価で非難する事自体が、明白なダブルスタンダードではないか。
 また、度重なる国連決議をも無視して、ヨルダン川西岸・ガザ・パレスチナ全域を今も不法占領しているのは一体誰なのか。その不法占領を批判せずに、ハマスの自爆攻撃だけを非難したり、喧嘩両成敗でお茶を濁すのは、偽善以外の何物でもないではないか―という事も、強調しておられました。

■質疑応答 (15:50~16:20)

 ここでは、私も含めて、計4人ぐらいの参加者から質問が出され、それに志葉さんが答える形で、話が進められました。以下がその概略です。

(質問1)
 イスラエルは、ナチスによるホロコースト(民族絶滅政策)の受難を経験しておきながら、何故パレスチナ人にも同じ仕打ちが出来るのか?

(応答)
 その理由は2つ考えられる。
 第一番目の理由として、受難を受けた民族が、必ずしも他の被抑圧民族も解放の、国際連帯の立場に立てるとは限らない、という事。抑圧を受けた事で、逆に自分たちが受けた仕打ちを、同じ様に他民族にもして何が悪いと居直る、偏狭なナショナリズムの方向に行く場合もある。
 例えば、旧ユーゴのコソボで、それまで少数派だったアルバニア人が、コソボ独立で多数派になった事により、少数派に転落したセルビア人や、元から少数派だったロマ人(ジプシー)を、一転して抑圧しにかかる事例もある。イスラエルのユダヤ人も、多分にそれに該当するのではないか。
 第二番目の理由は、多分に教育の影響もある。日本の教科書問題と同種の問題が、イスラエル国内にも存在するという指摘が、イスラエルの平和活動家から為された事がある。イスラエル建国に伴う第一次中東戦争(パレスチナ戦争)で、パレスチナの多数の町や村が焼き払われ、数百万人の難民が発生した歴史(パレスチナではナクバ=大厄災と総称される)も、多くのユダヤ人は教えられていない。

(質問2―これが私の質問です)
 90年代のオスロ合意でパレスチナ自治政府の存在も認められ、一時はイスラエル・パレスチナ2国家共存による和平実現の可能性もあったのに、何故ここまで和平が遠のいてしまったのか?

(応答)
 オスロ合意への努力が全く無駄だったとまでは言わないが、パレスチナ民衆にとってみれば、それも所詮は、イスラエルの不法占領を合法化する道具でしかなかったのではないか。
 それが証拠に、ハマスが幾ら民主的な選挙で選ばれたものであっても、自分たちにとって都合の悪いものである限り、一切認めないではないか。これは欧米によるダブル・スタンダード(二重基準、えこひいき)ではないのか。また、ハマスが、実際にはイスラエル抹殺ではなく、あくまでも第三次中東戦争以前の国境線(グリーンライン)へのイスラエル軍撤退を主張しているに過ぎないのにも関わらず、欧米はハマスをイスラム過激派と看做し、その存在すら認めないではないか。
 だから、幾ら和平だとかパレスチナ自治だとか言っても、それは不法占領の実態を覆い隠す、偽善的な美辞麗句にしか過ぎなかったではないか。

(質問3)
 同じパレスチナ解放勢力であるファタハとハマスが、何故対立しているのか?

(応答)
 実際に、長年に渡る内部対立が存在するのは確かだが、それとは別に、イスラエルが意図的に両者の対立を煽っている面もある。オスロ合意の時期には、シオニスト右派が陰でハマスを支援し、ハマスが台頭すると、今度はファタハだけを唯一の交渉相手として優遇したり。

(質問4―実際に地域で無防備都市宣言の運動に取り組んでおられる方から)
 パレスチナでも、無防備都市宣言や日本国憲法第9条の精神を広める運動によって、和平実現を図れないか?

(応答)
 まず、イスラエルの不法占領と、それを陰から支えている欧米のダブル・スタンダードを改めて、パレスチナ民衆に貧困と屈辱をもたらしている分離壁やユダヤ入植地を撤去するのが、真っ先に優先されるべき課題ではないのか。
 今のままでは、たとえ形だけの和平が実現されたとしても、分離壁の内側では、イスラエルによる日常的な人権侵害が続いているのに、国際社会はそれを見て見ぬ振り。こんなものは真の平和でも何でもない。その欺瞞が改められない限り、幾ら平和や憲法9条を唱えても無意味。

■以上を踏まえた上で、私が考えさせられた事

(質問1・2に関して)
 イスラエルのシオニズム(ユダヤ人至上主義)を克服するのは、南アフリカのアパルトヘイト(人種隔離政策)を克服するより困難な事業だと、何処かで聞いた事がありました(ひょっとしたら私の記憶違いかも知れませんが)。その時は、それがどういう意味なのか、はっきりとは分かりませんでしたが、今回の報告を聞いて、やっとその意味が、何となく分かりかけて来た様な気がします。
 それは、南アのアパルトヘイトに対しては、全世界が非難の声をあげ、国連による南ア経済制裁も、かなり実効がありました。それは、南アのアパルトヘイトが、同国の資本主義化(市場拡大・雇用の自由化)にとっても障害になりつつあったので、欧米の資本家も、それなりに本気で南アに圧力を掛けたからに他なりません。
 引いては、その事が同国の解放勢力にも良い影響を与え、南アの多くの民衆が、黒人至上主義路線のPAC(パン・アフリカニスト会議)ではなく、全人種平等・共存を目指すANC(アフリカ民族会議)を支持する事になったのです。(但し、それは一面では、ANC指導部と欧米資本との癒着という、悪しき影響としても現れていますが)
 イスラエル・パレスチナ紛争の場合は、それが南アの場合とは、全く逆の形で推移してきたのではないでしょうか。イスラエルにおいては、パレスチナとの真のニ国家共存ではなく、労働党・カディマが唱導する「形式的共存」に、そして更に、パレスチナを事実上、国内植民地として扱い、あわよくば抹殺を図ろうとする、右翼強硬派のリクードやユダヤ宗教政党に、国内世論が扇動される方向に。そしてパレスチナ側でも、反帝国主義や少数派擁護を主張する左派(PFLP)・世俗派(ナセル・バース主義など)から、イスラム原理主義への傾斜という形に。

(質問4に関して)
 これが、私が最も考えさせられた点です。上記の質問1との関連の中でも触れましたが、ハマスにも限界があるのは事実です。イスラエルのユダヤ人を、左派も含めて、民族全員がシオニズム一色で凝り固まっているかの様に看做していると思われる点や、元来はイスラム同胞団系の運動でテロリストとは直接繋がりは無いものの、中にはイスラム過激派の影響を受けた潮流も存在している点などを含めて。
 確かに、労働党やカディマについては、もう論外であるにしても、イスラエルにはそんな勢力だけでなく、ピース・ナウ、グッシュ・シャローム、マッペンなどの反戦市民運動や、ハダッシュ(平和と平等の為の民主戦線:共産党系)やバラド(国民民主同盟:アラブ系)などの、ハマスとの対話を唱える勢力も存在します。ハマスが、それら勢力とも対話や共闘を図る事で、シオニスト強硬派を追い詰める方向を、何故追及しないのか、という疑問が、それまで私の中にありました。
 しかし、それを幾ら指摘した所で、肝心のイスラエルによる不法占領が廃絶されない限り、何を言っても通用しないと、今では考えるようになりました。PLOも参画して取り決めたオスロ合意ですら、結局は画餅に終わってしまったのですから。「イスラエルの姿勢がまず変わらない限り、ハマスも変わりようが無い」と、今では思っています。
   
■占領下ではどんな平等も共存もあり得ない。

  

 当日配布されたパレスチナ領域の歴史的変遷図を見ると、それがよく分かります(上記左写真:各図とも、黒い部分がパレスチナで、白い部分がイスラエル)。英領委任統治時代(上段右図)は全域がパレスチナだったものが、国連分割決議(1947年、上段中図)とイスラエル建国(1948年、上段左図)で白黒のまだら模様に変えられ、第三次中東戦争(1967年、下段右図)では全域をイスラエルに占領されてしまいます。そして、「白い海に浮かぶ黒い島」状況の現在に至るのです(下段左図)。しかし、こんな飛び地だらけの細切れの領土で、一体どんな国を作れと言うのか!
 「では、私たちに今何が出来るのか?」という事で、岡真理さんの提唱による、以下の25のアイデアが紹介されていましたので、それをこちらにも転載しておきます(上記右写真)。そのうちの幾つかでも、今から実行していく事によって、未来を確実に変える事が出来るのであれば。

<パレスチナに公正な平和を実現するために あなたにもできる25の行動>

(1)事実を入手し、それを広めよう。
(2)地元メディアに発信しよう。地元紙に投稿しよう。活字メディア、音声メディア、映像メディアに、彼らの報道ぶりについて意見を書こう。
(3)あなたの国の政治指導者に、攻撃を止めろとイスラエルに圧力をかけるよう要求しよう。
(4)イスラエル大使館、エジプト大使館、可能なら国会前その他、目につくところでデモをしよう(メディアにも働きかけよう)。
(5)ティーチ・イン、セミナー、討論会、ドキュメンタリー映画の上映会などなどを開催しよう。単刀直入に。場所を決めて、会の性格を決めて、必要なら講師を決めて。宣伝も忘れずに(インターネットが効果的だよ)。
(6)パレスチナとガザについて詳細を書いたチラシを撒こう。
(7)自宅の窓にパレスチナの旗を掲げよう。
(8)パレスチナのスカーフ(クーフィーエ)を身につけよう。
(9)喪章をつけよう(いろんな人とパレスチナについて会話するきっかけになる)
(10)国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)を通してガザに直接支援をしよう。
(11)あらゆるレベルでボイコット、投資引き上げ、制裁を行おう。イスラエル大使の送還を指導者に要求しよう。
(12)イスラエルの指導者を戦犯法廷に引き出すために働きかけよう。
(13)イスラエルの人々に、戦争省の前でデモをするよう呼びかけよう。もっとダイレクトに、政府に抗議するよう呼びかけよう。
(14)より多くの人に声を届けよう。ご近所や友人には直接、その他大勢にはインターネットで。
(15)あなた自身の活動グループを立ち上げよう。地元の既存のグループに参加してもいい。「パレスチナ」で検索すれば、すでに活動しているグループが分かるはず。
(16)政府関係の事務所その他、政策決定者が集まるところで座り込みをしよう。
(17)グループで平和のための1日断食をしよう。やるときは公共の場所で。
(18)パレスチナに行こう。
(19)パレスチナで活動に当たっている人権団体その他を支援しよう。
(20)大きな立て看やポスターを作って、通りや人がたくさん集まるところに置こう。
(21)地元の教会やモスク、シナゴーグ、その他宗教関係の場所を訪ねて、道義的立場に立って行動するよう要請しよう。
(22)ガザのための請願書に署名しよう。
(23)ガザの人々にメールを送ろう、電話をかけよう。彼らは外界の声を聴きたがっている。
(24)政治的見解が違うグループとも協力しよう。党派主義は戦争したがってる連中を利するだけ。
(25)毎日、一定時間を平和活動のために充てよう(たとえば1時間)。このリストに挙がっている以外の行動を考えよう。

おまけとして(26)ここパレスチナにいる私たちの誰でもいいから、現場で何が起きているのか、ライヴでレポートさせてもらえるよう、地元のラジオ局のトークショーやニュース記者に働きかけて。
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単なるガス抜きで終わらせるな

2009年02月21日 11時08分45秒 | 麻生政権で自民終了
中川財務相、G7会見で迷言 泥酔


 既に各所でアップされている上記YouTube画像ですが、私にとっては、「ネオコン・ネオリベの正体が此処でもさらけ出された」というだけの事にしか過ぎません。それ以上に、ニュース的な価値はないと思っています。
 それどころか、今まで散々ネオコンを庇っていたマスコミが、いよいよ庇いきれなくなったと見るや、今度は一転して「トカゲの尻尾切り」で幕引きを図りだしたのではないかと、寧ろ、そちらの方を危惧します。「中川の酩酊ぶり」に世間の耳目が集まるのとは対照的に、肝心のG7での中川の(恐らく反動的な内容だったであろう)発言・役割が、殆どと言って良いほど報道されないのは、どう考えても異常です。

 ただ、未だに「ネオコン・ネオリベ劇場」の呪縛から抜け出せずに、「拉致問題解決にとって有為の政治家だ」とか何とか言って、この期に及んでもまだ中川を一方的に庇い立て、果ては「民主党シンパの付き人による謀略」説wまで吹聴する人も、まだまだ少なくないので、その人の為にも、改めて上記画像をアップする事にしました。
 そういう人は、野党や社会的弱者を論う事には熱心なくせに、相手がアメリカ・自民党・政府・財界となった途端に、点数がムチャクチャ甘くなるのですから、ダブル・スタンダードそのもので。

 「拉致問題に涙する事が出来る人」が、「ミゾユウ(未曾有)の経済危機」の最中の、派遣切りの苦境を余所に、何故、こんな公私のケジメも付けられないで、「非難のウズチュウ(渦中)」に晒される様な失態を、さらけ出す事が出来るのか。「拉致問題の涙」なんて、ホンの選挙ポーズにしか過ぎないからに、決まっているではないですか。
 だから、かつて安倍と一緒になって、従軍慰安婦バッシングを行い、「日本も核武装すべきだ」とか言って、被爆者の神経を逆撫でする一方で、属米・売国でしかない小泉構造改革やイラク戦争にも、唯々諾々と従う様な無節操な事も、平気で出来るのです。そういう意味では、同じ右翼・改憲派でも、野党としての立場にブレがない国民新党の人たちとも、全然違う。これでは、もう只の権力亡者にしか過ぎない。

 この御仁は、辞任会見でも「国家の為に辞任する」と、まるで「俺は悪くないけど渋々辞めてやった」みたいな口ぶりでしたが、何をか況やです。全然懲りていません。人に偉そうに道徳や愛国心の説教を説く前に、手前のアルコール依存症を治療して、生活習慣を立て直す方が先だろうに。まずは、メタボ検診の受診からだろう。
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フランスの反資本主義新党

2009年02月19日 20時57分36秒 | その他の国際問題
 
 ブサンスノー関連記事(ニューズウィーク日本版2月11日号) 

 まずは、マイミクさんの日記から。

(転載開始)
 時々、ROMしている掲示板を通して知った情報である。
 フランスの新聞『フィガロ』が、2月13日に掲載した世論調査によると、サルコジ大統領の対抗馬として最もふさわしい政治家として、今月7日に発足したばかりの左翼政党「反資本主義新党」(NPA)の創設者であるオリビエ・ブザンスノ氏が、トップに選ばれたとのことらしい。
 ブザンスノ氏は23%の支持を獲得。なお、社会党のオブリ第1書記は13%程度、2007年大統領選で同党候補となったロワイヤルが6%で、中道、民主運動のバイル議長も6%だったらしい。
 まだ34歳のオリビエ・ブザンスノ氏がこれほど支持を集めたのだ。
 http://www.npa2009.org/
 http://www.lcr-rouge.org/

 NPA結成大会には世界30カ国から参加者がいたという。
 韓国「社会主義労働者政党準備会」も参加したらしい。
 http://blog.goo.ne.jp/harumi-s_2005/e/1cfcea1c2f583fd7a6a6350065b5cfa2
 http://www.shibano-jijiken.com/SEKAI%20O%20MIRU%20SEKAI%20NO%20SHINBUN%20141.html

 このNPAについてはいろんな意見、見解はあるだろう。
 しかし、日本の現実と比較すると、正直うらやましい。 
 日本では、いまだに「小泉人気」なるものが執拗に存在している状況だが、フランスでは、はるかに先を走っているのだから…。
 アメリカですら、ブッシュ政権の終焉が歓迎されたというのに…。
(転載終了)

 フランスで、上記左翼新党の人気が急上昇中である事は、私もニューズウィーク最新号の記事(写真参照)を読んで知っていました。
 何でも、この「反資本主義新党」は、フランス国内で近年伸張著しいトロツキスト系政党の革命的共産主義者同盟(LCR)が、更に大衆的基盤を広げるべく、幅広い左派結集を狙って、再編成を遂げたものだそうです。ウィキぺディアなどの情報によると、2002年の大統領選挙では、当時27歳の現役郵便局員オリビエ・ブサンスノーを候補者に推し立て、120万票(得票率4.25%)を獲得し、一躍世間の注目を集め、2007年の大統領選挙でも、左派候補が乱立する中でも同程度の票を集めたとの事です。

 フランスでは、かつて70年代には、共産党が、イタリアと並ぶ「ユーロコミュニズムの雄」として名を馳せていましたが、80年代以降は、ソ連のアフガン侵攻を擁護したり、社会党政権の与党として新自由主義に妥協的な態度を取ったりした為に、すっかり往時の勢いを失ってしまいました。そして、それとは逆に、かつては泡沫扱いだったLCRが、今やかつての共産党に取って代わる勢いで、支持を伸ばしつつあります。

 日本では、昨今の「蟹工船」ブームで、共産党が再び支持を伸ばしつつありますが、あちらでは、それよりも更に左の「反資本主義」を掲げる新党が台頭していると言うのです。実際、これだけ格差・貧困問題が顕になり、派遣切りが横行するようになると、共産党が言う様な「ルールある資本主義、人間の顔をした資本主義」だけに止まるのではなく、フランスLCRや南米左翼が言う様な「21世紀の社会主義」を、日本でも、もっと正面切って堂々と主張すべき段階に、既に来ているのかも知れません。
 日本では、もはや誰の目にもムチャクチャ・ズタボロな自民党が、それでも依然として政権にしがみ付き、それを追う民主党も自民党と似たり寄ったりで、更にはネオリベの小泉・橋下チルドレンや、戦前の「靖国の亡霊」みたいな輩が、未だに大手を振ってのさばり返っているので、私は対抗的に共産党を支持しているのですが、若しフランスLCRみたいな党から、オリビエ・ブサンスノーみたいな候補者が出てきたら、迷う事無くそちらを支持するようになるでしょう。

 でも、日本では多分、それはまだまだ先の話ではないかと思われます。何故ならば、この日本では、革命的共産主義者同盟(革共同)やトロツキストを名乗っているのは、中核派や革マル派、解放派などではないですか。それらの党派はいずれも、凡そオリビエ・ブサンスノーとは縁遠く、寧ろ北朝鮮や、カンボジアのポルポト派の方により近い、そんなイメージがどうしても拭えません。実際、過去には内ゲバに明け暮れた時期もありましたしね。
 若し、日本の革共同やトロツキストが、「明日のフランスLCRや南米左翼たらん」と欲するのであれば、過去の内ゲバや「北朝鮮的なモノ」に対する総括を、避けては通れないと思います。ここで言う「北朝鮮的なモノ」というのは、私もこれ以上は上手くは言えないのですが、よく「官僚主義」とか「スターリン主義」とか言われているものが、それに当たるのではないか、という気がします。そして、これは、単にトロツキストだけに限らず、共産党にも一定言える事だと思います。

 しかし、それにしても、現役の郵便局員が、在職したまま自由に大統領選挙に出馬出来て、コンスタントに100数十万票も得票出来るとは。流石は「フランス革命、人権宣言」の国だけの事はあります。これは、人口規模がフランスのほぼ倍の日本に準えると、少なく見積もっても、今の社民党と同程度の力は有している、という事です。いずれにせよ、休日に地元でビラを撒いただけでも逮捕される日本とは、まるで大違いです。
 確かに、フランスには、未だにアフリカや南太平洋に勢力圏や植民地を保持し、ネオナチ政党(ルペン派の国民戦線)が政治の第三極を形成し、移民差別も激しいなどの、マイナス面もある事を忘れてはいけませんが、それでも、市民の自由度に関しては、凡そ日本とは比べ物になりません。羨ましいの一語に尽きます。
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ネオコンとネオリベ、偽装対決の茶番

2009年02月17日 01時07分09秒 | 二大政党制よりも多党制

※そう言えば、当時も「ミーハー感覚で小泉・自民を支持するB層有権者」と、揶揄されていましたね。

・鳥取・岩美「かんぽの宿」 1万円で入手し6千倍で転売(朝日新聞)
 http://www.asahi.com/national/update/0131/OSK200901310039.html?ref=goo
・「かんぽの宿」疑惑拡大と麻生コウモリ首相の迷走(植草一秀の『知られざる真実』)
 http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2009/02/post-3d3a.html
・再度問う「小泉郵政民営化とは何だったのか!?」ー「かんぽの宿」の奥に見えてきたもの(JANJAN)
 http://www.news.janjan.jp/government/0902/0902107198/1.php

 今、日本国内を騒がせているニュースがあります。それが、言わずと知れた、旧・郵政公社(現・日本郵政株式会社)が保有する保養施設「かんぽの宿」の、オリックス不動産への「落札談合、叩き売り」疑惑です。そして、それとも関連して、麻生・現首相の「郵政四分社化見直し」言及に対して、小泉・元首相が放った「怒りを通り越して笑っちゃうぐらい呆れた」発言です。

 しかし、このニュースですが、私にとっては「目糞、鼻糞を笑う」の次元でしかありません。麻生発言が呆れる他ないのは、その通りですが、それを批判する小泉の方も、「今更どの面下げて、そんな事をよくも言えたものだ」「厚顔無恥も甚だしい」と思いますね。
 一方的に郵政民営化を争点にして解散・総選挙に打って出た小泉も小泉なら、当時、小泉内閣の総務相としてそれを実行に移した麻生も、規制改革推進会議の議長として民営化を先導したオリックス会長の宮内も、ともに一蓮托生の共同共謀正犯ではないですか。みんなで示し合わせて、「古い利権を追い出す」という名目の下に、行政サービス(郵便)や国民の資産(郵貯・簡保)を、何の事は無い、ただ「新しい利権」同士で山分けしただけではないですか。

 その挙句に、地方で簡易郵便局の相次ぐ閉鎖や、各種手数料の大幅値上げ、郵政労働のワーキングプア化・労働強化によって、郵政民営化や、ひいては小泉構造改革なるものが、所詮は「行政サービスも、住民の生存権も、万事金次第」というものでしかなかった事が、誰の目にもはっきりしてきた今頃になってから、「改革の方向性は間違ってはいない」が「弊害の手直しにも少し手をつける(形だけでもそうするフリをする)」などと、よくも言えたものです。「怒りを通り越して笑っちゃうぐらい呆れ」るのは、小泉も麻生も宮内も、鳩山邦夫(現・総務相)も西川善文(現・日本郵政社長、元・全銀連会長)も、みんな同じです。

 こんな体たらくの首相ですから、内閣支持率が日本テレビの最新世論調査で9.7%と、とうとう一桁台に転落してしまいました。しかし、その一方で、小泉再登板を期待する声も根強く存在するかと思えば、最近では「麻生頑張れ、小泉なんかに負けるな」なぞという声まで聞こえてくる始末で。これだけ痛めつけられても、まだ分からない人たちがいる様です。

 今までも折りに触れて言ってきた事ですが、麻生に代表される様なネオコン右翼政治家も、小泉に代表される様なネオリベ弱肉強食資本主義者も、どちらも「同じ穴のムジナ」であり、ともに悪政推進の共犯者なのです。それを、「どちらがより悪く、どちらがよりマシか」なぞと言っている限り、「両者の思う壺」にしかなりません。また、これは単に「小泉と麻生」だけに限った話ではなく、その他の安倍晋三・中川昭一などの「真・保守派」(ネオコン)や、中川秀直・小池百合子などの「上げ潮派」(ネオリベ)も含めて、全体的な構図の中で捉えなければなければならない問題です。

 一般的に言うと、ネオコン(新保守主義者)は、「愛国心や伝統」といった価値を重視し、「国家による統制」を強めようとします。それに対して、ネオリベ(新自由主義者)は、「経済活動の自由」を重視し、「規制緩和」を推進します。時によっては、恰も両者の利害が衝突するかのように見える場合があります。今までの人権擁護法案、女系皇位継承、国籍法改正問題や、今回の郵政民営化を巡る両者の「対立」などは、その典型例です。
 しかし、片やネオコンは「国家統制」志向、もう片やネオリベは「規制緩和」志向と、一見、両者は恰も対立している様に見えても、両者間には、何ら本質的な差異は在りません。何故ならば、ネオコンが「愛国心や伝統」「国家統制」を説くのも、ネオリベが「経済活動の自由」「規制緩和」を説くのも、偏に現体制擁護が目的であり、もっと有体に言えば、現・資本主義体制下での搾取の旨味を手放すまいとする為のものに、他ならないのですから。そういう意味では、両者は共に「合わせ鏡」「コインの裏表」の関係にあるのです。

 それは、彼らが言う「国益」とか「自由化・民営化」とかいう言葉が、誰の利益を守るものであるのかを考えれば、直ぐに分かります。トヨタやキャノンの私益にしか過ぎないものを、「国益」と言いくるめているだけであり、トヨタやキャノンの「搾取の自由」だけを守るのが、「自由化・民営化」というものの正体なのですから。
 ネオコン安倍政権時代の教育再生会議が、戦後民主教育を敵視し教育基本法を改悪する一方で、全国一斉学力テストや教育バウチャー制度を導入し、受験競争や教育格差を煽ったのも、ネオリベ首相の小泉やネオリベ知事の橋下徹が、靖国公式参拝や「日の丸・君が代」強制を肯定しているのも、これで全て説明がつきます。
 
 格差・貧困の問題でも、ネオリベの財部誠一と、ネオコンの長谷川慶太郎が、ともに「派遣切り」を擁護しているのが、その何よりの証左です。彼らも、世論の手前があるので、一応は「セーフティ・ネットの充実」を言いますが、それはあくまでも「トヨタやキャノンによる搾取の自由」を損なわない範囲で、という事にしか過ぎません。そんなものは、只の口先だけの枕詞にしか過ぎません。
 そして、その次に出てくる本音が、この間の世界恐慌を、恰も自然災害か何かであるかのように言い募り、やれ「派遣切りも経営判断の一つにしか過ぎない」だの、「内部留保を吐き出してしまえば企業は倒産する」だの、「経営者の努力・真意を理解しろ、経営者をもっと尊敬しろ」だののオンパレードなのですから、何をか況やです。もう、「そんな八つ当たりみたいな事しか言えないのかよ」と、哀れみすら感じます。

・財部誠一「派遣切り批判をあえて批判する」(日経PBnet)
 http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20081212/119407/
・長谷川慶太郎「派遣切りは悪なのか」(月刊WiLL)
 http://www.zassi.net/mag_index.php?id=228

 しかし、そもそも今回の世界恐慌を招いたのは、誰の責任なのですか。サブプライム問題一つとっても分かる様に、全ては、米国などのハゲタカ・ファンドや金融資本が、博打みたいな経営に走って、世界経済に穴を開けたが為に、起こった事でしょうか。その責任だけを労働者や消費者に転嫁して、経営者や株主はノウノウと今でも高額の報酬や配当を手にしているではないですか。
 そして、偽装請負・二重派遣や、クーリング期間の悪用による規制逃れや、派遣寮の割高な寮費や、備品リース代名目のピンハネなどの、「違法・脱法・人権侵害」行為によって、派遣労働者を散々食い物にしてきた事については、一切だんまりを決め込んでいるではないですか。
 その挙句の果てに、企業の内部留保の僅か数パーセントを、従業員の雇用・福祉に回すだけで、今の「派遣切り」は避ける事が出来るのに、「そんな事をすれば企業倒産続出」みたいな脅し文句で、「派遣切りは悪なのか」と居直っているのですから、大したものです。

 これが、ネオコンとネオリベの正体です。こんな「どちらも悪でしかない」ものに対して、「どちらがより悪く、どちらがよりマシか」などという、自作自演のマッチポンプに乗せられて、騙されていてはダメです。内閣支持率一桁台にまで追い詰められた麻生・自公政権ですが、その裏では、渡辺喜美や、「せんたく」、橋下徹、東国原英夫、石原慎太郎などの「ネオコン・ネオリベ別働隊」が、「隙在らば」とうごめいていますので、油断大敵です。
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長い雌伏の時を経て今また蘇るチェ・ゲバラ

2009年02月11日 23時51分31秒 | 映画・文化批評
   

 今、日本では、この「派遣切り」の時代に、プロレタリア小説の「蟹工船」が新たな脚光を浴びていますが、世界に目を転じても、キューバ革命の英雄「チェ・ゲバラ」が、息の長い人気を保っています。
 実際、チェ・ゲバラほど魅力的な革命家は、世界広しと言えども、他にはそういないのではないでしょうか。Tシャツのデザインとして世界で一番使われてきたキャラクターだと言うのも、なるほどと頷けます。
 彫りの深い顔立ちにベレー帽という出で立ちのイケメンの口から、「世界の何処のどんな不正に対しても悲しむ事の出来る人であれ」とか、「世界の名も無き貧しい国の人たちが私の救いを待っている、さらばだフェデル!」とか、「私は空想家の理想主義者だと?その通りさ」とか、「愛の無い革命など在り得ない」とかいう趣旨の言葉を聞かされたら、そりゃあ私でも痺れますもの。顔面神経痛みたいな顔して、いちいち人の神経を逆撫でする様な事しか言えない、どこかの国のアホー首相とは、もう月とスッポンで。

 こういう伝説の人物については、もっとよく知りたいと思っていたのに、この1月に大阪・南森町で開催されていたゲバラ写真展にも行きそびれた中で、劇場公開されたチェ・ゲバラ伝の映画二部作「28歳の革命」「39歳 別れの手紙」を、数日かけて、やっと見てきました。
 私がこの映画を見ようと思った動機は、やはり今の「派遣切り」のご時世に、映画「蟹工船」や「フツーの仕事がしたい」を見たいと思った時と同様に、勇気付けられたかったというのが、まずあります。そして、その次にあったのが、「キューバで成就した革命が、何故コンゴやボリビアでは失敗に終わったのか」という問題意識です。ボリビアについては、今でこそ、反グローバリズムの旗手エボ・モラレス政権誕生という形で、ゲバラの夢がようやく実現しつつありますが、「それでもゲバラの決起失敗から40年という年月を経なければならなかったのは、一体何故なのか?」という疑問に対して、一定の答えを見出したかったというのがあります。

 それで、映画を見た感想ですが、オムニバス形式で構成されていた事もあって、ゲバラの伝記に必ずしも精通しているとは言えない私にとっては、少々話の展開が分かりづらかったのが難点でした。ゲバラやカストロ、キューバ革命に関する最低限の予備知識については、私にも一定程度の持ち合わせがあるので、「28歳~」と「39歳~」を通した話のあらすじは理解できるのですが。しかし、もっと個別の、カミーロやモンヘといった登場人物の役柄が、はっきりと分からないまま、どんどん話が進んでいくので、分からない部分については、自分の予備知識を元に、自己流に話を繋ぎ合わせていかなければならなかったので、それが少し、まあ、しんどかったと言えばしんどかったです。

 確かに、ゲバラやカストロの人となりも、キューバやボリビアの革命も、一癖も二癖もある、ドロドロとした代物で、到底一言では言い表せないものです。
 青年時代にふらりと南米縦断の旅に出て、しかも只のお気楽一人旅に非ず、地主や資本家に搾取される原住民の暮らしぶりを見て、革命への情熱をもらし続ける所が、まず凡人離れしています。
 そして、数年後にキューバの革命家カストロと出会う事になり、殆ど思い付きとしか思えないやり方で、12人乗りのヨット「グランマ号」に82人も乗り込み、案の定、政府軍の待ち伏せ攻撃に遭ってコテンパンにやられたのに、「12人も生き残った、これで革命は成就したも同然だ」との給うカストロ。ゲバラも流石にこれには、「カストロがとうとう発狂したか」と思ったそうですが、実際それで成就してしまうのが、面白い所で。そしてゲバラも、一ゲリラ兵士から次第に頭角を現し、司令官に、革命後は工業大臣にまで上り詰める。また、女性ゲリラ兵士のアレイダと出会い、彼女と再婚する事になる。ここまでが第一作「28歳の革命」のあらすじ。

 しかし、その後は、米国による経済封鎖の下で、元々は共産主義者ではなく純粋な民族主義者にしか過ぎなかったカストロが、次第にソ連依存を深めていったのに対して、ゲバラはあくまで革命の理想を追求しようとする。ゲバラは、ソ連やカストロ政権とも次第に距離を置き、最後には「同志フェデル(カストロ)はキューバで指導者として頑張れ、私はより貧しい他国の人々を解放する為に、役職も地位も家族も国籍も投げ打って旅に出る」という意味の置手紙を残して、世界革命を夢見て、単身コンゴに、次いでボリビアに旅立ってしまう。しかし、そこではキューバの様には上手くいかず、最後にはゲバラは、政府軍に捕まり殺されてしまう。これが第二作の「39歳 別れの手紙」。

 何故そうなってしまったのか。この命題については、私もあれから色々調べましたが、未だに確固とした結論を見出すには至っていません。だから、今から書く事は、あくまでも現時点での私の仮説にしか過ぎません。それを踏まえた上で、敢えて言わせて貰うならば、やはり「革命の輸出」というものの限界に行き当たってしまいます。

 キューバでの勝利とボリビアでの敗北を分けたもの。それは一つには、ボリビアの場合は、革命根拠地の設定に無理があったのではないか、という気がします。
 「グランマ号」が上陸したキューバ東部のオリエンテ州は、19世紀の独立戦争以来、革命運動発祥の地としての歴史を有する、政治的先進地域でもありました。カストロがオリエンテのシエラ・マエストラ山中に革命根拠地を作ったのも、単にゲリラ戦に有利な山岳地帯だったからだけでなく、当地のこの様な地域性も計算に入れての事だったのではないでしょうか。
 それに引き換え、ボリビアでは、東部低地の熱帯雨林地帯に革命根拠地を設定しました。これも、多分ゲリラ戦遂行上の地の利を考慮に入れての事だったと思いますが、当該地域は、政治的には必ずしも先進的とは言えず、大農場主や外国資本による寡頭支配が根を張った、寧ろ政治的には遅れた地域だった筈です。現に、当地は現在も、エボ・モラレスの革新政府に抵抗する新自由主義者の一大牙城となっています。本当に革命を志向するのであれば、当時既に鉱山労組が一定の力を保持していたアンデス高地で、まず革命の烽火を上げるべきではなかったのかと、思うのですが。

 勝敗を分けた第二の理由は、キューバとボリビアの政治情勢の違いを、全く考慮に入れていなかったからではないでしょうか。
 片やキューバの場合は、事実上の米国の属領として、傀儡政権の支配下にあったとは言え、かなり強力な左翼(人民社会党)系の労働・農民運動や、反バチスタの有力なブルジョア野党(真正党)も存在していました。但し、時としてバチスタ傀儡政権とも野合する、多分に限界を抱えた「左翼」であり「野党」でしたが。しかし、それでも、左翼や野党に組織された農民・労働者が多数存在していた点は、革命運動にとっても有利に作用した筈です。後はカストロたちが、「ダラ幹なぞ見限って、俺について来い!」と呼びかければ、それで良いのですから。
 ところが、ボリビアの方はと言うと、そこまで政治的に機が熟していたとは、言えなかったのではないでしょうか。東部低地の先住民は、長年に渡って政治の埒外に放置され、アンデス高地の鉱山労働者も、親米軍事独裁政権によって徹底的に弾圧されていました。軍事政権は、米国の支援の下、ゲリラ戦対策に本格的に乗り出してきます。まず、ゲリラ地域を分割・封鎖し、威圧・懐柔策を弄して、先住民をゲリラから引き離しにかかります。その結果、ゲリラは次第に孤立していきます。

 最後に、第三の理由ですが、キューバの場合は、亡命先にあっても、革命を遂行主体は、あくまで自国人が中心でした。純粋な外国人は、アルゼンチン生まれのゲバラだけだったのではないでしょうか。それに引き換え、ボリビアの場合は、革命ゲリラの主体は、殆どが外国人だったのでは。だから、第一・第二の理由に挙げた様な誤りも、起こったのではないでしょうか。つまり、革命の敗因は、「余りにも外人部隊頼みの革命だったからではなかったのか」という事です。

 どうも、私の世代は、それより前の全共闘世代とは違って、ゲリラ戦とか解放戦争というものに対して、必ずしも手放しで賞賛出来ない所がある様です。ベトナム・モザンビーク・エリトリアなどの民族解放闘争にノスタルジアを抱く一方で、連合赤軍やポルポトの蛮行も同時に目の当たりにしてきた為に、革命の理想に憧憬を抱く一方で、どこか斜めに構えて見てしまう部分もあります。

 しかし、たとえ、そういう「光と影」の部分があったとしても、ゲバラの価値は、聊かも失われる事はないと、私は今でも思っています。それは、当のゲバラ自身が、最後まで「真の自由人」としての生き方を全うしたからに、他なりません。
 それは、ふらりと放浪の旅に出ながら、単なる物見遊山や漂泊に止まらず、旅先での搾取の現実もきちんと見据えていた事や、米国の帝国主義のみならず、ソ連の官僚主義・大国主義にも批判的なまなざしを持ち合わせていた事、来日時にもお忍びで広島を訪れ、原爆の惨禍を学び取ろうとしていた事、そして何よりも、それまで獲得した革命指導者としての地位や名誉を、自ら放棄し、「本気で世界を変えようとした」事などの、ゲバラの足跡を見れば、一目瞭然です。

 確かに、それらの一つ一つの行為については、中には今から見れば、「向こう見ず」の謗りを免れないものも、多々あります。しかし、それもあくまでも「短期的に見れば」であって、長期的に数十年のスパンで見れば、ゲバラの夢(それはまた同時に、エミリアーノ・サパタや、セサル・サンディーノの夢でもあった)は、チャべスやルラ、オルテガ、モラレスなどに、継承されているのは確かなのですから。
 ゲバラの主張を、一言で言えば、「どんな貧しい小国の人民にも、自由・平等・幸福追求の権利がある。たとえ相手が米国やソ連であっても、それを踏みにじる事は許されない」という事です。最後まで、その理想を貫いたからこそ、「ベルリンの壁」崩壊以降も、人気が途絶えなかったのです。そうして、この「派遣切り」の時代に、「蟹工船」と同様に、また新たに蘇ったのです。

【参考記事】

・映画『CHEチェ 28歳の革命 | 39歳 別れの手紙』公式サイト
 http://che.gyao.jp/
・チェ・ゲバラ(ウィキペディア)
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%82%A7%E3%83%BB%E3%82%B2%E3%83%90%E3%83%A9
・映画「モーターサイクル・ダイアリー」(法学館憲法研究所)
 http://www.jicl.jp/now/cinema/backnumber/1004.html
・キューバ革命史
 http://www10.plala.or.jp/shosuzki/history/cuba/contents.htm
・ボリビア年表 その1
 http://www10.plala.or.jp/shosuzki/chronology/andes/bolivia1.htm
・ボリビア年表 その2
 http://www10.plala.or.jp/shosuzki/chronology/andes/bolivia2.htm
・あの人の人生を知ろう~チェ・ゲバラ
 http://kajipon.sakura.ne.jp/kt/guevara.html
・革命家・チェゲバラ再考(青山貞一)
 http://eritokyo.jp/independent/aoyama-col13905.htm
・へタレ論 チェ・ゲバラ
 http://homepage2.nifty.com/GAKUS/hetareron/che.html
・映画ゲバラ二部作(1)(OKI LatinReport)
 http://okifumi.cocolog-wbs.com/blog/2009/01/post-7d20.html
・映画ゲバラ二部作(2)(同上)
 http://okifumi.cocolog-wbs.com/blog/2009/02/post-c688.html
・ 亀井静香とチェ・ゲバラ(代替案)
 http://blog.goo.ne.jp/reforestation/e/739472309fb34190d4e7768d8e002ba6
・バジェグランデ〜チェ・ゲバラゆかりの地〜(ボリビア日系協会連合会)
 http://www.fenaboja.com/bo_che_guevara/vallegrande.html
・ゲバラとともに散った日系人(橿原日記)
 http://www.bell.jp/pancho/k_diary-2/2008_12_27.htm
・死せるゲバラは、生きているゲバラより恐ろしい!
 http://www.isc.meiji.ac.jp/~nomad/koshikawa/kwork/guevara.html
・2月8日放送ETV特集「キューバ革命 50年の現実」(NHK)
 http://www.nhk.or.jp/etv21c/backnum/index.html
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なにわB級グルメ探訪13 風邪引きにも優しい「りくろーのチーズケーキ」

2009年02月05日 22時52分59秒 | なにわB級グルメ探訪

  

 まず、本題に入る前に前置きですが、実は風邪がなかなか治りません。引き始めてから、もうかれこれ3週間になろうというのに。既に2回も医者に通って、もらった薬も飲んでいるのですが、徐々に病状が治まりつつあるものの、未だに時々咳がぶり返します。こんなにしつこい風邪引きは初めてです。
 それでも、病状は咳・痰ぐらいで熱もないので、ずっとバイトは休まず出勤していますが、余り気持ちが良いものではありません。作業服のポケットには、ティッシュとのど飴を絶えず携帯し、作業の合間に使用しています。それに加えて、イソジンも使っての「うがい励行」も、毎日欠かせません。

 おまけに、その間にはお袋までインフルエンザにかかってしまい、一時は家中てんやわんやの騒ぎとなりました。幸い、お袋のインフルエンザも、早めに病院に連れて行った甲斐あって、大事には至らず、今はもう快方に向かいましたが。
 この間、ブログ記事の出だしが「この前、この間、数日前」という言葉で始まっているのも、偏にその為です。勿論、それ以外に、生来の筆不精に因る所も少なくはないですが。大体、実際の出来事よりも、数日から一週間ぐらい遅れて、記事にするというのが、最近数日間のパターンです。そういう事で、時としてブログ更新の間隔が空く時もあろうかと思いますが、こちらもなるべく間を空けない様にしますので、どうかご了承の程を。

 そんな、お袋がインフルエンザで、食事も受け付けずに寝床に臥せっていた時にも、「これだけは食べれる、欲しいので買ってきて」と言われて、私が仕事帰りに買ってきたのが、「りくろーおじさんのチーズケーキ」。上の写真が、その買ってきた時の店の様子です。
 土・日・祝には店の前には買う人の大行列が出来るのですが、私が買った時は平日だったので、そんなに並ばずに、焼きたての方を買う事が出来ました。知らない人の為に説明しますと、りくろーおじさんのチーズケーキは、「焼き立て」と「焼いてから2~3時間経った分」の2種類を店頭で売っています。その2種類の中でも、とりわけ「焼き立て」の方は長蛇の列になるので、今まで私は「2~3時間経った分」しか買った事が無かったのです。

 病床のお袋も「食べたい」と言ったチーズケーキですが、何故そんなに人気があるのか。一見するだけでは、何の変哲も無い丸型チーズケーキですが、しっとりと落ち着いた甘さで、味が全然しつこく無いのです。おまけに、ケーキの底にあるレーズンも、これまた絶妙な美味しさで。
 写真は2枚とも難波本店のものですが、見て分かる様に、2階はカフェになっており、其処でも「りくろーのチーズケーキ」が、コーヒーとセットで食べれるのです。次の休みには、一度カフェでも食べて見よう。

・大阪銘菓「焼きたてチーズケーキ」・りくろーおじさんの店
 http://www.rikuro.co.jp/
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これでは「見守り隊」ならぬ只の「市民監視隊」だ

2009年02月04日 00時25分08秒 | 監視カメラよりも自由な社会に
 この前、元祖・猫カフェの喫茶店に立ち寄った時の事です。其処のお店のママが、地元で活動している「見守り隊」の所業について、大変怒っていました。
 「見守り隊」と言うのは、他にも「住民パトロール隊」とかの通称で呼ばれている、PTAや町内会などの地域住民有志で作られている防犯パトロール隊の事です。最近、スーパーの駐輪場などで、「見守り隊」などと書かれたステッカーを前カゴなどに張ってある自転車が止められているのを、時々目にする事が多くなりましたが、それがその「見守り隊」です。
 午前中に通学路に立って交通誘導をしたり、放課後は子どもに声をかける不審者がいないかどうか見回っている、そういう人たちの事です。警察庁のHPには、「自主防犯ボランティア」として、全国各地の事例が掲載されています。

 以上の知識はあるものの、「見守り隊」の実際の活動については、私もそれ以上の事は分からず、ただ漠然と「緑のおばさん」に近いイメージを持っていたのですが、猫カフェのママさんの話を聞くと、さに在らず。実際は、そんな牧歌的なものではない様です。
 くだんの喫茶店の前の道は、店の前が丁度交差点になっており、信号と横断歩道があります。其処は通学路にもなっており、毎朝「見守り隊」の人がお立ちになるのですが、ママが言うには、その態度が余りにも横柄なのです。

 曰く、交差点の角の縁すれすれに立って、我が物顔に其処を占拠し、通行人が通ろうとしても、決して自分からは避けない、との事。交通量もそこそこはある道なので、通行の邪魔になるからと、店の朝のモーニング・セットを食べに来た客が、見るに見かねて注意すると、逆に睨みつけられたり、とか。
 その所為で、客は険悪な表情で店に入ってくるわで、商売も上ったりで、「これでは営業妨害だわ」と、ママは相当お冠な口ぶりでした。
 実際、それで喫茶店の客とトラブルになり、近くの交番に通報された事もあるそうです。それで通報された警官こそ、いい迷惑です。一応駆けつけては来たものの、民事不介入の建前もあるので、「見守り隊」をなだめすかすのに苦労していたのだとか。

 私、その話を聞いて、「まるで警察官気取りで、戦前のオイコラ警官と全く同じ目線で活動している」「見守り隊と、名称こそソフトなものの、実際にやっている事はまるで市民監視そのものじゃないか」と思いました。
 そもそも、見守りや見回り、地域巡視は、一体何の為にするのでしょうか。「地域で困っている人は無いかどうかをこの目で見て、困っている人が在ればみんなで助ける」と言うのが、これらの活動の本来の姿ではないのでしょうか。それが相互扶助というものの、本来の在り方ではないでしょうか。そうすればこそ、独居老人の孤独死や生活困窮者の餓死といった事も無くなるでしょうし、オレオレ詐欺や訪問販売を装った悪徳セールスマンも撃退出来て、犯罪の抑止にも繋がろうというものを。

 ところが、話を聞いていると、そういう「民生委員」的な活動ではなく、逆に独居老人や生活困窮者を、取締り対象として囲い込んでいく様な、「自警団」的な活動に、ひたすらのめり込んでいっている様な気がしてなりません。そんな「不審者狩り」の行き着く先は、自分以外は誰も信じられず、互いに「隣の人は何する人ぞ」と疑心暗鬼ばかりが先走る、ギスギスした世の中ではないでしょうか。そこまで行くともう、もはや「地域社会」でも「市民社会」でもない、ただの「監視社会」でしかありません。

 しかも、そんな「自警団」活動に現を抜かしている町内会の実態たるや、古くからの保守系の有力者連中が、他に対抗馬が出てこないのをいい事に、選挙の洗礼も受けずにずっと世話役に居座ったまま、三桁を超える世帯から集めた年間3600円の町内会費を、自分たち取り巻きだけが参加する慰安旅行などの遊興費に費やしているだけだというのですから、開いた口が塞がりません。
 これでは、飲み食いに明け暮れている自分をさて置いて、「たらたら食って飲んでいる奴に何で俺の税金が使われなければならないのか」と言い放った、どこかの国のアホー首相と、全く同じではないですか。
 そんな金があるのなら、相互扶助の精神に則った「言葉通りの、本来の見守り隊」活動に、もっと注力すべきではないでしょうか。自分たちと言えども、いつ生活困窮に陥るかも知れないのですから。

 以下、数年前の新聞記事ですが、山陰中央新報というローカル紙から引用します。

>米国の郊外に多い「ゲーティッド・コミュニティー」と呼ばれる高級住宅街は、あらゆる「敵」を排除した究極の小社会だろう。そこでは、不審者の侵入を防ぐため外周を柵や塀で囲い込み、出入りの門には警備会社の警備員が不審者をチェックする。許可無き「よそ者」の入れない犯罪の無菌室のような街。だが、これが私たちの求める「安心なまち」なのだろうか。
>私たちは空気中に病原菌があるからとて呼吸をせずにはいられない。犯罪予防や捜査のために市民のプライバシーや通信の秘密の権利を犠牲にすることは、空気中から病原菌と一緒に酸素を取り除くようなものだ。犯罪の無菌室作りよりも、まずは病原菌への免疫力を高める方策を考えたい。犯罪増加の背景にある格差社会の是正は、この免疫力を高めることにつながる。
>この文脈では、暮らしの「安心」すなわち「健康で文化的な最低限度の生活」を保障した憲法二五条の描く「安心」こそが重視されるだろう。しかし現在の政治は、治安強化だけで「安心」を求める一方、社会保障費等の削減により実は「安心」を切り崩しているのである。('06/01/31付 「憲法から見た安全・安心(下) 監視社会より格差是正を」)
 http://albatross.soc.shimane-u.ac.jp/src/news/scs44.htm

 上記記事の趣旨が本当に活かせていたら、昨年の秋葉原無差別殺傷事件も、昨年末からの「派遣切り」被解雇者大量流出も、起きる可能性は大幅に減少していた事でしょう。たかが一ローカル紙のコラム記事ではありますが、犯罪容疑者本人やその家族へのバッシングばかりに終始し、犯罪の社会的背景については一切見ようとしない、右翼御用新聞・産経のイエローペーパー記事よりも、こちらの方がよっぽど読み応えがあります。
コメント (2)
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