アフガン・イラク・北朝鮮と日本

黙って野垂れ死ぬな やられたらやり返せ 万国のプレカリアート団結せよ!

ベネズエラが某生協や北朝鮮みたいにならなくて良かった

2007年12月12日 07時57分43秒 | その他の国際問題
・ベネズエラ,今や批判こそが最大の支援?(ペガサス・ブログ版)
 http://blog.so-net.ne.jp/pegasus/2007-11-11
・ベネズエラの改憲投票結果から(編集者が見た日本と世界)
 http://matutake-n.blogspot.com/2007/12/blog-post_04.html
・チャベスをもっと批判的に見ていいのでは(コミュ・コミュblog)
 http://d.hatena.ne.jp/comu-comu/20071206/p1
・ベネズエラの憲法改正案否決に思うこと(さるのつぶやき)
 http://saru.txt-nifty.com/blog/2007/12/post_f06b.html
・ベネズエラは漸進、ロシアは何を選んだのか。(花・髪切と思考の浮游空間)
 http://blog.goo.ne.jp/longicorn/e/785b2120f634197be9b355a53fcca5f9

 このニュースも是非記事に取り上げなければと思っていましたので、少し遅くなりましたがアップする事にします。

 この、地球の裏側の南米ベネズエラの改憲国民投票否決のニュースですが、日本では余り注目されていない様に感じます。ウチの職場のバイトなんかになるともう、「そもそもベネズエラって何処にあるの?」という所から入っていかなければならない感じで。そこの大統領チャべスに至っては、「反米の暴れん坊」で「スペイン国王から黙れ!と一喝された」とスポーツ新聞に興味本位に取り上げられたりするばかりで。
 そんなどうでも良い三面記事ネタよりは遥かに重要な、「そもそも何であの地域が反米基調なのか」という社会・経済的な観点から、新大陸発見以来の白人による先住民侵略の歴史や、19世紀以来の米国の中南米支配や、その下でのかつての軍事独裁や今も続く寡頭支配体制の問題まで含めて、きちんと取り上げられる事が、最近の日本では余り無くなって来たように思います。

 チャべスは、確かに元は軍人上がりの大統領ですが、90年代末に貧困層の救済を公約に掲げて大統領に就任以来、ベネズエラの社会改革に取り組んできました。それまで石油収入を私物化して政権のたらい回しを続けてきた大地主・外国資本・既成二大政党から、政治を国民の手に取り戻す為に、参加民主主義を掲げて、様々な改革を実施してきました。だからベネズエラ国民も、圧倒的な支持を今まで彼に与えてきたのです。

 ところが今回の改憲国民投票では、それまでチャべスを支持していた民衆の少なくない部分が棄権に回り、大統領提案の改憲案が小差で否決されてしまいました。その改憲案の内容ですが、人民権力(地区住民評議会)の創設などで参加民主主義の一層の推進を図る内容が盛られた一方で、再選制限の撤廃などの大統領権限の強化や、社会主義推進という形での国家体制の方向付けが謳われたりしていました。これについては、流石にチャべス支持派の私も、少し先走りすぎではないかという気がしていました。

 私個人的には「社会主義、反帝国主義、人道主義を国の基本原則とする」のには大賛成なのですが、それをいきなり憲法の規定にまで盛り込むのは、何かちょっと方向性がずれているのではないか、という気がしていましたので。そもそも近代憲法というのは、マグナカルタや権利章典の歴史からも明らかなように、国家権力の暴走を抑える為に生まれてきたものでしょう。他の法律は個別の法律行為を規制するのが目的であるのに対して、憲法は国の法律行為を国民がチェックするために制定されたものです。少なくとも、欧米や今の日本の憲法はみんなそういう形になっています。

 それに対して、国の基本原則を予め盛り込んだのが旧ソ連や中国・北朝鮮・ベトナムなどの国々の憲法なのですが、これが得てして、社会主義の名で個人独裁が行われる温床ともなってきていました。しかしチャべスは、「21世紀の新しい社会主義」を唱え、旧ソ連タイプの「社会主義」は明白に拒否していたのですから、それならば憲法には社会主義ではなく、「あくまで複数主義に則って革命を推進する」という規定が盛り込まれなければならなかった筈です。近隣国ニカラグアのサンディニスタ革命政権が制定した憲法も、確かそのような規定になっていた筈です。

 これに対しては、少なくともアジア・アフリカの第三世界の人々にとっては、抽象的な国家権力一般の問題ではなく、大地主の搾取や外国資本の乱開発から国の資源や国民生活を如何に守るかが一番の問題であって、その為にも「社会主義、反帝国主義」云々の方向付けは必要だ、という意見もあるでしょう。これは各国の置かれた状況によって個別に判断しなければならない事だと思いますが、ことベネズエラに関して言えば、米国からの執拗な内政干渉や反革命工作の存在を考慮に入れても尚、今の段階でそこまで憲法に書く必要があるのかな、という気がします。

 しかし、このチャべスのワンマンぶりを見ていると、私がかつて居た某生協の元専務の軌跡とダブって見えてしまうのは、私のトラウマの為せる技なのだろうかw。このブログで散々悪口を書いてきた某生協にしても、最初からあんな「私物化」生協ではありませんでした。
 彼の生協は、70年代前半の第一次石油ショックの時に、大商社の買占め・売り惜しみに対抗する為に、その元専務が中心になって、近隣の大学生協から有志を募り、プレハブの掘っ立て小屋と中古の配送トラック一台で始めたものです。その当時の労働条件は今の比ではなかったそうですが(夜3時に仕事が終わってまた朝8時から開始とかだったらしい)、雰囲気はアットホームで、その専務の行きつけのバーで会議をしたり賃上げの団交をしたりしたそうな。

 私の入協当時も、まだそういう雰囲気の名残が微かに残っていました。しかしその後に80年代から90年代のバブル崩壊まで、彼の生協が市民生協として急速に成長を遂げるにつれて、そういう雰囲気は徐々に失われてきました。
 かつての、一癖も二癖もあるがそれなりに人情もあった(勿論嫌な奴もいたが)上司は次第に居なくなり、それに代って小粒の人物や「闇金ウシジマくん」みたいな奴が、運とハッタリだけでのし上がって来るようになっていった。「我々は消費者運動だけでなく事業活動もしているのだ、いつまでも学生サークルみたいな雰囲気の中でぬるま湯につかっていてはいけない」(その指摘自体は一概に否定はしないが)という掛け声の中で、次第に「戦陣訓」みたいなモノに犯されるようになっていった。生協の本部・支所・店舗の片隅には、元専務の言葉(基本業務を忠実に、とかいう他愛の無いものでしたが)が書かれたプレートが、まるで金正日の教示塔の様に掲げられるようになっていた。このようにして、かつての「サンディニスタ」は徐々に「朝鮮労働党」みたいなモノに変質していった・・・。

 そういう意味では、ベネズエラ国民は今回、非常に賢い選択をしたのではないか、という気がします。徒に米国の反革命工作に乗せられる事無く、チャべスの果たしている役割は正当に評価しつつも、彼のある種のワンマンぶりや暴走にはやんわりと釘を刺す事も忘れなかった、という意味で。
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1 コメント

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「ベネズエラの問題」という問題 (バッジ@ネオ・トロツキスト)
2007-12-12 08:52:56
今回の国民投票には、ベネズエラの民主主義的成熟の問題以前にチャべスの社会主義観・社会主義論の問題性(その非科学性)がある。
チャべスの社会主義理解もまた、ソ連・東欧などで破綻した「20世紀社会主義」同様の法律学の幻想に囚われたものでしかない、ということだ。

社会主義は、戦時共産主義政策の継続・強行を断念したレーニンが100年近くも前に悟ったように一片の政令書や階級闘争などによって創り上げられるものではないのである。

経済主義でも政治主義でもない本物の社会主義への道、これが依然として明確になっていないのが人類の不幸ではないか。
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