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今年の母親大会で知った沖縄・高江の現実

2014年09月30日 22時49分27秒 | 沖縄の犠牲の上に胡坐をかくな


 今年も地元の「母親大会」を取材してきました。
 「母親大会」というのは、核兵器禁止や高校・保育所増設の署名集めに取り組んで来られた地域のお母さん方の団体が、毎年1年に1回集まって、活動の進め方などを話し合う場です。戦後のビキニ水爆実験に反対する原水禁運動の中から生まれた取り組みで、今までも全国各地で開催されてきました。私の地元の大阪・高石でも、1988年から毎年開かれるようになりました。
 「母親大会」では、活動の話し合いだけでなく、講演会や映画の上映なども行われます。ちなみに昨年は原発問題の講演会でした。参加資格も、団体に加入している母親だけでなく、他の女性・男性や子どもも誰でも参加出来ます。近所でタダで講演が聞け映画も見れるので、私も昨年からブログの取材がてら参加させてもらうようになりました。その「母親大会」の主催で、今年もこの9月28日の午後1時から地元の公民館で、「標的の村」という映画が上映されました。



 映画上映に先立って、地元のお母さん方によるコーラスが披露されました。その後、阪口新六・高石市長からお祝いの挨拶がありました。市長は、女性解放の先駆者「平塚らいてう」の人となりやテレビドラマ「花子とアン」、長崎原爆慰霊式に参加した時の感想などを述べられ、「市内の公立小中学校でも戦争の悲惨さをもっと語り継がなければならない」と熱心に語ってくれました。無味乾燥な安倍首相のコピペ演説とは大違いです。
 最近は、このような原発や憲法の問題を取り上げた企画に対し、一部右翼勢力から「政治的に偏っている」との攻撃が行われ、市の施設を貸さない等の動きが広まっていますが、幸い高石については、まだそこまで酷くは無いようです。
 もし、そんな事になれば、政治的な意見は一切言えなくなってしまいます。そもそも、「憲法守れ」という事の一体どこが政治的に偏っているのか。「今の憲法なぞ守らなくても良い」という政治家に、国民に「法律を守れ」と説教する資格なぞあるのか。むしろ、そっちの方が、よっぽど「政治的に偏っている」どころか、もはや「言っている事が支離滅裂じゃないか」と私は思います。

 そして、いよいよ「標的の村」の上映です。この映画は、沖縄本島北部東海岸の山原(やんばる)という原生林と海に囲まれた高江という集落が舞台です。高江は人口160人ほどの小さな村です。その高江の村を取り囲むようにして、米軍の北部訓練場が広がっています。訓練場の広さは東京ドーム約1668個分もあります。そこで米軍はゲリラ戦の訓練を行っています。
 その高江の周囲に、米軍はヘリパッド(ヘリコプター発着場)を6つも作る工事を始めました。住民には何の説明もないままに。そこには今、墜落の危険性が高い垂直離着陸機オスプレイも配備されます。怒った住民は2007年以降ずっと、工事ゲートの前にテントを張り、24時間体制で座り込みを続けています・・・・。

 そこまでは私もおぼろげながら知っていました。「標的の村」の映画タイトルも、座り込みで工事を妨害された国が、住民に脅しをかける為に、座り込み住民を妨害罪で訴えている所から来ているのかなあと、あくまで比喩(ひゆ=物のたとえ)のつもりで理解していました。

標的の村 国に訴えられた沖縄の住民たち


 ところが、実際はそれだけではありませんでした。何と、米軍は実際に住民をゲリラ戦の標的に見立てて訓練を行っていたのです。
 ちょうどベトナム戦争の時期です。当時、沖縄に存在した「人民党」という地域政党の機関紙「人民」の1964年9月6日付新聞記事によると、米軍は、北部訓練場の中に、ベトナムの村そっくりの施設(ベトナム村)を作り、そこで高江の住民にベトナム人の村人役をさせていたのです。そして、村人に紛れ込んだベトコン(解放戦線のゲリラ)兵2名を捕獲する訓練を連日行っていたのです。
 表向きは住民の自主的な協力を装いつつ、実際は作戦に協力しなければ、今後一切、訓練場の敷地内に薪を取りに入る事は認めないと、住民に圧力をかけていたのです。その訓練では枯葉剤も撒かれ、住民の中には気分が悪くなる人もいたそうです。

 高江の住民がヘリパッドの建設に村ぐるみで反対しているのも、その様な「ベトナム村」の苦い教訓があるからです。今回のヘリパッド建設に際しても、国は住民に何らまともな説明をしていません。オスプレイも最初は配備しないと言っていたのに、なし崩しに配備されようとしています。それに抗議して、ゲート前の公道で座り込みを続けているのです。
 「なぜ集落を取り囲むように6つもヘリパッドを作るのか?」「なぜ住宅から最短400メートルしか離れていない所に危険なヘリパッドなんか作るのか?」「かつての『ベトナム村』の時の様に、再び住民を訓練の標的にしようとしているのではないか?」。それらの住民の疑問にも、国は何らまともに答える事すらせずに、工事を強行しています。その上、やむなく座り込みで抗議する住民を通行妨害で提訴し、小学生の子どもにまで損害賠償を請求しているのです。これは口封じだけが目的の典型的なスラップ(恫喝(どうかつ)・嫌がらせ)訴訟です。
 この辺りの経過については、「やんばる東村 高江の現状」や「ゆんたく高江」のブログに、より詳しい説明が載っていますので、関心のある方はそちらも参照して下さい。

 この高江だけでなく辺野古(へのこ)の座り込みに対してもそうですが、本土では「一握りの外人部隊による扇動」との見方がまだまだ一般的です。産経新聞なぞは露骨にその様に報道しています。しかし、よく考えてみて下さい。本土から沖縄まで、格安航空便でも片道1万円以上かかります。その上、沖縄には鉄道なぞありませんから、空港のある那覇から高江まで行くとなると、1日数便しかないバスに片道3時間も乗らなければなりません。本土の「外人部隊」がたまの休みに思い付きで来れるような所ではないのです。
 それは沖縄の人にとっても同じです。高江の住民にとっては那覇の高等裁判所に出てくるだけでも大変なのです。高江なぞ「ベトナム村」の時代は船でしか行けなかった。その為に、同じ沖縄の中でも高江の事はなかなか伝わりませんでした。
 そんな状況の中でも、高江でも辺野古でも、住民は365日体制で座り込みを続け、沖縄県民も各所からマイクロバスを仕立て、あるいは自費で、抗議の県民集会に参加しているのです。同じ数千人規模の集会でも、本土の大都市圏とは重みがまるで違うのです。
 映画の中でも、住民の女性が、沖縄・八重山民謡の安里屋ユンタを半泣きで謳いながら、自分の車の運転席に立てこもって座り込みに参加されていました。この女性の一体どこが「本土サヨクの外人部隊」なのか。



 映画の後は、芳沢あきこさんという方による、沖縄の基地問題についての解説です。左上写真のジュゴンの帽子をかぶっている女性が芳沢さんです。「基地のない平和で豊かな沖縄をめざす会・大阪」という団体の共同代表を務めておられます。肩書こそイカツイですが、実際は気さくなオバちゃんで、話もタペストリーで編んだ地図を使って、非常に分かりやすく説明してくれました。(同じく真ん中と右上の写真参照。但し、高江などの地名だけは私が後でブログ公開時に入れました)

 それによると、今、沖縄にある米軍基地は、その全てが、沖縄戦のドサクサに紛れて、米軍が住民を強制収容所に囲い込んでいるすきに、それまであった村や農地を潰して、鉄条網で囲い込んで作ったものです。戦争が終わり収容所から出てきた住民は、鉄条網で囲まれ変わり果てた姿になった自分の故郷を、黙って指をくわえて見ている他ありませんでした。(前述右上写真の沖縄タペストリー地図の黒色部分がその主要な基地です)
 その様な、他人の土地を勝手に盗んで作った基地の返還を求めるのに、何故こちらが遠慮しなければならないのでしょうか。本来は、基地問題の解決とは、無条件全面返還しかあり得ないはずです。

 沖縄から奪われたのは土地だけではありません。大勢の人の命も失われました。今、私がざっと調べただけでも、米兵による幼女暴行(1955年の由美子ちゃん事件など)、青信号で歩行中の中学生をひき逃げ(1963年の国場君事件)など、数多くの事件が起こっています。いずれも、治外法権で日本側に裁判権が無かった為に、犯人の米兵はほとんど無罪放免の形で本国に逃げ帰っています。1959年には、授業中の宮森小学校(旧・石川市、現・うるま市)に訓練機が墜落して死者17名、重軽傷者121名を出す悲惨な事故も起こっています。今、御岳山噴火による犠牲者の数の多さがマスコミを賑わしていますが、この宮森小学校事件も、それと同等以上の犠牲が出ているのに、この事件について知っている人はどれくらいいるでしょうか。

 しかし、やがて転機が訪れます。1995年の米兵による少女暴行事件の後、全県ぐるみの抗議運動が盛り上がる中で、米軍基地の中でも最も住宅地に近接し危険な普天間(ふてんま)基地の返還要求が取り上げられる事になります。今までの米軍基地化の経緯から考えても、本来なら普天間基地の無条件全面返還しか回答はあり得ないはずです。ところが、日米両政府は、普天間返還の交換条件として、辺野古への基地移設を持ち出してきたのです。
 本当は米軍にとっても、住宅地に囲まれ老朽化した普天間基地よりは、水深のある大浦湾に面した辺野古に最新鋭の基地を作ってもらう方が助かるのです。辺野古移設は、米軍にとっては正に「渡りに船」、本土のゼネコン業者によっても格好の金儲けになります。その移設費用を負担させられる住民だけがバカを見る事になります。
 実は高江のヘリバッドも、その辺野古移設と連動して、北部訓練場の半分返還の口実として、浮上してきた話なのです。米軍にとっては、手放しても痛くもかゆくもない不要不急のジャングル訓練地の返還と引き換えに、最新鋭のヘリパッドをただ同然で手に入れる事が出来るのです。



 映画と講演の後は、休憩をはさんで、沖縄民謡の紹介とその歌詞の意味についての簡単なレクチャーを受けました。沖縄民謡の調べは確かに美しいですが、今までは方言が理解できず歌詞の意味が分からない為にチンプンカンプンでした。でも、それも標準語の母音のeをiに、oをuに置き換えて唄えば良い事を知りました。例えば天国(Tengoku)は「Tinguku」という様に。
 私の職場にも沖縄出身者が結構いますが、人によってはなまりがきつく、なかなか発音が聞き取れませんでした。このレクチャーを聞いた後は、多少とも聞き取れるようになれば良いのですが・・・。
 会場では高江の写真集も販売していました。「沖縄・高江 やんばるで生きる」2160円。残念ながら給料日前で持ち合わせが無く買えず。



 その後は「母親大会」参加諸団体からの活動報告やアピール。この高石でも公立保育園の民営化がどんどん進められ、それを阻止する為の裁判も市民団体によって取り組まれています。平和の問題では「母親大会」に理解を示してくれた市長も、実際の市政運営では企業中心の営利主義に絡み取られてしまっているのが分かります。
 地元の教職員組合からは、教育の右傾化が競争・選別とセットで進められている学校現場の様子が報告されました。「日の丸・君が代強制には反対の動きもある」という客観的事実すら教科書に書き込めなくなりました。これではもはや政府見解以外は何も教えられなくなり、戦前の「国定教科書」に逆戻りです。それが公立高校の統廃合や学力テストの成績公表とセットで推し進められています。勉強の出来る子には金をかけて戦争指導者に育て上げ、勉強の出来ない子には余り金もかけず、何でも国や企業の言いなりになる安上がりな奴隷に育てるつもりなのでしょう。

 最後に今日の感想を述べ合う場で、沖縄出身者と思しき一人の方から、「本土の人は本当に沖縄の痛みが分かっているのか!」と、胸に突き刺さる問題提起がありました。その方いわく、日本が戦後独立を回復した(1952年)4月28日の「主権回復の日」は、沖縄にとっては、日本から切り捨てられ1972年の本土復帰まで引き続き米軍の統治下に置かれた「屈辱の日」でしかない。その裏には天皇とマッカーサーの密約があったとも言われている。それに対する反発から、1975年に昭和天皇が沖縄を初めて訪問した際には、「ひめゆりの塔」の前で火炎瓶を投げつけられる騒ぎも起こっている。「それだけの痛みを沖縄が抱えている事を、本土の人間はどれだけ分かっているのか!」と。
 この言葉には私も何も言えなくなりました。そんな私に出来る事は、ただ自分たちの為だけでなく、この沖縄の方の為にも、安倍政権を一刻も早く倒すしかないと、改めて思い知らされました。
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我が内なる同化主義に対する自己批判

2014年09月24日 20時10分00秒 | ヘイトもパワハラもない世の中を


 上記の私のツイート(つぶやき)は、さる8月31日に自主上映会で観た「A2-B-C」という反原発映画の後の交流会で、ある在日韓国人の参加者から「原発に故郷を奪われた福島からの避難民の方は、同じく日本の植民地統治によって祖国を奪われた私たち在日と同じ境遇にある。私には福島の方の苦しみがよく分かる」旨の発言があったのを受けて、私がその交流会の席上からツイッターに発信したものです。
 私のブログで言うと、9月2日付記事「福島の悲劇も日本人の国民性が生み出したものだ。」の中の、下記のように書かれた場面で発信されたツイートです。

>それらの事柄が頭の中に次から次へと思い浮かんでくる私でしたが、そんな上映後の交流会の中で、ある在日韓国人の方の発言に非常に勇気づけられました。この在日の方の祖先(在日一世)も、日本の植民地時代に土地を日本人に取り上げられ、朝鮮半島では食べていく事が出来なくなって、祖国を見捨てて日本にやって来たのです。「だからこそ、生き延びる為に福島を見捨てざるを得なかった避難民の方の気持ちがよく分かる」と仰っていました。「避難民はゴネ得」なぞという差別感情を持つ日本人と比べたら、この在日韓国人の人の方が、よっぽど福島や日本への愛着を持っているのではないでしょうか。要は「いかに自分の事として捉えられるか」という事に尽きるのではないかと思います。(以上引用)
http://blog.goo.ne.jp/afghan_iraq_nk/e/45815d90f824e31b710bec3ffe57d399

 ここで私は、「いかに自分の事として捉えられるか」なんて書きながら、かえってこの方を侮辱するような事をつぶやいてしまっていました。
 前記ツイートのどこが侮辱的かと言うと、最後の「日本人らしい」発言だという箇所です。私は、あくまでもこの方を称賛するつもりで、「人間らしい」と同じ様なニュアンスで、どうせなら「人間らしい」とつぶやくよりも、むしろ「日本人らしい」とつぶやいた方が、「避難民叩きに興じる一部日本人の醜さがより一層引き立つ」と思ってつぶやいたのですが、その事でかえってこの在日の方を傷つける結果になってしまいました。
 何故なら、かつて日本の植民地支配の下で、祖国も土地も文化も奪われ、名前まで日本流に変えられて(創氏改名)、無理やり日本人に仕立て上げられ、それも「二級国民」として差別され人権を奪われてきた朝鮮・韓国人や台湾人の方に対して、いくら称賛するつもりであったとしても、「日本人らしい」なんてつぶやいたら最期、それは称賛ではなく当てこすりにしかなりません。その事に今まで気が付きませんでした。

 それを数日前にツイッター上で指摘されてからも、問題のツイートから数ヶ月も経ってから、いきなり「何だこれ!」みたいな物言いをされた事で、最初は感情的に反発する一方でした。それで指摘した方と半ば喧嘩になりながらも、根気強く議論を続ける中で、次第に自分の過ちにも気付くようになりました。
 今後は、ブログで社会問題や人権問題についても扱い、ネットで発信する以上は、なお一層、差別や植民地支配の問題について敏感にならなければならないと思います。どうも申し訳ありませんでした。

 なお、この間の詳しい経過については、ツイッター上でのこれまでの議論のやり取りを参考資料として下記に添付しておきます。そちらも是非ご参照下さい。
 その前に資料の読み方について少し解説しておきます。職場のリアル読者の中にはツイッターの文章を初めて見る方もおられるので。かくいう私もその読者の方と余りレベルは変わりませんがw。
 各ツイート(つぶやき)の文頭にある「プレカリアート ‏@afghan_iraq_nk1」「takayamitsui ‏@takammmmm」等が、つぶやいた人の名前とそのID(識別記号)です。
 次につぶやいた文章が表示されますが、その頭に「@~」と付いていたら、それはその方へのリプライ(返信)という意味です。リプライの相手が複数の場合は人数分だけ「@~」が付きます。
 中には「@afghan_iraq_nk1」のように、自分自身につぶやいているものもありますが、それは制限字数の140字を超えて文章をつなげる為に、あえて自分自身に対するリプライの形にしたまでです。

(参考資料)

takayamitsui ‏@takammmmm · 9月21日
「余程日本人らしい」って?これで在日韓国人を賞賛しているつもり?何なんだ。
“@afghan_iraq_nk1: 在日韓国人の発言に感動。生き延びる為に福島を捨てざるを得なかった避難民の人生は、そのまま食いつなぐ為に祖国を捨てざるを得な…避難民叩きのネトウヨより余程日本人らしい

プレカリアート ‏@afghan_iraq_nk1 · 9月23日
@takammmmm 「余程日本人らしい」というのはネトウヨへの皮肉のつもりで書いたのですが。こんな物まで難癖つけられたのではもはや何も書けませんね。貴方こそ一体何様のつもり?たとえ貴方が左翼や在日朝鮮人の方でも、初対面でいきなり喧嘩腰では、こちらもそれなりの対応で臨みますので。

takayamitsui ‏@takammmmm · 9月23日
@afghan_iraq_nk1 在日韓国人について「余程日本人らしい」と称賛することがどうしてネトウヨへの皮肉になるんですか?全然意味がわかりません。

takayamitsui ‏@takammmmm · 9月23日
ツイッターは不特定多数で自分の考えを言い合っているメディアでしょ。異議があれば初対面であれ言っていいんじゃないですか?時候のあいさつから始めるべきとでも?私はそうは思いません。
@afghan_iraq_nk1 初対面でいきなり喧嘩腰では、こちらもそれなりの対応で臨みますので。

プレカリアート ‏@afghan_iraq_nk1 · 9月23日
@takammmmm 日帝統治下で祖国を奪われた在日の人達の方が、ネトウヨ日本人よりもよっぽど日本人らしいと書いたんだよ。「日本人」という表現が気に入らなければ「人間らしい」と言い直しても良い。そういうニュアンス。それを言葉尻だけ捉えて糞青みたいな絡み方するな。「左の在特会」が。

(注)●日帝=日本帝国主義。●ネトウヨ=ネット右翼。ネットで過激な右翼的発言や外国人排斥を唱える人たち。●在特会=正式名は「在日特権を許さない市民の会」。ありもしない「特権」を口実に、外国人排斥を唱え「韓国人を殺せ」と叫ぶ典型的なネトウヨ集団。いわば「日本のネオナチ」。

プレカリアート ‏@afghan_iraq_nk1 · 9月23日
@takammmmm 誰が異議を言うなとか時候の挨拶を抜かすなとか言った?いきなり「何なんだ」とだけ言われても、こちらこそ「何なんだ」としか受け止められないだろう。それは実生活でもネットでも同じだ。何故「何なんだ」と思ったのか、それをこちらにも「納得」できる様にちゃんと説明しろ。

takayamitsui ‏@takammmmm · 9月23日
@afghan_iraq_nk1 「日帝統治下で祖国を奪われた在日の人達の方が、ネトウヨ日本人よりもよっぽど日本人らしいと書いたんだよ」って何なんですか。在日韓国人を称賛するのに「ネトウヨより、よっぽど日本人らしい」って在日を下に見て日本人を上に置く差別じゃないのかと言っている。

takayamitsui ‏@takammmmm · 9月23日
いま書いたとおり、何てひどいことを書いているんだと思ったから「何なんだ」とリプを飛ばしたんですよ。@afghan_iraq_nk1 何故「何なんだ」と思ったのか、それをこちらにも「納得」できる様にちゃんと説明しろ。

takayamitsui ‏@takammmmm · 9月23日
それにしてもあなたは「糞青」とか汚い言葉を使うんだね。人品を疑われるよ。それと、「左の在特会」って何ですか?どんな根拠でこんな言葉を投げつけているの?ただの誹謗中傷だろ、これ。@afghan_iraq_nk1 それを言葉尻だけ捉えて糞青みたいな絡み方するな。「左の在特会」が。
(注)人品=おそらく「人間性や品格」と言いたかったのを、制限字数をクリアする為に縮めたのだろうと思います。

プレカリアート ‏@afghan_iraq_nk1 · 24 時間
@takammmmm 「日本人でも福島の避難民を自分勝手だの売国だのと謗る奴が多いのに、外国人、それもかつて日本の植民地支配に苦しめられた在日韓国人の方が、日本人以上に福島の事を心配してくれている」という意味で「日本人らしい」と。

プレカリアート ‏@afghan_iraq_nk1 · 23 時間
@takammmmm だから「人間らしい」と書いても良かったのだが。言いたい事はそういう事であって、別に何国人の方が上だの下だのという拘りなぞ最初から無い。ただ、福島の避難民を貶すネトウヨを皮肉るなら、「人間」一般よりも「日本人」とした方がネトウヨにはより効果的かもと思ったまで。

プレカリアート ‏@afghan_iraq_nk1 · 23 時間
@takammmmm それを言葉尻だけ捉え、理由も述べずいきなり「何それ?」と喧嘩売ってきたのだろうが。そして今も「どちらが上(下)」とか、私が思ってもない事までこじつけて。こんな物、およそ議論とは言えない。自分だけが正しいと他の意見を頭ごなしに否定。貴殿の方がよほど差別的では。

プレカリアート ‏@afghan_iraq_nk1 · 23 時間
@takammmmm 「糞青」も中国版ネトウヨの意味合いで使ったまで。「憤青」(中国の反体制派知識人青年)を貶める意図は毛頭ない事も念の為に言っておく。この中国人ネチズン自ら使用している「糞青」を使ったからと言って、それで何故「人品疑われる」とまで言われなければならないのか?
(注)ネチズン=ネットと市民(シチズン)をかけ合わせた造語。

プレカリアート ‏@afghan_iraq_nk1 · 23 時間
@takammmmm 「左の在特会」も「貴殿の方がよほど差別的ではないか」と皮肉るつもりで言った。実際その通りじゃないか。これまで書いてきた様に。最初に貴殿の方から喧嘩を売ってきた事を詫び、以上述べた事に対する説得力ある説明がない限り、私からこの言葉を撤回するつもりは毛頭ない。

takayamitsui ‏@takammmmm · 21 時間
あなたが称賛しようという気持ちだったのは分かる。でも、在日に称賛の意味で「日本人らしい」などと言うのは差別的(同化主義的)なわけ。何でそれが分からないんですか。@afghan_iraq_nk1 日本人以上に福島の事を心配してくれている」という意味で「日本人らしい」と。

takayamitsui ‏@takammmmm · 21 時間
だからケンカを売ってるんじゃなくて、差別的な言い方を反省して今後使わないようにすべきと言っているだけなんだが。何でそういう指摘に汚い言葉で返すのかねえ。私が指摘してなくてもいずれ誰かに言われるよ、必ず。@afghan_iraq_nk1 いきなり「何それ?」と喧嘩売ってきたのだろう

プレカリアート ‏@afghan_iraq_nk1 · 20 時間
@takammmmm 別に「人間らしい」でも構わないが、あくまでもネトウヨへの皮肉として「日本人」を引き合いに出した。それを、当の在日韓国人に面と向かって言えば同化主義的と取られても仕方ないが、ブログで自分の感想として書く事まで何故規制されなければならないの?それこそ逆差別では。

takayamitsui ‏@takammmmm · 20 時間
面と向かって言ってなくても公的なツイッタでの発言だから同じことだとではないですか。それに面と向かって言わなくても、そういう考え方をすること自体問題でしょ。@afghan_iraq_nk1 ネトウヨへの皮肉として「日本人」を引き合いに出した。それを、当の在日韓国人に面と向かって

takayamitsui ‏@takammmmm · 20 時間
@afghan_iraq_nk1 規制?いえ規制なんてできませんが、ブログに書いても不特定多数の目に触れるし、気づいた人は批判してくるでしょうね。

takayamitsui ‏@takammmmm · 21 時間
@afghan_iraq_nk1 社会問題をブログに書いているんなら、こういうことには真摯に向きあった方がいいと思います。上から目線と言うかもしれませんが、差別って誰でも陥るんだから。

naoyuki kirino ‏@NKirino · 21 時間
@afghan_iraq_nk1 @takammmmm 「白人よりもよっぽど白人らしい黒人」でも何も思いませんか。「外国人を誉める意図で日本人らしいと言った」というのは植民地主義的な見下しの差別でしょう。しかも外国人一般ではなく、植民地支配の被害者に対して加害者のようであると。

プレカリアート ‏@afghan_iraq_nk1 · 21 時間
@takammmmm 例えば「ブラック企業」という表現でもそうだが、黒人差別を煽る文脈の中で「ブラック」と言えば差別になるが、新自由主義による派遣労働者の使い捨てや不払い残業を糾弾する文脈の中で「ブラック企業」と言った場合も差別者呼ばわりされなければならないのか。それと同じでは。

naoyuki kirino ‏@NKirino · 21 時間
@afghan_iraq_nk1 @takammmmm 「別に『人間らしい』でも構わないが」←踏んでる足をどかしてやっても構わないがレベルの傲岸。

takayamitsui ‏@takammmmm · 21 時間
これ、正確ですか?公民権運動のころ米国の黒人は自ら「ブラックパワー」といい、「ブラックイズビューティフル」と主張して闘ったじゃないですか。あやふやな知識を持ち出さないで、自分の同化主義的発言に向きあうべきだと思う。@afghan_iraq_nk1 「ブラック」と言えば差別になるが

(注)●同化主義(政策)=本国ないし支配民族が、植民地原住民ないし国内少数民族を、自分たちの生活様式・考え方になじませ、一体化しようとする考え方や政策(以上「三省堂大辞林」より)。かつて欧米諸国がアジア・アフリカの植民地に対して、日本も朝鮮・台湾や沖縄・アイヌの人々に対しこれを大規模に実施。ここでは「日本人らしい」という言葉で在日の人を日本人を規準に称賛した私のつぶやきを指す。

naoyuki kirino ‏@NKirino · 21 時間
@afghan_iraq_nk1 @takammmmm 「ブログで自分の感想として書く事まで何故規制されなければならないの?それこそ逆差別では。」→「①自分では差別の意図はない。②ブログでの私的発言だ③『差別』との抗議は逆差別だ。」右翼政治家のテンプレと同じ。
(注)テンプレ=ここでは「定型文」ぐらいの意味合いで捉えてもらえば良いと思います。

プレカリアート ‏@afghan_iraq_nk1 · 21 時間
@takammmmm ごめんなさい。少し考えさせて下さい。最近、この「日本人らしい」関連で、他のアカウントからも「豚」だの「お前は天皇陛下の赤子か」だのと、言いがかりとしか思えないような批判がいきなり立て続けに飛んできた事もあり、こちらも少々感情的になっていました。
(注)アカウント=これも発言者、投稿者ぐらいの意味合いで捉えてもらえれば良いです。
コメント (8)
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転載:OSAKA9.23 ヘイトスピーチ反対行進(C.R.A.C)

2014年09月22日 22時25分57秒 | ヘイトもパワハラもない世の中を


ヘイト・スピーチ(差別煽動表現)を許してはいけない
クリエーター情報なし
新幹社


※ネットで以下の告知がされていたので、こちらにも転載しておきます。「在特会」のみならず、C.R.A.C(クラック:対レイシスト行動集団)についても、運動方針を巡ってネットで色々議論を呼んでいる事は私も知っていますが、まずはネオナチ団体「在特会」によるヘイト・デモ(デモを装った差別扇動)に抗議の意志を示す事が不可欠との思いで、敢えて転載・告知する事にしました。もう当該行進の日まで間がありません。当の私自身も折角呼びかけておきながら当日はあいにく仕事で参加できず申し訳ないですが、一人でも多くの方のご参加を!

(転載開始)
[ACTION]9月23日(火・祝)OSAKA9.23 ヘイトスピーチ反対行進

関西の反レイシズムカウンターが御堂筋で「ヘイトスピーチ反対」をテーマにサウンドデモやります。一緒に歩きましょう。

☆楽器の持ち込み大歓迎☆

[集合場所]久宝公園(地下鉄御堂筋線本町駅から徒歩8分。北久宝寺町交差点を東へ)
[日時]9月23日(火・祝)10時半集合、11時出発
[コース]御堂筋を難波まで南下、元町中公園ゴール(約1時間のコース)
[オーガナイザー]C.R.A.C.(WEST)

この日はの午後2時頃から、行動するネトウヨたちによる「嫌韓デモ」が大阪・御堂筋で予定されています。いつもなら、全力でカウンターをかけるわけですが、今回はカウンターに加えて、反レイシズムデモもやってしまうことにしました。

タイトルは、「OSAKA 9.23 ヘイトスピーチ反対行進」

大阪の人達が「ヘイトスピーチ」や「レイシズム」についての理解を深めることができる機会になればと思います。普段からカウンターに来ている人はもちろん、「カウンターはちょっとハードル高いな…」と思っている人も是非参加してください。数は多ければ多いほどいいのです。一緒に御堂筋を歩きながら、「差別は許さない」という気持ちを形にしましょう。

(注:デモコースの地図は転載省略。C.R.A.Cの当該記事に掲載されているので、そちらを参照の事)

☆ヘイトスピーチ反対行進のあとには、「日韓断交デモ」へのカウンターも企画されています。助走をつけて「ドーン」で。京都に続いて大阪のヘイトデモも潰しましょう。
カウンターの詳細→ http://tmblr.co/ZUEXIq1Ql-ZT4
(転載終了)
http://cracjpn.tumblr.com/post/97343122269/action-9-23-osaka9-23

(参考資料)

●在特会(在日特権を許さない市民の会)について

 当該団体公式HP:http://www.zaitokukai.info/
 ウィキペディアによる解説:
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%A8%E6%97%A5%E7%89%B9%E6%A8%A9%E3%82%92%E8%A8%B1%E3%81%95%E3%81%AA%E3%81%84%E5%B8%82%E6%B0%91%E3%81%AE%E4%BC%9A
 拙ブログでの批判記事より
 ・ならぬものはならぬのです。(2013年10月13日):
  http://blog.goo.ne.jp/afghan_iraq_nk/c/d5897dc08de4086f6f5987bcff6ff016
 ・百聞は一見に如かず(2009年12月23日):
  http://blog.goo.ne.jp/afghan_iraq_nk/e/b5a0b62f8c91b3bedd957411853a26fe
 ・もはや他人事では済まされない(2009年12月27日):
  http://blog.goo.ne.jp/afghan_iraq_nk/e/bba4fe729c5ed2830c16d95069b63836

●C.R.A.C(Counter-Racist Action Collective:対レイシスト行動集団)について

 当該団体公式HP:http://cracjpn.tumblr.com/
 ウィキペディアによる解説:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%BE%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%82%B7%E3%82%B9%E3%83%88%E8%A1%8C%E5%8B%95%E9%9B%86%E5%9B%A3
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廃刊すべきはむしろ産経の方だ

2014年09月20日 05時07分07秒 | ヘイトもパワハラもない世の中を
 

 朝日新聞が従軍慰安婦の問題で安倍政権や右翼から叩かれています。何でも「従軍慰安婦の事を取り上げた記事の中で、吉田清治という人の証言については、まったく捏造(ねつぞう)である事が明らかになったのに、朝日はその後20年以上も訂正も謝罪もしなかった。この8月になって、ようやく吉田証言のデタラメについて明らかにしたが、そこでも謝罪はなかった。こんなウソツキ新聞は廃刊に追い込んでしまえ」という事のようです。

 この吉田清治(よしだ せいじ)という人は、太平洋戦争当時、勤労動員を実施した「労務報国会」という団体の山口県支部の役員として、今の韓国・済州島で軍の命令に基づき「慰安婦狩り」を行ったとされていました。しかし、後に実際に調べてみると、吉田が済州島でその様な事を行った形跡が全然ない事が次第に明るみになってきました。今では、秦郁彦(はた いくひこ、元・日大教授)などの「慰安婦なんて元々いなかった」派だけでなく、吉見義明(中大教授)などの「慰安婦は確かにいた」派によっても、吉田証言の信ぴょう性については否定されています。

 でも、この吉田証言以外にも、次に述べる鹿内信隆(しかない のぶたか、元・産経新聞社長)や中曽根康弘(元首相)のように、「慰安婦狩り」に関与した軍の関係者は他にも一杯いるのに、一部の証言だけが否定されたからと言って、それで「従軍慰安婦なんていなかった」という事には全然ならないでしょう。
 実際、鹿内は陸軍、中曽根は海軍と、どちらも戦時中は旧日本軍経理部の将校や下士官として、武器や食糧の調達業務を行っていました。その彼らが、自叙伝の中で、慰安婦の調達にも当った事を、戦後も何ら悪びれずに(全く反省も謝罪もせずに!)、得々とその事を自慢しているのですから。

・「女の耐久度」チェックも! 産経新聞の総帥が語っていた軍の慰安所作り(LITERA)
 http://lite-ra.com/2014/09/post-440.html
・中曽根元首相が「土人女を集め慰安所開設」! 防衛省に戦時記録が(同上)
 http://lite-ra.com/2014/08/post-413.html
・朝日誤報と国連の批判は無関係…安倍政権の慰安婦問題スリカエを暴く(同上)
 http://lite-ra.com/2014/09/post-471.html

 以下、彼らの自叙伝の記述から「慰安婦狩り」の「自慢話」を引用します。
 まずは、鹿内信隆と桜田武・元日経連会長との対談集「今明かす戦後秘史」サンケイ出版より。(記事冒頭の左写真)

「鹿内 (前略)軍隊でなけりゃありえないことだろうけど、戦地に行きますとピー屋が……。
 桜田  そう、慰安所の開設。
 鹿内  そうなんです。そのときに調弁する女の耐久度とか消耗度、それにどこの女がいいとか悪いとか、それからムシロをくぐってから出て来るまでの“持ち時間”が将校は何分、下士官は何分、兵は何分……といったことまで決めなければならない(笑)。料金にも等級をつける。こんなことを規定しているのが「ピー屋設置要綱」というんで、これも経理学校で教わった。」(以上引用)
(注)文中の「調弁」とは、当時の軍隊用語で、「調達」と同じ意味です。むしろ、当時の日本軍の実態からすると、「略奪」と言った方が良いかも知れません。

 そして、松浦敬紀・著、文化放送開発センター・刊「終わりなき海軍」より。(同じく右写真)
 この中に、当時、海軍主計士官だった中曽根康弘の述懐が出てきます。

「三千人からの大部隊だ。やがて、原住民の女を襲うものやバクチにふけるものも出てきた。そんなかれらのために、私は苦心して、慰安所をつくってやったこともある。かれらは、ちょうど、たらいのなかにひしめくイモであった。卑屈なところもあるし、ずるい面もあった。そして、私自身、そのイモの一つとして、ゴシゴシともまれてきたのである。」(以上引用)

 これのどこが「軍は無関係」ですか。当時の政府や軍部も、裏では積極的に「慰安婦狩り」を行っているではないですか。
 しかも、こういう話を、戦後既に30~40年経った1970~80年代においても、まだ戦前と同じ考え方のまま、「女の耐久度」とか「土人女」と言うような、戦争の犠牲になった女性やアジアの人々の人権を平気で踏みにじる様な物言いで、彼らは得々と喋っているのです。
 この一事だけでも、中曽根・産経や、彼らと同じ思想を共有する今の安倍政権に、「朝日叩き」を行う資格なぞ、これっぽっちもない事がお分かりになると思います。

 右翼から「反日」と忌み嫌われる朝日新聞も、本当は「反権力」でも何でもありません。戦時中は他の新聞と同様に戦争熱を煽ったし、戦後も例えば60年安保闘争の時なぞ、それまでのデモに一見同情的な論調から、一転して政府支持に論調を変えたりもしてきました。今も、消費税増税やTPPについては、読売や産経と同様、推進・賛同の立場に立っています。
 それでも、さすがに「何でもかんでも政府べったり」では、「どの新聞も同じだ」という事になって商売にならなくなるので、原発や歴史問題では読売や産経とは違う所を見せようとするのです。その程度の「反権力」なので、怪しげな吉田証言でも、ろくに裏付けも取らずに「商売のネタ」に使ってしまったのです。
 もし、朝日が本当に「反権力」なら、読売や産経と一緒になって、「記者クラブ」なぞという御用新聞のサロンに加入して、幹部が政府高官と夜な夜な会食を重ねたりするものですか。

 さて、今回、朝日新聞が犯した罪は「誤報」です。数ある慰安婦証言の中でも、最も信ぴょう性のおけない証言に依拠して、「従軍慰安婦の嘘」を世界中にばらまいたと、右翼から散々叩かれています。実際は、既に80年代から、「その証言は余り信用が置けない」と、従軍慰安婦の罪を告発する側からも疑問が持たれていて、国連の慰安婦問題報告書(クマラスワミ報告書)の中でも、その事は取り上げられていました。国連は、その上で、その他のもっとちゃんとした証言を基に、従軍慰安婦の蛮行をあばいたのですが。
 もちろん、それでも「誤報」は「誤報」です。朝日は他に、福島第一原発の事故報道でも、当時の吉田昌郎(よしだ まさお)・福島第一原発所長が「所員に撤退なぞ命じていない」と調書の中で書いているにも関わらず、「所員の9割が所長命令に背いて勝手に福島第二原発の方に逃げた」と「嘘の報道」をしました。いずれも、それ自体が、報道機関としては絶対にやってはいけないミスです。朝日新聞には、今後は絶対にそんな事を起こさない様にしてもらわなければなりません。

 しかし、ではその朝日を「売国」だ何だと盛んに攻撃している、読売や産経、安倍政権などに、朝日を攻撃する資格があるでしょうか。
 私は「ない」と思いますね。だって、これらのメディアは、今も「従軍慰安婦なんてただの売春婦だ」「当時の日本軍がそんな事に関わっていたはずがない」と主張しているのでしょう。ところが、実際は当の自分たちも、戦時中に慰安所の設営や運営に積極的に関わってきた事が明るみになったのですから。鹿内は産経新聞のオーナーであり、中曽根も正力松太郎(読売新聞の創立者)とは昵懇(じっこん)の仲です。そして、今の安倍政権も、産経や読売とは大のお友達です。
 これはもう「誤報」以上の問題ではないですか。世紀の人権侵害、戦争犯罪とも言える従軍慰安婦の設営自体に、積極的に関与していたのですから。
 これは、福島原発事故の問題についても同じ事が言えます。吉田所長は調書の中で、「下手すれば東日本全体が放射能に汚染されてしまう所だった」と言っています。朝日の「誤報」なぞよりはるかに重大な問題です。それでも、読売や産経、安倍政権は、「福島はコントロールされている」と言いくるめ、今も原発を推進しているではないですか。むしろ、こちらの方が、朝日の「誤報」以上に犯罪行為ではないですか。

 そんな読売や産経、中曽根や安倍、西村真悟や百田尚樹や「在特会」が、「ウソの吉田証言を広めて日本の信用を貶めた朝日新聞を廃刊にせよ!」と主張するに至っては、正に噴飯物という他ありません。私はむしろ、読売や産経の方こそ、廃刊すべきだと思います。安倍政権についても、即刻退陣すべきだと思いますがね。
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これではもはやイスラム国ならぬヤスクニ国ではないか

2014年09月14日 23時41分46秒 | ヘイトもパワハラもない世の中を


 今までもツイッター等で個別に第二次安倍改造内閣のいかがわしさを批判してきましたが、その間も次から次へとトンデモなネタが出てきて、もうツイッターだけでは間に合わなくなったので、改めてブログに批判記事を書く事にしました。

 ご存知の通り、安倍政権は今度の内閣改造で一気に5名もの女性閣僚を登用しました。高市早苗(総務)、松島みどり(法務)、小渕優子(経済産業)、山谷えり子(拉致問題担当)、有村治子(女性活躍・少子化担当)の5名です。ところが、これで女性の社会進出が進むと思ったら大間違い。何故ならば、閣僚に抜擢された女性たちというのが、ことごとく右翼アタマの復古主義者なのですから。「赤ん坊は専業主婦が母乳で育てなければ将来ろくな大人にならない」という、何の科学的根拠もない「親学」を主張し、ワーキングプアのシングルマザーをまるで「怠け者の非国民」呼ばわりするかと思えば、「DVだのセクハラだのと騒ぎ過ぎだ」と、まるで家庭内暴力やセクハラを擁護するような発言に終始し、夫婦が結婚後も別姓を選択する事を認める「選択的夫婦別姓」にも反対、婚外子差別を禁じた判決にも異を唱え、果ては性教育や中絶手術にも反対する始末。閣僚ポストの名称をそれまでの「男女共同参画」から「女性活躍」に変えたのも、「行き過ぎた男女平等・女権拡張を是正する」という理由だと言うに至っては、「こいつら一体何を考えているのか」と言わざるを得ません。いくら若作りして知的さを演出したところで、こんな戦前アタマの保守反動オンナどもの下では、女性の社会進出も地位向上も進む訳がない。

 それもそのはず。第二次安倍改造内閣の閣僚19名のうち、何と15名までが右翼団体「日本会議」のメンバーなのだから。「太平洋戦争は侵略戦争ではなかった」「憲法改正で教育勅語の復活を」と唱える日本最大の右翼組織に、安倍晋三(総理)、麻生太郎(副総理・財務)、菅義偉(官房長官)、石破茂(地方創生)等の主要閣僚がみんな参加しているのだから。「日本会議」に入っていない閣僚は公明党の太田昭宏(国土交通)と前述の松島みどり・小渕優子の2名だけ。西川公也(農林水産)も、「日本会議」こそ入っていないものの、「みんなで靖国神社に参拝する議員の会」には入っているので同じ様なものです。

 この改造内閣の閣僚名簿が発表された、その舌の根も乾かぬうちに、さっそく右翼がらみのスキャンダルが持ち上がりました。閣僚の中でもゴリゴリ右翼の高市早苗と自民党四役の一人、稲田朋美(党政調会長)が、よりによって日本のネオナチ団体の代表とツーショットで、議員会館で記念撮影をしていたのだから驚きです。「国家社会主義日本労働者党(NSJAP)」というネオナチ団体代表の「山田一成」という人物が、安倍内閣の閣僚と記念写真に納まっていたのです。このネオナチ団体は、党名もドイツのナチス(正式名称:国家社会主義ドイツ労働者党)から拝借し、シンボルマークもナチスと同じハーケンクロイツ(鉤十字)を使用しています。ユダヤ人やロマ(ジプシー)のホロコースト(民族皆殺しとも言える大虐殺)を行ったナチスは、戦後ヨーロッパでは加入しているだけで刑事罰に問われる程の忌むべき存在です。くだんのネオナチ団体は、事態発覚後に写真も記事もホームページから慌てて削除したようですが、時既に遅しです。写真も記事のログも、とっくにネットに拡散してしまっています。



 しかも、そのネオナチとの記念撮影も、「撃論」という月刊誌(現在は廃刊)のインタビューに応えてだったというのだから恐れ入ります。この「撃論」の発行元(オークラ出版)こそが、あの悪名高い「在特会」系の出版社なのですから。「在日特権を許さない市民の会」と言うのが「在特会」の正式名称です。一応、草の根の市民団体を装ってはいるものの、この団体もネオナチそのものです。過去に在日フィリピン人家族や朝鮮学校に対して襲撃事件を何度も繰り返してきた曰(いわ)くつきの団体です。しかも、その手口たるや、フィリピン人家族の不法滞在に託(かこつ)けて、その子の通う中学校に大の大人が大勢で押しかけたりするような卑劣な真似をしていたのです。東京・新大久保や大阪・鶴橋のコリアンタウンでも、幹部会員の子どもに「クソチョンコは朝鮮半島へ帰れ!帰らなければ鶴橋大虐殺を行うぞ!」とムチャクチャな街頭宣伝をさせていました。京都朝鮮学校襲撃事件では北朝鮮拉致問題に託けて「キムチくさい!」「スパイの子!」「盗人、強姦魔!」とあらぬ限りの罵倒を子どもに浴びせて学校の授業を妨害し、「外国人は黙って道の隅っこ歩いとったらええんや」と、まるで外国人は人間ではないかのように喚き散らし、人種差別を煽ったとして、京都地裁で仮執行付きの損害賠償判決まで食らっています。「在特会」とはそういう団体です。

 「鶴橋に住む在日クソチョンコの皆さん、そして今ここにいる日本人の皆さん、こんにちは。ほんま、皆さんが憎くて憎くてたまらないです。もう殺してあげたい。いつまでも調子に乗っとったら南京大虐殺じゃなくて、鶴橋大虐殺を実行しますよ!日本人の怒りが爆発したら、それくらいしますよ!大虐殺を実行しますよ。実行される前に自国に戻って下さい。ここは日本です。朝鮮半島ではありません。いい加減、帰れ!」
 これが2013年2月に、大阪・鶴橋での「在特会」主催のヘイトデモで発せられた言葉です。
 こんな事を街頭で中学生の自分の娘に喋らせ、いい歳こいた周囲の大人達が拍手喝采で囃し立てているのです。そして、東京の新大久保でも大阪の鶴橋でも、「排害カーニバル」なぞというふざけたタイトルのデモを企画し、「よい韓国人も悪い韓国人もどちらも殺せ」という様なプラカードを掲げ、デモ終了後も「お散歩」と称して、店の看板を蹴飛ばしたり、従業員や買い物客に罵声を浴びせたり乱暴したりしているのです。これは、もはや「表現の自由」に基づくデモではなく、ただの弱い者虐めの暴力にしか過ぎません。

 「勝手に朝鮮半島からやって来て日本人の職を奪う」とする「在特会」の主張も、一方的な言いがかりでしかありません。例えば、アルジェリア系移民がフランス・パリの下町に何世代にも渡って住みついているのは何故なのか。フランス人に土地を奪われ食い詰めたからでしょう。たとえそれが非合法な密入国による移住だったとしても、本当に責められるべきは移民ではなく、フランスによる植民地統治です。そんな事は、世界の近現代史を少しでも学べば直ぐ分かる事なのに。この中学生やその親は、こんな事をして恥ずかしくはないのか。 
 案の定、この動画は既に国連人権委員会にも人種差別撤廃条約の批准・履行状況を確認する資料として提出され、多くの委員から軽蔑の眼差しで見られる事になりました。

女子中学生 鶴橋大虐殺宣言! YouTube [拡散]


撃論 第九号 (OAK MOOK 459)
クリエーター情報なし
オークラ出版


 この「撃論」第9(2013年2月)号に、当時、自民党政調会長だった高市早苗が、「第九条改正と国防軍創設」と題して記事を寄稿しています。
 高市も稲田も、そういう団体の、そういう雑誌のインタビューに応え、日の丸の旗の前で嬉々として写真に収まっていたのです。二人とも今頃になって口裏を合わすかのように「そんな団体、雑誌とは知らなかった」と見え透いた嘘を言っていますが、仮にも現役の政府閣僚ともあろう人物が、取材者の氏素性も確かめずに、ホイホイと記念写真に収まったりなぞするものですか。現に二人とも、この雑誌には写真だけでなく記事を投稿したりもしているではないですか。

 それだけではありません。高市早苗に至っては、他人には「夫婦別姓なんてケシカラン」なぞとほざきながら、自分は夫婦別姓で通しているのですから(実際の姓は山本)、開いた口がふさがりません。その言い訳を自分のブログでしていますが、その内容も「自分は戸籍は変えていないので別姓ではない」というものでしかありません。こちらは何も「絶対に夫婦別姓でなければならない」なんて主張している訳ではありません。いくら「家族制度を守らなければならないから」と言っても、現実には営業職などで旧制の方が通りが良いとか、DVから逃れて来た為に前の夫の戸籍から抜け出せない等、夫婦別姓を選択せざるを得ない場合も少なくありません。そういう「選択の権利まで杓子定規に奪うな」と言っているに過ぎません。家族制度の維持(国家としての体面)と、個人の幸福追求や生きる権利の保障と、一体どちらが優先なのか。だから、高市自身も自分は夫婦別姓を選択したのでしょう。松島みどり(戸籍名は馬場みどり)も選択的夫婦別姓には反対しない(出来ない)のでしょう。ところが、自分は夫婦別姓の生活を送りながら、他人には「別姓なぞケシカラン」と主張するのは、全くのご都合主義であり、「自分だけは特別」と、他の有権者を差別するものに他なりません。そこにあるのは、民衆を見下す鼻持ちならない支配者意識だけです。

 だから私は、靖国参拝を繰り返す高市や稲田、安倍などの右翼閣僚や、その復古イデオロギーに支えられた安倍政権を、「イスラム国」やその亜流の「ボコ・ハラム」になぞらえて「ヤスクニ国」と揶揄(やゆ)したのです。確かに、「日本会議」も「在特会」も、見せしめに外国人の首を切り落とすイスラム原理主義テロリストの「イスラム国」ほど、まだ狂暴ではありません。しかし、その価値観の多様性を認めない頑迷さや、一般大衆には体制道徳を強要しながら自分は勝手し放題というワガママな本質においては、安倍政権も「イスラム国」と五十歩百歩ではないですか。「イスラム国」も、表向きは「外国人排斥」を言いながら、裏では白人の不満分子も自分たちの傘下に引き入れようと盛んにオルグしています。
 たとえ、「イスラム国」が西欧の植民地主義を非難した所で、自分達も東西冷戦時代にはソ連や左翼に対抗する為に、米国から陰で資金援助を受けて来たのですから、何をか況(いわん)やです。西側諸国も、そうやって手なずけて来たつもりが、大きくなり過ぎて自分達の言う事にも従わなくなった。その辺の事情は、アフガニスタンのタリバンやイラクのアルカイダとも同じです。要は、いくら「イスラム」だの「靖国」だのと言っても、結局は自分たちの特権を維持する為の煙幕にしか過ぎないと言う事です。



 東京都知事の舛添要一や大阪市長の橋下徹なぞは、さすがにこんな安倍政権のままでは、東京オリンピックに外国人観光客を呼び込む事は出来ないと、人種差別を煽るヘイトスピーチやヘイトデモを法律で規制する事を主張し始めています。「従軍慰安婦はただの売春婦だ」と、今まで散々、安倍や「在特会」と同じ様な主張を繰り返して来た橋下徹が、今頃になっていくらこんな事を言いだしても滑稽(こっけい)なだけですが。
 しかし、これは単に「オリンピックに外国人が来なくなる」だけで済まされる問題ではないでしょう。人種や民族に対する差別が禁止されるのは、それが人権侵害だからであって、単に「外国人観光客が来なくなるから」(金儲け)とか「日本人の誇りが傷つけられるから」(国威発揚)で済む問題ではないはずです。それが分かっていないから、ヘイトスピーチを単なる騒音被害の問題としてしか捉えられずに、泥棒(ヤスクニ国)の高市早苗や平沢勝栄に警官役(自民党ヘイトスピーチ規制プロジェクトチーム)をやらせるような真似をして、その矛盾にも気付かないのでしょう。このままでは、本物のヘイト規制はなおざりにされたまま、反原発デモなどが「ヘイト規制」の対象にされてしまいます。
 もうそこまで行ったら、それこそ「世界の物笑い」でしかありません。それで安倍たちが恥をかくのは勝手ですが、その為に、国民の自由や権利が侵されて、日本を差別主義者やブラック企業の天下にされたのでは、もう国民は踏んだり蹴ったりです。日本を北朝鮮みたいにされて堪るか!
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第二次安倍”怪”造内閣に関するツイッターのまとめ(追記あり)

2014年09月13日 20時01分28秒 | 貧乏人搾取の上に胡坐をかくな

写真はいずれも週刊フライデー8月22日号記事「安倍政権を支配する「日本会議」の正体 根底から暴く!」より





























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高野山を再び戦争の基地にするな!

2014年09月11日 06時07分24秒 | ヘイトもパワハラもない世の中を
 安倍が祝辞を送ったA級戦犯の慰霊碑が高野山の奥の院にあると聞き、先日の公休日に早速行楽がてら見て来ました。
 まずは、2014年8月27日付朝日新聞の関連記事「首相、A級戦犯ら法要に哀悼メッセージ「祖国の礎に」」から引用します。

● 安倍晋三首相が4月、A級、BC級戦犯として処刑された元日本軍人の追悼法要に自民党総裁名で哀悼メッセージを書面で送っていたことが朝日新聞の調べで分かった。連合国による裁判を「報復」と位置づけ、処刑された全員を「昭和殉難者」として慰霊する法要で、首相は「自らの魂を賭して祖国の礎となられた」と伝えていた。
 メッセージを送ったのは高野山真言宗の奥の院(和歌山県高野町)にある「昭和殉難者法務死追悼碑」の法要。元将校らが立ち上げた「追悼碑を守る会」と、陸軍士官学校や防衛大のOBで作る「近畿偕行会」が共催で毎年春に営んでいる。
 追悼碑は連合国による戦犯処罰を「歴史上世界に例を見ない過酷で報復的裁判」とし、戦犯の名誉回復と追悼を目的に1994年に建立。戦犯として処刑されたり、収容所内で病死や自殺をしたりした計約1180人の名前が刻まれている。靖国神社に合祀(ごうし)される東条英機元首相らA級戦犯14人も含む。(以上引用)



 その戦犯慰霊碑(昭和殉難者法務死追悼碑)が上記の写真です。高野山奥の院の中ほどにある「英霊殿」という施設の隣にあります。通常の参拝路入口「一の橋」よりも終点の「奥の院前」バス停で降りて裏参道から入る方が近道です。

 慰霊碑には建立の由来なども書かれているのですが、昔の文章で今の私には一体何が書いてあるか理解できないので、前述「追悼碑を守る会」のホームページに載っていた2004(平成16)年の式典挨拶から、その由来について言及された部分を次に引用します。

● ここに眠る殉難法務死されました御霊は、帝国軍人軍属として職務上の責任又は、受命行為を、たまたま運悪く戦犯と呼ばれる苛酷な運命を背負い無念極まりなく刑場に連行されました。祖国の再建と人類の恒久平和を念じ、従容として悠久の大義に生き殉死をとげられました。(中略)
 熾烈な戦に敗れたりとはいえ戦後日本が奇跡的な繁栄を遂げ世界の経済大国として、大きな役割を果たせるのは、ひとえに御英霊の尊い犠牲の上に築かれた御加護と大和民族の勤勉性の賜物と信じます。又、その尊い犠牲の血潮は、アジア諸民族の自覚と決断を促す民族独立と我国多年の悲願である人種差別撤廃の原動力となりました。(中略)
 尊い犠牲となられた英霊の方々の思いと、残された御遺族のつらい思いを、未来にわたって風化させず、刑死された人々の無念を空無にすることなく日本国民等しく永久に菩提を弔う義務があります。
 幸いにも、この昭和殉難者法務死追悼碑を守る会が組織され、戦中派の高齢に加え、二世、三世と若者がこの碑を囲み歴史を語り継ぎ、御遺族の断腸の思いを胸に秘め鎮魂の誠を捧げ、戦後今日まで築き上げてきた平和を守り、祖国日本の繁栄のため努力する力強い同志が育ちつつあることを大変うれしく思っております。願わくば英魂、二ヶ月後に世界文化遺産に本登録される、ここ高野山の聖地奥の院に鎮まりまして、平和の礎として、世界の尊敬と信頼を博す道義国家日本が再生発展されますようお守りください。(後略)

 この挨拶の内容を要約すると、おおよそ次のようになるのではないでしょうか。
 「ここに眠る英霊たちは、祖国を守る一心で自らの命を投げ打ったのに、戦争に負けたとたんに、一方的に戦争犯罪人にされ、濡れ衣の罪を着せられて殺された。でも、その尊い犠牲のおかげで、アジア諸国は欧米の植民地支配から解放され、戦後日本も経済大国としてよみがえる事が出来たのだ。皆も、この英霊のおかげで今あるのだから、ずっとこの英霊たちを弔わなければならない」と。

 でも、おかしいとは思いませんか?そんなに「アジアを欧米の植民地支配から解放した」と言うなら、何故、その前に、日本の植民地だった台湾や朝鮮の独立を認めなかったのですか?何故、「日本は植民地統治で良い事もした」とか、「当時アジアを植民地支配していたのは日本だけではなかった」とか、言い訳ばかりするのですか?言い訳なぞせずに、「まずは隗(かい)より始めよ」で、自分から解放の模範を示せば良かったのではありませんか。なのに「日本は良い事もした」「当時は他国も植民地支配していたではないか」とか。こんな物は「他にも強盗(侵略や植民地支配)している奴が一杯いるのに俺もして何が悪い」という「居直り強盗」の屁理屈でしかない。



 その自己チューな戦犯美化勢力の世界観は上記の地図にも現れています。慰霊碑横の解説板に掲げられた地域別の殉難者分布図です。そこでは、戦後、東京の巣鴨刑務所に収容され、極東国際軍事裁判で処刑された(正確には戦死とは言えない)A級戦犯も数に入れながら、ガダルカナル(南太平洋)やインパール(ビルマ・インド国境地帯)の死者は完全に無視されています。大勢の兵士が食糧の補給もろくにされずに餓死やマラリアで亡くなった有名な戦場なのに。沖縄戦で亡くなった兵士の数もカウントされていません。
 戦犯美化勢力は民間人の犠牲なぞ当然と思っているので、原爆や空襲で亡くなった人の数が無視されても今更驚きませんが、ここまで都合よく歴史をねじ曲げていたとは。恐らく、一般の戦死者ではなく戦犯として処刑された殉難者だけを集計したので、こんな分布図になったのでしょう。しかし、その「戦犯」によって「無理心中」を強いられた兵士や現地住民こそが本当の犠牲者ではないのか。

 本当は、日本が太平洋戦争で中国からやがて東南アジアにまで戦線を拡大したのは、そこの石油や天然ガスなどの資源を略奪する為だった事は、当時の政府が定めた「帝国国策遂行要領」にもはっきり記されています。「アジアを欧米の植民地支配から解放」云々などの理由は、それを誤魔化す為に後からこじつけられたものに過ぎません。それが証拠に、ようやく終戦間際になって一部諸国に与えられた「独立」も、形ばかりで実権はほとんど日本が握っていました。だから、最初は日本に騙された人もいたアジアの指導者も、後に日本の野望に気付き、次の言葉にもあるように、欧米にも日本にも戦いを挑んで独立を勝ち取って行ったのです。

● 日本のロシアにたいする勝利(注:日露戦争)がどれほどアジアの諸国民をよろこばせ、こおどりさせたかということをわれわれは見た。ところが、その直後の成果は、少数の侵略的帝国主義諸国のグループに、もう一国をつけ加えたというにすぎなかった。その苦い結果を、まず最初になめたのは、朝鮮であった。(ジャワーハルラール・ネルー著「父が子に語る世界歴史」より)

● フランス人は逃げ去り、日本人は降伏し、バオダイ皇帝は退位した。われわれ人民は、わがヴェトナムを独立国とするために、すべての鎖を打ち砕いたのだ。(1945年9月2日、ベトナム民主共和国独立宣言より)

 このように、戦後アジア諸国が独立を勝ち取ったのは、第二次大戦(太平洋戦争)を契機に、欧米と日本の両方の帝国主義を追い出す事に成功したからです。これが今の常識です。しかし、安倍や戦犯勢力にはその常識が理解できないので、「アジア解放の為に太平洋戦争をおっ始めたのに、何故、侵略戦争だの植民地支配だのと悪く言われなければならないのか?」と、いつまでも愚痴をこぼしているのです。
 確かに、戦後の連合国による戦犯処罰には、国際法違反の原爆投下は不問に付すなど、不公平で報復的な要素もあったのは事実ですが、だからと言って、それを理由に、「他にも強盗している奴が一杯いるのに俺もして何が悪い」というような恥知らずな居直りが、この現代世界で通用するはずもないのに。
 安倍が靖国参拝の際などに言っている「再び戦争をしない為に」とか言う言い訳が嘘八百である事が、この一事からも良く分かります。本当に「再び戦争をしない為に」と思っているなら、こんな「お前ら良くやった!今の平和もこの人たちのおかげだ!皆もこの人たちを見習え!」というようなメッセージではなく、原爆慰霊碑の「安らかに眠って下さい、過ちはもう二度と繰り返しませぬから」というメッセージにしかならないはずです。最近はこんな事を言うと「自虐的」と攻撃されたりしますが、過去の恥部を改める事が出来てこそ、本当の愛国心と言えるのではないでしょうか。



 以上で戦犯慰霊碑の探索を終えた訳ですが、高野山には、この他にも太平洋戦争に関する慰霊碑が異様に多い事に気が付きました。左上はアンボン島(今のインドネシア)で亡くなった海軍兵士の碑、右上の二つはビルマ(今のミャンマー)で亡くなった兵士や軍馬を弔ったパゴダ(僧院)形式の碑ですが、他にも数えきれないほどの慰霊碑が並んでいました。しかも、そのいずれもが「今の平和の礎(いしずえ)になった」と安倍流に称えるものばかりで、「安らかに眠って下さい、過ちはもう二度と繰り返しませぬから」というものは一つもない事に気が付きました。
 私は宗教の事については余り良く知りませんが、この「安倍流」の「自画自賛」慰霊碑の多さは、他宗派と比べても異常ではないでしょうか。例えば、浄土真宗では差別戒名事件を機に、同和問題・差別問題や戦争と平和の問題にも積極的に取り組むようになったと聞きます。私が旅行で訪れた福井県の永平寺(曹洞宗)にも、「平和憲法を守ろう」との僧侶の言葉が境内に掲げられていたりしました。「人を殺すなかれ」との仏教の教えからすれば、むしろ、このような姿勢こそが宗教本来の姿ではないでしょうか。



 その疑問を解消すべく、色々調べていくうちに、高野山が終戦間際には海軍航空隊の訓練基地となり、1万人以上の将兵が宿坊に寝泊まりしていた事が分かりました。以下、ネット事典「ウィキペディア」の「高野山海軍航空隊」の記述から。

● 高野山海軍航空隊(こうやさんかいぐんこうくうたい)は、和歌山県伊都郡高野町にあった大日本帝国海軍の部隊の一つ。前身は三重海軍航空隊 高野山分遣隊(みえかいぐんこうくうたい こうやさんぶんけんたい)。
 三重海軍航空隊高野山分遣隊は、和歌山県伊都郡高野町高野山の金剛峯寺の宿坊を兵舎として発足した。三重海軍航空隊に所属している教育中の特乙5期生から9期生までの全員が転隊して、予科練教程の教育が開始された。
 1944年12月中旬になって、戦局が緊迫するのに伴い水中・水上特攻要員の募集が行われ、20日に特乙5期生から選抜された249人の第1次要員が退隊した。その後、特攻要員が退隊していった。
 1945年3月1日、高野山分遣隊は三重海軍航空隊から独立し、高野山海軍航空隊として開隊、予科練教程専門の練習航空隊に指定され、第24練習連合航空隊に編入された。(以上引用)

 これは私にとっても初耳でした。高野山なんて、子どもの頃に祖父母に連れられて奥の院にお参りした記憶や、小学校時代の林間学校の記憶しかありませんでしたから。それが今や世界遺産にも登録され、しかも来年はいよいよ開創1200年という事で、地元の南海電鉄も、「天空」という特別電車を走らせたり、「山ガール」や「歴女」も登場させての観光キャンペーンに乗り出しています。その仏教の聖地が、戦時中は知覧(鹿児島県)と同様の特攻基地だったとは。(上記の写真が航空隊の慰霊碑や標柱)
 それらの資料を読むと、どうやら宿坊の多さに目を付けられ、兵士の宿舎として活用されたようですが、そこでもまだ疑問が残ります。宿の確保は出来たとしても、寺院も一杯ある山間の小盆地に、戦闘機の滑走路や飛行訓練の場所が果たしてどれだけ確保できたのでしょうか。
 しかし、その疑問も次の記事を読む事で氷解できました。以下、2002年8月15日付「しんぶん赤旗」記事「高野山でつづった15歳少年兵の日記 体に爆弾巻いて戦車の下敷きになる訓練まで…」の記述から引用します。

● 軍隊は十五歳の少年を暴力で軍人らしくしようとしました。二十六日には、班員が衣類を紛失したことで班員全員が教員から「海軍精神を教えてやる」と罰を受けました。八月三日も「不規律」のため全員が教員に「海軍精神注入棒」(バットのような木の棒)で殴られます。「海軍精神ガ確カニ、入ッタ」。
 八日には「(アメリカ軍が日本本土に上陸すれば)我々甲飛モ、陸戦隊トナリテ驕米(アメリカ軍のこと)ヲヤツケル為、陸戦ノ訓練激シクナリ…」とあります。
 内容は、背中と腹に爆弾を巻いて穴に潜んでいて、アメリカ軍の戦車の下に体を投げ出し戦車のキャタピラを爆破する訓練でした。高野山の広場に木で作った戦車を据え付けて訓練しました。
 大元帥である昭和天皇の軍隊は、この期に及んでもなお、自殺して「敵」の戦車を食いとめるという恐ろしい訓練を少年に強いていたのです。(以上引用)

 戦争末期には訓練用のゼロ戦すら確保できず、毎日、自爆攻撃ばかりやらされていたのだと。ここまで来たら、もうまるで消耗品扱いです。
 この体質は今も変わりません。平和主義や基本的人権の尊重を憲法で定めたこの国で、何故、派遣切りやブラック企業がここまではびこるのか?それもこれも、安倍を筆頭に、「他にも強盗している奴が一杯いるのに俺もして何が悪い」と居直って恥じないような政治家が、今も政治の実権を握っているからではないですか。こんな奴らを政権から引きずりおろさない限り、平和も人権も、国民の自由や権利も、また戦争中のように踏みにじられるのは確実です。そういう意味でも、これは決して過去の事や、戦争の事だけに止まる話ではないのです。
 このご時世、こんな事を言うと、「中国や韓国、北朝鮮の回し者」呼ばわりする輩が必ず現れますが、だったら逆に聞きましょう。「中国や韓国、北朝鮮に対抗しなければならないからと言って、何故、国民の自由や権利が制限され、ブラック企業の横暴や原発企業の放射能垂れ流しを容認しなければならないのか?」「この国の将来を決めるのは、中国や韓国でもなければ、天皇や自民党でもなければ、アメリカや大企業でもない。国民が決めるのだ」「その国民が、何故、自分で自分の首を絞めるような事ばかりする政府を支持しなければならないのか」と。
 その為にも、再び高野山を戦争の基地にするような事を許してはならないし、昔の大日本帝国の復活を許してはならない。そう思います。
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福島の悲劇も日本人の国民性が生み出したものだ。

2014年09月02日 18時35分41秒 | 福島の犠牲の上に胡坐をかくな
 

  

 先日、「A2-B-C」という映画の上映会に行って来ました。以前、長谷川健一さんの講演会でお世話になった方から、この映画の案内メールをいただき、私も当日の休みを利用して参加して来たのです。
 この映画は、イアン・トーマス・アッシュという在日米国人の監督が、原発事故以降の福島の子どもたちの姿を捉えたドキュメンタリーです。映画のタイトルも、事故後に福島で続発する甲状腺異常の判定レベル「A1、A2、B、C」から取られました。(注1)

(注1)一次検査の判定レベル(福島県のHPより)

 A判定
 (A1) 結節又はのう胞を認めなかったもの。
 (A2) 結節(5.0mm以下)又はのう胞(20.0mm以下)を認めたもの。
 B判定 結節(5.1mm以上)又はのう胞(20.1mm以上)を認めたもの。
 なお、A2の判定内容であっても、甲状腺の状態等から二次検査を要すると判断した場合は、B判定としている。
 C判定 甲状腺の状態等から判断して、直ちに二次検査を要するもの。
http://www.pref.fukushima.lg.jp/uploaded/attachment/71417.pdf

 通常、子どもが甲状腺がんになるのは100万人に1~2人です。それが事故後の福島県では、約36万人に50~89人の割合で存在しています。100万人当たりでは140~250人と、通常の100倍以上もの高い確率で甲状腺がんになる子どもが増えています。
 最初は何ら異常が見られなかった子どもたちの中から、小さなしこりや腫瘍(しゅよう)が徐々に見つかり、それが5ミリ以上の結節や20ミリ以上の嚢胞(のうほう=水ぶくれ)に成長し、やがて二次検査を受けなければならなくなる。そういう子どもがどんどん増えて行っているのです。
 他府県では、その存在すらほとんどの人が知らない、これらの判定基準が、福島では住民の日常会話の中に頻繁に登場します。今や福島では、時候の挨拶(あいさつ)代わりに、「今日はA2だった」とか「誰それはBだった」という会話が交わされるまでになってしまったのです。(注2)

(注2)甲状腺がん、疑い含め104人 福島の子供30万人調査(8月24日付朝日新聞)

 東京電力福島第一原発事故の被曝(ひばく)による子どもの甲状腺への影響を調べている福島県の検査で、受診した約30万人のうち104人が甲状腺がんやその疑いと判定されたことがわかった。県は「被曝の影響とは考えにくい」としている。この結果は24日に公表される。
 甲状腺検査は事故当時18歳以下だった県民を対象に実施。県内全域を一巡した今年6月30日現在の結果(暫定値)がまとめられた。
 甲状腺がんやその疑いとされた104人のうち、がんと確定したのは57人、良性が1人だった。104人の事故当時の平均年齢は14・8歳で、男性36人、女性68人。腫瘍(しゅよう)の大きさは約5~41ミリで平均14ミリ。(以下略)
http://www.asahi.com/articles/ASG8R6SN3G8RULBJ00B.html
 上記の記事では前述の記述よりも若干低い判定結果となっていますが、それでも他県とは比べ物にならないほど高い数値である事は間違いないでしょう。

 上映会は、8月31日の15時と18時からの二部構成で、以前長谷川さんのお話を聞かせていただいた西成の福祉施設からもほど近い、難波屋という居酒屋でありました。この難波屋は、刺身でも300円位から食べられるほど値段が安い事で有名です。そして、各種の音楽イベントや講演会・展示会を開催できるライブハウスも併設している事でも有名なお店です。私はそこで、15時からの第一部に参加させてもらいました。

映画『A2-B-C』予告編


 映画の冒頭で、御用学者と思しき人物が「絶対に安全だとは言えない」と言う場面がまず出てきます。「国は立ち入り制限を次々解除し、住民の帰還を進めようとしているが、本当に安全なのか?」と問いただす監督に対して、「あくまでも確率論でしか言えない」、つまり「100人中×人しか癌(がん)にはならない」としか言えない、「その×人の中にあなたが入らないとは絶対に言えない」と。この御用学者の無責任な態度への怒りから、映画「A2-B-C」が生まれる事になりました。映画ではこの後、住民や除染業者の発言が淡々と紹介されていきます。

 放射線量を測定するガラスバッジ(簡易線量計)をランドセルにぶら下げながら登校する低学年の子ども達。「これ何ぁ~に?」と聞く監督に、「グァラスバッジッ、ほうしゃのうをはかるやつ」と片言で答える子どもの姿が、痛々しくて見ていられませんでした。「本当はこんなチャチな線量計では正確な測定なぞ出来ない、こんな物はほんの気休めでしかない、でも、こんな物でも無いよりはマシだから持たせているのだ」と嘆く親。
 住民検診での放射線測定でも、「汚れた衣服で来ないように、新品の服を着て来るように」と指示され、「一体何の為の検診か?在りのままの状態で測らなくてどうする!」と嘆く親。

 学校での監督と教頭先生との押し問答。「許可を取らない取材には応じられない」との教頭の発言に、「子どもの命と許可云々の一体どちらが大事なのか?」と迫る監督。
 学校の校庭の横に張られた黄と黒の虎ロープと立ち入り禁止表示を前に、「子どもをこんな学校にやっていて良いのか」と自問する母親。その母親は、先生からは「塀の中の校内については除染が終わっているので一応は安全だ」と聞かされています。しかし、塀の外で放射線量を測ると、線量計のアラームが鳴り針がどんどん上昇して行きます。直ぐに時間当たりの線量が10マイクロシーベルトを突破してしまいました。ちなみに、安全の目安は1時間当たり0.23マイクロシーベルトだそうです。これが福島の現実です。
 
 そもそも除染なんて意味があるのかという問題があります。いくら除染して土を移し替えてその場の放射線量を一時的に抑えても、自分の敷地の放射性物質をよその土地に押しやっているだけで、地域全体の放射線量は全然減りません。やがて雨が降って放射性物質が海に流れ出ても、海の水が蒸発して再び山に雨が降れば同じ事です。これでは汚染を拡散・濃縮しているだけではないですか。その除染も、濡れタオルで屋根瓦や雨どいを拭き取り、住宅地や農地の表土を入れ替えるだけで、肝心の山林については、そこまでやっていたらキリがないと手つかずのまま放置されています。「現在、26歳の未婚です。結婚したらこんな仕事やっていられません」という若い除染作業員の発言や、「地域ぐるみの隠蔽だ」と憤る地元市議の発言がそれに続きます。

 また、放射線量を測定するモニタリングポストの周辺だけ念入りに除染して、ポスト周辺の数値だけ下げて安全・収束宣言しようとする行政の醜い姿勢も、映画は克明に捉えています。実際は、そのポストから数歩離れるだけで、線量がどんどん上昇して行くのに。国も県も市町村も見て見ぬふり。その中で、最初は「福島の真実を是非世界の人々にも紹介して下さい」とマスコミに言っていた人も、やがて「もうそんな事をいつまでも言っていないで、国が安全だというのだからもう放っておいてくれ」と変わっていくのです。そしてマスコミも、これを福島だけの問題にしてしまい、実際は関東地方なども広範囲に汚染されている事は絶対に言わないのです。現に監督の元にも、「報道ステーション」の古舘伊知郎自ら取材にやって来ましたが、最終的に上層部から圧力がかかり、この事実は遂に放送されませんでした。

 そして、除染で出たごみをどこに保管するのかという問題もあります。最終処分の場所や方法が定まらないまま、とりあえず黒いフレコンバッグに袋詰めにされ、地域に野ざらしにされる土やゴミの山。地元ではこのフレコンバッグの山を「黒いピラミッド」と呼んでいるそうです。フレコンバッグの耐用年数は僅か数年。既に震災・原発事故から3年が経過する中で、破れた袋から中の汚染物がはみ出て流れ出している所があちこちにあります。このままでは「中間処分場」がそのまま最終処分場になってしまうのが明白なのに、「最後は金目でしょ」とうそぶく環境大臣に、それを見て見ぬふりする有権者。

 その中で孤立させられる福島からの避難民。子どもの命を救いたい一心で、行政からの補助もなく自分の金で見知らぬ土地に引っ越しただけなのに、「国や県が大丈夫だと言っているのに、自分たちだけ勝手に故郷を捨てやがって」と、不当なバッシングを加えられる人達。しかし、その後ろには、同じ様に避難を望みながら、周囲からの非難を恐れ、声も上げられない人達も大勢います。それらの声を一つ一つ丹念に集めたのがこの映画です。

 この映画を差して、風評被害をあおり福島差別を助長するものだと非難する人々がいます。私は逆にその人達に問いたい。立ち入り禁止の虎ロープと隣り合わせで生活させられ、モニタリングポスト周辺の除染にばかり力を入れる行政の姿勢を目の当たりにし、放射線測定の検診でも「新品の服を着て来い」と言われる中で、住民が不安に思うのはむしろ当然ではないでしょうか。逆に平気でいられる方が不思議です。
 しかし、それは住民が悪いからでしょうか?住民の不安に向き合い、真摯(しんし)に応える事をせず、その不安を無理やり抑えつけようとする国や県の責任ではないでしょうか。その事実を伝えて、一体何が悪いのでしょうか。

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 この映画上映の後、参加者で簡単な交流会が持たれました。会場には福島から避難してきた人も大勢おられました。皆さんが口々に仰っていた事が一つあります。それは、「何故、この映画がもっと早く国内で上映されなかったのか?」「何故、日本人の監督の手で作られなかったのか?」という事です。実際、この映画は、外国でヒットするようになってから始めて、ようやく日本でも中小の映画館で上映されるようになりました。何故、国内で今まで上映できなかったのか。「弱い者虐めは得意だが、強い者やお上に対しては何も言えない」「他人の目ばかり気にして本質的な事には目が行かない」という、日本人のある種の弱さが災いしているように思えてなりません。

 これ、福島だけの問題ではないでしょう!私たちの職場でも、「強い者やお上には何も言えない」奴隷根性や、「体面ばかり取り繕い、臭いものに蓋や、見て見ぬふり」といった事例には事欠かないではないですか。労働者の安全や職場環境の改善なぞ二の次で、「カートの取り扱い」や「モギリのカスを残さない」事ばかり気にする、うちの会社の体質なぞ、正にその典型でしょう。そんな皆の中にある弱さが、福島の様な事例を他にも一杯生み出しているのではないでしょうか。

 表向きは、やれ「人の絆」がどうの「愛は地球を救う」のと言いながら、裏では「被災者はゴネ得」「賠償金せしめて昼間から酒びたり、パチンコ三昧(ざんまい)」という様な心無い落書きを仮設住宅の壁に書き殴ったり。表向きは「福島産を食べて応援」とか言いながら、裏では二束三文で買い叩き他県産のラベルに張り替えて高値で売ったり。自分は「放射能は怖い」と言いながら、「電気料金が上がるのも嫌なので原発再稼働には賛成」したり。
 それで、農家の人と消費者、福島から避難してきた人と故郷への帰還を望む人、脱原発派と再稼働賛成派というように、同じ原発事故の被害者同士が対立させられた挙句に、「もう仕方ないわ」で諦めさせられてしまうのです。

 この点について、アイリーン・美緒子・スミスという人が興味深い事を言っています。夫の米国人写真家ユージン・スミスと共に、長年に渡り水俣病問題を取り上げてきた人です。その人が、「かつて水俣で行われた事が福島でも行われている」として、それを「水俣と福島に共通する10の手口」にまとめています。

 1、誰も責任を取らない/縦割り組織を利用する
 2、被害者や世論を混乱させ、「賛否両論」に持ち込む
 3、被害者同士を対立させる
 4、データを取らない/証拠を残さない
 5、ひたすら時間稼ぎをする
 6、被害を過小評価するような調査をする
 7、被害者を疲弊させ、あきらめさせる
 8、認定制度を作り、被害者数を絞り込む
 9、海外に情報を発信しない
10、御用学者を呼び、国際会議を開く

 今の国民を見ると、見事にこの手口に絡み取られてしまっている事が分かります。そうして、原発を推進してきた政府や、原発でボロ儲けしてきた電力企業には、何の刑事責任も取らせないまま、そんな安倍内閣や自民党政府を今でも何となく支持し、あるいは棄権という形で黙認し、お墨付きをあたえているではないですか。

 思えば、昔からこの国はずっとそうでした。例えば広島・長崎の原爆被爆者。水俣病や四日市ぜんそくの公害患者。国によって差別され隔離・収容されてきたハンセン病患者。戦時中はセックスの奴隷にされた上に、戦後はその事実もひた隠しにされ、今でも売春婦と罵(ののし)られ続ける従軍慰安婦。本土の安定と引き換えに、今でも米軍の墜落事故や基地犯罪に苦しめられている沖縄県民、等々・・・・。それらの被害者同士が、原爆症・公害病の認定や、基地政策を巡って対立させられ続けてきた裏で、国は長年に渡り責任を取らないで来たし、渋々取らされるようになっても出来るだけ補償額を減らそうとして来た。それがこの国の歴史でした。

 それらの事柄が頭の中に次から次へと思い浮かんでくる私でしたが、そんな上映後の交流会の中で、ある在日韓国人の方の発言に非常に勇気づけられました。この在日の方の祖先(在日一世)も、日本の植民地時代に土地を日本人に取り上げられ、朝鮮半島では食べていく事が出来なくなって、祖国を見捨てて日本にやって来たのです。「だからこそ、生き延びる為に福島を見捨てざるを得なかった避難民の方の気持ちがよく分かる」と仰っていました。「避難民はゴネ得」なぞという差別感情を持つ日本人と比べたら、この在日韓国人の人の方が、よっぽど福島や日本への愛着を持っているのではないでしょうか。要は「いかに自分の事として捉えられるか」という事に尽きるのではないかと思います。

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