アフガン・イラク・北朝鮮と日本

戦争も人権抑圧もNO!万国のプレカリアート団結せよ!

当ブログへようこそ

 アフガン・イラク戦争も金正日もNO!!搾取・抑圧のない世界を目指して、万国のプレカリアート団結せよ!

 これが、当ブログの主張です。
 詳しくは→こちらを参照の事。
 「プレカリアート」という言葉の意味は→こちらを参照。
 コメント・TB(トラックバック)については→こちらを参照。
 読んだ記事の中で気に入ったものがあれば→こちらをクリック。

お役所以上にお役所仕事な民間企業

2019年04月29日 12時32分25秒 | 職場人権レポートVol.3

 

私の勤め先は、大手スーパーの物流センター業務を請け負っている請負企業です。れっきとした民間企業ですが、実際は、お役所以上にお役所仕事しか出来ない会社です。何しろ、検品で使う個数表の運用すら、自社だけでは何一つ改善出来ないのですから。

先日も応援に出かけた惣菜部門の検品作業で、検品が終わった分から、個数表の出荷数の横にレ点でチェックを入れたら、早速クレームが付けられました。数字の横にレ点でチェックを入れるのではなく、出荷数を丸で囲むように注意されたのです(左上写真)。別にレ点であろうと、数字を丸囲みしようと、正確に検品できれば、どちらでも良いはずなのに。

むしろ、「作業のやり易さ」という点では、レ点で出荷数の横にチェックを入れる方が、いちいち数字を丸で囲むよりも、はるかにやり易いです。私が普段やっているように(右上写真)。丸囲みだと、個数表にびっしり並んだ数字を、ボールペンで丸囲みしていくうちに、どうしても数字に丸がかぶさり、数字が見にくくなってしまいます。しかし、横にレ点を入れるやり方だと、普通に書いている限り、数字にかぶる事はありません。それを惣菜の担当者に説明しましたが、先方は頑と言って聞きません。「そうするように上から言われている」の一点張りです。

しかも、それだけでなく、1店舗の出荷が2台以上にまたがる場合に、個数表の余白に記入する控えの数も、「10ケース満載の分しか書くな」と言って来ました。

例えば、A店の出荷数が17ケースだったとします。10ケース積み上がるたびに、商品は待機場に搬送されるので、仕分け場には残りの7ケースしか残りません。だから、私はそんな場合は、個数表の余白に「10、7」と控えておいて、後で個数表の出荷数「17」と照合するのです。その際は、控えの数も、出荷数のすぐ横に書くのではなく、その隣の店番・店名欄の間の余白に書くようにしています。そちらの方が余白スペースが広く、より多くの数字を控えておく事が出来るからです。

ところが、その惣菜担当者は、わずかな余白しかない出荷数のすぐ横に、満載10ケースの数のみ控えるように言って来ました。「それでは、残りの7ケースはどこに控えれば良いのか?」と私が聞くと、「そんな物控えなくて良い」と返されました。「検品する際に7ケースある事は当然確認しているから」だそうです。

これでは「だろう」運転と同じです。自動車を運転する際は、「誰も横から飛び出して来ないだろう」ではなく、「ひょっとしたら誰かが横から飛び出して来るかも知れない」と、細心の注意を払って運転するよう、教習所で習ったはずです。検品もそれと同じではないですか。

人間のする事だから、実際は1ケース不足で16ケースしか無かったとしても、つい惰性でうっかり17ケースあるものと見なしてしまう場合もあるでしょう。しかし、端数の6ケースを控えておれば、後で合算して個数表の出荷数と照合する際に、10+6=16ケースで、1ケース不足している事に気付きます。ところが、端数まできちんと控えていないと、もし不足入荷に気付かなかった場合、店から「1ケース足らない」と電話がかかってきても、正確な記録が残っていないので、どこで間違えたかも分からなくなってしまいます。

もし、検品時点で不足が見つかったとしても、次は、どこで余分に積んでしまったのか探さなくてはなりません。しかし、商品は、積み上がった分から、どんどん待機場に搬送されていきます。他の商品も次々に入荷して、どんどん仕分けしていかなければならないからです。検品も終わり、積み上がった商品を、いつまでも仕分け場に置いておく訳にはいきません。

そこで、ようやく積み間違えた商品を元に戻せたとします。端数も全て個数表の余白に控えていたら、戻した1ケースを合算して個数表の出荷数と照合すれば、それで一件落着です。しかし、満載の10ケースしか控えていないと、端数のケース数が一体いくらになるか分からず、合算して出荷数と照合もできません。端数の台車も、積み上がれば搬送されてしまい、仕分け場には別の商品しか残っていないからです。そうなると、また一から調べ直すか、うろ覚えで合算するしかありません。

こんな「だろう」作業で検品していたら、検品を間違わない方がむしろ不思議です。はっきり言って、たかが17ケースだけの出荷で、積み間違いもなかったから、こんな「だろう」検品でも仕事を何とか回していけるのです。これが数十や数百ケースもの出荷数になり、複数箇所で積み間違いが発生するような事になれば、もう対処できなくなるのは目に見えています。

そこで、この事を社員に相談したら、社員も惣菜担当者と同じ事を言って来ました。らちが明かず、所長に相談しても、答えは同じでした。しかし、所長に相談する事で、問題の背景がうっすらと浮かび上がって来ました。

私の会社は、某大手スーパーから物流センター業務を委託されている二次下請けの請負企業ですが、検品のやり方一つ、自社では改善できないのです。個数表の個数チェックで、横にレ点を入れるか、数字を丸で囲むか、控えの数を右の余白に控えるか、左の余白に控えるか。そんな事すら、いちいちスーパーや一次下請けにお伺い立てないと改善できないのです。

しかも、今回の場合、改善は望み薄なのだそうです。何故かと言うと、過去に決算棚卸しで、個数表検品のやり方が統一されていないと、監査法人からクレームが入った際に、現場の事をろくに知らないスーパーの担当者が、「チェックは数字を丸で囲む」「控えの数は出荷数のすぐ隣に満載の数のみ記入する」と、適当に決めてしまったからだそうです。「二次下請けに過ぎない我が社が、それを今更ひっくり返す事なぞ出来ない」のだそうです。

私は呆れて物も言えませんでした。誰が考えても、私のやり方の方が理にかなっているのに。そこで、「会社の恥部」を、企業名や店舗名の実名は伏せた上で、敢えてブログで公開し、一般読者の判断を仰ぐ事にしました。狭い社内の意見だけでは、「異常を異常とも気付かない」からです。一般読者の方は、果たして、これを読んでどう思われるでしょうか?

勿論、ブログだけで憂さを晴らして、それで終わりにするつもりはありません。今回の件は、会社にも正式に意見書として提出しています。下記写真が、その一部抜粋です。今日はシフト休みなので、明日出勤したら、また会社から何らかの返事があるでしょう。

先の大阪ダブル選挙でも、維新陣営は盛んに「大阪の成長を止めるな!」と宣伝していました。「都構想や民間活力の導入で、大阪経済を活性化するしかない!」と息巻いていました。昨今は、国鉄や郵便局、公立保育所や地下鉄だけでなく、水道事業も民営化して、旅館業も民泊でまかなおうと、公的部門の民間委託が進められています。確かに、公務員のお役所仕事は是正されるべきです。しかし、民間企業もピンキリです。

むしろ、日本の企業の多くは、普段は「官」の威光にすがり利権にたかりながら、社員リストラや労働条件の切り下げに、「民」の立場を都合よく利用してきたきらいすらあります。「労働基準法の規制を緩和する」という具合に。安倍政権の進める「働き方改革」や「外国人労働者の受け入れ拡大」なぞ、その最たるものではないですか。その行き着く先が、JR福知山線事故やNEXCO中日本の笹子トンネル崩落事故、格安深夜バスの過労運転事故でした。その挙句に、今や、日本語もまともに喋れない外国人労働者を、福島第一原発の廃炉作業に投入しようとしています。

私の会社の体質も、「現場の事を何も知らない管理職がのさばり」「細かな改善一つ自分達では何も出来ない」「奴隷のように、ただ上に従うしかない」という意味では、「お役所以上にお役所仕事な民間企業」と言えるのではないでしょうか。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

旧あいりんセンターに対する強制排除が行われた。

2019年04月24日 23時44分11秒 | 身辺雑記・ちょいまじ鉄ネタ

 

本日4月24日はシフト休みで、昼間は外出していて知らなかったのですが…。

ホテルに戻ってツイッターやニュースを観たら、今住んでるホテルと目と鼻の先にある、旧あいりんセンターに閉鎖後も立て籠もっていた移転反対派の活動家と労働者に対して、強制排除が行われたとの事でした。

既にブログにも書きましたが、あいりん総合センターは、現在の耐震基準を満たしていない為に、建て替え工事が行われています。新しいセンターが完成するまで、センターは南海の高架下に仮移転します。それに反対する一部の労働者や活動家が、センター閉鎖後も居座っていました。それに対する強制排除が本日行われたのです。

そう言うば、夕方ホテルに帰って来た時に、あいりんセンターの方から何やら騒いでいるのが聞こえて来ていました。私はてっきり、また例の稲垣が騒いでいるのかと思い、無視して通り過ぎたのですが。

ヤバイw!何とその今日に、それまで着ていた下着や靴下、Tシャツ類をホテルのコインランドリーで洗濯し、去年の釜ヶ崎夏祭りで買った写真の釜ヶ崎解放Tシャツに着替えたばかりなのです。

今まではこのTシャツのお陰で、胡散臭い共同浴場の入浴客とも、「おっ、そのTシャツカッコいいやんけ!」とお近づきになれたりして、このTシャツが潤滑油の役割を果たしてくれた事もありました。

しかし、今日の強制執行で、私までが移転反対の「過激派」と間違われてしまいかねない事になってしまいました。私は、新年の越冬祭りのイベントとして行われたセンター移転問題の学習会に少し参加した以外には、この問題には全然関わっていないのに。今日はもう共同浴場行くのよそうかとマジで思い始めました。

でも、やはり風呂に入らない訳には行かないので、ちょっぴり勇気を振り絞って共同浴場に入って来ました。他の入浴客からは別に何も言われませんでした。共同浴場のある屋上から旧あいりんセンターの方を眺めたら、強制排除中は封鎖されていた南海高架横の道路も、現在は封鎖が解かれ、人も車も普段通り通行していました。

尚、釜ヶ崎の活動家全てがセンターの移転に反対している訳ではありません。釜ヶ崎で野宿者支援の夏祭りや越冬祭りを中心になってやって来た釜日労(釜ヶ崎日雇い労働組合)は、条件付き移転容認派です。移転の必要は認めた上で、労働者の意見も行政に認めさせようという立場です。それに対して、移転絶対反対を今でも貫いているのが、今度の大阪市議選にも立候補した稲垣浩を中心とする釜合労(釜ヶ崎合同労働組合)です。

元は釜合同も釜日労も同じ組織(釜日労)でした。むしろ稲垣浩らのグループの方が本家本元でした。しかし、今から40年程前に、不正経理問題などがキッカケで、稲垣が釜日労から追い出されて釜合労を結成しました。そして今では釜日労が釜ヶ崎の運動を主導するようになりました。センター移転を巡る両者の対立も、その様な過去の経過が尾を引いているのではないかと推測しています。

しかし、その詳しい内容を知ろうとしても、釜合労は「センター潰すな勿体ない」と言うだけで、チラシ一つ撒こうともしません。公式HPも無く、拠点の釜ヶ崎解放会館も今や廃屋も同然。もう一方の釜日労も、こちらは公式HPもありますが、センター移転問題を巡っては、釜合労をツイッターで罵倒するばかり。これではセンター移転の是非を判断しようと思っても無理です。だから、私もこの問題からは距離を置いて来たのです。

 

私がセンター移転問題の学習会に参加する気になったのも、あくまでも、SHINGO★西成などのラップミュージシャンのコンサートを聴きに、釜ヶ崎の夏祭りや越冬祭りに参加する様になったのがキッカケです。

釜ヶ崎の夏祭りや越冬祭りのお陰で、私の様な者でも盆や正月を楽しむ事が出来るようになりました。出される露店の天ぷら、焼きそばや、炊き出しのカレーも、安価でボリュームがあり美味しいので、彼らに対しては感謝している労働者も多い筈です。文中では揶揄して「過激派」と書いたりもしましたが、私は彼らの野宿者支援活動については高く評価しています。私なんかには到底真似できない活動を、彼らは何十年も前から、曲がりなりにもやって来たのですから。

しかし、両者の罵倒の応酬を見ると、センター移転問題については今でも距離を置かざるを得ないと言うのが、正直な感想です。

(参考記事)

「あいりん総合センター」完全閉鎖 労働者らの抗議続く(NBSニュース)

大阪市西成区のあいりん地区のシンボル「あいりん総合センター」の閉鎖に反発し、一部の労働者が居座っていましたが、警察と行政が強制排除しました。

24日午後0時半ごろから、警察と行政の職員があいりん総合センターのシャッターを閉め、施設を完全に閉鎖しました。

約50年前、日雇い労働をあっせんする場として建てられた「あいりん総合センター」は耐震性の問題などから今年3月末で閉鎖される予定でしたが、これに反発する日雇い労働者らが居座りを続けていました。

シャッターは午後3時すぎに閉められましたが、閉鎖に反対する労働者らの抗議は(午後5時)現在も続いています。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

上から目線の話ばかりするな!

2019年04月18日 05時03分46秒 | 二大政党制よりも多党制

 

衆院大阪12区補選に野党統一候補として無所属で出馬した前共産党衆院議員・宮本岳志(たけし)の「本気度」を探るべく、昨日4月17日に実際に選挙区に行って観て来ました。(以下、文中敬称略)

衆院大阪12区は寝屋川・大東・四条畷の北河内3市で構成されます。ここは自民党衆院議員・北川知克の地盤でした。ところが、知克が昨年12月に死去した事に伴い、補欠選挙が行われる事になりました。投票日は統一地方選後半戦と同じ4月21日です。小選挙区なので当選できるのは1名だけです。

宮本岳志以外の候補者は3名。知克の甥で自民の北川晋平、維新の藤田文武、旧民主党系無所属の樽床伸二。いずれも地元出身者で、その点では落下傘候補の宮本よりも有利です。しかし、各候補の演説を動画で見る限り、とても私が支持できる内容ではありませんでした。

北川晋平は叔父の北川知克の弔い選挙で、叔父の地盤を引き継ぎ、本来なら選挙戦を有利に進められる筈でした。ところが蓋を開ければ、藤田に水を開けられ大苦戦。演説を聞いても叔父や家族の話ばかり。但し、最終日に安倍晋三が直々に応援に入る事で、どれだけ挽回できるか?

維新の藤田文武は、表向きは自民とガチンコ勝負を演じているが、憲法改正や万博・カジノ誘致については自民と同じ穴のムジナです。支持者の書き込みを見ても、「どちらが本気で憲法改正するか」みたいな投稿が目立つ。ベンチャー企業の経営者でもあり、自分を盛んに下町ロケットの主人公になぞらえているが、上から目線の話ばっかりで、社会的弱者からの視点は皆無。

旧民主党系無所属の樽床伸二は、「頑張る人が幸せになる社会を」と唱え、前二者よりは庶民目線が感じられるが、演説内容は空虚。そんな社会にする為には、高額な奨学金返済や待機児童、ブラック企業搾取の是正は避けて通れないはずだが、それに対する言及は一切無し。「正直者がバカを見る事の無い様に」と訴えるも、その最たる例であるモリカケ問題への言及も無し。

そして前共産党衆院議員で今回、野党統一候補として無所属で出馬する宮本岳志です。私は共産党支持者ですので、普通なら宮本岳志を応援すべきなのでしょう。しかし、同じ大阪でも南の岸和田出身で北河内には縁もゆかりもない宮本が、何故、既に決まっていた候補者を押しのけてまで、自分から立候補しようとしたのか?「議員の職を投げ打って背水の陣で臨む」と言えば聞こえは良いですが、これでは維新の松井・吉村のやり方と同じではないですか?

共産党は、それに対して「野党共闘候補として、有権者に選択肢を提供する為に臨む」と答えるのでしょう。でも、そんな理屈が通じるのは精々、共産党の支持者までです。支持者でもない一般有権者にとっては、単なる落下傘候補でしかありません。「覚悟を示す」と言うのであれば、統一地方選挙前半戦の和歌山県議選で、定数1の御坊市選挙区で自民党現職候補に競り勝った共産党の楠本文郎候補の様に、落下傘候補ではなく地元の候補者を擁立すべきだったのではないか?そこまでやってこそ、初めて一般有権者や保守層・自民党支持者からも支持を頂ける様になるのではないか?

どうしても、その思いが拭えませんでした。そこで、宮本岳志の「覚悟」がどれほど本物か?それを探るべく取材に出かけたのです。しかし、当日の詳しい選挙日程を明らかにしているのは宮本陣営のみ。後は夕方に自民参院議員の三原じゅん子が北川の応援に来る事が分かっているだけです。とりあえず、この宮本・北川の2人の候補者を追う事にします。

京阪寝屋川市駅には午前11時半頃に着きました。12時10分からの宮本岳志の街頭演説にはまだ間がありますが、既に宮本サポーターの人達が、黄色のヤッケを着て駅前でビラを撒いていました。その内の一人に、「なぜ落下傘候補でなく地元出身者を候補に出さなかったのか?勝つ為には何でもありと言うのでは、松井・吉村のやり方と何ら変わらないじゃないか」と、率直に疑問をぶつけてみました。それに対し、その方は「国政選挙なので地方選挙とは違う」と答えましたが、何か腑に落ちません。

やがて12時過ぎから寝屋川市駅東側の電通大行きバス停の前で、宮本岳志の街頭演説が始まりました。赤旗とMBSが取材に来ていましたが、立ち止まる聴衆は僅かです。黄色いヤッケを着た運動員の方が目立っています。

宮本岳志は演説の中で主に奨学金の問題を取り上げていました。曰く「私が和歌山大学に入学した1979年の学費は年18万、昔は更に安く年僅か1万2千円しか無かった。ところが今や国公立大学でも学費は50万以上かかる。私学に至っては100万以上も。奨学金も高い利子付きで返さなければならない。こんな物は学資ローンであって奨学金ではない。

ヨーロッパでは学費は全て無償だ。日本は1979年に国際人権規約を批准したが、そのA規約には高等教育の学費無償化が定められている。既に40年前に義務化されているのだ。その履行をずっとサボり続けながら、今頃になって学費無償化を憲法改正や自己責任論の正当化に利用するなぞ筋違いも甚だしい。無駄な安倍・麻生道路の建設や欠陥戦闘機F35の爆買いを止めれば、別に消費税10%に値上げや憲法改正なぞしなくても、学費無償化は実現できる」と訴えていました。

この宮本岳志ですが、自分の演説が終わった途端に歩き出し、全然一所(ひとところ)にじっとしていません。まだ応援弁士が喋っているのに、遥か向こうの方や反対側の歩道を練り歩く始末。その目立ちたがりな所や落ち着きの無さたるや、まるで私の職場の誰かさんにそっくりw。

演説は30分ほどで終わり、私は京阪寝屋川市駅前の図書館で時間を潰した後、隣駅の香里園駅まで電車で移動。17時からの香里園駅西口ロータリーでの宮本岳志の演説に臨みます。もう聞いた候補者の演説を何故2度も聞くのか?それは、ここには参院議員の山本太郎も宮本岳志の応援に来るからです。何故、宮本岳志が現職衆院議員の職を投げ打って、わざわざ無所属で出馬する気になったのか?その舞台裏が聞けるかも知れないと思ったからです。

しかし、西口ロータリーは、同時に行われる寝屋川市長選候補の演説に占拠され、宮本たけしの宣伝カーが入り込む余地はもはやありません。仕方なく東口で演説する事になった様です。ところが、飛び入り参加の私には、そんな情報は伝わらず、私は15分過ぎまで、その事に気が付きませんでした。

演説会場の変更に気付いた私が、ようやく東口に移動した時には、山本太郎の応援演説は既に佳境を迎えていました。山本太郎は「今年10月の消費税10%増税を食い止めよう」と話されていました。曰く「日本は20年以上も、世間に金が回らないデフレが続いている。これは先進国の中でも日本だけだ。美味いと評判のラーメン屋も消費税を価格に上乗せ出来ず、税金滞納で差し押さえの危機に瀕している。

ところが大企業は金余りで、総額400兆円もの内部留保を溜め込んでいる。税金は、金の無い所から無理やり取るのではなく、有る所から取れ。それを麻生財務相に言ったが、日本は資本主義なのでそんな事は出来ないと言われた。出来ない筈はない。消費税増税の度に引き下げられた法人税や所得税の税率を元に戻せば済む話じゃないか」。これには私も完全に同意。自民や維新の公認候補や、旧民主党系無所属の樽床伸二も、その肝心な事を言わずに、少子化などの抽象的な話に逃げ込み、社会保障などの制度の問題にすり替えているのです。

確かに今の社会保障制度にも問題はあります。少子化が続けば、若い世代だけで老後の福祉を支える事は出来なくなります。でも、少子化も勝手に進んだ訳ではありません。正社員を減らして低賃金で不安定な非正規雇用を増やしたからこそ、皆んな将来不安から子どもを産まなくなったのです。つまり、これは政治家の責任です。その責任の所在をはっきりさせず、全世代社会保障などの抽象的な制度論議ばかりされても、全然、国民の心には響きません。だから投票率が下がり、組織票だけで当選できる世襲候補や、知名度だけで当選できるタレント候補ばかりになるのです。金権・汚職や忖度(そんたく)・賄賂政治がはびこる事になるのです。

それを聞いて、やはり宮本岳志は、無くてはならない政治家だと思う様になりました。しかし、ここでも聴衆は精々50名ぐらい。場所変更で狭い場所で演説せざるを得なかった点を割り引いても、やはり活気にイマイチ欠けるというのが実感です。

この後、17時半から再び駅西口のロータリーで、自民党・北川陣営の演説も聞きましたが、全然心に響く物がありませんでした。同じ姓の寝屋川市長が「息子を宜しく」と言えば、自民党応援弁士の中山泰秀も「私も世襲議員だが世襲自体は悪くない。子は必ずしも親のコピーではない。親を乗り越えれば良いんだ」と居直り。親の七光りで最初から下駄を履かせてもらって、親を乗り越えるもクソもあるか。乗り越えられて当たり前じゃないか。下駄を履かせても乗り越えられないなら、単なる穀潰しに過ぎない。

続いて登壇した三原じゅん子も「何をするかではなく何が出来るかが大事だ」と。最初から全部出来る人間なぞ誰もいない。最初は誰もがほとんど失敗する。「失敗こそ成功の母」。それでも挑戦し続ける中で、徐々に「出来る」人間に成長して行くのだ。自民党もそれを「再チャレンジ」と言って推奨して来た筈だ。それを三原みたいに「最初から出来ないとダメ」なんて切り捨ててしまったら、新人は永遠に政治家にはなれない。新陳代謝も進まない。三原の言っている事は単なる世襲政治擁護、独裁政治擁護でしかない。

この後、候補者の北川晋平も演説しましたが、「亡くなった叔父の遺志を継がせて欲しい、私には若さがある」と、相変わらずお涙頂戴の内容に終始。お前の叔父の話なんかどうでも良い。我々はお前の叔父や家族の為に生きているのではない。しかし、そう思うのは私だけで、聴衆は次第に増えて来ました。最初こそ宮本陣営と変わらぬ50名ぐらいからスタートしたものの、三原じゅん子の客寄せ効果もあってか、北川晋平の演説が終わる頃には80名ぐらいに増えていました。

 

今日は宮本岳志、北川晋平の2人の候補者の演説しか聞けませんでしたが、他の藤田文武や樽床伸二も、社会保障制度などの一般論、抽象論に終始している点では、北川と同じです。後二者の演説もネット動画で、ある程度確認しました。

後の候補者は「反対ばかりでは何も出来ない」と言いますが、宮本岳志も決して反対ばかりしている訳ではありません。対案もちゃんと提示しています。この報告の中で述べた通り。

抽象的な話ばかりして、現実の庶民の苦境には何も答えない。あるいは、上から目線の話ばかり、経営者の苦労話ばかりに終始して。維新の藤田文武は、自分を下町ロケットの主人公になぞらえ、自民党の北川晋平を利権政治と攻撃していましたが、下町ロケットも所詮はベンチャー企業。ベンチャー企業の中にはブラック企業も少なくない。

こいつらの話は総じて「上から目線」。当人は一端の国士気取りなのでしょう。しかし、庶民の苦境に目を向け、民衆救済に立ち上がる。そんな百姓一揆の指導者みたいな人こそ、本当の国士ではないでしょうか?ところが、奨学金返済や消費税納税に苦しむ庶民の事なぞ眼中に無く、天下取りの話ばかりにうつつを抜かして。有権者はお前らの金ヅルや出世の道具ではない。

そんな政治ばかり続いて来たから、政治が面白くなくなり、庶民はますます投票に行かなくなるのです。それで更に世襲候補や金権・タレント候補ばかりがのさばる事になるのです。

そんな事は以前から分かっていましたが、昨日の北川陣営の演説を聞いて、更にその感を強くしました。そう思うと、宮本岳志が落下傘候補である事も大して気にはならなくなりました。世襲・金権候補と比べたら、まだ落下傘候補の方がナンボかマシです。しかし、これまでの世論調査の結果では、残念ながら当選可能性は一番低いのも事実です。後は「どこまで追い上げる事が出来るか?」にかかっています。

コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

定番のお花見スポット

2019年04月15日 10時58分17秒 | 当ブログと私の生い立ち

 

今年も、近くの天王寺公園や茶臼山、夕陽丘界隈にお花見に行って来ました。あいりん地区や新世界と言えば、とかく下町のイメージが強いですが、実は豊かな自然がすぐ近くにあります。あべのハルカスを間近に望む天王寺公園の芝生、通称「てんしば」は、既に多くの花見客で賑わっていました。私は「てんしば」も好きですが、それよりも、その隣にある茶臼山の方が、桜だけでなく池や山も楽しめ、落ち着いて桜を鑑賞できるので、むしろそちらの方が好きです。

茶臼山は標高たった26メートルの低山ですが、れっきとした山です。山頂には三角点が設置され、登山証明書も近くの一心寺で1部100円で売っています。以前は「茶臼山古墳」と呼ばれ、前方後円墳だと言われていましたが、最近では土木工事で出来た山ではないかという説が有力です。奈良時代に和気清麻呂が、当時は大阪城の方向に流れていた大和川を大阪湾に流しこもうとして、運河を掘り始めたものの、上町台地に阻まれて工事を放棄した跡だと言われています。山の西から南側に広がる河底池(ちゃぶいけ)も、その運河の跡だと言われています。河底池にかかる赤い橋の名前も、清麻呂の名前を取って和気橋と呼ばれています。

茶臼山は、古戦場としても知られています。1614年の大阪冬の陣では徳川家康、翌年の夏の陣では真田信繁(幸村)が本陣をここに置きました。山頂には幸村の偉業をたたえる案内板やのぼりが一杯立っています。山の周囲にも、安居天神などの幸村ゆかりの史跡がそこかしこに点在しています。あべのハルカスや通天閣をバックに、池の噴水や赤い橋と調和した桜が、ちょうど見頃を迎えていました。

 

 

続いて、茶臼山の隣にある一心寺に向かいました。一心寺は「骨仏寺」としても知られています。遺骨ならどんな宗派の無縁仏でも引き取り、それで阿弥陀如来像を造っています。その一心寺の前の坂は逢坂(おうさか)で、大阪(大坂)の地名の由来もここから来ています。一心寺の桜も今がちょうど見頃でした。

そこから更に足を延ばします。この辺一帯は「夕陽丘」と呼ばれ、台地の上から眺める夕陽がきれいです。上町台地の縁に当たり、歩くたびに坂とお寺に行き当たります。主な坂でも七つあり、俗に「天王寺七坂」と呼ばれ、有栖川有栖の小説「幻坂」の舞台にもなりました。北の生玉神社から南の一心寺に向かって、順に真言坂、源聖寺坂、口縄坂、愛染坂、清水坂、天神坂、逢坂の七つです。清水坂の近くには京都の清水寺を模した同じ名前の寺があり、境内には「玉出の滝」という「天然の滝」まであります。但し、実際は滝とは名ばかりの懸樋に過ぎませんが。

その天王寺七坂の一つ、口縄坂の善龍寺の前にはいつも数匹の猫がたむろしています。前述の小説「幻坂」にも、口縄坂の猫にまつわる怪異譚が出てきます。善龍寺の桜も見事でした。今年も猫と桜に癒されました。

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

覚悟の違いが票数に出た大阪ダブル選挙

2019年04月10日 22時21分04秒 | 反ハシズム・弱い者虐め

大阪府知事選挙の投票は腰痛治療のついでに実家のある高石まで行ってきて行いました。何故、地元の西成区ではなく高石市くんだりまで行って投票しなければならないかと言うと、訳あって住民票を実家の住所地に今でも置いているからです。そして、腰痛治療も実家時代からのつながりで、今でも実家近くの腕の確かな鍼灸院で隔週日曜ごとに診てもらっているからです。治療の帰りに投票所の小学校に行って、都構想反対を掲げる小西禎一(ただかず)候補に投票して来ました。なお、私は大阪市西成区には住んでいるだけで、住民票が無いので、大阪市長選挙の投票はできません。

投票所の小学校は私の母校でもあります。もう投票する時しか訪れる機会は無くなりました。母校の様子もすっかり変わってしまい、もう昔の面影はほとんどありません。それでもやはり、私の母校には変わりありません。母校では、裏門の横にある桜がちょうど見頃を迎えていました。

その大阪ダブル(クロス)選挙ですが、予想以上の大差で小西候補が負けてしまいました。大阪市長選挙の方も同じく大差で、都構想反対を掲げた柳本顕(あきら)候補が負けました。大阪府知事には前大阪市長の吉村洋文、大阪市長には前大阪府知事の松井一郎が当選し、議会選挙でも府議会は維新が過半数を取り戻しました。

今度の統一地方選挙でも都構想の是非が一大争点になりました。都構想の是非を問う住民投票を再び行うかどうかを巡り、都構想推進の松井・吉村コンビが、それぞれ大阪府知事と大阪市長の職を勝手に投げ出し、都構想という自分達の野望実現と任期延長だけの為に、互いに立候補先を入れ替えて(クロスして)再び出馬するという、党利党略に基づく選挙を強行しました。それに待ったをかけるべく、府知事選には小西氏、大阪市長選には前回と同じ柳本氏が、それぞれ出馬表明しました。

松井も吉村も現職の府知事と大阪市長ではありますが、支持しているのは維新一党のみです。それに対し、小西候補や柳本候補は、自民党だけでなく他の野党や労働組合もこぞって支持に回りました。各政党の基礎票だけで考えれば、小西・柳本両氏の方がはるかに有利です。ところが、ふたを開ければ、予想以上の大差で松井・吉村コンビが勝ってしまいました。

都構想だけでみれば、維新と自民は激しく対立していますが、その他の国政レベルの政策では、維新も自民も大差ありません。憲法改正や安保法制については両党とも推進の立場です。維新なぞは、むしろ自ら推進の鉄砲役を買って出ている有様です。その為、安倍首相も、表向きは自民党系の小西・柳本候補を応援していますが、本音では維新公認の松井・吉村コンビの方にむしろシンパシーを抱いていると言われて来ました。

だから、私も、自民党支持層のかなりの部分が、自分たちの党の候補ではなく維新候補に流れるだろうと思っていました。無党派層も、府知事選挙については、行政官としてのキャリアは抜群でも、政治的には無名の小西候補よりも、知名度に勝る現職知事の松井に流れると思っていました。しかし、大阪市長選挙については、柳本候補も市議としてのキャリアがあり、今までも都構想反対のリーダー役を務めてきたので、接戦か、ひょっとしたら今回は勝てるのではないかと思っていました。

ところが、出口調査の結果によると、自民党だけでなく野党支持層からも、少なく見積もっても3割以上が維新陣営に流れました。固い支持層を持つと今まで言われてきた公明党や共産党の支持層からも、3割ほどが維新候補に流れています。私もここまで票が目減りするとは思っていませんでした。

でも、よくよく考えると、こんな結果に終わるのも当然かも知れません。なるほど、維新以外の党は全て都構想反対を訴えていました。しかし、その訴え方たるや、もうバラバラでした。統一した選挙母体で都構想反対を訴えるのではなく、それぞれの党の名前で、てんでバラバラに都構想反対を訴えるだけだったのですから。そして、議員選挙では、候補者調整も行わないまま、それぞれ自分たちの党の宣伝だけに終始していました。

そして自民党の選挙戦術も、腰が定まっていませんでした。野党の前では「自分たちは大阪党だ。都構想反対の為に共に頑張ろう」と言いながら、支持者の前では「自分たちはあくまで自民党だ。共産党なぞは勝手に我々を応援しているだけで、むしろはた迷惑なくらいだ」と言っていたのですから、お話になりません。これでは、せっかく都構想反対の一点で、「たとえ自民党でも応援してやろう」と思っていた共産党支持者も、「こんな事言われるぐらいなら、棄権するか、むしろ維新に入れて自民党に一泡吹かしたい」と思う人が出ても不思議ではありません。それが、この出口調査の結果に表れたのです。

その良い例が大阪市議選西成選挙区の状況です。ここは定数4に対し9名が立候補していました。候補者の内訳は、維新が現職と新人の2名で、後は自民新人、公明新人、共産現職、諸派新人、立憲元職、無所属元職、無所属新人です。それで結果は、維新現職が1万票以上集めてダントツのトップ当選、後は公明新人が8千余票、自民新人が5千余票、維新新人も5千余票の順で当選が決まり、共産現職は3千余票で次点落選の憂き目を見てしまいました。ここで共産と立憲との間で候補者調整が行われていたら、立憲元職も3千余票集めているのですから、維新の新人を落として都構想反対派(自公共)が3議席確保できたはずです。

何故こんな事になるのか?一つには、自民党の腰が定まっていない事が原因です。せっかく都構想反対で足並みをそろえながら、支持者に良い顔をしたい為に、まるで「都構想に反対しているのは自分達だけだ」と言わんばかりの態度を取り、「他党の応援なぞ有難迷惑だ」と切って捨てるような態度を取っているのですから。これでは、せっかく「応援してやろう」と思っても、「そんな事言うなら、もう自分達だけで勝手にやれ」となるのは当然でしょう。自分達だけで都構想を阻止できるなら、それでも良いでしょう。ところが、実際は自分達だけでは自党の候補者1人当選させるだけで精一杯。そんな事だから、幹事長も落としてしまうのです。

もう一つは、野党のふがいなさです。都構想反対の候補者選びも自民党任せで、自分達は何もしようとしなかった。常に自民の返事待ちで、自民党が決めた候補者にただ乗りするばかり。これでは、いくら「都構想反対に大義あり」と言われても、一般の有権者からすれば野合にしか見えません。「何だ、国政でいくら自民党を批判しても、肝心な時には自民党がいなければ何もできないのかよ」と思われるだけです。

私は何も「自民党を排除せよ」と言っているのではありません。たとえ国政では対立していても、地方政治では一致する政策実現の為に協力しあうのは当然です。しかし、それには前提があります。①共通の政策、②共同歩調、③団結の意志。この3つは最低いるでしょう。たとえ、共通の政策があっても、団結する意志がなければ共同歩調も取れません。いくら「協力します」と表では言っていても、裏で「あいつらは信用できない」と言っているようでは、団結なんて無理です。

今や、大阪府議会(定数88)では、維新51議席に対して、自民は公明と同数の15議席。他の野党はもっと酷くて共産2議席、立憲民主1議席のみ。大阪市議会(今回より定数86→83に削減)でも、維新40議席に対し、自民は公明にも後れを取り17議席と第三党に転落。他は共産4議席のみ。もはや、大阪では自民党なんて、かつての社会党ぐらいの力しかないのです。共産党は更に酷くて、もう諸派と同じ扱いです。他の野党は議席すら取れずにいます。いくら力を合わせても過半数も取れないのです。そんな中で、呉越同舟・疑心暗鬼で、足の引っ張り合いばかりしていて一体どうするのですか?自民党も、共産党も、他の野党も、本気で都構想を阻止する気があるのか?

これでは、いくら都構想反対で大同団結しようと訴えても、誰も付いて来ません。この後も、自民党議員の死去に伴い、衆院大阪12区で補欠選挙が行われます。ここでも大阪ダブル選の二の舞になるのではないかと私は危惧しています。今回、共産党の宮本岳志(たけし)氏が、衆院議員の職を辞して、無所属の野党統一候補として出馬表明されました。しかし、この人、もともと生まれも育ちも岸和田でしょう。それで地元・岸和田の大阪18区から野党統一候補として出馬するなら分かります。しかし、それまで縁もゆかりもなかった北河内の衆院12区に、既に候補者も決まっていたのに、何故その人を押しのけてまで出るのですか?勝てるかどうかだけで出るというのでは、松井・吉村のやっている事と一体どこが違うのか。

今回、和歌山県御坊市の県議選で、定数1の選挙区で、共産党の新人が自民党の現職に勝ったという事で話題になっています。実は、私も今年2月に御坊市を訪れ、その共産党新人の活発な活動ぶりに驚かされました。ちょうどその時は、たまたま鉄道ファンとして紀州鉄道の写真を撮りに来ただけだったのですが、沿線を歩いているうちに、共産党のポスターが、自民党現職候補のポスターと掲示枚数を互角に競り合っている事に気付きました。私のような一見の観光客にも、「保守王国で、しかも二階俊博・自民党幹事長のおひざ元にも関わらず、共産党、意外と頑張っているやん!」と言うのが、ひしひしと伝わって来たのを覚えています。

その新人当選のニュースを聞いた時に、私は驚くと同時に、「ああ、だから通ったのだ!」と思いました。相手の自民党候補は確かに8選のベテランですが、そのうち7選は無投票当選で、実際に選挙を戦ったのは1度だけ。しかも、市長選挙で保守分裂の片棒を担いだ事で、他の保守政治家との折り合いも悪い。人望もなく、ただの二階の腰ぎんちゃくでしかない人物でした。それに対し、共産党の新人は、県議候補としては新人でも、市議としては8選のベテランでした。地元の区長も務め、人望もある。前回の衆院選にも出て、御坊市内では二階幹事長の7千票に対し5千票にまで詰め寄っています。

だから、保守県で定数1の選挙区でも、自民党の現職に勝てたのです。その共産党新人の方も、「定数1の御坊から出たのでは、さすがに当選は難しいから、隣の定数3の選挙区から出たらどうか?」と、支持者からアドバイスされたそうです。しかし「私は生まれも育ちも御坊で、御坊に骨をうずめる覚悟で選挙を戦っている」と言って、その支持者の申し出を断ったそうです。ここまで本気だったからこそ、自民党や保守の人にも支持を広げる事が出来たのです。小西氏や柳本氏、宮本氏、自民党や共産党、他の野党の関係者に、ここまでの覚悟があるのかどうか?もしあるなら勝てるかも知れません。しかし、無ければ、この先も当選は難しいでしょう。

(参考記事)

二階氏の地元で自民現職敗北 共産新顔に 和歌山県議選(朝日新聞)

和歌山県議選の御坊市選挙区(定数1)で、共産新顔で元市議の楠本文郎氏(64)が自民現職の中村裕一氏(59)を破り、初当選を果たした。当選の知らせが入ると、事務所は大きな歓声と拍手に包まれた。

楠本氏は「市民が政治の主人公なんや。それを取り戻そらよ、と言ってきた。その答えをいただいた」と力を込めた。「共産党支持ではない人からも応援をいただいた。その声を必ず生かしていく」と語った。

中村氏は、3年前の市長選で現職の対立候補を応援したことで市長派とあつれきが生まれ、保守層をまとめきれず、自民党幹事長の二階俊博氏のおひざ元で議席を失った。「これが市民の皆さんのご判断だと思っております。本当に申し訳ありませんでした」と目を伏せた。

橋下徹”なぜ大阪維新はこんなに強いのか” 吉村・松井がクロス選を決断した夜(プレジデントオンライン)

(前略)

投開票日の4月7日の数日前、大阪維新の会の選挙対策本部長・今井豊は、独特の泉州弁で、維新の会のメンバーに大号令をかけた。

「よっしゃ! 都島(大阪市都島区)の花谷(はなや)(注:花谷充愉・自民党府議団幹事長)を、いてもうたらんかい! 国会議員とその秘書、無投票で当選した府議、それに情勢調査で当確(当選確実)の府議らは、都島に入ったれ!」

いてもうたらんかい! とは、いってまえ! やってまえ! というニュアンスである。それでも大阪以外のみなさんには分かりにくいかもしれない。やっつけてしまえ! という感じか。

この今井の風貌はいかにもの大阪泉州のおっちゃんである。メガネの奥の眼は優しく笑っているが、62歳とは思えない、顔の張りと色艶である。エネルギーが漲っている。100%の泉州弁でとにかく話が面白く人間関係を大切にするが、自分だけ走り過ぎて周囲がついていけないという事態も多々生じる。

(略)

こんな花谷が、今回の府議会議員選挙戦では苦戦している。公明党は全力をあげて花谷を応援しているが、有権者の維新支持のベクトルに勢いがある。今井は、このベクトルを的確に掴み、そして組織的な大号令をかけた。大阪維新の会は、この今井の大号令によって一気に動く。国会議員やその秘書、その他手の空いている維新メンバーや関係者が続々と都島区に入る。そして、全員一丸となった街頭演説を繰り広げる。

花谷は焦りに焦りまくる。

(略)

4月7日の投開票日。花谷落選。

花谷は民意を侮った。自分が活動する府庁舎・府議会、そしてお付き合いしている支援者の間という狭い狭い世界の中で、自分の感覚こそが絶対的に正しいと錯覚してしまった。しかし大阪の有権者は花谷の態度振る舞いにノーを突き付けたのだ。

話し合いがどうしてもつかなければ、相手をこのように選挙で落選させて、物事を進めていく。これが選挙であり、政治である。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ベトナム人雇用に関する改善要求書

2019年04月03日 21時17分42秒 | 職場人権レポートVol.3

 

会社HPへの意見投稿第1弾(雇用契約書の日付記入を元号だけでなく西暦でも出来るようにしろ!)に続き、
第2弾(社員の癖にベトナム人教育係の仕事をバイトの私ばかりに押し付けるな!)も連続投稿。
プレカリアートの春闘は新元号祝賀強要攻撃も跳ね返す!

ベトナム人雇用に関する改善要求書

社員が今まで散々、ベトナム人留学生バイトを甘やかして来た為に、女子は10キロ未満の白菜や大根のケースも仕分けしようとしなくなりました。男子もそんな女子に加勢するばかりです。その癖、重量物が多いカゴ車仕分けよりは軽量物が多いPC仕分け作業場に、6人も7人も殺到する有様です。

そんな横着なベトナム人の仕事ぶりを後目(しりめ)に、社員は日々の業務に埋没し、バイト指導をベトナム人教育係の私やベトナム人のバイトチーフに丸投げして来ました。農産庫横のトイレに書かれたベトナム語の落書きも、昨年末に私が発見して社員に通報したにもかかわらず、誰も消そうとしませんでした。お陰で、最初は1ヶ所だけだった落書きも3ヶ所にまで広がってしまいました。その挙句に、2ヶ月も経ってから落書きを消してベトナム語の警告表示を貼りだしたのも、社員ではなくバイトの私でした。

これではもうバカらしくてベトナム人教育係の仕事をする気になりません。社員として一体どう考えているのか?以下の質問・要求に対する回答を求めます。

①ベトナム人バイトを甘やかして来た事について一体どう思っているのか?

②何故トイレの落書きをすぐに消そうとしなかったのか?

③落書き防止と個別指導に生かす為に、農産庫横のトイレ出入口に監視カメラを設置して下さい。

④前項の目的に加え、社員に管理者としての自覚を持たせる為にも、毎日、社員に農産庫横のトイレの巡視点検をさせて下さい。

⑤仕分けしか出来ない癖に、我儘(わがまま)ばかり言われても困ります。仕分けだけでなく、ドーリー・カゴ車セットやラベル補充等の準備作業についても、ベトナム人バイトだけで行える様に、勤務シフトも含めて見直して下さい。

⑥今の留学生の大半は出稼ぎ目的の「名ばかり留学生」です。幾ら日本語学校に通っていてもバイト優先で学業はそっちのけです。そんな留学生相手に、教育係の私にベトナム語の講習も受けさせないまま、業務を丸投げされても困ります。折角導入されたポケトーク(携帯翻訳機)も、操作に手が取られる上に誤訳も多く、使い物になりません。ベトナム人の日本語教育と私のベトナム語習得に、会社としてどう責任を持つのか明らかにして下さい。

コメント (1)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ドレイ元年」の使用を強制するな

2019年04月02日 04時54分32秒 | 職場人権レポートVol.3

 

新元号は令和に決まりましたが、私は絶対に使いたくありません。今までもプライベートでは西暦を使用して来ましたが、令和への改元を機に、雇用契約書の日付も元号だけでなく西暦も記入できるように、書式の変更をお願いします。

その理由は以下の5点です。①一世一元制など天皇中心の価値観に立つ元号は、今の国民主権、民主主義の価値観とは相容れない。②履歴書を書く際に、改元の度に年度を確認しなければならず、非常に使い勝手が悪い。③特に今回の様に、年度の途中で改元が行われる場合は、決算書の作成にも支障が出る。④これからは経済の国際化と人手不足に対応する為に、外国人も働いてもらわなければならないのに、日本でしか通じない元号にいつまでも固執するのは不合理。⑤請負企業の我が社は業務発注元には頭が上がらないが、その守りの姿勢が、時として社員の自発性や創意工夫の芽を摘み取って来た。元号固執の慣習を改める事で、その悪弊を改める一つのきっかけになるかも知れない。

新元号の令和は「命令に和する」と書きます。「何でも上の命令に従えば丸く収まる」と言われているみたいで、何だか嫌な感じがしました。その後に、令和の令は命令ではなく、貴族が宴で梅を鑑賞する際に詠んだ「令月(めでたい月)に風和む」という万葉集の一節に因む事が分かりましたが、これも一体何がめでたいのか?一向に分かりません。

オリンピック・万博開催を控え、マスコミは盛んに祝賀ムードを演出しています。しかし、目を地方に転ずれば、福島では原発事故の影響で故郷に帰れない人が今も大勢います。沖縄の辺野古でも、県民の基地撤去の願いも虚しく、新たな米軍基地の建設が進められています。4月からは過労死基準を上回る残業を容認する働き方関連法が施行され、10月には消費税も10%に上がります。

かく言う私も、時給こそ千円に上がったものの、非正規の給料だけでは食べて行けず、夜も週2日はダブルワークを余儀なくされています。「アベノミクスで有効求人倍率が上がった」と政府は言いますが、「副業しなければ食べて行けなくなった」と言うのが実態ではないですか。これの一体何処がめでたいのでしょうか?!

勿論、これは私個人の価値観であって、社内にはまた別の価値観を持つ人もおられるでしょう。西暦ではなく元号を使いたい人もおられると思います。そういう方の元号使用の自由は尊重されなければなりません。それと同様に、私の西暦使用の自由も尊重されて然るべきではありませんか。

日付表記にどの紀年法を選択するかは、本来、個人の自由であって、そんな事まで法律で強制すべきではないと思います。現に、それを規制する法律もありません。だったら、この際、我が社としても、これを機に、元号でも西暦でも記入できる様に、雇用契約書の書式を改めるべきではないでしょうか。

今まで平成×年と書かれて来た雇用契約書の日付欄を、単に×年と変えるだけで済む話です。これが公文書ならまだしも、民間企業の雇用契約書にまで、元号使用を強制されるいわれはありません。現に、元号から西暦使用に踏み切る企業も増えています。

以上の理由から、雇用契約書の書式変更を是非お願いします。

(追記)

会社HPへの意見投稿は1千字以内に抑えなければならないので、上記ブログ記事の内容を更に整理して、下記の文章で投稿しました。

元号だけでなく西暦でも書類記入できるようにして下さい。

私は普段から元号でなく西暦で年数表記するようにしていました。それは、西暦の方がはるかに分かりやすいからです。その上で、役所に提出する書類や履歴書に限り、やむを得ず元号で年数表記するようにして来ました。ところが、今回の改元で、昭和・平成に加え令和でも表記しなければならなくなりました。これでは契約更改で雇用契約書にサインするたびに、慣れない元号の年数確認に時間が取られる事になってしまいます。
元号は不便なだけではありません。元号とは、古代中国で「皇帝が国だけでなく時間も支配する」という考え方から、皇帝の命令で年数を記録するようにしたものです。それを日本も取り入れ、天皇の代替わりのたびに改元するようになりました。いずれにしても、今の国民主権、民主主義の価値観とは相容れない旧時代の遺物であり、民主主義の発展にとっては有害以外の何物でもありません。
しかも企業にとっても何のメリットもありません。西暦なら足し算引き算だけで簡単に年数が計算できるのに、元号では改元のたびに年数を書き換えなければなりません。今回のように年度途中に改元が行われると、決算にも支障をきたすようになります。政府はそれを取り繕うために、「今年度に限り5月1日以降も平成の使用を認める」と言い出しました。しかし、そんな事をしたら、ますます混乱に拍車がかかってしまいます。
世界の中でいまだに元号を使用しているのは日本だけです。政府は「それが日本の伝統だ」と言いますが、元号なんて中国からの借り物に過ぎず、江戸時代以前は貴族や武士、僧侶階級にしか普及していなかったのに、何故そんな一方的な理由で使用を強制されなければならないでしょうか?今後、経済の国際化と人手不足に対応する為に、外国人材も積極的に活用しなければならない中で、日本でしか通用しない元号に、何故いつまでも固執するのか理解できません。
それでも元号を使いたい人は使えば良いと思います。しかし、元号よりも西暦を使いたい人にまで、不便で旧時代の遺物である元号の使用を強制される筋合いはありません。今後は、雇用契約書に日付を記入する際に、元号だけでなく西暦でも記入できるように、日付欄の元号名を削除して下さい。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする