アフガン・イラク・北朝鮮と日本

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ところで、正社員ってどーよ?

2007年12月10日 22時49分02秒 | 一人も自殺者の出ない世の中を
 最近ある掲示板(名前失念)の書き込みで、正社員と思しき人からの、「昨日も深夜まで仕事し、その後も朝方まで仕事関係で飲みに行っていました」「今日は一応代休ってことになっている(でも昼過ぎから出勤予定)」とかいう文章を目にしてふと思ったのですが、実際の所、今日びの正社員(正規雇用)というのは、もうみんなそんな奴隷みたいな境遇に甘んじなければならないような仕事ばかりなのですか?

 何でこんな事を聞くかと言うと、つい先日、私のバイト先で所長からみんなに次の様な通告があったからです。私の会社は業務請負企業で、A社の店別仕分け業務を中心に、その穴埋めでB社商品の仮保管業務や、C社商品の店別仕分け業務などを担ってきたのですが、その中で、主力請負元のA社が、来年3月上旬を以て請負契約を終了する旨の通告をしてきたのです。
 残りのB社・C社の仕事をどうするか、などの事後の問題はありますが、基本的には今の事業所は閉鎖という事になるでしょう。A社に替わるメインの仕事をどっかから取って来るという選択肢も、あるにはありますが、それもあんまり期待薄の様な感触なのです。

 それで、今在籍中の社員・契約社員・パート・バイトはみんな、同じ請負会社系列の他事業所(D社、E社、F社などの仕事を請負っている事業所が近隣地域に幾つかある)に異動という事になりそうなのです。所長は基本的に全員の職を斡旋するとは言ってくれていますが、これもはっきり言ってどうなることか分かりません。仮に次の異動(受け入れ)先が見つかったとしても、一日5時間ぐらいの短時間雇用では食べていけませんし、逆に身体がもたないほどこき使われるような奴隷工場でも嫌だし。

 そこで、今の会社側の異動・斡旋状況もにらみながら、どうころんでも良いように、こちらでも自主的に希望の転職先を探していくという、両面作戦で臨もうと思っているのですが、今日びバイトと言っても、とりわけ派遣・請負のアウトソーシングのバイトなどは特に、「9時から17時まで・月22日出勤フルタイム」などの一昔前ではごく標準的と思われていたようなバイトは、実はもうそんなにないのです。社会保険の負担逃れの為に1日5時間以下の細切れ雇用とか、夜勤ありの二交代制とか、完全なジャストインタイムで1日3時間の日の直ぐ後に1日15時間の日があったりとか(←人間は機械の部品ではない!!)、そんな仕事ばかりに徐々になってきているのです。

 その中で、ある知人から「一層の事、正社員に絞って転職活動したら」というアドバイスもいただいています。今までは正社員なんてハナから諦めていたし、奴隷じゃ在るまいし、「とにかくどんな仕事でもありつければ良い」とまで自分を貶めてまでして卑屈な就職活動するくらいなら、気楽なバイトの方がよっぽど良いと思っていたのですが、それも段々先が見えてきたように感じ始めているので。

 生涯賃金や後々の保障の事を考えたら、やっぱりバイトよりも正社員の方が良いに決まっている。しかし、私は「いずみ生協」時代のトラウマもあって、正社員とか正規雇用というものに、どうしても余り良いイメージがもてないのです。(斯く言う生協も、1998年頃の「大リストラ」が始まるまでは、決してそんなに言われるほど悪い職場ではなかったのですが・・・)
 はっきり言って、もうコリゴリなんですよ。戦時中の沖縄の集団自決じゃあるまいし、これ以上、職場で「戦陣訓」みたいな価値観を押し付けられて、「資本や運動との共生共死=無理心中」を強いられるのが。リストラで二人分の仕事をいきなり押し付けられて、早朝から深夜までサービス残業でこき使われて、実際の準備期間も心の準備期間も殆どないままに、「闇金ウシジマくん」みたいな辣腕クズ反動職制に、下らない根性論や精神論をガーガー振り回されて、「働きマン」や「ガイアの夜明け」みたいな生き方を強いられるのが。

 仕事に対する矜持・プライド・プロ意識の必要性は私も否定しません。それどころか、私自身が元来職人肌の人間なので、寧ろそういうものには一種の憧憬すら抱いてきました(そうでなければ生協になんて就職しなかった)。それは今も変わっていませんが、「プレジデント」や「週刊ダイヤモンド」が賞賛するような、「人を出し抜いてものし上がっていく」といった、そんな「パワー・ポリティクス」的な生き方は拒否します。
 そんな社畜人生を押し付けられるくらいなら、まだ自分のしたい事をして生きていけるバイトの方が良いと、今までは突っ張ってきたものの、この生き方も段々選択の幅が狭められてきた・・・。

 そりゃあ「一寸先は闇」のバイト人生よりはまだ正社員の方が良いのに決まっている。しかし、成果主義とか年俸制とかホワイトカラー・エグゼンプションとか鬱病激増とかで、こちらも「一寸先は闇」の昨今の正社員も「今更どうかなあ」と言う気もするのです。中小企業ならそこまで酷くは無いでしょうが、中小だと賃金はバイトに毛の生えた程度しか無いし。年齢の壁もある。
 斯様に思っているのですが、如何せん、かれこれ20年近くを生協職員一本で過ごしてきたので、他の職場の事は余り良く分からない。実際の所、正社員ってどーよ?こんな不満ばかり言っている中高年のアカがかった非国民のクズ人間には、やっぱりバイトの口しかないのだろうか?

 しかし、前述のA社撤退の話以降、バイトの間でも今後の身の振り方が雑談の話題に上ったりしているのですが、何かちょっと違うのです。彼らと私の感覚が。彼らの多くは「どれだけ稼げるか」に目が行き、そうでない少数派は「給料安くてもマイペース」な生活を選択する。まるで「高賃金・過労死」労働と「自分の時間は一応確保できるが最低賃金スレスレ」の働き方の二つしか、この日本には選択肢が無いかのような考え方でいる。
 そのどちらでもない、私が良しとするもう一つの選択肢、「そこそこ働き甲斐があって、そこそこ食っていけて、そこそこ将来の見通しも立てて、そこそこ自分の時間も確保出来る」ような、ディーセント・ワーク(人間らしい働き方)という選択肢を、まるで「そんなのハナから無理だ」と諦めているような感じがして仕方が無い。
 そんな、自分で自分を貶める様な、「下見て暮らせ傘の下」的な発想自体が、私はもう嫌で嫌で堪らないのですが。憲法25条の話(人は誰でも健康で文化的な最低限度の生活を送る権利がある)なども、仲の良いバイトには折りに触れて話をしたりしているのだけれどなあ。私の言っている事、贅沢でも何でも無いと思うのですが。
コメント (3)
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