なんだこれ。ふざけんなよ。
・東大阪市長選 選管発表
投票率:42.06% (前回比+6.03%)
開票結果:
野田義和 72,820票 当選
長尾淳三 70,454票
西野 茂 22,014票
http://www.city.higashiosaka.osaka.jp/250/250010/kaisoku/shicho/kaisoku.html
・「東大阪市長選挙の最終盤、いよいよ本性をあらわした相手陣営」(宮本たけしHP)から
(引用開始)
最終盤に入っていよいよ相手陣営はその本性をあらわにしました。相手側の機関紙「改革№9」は市民の間で「ムダ」との声が多く、長尾さんが建設を中止した24億円の「上下水道庁舎」について、「市民にもプラスになる事業でした」と強弁。それならマニフェストでは「上下水道庁舎の建設」としていたものをホームページで「再検討」などと姑息なゴマカシをせず、最初から堂々と「建設します」というビラをまけばよかったのです。まあこれも、そこまで「追い込まれた」ということでしょう。
そしてもう一つ、はっきりしたのは相手陣営の本丸には自民党ではなく創価学会・公明党が陣取っているということ。今日、市内各駅頭でやられた相手陣営の演説会は自民党府本部の緑の大型宣伝カーに自民党議員ではなく公明党の北側幹事長が立ち、他市他県から動員された創価学会の外人部隊に檄を飛ばす。演説終了後、その外人部隊が「ストップ共産市政!」と大書されたプランターを持ち、市内の辻々に立って長尾さんの悪口を言って回るという実に卑劣な作戦。
あわせて公営掲示板の相手候補のポスターも「ストップ共産市政!」のスローガンの入ったものに貼り替えられました。そして「ストップ!!共産市政」の大見出しの「改革№10」…とうとう選挙を汚して勝とうという作戦のようです。ビラの色調から語り口まで私の選挙でもまかれた出所不明の謀略ビラとほとんど同じ。そして中に書いてある革新自治体攻撃の言いぶんは、この間東大阪に乗り込んで来た公明党の白浜参議院議員や浜四津代表代行の演説とうり二つ…。
これですべてが明らかになりました。尻込みする自民党の尻をたたいて道理のない長尾市長不信任をたきつけたのも、前市議会議長陣営の選挙を取り仕切っているのも創価学会・公明党だということ。自民党でさえこの候補者では一本にまとまらず二人の候補が立つ分裂選挙となったものを、「反共」のみの執念で公明党・創価学会がこの陣営の本丸に乗り込み、自民党の首根っこをつかんで振り回している選挙だということです。
そして、その公明党・創価学会の言いぶんの「AtoZ」は「共産党だからダメ」以外の何の語る言葉も持たないということ。極めつけは、これまで「出所不明」ビラとして出してきたものを、今回は「出所明記ビラ」にしたために、これまでの「出所不明」謀略ビラは、誰が出したかが白日の下にさらされたということです。しかし、選挙に勝つためには市民が選んだ市長に悪罵を投げつけ、自民党と結んで権力を動かし、信者を他府県からまで動員して手段を選ばず市政乗っ取りを図る…このような宗教団体の活動を「宗教」の名において許しておいてよいのでしょうか。
(引用終了)
http://www.miyamoto-net.net/column/diary/1193497849.html
なるほど、そういう事か。かつて70年代後半から80年代初頭にかけて、東京・京都・大阪の革新都・府政が、自民党とその補完勢力に相次いで乗っ取られた時にも、選挙戦の最後に表に出てきたのは、勝共連合・原理研の動員部隊だった。勝共連合の謀略的・暴力的体質は、そっくりそのまま公明党に引継がれた。そして、「ムチャクチャな不信任劇に対する民主主義回復の闘い」を、マッカーシズムさながらに、単なる「共産市政、是か非か」という「レッテル張り」の問題に摩り替えてしまう事に、今回は辛うじて成功したという訳だ。前回よりアップしたとは言えど、依然として5割を切る低投票率に、それが如実に現われているのではないだろうか。
もっと言えば、こういう相手の謀略体質については、既に今までの例からも、とっくに分っていた事。もっと有効な手が打てなかったのか。事の本質をもっと明らかに出来ておれば、もっと市民が結集できていたのでは。とは言え、今更何を言っても仕方が無いが。
自分たちはどれだけ腐敗まみれで逮捕者が出てもリコールを妨害してきたくせに、相手が共産党となった途端に、ただ「気に入らないから」という理由だけで、民主的に選ばれて何も不祥事も起こしていない市長に、リコールをしかけて追い落とす。しかもあらん限りの謀略的な手口を使って。それが今回の東大阪市長選挙の全経過だ。
しかし、「これで我が世の春」と思ったら大間違いだ。奢る平家は久しからず。既に小泉改革の化けの皮が剥げ、安倍のヤラセ政治もブザマな退陣劇で幕を閉じた。次は攻守変って、市民が野田市政に不信任をつきつける番だ。こちらには、「共産党だからダメ」以外の何の語る言葉も持たない謀略市長とは違い、利権・不正の追及という、ちゃんとした大義がある。どうせ、自民・公明・解同べったりで利権まみれの野田の事だ、叩けばいくらでも埃が出るだろう。
■■追記(少々長いです)■■
この記事を書いた当初は、怒りに任せて、「もはや政府転覆しかない」(先の都知事選での外山恒一の政見放送のノリで)に近い気分でいましたが、実際には長尾さんの得票は、前回から1万8千余票も伸ばす史上最高のものであり、当選した利権候補とは僅か2千票余りの僅差だった、という事が分りました。
・市長選得票数・率と前回比
今回(2007年10月28日投票):但し今回の野田票は前回の松見票との比較
野田義和 72,820 44.06% : +21,978 +7.95ポイント
長尾淳三 70,454 42.63% : +18,633 +5.83ポイント
西野 茂 22,014 13.32% : -16,137 -13.77ポイント
投票総数 165,288 投票率 42.06% : +24,474 +6.03ポイント
前回(2006年7月2日投票)
長尾淳三 51,821 36.80%
松見正宣 50,842 36.11%
西野 茂 38,151 27.09%
投票総数 140,814 投票率 36.03%
そういう事では「これは後に続く成果を残した戦いだった」という事が出来ます。しかし、それでも「負けは負け」。成果と同時に、解明すべき課題も依然として残っている、という様に私は思います。その課題とは、(1) それでも依然として5割を切る低得票率を前にして、更に一回り大きく支持を広げていくにはどうすれば良いか、という問題と、(2) SIMANTOさんのブログで指摘されている様な相手の策動(西野から野田への票の融通疑惑:後述)に対しても、それに打ち破るだけの力量を、如何に作り出していくか、という問題です。
そういう事も含め、今回の選挙に対する自分なりのまとめなり総括の記事を、また別途改めて書く予定でいます。
(参考記事)
・東大阪市長選、長尾さん惜しくも及ばず(記事追加)(さるのつぶやき)
http://saru.txt-nifty.com/blog/2007/10/post_0e38.html
・東大阪市長選、論戦で大義を握った長尾候補、市議選の1.7倍、参院選の2.5倍の得票―自民・公明は市議選の0.75倍、参院選の0.78倍(同上)
http://saru.txt-nifty.com/blog/2007/10/17257578_e156.html
・長尾氏大健闘!…僅差の惜敗(SNMANTO BBS)
前回比2万4千票の投票増加分のうち、長尾さんが2/3を上回る1万8千票を獲得。残り1/3の6千票が野田に行き、そのままでは長尾さんの勝利が確実となる所を、野田票はそれを1万6千も上回る2万1千余票も増加。そして、なるほど西野票が、野田票とは対照的に1万6千余もの減少となって現われています。若し「西野が野田に票を回した」のが本当なら、野田も西野も、とんだクワセモノという事になる。
http://simanto114.blog116.fc2.com/blog-entry-92.html
・恥ずかしげもなく、よくこんなチラシがまけるものだ(A PLACE IN THE SUN)
米軍再編による空母艦載機などの基地移転問題で揺れる山口県岩国市でも、媚「米・政府・財界」派による市長追い落とし策動が本格化しています。かつてヒットラーがワイマール共和国を乗っ取ったのと、全く同じやり口で。或いは、形こそ選挙の仕組みを利用しているものの、韓国の朴正煕やチリのピノチェトとも全く同じやり口で。ではこちらも、ヒットラー・朴正煕・ピノチェトと同じ末路を、こいつらにも辿らせてやる事にしましょう。
http://pochicoro.cocolog-nifty.com/blog/2007/10/post_7ce2.html
・東大阪市長選 選管発表
投票率:42.06% (前回比+6.03%)
開票結果:
野田義和 72,820票 当選
長尾淳三 70,454票
西野 茂 22,014票
http://www.city.higashiosaka.osaka.jp/250/250010/kaisoku/shicho/kaisoku.html
・「東大阪市長選挙の最終盤、いよいよ本性をあらわした相手陣営」(宮本たけしHP)から
(引用開始)
最終盤に入っていよいよ相手陣営はその本性をあらわにしました。相手側の機関紙「改革№9」は市民の間で「ムダ」との声が多く、長尾さんが建設を中止した24億円の「上下水道庁舎」について、「市民にもプラスになる事業でした」と強弁。それならマニフェストでは「上下水道庁舎の建設」としていたものをホームページで「再検討」などと姑息なゴマカシをせず、最初から堂々と「建設します」というビラをまけばよかったのです。まあこれも、そこまで「追い込まれた」ということでしょう。
そしてもう一つ、はっきりしたのは相手陣営の本丸には自民党ではなく創価学会・公明党が陣取っているということ。今日、市内各駅頭でやられた相手陣営の演説会は自民党府本部の緑の大型宣伝カーに自民党議員ではなく公明党の北側幹事長が立ち、他市他県から動員された創価学会の外人部隊に檄を飛ばす。演説終了後、その外人部隊が「ストップ共産市政!」と大書されたプランターを持ち、市内の辻々に立って長尾さんの悪口を言って回るという実に卑劣な作戦。
あわせて公営掲示板の相手候補のポスターも「ストップ共産市政!」のスローガンの入ったものに貼り替えられました。そして「ストップ!!共産市政」の大見出しの「改革№10」…とうとう選挙を汚して勝とうという作戦のようです。ビラの色調から語り口まで私の選挙でもまかれた出所不明の謀略ビラとほとんど同じ。そして中に書いてある革新自治体攻撃の言いぶんは、この間東大阪に乗り込んで来た公明党の白浜参議院議員や浜四津代表代行の演説とうり二つ…。
これですべてが明らかになりました。尻込みする自民党の尻をたたいて道理のない長尾市長不信任をたきつけたのも、前市議会議長陣営の選挙を取り仕切っているのも創価学会・公明党だということ。自民党でさえこの候補者では一本にまとまらず二人の候補が立つ分裂選挙となったものを、「反共」のみの執念で公明党・創価学会がこの陣営の本丸に乗り込み、自民党の首根っこをつかんで振り回している選挙だということです。
そして、その公明党・創価学会の言いぶんの「AtoZ」は「共産党だからダメ」以外の何の語る言葉も持たないということ。極めつけは、これまで「出所不明」ビラとして出してきたものを、今回は「出所明記ビラ」にしたために、これまでの「出所不明」謀略ビラは、誰が出したかが白日の下にさらされたということです。しかし、選挙に勝つためには市民が選んだ市長に悪罵を投げつけ、自民党と結んで権力を動かし、信者を他府県からまで動員して手段を選ばず市政乗っ取りを図る…このような宗教団体の活動を「宗教」の名において許しておいてよいのでしょうか。
(引用終了)
http://www.miyamoto-net.net/column/diary/1193497849.html
なるほど、そういう事か。かつて70年代後半から80年代初頭にかけて、東京・京都・大阪の革新都・府政が、自民党とその補完勢力に相次いで乗っ取られた時にも、選挙戦の最後に表に出てきたのは、勝共連合・原理研の動員部隊だった。勝共連合の謀略的・暴力的体質は、そっくりそのまま公明党に引継がれた。そして、「ムチャクチャな不信任劇に対する民主主義回復の闘い」を、マッカーシズムさながらに、単なる「共産市政、是か非か」という「レッテル張り」の問題に摩り替えてしまう事に、今回は辛うじて成功したという訳だ。前回よりアップしたとは言えど、依然として5割を切る低投票率に、それが如実に現われているのではないだろうか。
もっと言えば、こういう相手の謀略体質については、既に今までの例からも、とっくに分っていた事。もっと有効な手が打てなかったのか。事の本質をもっと明らかに出来ておれば、もっと市民が結集できていたのでは。とは言え、今更何を言っても仕方が無いが。
自分たちはどれだけ腐敗まみれで逮捕者が出てもリコールを妨害してきたくせに、相手が共産党となった途端に、ただ「気に入らないから」という理由だけで、民主的に選ばれて何も不祥事も起こしていない市長に、リコールをしかけて追い落とす。しかもあらん限りの謀略的な手口を使って。それが今回の東大阪市長選挙の全経過だ。
しかし、「これで我が世の春」と思ったら大間違いだ。奢る平家は久しからず。既に小泉改革の化けの皮が剥げ、安倍のヤラセ政治もブザマな退陣劇で幕を閉じた。次は攻守変って、市民が野田市政に不信任をつきつける番だ。こちらには、「共産党だからダメ」以外の何の語る言葉も持たない謀略市長とは違い、利権・不正の追及という、ちゃんとした大義がある。どうせ、自民・公明・解同べったりで利権まみれの野田の事だ、叩けばいくらでも埃が出るだろう。
■■追記(少々長いです)■■
この記事を書いた当初は、怒りに任せて、「もはや政府転覆しかない」(先の都知事選での外山恒一の政見放送のノリで)に近い気分でいましたが、実際には長尾さんの得票は、前回から1万8千余票も伸ばす史上最高のものであり、当選した利権候補とは僅か2千票余りの僅差だった、という事が分りました。
・市長選得票数・率と前回比
今回(2007年10月28日投票):但し今回の野田票は前回の松見票との比較
野田義和 72,820 44.06% : +21,978 +7.95ポイント
長尾淳三 70,454 42.63% : +18,633 +5.83ポイント
西野 茂 22,014 13.32% : -16,137 -13.77ポイント
投票総数 165,288 投票率 42.06% : +24,474 +6.03ポイント
前回(2006年7月2日投票)
長尾淳三 51,821 36.80%
松見正宣 50,842 36.11%
西野 茂 38,151 27.09%
投票総数 140,814 投票率 36.03%
そういう事では「これは後に続く成果を残した戦いだった」という事が出来ます。しかし、それでも「負けは負け」。成果と同時に、解明すべき課題も依然として残っている、という様に私は思います。その課題とは、(1) それでも依然として5割を切る低得票率を前にして、更に一回り大きく支持を広げていくにはどうすれば良いか、という問題と、(2) SIMANTOさんのブログで指摘されている様な相手の策動(西野から野田への票の融通疑惑:後述)に対しても、それに打ち破るだけの力量を、如何に作り出していくか、という問題です。
そういう事も含め、今回の選挙に対する自分なりのまとめなり総括の記事を、また別途改めて書く予定でいます。
(参考記事)
・東大阪市長選、長尾さん惜しくも及ばず(記事追加)(さるのつぶやき)
http://saru.txt-nifty.com/blog/2007/10/post_0e38.html
・東大阪市長選、論戦で大義を握った長尾候補、市議選の1.7倍、参院選の2.5倍の得票―自民・公明は市議選の0.75倍、参院選の0.78倍(同上)
http://saru.txt-nifty.com/blog/2007/10/17257578_e156.html
・長尾氏大健闘!…僅差の惜敗(SNMANTO BBS)
前回比2万4千票の投票増加分のうち、長尾さんが2/3を上回る1万8千票を獲得。残り1/3の6千票が野田に行き、そのままでは長尾さんの勝利が確実となる所を、野田票はそれを1万6千も上回る2万1千余票も増加。そして、なるほど西野票が、野田票とは対照的に1万6千余もの減少となって現われています。若し「西野が野田に票を回した」のが本当なら、野田も西野も、とんだクワセモノという事になる。
http://simanto114.blog116.fc2.com/blog-entry-92.html
・恥ずかしげもなく、よくこんなチラシがまけるものだ(A PLACE IN THE SUN)
米軍再編による空母艦載機などの基地移転問題で揺れる山口県岩国市でも、媚「米・政府・財界」派による市長追い落とし策動が本格化しています。かつてヒットラーがワイマール共和国を乗っ取ったのと、全く同じやり口で。或いは、形こそ選挙の仕組みを利用しているものの、韓国の朴正煕やチリのピノチェトとも全く同じやり口で。ではこちらも、ヒットラー・朴正煕・ピノチェトと同じ末路を、こいつらにも辿らせてやる事にしましょう。
http://pochicoro.cocolog-nifty.com/blog/2007/10/post_7ce2.html
私は、職場ではどうも、「アンチ根性論者」と見られているようです。まあ私も最近は、「下見て暮らせ傘の下」の「B層反動オヤジ・ネットウヨクもどき」や、上には言いなりで矛盾を下にツケ回ししながらそれを根性論・精神論で誤魔化そうとする職制層への反発から、職場では意識的に小泉・安倍政治の悪口を散々言ってきたので、バイト仲間からは「多少アカがかった奴」と見られ始めているのかも知れませんw。
少し前に、休憩時間にバイトの同僚と、TV映画「フラガール」を見た感想から始まって、シズちゃんが出る缶コーヒー・ジョージアのCM評に話が及んだ時の事です。渡哲也と一緒に取引先に謝りにいったシズちゃんが、ひたすら謝り倒す渡哲也を腐して、「そないにペコペコする事あらへんやないですか」「さっきも言ってたやないですか、悪いのはコイツやって」と突っ込みを入れる、あのCMです。そのCMに対して「あの場面は痛快だ」と評した私に対して、「そういう仕事の捉え方をする人ばかりではありません、こういう仕事の捉え方をする人もいます」といって私に紹介したのが、その日のすぐ後から放送が始まったTVドラマ「働きマン」でした。
一体どんなドラマなんだろうと思って初回のドラマを見て、逆に笑ってしまいました。「あははははは、ワーカーホリックも何のその、ここまで”純粋に”仕事にのめり込む事が出来たら、ある意味ではサラリーマンとして本望なのではないか」と。
このドラマは、安野モヨコ原作の連載漫画をドラマ化したものです。菅野美穂が扮する女性雑誌編集者・松方弘子が、寝食を忘れて仕事に没頭する話なのですが、その様子が余りにも漫画チックなのです。松方が「仕事モードオン、男スイッチ入ります」と言って記事冒頭の写真の様なポーズをとった途端に、テレビ画面一杯に後光が指して、一挙に仕事モードに切り替わるという、男尊女卑の非難も全く意に介さない、余りにも突拍子もない展開には、「何だコイツはまるでサイボーグか」と、思わず笑ってしまった。
そして番組第一作のストーリーはというと、何とそのサイボーグ編集者が、外務大臣の機密費流用疑惑をスクープしちゃうんです。大臣の元愛人でもある第二秘書からの内部告発を受けて、例の仕事モードで記事をアップ。その間は食事も編集部で仕事の合間に海苔巻きかじりながら、で。しかし、その後にどんでん返しがあって、第一作は終了。
私は、こういう仕事の在り方については、別に否定はしません。単に自分や自分の家族や会社の為なんかではなく、社会の不正を暴くという、非常に意義のある事に邁進しているのだから。人を騙したり搾取したり、誰かの不幸と引き換えに自分たちの利益を享受する(そうせざるを得ない)仕事スタイルが跋扈する中で、むしろ幸福なケースだと言えなくもない。それに対して、「仕事より自分の人生が大事」という、速水もこみち扮する新人編集部員・田中の「アンチ根性論」的な考え方も、それはそれで理にかなっているとは思いますが、それだけでは割り切れない場合も、世の中には確かにあります。
しかし、この考え方には一つの落とし穴があるのです。如何に社会の不正義に怒り民主社会を夢見て始まった事業や運動にしても、そこから生まれるのは決してガンジー・ネール・ホーチミンやチェ・ゲバラばかりではないという事です。金正日やポルポトもそこから同じ様に生まれてきたのです。そう言えば、かつて私が在籍していた某生協でも、この手の精神主義が堂々とまかり通っていました。やり手の部長が、「仕事は愛である」なんて、まるで大昔のこうもり傘のテレビCMみたいな事を盛んに言い始めて、それが一世を風靡した事がありました。「仕事が出来なかったりミスをするのは、愛情が足りないからである」という訳です。今から考えれば何の事は無い、戦前日本の神風・特攻思想や北朝鮮のチュチェ思想そのものじゃないか。
「一人は皆の為に、皆は一人の為に」という言葉がありますが、これは両方が機能して初めて成り立つのです。「一人は皆の為に」ばかりが強調され、「皆は一人の為」の「一人」も個人一人一人ではなく特定の指導者を意味するようになっては、後に出来るのはナチス・ドイツや戦前日本や今の北朝鮮の様な世の中になってしまいます。そうではなくて、「個人一人一人」の尊重が先にあって初めて、「一人は皆の為に」という公徳心や団結や連帯の感情も生まれるのです。つまり、「どんなに意義のあるように見える仕事でも、それが個人の幸福をもたらさないものであるならば、それはニセモノでしかない」もっと平たく言えば「死んでもしなければならない仕事などは無い」という事です。その事に気付くかどうかが、その後に来るのが「ホーチミン」社会か「ポルポト」社会かの、分かれ道なのです。
実際、こんな松方弘子みたいな働き方は、若い時の一時期だからこそ出来るのです。いつまでもこんな働き方をしていたら、やがて身も心もズタズタになって、うつ病かガンか過労死で死んでしまいます。「一人は皆の為に、皆は一人の為に」もあくまで「個人の尊重と幸福が大前提」、「死んでもしなければならない仕事などは無い」。
だから私はあくまで「アンチ根性論」。但しそれは、社会貢献や社会変革・革命の意義は大いに認めた上で、あくまでもその変質・暴走に警鐘を鳴らす、というものです。従って、自民党政治や格差社会の容認・肯定の上に立った「長いものには巻かれろ」式の「ネットウヨクのニヒリズム」とは全く違いますので、その点はくれぐれも誤解無き様に。
・「働きマン」公式サイト
「仕事モードオン、男スイッチ入ります」。記事冒頭の写真は、このドラマが「週刊朝日」で取り上げられた時に、菅野美穂が取ったポーズ。そうして頑張った先が「消費税17%の世の中」では、もう笑うに笑えませんて。
http://www.ntv.co.jp/hatarakiman/
・澤田サンダーと過労死(増山麗奈の革命鍋!)
ここで増山も私と同じ様な事を言っています。「”働きマン”や”ハケンの品格”の中に秘められた”勤労の過剰評価”には気をつけろ」「正義とか常識とかに変に煽られてボロボロになるまで働かされる事のないように」と。
http://renaart.exblog.jp/7230378/
■■追記■■
ほらほら、もう書いている尻から早速、「消費税17%」への地均しの世論操作が。
・社会保障給付87.9兆円=05年度、過去最高を更新-厚労省(時事通信)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071026-00000249-jij-pol
・望むのは北欧型の「高福祉、高負担」(ヤフー・クリックリサーチ)
http://polls.dailynews.yahoo.co.jp/quiz/quizresults.php?poll_id=1236&wv=1&typeFlag=1
予算全体に占める社会保障給付の割合は、独仏が3割台、英米が2割台、日本は僅か1割台。そして欧州の消費税は贅沢品課税が中心で必要生活費は非課税。そもそも、国の財政破綻を招いた国債大量増発・大型公共事業乱発・軍事費増・大企業減税を繰り返してきたのは、一体どこの党の政権か。そんな事などオクビにも出さずに、伸び率抑制にも関わらずに高齢者の自然増で社会保障給付割合が少し上昇したのをこれ幸いと、もう早速。
この”働きマン”や”ハケンの品格”のTVドラマにも、番組スポンサーでもある財界筋や、その意を受けた政府筋からのメッセージが、其処かしこに見え隠れ。「人生をエンジョイしたければ馬車馬の様に働け」「速水もこみちの様に、それを拒否するなら別にそれでも良いけれど、その代わりにワーキングプアやネカフェ難民の境遇にも甘んじる事になっても知らないよ」と。これは多分ホワイトカラー・エグゼンプションへの地均しでしょう。どちらもゴメンです。「我々には誰でも健康で文化的な最低限度の生活を送る権利がある」と、憲法25条にちゃんと書いてあるのですから。
少し前に、休憩時間にバイトの同僚と、TV映画「フラガール」を見た感想から始まって、シズちゃんが出る缶コーヒー・ジョージアのCM評に話が及んだ時の事です。渡哲也と一緒に取引先に謝りにいったシズちゃんが、ひたすら謝り倒す渡哲也を腐して、「そないにペコペコする事あらへんやないですか」「さっきも言ってたやないですか、悪いのはコイツやって」と突っ込みを入れる、あのCMです。そのCMに対して「あの場面は痛快だ」と評した私に対して、「そういう仕事の捉え方をする人ばかりではありません、こういう仕事の捉え方をする人もいます」といって私に紹介したのが、その日のすぐ後から放送が始まったTVドラマ「働きマン」でした。
一体どんなドラマなんだろうと思って初回のドラマを見て、逆に笑ってしまいました。「あははははは、ワーカーホリックも何のその、ここまで”純粋に”仕事にのめり込む事が出来たら、ある意味ではサラリーマンとして本望なのではないか」と。
このドラマは、安野モヨコ原作の連載漫画をドラマ化したものです。菅野美穂が扮する女性雑誌編集者・松方弘子が、寝食を忘れて仕事に没頭する話なのですが、その様子が余りにも漫画チックなのです。松方が「仕事モードオン、男スイッチ入ります」と言って記事冒頭の写真の様なポーズをとった途端に、テレビ画面一杯に後光が指して、一挙に仕事モードに切り替わるという、男尊女卑の非難も全く意に介さない、余りにも突拍子もない展開には、「何だコイツはまるでサイボーグか」と、思わず笑ってしまった。
そして番組第一作のストーリーはというと、何とそのサイボーグ編集者が、外務大臣の機密費流用疑惑をスクープしちゃうんです。大臣の元愛人でもある第二秘書からの内部告発を受けて、例の仕事モードで記事をアップ。その間は食事も編集部で仕事の合間に海苔巻きかじりながら、で。しかし、その後にどんでん返しがあって、第一作は終了。
私は、こういう仕事の在り方については、別に否定はしません。単に自分や自分の家族や会社の為なんかではなく、社会の不正を暴くという、非常に意義のある事に邁進しているのだから。人を騙したり搾取したり、誰かの不幸と引き換えに自分たちの利益を享受する(そうせざるを得ない)仕事スタイルが跋扈する中で、むしろ幸福なケースだと言えなくもない。それに対して、「仕事より自分の人生が大事」という、速水もこみち扮する新人編集部員・田中の「アンチ根性論」的な考え方も、それはそれで理にかなっているとは思いますが、それだけでは割り切れない場合も、世の中には確かにあります。
しかし、この考え方には一つの落とし穴があるのです。如何に社会の不正義に怒り民主社会を夢見て始まった事業や運動にしても、そこから生まれるのは決してガンジー・ネール・ホーチミンやチェ・ゲバラばかりではないという事です。金正日やポルポトもそこから同じ様に生まれてきたのです。そう言えば、かつて私が在籍していた某生協でも、この手の精神主義が堂々とまかり通っていました。やり手の部長が、「仕事は愛である」なんて、まるで大昔のこうもり傘のテレビCMみたいな事を盛んに言い始めて、それが一世を風靡した事がありました。「仕事が出来なかったりミスをするのは、愛情が足りないからである」という訳です。今から考えれば何の事は無い、戦前日本の神風・特攻思想や北朝鮮のチュチェ思想そのものじゃないか。
「一人は皆の為に、皆は一人の為に」という言葉がありますが、これは両方が機能して初めて成り立つのです。「一人は皆の為に」ばかりが強調され、「皆は一人の為」の「一人」も個人一人一人ではなく特定の指導者を意味するようになっては、後に出来るのはナチス・ドイツや戦前日本や今の北朝鮮の様な世の中になってしまいます。そうではなくて、「個人一人一人」の尊重が先にあって初めて、「一人は皆の為に」という公徳心や団結や連帯の感情も生まれるのです。つまり、「どんなに意義のあるように見える仕事でも、それが個人の幸福をもたらさないものであるならば、それはニセモノでしかない」もっと平たく言えば「死んでもしなければならない仕事などは無い」という事です。その事に気付くかどうかが、その後に来るのが「ホーチミン」社会か「ポルポト」社会かの、分かれ道なのです。
実際、こんな松方弘子みたいな働き方は、若い時の一時期だからこそ出来るのです。いつまでもこんな働き方をしていたら、やがて身も心もズタズタになって、うつ病かガンか過労死で死んでしまいます。「一人は皆の為に、皆は一人の為に」もあくまで「個人の尊重と幸福が大前提」、「死んでもしなければならない仕事などは無い」。
だから私はあくまで「アンチ根性論」。但しそれは、社会貢献や社会変革・革命の意義は大いに認めた上で、あくまでもその変質・暴走に警鐘を鳴らす、というものです。従って、自民党政治や格差社会の容認・肯定の上に立った「長いものには巻かれろ」式の「ネットウヨクのニヒリズム」とは全く違いますので、その点はくれぐれも誤解無き様に。
・「働きマン」公式サイト
「仕事モードオン、男スイッチ入ります」。記事冒頭の写真は、このドラマが「週刊朝日」で取り上げられた時に、菅野美穂が取ったポーズ。そうして頑張った先が「消費税17%の世の中」では、もう笑うに笑えませんて。
http://www.ntv.co.jp/hatarakiman/
・澤田サンダーと過労死(増山麗奈の革命鍋!)
ここで増山も私と同じ様な事を言っています。「”働きマン”や”ハケンの品格”の中に秘められた”勤労の過剰評価”には気をつけろ」「正義とか常識とかに変に煽られてボロボロになるまで働かされる事のないように」と。
http://renaart.exblog.jp/7230378/
■■追記■■
ほらほら、もう書いている尻から早速、「消費税17%」への地均しの世論操作が。
・社会保障給付87.9兆円=05年度、過去最高を更新-厚労省(時事通信)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071026-00000249-jij-pol
・望むのは北欧型の「高福祉、高負担」(ヤフー・クリックリサーチ)
http://polls.dailynews.yahoo.co.jp/quiz/quizresults.php?poll_id=1236&wv=1&typeFlag=1
予算全体に占める社会保障給付の割合は、独仏が3割台、英米が2割台、日本は僅か1割台。そして欧州の消費税は贅沢品課税が中心で必要生活費は非課税。そもそも、国の財政破綻を招いた国債大量増発・大型公共事業乱発・軍事費増・大企業減税を繰り返してきたのは、一体どこの党の政権か。そんな事などオクビにも出さずに、伸び率抑制にも関わらずに高齢者の自然増で社会保障給付割合が少し上昇したのをこれ幸いと、もう早速。
この”働きマン”や”ハケンの品格”のTVドラマにも、番組スポンサーでもある財界筋や、その意を受けた政府筋からのメッセージが、其処かしこに見え隠れ。「人生をエンジョイしたければ馬車馬の様に働け」「速水もこみちの様に、それを拒否するなら別にそれでも良いけれど、その代わりにワーキングプアやネカフェ難民の境遇にも甘んじる事になっても知らないよ」と。これは多分ホワイトカラー・エグゼンプションへの地均しでしょう。どちらもゴメンです。「我々には誰でも健康で文化的な最低限度の生活を送る権利がある」と、憲法25条にちゃんと書いてあるのですから。
大相撲・時津風部屋所属の新米力士死亡事件について少し書きます。当該部屋の序の口力士「時太山」(本名:斎藤隆さん)が死亡するキッカケとなった、激しいぶつかり合い稽古「かわいがり」の是非を巡る議論が続いています。曰く「”かわいがり”は愛のムチ」「”かわいがり”とリンチとは違う」「時津風部屋で行われていたのは単なるリンチだ」というものから、「相撲界では”かわいがり”という名目でシゴキが横行していた、これは業界人にとっては謂わば公然の秘密だった」というものまで。
私は相撲については門外漢であり、拙ブログのテーマとも直接関係のない事件でもあったので、今までこの力士死亡事件については殆ど言及して来ませんでした。しかし、この死亡力士の遺体状況から判断する限り、これは誰がどう見ても「愛のムチ」などと言い逃れ出来るものではない。もはや単なる「虐め」で済ます事も不可能です。ここまで来れば、もう立派な殺人事件です。
「かわいがり」の是非については、私もこの間、職場の同僚と少し話したりもしてきたのですが、その範囲で言うと、あくまでも「愛のムチ」に近い捉え方が一般的でした。でも、私は「それは違う」と思います。
確かに相撲に限らず、他のスポーツにも大なり小なり、こういう「シゴキ」に近い事例は数多くありますし、それら「シゴキ」と「愛のムチ」の境界も曖昧なものです。しかし、他のスポーツについては、こんな「殺人事件」にまで至る事は、余程の事が無い限りありません。然るに相撲界では、相撲協会が発表したものに限っても、1985年以降だけで既に17人もの力士が亡くなっているにも関わらず、その殆どについて何らまもとな調査もされずに、「死因は心不全」の一語だけで片付けられているのです。
今回の事件についても、死後3ヶ月も経ってから初めて事件が公表された異常性や、遺体の異常な損傷状況にも関わらず地元警察が当初は何らまともに捜査に踏み切らなかった事、部屋関係者が遺族に執拗に火葬を催促し真相究明を妨げようとした事などが報じられています。こんな事は、他のスポーツでは凡そ考えられない事です。
私が思うに、相撲界という閉ざされた封建的な世界だから故に、現代の民主的常識とはかけ離れた行為が、今までずっとまかり通ってきたのではないでしょうか。それが、この事件を機に一挙に明るみに出てきてしまったというのが、正直な所ではないかと。だから、戦後60年以上も経て21世紀に入った今になっても、こんな旧軍隊の新兵虐めみたいな事が平然と行われ、それを伝統や「愛のムチ」と履き違えるような言説も未だにまかり通っているのでしょう。
野球にしてもサッカーにしても、はたまた柔道・剣道にしても、他のスポーツにはそれなりに確立された科学的指導法なりトレーニング理論があり、トレーナーや専属医が配置されているものですが、こと相撲に関しては、そういう類のものが一切ありません。全て部屋任せの経験主義で、その指導法も、運動生理学に基づく科学的なものは殆ど無く、戸塚ヨットスクールやJRの日勤教育と同様の、「躾け、根性、ヤキを入れる」とかいう低レベルな精神論・根性論に偏ったものだったのではないでしょうか。その結果、技術指導や力士育成も次第に我流に陥り、「憲法・法律」と「伝統・しきたり」の一体どちらが優先なのかも弁えない様な、おかしな精神論が幅を効かす事になってしまっているのではないですか。
「苦しきことのみ、多かりき」ブログさんが相撲部屋制度の改革を提言されていますが、なかなか傾聴に値する意見だと思います。私は相撲については門外漢故に、そこで述べられている個別の提言一つ一つに是非判断を加えられるだけの材料は持ち合わせていませんが、少なくとも、(1)タコ部屋制度の廃止(寮の整備、練習キャンプ方式への移行)と、(2)教育体系の整備(部屋任せで精神論に偏した我流教育から、協会主導による科学的トレーニング・健康管理の導入へ)の、2つの基本方向は外せないでしょう。
つまり、「相撲部屋に身包み従属した力士」から、「精神的に自立し業界全体の事を考えられる力士」の育成に、指導の在り方を根本的に転換するのです。閉鎖的で旧態依然たる封建的徒弟制度については、ここまで根本的に改革出来ない限り、相撲界に未来はないでしょう。
(関連記事)
・時津風部屋、力士死亡事件の深き闇(JANJAN)
http://www.news.janjan.jp/living/0709/0709283103/1.php
・白鵬「正しいかわいがり」披露(日刊スポーツ)
http://www.nikkansports.com/sports/sumo/p-sp-tp3-20071014-269640.html
・時津風部屋の弟子 写真を元にイラスト公開(キティ芸能新聞)
※当リンクについては、遺体公開の是非や元ネタ(2ch)自体の信憑性という点での意見もあろうかと思いますが、今回は真相究明の必要性に鑑み、敢えて引用する事にします。
http://kirei.xsrv.jp/archives/cat10/post_519/index.html
・大相撲:時津風部屋に於ける壮絶なリンチ殺人事件。これで日本相撲協会が見てみぬ振りをするならば「大相撲」に明日はない!(晴天とら日記)
http://blog.livedoor.jp/hanatora53bann/archives/51065484.html
・親方「バットはやめとけ」 力士死亡問題、暴行の兄弟子注意(中日)(タカマサのきまぐれ時評)
http://tactac.blog.drecom.jp/archive/2069
・「しごき」の連鎖という愚行。(ナンバー・ウェブ)
http://number.goo.ne.jp/others/column/20071018-1-1.html
・大相撲:時津風部屋力士急死 「愛知県警、初動ミス」 新潟大解剖医が指摘(毎日新聞)
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20071014ddm001040026000c.html
・相撲界と警察のなれ合いに問題あり!【 この週刊誌がすごい45】(オーマイニュース)
http://www.ohmynews.co.jp/news/20071012/16036
・どうやら、相撲部屋制度そのものに問題がある(苦しきことのみ、多かりき)
http://izakattyan.iza.ne.jp/blog/entry/326189/
・初心者のための相撲入門(猫を償うに猫をもってせよ)
http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20071013
・日本相撲協会公式サイト
http://www.sumo.or.jp/
・時津風部屋(ウィキペディア)
「序ノ口力士集団暴行致死事件」に関する事項も有り。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%99%82%E6%B4%A5%E9%A2%A8%E9%83%A8%E5%B1%8B
私は相撲については門外漢であり、拙ブログのテーマとも直接関係のない事件でもあったので、今までこの力士死亡事件については殆ど言及して来ませんでした。しかし、この死亡力士の遺体状況から判断する限り、これは誰がどう見ても「愛のムチ」などと言い逃れ出来るものではない。もはや単なる「虐め」で済ます事も不可能です。ここまで来れば、もう立派な殺人事件です。
「かわいがり」の是非については、私もこの間、職場の同僚と少し話したりもしてきたのですが、その範囲で言うと、あくまでも「愛のムチ」に近い捉え方が一般的でした。でも、私は「それは違う」と思います。
確かに相撲に限らず、他のスポーツにも大なり小なり、こういう「シゴキ」に近い事例は数多くありますし、それら「シゴキ」と「愛のムチ」の境界も曖昧なものです。しかし、他のスポーツについては、こんな「殺人事件」にまで至る事は、余程の事が無い限りありません。然るに相撲界では、相撲協会が発表したものに限っても、1985年以降だけで既に17人もの力士が亡くなっているにも関わらず、その殆どについて何らまもとな調査もされずに、「死因は心不全」の一語だけで片付けられているのです。
今回の事件についても、死後3ヶ月も経ってから初めて事件が公表された異常性や、遺体の異常な損傷状況にも関わらず地元警察が当初は何らまともに捜査に踏み切らなかった事、部屋関係者が遺族に執拗に火葬を催促し真相究明を妨げようとした事などが報じられています。こんな事は、他のスポーツでは凡そ考えられない事です。
私が思うに、相撲界という閉ざされた封建的な世界だから故に、現代の民主的常識とはかけ離れた行為が、今までずっとまかり通ってきたのではないでしょうか。それが、この事件を機に一挙に明るみに出てきてしまったというのが、正直な所ではないかと。だから、戦後60年以上も経て21世紀に入った今になっても、こんな旧軍隊の新兵虐めみたいな事が平然と行われ、それを伝統や「愛のムチ」と履き違えるような言説も未だにまかり通っているのでしょう。
野球にしてもサッカーにしても、はたまた柔道・剣道にしても、他のスポーツにはそれなりに確立された科学的指導法なりトレーニング理論があり、トレーナーや専属医が配置されているものですが、こと相撲に関しては、そういう類のものが一切ありません。全て部屋任せの経験主義で、その指導法も、運動生理学に基づく科学的なものは殆ど無く、戸塚ヨットスクールやJRの日勤教育と同様の、「躾け、根性、ヤキを入れる」とかいう低レベルな精神論・根性論に偏ったものだったのではないでしょうか。その結果、技術指導や力士育成も次第に我流に陥り、「憲法・法律」と「伝統・しきたり」の一体どちらが優先なのかも弁えない様な、おかしな精神論が幅を効かす事になってしまっているのではないですか。
「苦しきことのみ、多かりき」ブログさんが相撲部屋制度の改革を提言されていますが、なかなか傾聴に値する意見だと思います。私は相撲については門外漢故に、そこで述べられている個別の提言一つ一つに是非判断を加えられるだけの材料は持ち合わせていませんが、少なくとも、(1)タコ部屋制度の廃止(寮の整備、練習キャンプ方式への移行)と、(2)教育体系の整備(部屋任せで精神論に偏した我流教育から、協会主導による科学的トレーニング・健康管理の導入へ)の、2つの基本方向は外せないでしょう。
つまり、「相撲部屋に身包み従属した力士」から、「精神的に自立し業界全体の事を考えられる力士」の育成に、指導の在り方を根本的に転換するのです。閉鎖的で旧態依然たる封建的徒弟制度については、ここまで根本的に改革出来ない限り、相撲界に未来はないでしょう。
(関連記事)
・時津風部屋、力士死亡事件の深き闇(JANJAN)
http://www.news.janjan.jp/living/0709/0709283103/1.php
・白鵬「正しいかわいがり」披露(日刊スポーツ)
http://www.nikkansports.com/sports/sumo/p-sp-tp3-20071014-269640.html
・時津風部屋の弟子 写真を元にイラスト公開(キティ芸能新聞)
※当リンクについては、遺体公開の是非や元ネタ(2ch)自体の信憑性という点での意見もあろうかと思いますが、今回は真相究明の必要性に鑑み、敢えて引用する事にします。
http://kirei.xsrv.jp/archives/cat10/post_519/index.html
・大相撲:時津風部屋に於ける壮絶なリンチ殺人事件。これで日本相撲協会が見てみぬ振りをするならば「大相撲」に明日はない!(晴天とら日記)
http://blog.livedoor.jp/hanatora53bann/archives/51065484.html
・親方「バットはやめとけ」 力士死亡問題、暴行の兄弟子注意(中日)(タカマサのきまぐれ時評)
http://tactac.blog.drecom.jp/archive/2069
・「しごき」の連鎖という愚行。(ナンバー・ウェブ)
http://number.goo.ne.jp/others/column/20071018-1-1.html
・大相撲:時津風部屋力士急死 「愛知県警、初動ミス」 新潟大解剖医が指摘(毎日新聞)
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20071014ddm001040026000c.html
・相撲界と警察のなれ合いに問題あり!【 この週刊誌がすごい45】(オーマイニュース)
http://www.ohmynews.co.jp/news/20071012/16036
・どうやら、相撲部屋制度そのものに問題がある(苦しきことのみ、多かりき)
http://izakattyan.iza.ne.jp/blog/entry/326189/
・初心者のための相撲入門(猫を償うに猫をもってせよ)
http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20071013
・日本相撲協会公式サイト
http://www.sumo.or.jp/
・時津風部屋(ウィキペディア)
「序ノ口力士集団暴行致死事件」に関する事項も有り。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%99%82%E6%B4%A5%E9%A2%A8%E9%83%A8%E5%B1%8B
・「盛り場うろつくのどうか」広島県知事発言が波紋(産経新聞)
http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/071021/crm0710212004012-n1.htm
・藤田知事発言に非難の声(中国新聞)
http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn200710210015.html
・またも婦女暴行事件 米軍は日本から出て行け!!(アッテンボローの雑記帳)
http://rounin40.cocolog-nifty.com/attenborow/2007/10/post_e7d8.html
今月14日に広島市内の繁華街で起こった米軍岩国基地所属の海兵隊員による婦女暴行事件について、広島県の藤田雄山知事がとんでもない発言をしていた事が分りました。「朝の3時ごろまで盛り場でうろうろしている未成年もどうかと思うが、米兵による暴行事件が起きた。誠に遺憾で強く抗議したい」というのが、その発言の要旨です。これはどう見ても、発言前段の「盛り場でうろうろしている未成年が悪い」と言うのが本音で、それを後段で「それでも知事としての立場もあるので、形だけでも渋々、遺憾の意を表明して抗議しておかざるを得ない」と言っているとしか思えません。本当に婦女暴行事件に対して怒っているのなら、わざわざこんな前段みたいな事を口走ったりはしませんから。
悪いのはレイプした米兵ではなく、その隙を作った少女の方ですか。その伝で行くと、山口県光市で起こった婦女子暴行殺人事件についても、悪いのは婦女暴行犯ではなく、その隙を作った本村さん親子という事になっていしまいますね。また大阪教育大付属池田小学校での児童殺傷事件についても、加害者の宅間守被告ではなく、不審者に侵入の隙を与えた学校側や担任教師や児童が悪いという事になってしまいますね。或いは、横田めぐみさんの北朝鮮拉致事件についても、拉致した工作員ではなく、暗い夜道を一人で歩いていためぐみさんが悪いという事になってしまいますね。
折りしも折り、在日米軍再編問題で、米軍岩国基地の厚木機能移転・拡張を巡って、国・防衛省が岩国市に拡張受入れをごり押ししていますが、その中で出てきたのが、この「被害者の自己責任論」ともいうべき言説です。知事は果たして、若し自分に娘がいてその娘さんが岩国の海兵隊員に同じ事をされても、前述の様な発言を、自分の娘に対して出来るのでしょうかね。
こんな、白を黒と言い換える被害者バッシング言説は、加害者を免罪する事にしかなりません。これは、言った当人が自覚してようがしてまいが、そんな事には関係なく、です。そして、これは決して岩国や沖縄だけの問題ではありません。日本に米軍基地があり、日本が米国の尻馬に乗って無法な報復テロ戦争に加担し続ける限り、誰の身にも起こり得る事です。
しかしまあ、日本の保守政治家というのは揃いも揃って、こんな(かつてのイラク日本人人質事件で人質を反日分子呼ばわりした)柏村武昭みたいな人間ばかりなのでしょうかね。そして、そんな発言に迎合する輩についても。そいつらは、政府・財界・米国や、自分の目上の者には何をされても何も言えない癖に、「下見て暮らせ傘の下」宜しく、「ホームレスやネカフェ難民や在日外国人をやっつけろ」と管を巻いて、それで日頃の鬱憤・ストレスを晴らすしか能の無い連中です。「それを見てほくそ笑むのは一体誰か」という事に、そいつらもいい加減気が付いてもよさそうなものですが。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/071021/crm0710212004012-n1.htm
・藤田知事発言に非難の声(中国新聞)
http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn200710210015.html
・またも婦女暴行事件 米軍は日本から出て行け!!(アッテンボローの雑記帳)
http://rounin40.cocolog-nifty.com/attenborow/2007/10/post_e7d8.html
今月14日に広島市内の繁華街で起こった米軍岩国基地所属の海兵隊員による婦女暴行事件について、広島県の藤田雄山知事がとんでもない発言をしていた事が分りました。「朝の3時ごろまで盛り場でうろうろしている未成年もどうかと思うが、米兵による暴行事件が起きた。誠に遺憾で強く抗議したい」というのが、その発言の要旨です。これはどう見ても、発言前段の「盛り場でうろうろしている未成年が悪い」と言うのが本音で、それを後段で「それでも知事としての立場もあるので、形だけでも渋々、遺憾の意を表明して抗議しておかざるを得ない」と言っているとしか思えません。本当に婦女暴行事件に対して怒っているのなら、わざわざこんな前段みたいな事を口走ったりはしませんから。
悪いのはレイプした米兵ではなく、その隙を作った少女の方ですか。その伝で行くと、山口県光市で起こった婦女子暴行殺人事件についても、悪いのは婦女暴行犯ではなく、その隙を作った本村さん親子という事になっていしまいますね。また大阪教育大付属池田小学校での児童殺傷事件についても、加害者の宅間守被告ではなく、不審者に侵入の隙を与えた学校側や担任教師や児童が悪いという事になってしまいますね。或いは、横田めぐみさんの北朝鮮拉致事件についても、拉致した工作員ではなく、暗い夜道を一人で歩いていためぐみさんが悪いという事になってしまいますね。
折りしも折り、在日米軍再編問題で、米軍岩国基地の厚木機能移転・拡張を巡って、国・防衛省が岩国市に拡張受入れをごり押ししていますが、その中で出てきたのが、この「被害者の自己責任論」ともいうべき言説です。知事は果たして、若し自分に娘がいてその娘さんが岩国の海兵隊員に同じ事をされても、前述の様な発言を、自分の娘に対して出来るのでしょうかね。
こんな、白を黒と言い換える被害者バッシング言説は、加害者を免罪する事にしかなりません。これは、言った当人が自覚してようがしてまいが、そんな事には関係なく、です。そして、これは決して岩国や沖縄だけの問題ではありません。日本に米軍基地があり、日本が米国の尻馬に乗って無法な報復テロ戦争に加担し続ける限り、誰の身にも起こり得る事です。
しかしまあ、日本の保守政治家というのは揃いも揃って、こんな(かつてのイラク日本人人質事件で人質を反日分子呼ばわりした)柏村武昭みたいな人間ばかりなのでしょうかね。そして、そんな発言に迎合する輩についても。そいつらは、政府・財界・米国や、自分の目上の者には何をされても何も言えない癖に、「下見て暮らせ傘の下」宜しく、「ホームレスやネカフェ難民や在日外国人をやっつけろ」と管を巻いて、それで日頃の鬱憤・ストレスを晴らすしか能の無い連中です。「それを見てほくそ笑むのは一体誰か」という事に、そいつらもいい加減気が付いてもよさそうなものですが。
以前から「一度は応援に行かなければ」と考えていた東大阪市長選挙ですが、この19日の金曜日の休みに思い切って行って来ました。実はその数日前から風邪を引き始めていて、行こうかどうか迷っていました。しかし、以前の市議選の時にも腰痛の気が出て応援をキャンセルしていたので、「今度こそは」という事で前日に医者に行って、何とか風邪を抑えて参加してきました。
当日は午前10時前に、同じ元いずみ生協職員つながりという事で、前もって連絡を入れていた上原賢作市議の事務所に行きました。私と上原市議とは、生協で働いていた時の部署はそれぞれ別でしたが、労組で顔を合わしたりしていたので、互いに顔と名前ぐらいは知っている間柄でした。行ったら向こうも私の事を覚えていて下さいました。
午前中は、「明るい会」の宣伝カーに地元後援会員のおばちゃん達と同乗して、事務所周辺地域を流して、スポット演説を何箇所かこなし、午後からは上原事務所で夕方4時ごろまで、「しんぶん赤旗」読者を中心に押さえの電話掛けを行いました。
当日は終日雨降りで、平日と言う事もあって余り人通りはなかったので、市民の反応を探る所までは行きませんでした。それよりも風邪を引いていたので、果たして声が出るかどうか心配だったのですが、そこは昔取った杵柄、労組時代にも選挙応援や春闘集会で演説した事もあったので、直ぐに勘を取り戻しましたが。昼からの電話掛けも、対象が赤旗現・元読者という事もありましたが、概して反応は良かったように思います。
何で私が思い立ったようにノコノコとこの選挙の応援に行ったのかというと、理由は二つあります。
一つは何と言っても、この間の市長不信任に至る経緯が、道理も何も無いムチャクチャなものだった事です。単に「気に入らないから」という理由だけで、再選されてまだ1年にもならず特段の不祥事も何も起こしていない市長を、数を頼りにいきなり不信任に追い込んだのですから。それで当の自分達はと言うと、大阪府下では談合で逮捕された枚方市長の辞任勧告の足を引っ張り、国政では、あれだけ参院選でNO!を突きつけられても安倍の居座りを許し続けた挙句に、政権放り出しの醜態まで晒しておきながら。
もう一つは、そんなムチャクチャが同じ大阪の直ぐ近くで行われているのに、知らん顔していて良いのか、という気持ちもあったからです。確かに私はブログで自分の意見を発信しているだけでなく、地元でビラ配付を手伝ったりもしていますが、それでも今は無党派で未組織のフリーターという事で、実際の政治活動には殆ど参加する機会がありませんでしたから。
しかし、不信任を強行した自民・公明両党の議員と民主党の一部議員って、つくづくバカですね。あんな無茶な真似さえしなければ、私も今更、わざわざ東大阪くんだりまで行ってまで、もう辞めた党の応援などする事も無かったのに。正に「薮蛇」とはこの事です。
今度の選挙戦(21日告示、28日投票)も、折角長尾市長を不信任に追い込んでおきながら、またぞろ保守分裂を繰り返している体たらくで。対立候補は、一人は元市議会議長の野田義和で、こちらは自民・公明推薦(特に公明)。同じ苗字というだけで何の繋がりも無い野田聖子と、ツーショットで収まったポスターを、市内のあちこちに張り出していました。もう一人は元自民党府議の西野茂。
この東大阪保守の宿痾ともいうべき内輪もめは、塩川正十郎派と反塩川派の確執に、解同(解放同盟)や民主党の利害も絡んでいるようで、その根っ子は深いもののようです。自民・公明推薦の野田にしても、民間有力者に出馬を打診するも悉く断られた末の立候補との事。
しかし、相手は何と言ってもまだまだ多数派の国政与党。直近の市議選で不信任反対派が躍進したとは言っても、油断は禁物です。こちらは、新社会党も長尾市長支持の立場を鮮明にしたとは言え、それでもまだまだ少数派。投票日までは目が離せません。
※記事の写真は、上原事務所に張ってあった長尾市長のポスター。告示前のポスターなので、あくまでも選挙後の11月に行われる演説会への案内の形を取っています。長川堂(はせどう)さん(市長の右の女性)はその演説会の予定応援弁士。
(関連記事)
・「態度が不遜」なのは一体どちらか?(拙ブログ)
http://blog.goo.ne.jp/afghan_iraq_nk/e/173f27e2213cbdf40c2aea62bb800bc4
・東大阪市議選 自公の「不遜な態度」に最初の審判下る(同上)
http://blog.goo.ne.jp/afghan_iraq_nk/e/73a429ee87b1a1809b5ee5b827ac585e
・東大阪・長尾市長、失職選び出直し市長選に出馬へ:不信任は「数の暴力」と強く非難(JANJAN)
http://www.news.janjan.jp/government/0709/0709102114/1.php
・出直し東大阪市長選 不信任決議は何のため?(産経イザ)
産経にまで「何のための不信任決議だったのか」と報じられる有様でw。
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/natnews/87451/
・「地域人権・同和問題の真の解決」ブログの東大阪市政関連記事より
今回の長尾市長不信任劇の裏には、利権の温存を図ろうとする解同と保守派の癒着があったのは明らかです(市営住宅のカラ管理委託問題など)。長尾市長による市議会での施策の見直し表明以降、市長不信任の動きが俄かに活発化してきた事などに、それが如実に現われています。
http://yhx0303.cocolog-nifty.com/blog/2007/09/post_1619.html
http://yhx0303.cocolog-nifty.com/blog/2007/10/post_d077.html
・東大阪市(ウィキペディア)
東大阪は中小企業集積率全国一の地域で、町工場による人工衛星(まいど1号)打ち上げでも有名になった街です。底力はあるのですが、今まで保守と解同に市政が食い物にされてきた結果、市民は汚職・腐敗と低福祉に苦しめられてきました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E5%A4%A7%E9%98%AA%E5%B8%82
当日は午前10時前に、同じ元いずみ生協職員つながりという事で、前もって連絡を入れていた上原賢作市議の事務所に行きました。私と上原市議とは、生協で働いていた時の部署はそれぞれ別でしたが、労組で顔を合わしたりしていたので、互いに顔と名前ぐらいは知っている間柄でした。行ったら向こうも私の事を覚えていて下さいました。
午前中は、「明るい会」の宣伝カーに地元後援会員のおばちゃん達と同乗して、事務所周辺地域を流して、スポット演説を何箇所かこなし、午後からは上原事務所で夕方4時ごろまで、「しんぶん赤旗」読者を中心に押さえの電話掛けを行いました。
当日は終日雨降りで、平日と言う事もあって余り人通りはなかったので、市民の反応を探る所までは行きませんでした。それよりも風邪を引いていたので、果たして声が出るかどうか心配だったのですが、そこは昔取った杵柄、労組時代にも選挙応援や春闘集会で演説した事もあったので、直ぐに勘を取り戻しましたが。昼からの電話掛けも、対象が赤旗現・元読者という事もありましたが、概して反応は良かったように思います。
何で私が思い立ったようにノコノコとこの選挙の応援に行ったのかというと、理由は二つあります。
一つは何と言っても、この間の市長不信任に至る経緯が、道理も何も無いムチャクチャなものだった事です。単に「気に入らないから」という理由だけで、再選されてまだ1年にもならず特段の不祥事も何も起こしていない市長を、数を頼りにいきなり不信任に追い込んだのですから。それで当の自分達はと言うと、大阪府下では談合で逮捕された枚方市長の辞任勧告の足を引っ張り、国政では、あれだけ参院選でNO!を突きつけられても安倍の居座りを許し続けた挙句に、政権放り出しの醜態まで晒しておきながら。
もう一つは、そんなムチャクチャが同じ大阪の直ぐ近くで行われているのに、知らん顔していて良いのか、という気持ちもあったからです。確かに私はブログで自分の意見を発信しているだけでなく、地元でビラ配付を手伝ったりもしていますが、それでも今は無党派で未組織のフリーターという事で、実際の政治活動には殆ど参加する機会がありませんでしたから。
しかし、不信任を強行した自民・公明両党の議員と民主党の一部議員って、つくづくバカですね。あんな無茶な真似さえしなければ、私も今更、わざわざ東大阪くんだりまで行ってまで、もう辞めた党の応援などする事も無かったのに。正に「薮蛇」とはこの事です。
今度の選挙戦(21日告示、28日投票)も、折角長尾市長を不信任に追い込んでおきながら、またぞろ保守分裂を繰り返している体たらくで。対立候補は、一人は元市議会議長の野田義和で、こちらは自民・公明推薦(特に公明)。同じ苗字というだけで何の繋がりも無い野田聖子と、ツーショットで収まったポスターを、市内のあちこちに張り出していました。もう一人は元自民党府議の西野茂。
この東大阪保守の宿痾ともいうべき内輪もめは、塩川正十郎派と反塩川派の確執に、解同(解放同盟)や民主党の利害も絡んでいるようで、その根っ子は深いもののようです。自民・公明推薦の野田にしても、民間有力者に出馬を打診するも悉く断られた末の立候補との事。
しかし、相手は何と言ってもまだまだ多数派の国政与党。直近の市議選で不信任反対派が躍進したとは言っても、油断は禁物です。こちらは、新社会党も長尾市長支持の立場を鮮明にしたとは言え、それでもまだまだ少数派。投票日までは目が離せません。
※記事の写真は、上原事務所に張ってあった長尾市長のポスター。告示前のポスターなので、あくまでも選挙後の11月に行われる演説会への案内の形を取っています。長川堂(はせどう)さん(市長の右の女性)はその演説会の予定応援弁士。
(関連記事)
・「態度が不遜」なのは一体どちらか?(拙ブログ)
http://blog.goo.ne.jp/afghan_iraq_nk/e/173f27e2213cbdf40c2aea62bb800bc4
・東大阪市議選 自公の「不遜な態度」に最初の審判下る(同上)
http://blog.goo.ne.jp/afghan_iraq_nk/e/73a429ee87b1a1809b5ee5b827ac585e
・東大阪・長尾市長、失職選び出直し市長選に出馬へ:不信任は「数の暴力」と強く非難(JANJAN)
http://www.news.janjan.jp/government/0709/0709102114/1.php
・出直し東大阪市長選 不信任決議は何のため?(産経イザ)
産経にまで「何のための不信任決議だったのか」と報じられる有様でw。
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/natnews/87451/
・「地域人権・同和問題の真の解決」ブログの東大阪市政関連記事より
今回の長尾市長不信任劇の裏には、利権の温存を図ろうとする解同と保守派の癒着があったのは明らかです(市営住宅のカラ管理委託問題など)。長尾市長による市議会での施策の見直し表明以降、市長不信任の動きが俄かに活発化してきた事などに、それが如実に現われています。
http://yhx0303.cocolog-nifty.com/blog/2007/09/post_1619.html
http://yhx0303.cocolog-nifty.com/blog/2007/10/post_d077.html
・東大阪市(ウィキペディア)
東大阪は中小企業集積率全国一の地域で、町工場による人工衛星(まいど1号)打ち上げでも有名になった街です。底力はあるのですが、今まで保守と解同に市政が食い物にされてきた結果、市民は汚職・腐敗と低福祉に苦しめられてきました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E5%A4%A7%E9%98%AA%E5%B8%82
参院選の与党惨敗とその後の安倍退陣で一旦鳴りを潜めた消費税アップの話ですが、福田政権誕生で与党支持率が少し持ち直した途端に、堰を切ったように出てきています。曰く「少子化・高齢化・国の財政赤字で、このままでは年金も医療も破綻する」「社会保障を維持する為には、受益者負担の原則に則って、広く浅く公平に消費税で負担してもらう他にない」云々と。
アホか。消費税の何処が公平なのか。何が「受益者負担の原則に則って」か。今の国の財政赤字は本当に少子化・高齢化の所為なのか。そんなモン全部違うでしょう。
まず第一に、消費税ほど不公平な税金はありません。消費税は何か物を買う度に掛かります。それに対して、金持ちは節税しようと思えば贅沢品を多少買い控えればそれで済みますが、貧乏人はそういう訳にはいきません。貧乏人は贅沢品なんて最初から持っていないし、買いたくても買えません。その中でこれ以上切り詰めるとなると、一日三回の食事を二回にしたり、入浴回数を毎日から隔日にしたり、電気代・ガス代を始末したりという様に、自分の身を削って日々の生活を凌がなくてはなりません。片方は少々の我慢で済み、もう片方は我が身を削る。これの何処が公平なのですか。これほど逆進的(不公平)な税金はありません。
そして第二に、消費税は福祉や社会保障の為に使われてはいません。消費税が導入されて税率が3%から5%に引き上げられて、社会保障は少しでも良くなりましたか?良くなるどころか悪くなる一方ではないですか。健康保険料や年金保険料が今までどれだけ引き上げられてきたのか。引き下げられたのは大企業の法人税や所得税だけです。こちらは大幅に引き下げられました。その結果、ごく一部の富裕層だけが美味しい思いをし、そのしわ寄せは全て庶民におっかぶせられてしまいました。論より証拠、下記の推移がそれを雄弁に物語っています。
・年収別消費税負担割合
3.67%(300万円未満)→1.46%(1400万円以上)
・所得税率の推移(最高税率・段階)
70%・15段階(1986年)→37%・4段階(1999年)
・法人税率の動向(基本税率%)
42.0%(1988年)→30%(1999年)
・この18年間で
消費税増税累計174兆円余:法人税減税累計159兆円余(記事冒頭グラフ参照)
・この10年間で
大企業の経常利益は2倍に 13兆円余(95年)→29兆円余(05年)
従業員給与総額は減少 42兆円余(95年)→39兆円余(05年)
http://www.horae.dti.ne.jp/~snzk/q-and-a/q-and-a.htm#b
http://www.ne.jp/asahi/blue-sky-jp/norrie/Daily_news_2006B.html
消費税発祥の地の欧米では、確かに税率は日本より遥かに高いですが、課税されるのは贅沢品購入や株式・不動産などの取引に対してだけで、生活費については殆ど全て非課税です。それに加えて、税収も社会保障にきちんと回されており、それを市民が監視する仕組みも、日本とは比べ物にならないほど整っています。
「社会保障は受益者負担の原則に則って」なんて捉え方もトンデモです。憲法25条にはそんな事など一切書いていません。そこには「全ての国民には健康で文化的な最低限度の生活を送る権利がある」と書いてあるだけです。つまり、社会保障を受けるというのは、何かの代価や報酬として貰うのでもなければ、恩恵や施しを受ける事でもありません。それは生存権という基本的人権の一つなのです。
何?「権利、権利と言って企業を虐め過ぎると、企業は、より人件費の安い中国・東南アジア・インドに逃げてしまう」って?今でも充分逃げとるがな(爆)。自然に任せていれば、いくらでも水は低きに流れ、蟻まきは甘い蜜に群がります。
しかし我々は生身の人間です。何でもかんでも企業に合わせていたのでは、こちらの身が持ちません。それに何も虐めている訳ではありません。「我々の我が身を削る辛苦の陰で散々ぼろ儲けするばっかりではなく、もっと我々の事も考えろ」と言っているだけです。
国の財政赤字も医療・年金制度の破綻も、元はと言えば、国が国民の事を一切顧みず、思いやり予算などの軍事費や(何で、米国の都合で沖縄・普天間基地の一部をグアムに移転するのに、日本がカネを出さなければならないのか?)、前述の法人税値下げ等に見られる様な「大盤振る舞い」にばかり汲々としてきたからではありませんか。社会の少子化・高齢化の影響も全く無いとは言いません。しかし、こんなカネの使い方をしておきながら、それを頬かむりして少子化だ高齢化だの言い募られても、全然説得力がありません。
今の日本の消費税がどれだけ不公平なものか、はっきり見ておく必要があります。消費税の本質は、税率を好きな様に引き上げて、羊の毛をむしる(気付かれない)様に、貧乏人からガポガポ取り立て、金持ちにツケ回しする、究極の大衆課税(血税)なのです。下記の新聞記事も、そういう様に読み替えれば、もっとよく分るのに(赤字部分が読み替えた箇所)。
―町村信孝官房長官は17日午前の会見で「長い目で見たときに、血税税率をずっと5%のまま据え置いていられると思っている人は、一部の政党を除いて、多分誰もいない」と述べた。(ロイター)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071017-00000802-reu-bus_all
―自民党財政改革研究会会長で同党税制調査会小委員長の与謝野馨氏は16日、毎日新聞のインタビューに応え、、血税税率引き上げについて「1%ずつ上げて選挙に負けていたらしょうがない。選挙で負けるんだったら、ドーンと上げなくてはいけない」と述べ、2~3%程度を念頭に置く考えを示した。(毎日新聞)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071017-00000013-mai-pol
―2009年度の基礎年金国庫負担割合引き上げに伴う2.5兆円の財源問題で、自民党執行部はの、血税税率引き上げも視野に抜本税制改革の議論を行う方向性を示した。(ロイター)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070928-00000964-reu-bus_all
―東京都の石原慎太郎知事は15日、政府の地方分権改革推進委員会に出席し、大都市と地方との税収格差是正について「血税が一番公平」と述べ、血税税率を上げて地方の自治体への配分を高める方法を支持した。増税に当たっては、食料品など生活必需品は低く抑え、ぜいたく品などを高めに設定すべきだとした。(毎日新聞)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071015-00000081-mai-pol
アホか。消費税の何処が公平なのか。何が「受益者負担の原則に則って」か。今の国の財政赤字は本当に少子化・高齢化の所為なのか。そんなモン全部違うでしょう。
まず第一に、消費税ほど不公平な税金はありません。消費税は何か物を買う度に掛かります。それに対して、金持ちは節税しようと思えば贅沢品を多少買い控えればそれで済みますが、貧乏人はそういう訳にはいきません。貧乏人は贅沢品なんて最初から持っていないし、買いたくても買えません。その中でこれ以上切り詰めるとなると、一日三回の食事を二回にしたり、入浴回数を毎日から隔日にしたり、電気代・ガス代を始末したりという様に、自分の身を削って日々の生活を凌がなくてはなりません。片方は少々の我慢で済み、もう片方は我が身を削る。これの何処が公平なのですか。これほど逆進的(不公平)な税金はありません。
そして第二に、消費税は福祉や社会保障の為に使われてはいません。消費税が導入されて税率が3%から5%に引き上げられて、社会保障は少しでも良くなりましたか?良くなるどころか悪くなる一方ではないですか。健康保険料や年金保険料が今までどれだけ引き上げられてきたのか。引き下げられたのは大企業の法人税や所得税だけです。こちらは大幅に引き下げられました。その結果、ごく一部の富裕層だけが美味しい思いをし、そのしわ寄せは全て庶民におっかぶせられてしまいました。論より証拠、下記の推移がそれを雄弁に物語っています。
・年収別消費税負担割合
3.67%(300万円未満)→1.46%(1400万円以上)
・所得税率の推移(最高税率・段階)
70%・15段階(1986年)→37%・4段階(1999年)
・法人税率の動向(基本税率%)
42.0%(1988年)→30%(1999年)
・この18年間で
消費税増税累計174兆円余:法人税減税累計159兆円余(記事冒頭グラフ参照)
・この10年間で
大企業の経常利益は2倍に 13兆円余(95年)→29兆円余(05年)
従業員給与総額は減少 42兆円余(95年)→39兆円余(05年)
http://www.horae.dti.ne.jp/~snzk/q-and-a/q-and-a.htm#b
http://www.ne.jp/asahi/blue-sky-jp/norrie/Daily_news_2006B.html
消費税発祥の地の欧米では、確かに税率は日本より遥かに高いですが、課税されるのは贅沢品購入や株式・不動産などの取引に対してだけで、生活費については殆ど全て非課税です。それに加えて、税収も社会保障にきちんと回されており、それを市民が監視する仕組みも、日本とは比べ物にならないほど整っています。
「社会保障は受益者負担の原則に則って」なんて捉え方もトンデモです。憲法25条にはそんな事など一切書いていません。そこには「全ての国民には健康で文化的な最低限度の生活を送る権利がある」と書いてあるだけです。つまり、社会保障を受けるというのは、何かの代価や報酬として貰うのでもなければ、恩恵や施しを受ける事でもありません。それは生存権という基本的人権の一つなのです。
何?「権利、権利と言って企業を虐め過ぎると、企業は、より人件費の安い中国・東南アジア・インドに逃げてしまう」って?今でも充分逃げとるがな(爆)。自然に任せていれば、いくらでも水は低きに流れ、蟻まきは甘い蜜に群がります。
しかし我々は生身の人間です。何でもかんでも企業に合わせていたのでは、こちらの身が持ちません。それに何も虐めている訳ではありません。「我々の我が身を削る辛苦の陰で散々ぼろ儲けするばっかりではなく、もっと我々の事も考えろ」と言っているだけです。
国の財政赤字も医療・年金制度の破綻も、元はと言えば、国が国民の事を一切顧みず、思いやり予算などの軍事費や(何で、米国の都合で沖縄・普天間基地の一部をグアムに移転するのに、日本がカネを出さなければならないのか?)、前述の法人税値下げ等に見られる様な「大盤振る舞い」にばかり汲々としてきたからではありませんか。社会の少子化・高齢化の影響も全く無いとは言いません。しかし、こんなカネの使い方をしておきながら、それを頬かむりして少子化だ高齢化だの言い募られても、全然説得力がありません。
今の日本の消費税がどれだけ不公平なものか、はっきり見ておく必要があります。消費税の本質は、税率を好きな様に引き上げて、羊の毛をむしる(気付かれない)様に、貧乏人からガポガポ取り立て、金持ちにツケ回しする、究極の大衆課税(血税)なのです。下記の新聞記事も、そういう様に読み替えれば、もっとよく分るのに(赤字部分が読み替えた箇所)。
―町村信孝官房長官は17日午前の会見で「長い目で見たときに、血税税率をずっと5%のまま据え置いていられると思っている人は、一部の政党を除いて、多分誰もいない」と述べた。(ロイター)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071017-00000802-reu-bus_all
―自民党財政改革研究会会長で同党税制調査会小委員長の与謝野馨氏は16日、毎日新聞のインタビューに応え、、血税税率引き上げについて「1%ずつ上げて選挙に負けていたらしょうがない。選挙で負けるんだったら、ドーンと上げなくてはいけない」と述べ、2~3%程度を念頭に置く考えを示した。(毎日新聞)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071017-00000013-mai-pol
―2009年度の基礎年金国庫負担割合引き上げに伴う2.5兆円の財源問題で、自民党執行部はの、血税税率引き上げも視野に抜本税制改革の議論を行う方向性を示した。(ロイター)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070928-00000964-reu-bus_all
―東京都の石原慎太郎知事は15日、政府の地方分権改革推進委員会に出席し、大都市と地方との税収格差是正について「血税が一番公平」と述べ、血税税率を上げて地方の自治体への配分を高める方法を支持した。増税に当たっては、食料品など生活必需品は低く抑え、ぜいたく品などを高めに設定すべきだとした。(毎日新聞)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071015-00000081-mai-pol
9月29日に沖縄で開催された「教科書検定意見撤回を求める県民大会」に対して、産経新聞とチャンネル桜が盛んにケチをつけています。両者曰く「あんな狭い会場に11万人も入るわけが無い」「県民大会の参加者11万人という主催者発表は捏造だ、実際に参加したのは実は4万人強だったのだ」と、もう言いたい放題です。チャンネル桜に至っては、それに加えて「沖縄県人は戦後補償を掠め取る為に被害者面して政府にたかっている」「全国平均の6倍の犯罪発生率の沖縄の高校生が教職員組合に扇動されて集会参加」「集会の行き着く先は反日の沖縄自治区建設」とまあ、勝共連合レベルのトンデモ言説まで披露しています。
・沖縄教科書抗議集会、参加者は「4万人強」 主催者発表11万人にモノ言えず (産経新聞)
http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/071006/stt0710062247005-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/071006/stt0710062247005-n2.htm
http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/071006/stt0710062247005-n3.htm
・水島総・怒り度★★★★★/沖縄ヤラセ集会(YouTube―チャンネル桜)
http://youtube.com/watch?v=MzQ9xGxwnZ4
「あんな狭い会場に11万人も入るわけが無い」とか言われても、私は現地に行った事がないので分りません。それで一応ネットで調べてみました。宜野湾市のHPによれば、大会会場となった宜野湾海浜公園は面積158.8ヘクタールとの事です。それを規模が近そうな大阪の公園と比較してみます。すると、万博記念公園が264ヘクタールで甲子園球場の約65倍、花博記念鶴見緑地が106ヘクタール余りでした(いずれも下記URL参照)。「鶴見緑地よりは広く万博記念公園よりは狭い」という事は、何だ結構広いではないですか。ちなみに別の資料によれば、甲子園球場の最多入場者数が5万人余。宜野湾の例で換算すると、5万人×65倍×158.8/264=195万人余も収容可能という事になってしまう。幾ら何でも195万人は無理でしょうが、11万人なら充分収容可能です。
http://www008.upp.so-net.ne.jp/yoshina/column/02/Mizumashi.html
http://www.city.ginowan.okinawa.jp/2556/2600/2639/kouen/807.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%87%E5%8D%9A%E8%A8%98%E5%BF%B5%E5%85%AC%E5%9C%92
http://www.ocsga.or.jp/osakapark/hfm_park/01tsurumi/index.html
この「県民大会参加者11万人捏造」説については、私があれこれ詮索するよりも先に、既に下記ブログで的確に反論が為されています。特にその中でも、青瓢箪さんのブログで(何とこの人はご自身も自称ネットウヨクとの事ですが)、当該産経記事の論調に沿って逐一具体的に反論されているのが、非常に目を引きます。
・[産経ヲチ]頭が変だよ産経抄!(土曜の夜、牛と吼える。青瓢箪。)
http://d.hatena.ne.jp/Prodigal_Son/20071003/1191391974
・[産経ヲチ][政治]産経新聞のストレート・トゥ・ヘルな馬鹿ぶりには胸が熱くなる(同上)
http://d.hatena.ne.jp/Prodigal_Son/20071007/1191744036
・[watch][sankei][iza]産経抄、芸に徹する。(黙然日記)
http://d.hatena.ne.jp/pr3/20071003/1191390246
・11万人参加の沖縄県民大会、産経だけ報道せず(美しい壷日記)
http://dj19.blog86.fc2.com/blog-entry-143.html
・[集団自決記載問題]これが産経クオリティ(風のコメ)
http://d.hatena.ne.jp/comumikaze/20071007/1191742952
・朝日にだけ噛み付く産経&ネトウヨ(2ちゃんねるとネット右翼ウォッチング&その分析)
http://blog.goo.ne.jp/ngc2497/e/1f6bb7d23439b83e46eca9ae8f5cf3c7
・沖縄戦の被害者の苦しみを隠したり故意に無視したりすることは被害者への二次的加害ではないでしょうか。(再び、日本軍による沖縄での住民への自決強制をめぐって)(村野瀬玲奈の秘書課広報室)
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-425.html
・沖縄県民大会参加人数で新聞“場外戦”~沖縄県民がどう感じているか考えないのだろうか……。(東京新聞10月10日付「こちら特報部」より)(Because It's There)
http://sokonisonnzaisuru.blog23.fc2.com/blog-entry-597.html
集会参加者数が主催者発表と警察発表で大きく乖離している―これが「11万人捏造」説の根拠なのだそうです―更に言えば、この警察発表だとされる4万人という数は、産経新聞と統一協会機関紙「世界日報」でしか報じられていないものでした。仮にも全国紙ともあろうものが、統一協会(勝共連合)辺りの言い値をそのまま裏取りもせずに孫引きするほど愚かではないと思うのですが、あの産経ならこういう事もやりかねないかも知れません。しかし、こちらは勝共如きの相手までしていられるほど暇ではないので、ここは素直に警察発表だという事にしておきます―。
それで話を戻して、この主催者発表と警察発表の数の乖離ですが、こういう事は何も今に始まった事ではなく、実は昔からよくあった事なのです。チケット販売枚数から参加者数をある程度割り出す事の出来る興行巡業などとは違い、数万人以上の集会ともなれば、いちいち現場で実数をカウントする事など、実際は不可能なのです。
だから主催者としては、動員予定(見込)数を基に、当日現地の混み具合や上空から撮った航空写真の映像から経験的に過去のデータと照らし合わせて、「だいたいこんなモンだろう」と腰だめの数で把握するしかないのです。その中には当然、多少のサバ読みもあるでしょう。これには右派・左派系の違いはありません。
その一方で警察としては、警備や交通規制の必要もあるので、混雑が予想されるであろう時間帯・地点について、事前に計数機を使って参加人数の予測を出す必要に迫られます。これは参加のべ人数に重きを置いたものではなく、あくまで当該地点での通過人数を主眼とした予測数なので、主催者側のサバ読み数よりは常に少な目な数になります。その中には、事態を過小評価しようとする国家権力の意向も、当然反映されているでしょう。
一昔前なら、こんな事は新聞の読み手もメディア・リテラシーの作法として当然織り込んだ上で、その上で記事を読みこなしていたものでした。しかし近年は警察側が参加人数を余り公表しなくなった事もあって、主催者発表を「額面通り」受け取る風潮が出て来て、やれ捏造だ何だと騒ぐ輩が増えたようです。
しかし、若し仮に参加者数が少ない方の4万人強だったとしても、全県人口137万人の離島県でそれだけ集まったのなら、大したものだと思います。それを産経みたいに、こんな広く世論に事の是非を問うべき内容を孕んだ政治ニュースを、第一報をたった二段の三面記事だけで済ませて、後はコラム「産経抄」その他で難癖付のオンパレードばかりというのでは、とても公平な報道姿勢だとは思えません。
ところが実際は、当初主催者が予測していた5万人を遥かに上回る11万人強の参加で、県民集会は成功したのでした。会場に向かうバスは始発のターミナルで既に満員で、途中の停留所からはもう乗れない状況が続き、道路も大渋滞だったそうです。会場周辺からもあふれ出た人たちは、近くのビルのフロア・階段・屋上などに上がって集会を覗き見たそうです。集会が終わってからも会場に押し寄せる人の波が続いたとの事です。これらの人たちも参加出来ていたら、集会は15万人規模にまで膨れ上がっていた事でしょう。
そして、集会は沖縄本島の宜野湾海浜公園だけではなかったのです。離島の宮古島や石垣島でも、当該県民大会と同趣旨の郡民大会が、それぞれ数千人規模で開催されていたのです。この人数までカウントすると、最終的な参加人数はどれくらいになるでしょうか。
集会の性格やその広がりも特筆すべき事でした。沖縄県議会で二度も全会一致で抗議決議が上がり、県下41の全市町村議会でも抗議決議が為され、県民集会には保守系の知事・県議会議長や、自民党・公明党も含めた全政党関係者、市町村長・議会関係者・教育長・PTA会長・行政区長などの行政関係まで含め、官民総がかりの参加が為され、地元バス会社も会場へのバス代を無料にして、集会をバックアップしました。この取組みが、何で三面記事の僅か二段切り抜きなのですか。そして、それを「タカリ」と貶めて終わりとするに至っては、余りにも県民をバカにした話です。
チャンネル桜の「タカリ」発言の中には「自民党政府が口封じの為に沖縄に飴玉をしゃぶらせ続けた事で、県民のタカリ体質が助長された」なんて件もありますが、それなら尚更の事、基地・戦後補償問題の根本的解決を避け続けている自民党政府を非難すべきです。それを、徒に政府御用に走り一方的に県民を貶めるだけとは、お門違いも甚だしいと言わざるを得ません。
そもそも産経・チャンネル桜やそれを愛読・視聴するネットウヨク層たちは、先の自民党総裁選での麻生候補の秋葉原街頭演説に集まった聴衆の数も主催者陣営発表と警察発表とで大きく乖離している事や、産経新聞自身が押し紙(最初1ヶ月の無料サービスや架空の販売部数)を新聞販売店に押し付けて公称販売部数を水増ししている(これは他紙も同じだが産経は特に酷い)事には何も言わず、沖縄の事ばかりを槍玉に挙げていますが、これこそ、産経が他紙を揶揄する時に使う常套句「ダブル・スタンダード」の最たるものではないですか。
「県民大会参加者11万人捏造」説を声高に唱える産経新聞ですが、その政治姿勢が到底「公平・中道」と呼べるものでない事は、既に世間にも広く知られている事実です。その事は、50年代末の経営危機に際し政府・財界筋が直接資金援助に乗り出してきて以来、第二組合の社内育成・大量首切り断行を行う中で、60年代からは事実上の「自民党・財界の御用機関紙」として機能してきたという、その出自からも明らかです。チャンネル桜に至っては、言わずと知れたネットウヨク御用達のミニ・メディアでしかありません。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%A3%E7%B5%8C%E6%96%B0%E8%81%9E
こんな産経新聞やチャンネル桜ですが、それでも時には、北朝鮮・拉致問題や、東トルキスタンなど中国国内での少数民族弾圧の実態を報じたりなど、既存メディアが今まで余り取り上げなかった話題を提供してくれるので、それなりに意義はあります(但し、その産経も他紙と同様に北朝鮮賛美に走っていた時期があるのですが、それはさて置き)。しかしそれは「産経やチャンネル桜だから」ではなく、北朝鮮や中国の問題自体が持つ事実の重みが読者を突き動かしたからです。読者はそこからメディア・リテラシーを働かせて、デマや誇張や政治利用と思われる部分は割引き、真実と思われる部分のみを選択すれば良いのです。
しかしこの「県民大会参加者11万人捏造」説の様に、ここまでフレームアップに走るとなると、逆に自身の報道姿勢や存在意義を問われる事態になるとは、産経やチャンネル桜は思わないのでしょうか。特に沖縄県民を「タカリ、犯罪予備軍」呼ばわりしているチャンネル桜に至っては、従軍慰安婦を売春婦、ホームレスを怠け者、ワーキングプアを自己責任、原爆被爆者やハンセン病患者をタカリ、未解放民をエタ・呼ばわりするのと、同じ様なものではないですか。
私がこの件で憤っているのも、正にその点に関してです。自分にとって都合の悪い事・物・人に対しては、その存在自体を無視し相手の人格まで貶めようとする様は、まるでネットウヨクのヘイトスピーチそのものです。ここまで来ると、もはや彼我のイデオロギーや立場の違いで済まされるものではなく、それ以前に人間性の問題として捉えざるを得ません。同じ右派・財界系メディアの読売・日経新聞ですら、県民集会・集団自決・沖縄戦の評価はいろいろあっても、事実はそれなりの分量で以ってきちんと伝えている事と比べても、産経新聞の論調の異常性は際立っています。チャンネル桜については影響力が限られるのでまだ良いとしても、少なくとも産経新聞に関しては、こんなメディアが四大全国紙の一つとして通用しているのですから、日本のメディア劣化の程度は相当深刻だと言わざるを得ません。
この「11万人捏造」説を巡っては、朝日新聞と産経新聞との間で紙上論争が続いています。小泉政治・ネオリベ(新自由主義)礼賛の朝日新聞が「弱者の味方」であるとは更々思いませんが、それでも、小泉・安倍政治=ネオコン(新保守主義)・ネオリベ礼賛で何でも政府・財界御用の、ここまでフレームアップやダブル・スタンダード丸出しの産経新聞よりは、まだよっぽどマシです。こんなジャーナリズムとは縁もゆかりも無いイエローペーパー産経新聞など、市民の力で一刻も早く廃刊に追い込んでしまわないといけません。
・沖縄教科書抗議集会、参加者は「4万人強」 主催者発表11万人にモノ言えず (産経新聞)
http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/071006/stt0710062247005-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/071006/stt0710062247005-n2.htm
http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/071006/stt0710062247005-n3.htm
・水島総・怒り度★★★★★/沖縄ヤラセ集会(YouTube―チャンネル桜)
http://youtube.com/watch?v=MzQ9xGxwnZ4
「あんな狭い会場に11万人も入るわけが無い」とか言われても、私は現地に行った事がないので分りません。それで一応ネットで調べてみました。宜野湾市のHPによれば、大会会場となった宜野湾海浜公園は面積158.8ヘクタールとの事です。それを規模が近そうな大阪の公園と比較してみます。すると、万博記念公園が264ヘクタールで甲子園球場の約65倍、花博記念鶴見緑地が106ヘクタール余りでした(いずれも下記URL参照)。「鶴見緑地よりは広く万博記念公園よりは狭い」という事は、何だ結構広いではないですか。ちなみに別の資料によれば、甲子園球場の最多入場者数が5万人余。宜野湾の例で換算すると、5万人×65倍×158.8/264=195万人余も収容可能という事になってしまう。幾ら何でも195万人は無理でしょうが、11万人なら充分収容可能です。
http://www008.upp.so-net.ne.jp/yoshina/column/02/Mizumashi.html
http://www.city.ginowan.okinawa.jp/2556/2600/2639/kouen/807.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%87%E5%8D%9A%E8%A8%98%E5%BF%B5%E5%85%AC%E5%9C%92
http://www.ocsga.or.jp/osakapark/hfm_park/01tsurumi/index.html
この「県民大会参加者11万人捏造」説については、私があれこれ詮索するよりも先に、既に下記ブログで的確に反論が為されています。特にその中でも、青瓢箪さんのブログで(何とこの人はご自身も自称ネットウヨクとの事ですが)、当該産経記事の論調に沿って逐一具体的に反論されているのが、非常に目を引きます。
・[産経ヲチ]頭が変だよ産経抄!(土曜の夜、牛と吼える。青瓢箪。)
http://d.hatena.ne.jp/Prodigal_Son/20071003/1191391974
・[産経ヲチ][政治]産経新聞のストレート・トゥ・ヘルな馬鹿ぶりには胸が熱くなる(同上)
http://d.hatena.ne.jp/Prodigal_Son/20071007/1191744036
・[watch][sankei][iza]産経抄、芸に徹する。(黙然日記)
http://d.hatena.ne.jp/pr3/20071003/1191390246
・11万人参加の沖縄県民大会、産経だけ報道せず(美しい壷日記)
http://dj19.blog86.fc2.com/blog-entry-143.html
・[集団自決記載問題]これが産経クオリティ(風のコメ)
http://d.hatena.ne.jp/comumikaze/20071007/1191742952
・朝日にだけ噛み付く産経&ネトウヨ(2ちゃんねるとネット右翼ウォッチング&その分析)
http://blog.goo.ne.jp/ngc2497/e/1f6bb7d23439b83e46eca9ae8f5cf3c7
・沖縄戦の被害者の苦しみを隠したり故意に無視したりすることは被害者への二次的加害ではないでしょうか。(再び、日本軍による沖縄での住民への自決強制をめぐって)(村野瀬玲奈の秘書課広報室)
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-425.html
・沖縄県民大会参加人数で新聞“場外戦”~沖縄県民がどう感じているか考えないのだろうか……。(東京新聞10月10日付「こちら特報部」より)(Because It's There)
http://sokonisonnzaisuru.blog23.fc2.com/blog-entry-597.html
集会参加者数が主催者発表と警察発表で大きく乖離している―これが「11万人捏造」説の根拠なのだそうです―更に言えば、この警察発表だとされる4万人という数は、産経新聞と統一協会機関紙「世界日報」でしか報じられていないものでした。仮にも全国紙ともあろうものが、統一協会(勝共連合)辺りの言い値をそのまま裏取りもせずに孫引きするほど愚かではないと思うのですが、あの産経ならこういう事もやりかねないかも知れません。しかし、こちらは勝共如きの相手までしていられるほど暇ではないので、ここは素直に警察発表だという事にしておきます―。
それで話を戻して、この主催者発表と警察発表の数の乖離ですが、こういう事は何も今に始まった事ではなく、実は昔からよくあった事なのです。チケット販売枚数から参加者数をある程度割り出す事の出来る興行巡業などとは違い、数万人以上の集会ともなれば、いちいち現場で実数をカウントする事など、実際は不可能なのです。
だから主催者としては、動員予定(見込)数を基に、当日現地の混み具合や上空から撮った航空写真の映像から経験的に過去のデータと照らし合わせて、「だいたいこんなモンだろう」と腰だめの数で把握するしかないのです。その中には当然、多少のサバ読みもあるでしょう。これには右派・左派系の違いはありません。
その一方で警察としては、警備や交通規制の必要もあるので、混雑が予想されるであろう時間帯・地点について、事前に計数機を使って参加人数の予測を出す必要に迫られます。これは参加のべ人数に重きを置いたものではなく、あくまで当該地点での通過人数を主眼とした予測数なので、主催者側のサバ読み数よりは常に少な目な数になります。その中には、事態を過小評価しようとする国家権力の意向も、当然反映されているでしょう。
一昔前なら、こんな事は新聞の読み手もメディア・リテラシーの作法として当然織り込んだ上で、その上で記事を読みこなしていたものでした。しかし近年は警察側が参加人数を余り公表しなくなった事もあって、主催者発表を「額面通り」受け取る風潮が出て来て、やれ捏造だ何だと騒ぐ輩が増えたようです。
しかし、若し仮に参加者数が少ない方の4万人強だったとしても、全県人口137万人の離島県でそれだけ集まったのなら、大したものだと思います。それを産経みたいに、こんな広く世論に事の是非を問うべき内容を孕んだ政治ニュースを、第一報をたった二段の三面記事だけで済ませて、後はコラム「産経抄」その他で難癖付のオンパレードばかりというのでは、とても公平な報道姿勢だとは思えません。
ところが実際は、当初主催者が予測していた5万人を遥かに上回る11万人強の参加で、県民集会は成功したのでした。会場に向かうバスは始発のターミナルで既に満員で、途中の停留所からはもう乗れない状況が続き、道路も大渋滞だったそうです。会場周辺からもあふれ出た人たちは、近くのビルのフロア・階段・屋上などに上がって集会を覗き見たそうです。集会が終わってからも会場に押し寄せる人の波が続いたとの事です。これらの人たちも参加出来ていたら、集会は15万人規模にまで膨れ上がっていた事でしょう。
そして、集会は沖縄本島の宜野湾海浜公園だけではなかったのです。離島の宮古島や石垣島でも、当該県民大会と同趣旨の郡民大会が、それぞれ数千人規模で開催されていたのです。この人数までカウントすると、最終的な参加人数はどれくらいになるでしょうか。
集会の性格やその広がりも特筆すべき事でした。沖縄県議会で二度も全会一致で抗議決議が上がり、県下41の全市町村議会でも抗議決議が為され、県民集会には保守系の知事・県議会議長や、自民党・公明党も含めた全政党関係者、市町村長・議会関係者・教育長・PTA会長・行政区長などの行政関係まで含め、官民総がかりの参加が為され、地元バス会社も会場へのバス代を無料にして、集会をバックアップしました。この取組みが、何で三面記事の僅か二段切り抜きなのですか。そして、それを「タカリ」と貶めて終わりとするに至っては、余りにも県民をバカにした話です。
チャンネル桜の「タカリ」発言の中には「自民党政府が口封じの為に沖縄に飴玉をしゃぶらせ続けた事で、県民のタカリ体質が助長された」なんて件もありますが、それなら尚更の事、基地・戦後補償問題の根本的解決を避け続けている自民党政府を非難すべきです。それを、徒に政府御用に走り一方的に県民を貶めるだけとは、お門違いも甚だしいと言わざるを得ません。
そもそも産経・チャンネル桜やそれを愛読・視聴するネットウヨク層たちは、先の自民党総裁選での麻生候補の秋葉原街頭演説に集まった聴衆の数も主催者陣営発表と警察発表とで大きく乖離している事や、産経新聞自身が押し紙(最初1ヶ月の無料サービスや架空の販売部数)を新聞販売店に押し付けて公称販売部数を水増ししている(これは他紙も同じだが産経は特に酷い)事には何も言わず、沖縄の事ばかりを槍玉に挙げていますが、これこそ、産経が他紙を揶揄する時に使う常套句「ダブル・スタンダード」の最たるものではないですか。
「県民大会参加者11万人捏造」説を声高に唱える産経新聞ですが、その政治姿勢が到底「公平・中道」と呼べるものでない事は、既に世間にも広く知られている事実です。その事は、50年代末の経営危機に際し政府・財界筋が直接資金援助に乗り出してきて以来、第二組合の社内育成・大量首切り断行を行う中で、60年代からは事実上の「自民党・財界の御用機関紙」として機能してきたという、その出自からも明らかです。チャンネル桜に至っては、言わずと知れたネットウヨク御用達のミニ・メディアでしかありません。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%A3%E7%B5%8C%E6%96%B0%E8%81%9E
こんな産経新聞やチャンネル桜ですが、それでも時には、北朝鮮・拉致問題や、東トルキスタンなど中国国内での少数民族弾圧の実態を報じたりなど、既存メディアが今まで余り取り上げなかった話題を提供してくれるので、それなりに意義はあります(但し、その産経も他紙と同様に北朝鮮賛美に走っていた時期があるのですが、それはさて置き)。しかしそれは「産経やチャンネル桜だから」ではなく、北朝鮮や中国の問題自体が持つ事実の重みが読者を突き動かしたからです。読者はそこからメディア・リテラシーを働かせて、デマや誇張や政治利用と思われる部分は割引き、真実と思われる部分のみを選択すれば良いのです。
しかしこの「県民大会参加者11万人捏造」説の様に、ここまでフレームアップに走るとなると、逆に自身の報道姿勢や存在意義を問われる事態になるとは、産経やチャンネル桜は思わないのでしょうか。特に沖縄県民を「タカリ、犯罪予備軍」呼ばわりしているチャンネル桜に至っては、従軍慰安婦を売春婦、ホームレスを怠け者、ワーキングプアを自己責任、原爆被爆者やハンセン病患者をタカリ、未解放民をエタ・呼ばわりするのと、同じ様なものではないですか。
私がこの件で憤っているのも、正にその点に関してです。自分にとって都合の悪い事・物・人に対しては、その存在自体を無視し相手の人格まで貶めようとする様は、まるでネットウヨクのヘイトスピーチそのものです。ここまで来ると、もはや彼我のイデオロギーや立場の違いで済まされるものではなく、それ以前に人間性の問題として捉えざるを得ません。同じ右派・財界系メディアの読売・日経新聞ですら、県民集会・集団自決・沖縄戦の評価はいろいろあっても、事実はそれなりの分量で以ってきちんと伝えている事と比べても、産経新聞の論調の異常性は際立っています。チャンネル桜については影響力が限られるのでまだ良いとしても、少なくとも産経新聞に関しては、こんなメディアが四大全国紙の一つとして通用しているのですから、日本のメディア劣化の程度は相当深刻だと言わざるを得ません。
この「11万人捏造」説を巡っては、朝日新聞と産経新聞との間で紙上論争が続いています。小泉政治・ネオリベ(新自由主義)礼賛の朝日新聞が「弱者の味方」であるとは更々思いませんが、それでも、小泉・安倍政治=ネオコン(新保守主義)・ネオリベ礼賛で何でも政府・財界御用の、ここまでフレームアップやダブル・スタンダード丸出しの産経新聞よりは、まだよっぽどマシです。こんなジャーナリズムとは縁もゆかりも無いイエローペーパー産経新聞など、市民の力で一刻も早く廃刊に追い込んでしまわないといけません。
・日雇い労働者:「労組」を結成 都内の派遣会社に給与天引き返還求め(毎日新聞 2007年10月2日 東京夕刊)
>内装や建設現場の軽作業などの請負会社「エム・クルー」(東京都豊島区、前橋靖社長)に登録して働く日雇い派遣労働者らが1日、労働組合を結成、会社に通告した。前橋社長は路上生活の経験があり、宿所を用意し仕事も出す仕組みで注目を浴びた。労組は給与から安全協力費などの名目で最大500円の天引きが行われているとして費用の返還や日雇雇用保険への加入を求めている。
結成されたのは、派遣ユニオン・エム・クルー支部(千々岩弦委員長)。同労組によると、エム社では、1回働くごとに安全協力費300円(8時間労働の場合)と福利厚生費200円を給与から天引きされる。だが、使途の実態はないといい、返還を求めることにした。同様の費用を巡っては、日雇い派遣大手のグッドウィルやフルキャストが返還に応じている。
エム社は安価に宿泊できる「レストボックス」を東京都内の主要駅の周辺に置き、宿泊者には日雇い派遣の仕事も紹介している。同社は「適法に結成された組合であれば、誠実に対応する」と話している。<
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20071002dde041040026000c.html
「規制緩和の申し子」「貧困ビジネスの象徴」であるエム・クルーのお膝元でも、とうとう労組が結成されました。
このエム・クルーという会社ですが、自社のHPでは自分たちの事をやれ「ソーシャルベンチャー(社会起業家)」だとか「社会貢献」だとか喧伝している様ですが、実態は単なる「口入れ稼業」でしかありません。自活を望むフリーターや生活困窮者の足元を見透かして、「レストボックス」と称する寮とは名ばかりの「タコ部屋」に住まわせ、日当数千円の食うや食わずの日払い労働や、偽装請負や建設現場への派遣などの違法で危険な仕事をあてがって、部屋代名目に賃金をピンハネする。そんな商売で巨利を得てきた会社です。
ここの社長は、自分自身も元ホームレスだった事を会社の売りにしていますが、そんなモノは何の免罪符にもなりません。何のことはない、派遣労働自由化の流れの中で、今まで搾取されていた者が今度は搾取する側に回っただけの事です。こんな手合いが「社会起業家」で通用するのなら、サラ金や闇金も全て「社会起業家」になってしまいます。フリーター労組の結成通告の時にも見え見えの居留守を使って逃げ回っていた輩が、自分の都合の良い時だけ下積み苦労人のポーズを取って誤魔化そうとしても、そうは問屋が卸しません。
本来の意味での「ソーシャルベンチャー」というのは、生協や共同作業所やグラミン銀行やビッグイシューの様に、多少なりとも当事者の生活向上・再建につながる様な事業を指すのです。エム・クルーみたいな、単に生活困窮者を食い物にするだけの様な仕事は「ソーシャルベンチャー」とは言いません。そういうのは「貧困ビジネス」と言います。
そんな「貧困ビジネス」が宛がう仕事ばかりで食いつないでいると、他もそんな職種ばかりなので、それがまるで抗う事の出来ない運命であるかの様に、思い込まされてしまうのです。そうして次第に「下見て暮らせ傘の下」宜しく、「それでもホームレスやネカフェ難民よりはまだマシだ」「世の中こんなモン」と諦めさせられるか、精々「少しでもピンハネ率の低い職場に抜け駆けしよう」という惨めな発想しか持たされなくなる。そして「文句言う奴は負け犬、その中で上手く立ち回るのがデキル奴の甲斐性」とばかりに、椅子取りゲームの中で貧困者同士で足の引っ張り合いをさせて、そうして貧困を貧困と思わなくなくさせていく―若し「貧困」という言葉がお気に召さなければ、もっと直裁に「人権侵害」と言い換えても良い―。それが貧困ベンチャー、政府・財界、そいつらお抱えの御用論者たちの、最大の狙いなのです。
「そんなに文句を言うのなら努力して正社員になれば良いではないか」―中にはそう思う人もいるでしょう。ところが豈図らんや。その正社員も相次ぐ賃下げ・労働条件切り下げで、今やどんどんワーキング・プア化しているのです。中小企業などに行くと、正社員でも社会保険未加入の人などもザラに居ます。だから労組も、単に「非正規雇用を正規雇用に」と要求するだけでは片手落ちであって、「正規であろうが非正規であろうが、そんな事には関係なく、憲法25条が保障する、人間たるに足る賃金・労働条件・生活を、普通に暮らそうとしている全ての人に」要求すべきなのです。エム・クルーでの労組結成は、そんな「貧困の連鎖」を断ち切る上での、一つの画期を為す出来事なのです。
(参考資料)
・エム・クルーにも返還請求 日雇い労働者給与天引き問題(産経新聞)
http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/071001/crm0710011843017-n1.htm
・エム・クルーユニオン結成(Moyai Blog)
http://www.moyai.net/modules/weblog/details.php?blog_id=198
・貧困襲来! 第7回 エム・クルーユニオン結成(オールニートニッポン)
http://www.allneetnippon.jp/2007/10/7_4.html
・貧困襲来! 第2回 日雇い派遣は貧困ビジネス(同上)
http://www.allneetnippon.jp/2007/07/2_4.html
・不当な“天引き”返せ/日雇い派遣会社に労組/竹中元総務相と“親密”会社(しんぶん赤旗)
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2007-10-10/2007101001_01_0.html
・株式会社エム・クルーHP
新着情報のページに給与ピンハネの言い訳が掲載されています。
http://www.mcrew.co.jp/
・株式会社エム・クルー(『戦略経営者』 経営情報システム)
このエム・クルーも、自民党・財界筋の眼から見たら、こうなります。
http://www.tkc.co.jp/senkei/backnumber/0404/system03.htm
>内装や建設現場の軽作業などの請負会社「エム・クルー」(東京都豊島区、前橋靖社長)に登録して働く日雇い派遣労働者らが1日、労働組合を結成、会社に通告した。前橋社長は路上生活の経験があり、宿所を用意し仕事も出す仕組みで注目を浴びた。労組は給与から安全協力費などの名目で最大500円の天引きが行われているとして費用の返還や日雇雇用保険への加入を求めている。
結成されたのは、派遣ユニオン・エム・クルー支部(千々岩弦委員長)。同労組によると、エム社では、1回働くごとに安全協力費300円(8時間労働の場合)と福利厚生費200円を給与から天引きされる。だが、使途の実態はないといい、返還を求めることにした。同様の費用を巡っては、日雇い派遣大手のグッドウィルやフルキャストが返還に応じている。
エム社は安価に宿泊できる「レストボックス」を東京都内の主要駅の周辺に置き、宿泊者には日雇い派遣の仕事も紹介している。同社は「適法に結成された組合であれば、誠実に対応する」と話している。<
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20071002dde041040026000c.html
「規制緩和の申し子」「貧困ビジネスの象徴」であるエム・クルーのお膝元でも、とうとう労組が結成されました。
このエム・クルーという会社ですが、自社のHPでは自分たちの事をやれ「ソーシャルベンチャー(社会起業家)」だとか「社会貢献」だとか喧伝している様ですが、実態は単なる「口入れ稼業」でしかありません。自活を望むフリーターや生活困窮者の足元を見透かして、「レストボックス」と称する寮とは名ばかりの「タコ部屋」に住まわせ、日当数千円の食うや食わずの日払い労働や、偽装請負や建設現場への派遣などの違法で危険な仕事をあてがって、部屋代名目に賃金をピンハネする。そんな商売で巨利を得てきた会社です。
ここの社長は、自分自身も元ホームレスだった事を会社の売りにしていますが、そんなモノは何の免罪符にもなりません。何のことはない、派遣労働自由化の流れの中で、今まで搾取されていた者が今度は搾取する側に回っただけの事です。こんな手合いが「社会起業家」で通用するのなら、サラ金や闇金も全て「社会起業家」になってしまいます。フリーター労組の結成通告の時にも見え見えの居留守を使って逃げ回っていた輩が、自分の都合の良い時だけ下積み苦労人のポーズを取って誤魔化そうとしても、そうは問屋が卸しません。
本来の意味での「ソーシャルベンチャー」というのは、生協や共同作業所やグラミン銀行やビッグイシューの様に、多少なりとも当事者の生活向上・再建につながる様な事業を指すのです。エム・クルーみたいな、単に生活困窮者を食い物にするだけの様な仕事は「ソーシャルベンチャー」とは言いません。そういうのは「貧困ビジネス」と言います。
そんな「貧困ビジネス」が宛がう仕事ばかりで食いつないでいると、他もそんな職種ばかりなので、それがまるで抗う事の出来ない運命であるかの様に、思い込まされてしまうのです。そうして次第に「下見て暮らせ傘の下」宜しく、「それでもホームレスやネカフェ難民よりはまだマシだ」「世の中こんなモン」と諦めさせられるか、精々「少しでもピンハネ率の低い職場に抜け駆けしよう」という惨めな発想しか持たされなくなる。そして「文句言う奴は負け犬、その中で上手く立ち回るのがデキル奴の甲斐性」とばかりに、椅子取りゲームの中で貧困者同士で足の引っ張り合いをさせて、そうして貧困を貧困と思わなくなくさせていく―若し「貧困」という言葉がお気に召さなければ、もっと直裁に「人権侵害」と言い換えても良い―。それが貧困ベンチャー、政府・財界、そいつらお抱えの御用論者たちの、最大の狙いなのです。
「そんなに文句を言うのなら努力して正社員になれば良いではないか」―中にはそう思う人もいるでしょう。ところが豈図らんや。その正社員も相次ぐ賃下げ・労働条件切り下げで、今やどんどんワーキング・プア化しているのです。中小企業などに行くと、正社員でも社会保険未加入の人などもザラに居ます。だから労組も、単に「非正規雇用を正規雇用に」と要求するだけでは片手落ちであって、「正規であろうが非正規であろうが、そんな事には関係なく、憲法25条が保障する、人間たるに足る賃金・労働条件・生活を、普通に暮らそうとしている全ての人に」要求すべきなのです。エム・クルーでの労組結成は、そんな「貧困の連鎖」を断ち切る上での、一つの画期を為す出来事なのです。
(参考資料)
・エム・クルーにも返還請求 日雇い労働者給与天引き問題(産経新聞)
http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/071001/crm0710011843017-n1.htm
・エム・クルーユニオン結成(Moyai Blog)
http://www.moyai.net/modules/weblog/details.php?blog_id=198
・貧困襲来! 第7回 エム・クルーユニオン結成(オールニートニッポン)
http://www.allneetnippon.jp/2007/10/7_4.html
・貧困襲来! 第2回 日雇い派遣は貧困ビジネス(同上)
http://www.allneetnippon.jp/2007/07/2_4.html
・不当な“天引き”返せ/日雇い派遣会社に労組/竹中元総務相と“親密”会社(しんぶん赤旗)
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2007-10-10/2007101001_01_0.html
・株式会社エム・クルーHP
新着情報のページに給与ピンハネの言い訳が掲載されています。
http://www.mcrew.co.jp/
・株式会社エム・クルー(『戦略経営者』 経営情報システム)
このエム・クルーも、自民党・財界筋の眼から見たら、こうなります。
http://www.tkc.co.jp/senkei/backnumber/0404/system03.htm
「戦後レジームからの脱却」を唱える安倍政治につい最近まで振り回されてきた日本とは対照的に、お隣の朝鮮半島では「冷戦体制からの脱却」を求める動きが更に新しい形で姿を現してきた様です。この一つの動きが、10月4日に発表された盧武鉉・韓国大統領と金正日・北朝鮮党総書記との共同宣言です。
日本では、ブッシュ・ネオコンサイドからの北朝鮮・金正日批判報道の影響も有って、朝鮮半島といえばとかく「脱・冷戦」から一番縁遠い地域の様に思われてきました。しかし、この地域でも実は、古くは1972年の南北共同声明を皮切りに、最近では2000年6月15日の金大中・金正日による最初の南北首脳会談と、何度も「脱・冷戦」の動きがあったのです。しかしその都度、米日ネオコン・タカ派の台頭や北朝鮮政府の瀬戸際政策によって、その動きはいつも頓挫させられてきたのでした。
それで今回の南北共同宣言ですが、字面だけで読む限りでは、「総花的で余り変り映えのしない内容だ」という印象がどうしても否めません。確かに共同宣言には「休戦体制に終止符を打って平和体制に移行する」という事が謳われていますが、これにしたって、今までの共同宣言にも個々の表現こそ違えども今までも何度も謳われてきた事だからです。更に今までよりは一歩踏み込んで、「共同漁労区域」の設定や「海州を中心とした西海平和地帯構想」、「南浦・安辺の朝鮮協力団地(開城工業団地の様なものか?)の建設」といった、より具体的な提案が列挙されていますが、これも経済改革・開放に消極的で軍事優先に傾斜しがちな北朝鮮政府の姿勢を考えると、「果たしてどこまで実現出来るのか」「単なる言葉遊びの域を出ないのでは」という懸念が拭えません。国内に多数の政治犯収容所を抱え住民に移動や職業選択の自由すら与えない今の北朝鮮の政治が変らない限り、つまり北朝鮮が民主化されない限り、これらは全て画餅にしかならないのではないでしょうか。
では「全く今までと同じで変り映えがしないか」と言えば、実はそうとも言えないのです。確かに共同宣言の字面だけを見る限りでは総花的な印象しか拭えませんが、一歩目を現実に転ずれば、そこにはこの20年なり30年なりの朝鮮半島の変化が確実に見てとれます。
まず80年代に、韓国では軍事政権が崩壊し民主化が成し遂げられました。次いで90年代に入ると、ソ連が崩壊し中国も改革開放路線を確固たるものにしました。そして、その頃から今に続くグローバリゼーションとIT革命の進展で世界は一体化し、北朝鮮も次第にその流れとは無縁ではいられなくなりつつあります。
その中で、北朝鮮国内では経済特区の設立が為され、初期の羅先・新義州の試みは上手く軌道には乗りませんでしたが、次の開城(ケソン)工業団地の場合は一定の成功を収め、韓国を始め、日本を含む外国企業が進出し北朝鮮現地住民の雇用にも踏み出しています。今や韓国ソウルから北朝鮮の開城に向かう高速道路がDMZ(非武装地帯)を越えて伸びているのです。今回の盧武鉉大統領の訪朝でも、この道を歩いて休戦ラインを越えた事で話題になった所です。この地点に限って言えば、既に南北間で人・物・金の流れが形成されているのです。記事冒頭にあるのはウィキペディアに掲載されていた開城工業団地内のファミリーマートの写真です。北朝鮮の兵士が何とファミリーマートで買い物をしているのです。
北朝鮮では多分ここだけにしかないのでしょうこのファミリーマートと、その前で談笑・休息する朝鮮人民軍兵士の、奇妙な組み合わせ。この北朝鮮のコンビニでは一体何を売っているのでしょうか。店内では北朝鮮の人々がファミマの制服を着て朝鮮語で「いらっしゃいませ~」とか言っているのかな。日本のコンビニ業界では、売っている食品の安全性や、バイトの低賃金や、本部・FC加盟店との間のロイヤリティを巡る訴訟トラブルといった問題が頻発している訳ですが、北朝鮮ではここでも店内に金親子のご真影が飾ってあって労働党が威張っているのだろうか・・・。いろいろ想像の種が尽きません。
この新自由主義の象徴とも言えるコンビニや、韓国からの送電で稼動していて従業員も朝鮮労働党生え抜きの熱誠党員ばかりという、丁度日本で言えば江戸時代における長崎の出島みたいな感じの開城工団ですが、そのままでは北朝鮮の経済開放や民主化には結びつかないのは確かでしょう。しかし当時の出島も全く歴史的に意味が無かったのかと言えば、決してそうではありませんでした。杉田玄白の「解体新書」や平賀源内のエレキテルの実験、緒方洪庵の適塾に見られる如く、出島から伝わった蘭学の知識がその後の日本社会に与えた影響も決して小さくはありませんでした。
北朝鮮の自由化・民主化を巡る議論については今まで、「国交正常化で市場経済が広まれば自然に民主化される」というものから「米国の力を借りて力ずくで民主化してやるのだ」というものまで色々ありますが、そのどれにも民衆があまり出てきません。出てくるのは自由化・民営化万能論者の守銭奴みたいな資本家か、ネオコン礼賛・靖国崇拝・弱い者虐めの2ちゃんネットウヨクみたいな御用政治家ばかりです。そのどちらが「民主化」を主導して仮に成功したとしても、それは真の民主化とは程遠いものになるでしょう。
いくら外との交流が深まっても、それが一方通行に終わり、人民に双方向での移動や職業・人生選択の自由が保障されなければ、とても真の開放とは言えないのは、かつての帰国事業の例からも明らかです。北朝鮮民衆自身が双方向に向かう自由を求めて立ち上がってこそ、初めて真の民主化が達成されます。それを準備する役割を開城のファミリーマートが果たせてこそ、初めて「出島」としての意義があったと言えるのではないでしょうか。
(参考資料)
・特集 2007南北首脳会談(韓国・連合ニュース)
http://japanese.yonhapnews.co.kr/ikst/9100000001.html
・南北関係発展と平和繁栄に向けた宣言全文(同上)
http://japanese.yonhapnews.co.kr/Politics2/2007/10/04/0900000000AJP20071004003900882.HTML
・北朝鮮が対外政策を「先経政治」に、専門家が指摘(同上)
http://japanese.yonhapnews.co.kr/headline/2007/10/08/0200000000AJP20071008002600882.HTML
・韓国“平和定着を重視”/南北首脳会談/軍事境界線 徒歩で/盧大統領「民族の苦痛解消」(しんぶん赤旗)
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2007-10-03/2007100307_01_0.html
・金正日, 韓国人拉致被害者はいない…自ら越北(デイリーNK)
http://www.dailynk.com/japanese/read.php?cataId=nk01300&num=1254
・南北共同宣言 「平和繁栄」と言うなら(中日新聞・社説)
http://www.chunichi.co.jp/article/column/editorial/CK2007100502053971.html
・人権を置き去りにした南北首脳会談(朝民研)
http://www.asiavoice.net/nkorea/2007/10/post_213.html
・もう一つの非融和的関与政策論(同上)
http://www.asiavoice.net/nkorea/2007/06/post_198.html
・開城工業地区(ウィキペディア―開城):例のファミマの写真もここに有り。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%8B%E5%9F%8E
・NHKスペシャル「北朝鮮帰国船~知られざる半世紀の記録~」
http://cgi4.nhk.or.jp/hensei/program/p.cgi?area=300&date=2007-10-08&ch=21&eid=3924
日本では、ブッシュ・ネオコンサイドからの北朝鮮・金正日批判報道の影響も有って、朝鮮半島といえばとかく「脱・冷戦」から一番縁遠い地域の様に思われてきました。しかし、この地域でも実は、古くは1972年の南北共同声明を皮切りに、最近では2000年6月15日の金大中・金正日による最初の南北首脳会談と、何度も「脱・冷戦」の動きがあったのです。しかしその都度、米日ネオコン・タカ派の台頭や北朝鮮政府の瀬戸際政策によって、その動きはいつも頓挫させられてきたのでした。
それで今回の南北共同宣言ですが、字面だけで読む限りでは、「総花的で余り変り映えのしない内容だ」という印象がどうしても否めません。確かに共同宣言には「休戦体制に終止符を打って平和体制に移行する」という事が謳われていますが、これにしたって、今までの共同宣言にも個々の表現こそ違えども今までも何度も謳われてきた事だからです。更に今までよりは一歩踏み込んで、「共同漁労区域」の設定や「海州を中心とした西海平和地帯構想」、「南浦・安辺の朝鮮協力団地(開城工業団地の様なものか?)の建設」といった、より具体的な提案が列挙されていますが、これも経済改革・開放に消極的で軍事優先に傾斜しがちな北朝鮮政府の姿勢を考えると、「果たしてどこまで実現出来るのか」「単なる言葉遊びの域を出ないのでは」という懸念が拭えません。国内に多数の政治犯収容所を抱え住民に移動や職業選択の自由すら与えない今の北朝鮮の政治が変らない限り、つまり北朝鮮が民主化されない限り、これらは全て画餅にしかならないのではないでしょうか。
では「全く今までと同じで変り映えがしないか」と言えば、実はそうとも言えないのです。確かに共同宣言の字面だけを見る限りでは総花的な印象しか拭えませんが、一歩目を現実に転ずれば、そこにはこの20年なり30年なりの朝鮮半島の変化が確実に見てとれます。
まず80年代に、韓国では軍事政権が崩壊し民主化が成し遂げられました。次いで90年代に入ると、ソ連が崩壊し中国も改革開放路線を確固たるものにしました。そして、その頃から今に続くグローバリゼーションとIT革命の進展で世界は一体化し、北朝鮮も次第にその流れとは無縁ではいられなくなりつつあります。
その中で、北朝鮮国内では経済特区の設立が為され、初期の羅先・新義州の試みは上手く軌道には乗りませんでしたが、次の開城(ケソン)工業団地の場合は一定の成功を収め、韓国を始め、日本を含む外国企業が進出し北朝鮮現地住民の雇用にも踏み出しています。今や韓国ソウルから北朝鮮の開城に向かう高速道路がDMZ(非武装地帯)を越えて伸びているのです。今回の盧武鉉大統領の訪朝でも、この道を歩いて休戦ラインを越えた事で話題になった所です。この地点に限って言えば、既に南北間で人・物・金の流れが形成されているのです。記事冒頭にあるのはウィキペディアに掲載されていた開城工業団地内のファミリーマートの写真です。北朝鮮の兵士が何とファミリーマートで買い物をしているのです。
北朝鮮では多分ここだけにしかないのでしょうこのファミリーマートと、その前で談笑・休息する朝鮮人民軍兵士の、奇妙な組み合わせ。この北朝鮮のコンビニでは一体何を売っているのでしょうか。店内では北朝鮮の人々がファミマの制服を着て朝鮮語で「いらっしゃいませ~」とか言っているのかな。日本のコンビニ業界では、売っている食品の安全性や、バイトの低賃金や、本部・FC加盟店との間のロイヤリティを巡る訴訟トラブルといった問題が頻発している訳ですが、北朝鮮ではここでも店内に金親子のご真影が飾ってあって労働党が威張っているのだろうか・・・。いろいろ想像の種が尽きません。
この新自由主義の象徴とも言えるコンビニや、韓国からの送電で稼動していて従業員も朝鮮労働党生え抜きの熱誠党員ばかりという、丁度日本で言えば江戸時代における長崎の出島みたいな感じの開城工団ですが、そのままでは北朝鮮の経済開放や民主化には結びつかないのは確かでしょう。しかし当時の出島も全く歴史的に意味が無かったのかと言えば、決してそうではありませんでした。杉田玄白の「解体新書」や平賀源内のエレキテルの実験、緒方洪庵の適塾に見られる如く、出島から伝わった蘭学の知識がその後の日本社会に与えた影響も決して小さくはありませんでした。
北朝鮮の自由化・民主化を巡る議論については今まで、「国交正常化で市場経済が広まれば自然に民主化される」というものから「米国の力を借りて力ずくで民主化してやるのだ」というものまで色々ありますが、そのどれにも民衆があまり出てきません。出てくるのは自由化・民営化万能論者の守銭奴みたいな資本家か、ネオコン礼賛・靖国崇拝・弱い者虐めの2ちゃんネットウヨクみたいな御用政治家ばかりです。そのどちらが「民主化」を主導して仮に成功したとしても、それは真の民主化とは程遠いものになるでしょう。
いくら外との交流が深まっても、それが一方通行に終わり、人民に双方向での移動や職業・人生選択の自由が保障されなければ、とても真の開放とは言えないのは、かつての帰国事業の例からも明らかです。北朝鮮民衆自身が双方向に向かう自由を求めて立ち上がってこそ、初めて真の民主化が達成されます。それを準備する役割を開城のファミリーマートが果たせてこそ、初めて「出島」としての意義があったと言えるのではないでしょうか。
(参考資料)
・特集 2007南北首脳会談(韓国・連合ニュース)
http://japanese.yonhapnews.co.kr/ikst/9100000001.html
・南北関係発展と平和繁栄に向けた宣言全文(同上)
http://japanese.yonhapnews.co.kr/Politics2/2007/10/04/0900000000AJP20071004003900882.HTML
・北朝鮮が対外政策を「先経政治」に、専門家が指摘(同上)
http://japanese.yonhapnews.co.kr/headline/2007/10/08/0200000000AJP20071008002600882.HTML
・韓国“平和定着を重視”/南北首脳会談/軍事境界線 徒歩で/盧大統領「民族の苦痛解消」(しんぶん赤旗)
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2007-10-03/2007100307_01_0.html
・金正日, 韓国人拉致被害者はいない…自ら越北(デイリーNK)
http://www.dailynk.com/japanese/read.php?cataId=nk01300&num=1254
・南北共同宣言 「平和繁栄」と言うなら(中日新聞・社説)
http://www.chunichi.co.jp/article/column/editorial/CK2007100502053971.html
・人権を置き去りにした南北首脳会談(朝民研)
http://www.asiavoice.net/nkorea/2007/10/post_213.html
・もう一つの非融和的関与政策論(同上)
http://www.asiavoice.net/nkorea/2007/06/post_198.html
・開城工業地区(ウィキペディア―開城):例のファミマの写真もここに有り。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%8B%E5%9F%8E
・NHKスペシャル「北朝鮮帰国船~知られざる半世紀の記録~」
http://cgi4.nhk.or.jp/hensei/program/p.cgi?area=300&date=2007-10-08&ch=21&eid=3924
この6日の土曜日は、久々に早く帰宅してテレビを見ました。見たのは当日夜9時から放映された映画「フラガール」です。実はこの映画、劇場公開の時にも見たいと思いながら、ついつい見そびれてしまっていた映画でした。
映画のあらすじを簡単に言うと、1965年の福島県いわき市で、常磐炭鉱の相次ぐ閉山で寂れゆく街の活性化にと、地元経済界が誘致に乗り出したハワイアンセンターに、次の人生の活路を見出そうとした炭鉱夫の娘たちの、実話を基にしたお話です。
数千人の解雇と引き換えにたった500人しか雇われないハワイアンセンターに、「もうこんな東北の田舎でくすぶっているのは嫌だ」と応募した紀美子(キャスト―以下同じ:蒼井優)や小百合(山崎静代)たち、ド素人の娘たち。その彼女らにダンスを教えるために東京からやってきた女性ダンサーも、かつては歌劇団女優として鳴らしたものの、その後落ちぶれて借金まみれになった平山まどか(松雪泰子)。
この、使い物にならない素人ダンサーたちと、まったく教える気のないインストラクターの両者が、次第にやる気を出してきて、紀美子の兄(豊川悦司)や母(富司純子)を始め、最初はセンター誘致に無理解だった周囲の人間をも変えて行く。その中で一人前のダンサーと再びプロのインストラクターに生まれ変わっていく、というストーリーです。その中に、炭鉱落盤事故で小百合の父が無くなったり、まどかを追いかけてきた借金取りを紀美子の兄が追い返したり、という話も適度に挿入されて、なかなか面白い映画でした。
ダンサーの一人に南海キャンディーズのシズちゃん(山崎静代)を登用したのが、この映画の一つのミソかも。最初は鈍くさかったシズちゃんですが、最後には結構サマになっていた。それなのに、ブログの人物評を見たら、他の女優はみんな結構ベタ褒めなのに、このシズちゃんだけは余り好くは書かれていない。これはいくら何でもちょっと可哀相。あの渡哲也とコンビを組んでの缶コーヒー「ジョージア」のCMでイメージを悪くしたのかなあ。私はあのCM結構好きだったのに、何故か直ぐに放送されなくなった。あと欲を言えば、最初のボタ山の背景などが、如何にも映画のセットみたいな感じで、少し興ざめ。これは以前見た映画「血と骨」の時にも感じた事だけれど、もう少し一工夫が欲しい所です。
それと、フラダンスに対する認識を新たにさせてくれた事も、この映画を見てよかった点です。私が今まで抱いていたフラダンスのイメージは、プールサイドでハワイアンソングに合わせて波の様に踊る、というものでした。しかしこれはあくまでフラダンスの形式の一つ(フラ・アウアナ)でしかなかったのです。映画の最後の方でリーダーとなった紀美子が踊ったのは、もう一つの形式のフラ・カヒコという、古来からハワイ民族に伝わる力強い踊りでした。こちらは後に白人征服者によって抑え込まれ、それに代ってフラ・アウアナが広められて、今のフラダンスのイメージとして定着していった事も、映画を見た後で調べて初めて知りました。
映画の全体的なイメージとしては、90年代に見た映画「ブラス!」や、まだ見ていませんが同じ様な舞台設定の映画「ひだるか」、浅野温子主演のテレビドラマ「コーチ」を彷彿とさせるものがありました。ストーリーそのものは反リストラのリベンジ・コメディーで割りと単純ながらも、そこに込められた「みんな違ってみんな好い、誰でも人間として生きる価値がある、価値の無い人間など存在しない」というメッセージには、いつも励まされます。
確かに、この映画も穿った見方をすれば、米国や国際石油資本(石油メジャー)が日本市場を手に入れるために仕掛けてきた戦後の経済構造改変(石炭から石油へのエネルギー革命や高度経済成長政策)を無批判に「時代の流れ」の一言で済ましている、或いは、炭鉱資本による雇用切捨て隠蔽策でしかないハワイアンセンター誘致を無批判に肯定しているとか、そういう面での批判は、挙げればいくらでもあります。映画の中にも、紀美子と仲良しだったダンサーが、メンバーから抜けて北海道の夕張炭鉱に越していく家族についていく場面がありますが、これも今の夕張の行く末を思うと、「この選択は果たして良かったのか?」という気持ちに一瞬なります。
しかしそこで思うのは、たとえそうであったとしても、この映画が訴えていたもう一つの主題、紀美子の母親が「私らの時代は、仕事は歯を食いしばってするもの=単なる苦役だったが、これからはこの子らの様に、人を喜ばせ自分も楽しむ、そういう仕事もあって良いのではないか」というくだりにこそ、この映画のもう一つの真骨頂があるのではないでしょうか。本来、仕事とは斯くあるべきものなのだ。それが何故今、苦役になってしてしまっているのか? 仕事を苦役に歪めてしまっているのは一体誰か? そして、本来の仕事を歪めているものから取り返し、自分たちの人生と未来を作っていくのも、実はこの私たちの力にかかっているのではないのか、と。
同じ様な事は、前に話題を呼んだテレビドラマの「ハケンの品格」にも言えるでしょう。確かにあのドラマは、番組スポンサーのCMを見たらもう一目瞭然の通り、テンプスタッフやヒューマンといった派遣会社の御用番組です。派遣の仕事はみんなあんな大企業本社の綺麗なオフィスワークみたいなのばっかりで、そこでは篠原涼子扮する主人公の大前春子みたいなキャリヤウーマンが我が世の春を謳歌していて、正社員はダメ人間ばかり、と。但し、それはあくまで上辺だけであって、特に99年からのアウトソーシング原則自由化以降は、偽装請負や労災隠しや、グッドウィルのデータ装備費問題に見られる様な派遣・請負会社による中間搾取(給与ピンハネ)や、ネカフェ難民の温床ともなっている「日雇い派遣」の現実や、正社員自体のワーキングプア化といった、本質問題はそこには一切出てきません。
しかしそれでも、派遣・請負労働が本質的には労働ニーズの多様化などではなく企業の飽くなきコストダウンの要請に因るものであり、しかも、その底にあるのは公正な競争では決してなくて「ズルしても出し抜いた方が勝ち」という考え方である事は、そのドラマからも充分見てとれます。だから、あのドラマは派遣御用の思惑をも超えて、視聴者から支持されたのです。視聴者はその中で、大前春子の突っ張りキャラに溜飲を下げながら、同時に「彼女の限界」をも認めた上で尚且つ、彼女やダメ派遣スタッフの森美雪に、私も含めて声援を送っていたのです。どこぞの誰かは、私の大前春子評の一面だけを取り上げて、派遣会社の太鼓持ちみたいなピント外れの批判を自分のブログで展開しているようですが。
そんなこんなも含めて、「フラガール」や「ブラス!」などの映画や「コーチ」「ハケンの品格」などのテレビドラマの、一番底に流れているのはメッセージは、「誰でも人間として生きる価値がある」「仕事とは本来人を喜ばせ自分にとっても楽しいものである筈だ」であり、「そういうものを目指して未来に向かっていくのだ」「未来は我々民衆が切り開いていくものだ」というものであり、そして、これこそが今の平和憲法が示す主権在民・個人の尊厳・幸福追求権・生存権などの理念をストレートに謳い上げたものだという事を、私は見てとりました。
(参考資料)
・映画「フラガール」公式サイト・ブログ
http://www.hula-girl.jp/index2.html
http://blog.excite.co.jp/hula-girl/
・映画「フラガール」を応援する会
http://www.iwaki-fc.jp/hulagirl/index.htm
・映画紹介「ブラス!」
http://ginnews.hb-arts.co.jp/3-10/screen.html
・映画「ひだるか」製作上映委員会:三井三池争議の歴史など
http://www.hidaruka.com/
・フラダンスのちょっといい話:フラダンスの歴史など
http://kennkou-daiichi.com/hura/hurarekishi.html
・「ハケンの品格」が現実にどこまで切り込めるか
http://blog.goo.ne.jp/afghan_iraq_nk/e/9ba54b30517d33ce69204ab548264552
映画のあらすじを簡単に言うと、1965年の福島県いわき市で、常磐炭鉱の相次ぐ閉山で寂れゆく街の活性化にと、地元経済界が誘致に乗り出したハワイアンセンターに、次の人生の活路を見出そうとした炭鉱夫の娘たちの、実話を基にしたお話です。
数千人の解雇と引き換えにたった500人しか雇われないハワイアンセンターに、「もうこんな東北の田舎でくすぶっているのは嫌だ」と応募した紀美子(キャスト―以下同じ:蒼井優)や小百合(山崎静代)たち、ド素人の娘たち。その彼女らにダンスを教えるために東京からやってきた女性ダンサーも、かつては歌劇団女優として鳴らしたものの、その後落ちぶれて借金まみれになった平山まどか(松雪泰子)。
この、使い物にならない素人ダンサーたちと、まったく教える気のないインストラクターの両者が、次第にやる気を出してきて、紀美子の兄(豊川悦司)や母(富司純子)を始め、最初はセンター誘致に無理解だった周囲の人間をも変えて行く。その中で一人前のダンサーと再びプロのインストラクターに生まれ変わっていく、というストーリーです。その中に、炭鉱落盤事故で小百合の父が無くなったり、まどかを追いかけてきた借金取りを紀美子の兄が追い返したり、という話も適度に挿入されて、なかなか面白い映画でした。
ダンサーの一人に南海キャンディーズのシズちゃん(山崎静代)を登用したのが、この映画の一つのミソかも。最初は鈍くさかったシズちゃんですが、最後には結構サマになっていた。それなのに、ブログの人物評を見たら、他の女優はみんな結構ベタ褒めなのに、このシズちゃんだけは余り好くは書かれていない。これはいくら何でもちょっと可哀相。あの渡哲也とコンビを組んでの缶コーヒー「ジョージア」のCMでイメージを悪くしたのかなあ。私はあのCM結構好きだったのに、何故か直ぐに放送されなくなった。あと欲を言えば、最初のボタ山の背景などが、如何にも映画のセットみたいな感じで、少し興ざめ。これは以前見た映画「血と骨」の時にも感じた事だけれど、もう少し一工夫が欲しい所です。
それと、フラダンスに対する認識を新たにさせてくれた事も、この映画を見てよかった点です。私が今まで抱いていたフラダンスのイメージは、プールサイドでハワイアンソングに合わせて波の様に踊る、というものでした。しかしこれはあくまでフラダンスの形式の一つ(フラ・アウアナ)でしかなかったのです。映画の最後の方でリーダーとなった紀美子が踊ったのは、もう一つの形式のフラ・カヒコという、古来からハワイ民族に伝わる力強い踊りでした。こちらは後に白人征服者によって抑え込まれ、それに代ってフラ・アウアナが広められて、今のフラダンスのイメージとして定着していった事も、映画を見た後で調べて初めて知りました。
映画の全体的なイメージとしては、90年代に見た映画「ブラス!」や、まだ見ていませんが同じ様な舞台設定の映画「ひだるか」、浅野温子主演のテレビドラマ「コーチ」を彷彿とさせるものがありました。ストーリーそのものは反リストラのリベンジ・コメディーで割りと単純ながらも、そこに込められた「みんな違ってみんな好い、誰でも人間として生きる価値がある、価値の無い人間など存在しない」というメッセージには、いつも励まされます。
確かに、この映画も穿った見方をすれば、米国や国際石油資本(石油メジャー)が日本市場を手に入れるために仕掛けてきた戦後の経済構造改変(石炭から石油へのエネルギー革命や高度経済成長政策)を無批判に「時代の流れ」の一言で済ましている、或いは、炭鉱資本による雇用切捨て隠蔽策でしかないハワイアンセンター誘致を無批判に肯定しているとか、そういう面での批判は、挙げればいくらでもあります。映画の中にも、紀美子と仲良しだったダンサーが、メンバーから抜けて北海道の夕張炭鉱に越していく家族についていく場面がありますが、これも今の夕張の行く末を思うと、「この選択は果たして良かったのか?」という気持ちに一瞬なります。
しかしそこで思うのは、たとえそうであったとしても、この映画が訴えていたもう一つの主題、紀美子の母親が「私らの時代は、仕事は歯を食いしばってするもの=単なる苦役だったが、これからはこの子らの様に、人を喜ばせ自分も楽しむ、そういう仕事もあって良いのではないか」というくだりにこそ、この映画のもう一つの真骨頂があるのではないでしょうか。本来、仕事とは斯くあるべきものなのだ。それが何故今、苦役になってしてしまっているのか? 仕事を苦役に歪めてしまっているのは一体誰か? そして、本来の仕事を歪めているものから取り返し、自分たちの人生と未来を作っていくのも、実はこの私たちの力にかかっているのではないのか、と。
同じ様な事は、前に話題を呼んだテレビドラマの「ハケンの品格」にも言えるでしょう。確かにあのドラマは、番組スポンサーのCMを見たらもう一目瞭然の通り、テンプスタッフやヒューマンといった派遣会社の御用番組です。派遣の仕事はみんなあんな大企業本社の綺麗なオフィスワークみたいなのばっかりで、そこでは篠原涼子扮する主人公の大前春子みたいなキャリヤウーマンが我が世の春を謳歌していて、正社員はダメ人間ばかり、と。但し、それはあくまで上辺だけであって、特に99年からのアウトソーシング原則自由化以降は、偽装請負や労災隠しや、グッドウィルのデータ装備費問題に見られる様な派遣・請負会社による中間搾取(給与ピンハネ)や、ネカフェ難民の温床ともなっている「日雇い派遣」の現実や、正社員自体のワーキングプア化といった、本質問題はそこには一切出てきません。
しかしそれでも、派遣・請負労働が本質的には労働ニーズの多様化などではなく企業の飽くなきコストダウンの要請に因るものであり、しかも、その底にあるのは公正な競争では決してなくて「ズルしても出し抜いた方が勝ち」という考え方である事は、そのドラマからも充分見てとれます。だから、あのドラマは派遣御用の思惑をも超えて、視聴者から支持されたのです。視聴者はその中で、大前春子の突っ張りキャラに溜飲を下げながら、同時に「彼女の限界」をも認めた上で尚且つ、彼女やダメ派遣スタッフの森美雪に、私も含めて声援を送っていたのです。どこぞの誰かは、私の大前春子評の一面だけを取り上げて、派遣会社の太鼓持ちみたいなピント外れの批判を自分のブログで展開しているようですが。
そんなこんなも含めて、「フラガール」や「ブラス!」などの映画や「コーチ」「ハケンの品格」などのテレビドラマの、一番底に流れているのはメッセージは、「誰でも人間として生きる価値がある」「仕事とは本来人を喜ばせ自分にとっても楽しいものである筈だ」であり、「そういうものを目指して未来に向かっていくのだ」「未来は我々民衆が切り開いていくものだ」というものであり、そして、これこそが今の平和憲法が示す主権在民・個人の尊厳・幸福追求権・生存権などの理念をストレートに謳い上げたものだという事を、私は見てとりました。
(参考資料)
・映画「フラガール」公式サイト・ブログ
http://www.hula-girl.jp/index2.html
http://blog.excite.co.jp/hula-girl/
・映画「フラガール」を応援する会
http://www.iwaki-fc.jp/hulagirl/index.htm
・映画紹介「ブラス!」
http://ginnews.hb-arts.co.jp/3-10/screen.html
・映画「ひだるか」製作上映委員会:三井三池争議の歴史など
http://www.hidaruka.com/
・フラダンスのちょっといい話:フラダンスの歴史など
http://kennkou-daiichi.com/hura/hurarekishi.html
・「ハケンの品格」が現実にどこまで切り込めるか
http://blog.goo.ne.jp/afghan_iraq_nk/e/9ba54b30517d33ce69204ab548264552