アフガン・イラク・北朝鮮と日本

黙って野垂れ死ぬな やられたらやり返せ 万国のプレカリアート団結せよ!

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有馬温泉に行って来ました。

2019年08月29日 23時31分28秒 | 身辺雑記・ちょいまじ鉄ネタ
 
 
先日の青春18きっぷの長旅で痛めた腰の疲れを癒すべく、腰痛に効くとされる有馬温泉に、昨日の休みに早速行って来ました。
 
大阪から神戸まではJRの青春18きっぷで行きました。そして、神戸から新開地まで地下道を歩き、新開地から神戸電鉄で有馬温泉に行きました。メーンルートの北神急行経由でなく、遠回りの新開地経由ルートで行ったので、着くまで時間がかかってしまいました。その代わりに登山鉄道さながらの景観を楽しむ事が出来ました。なにしろ、大都会のターミナルを出たら、すぐに50‰(パーミル)の傾斜とカーブが連続する区間を走るのですから。途中には菊水山という秘境駅の跡も見る事が出来ました。

有馬温泉には日帰り入浴出来るホテルも沢山ありますが、私は外湯(公衆浴場)に入りました。有馬温泉には「金の湯」「銀の湯」という2つの外湯があります。入浴料は前者が650円、後者が550円ですが、800円で両方一度に入れる共通入浴券もあります。私は共通入浴券で両方のお湯に入りました。腰痛に効くのは「金の湯」の方です。温泉に鉄分が大量に溶け込んでいて赤色をしているので「金の湯」と呼ばれます。入り口の前に併設されている足湯も真っ赤な色をしていました。
 
「金の湯」には44℃の「あつ湯」と42℃の「ぬる湯」があります。「ぬる湯」はまだ普通の温泉という感じでしたが、「あつ湯」の効能は半端無かったです。湯船に入った途端に肌がチクチク刺激されます。まるで軽めの電気風呂に入った様な感じです。塩分濃度が海水の約2倍もあるせいか、身体が心持ち軽く感じます。ものの5分もしないうちに身体がポカポカして来ます。これ以上入っていたらのぼせそうになったので、ひとまず脱衣場に出て、暫く涼んでから又入り直しました。後で清掃係の人に聞いたら、最初「ぬる湯」で身体を慣らしてから「あつ湯」に入る方が良いと教えられました。
 
「金の湯」は赤色をした含鉄塩化ナトリウム泉で、保温効果や血行促進の効能があり、いかにも腰痛にも効きそうな感じでした。それに対して、「銀の湯」は無色透明の炭酸ラジウム泉で、美肌効果があるそうです。私からするとスーパー銭湯と余り変わらない感じでしたが、「金の湯」には無かったサウナや売店、休憩スペースが併設されていたのは有難かったです。
 
 
 
 
温泉に入った後は周辺を散策しました。温泉郷のあちこちで源泉が湧き出していました。「銀の湯」の近くの公園には炭酸泉の湧き出す池が、「金の湯」の山手には含鉄泉が境内で湧き出している神社がありました。そこから流れ出る側溝にも鉄分が付着して底が赤くなっていました。いずれの源泉も温泉濃度が濃く、すぐに配管に温泉の結晶がこびり付いてしまうので、配管をこまめに交換しなければならないそうです。
 
有馬温泉の銘菓で有名なのは炭酸煎餅と炭酸サイダーです。煎餅の加工場では試食もさせて貰いました。炭酸煎餅は安いので土産に買って帰ろうとしましたが、皮が薄く、輸送中に粉々になっては敵わないので、土産に買うのは止めました。それ以外の飲食店はどこも値段の高い店ばっかりだったので、ランチは白身魚フライのカツカレーで我慢しました。
 
本当は有馬温泉の中をもっと散策したかったのですが、生憎の雨の上に、新開地から神戸電鉄で来る遠回りのコースで来たので、時間的に湯治だけで精一杯でした。腰痛治療が目的なら「金の湯」だけで充分です。余った時間は散策に充てた方が良いです。私も次来る時は、もっと時間に余裕をもって来たいと思いました。
 
 
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同じ富山のLRTなのに何故こうも違うのか?

2019年08月22日 00時20分01秒 | 身辺雑記・ちょいまじ鉄ネタ
 
 
今回の1泊2日の富山鉄道旅行の中で、前回は青春18きっぷを巡るトラブルについて書きました。今回はそれ以外の旅先での出来事について書きます。まずは旅行初日の万葉線乗車体験記から。

万葉線とは高岡駅前から六渡寺(ろくどうじ)を経て越ノ潟に至る第三セクター鉄道。六渡寺までは併用軌道(路面電車)、そこから先は専用軌道(鉄道)上を走ります。大阪の阪堺電車をイメージしていただければ分かりやすいと思います。全長12.9キロ25駅を路面電車が、日中は15分間隔、夜間は30分間隔のダイヤで結びます。終点まで行くのに約49分かかります。(左上の地図参照)

万葉線は元々は富山駅前と高岡駅前を海沿いに結んでいました。ちょうど真ん中辺りを境に、富山側を富山地方鉄道(富山地鉄)、高岡側を加越能鉄道が運営していました。しかし、実際は富山から高岡まで直通運転で運行していました。大阪で言うと、JRを阪神が補完している感じとよく似ています。

ところが1966年に、富山湾を掘削して富山新港が出来た為に、線路が真ん中で寸断されてしまいます。その為、富山側は富山地鉄射水線、高岡側が加越能鉄道線として別々に運行される様になり、港を県営フェリーで繋ぐ事になりました。これが後々に万葉線の衰退に繋がって行きます。

富山地鉄射水線は乗客減から廃止になります。それに対して、加越能鉄道は港で分断されて以降も、高岡市から新湊市(現・射水市)の工業地帯に通う通勤客や、高岡市内に出る買い物客、通学生の足として機能して来ました。県営フェリーも鉄道ダイヤと連絡する形で、今も運行されています。

ところが、地方の過疎化やモータリゼーション、少子高齢化によって、次第に赤字額が膨らみ、今では毎年1億3千万円ほども赤字を計上する様になってしまいました。営業係数は約130。100円の利益を上げるのに130円経費がかかる勘定になります。

加越能鉄道も廃止の方向で動き始めますが、地元からは通勤・買い物・通学の足を確保して欲しいと要望が出されました。そこで2001年に、富山県・高岡市・新湊市(現・射水市)がそれぞれ3割ずつ出資する形で、万葉線株式会社という名前で、第三セクターとして存続が図られる様になりました。万葉線の名前は、昔、万葉歌人の大友家持が、越中国(今の富山県)の国守として赴任した事から付けられました。
 
 
 
高岡駅前を出た万葉線の路面電車は、市内の大通りを海の方に向かって進んでいきます。線路は単線で、交換駅や所々にある行き違い区間で上下電車がすれ違います。

高岡から出て最初は、両側は商店街で、大阪で言えば阪堺上町線の天王寺付近の様な感じで進みます。しかし、やがて商店も乗客も減り、沿線は阪堺線堺市内区間みたいな様相になって来ます。
 
六渡寺からは専用軌道となり、工場や住宅を掠める様な形で電車は進みます。沿線には射水市の市街地や海王丸パーク、川の駅新湊などの行楽地や集客施設もあるのですが、寂れ感が半端ないです。大阪で言えば、南海汐見橋線を単線にして路面電車を走らせている様な感じです。
 
 

やがて電車は終点の越ノ潟に着きます。目の前には県営フェリーの乗り場があり、ダイヤ接続も為されている様です。ところが、対岸に渡ってもバスの便がないのです。

土日には富山ライトレール終点の岩瀬浜へ行くバスもあるので、富山駅の方に向かう事も出来るのですが、平日には富山行きのバスもほとんど無いようなのです。私がフェリーで対岸に渡ろうとした時も、「もう最終バスも出てしまった」と言う事で、渡るのを諦めざるを得ませんでした。
 
 

しかし、絶景ポイントはむしろ海側に集中しています。高岡駅前付近の商店街を行く路面電車も良いですが、庄川橋梁や海沿いの工業地帯を行く路面電車も、他ではなかなかお目にかかれないシーンで絵になります。私が訪ねた時はあいにく曇り空の夕方だったので、余り綺麗な写真は撮れませんでしたが、晴れた日には立山連峰を背に素晴らしい写真が撮れる事でしょう。
 
次の日は富山ライトレール富山港線、通称ポートラムに乗りました。この後は青春18きっぷの普通電車で大阪に帰らなければならないので、乗るのはポートラムだけにして、市内電車に乗るのは諦めました。(ポートラムの場所は前掲右上の地図参照)

そのポートラム開通までの経緯を、同社の沿線案内ガイド冊子から直接引用します。

〜大正13年(注:1924年)に「富岩鉄道」として開業した富山港線は、その後富山地方鉄道、国鉄、JR西日本へと運営が引き継がれ、沿線の市民生活を支える路線として、多くの人々に利用されてきました。最盛期には、年間500万人もの利用者がありましたが、その後の自動車交通の進展に伴って利用者が激減し、車両や駅舎の老朽化、運転本数の減少などにより、さらに利用者が減少する負のスパイラルに陥っていました。
北陸新幹線富山駅等の整備に合わせて、富山港線の再生を図るため、路面電車化が決定され、2006年日本初の本格的LRT(注:低床式の次世代型路面電車)として生まれ変わりました。〜

落ち目の鉄道が、第三セクター化によって生まれ変わろうとしている点では、昨日の万葉線と同じです。しかし、両者には雲泥の差があります。はっきり言って、このままでは万葉線は再生の失敗例、ポートラムは成功例として、その名を後世に残す様になるでしょう。
 
ポートラムと万葉線の一体どこが違うか?
 
 

まず両者の終点停留所を見比べて下さい。ポートラムの岩瀬浜停留所は小綺麗で、屋根もポートラムの象徴であるマストの形に統一されています。駅前には駐輪場や駐車スペースもあります。駅前からは東行きのフィーダーバスも出ています。(上記写真参照)

それに引き換え、万葉線の越ノ潟停留所は、待合室もホームもボロボロで、水はけが悪いのか線路周りは水溜りだらけ。駐輪場もなく、フェリーはあっても対岸も陸の孤島。場末感、寂寥感が満載です。(前掲の万葉線写真参照)
 
 
 
次に両者の沿線案内パンフレットを見比べて下さい。万葉線のパンフ(左上写真)が地図も一緒で一枚物に収まっているのに比べて、ポートラムの方(右上写真)は冊子になっています。

持ち歩く分には一枚物の方が便利ですが、内容は旧態依然たる名所旧跡巡りに終始しています。

そのくせ、藤子不二雄の出身地として、ドラえもん電車やイメージキャラクターの写真も多用している。内容がもうてんでバラバラ。

それに対し、ポートラムの沿線案内には名所旧跡だけでなく、インスタ映えするカフェや駅周辺のお楽しみスポット、ホテルなどの宿泊情報も一杯載っています。

イメージキャラクターの写真もありますが、そんな物には余り頼らず、沿線情報やサービス案内により力を注いでいるのが分かります。

どちらにより魅力を感じるか?もはや一目瞭然ではないですか。ポートラムのパンフは冊子である分、経費も余計にかかっているでしょうが、それを割り引いても余りある宣伝効果があります。
 
更に細かい事を言うなら、ポートラムは駅名にも工夫を凝らしています。地名だけでなく学校名や施設名(何やら本社前など)も副駅名として併記されているので、一見客も助かります。それに対して万葉線は、学校名や施設名もありますが、それ以上に西新湊、中新湊、東新湊などの類似駅名が非常に多い。旧新湊市にも大字などの地名がある筈です。それで区別するなどの工夫を思いつかなかったのでしょうか?

他にもICカードが使える点や、来年3月には富山駅前で市電と連結すべく工事を進めている事、軌道緑化などの環境への配慮、フィーダーバスと連絡している事なぞ、万葉線にはない利点が一杯あります。

地方ローカル私鉄の衰退には、時代の流れだけでなく国の失政も絡んでいるのは事実です。富山新港の例を筆頭に。富山と高岡の商圏、地域性の差もあるでしょう。それでも同じ富山県の都市部に違いはありません。それで何故こんなに差が出るのか?経営者の姿勢の違いも大きいと感じました。
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北陸新幹線なぞ要らない!

2019年08月21日 23時35分26秒 | 身辺雑記・ちょいまじ鉄ネタ
 
 
8月後半のシフト連休を利用して、青春18きっぷで富山を鉄道旅行して来ました。1泊2日の駆け足旅行ながら、富山の鉄道再生の鍵を握る2つのLRT(低床式の次世代型路面電車)に乗って来ました。万葉線とポートラム(富山ライトレール富山港線)の2つです。その報告を今回と次回の2回に分けて書きます。

そもそも何故、富山を選んだのか?富山市は全国の中でもマイカー保有率が高く、駅前商店街の衰退による市街地空洞化が以前から問題になっていました。その対策として、公共交通網の整備、LRT拡充による街づくりが今、進められています(コンパクトシティ構想、左上図参照)。その実態について、前から知りたいと思っていたので、今回、富山に行く事にしました。
 
しかし、せっかく旅行で使おうと思っていた青春18きっぷが、金沢・富山間では使えませんでした。北陸新幹線が長野から金沢まで開業した代わりに、並行在来線のJR信越・北陸本線が、しなの鉄道(長野)・えちごトキめき鉄道(新潟)・あいの風とやま鉄道(富山)・IRいしかわ鉄道(石川)と、各県毎に第三セクターに移管・分割されてしまった為に、他社線扱いとなり、1180円も余計に運賃を払う羽目になりました。(金沢・高岡間で820円、高岡・富山間で360円。右上地図参照)
 
 

青春18きっぷの但し書きには以下の様に書いてあります。

〜JR線以外の会社線を経由する列車をご利用の場合は別に会社線に有効な乗車券類が必要です。(中略)あいの風とやま鉄道線の富山〜高岡間、IRいしかわ鉄道線の津幡〜金沢間はJR線へ通過利用する場合に限り、普通列車の普通車自由席に乗車できます。(中略)当該区間内で下車した場合(富山・高岡、津幡・金沢では下車可能)、または当該区間を越えて乗車した場合、別に会社線全乗車区間の運賃が必要です。〜(左上の券面写真参照)

非常に分かりにくい但し書きですが、「青春18きっぷだけではJR以外の線内で途中下車はできませんが、富山・高岡に限っては下車できますよ」と読み取れるじゃないですか。

それで、高岡駅で万葉線に乗り換える為に、青春18きっぷをかざして下車しようとしたら、改札係に止められてしまったのです。改札係曰く、「青春18きっぷだけで通過できるのは、JR北陸本線・七尾線を乗り継ぐ為に金沢・津幡間を通過する場合と、JR高山本線・氷見線・城端線を乗り継ぐ為に富山・高岡間を通過する場合だけだ」そうです。(右上のポスター写真参照)

つまり、

○JR北陸本線・七尾線の組み合わせなら、金沢・津幡間の通過に限りOK。

○JR高山本線・氷見線・城端線の組み合わせなら、富山・高岡間の通過に限りOK。

○それ以外は、たとえJR線同士の組み合わせ(七尾線・城端線など)での通過使用もダメ。

こういう事なのだそうです。でも、青春18きっぷの但し書きだけでは、普通の人はここまで分かりません。もっと分かりやすく書いてくれなければ理解できません。

そもそも、在来線だけでは輸送力に限界があるから、新幹線が作られる様になったのでしょう。在来線を間引かなければ輸送量を維持できない様な新幹線なら、最初から作らなければ良いのです。
 
その上、国鉄が独占に胡座をかくのを止めて民間と競争する為に、国鉄の分割民営化を強行しておきながら、今頃になって新幹線と在来線の両方も面倒見れないから、在来線は第三セクターで行政も金を出してくれとは、余りにも言う事が身勝手です。
 
そもそも、いくら分割民営化した所で、JRに対抗できる私鉄なぞ存在しません。全国最大規模の私鉄である近鉄でも、それは無理です。そのJRの独占状態はそのままにしておきながら、新幹線の能力を高めるのではなく、競合相手の並行在来線の力を削ぐ事ばかり考えて。こんな虫の良い話がありますか?こんな事ばかりしていたら、最後には新幹線も在来線もダメになってしまいます。

北陸新幹線の開通で、東京から金沢に行くには便利になりましたが、その裏では、在来線が数社の第三セクターに分割されてしまった為に、富山から新潟に行くには却って不便になりました。特急が無くなり、普通電車も県境近くの泊までしか行かなくなりました。

地元住民にとっては、幾らスピードが速くても運賃がバカ高い新幹線よりも、多少スピードは遅くても通勤通学の足として機能している在来線の方が、よっぽど重要です。

東京の金持ちだけが潤えば良いのか?金沢などの一部地域だけが潤えば良いのか?大都会の金持ちだけが潤い、地方の玄関口だけがそのお零れにあやかり、それ以外の地域は野となれ山となれでは、余りにも自分勝手ではないでしょうか?

そんな自分勝手が通用するなら、私も明日はJR高山本線の南富山から乗車して、富山・金沢間の第三セクター区間はキセル乗車で運賃をチョロまかしてやろうかという気持ちになります。そうなれば、ますます道徳が廃れ、社会も荒んでしまいます。
 
やがて北陸新幹線は福井から大阪に伸びてきます。既に福井県内では新幹線の建設工事が進んでいます。北陸新幹線が福井まで開通したら、福井県内の並行在来線も、JR北陸本線から別の第三セクターに変わります。その時も、青春18きっぷは通過しか出来ないようになるのでしょうか?もうそうなれば、青春18きっぷなんて誰も買わなくなるし、きっぷの乗客も福井には来なくなるでしょう。
 
※なお、在来平行線問題については、私のブログの下記の記事もお読み下されば、更に参考になると思います。
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観たい人の観る自由を奪うな

2019年08月14日 23時42分56秒 | 映画・文化批評
名古屋市長、関係者に謝罪要求 少女像展示で 京アニの放火事件には涙し、放火犯を許さないと言いながら、それを模倣した今回の脅迫犯は非難せず、逆に被害者の芸術祭主催者を非難。そんなダブスタ、偽善の薄っぺらい涙なら最初から流すな!(8月3日)

大村知事「河村市長の主張は憲法違反の疑いが極めて濃厚」…県には”京アニ放火”に言及した脅迫メールも 大村知事の言う通り。大村も河村たかしも同じ減税日本の穴の貉だと思っていたが、大村はまだ基本的人権の何たるかを理解している。それだけでも河村より遥かにマシ(8月5日)

大阪府知事、愛知の知事は「辞職相当」 表現の不自由展:朝日新聞 反日と叫べば何でもアリか?そんな理屈が通るなら、日本にポンコツ戦闘機を押し付ける米国も反日として、大使館にガソリン携行缶持ってお邪魔しても良いのか?吉村のイケメンは外見だけで中身は極右そのもの(8月7日)

8月8日
大村氏、大阪・吉村知事の発言に「はっきり言って哀れ」:朝日新聞   「憲法21条についてまったく理解していない。公権力を持っている人がこの内容はよくて、この内容はだめだとずっと言っている。日本維新の会は表現の自由はどうでもいいと思っているのではないか」

 

愛知トリエンナーレの慰安婦像に難癖付けてる奴等は、この広島原爆死没者慰霊碑の「安らかに眠って下さい。過ちは二度と繰り返しませぬから」の碑文にも「反日だ。平和記念式典に公費支出するな」と難癖付けるのだろうか?(8月8日)

河村たかし、吉村洋文らは、あいちトリエンナーレの慰安婦像や天皇を揶揄した作品は不敬反日で表現の自由の埒外だと宣う。しかし、その程度の「不敬」でも許されないなら、反戦平和・主権在民を唱えて天皇制政府に虐殺された小林多喜二はどうなる?不敬どころか鬼畜にも劣る所業ではないか!(8月12日)

あいちトリエンナーレの展示会では慰安婦像だけでなく天皇と女性ヌードのコラージュ写真も槍玉に挙げられたが、何故この程度の皮肉も許されないのか?これを不敬だ反日だと言うなら、戦前に特高警察が天皇の名で行った弾圧や虐殺は一体どうなる?その責任も取らずに不敬を云々する事自体許されない(8月14日、以下同じ)

戦前に特高警察の拷問で虐殺された小林多喜二が一体何をした?北洋漁場の蟹工船内で行われていた搾取の実態を小説で告発しただけじゃないか。それを特高は天皇制国家への反逆として虐殺した。それこそよっぽど自由や民主主義に対する反逆じゃないか。不敬だ何だ言う前にその責任をまず先に取れ!

 

「ゆきゆきて神軍」もそうだ。ニューギニア戦線で空腹を凌ぐ為に部下の人肉を食らった上官の責任を追及した映画だ。主人公は天皇にパチンコ玉を投げた罪で服役した。天皇にも戦争責任ありとして。本当に悪いのは主人公ではなく上官や天皇なのに、不敬だと封殺するファシズムを許してはならない

幾ら醜い真実でも、真実である以上は目を背けてはならない。それを醜いからと言って封殺してしまったら、原爆資料館の展示も出来ない事になってしまう。そんなに観たくなければ観なければ良い。観たい人の観る自由を奪うな。自分の意見が通らないからと言って暴力で封殺するのは只の我儘でしかない


(参考資料)

日本:あいちトリエンナーレ「表現の不自由展・その後」の中止に深刻な懸念(アムネスティ日本)

2019年8月 8日[日本支部声明]国・地域:日本トピック:国際人権法

国際芸術祭『あいちトリエンナーレ2019』の企画として8月1日より開催されていた「表現の不自由展・その後」が、数々の政治的な圧力や匿名の脅迫行為などの攻撃によって中止に追い込まれた。アムネスティ・インターナショナル日本は、公人による発言や匿名の脅迫者による圧力によって市民の表現の自由が侵害されたことに深刻な懸念を表明する。

この企画展における展示に「慰安婦」問題や天皇制などを題材とした作品が含まれていることが明らかになると、それらの展示を問題視する発言がインターネット上に現れた。8月2日には、菅官房長官と柴山文科大臣が同展を問題視して、芸術祭に対する補助金支出の見直しに言及した。河村たかし名古屋市長は同展を視察した上で、展示中止を求める「抗議文」を愛知県知事に提出した。自民党の国会議員らも展示は政治的プロパガンダであるとの意見を表明した。あいちトリエンナーレ実行委員会事務局には、メールや電話で多数の抗議が寄せられ、中にはテロ予告や脅迫もあったとされる。こうした状況下で、実行委員長の大村秀章知事と津田大介芸術監督は、8月3日に同展の中止を発表した。

自由権規約(国際連合 市民的及び政治的権利に関する国際規約:日本は1979年に批准)第19条は、締約国に対して、表現の自由の権利を保障すべき法的義務を課しており、特に公人は、表現の自由を保障し尊重する法的義務を負っている。しかし、官房長官、大臣、国会議員、市長らの今回の言動は、この法的義務に違反して同展中止に政治的圧力をかけるものであり、同展企画者および出展者の表現の自由を侵害するものである。

国連自由権規約委員会の一般的意見34(2011年)は、「締約国は、表現の自由についての権利を行使する人々を封じることを目的とした攻撃に対し有効な措置を講じなければならない」と述べており、日本政府には、同展への攻撃に対して、関係者の安全を保障し、脅迫行為については捜査を行うなど、表現の自由を守るための具体的かつ有効な措置を取る責任がある。日本政府は、「表現の不自由展・その後」に向けられた脅迫や攻撃に対して、同展関係者および『あいちトリエンナーレ』全体の安全を保障し、表現の自由を守るために具体的な措置を講じるべきである。

「表現の不自由展・その後」が中止に追い込まれて以来、実行委員会メンバーや、同展参加者を含む『あいちトリエンナーレ』参加アーティストらから、同展の再開や安全の確保を求める声が上がっている。アムネスティ日本は、「表現の不自由展・その後」における表現の自由の侵害を助長した複数の公人の言動に強く抗議するとともに、日本政府に対して、同展が再開できる環境を早期に整えるために必要な具体的措置をただちに取り、表現の自由を守るための有効な措置を取る責任を果たすよう強く求める。

以上


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ヒロシマ2019平和の旅 エピソード編

2019年08月12日 21時18分42秒 | 身辺雑記・ちょいまじ鉄ネタ

先日の広島旅行のうちで、広島原爆慰霊式と大久野島毒ガス資料館の様子については以前の記事をご覧ください。ここでは、それ以外の旅先のエピソードについて書きます。(記事にするのが遅くなってスミマセン)

★広島焼は美味しかった。

6日の原爆慰霊式に出て、平和資料館の展示を観た後、資料館内の売店で、広島焼きとモミジ饅頭をランチに食べました。大阪の粉モンてんこ盛りのお好み焼きは胃にもたれます。私としては、量も手頃で、焼きそばもお好み焼きも両方堪能できる広島焼きの方が食べやすかったです。

★被爆電車には乗れませんでした。

広島電鉄の路面電車。この路面電車は郊外鉄道線の宮島線にも乗り入れ、終電まで広島駅前から宮島口まで乗る事が出来ます。宮島線のホームは、路面電車用の低床式ホームと、郊外電車用の高床式ホームに分かれます。路面電車区間の運賃は全区間均一180円。あいにく被爆電車には乗れませんでした。(左下:広島駅前停留所、右下:宮島線商工センター入口駅)

 

★宮島でシカに境内案内図を食べられてしまいましたw。

6日は午後から原水禁世界大会に飛び入り参加する予定でしたが、会場の県立総合体育館(グリーンアリーナ)に着いても何もやってなさそうだったので、予定を変更して宮島観光に切り替えました。宮島口への電車と宮島へのフェリーもJRの青春18切符で行きました。しかし、残念ながら、最大の見所である厳島神社の大鳥居は、現在、修復工事中で、足場が組まれ、作業員による修復作業の真っ最中で、日本三景の風情は微塵も感じられませんでした(左下写真)。それでも、厳島神社が海上の干潟の上に建てられ、地元の信仰を集めてきた事がよく分かりました。干潟の中に真水の清水が湧き出している所があり、そこに白鷺がいたりして(真ん中下写真)、絵になる風景が広がっていました。神社の神域には鹿が飼われていましたが、観光客がしきりに餌をやるものだから、鹿も当たり前の様に寄って来ます。遂に私が手に持っていた厳島神社の案内図も、鹿に横取りされ食べられてしまいました。(>_<)(右下写真)

 

★銘菓がもみじ饅頭だけでは…。

広島名物のお菓子を土産に買おうとしましたが、もみじ饅頭しか目に付く銘菓がありませんでした。他も「揚げもみじ」とか「冷やしもみじ」等の、もみじ饅頭のアレンジ版ばかり。冷やしもみじは凍らせているのでアイス代わりに食べようとしましたが、只の冷えたもみじ饅頭に過ぎませんでした(左下写真)。夕食は奮発して、穴子飯と牡蠣フライのコラボ定食にしました。1600円もしましたが、日頃不足しがちな良質タンパク質のDHAやEPAを摂取出来て良かったです(右下写真)。

 

★さすがは中国新聞、GJ!

さすがは広島の中国新聞。毎年8月6日には番組欄にもさり気なく平和のメッセージが。年がら年中、安倍一派やヘイトをヨイショし、護憲派をサヨクと罵るしか能がない産経・夕刊フジとは格が違います。(残念ながら、この情報は大阪に帰ってから他の方のツイッターの書き込みで知りました。せっかく広島まで行ったのだから、知っていたら私もその番組欄の写真を撮って来たのに!下記がそのツイッターに掲載されていた写真です)

 

★大久野島のうさぎさんには優しく接してあげて下さい。

暗い話ばかりも何なので、明るい癒し話も少し。大久野島で飼われている兎(左下写真)は、アナウサギという種類で、モグラみたいに巣穴を作ります(真ん中下写真)。ウサギは繊細な動物で、追いかけ回したりしたら、ストレスで衰弱してしまいます。人間の食料も、兎にとっては有害な物もあるので、そのままの形で餌付けは出来ません。歯が鋭い割には視力は弱く、むやみに手を出したら噛まれます。それを弁えた人だけが、兎人(うさんちゅ)として尊敬される事になります。島の名産は蛸です。ランチには蛸フライが載ったカレーを頂きました(右下写真)。

  

★鉄道地図を買っといて良かった。

青春18切符でJRの普通電車で旅すると、途中駅で何度も乗り換える事になります。普通電車はそのまま折り返しとなり、上り電車は下りホームに止まります。そこで、惰性で次来た電車に乗り換えてしまうと、また来た方向に逆戻りしてしまいます。今日、それをやってしまいました。予定よりも早く大久野島を立つ事が出来、予め時刻表検索で割り出したダイヤよりも、早めの電車に乗る事が出来ました。逆にそれが災いしてしまったようです。山陽本線の三原から福山行きに乗り、福山で岡山行きに乗り換えるつもりが…何か元来た場所に戻っている様な。今、通過した駅が備後赤坂。地図で見ると、やはり広島の方に戻っています。早速、次の松永で再び上り電車に飛び乗りました。まだ地図を持っていたから、僅か2駅の逆走で済んだのです。これが地図も持たず、終電間際の時間帯だったら、一体どうなっていた事やら。深夜には金融機関のATMも止まっています。駅で野宿を強いられた上、会社に「もう1日休ませてくれ」と、お詫びの電話を入れなければならない羽目に陥っていたでしょう。

★遺伝子変性

今日、実家にいた時から通っている鍼灸院に受診に伺い、そこで広島旅行で観た、原爆資料館に展示していた被爆者の黒い爪の写真を観てもらいました。そうしたら、その鍼灸師さんも、その写真には大変驚かれました。

鍼灸師さん曰く「この疾患は遺伝子変性に因るもの」だそうです。
手の皮膚は頭皮と同じ「重層扁平上皮」と呼ばれます。表皮の下の真皮組織には血管や神経が通い、盛んに新陳代謝が行われます。常に新しい皮膚が生まれ、それが上に押し上げられ、表面の古い皮膚は剥がれて新しい皮膚に置き換わります。その新しい皮膚が身体の部位によって毛髪になったり爪になったりするのです。ところが、放射能によって遺伝子の組成が変わってしまうと(遺伝子変性)、本来なら毛髪になるべき頭皮の皮膚が爪になったり、爪になるべき手の指先の皮膚から毛髪が生えてきたりするのです。この写真の場合は、真皮組織と表皮の爪の部分、毛髪の部分が遺伝子レベルで混ぜ合わされ、こんな血管の通う黒い爪が指先から生えて来たのだそうです。

この場合は、たまたま直接被爆したのが指先で済んだから、遺伝子変性も指先だけで済んだのです。それでも血管の通う異形の爪ですから、もはや爪を切る事は出来ません。麻酔手術で「血管」ごと切断する他ありません。もし、これが指先だけでなく身体全体が被爆していたらどうなっていたでしょうか?もし九死に一生を得る事が出来たとしても、化け物みたいな身体で死の淵をさ迷い続けなければならないのです。ベトナム戦争中に撒かれた米軍の枯葉剤のせいで生まれた、ベトちゃん・ドクちゃんという互いに身体が引っ付いた双子の赤ん坊みたいな事になっていたでしょう。

これだけでも、核兵器は必要悪なんかではなく、残虐兵器として廃絶されなければならない事が分かります。これは原発も同じです。福島第一原発の原子炉の中には、今でも溶け落ちた核燃料のデブリ(溶融塊)がそのまま残り、放射能を周囲に撒き散らしているのですから。

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ヒロシマ2019平和の旅 参考資料

2019年08月08日 20時13分09秒 | 身辺雑記・ちょいまじ鉄ネタ

 

平和宣言

今世界では自国第一主義が台頭し、国家間の排他的、対立的な動きが緊張関係を高め、核兵器廃絶への動きも停滞しています。このような世界情勢を、皆さんはどう受け止めますか。二度の世界大戦を経験した私たちの先輩が、決して戦争を起こさない理想の世界を目指し、国際的な協調体制の構築を誓ったことを、私たちは今一度思い出し、人類の存続に向け、理想の世界を目指す必要があるのではないでしょうか。
特に、次代を担う戦争を知らない若い人にこのことを訴えたい。そして、そのためにも1945年8月6日を体験した被爆者の声を聴いてほしいのです。

当時5歳だった女性は、こんな歌を詠んでいます。
「おかっぱの頭(づ)から流るる血しぶきに 妹抱(いだ)きて母は阿修羅(あしゅら)に」
また、「男女の区別さえ出来ない人々が、衣類は焼けただれて裸同然。髪の毛も無く、目玉は飛び出て、唇も耳も引きちぎられたような人、顔面の皮膚も垂れ下がり、全身、血まみれの人、人。」という惨状を18歳で体験した男性は、「絶対にあのようなことを後世の人たちに体験させてはならない。私たちのこの苦痛は、もう私たちだけでよい。」と訴えています。
生き延びたものの心身に深刻な傷を負い続ける被爆者のこうした訴えが皆さんに届いていますか。
「一人の人間の力は小さく弱くても、一人一人が平和を望むことで、戦争を起こそうとする力を食い止めることができると信じています。」という当時15歳だった女性の信条を単なる願いに終わらせてよいのでしょうか。

世界に目を向けると、一人の力は小さくても、多くの人の力が結集すれば願いが実現するという事例がたくさんあります。インドの独立は、その事例の一つであり、独立に貢献したガンジーは辛く厳しい体験を経て、こんな言葉を残しています。
「不寛容はそれ自体が暴力の一形態であり、真の民主的精神の成長を妨げるものです。」
現状に背を向けることなく、平和で持続可能な世界を実現していくためには、私たち一人一人が立場や主張の違いを互いに乗り越え、理想を目指し共に努力するという「寛容」の心を持たなければなりません。
そのためには、未来を担う若い人たちが、原爆や戦争を単なる過去の出来事と捉えず、また、被爆者や平和な世界を目指す人たちの声や努力を自らのものとして、たゆむことなく前進していくことが重要となります。

そして、世界中の為政者は、市民社会が目指す理想に向けて、共に前進しなければなりません。そのためにも被爆地を訪れ、被爆者の声を聴き、平和記念資料館、追悼平和祈念館で犠牲者や遺族一人一人の人生に向き合っていただきたい。
また、かつて核競争が激化し緊張状態が高まった際に、米ソの両核大国の間で「理性」の発露と対話によって、核軍縮に舵(かじ)を切った勇気ある先輩がいたということを思い起こしていただきたい。
今、広島市は、約7,800の平和首長会議の加盟都市と一緒に、広く市民社会に「ヒロシマの心」を共有してもらうことにより、核廃絶に向かう為政者の行動を後押しする環境づくりに力を入れています。世界中の為政者には、核不拡散条約第6条に定められている核軍縮の誠実交渉義務を果たすとともに、核兵器のない世界への一里塚となる核兵器禁止条約の発効を求める市民社会の思いに応えていただきたい。

こうした中、日本政府には唯一の戦争被爆国として、核兵器禁止条約への署名・批准を求める被爆者の思いをしっかりと受け止めていただきたい。その上で、日本国憲法の平和主義を体現するためにも、核兵器のない世界の実現に更に一歩踏み込んでリーダーシップを発揮していただきたい。また、平均年齢が82歳を超えた被爆者を始め、心身に悪影響を及ぼす放射線により生活面で様々な苦しみを抱える多くの人々の苦悩に寄り添い、その支援策を充実するとともに、「黒い雨降雨地域」を拡大するよう強く求めます。

本日、被爆74周年の平和記念式典に当たり、原爆犠牲者の御霊に心から哀悼の誠を捧げるとともに、核兵器廃絶とその先にある世界恒久平和の実現に向け、被爆地長崎、そして思いを同じくする世界の人々と共に力を尽くすことを誓います。

令和元年(2019年)8月6日 広島市長 松井 一實

http://www.city.hiroshima.lg.jp/www/contents/1110537278566/index.html

 

広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式あいさつ

 今から74年前の今日、原子爆弾により、十数万ともいわれる貴い命が失われました。街は焦土と化し、人々の夢や明るい未来が容赦なく奪われました。一命をとりとめた方々にも、筆舌に尽くし難い苦難の日々をもたらしました。
 原子爆弾の犠牲となられた数多くの方々の御霊(みたま)に対し、謹んで、哀悼の誠を捧(ささ)げます。
 そして、今なお被爆の後遺症に苦しまれている方々に、心からお見舞いを申し上げます。
 核兵器によってもたらされた広島と長崎の悲劇を決して繰り返してはなりません。唯一の戦争被爆国として、「核兵器のない世界」の実現に向けた努力をたゆまず続けること。これは、令和の時代においても、変わることのない我が国の使命です。新しい時代を平和で希望に満ち溢(あふ)れた時代としなければなりません。
 近年、世界的に安全保障環境は厳しさを増し、核軍縮をめぐっては各国の立場の隔たりが拡大しています。
 我が国は、「核兵器のない世界」の実現に向け、非核三原則を堅持しつつ、被爆の悲惨な実相への理解を促進してまいります。核兵器国と非核兵器国の橋渡しに努め、双方の協力を得ながら対話を粘り強く促し、国際社会の取組を主導していく決意です。
 明年は、核兵器不拡散条約(NPT)発効50周年という節目の年を迎え、5年に1度のNPT運用検討会議が開催されます。この会議において、意義ある成果を生み出すために、一昨年、ここ広島から始まった核軍縮に関する「賢人会議」の提言等を十分踏まえながら、各国に積極的に働きかけていく決意です。
 私たちには、唯一の戦争被爆国として、核兵器の非人道性を、世代や国境を越えて伝え続ける務めがあります。
 被爆者の方々から伝えられた被爆体験を、しっかりと、若い世代へと語り継いでいく。
 そして、広島や長崎を訪れる世界中の人々が、被爆の悲惨な実相に触れることで、平和への決意を新たにすることができる。そうした取組を我が国として、着実に推し進めてまいります。
 被爆者の方々に対して、保健、医療、福祉にわたる支援の必要性をしっかりと受け止め、今後も、被爆者の方々に寄り添った援護施策を総合的に推進してまいります。特に、原爆症の認定について、引き続き、一日も早く結果をお知らせできるよう、できる限り迅速な審査を行ってまいります。
 結びに、「国際平和文化都市」として発展を遂げた、ここ広島市において、「核兵器のない世界」と恒久平和の実現に向けて力を尽くすことをお誓い申し上げます。原子爆弾の犠牲となられた方々のご冥福と、ご遺族、被爆者の皆様、並びに、参列者、広島市民の皆様のご平安を祈念いたしまして、私の挨拶といたします。

令和元年8月6日 内閣総理大臣・安倍晋三

http://www.kantei.go.jp/jp/98_abe/statement/2019/0806hiroshima.html

 

以上、今年の広島原爆慰霊式での市長の平和宣言と安倍の首相あいさつの全文を載せました。両者を読み比べると更にその違いが際立ちます。

被爆者の具体的証言から核兵器禁止条約の署名・批准を訴えた市長に対し、「御霊に哀悼の意を捧げる」だの「筆舌に尽くし難い苦難の日々」だの、大言壮語する割には市長の要望に何ら応えようとせず、言い訳に終始する安倍。幾ら「核保有国と非核保有国の橋渡し」に努めても、核保有国に核廃棄を迫らない限り、ただ「やってるフリ」をしているだけにしかならない。

幾ら虐めっ子と虐められっ子の「橋渡し」を努めようと、虐めっ子に「虐めはダメだ」と迫らない限り、虐めなんて無くなる訳がない。核廃絶もそれと同じではないでしょうか?

(追記)

安倍はやっぱりコピペ、手抜き弔辞の常習犯でした。長崎原爆慰霊式のあいさつも広島のあいさつとほとんど同じ文面でした。同じ保守系の広島、長崎市長が、被爆地の世論を背に、自分の言葉で核廃絶と核兵器禁止条約の批准を訴えたのとは雲泥の差です。安倍はやはり被爆者を見下していました。

長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典あいさつ

 本日、被爆74周年の長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典に当たり、原子爆弾の犠牲となられた数多くの方々の御霊(みたま)に対し、謹んで、哀悼の誠を捧(ささ)げます。
 そして、今なお被爆の後遺症に苦しまれている方々に、心からお見舞いを申し上げます。
 今から74年前の今日、一発の原子爆弾により、一瞬にして街は焦土と化し、7万ともいわれる貴い命が失われました。人々の夢や明るい未来が容赦なく奪われ、一命をとりとめた方々にも、筆舌に尽くし難い苦難の日々をもたらしました。
 核兵器によってもたらされた長崎と広島の惨禍を決して繰り返してはなりません。唯一の戦争被爆国として、「核兵器のない世界」の実現に向けた努力をたゆまず続けること。これは、令和の時代においても、変わることのない我が国の使命です。新しい時代を平和で希望に満ち溢(あふ)れた時代としなければなりません。
 近年、世界的に安全保障環境は厳しさを増し、核軍縮をめぐっては各国の立場の隔たりが拡大しています。
 我が国は、「核兵器のない世界」の実現に向け、非核三原則を堅持しつつ、被爆の悲惨な実相への理解を促進してまいります。核兵器国と非核兵器国の橋渡しに努め、双方の協力を得ながら対話を粘り強く促し、国際社会の取組を主導していく決意です。
 明年は、核兵器不拡散条約(NPT)発効50周年という節目の年を迎え、5年に1度のNPT運用検討会議が開催されます。この会議において、意義ある成果を生み出すために、昨年11月にここ長崎で開催された核軍縮に関する「賢人会議」の提言等を十分踏まえながら、各国に積極的に働きかけていく決意です。
 私たちには、唯一の戦争被爆国として、核兵器の非人道性を、世代や国境を越えて伝え続ける務めがあります。
 被爆者の方々から伝えられた被爆体験を、しっかりと、若い世代へと語り継いでいく。
 そして、長崎や広島を訪れる世界中の人々が、被爆の悲惨な実相に触れることで、平和への決意を新たにすることができる。そうした取組を我が国として、着実に推し進めてまいります。
 被爆者の方々に対して、保健、医療、福祉にわたる支援の必要性をしっかりと受け止め、被爆者の方々に寄り添いながら、今後とも、援護施策を総合的に推進してまいります。特に、原爆症の認定について、引き続き、一日も早く結果をお知らせできるよう、できる限り迅速な審査を行ってまいります。
 結びに、市民の皆様のたゆみない御努力により、「国際文化都市」として見事に発展を遂げられた、ここ長崎市において、「核兵器のない世界」と恒久平和の実現に向けて力を尽くすことをお誓い申し上げます。
 原子爆弾の犠牲となられた方々のご冥福と、ご遺族、被爆者の皆様、並びに、参列者、長崎市民の皆様のご平安を祈念いたしまして、私の挨拶といたします。

令和元年8月9日 内閣総理大臣・安倍晋三

http://www.kantei.go.jp/jp/98_abe/statement/2019/0809nagasaki.html

 

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ヒロシマ2019平和の旅

2019年08月07日 23時51分25秒 | 身辺雑記・ちょいまじ鉄ネタ
  
 
会社の休みを利用して8月6日・7日とヒロシマに行って来ました。原爆慰霊式典当日の6日午前8時には会場の平和公園に着きましたが、既に公園は参列者で一杯でした。やがて雨が降って来ました。会場のテントには来賓などの招待された人しか入れません。私は周囲の方の好意で、何とか傘の下に入れてもらえる事になりました。
 
今年の広島原爆慰霊式典で、広島の松井市長は、平和宣言の中で以下のように述べました。

「世界中の為政者は核兵器のない世界への一里塚となる核兵器禁止条約の発効を求める市民社会の思いに応えていただきたい」

その中でもとりわけ「日本政府には唯一の戦争被爆国として、核兵器禁止条約への署名・批准を求める被爆者の思いをしっかりと受け止めていただきたい。その上で、日本国憲法の平和主義を体現するためにも、核兵器のない世界の実現に更に一歩踏み込んでリーダーシップを発揮していただきたい」
 
それに対し、日本国総理大臣の安倍晋三は何と応えたか?以下、総理のあいさつから引用します。

「世界的に安全保障環境は巌しさを増し、核軍縮をめぐっては各国の立場の隔たりが拡大しています」

「核兵器国と非核兵器国の橋渡しに努め、双方の協力を得ながら対話を粘り強く促し、国際社会の取り組みを主導していく決意です」

言葉尻を捉えられないように、非常に遠回しな言い方をしていますが、前項については「安全保障環境は厳しさを増しているから核兵器のない世界なぞ実現不可能」と、単なる言い訳に終始しているだけです。

後者についても、「核保有国と非核保有国の橋渡しに努める」と言いながら、単なる「橋渡し=仲介」に努めるだけで、核兵器禁止条約の批准は迫らず。これでは「核保有国の肩を持ち、いたずらに時間稼ぎを図ろうとしているだけだ」と言われても仕方ないでしょう。

松井市長が、同じ平和宣言の中で、インド独立の父ガンジーの言葉を引いて、「不寛容はそれ自体が暴力の一形態であり、真の民主的成長を妨げるもの」であり、「立場や主張の違いを互いに乗り越え、理想を目指し共に努力する寛容の心を持たなければならない」と言ったにも関わらず、安倍は理想を投げ捨て、ひたすら現実に安住するばかりでした。

昨年までのような使い回し原稿棒読みの手抜き、コピペ弔辞は、今年はさすがに影を潜めたものの、その内容においては、昨年からちっとも変わりませんでした。これが果たして「唯一の被爆国」の首相として相応しい態度でしょうか?(広島市長の平和宣言と安倍の内閣総理大臣あいさつ、両方の全文を次の記事に掲載しました。両者をじっくり読み比べてみて下さい)
 


平和記念資料館の展示の中で一番印象に残った物があります。それは被爆者の目玉が飛び出た絵でもなければ、一面ケロイドで覆われた背中の写真でもありません。兵士の左手薬指の先から死ぬまで伸び続けた黒い異形の爪の姿です。

その兵士の証言によれば、被爆時にたまたま窓の外に出していた左手の中指と薬指に大火傷を負いました。そこから黒い爪がどんどん伸び始めたのだそうです。しかも、その爪には血管が通っていたのだそうです。

幾ら大火傷を負っても、そこから血管が通う黒い爪が生えてくる事なぞ、普通はあり得ません。何故こんな事になったのか?原爆の放射線によるものとしか思えません。

放射線にはα(アルファ)線、β(ベータ)線、γ(ガンマー)線、中性子線の4種類があります。細胞の破壊力は最大だが粒子が大きいα線は一枚の紙でも遮る事が出来ます。しかし、それよりも破壊力は劣るが粒子の細かいβ線やγ線、中性子線は、どんな遮蔽物でも透過して体内に侵入して来ます。たまたま窓の外に出していて遮る物の無かった左手の中指、薬指には、原爆の熱線と共に、放射線の中でも破壊力が最大のα線が直接降り注いだのです。

だから、体内組織が遺伝子レベルに至るまで破壊され、傷の修復機能が損なわれた為に、染色体に異常が起こり、このような異形の爪が生えて来たのです。数か所割れただけの陶器なら、まだつなぎ合わせて修復する事は可能ですが、粉々になった陶器をつなぎ合わせる事は不可能に近いです。無理に破片をつなぎ合わせようとしても、元の陶器とは似ても似つかぬ物が生まれるだけです。人間の体もそれと同じです。

原爆の被害が悲惨なのは、放射能による被害が甚大だからです。運良く直接被爆を免れ、無傷で済んだ被爆者や、被災後に救援の為に広島に入った人達も、後に原因不明の高熱やガンで相次いで亡くなっています。そして、チェルノブイリや福島の例を見れば分かる通り、環境も放射能で汚染されてしまう。その修復には何十年かかるか見当もつきません。そんな恐ろしい核兵器は、もはや多少の削減でお茶を濁す事なぞ許されません。核兵器は速やかに全廃する以外にはありません。
 
7日は広島から大阪に帰る途中に大久野島に立ち寄りました。

大久野島は広島県竹原市忠海(ただのうみ)町の沖にある小島で、国民休暇村や海水浴場、キャンプ場があります。今でこそ放し飼いのウサギと出会える癒しの島として観光地になっていますが、戦時中には軍の毒ガス製造秘密工場がありました。今、島にいるウサギの出生には諸説ありますが、その一つに、毒ガス実験用に飼われていたウサギが野生化した物だとする説もあります。島には毒ガス資料館もあります。

戦時中は島の存在自体が地図から抹消されていました。当時の地図には、島の周辺が全て白抜きで表示されています。何故そこまでしてまで抹消されなければならなかったか?単に軍事機密という理由だけではありません。

当時の日本は既にジュネーブ議定書に署名していました。その議定書には、毒ガス兵器を残虐兵器として製造・使用を禁じる規定もありました。第一次世界大戦で、世界で初めて毒ガス兵器が使用され、多くの兵士が残虐な殺され方をしました。それを教訓に、この規定が生まれたのです。

当時、既に毒ガス兵器の使用は国際法違反でした。それを百も承知の上で、当時の日本政府は、本土からも近く、資材や作業員も比較的容易に集める事の出来る、大久野島に軍の毒ガス製造工場を作ったのです。しかも島には、日清戦争時に作られ、実際には使われる事が無かった要塞が、そのまま残されていました。それがそのまま秘密工場に転用されました。
 
 
 
 

ここで上記の毒ガス資料館リーフレットの写真をご覧下さい。そこには防護服を着た作業員の足元に、字がかすれてしまっていますが「装面」と書かれた赤い丸型の板が置かれています。その板が掲げられていた場所では、防護服の着用が義務付けられていました。しかし、その防護服も気休めでしかありませんでした。毒ガスは防護服の隙間からも容赦なく侵入して来ました。

しかも、軍の機密工場として、職場には箝口令(かんこうれい)が敷かれ、作業員は昼夜2交代で1日13時間もの長時間労働に駆り出されました。当時の抜け穴だらけの労働時間規制すら、戦時中という事で適用されませんでした。当時は労災保険もありませんでした。その劣悪な環境の下で、作業員は長年に渡り毒ガスの後遺症に苦しめられる事になります。
 
以下、当時ここで作られていた毒ガス兵器の名称と特徴を、上記のリーフレットから抜き書きします。散布すると出るガスの色で区別されていました。
黄号(きい号とも呼ばれた)は、イペリットやルイサイトなどのびらん性毒剤です。皮膚に付着すると強い痛みを引き起こし、皮膚には水疱(すいほう)が出来ます。黄1号甲・乙・丙、黄2号の4種類が作られました。赤1号はジ・フェニールシアンアルシンという刺激性のくしゃみ剤です。吸い込むと呼吸困難に陥ります。茶1号は中毒性の青酸です。緑1号は塩化アセト・フェノンで、吸い込むと肺水腫を引き起こします。比重が重いので、散布されると窪地や洞穴に滞留しました。

これ、決して昔だけの話じゃないでしょう。今の原発も全く同じじゃないですか。原発も安全だと言われながら、決して都会には作られず、地方の海岸べりや島影に作られました。そして、第一次産業で食べれなくなった地元民に、形ばかりの防護服を着せ、多重下請けの安い給料でこき使い、被曝したら闇から闇に葬って来ました。

これでは、今の「ウサギの島」の観光ブームも、島の暗い過去を隠す為に、わざと演出されたものではないかと、勘ぐりたくなります。ウサギは確かに可愛いですが、表の華やかな光だけに目を奪われ、暗い過去を忘れたままでいると、いつかまた同じ過ちを繰り返す事になります。それを痛感した旅でした。
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