アフガン・イラク・北朝鮮と日本

黙って野垂れ死ぬな やられたらやり返せ 万国のプレカリアート団結せよ!

当ブログへようこそ

 アフガン・イラク戦争も金正日もNO!!搾取・抑圧のない世界を目指して、万国のプレカリアート団結せよ!

 これが、当ブログの主張です。
 詳しくは→こちらを参照の事。
 「プレカリアート」という言葉の意味は→こちらを参照。
 コメント・TB(トラックバック)については→こちらを参照。
 読んだ記事の中で気に入ったものがあれば→こちらをクリック。

新聞とブログの両立を模索中

2010年08月29日 07時35分15秒 | 職場人権レポートVol.1
  

 「ワープア解放新聞」の今後の予定について少し書いておきます。
 「職場人権レポート」カテゴリーから発展した当該「新聞」ですが、現在、5名の固定「読者」を足がかりに、不定期に発行・配布を行っています。実際は、バイト先のロッカールームや送迎バスの中で、ブログ記事の文章をワードに落として印刷・コピーしたものを、仲間内の「読者」にタダで配っているだけですがw。
 但し、これが意外と好評で、当初は「縮刷版」編集で一区切りついた所で一休みしようと思っていたのを、「読者」からの催促もあって、引き続き「新聞」として発行を継続する事にしました。但し、前回の「縮刷版」形式では、お金も時間もかかり過ぎるので、今後は見開き2ページぐらいのビラ形式で発行しようと考えています。
 「新聞記事」の「ネタ・取材源」には事欠きません。毎日何かしらあるウチの職場で、今日はどんな「ニュース」を取り上げてやろうかと、日々感受性を研ぎ澄ましながら出勤しています。その一方で、「やれやれ今日も忙しくなる、人も少なくて大変」という気持ちにも依然として苛まされるという、プラス・マイナスの両思考が交錯する毎日を過ごしています。

 この「新聞」とブログの関係ですが、ともに同じブログから派生したものであるにも関わらず、その両立を模索しなければならない状態に陥っているのが、皮肉といえば皮肉です。実は、「ワープア解放新聞」に力を入れ過ぎると、その他のブログ記事が疎かになり、反対に後者に重点を移すと、前者が等閑になるという、どっちつかずの状態になりつつあります。
 しかも、それがブログ・アクセス数の推移となって直に現れるから、尚一層始末に悪い。「職場人権レポート」「ワープア解放新聞」ばかりだとアクセスがテキメンに減ります。物流業務従事者以外の一般読者にとっては、「早朝・冷蔵庫内での仕分けの大変さ」なんて経験しない限り分からないし、「ハンディ」や「静音ドーリ」がどうこう言われても、職場以外の人間にとっては、はっきり言ってどうでも良い話ですから。かと言って、従来の様な「ネオコン、新自由主義、米帝、財界、民主党、自民党、靖国右翼」批判の政治・一般記事に戻すと、今度は職場のバイト読者が「書いてる事が難しすぎる」と言って敬遠する。

 その一番理想的な対策は、やはり何と言っても、私が職場の人権問題だけでなく、その他の時事問題についても、職場の仲間にも分かりやすく語れるだけの力量を、早急に身に付ける事なのでしょうが。私もブロガーの端くれとして、そう為るべく努力はしているのですが。それが簡単に出来る位なら、とっくにバイト・ブロガーなんか辞めて、今頃は作家や評論家にでもなっていますw。
 そこで次善の策として、(1)完全にブログと新聞を分け、両者の二本立てで行く、(2)逆に、どちらかに一本化する(現行ブログのみで新聞は一休み、逆に今のブログをワープア解放新聞に模様替え)、の二通りの対応を考えたのですが、(1)については、果たして「そんな二足の草鞋を履くような芸当が可能か否か」、(2)については、前者の対応には「一番身近な職場の人権問題を取り上げずして、何が戦争・搾取反対か」、後者には「所詮は職場の愚痴だけで終わっているではないか」という思いが、どうしても拭えないのです。それに「職場人権レポート」以外にも書きたい事は多々あるしね。
 それで色々考えた結果、やっぱり、とりあえずは(1)でも(2)でもなく、ブログ>「職場人権レポート」カテゴリー=「ワープア解放新聞」の現行枠組みで行く事にしました。

頭がいい人の文章の書き方 (イラスト図解版)
日本語倶楽部,小泉 十三
河出書房新社

このアイテムの詳細を見る
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

石原、オマエモナー( ´∀`)

2010年08月26日 23時13分57秒 | 未完の政権交代
    

・民主はもっと混乱=小沢氏の党代表選出馬で-石原都知事(時事通信)
>東京都の石原慎太郎知事は26日、民主党の小沢一郎前幹事長が党代表選に出馬する意向を表明したことについて「民主党はもっと混乱する。金権陣営と無為無策陣営の対立だ。これで政界の再編成が進むだろう」との見方を示した。都庁内で記者団の質問に答えた。
 石原知事は「小沢氏の(政治とカネなど)いろんな問題に納得している国民はいるのか。その人間をかついで総理大臣にしたときに日本のプレステージ(権威)はどうなるのか」と強く批判した。
 http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2010082600474

 小沢一郎の民主党代表選出馬で、俄然、政界がきな臭くなってきました。どうせ今後当分の間は、民主党代表選がニュース報道の中心になるでしょうから、最初に自分の立場表明だけしておきます。

 何が「金権陣営と無為無策陣営の対立」かよ。石原、お前も小沢や菅と同類じゃないか。
 贅沢三昧・物見遊山の海外出張、四男・延啓(のぶひろ)の外郭団体(トーキョーワンダーサイト)縁故採用、見栄と浪費の東京五輪誘致、ダイオキシン汚染地への築地市場移転強行・・・そんなお前の金権腐敗・無為無策ぶりが、先の都知事選挙でも一大争点になったのを、もう忘れたのか。

 それをマスコミは、何かにつけて石原をもてはやし、こいつを甘やかすから、こんな、世界では相手にされないようなネオコン・ネオナチのバカウヨ爺が付け上がるのです。民主党(第二自民党)の菅・小沢も、元祖自民党で現・たちあがれ日本(第三自民党)支持の石原も、ともに、自民党政治の残滓を引きずる旧体制の遺物でしかない。こんな政治家は一刻も早く政界から放逐し、日本の政治を更に前に進めなければならない。

(追記)
 上記の石原の罪状のうちの「ダイオキシン汚染地への築地市場移転強行」については、「ぼうごなつこ」さんの漫画イラストによる説明が、非常に分かりやすい。お勧めです。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

改めて言う、ゴー・ストップ事件の再来を許すな、と。

2010年08月26日 09時01分21秒 | 戦争・改憲よりも平和・人権
・イージス艦初公判 元当直士官ら2被告が無罪主張「ゆがんだ捜査」「作られた過失」(産経新聞)
 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100823-00000520-san-soci
・あたご衝突 「検察主張は虚構」 遺族「何言ってるんだ」(毎日新聞)
 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100823-00000010-maip-soci

 2年前に起こったイージス艦と漁船の衝突事故についての初公判が、8月23日から横浜地裁で始まりましたが、何とそこで被告の自衛官が、それまでの証言を悉く翻して、完全無罪を主張したのだとか。「ワープア解放新聞」の編集もしなければいけないので、簡単に感想だけ書きますが、「何でまた今頃になって、遺族の感情を逆なでするような事を言い出したのか」と思いますね。
 報道によると、被告側は、新たに開示された証言を基に、作り直された航路図を根拠に、無罪を主張しているそうですが。では何故それを、事故当時から公表しなかったのでしょうかね。直接被害に遭った漁船乗組員が亡くなり「死人に口無し」状態の原告側遺族とは違って、被告の自衛官の方には事故当時のデータも手元にあったのですから。本当に自分たちが無罪だと思うのであれば、何故それを当初から主張しなかったのか。

 それを、当時はおくびにも出さず、海難審判もとっくに終わり、刑事責任が問われる公判段階になって、何でいきなり、それまでの証言を悉く翻すような事を言い出したのでしょうか。これでは、「当時はやり過ごす事ばかり考え、ほとぼりが冷めた頃に、死人に口無しとばかりに、一気に居直りに転じてきた」と見られても仕方ないでしょう。
 公判では、被告の自衛官が、遺族に対して哀悼の意を表明したそうですが、その後で「自分たちは悪くない、悪いのはそっちだ」と言っているのですから、話になりません。そんな事なら、心にも無い「哀悼の意」なぞ、最初から表明しなければ良いのに。

 流石に、今回のこの被告側の対応には、世論も概ね批判的ですが、それでも中には、遺族を「ゴネ得」と非難したり、「軍艦の前をチョロチョロしていた漁船の方が悪い」という意見も、たまに見かけます。しかし、そういう人は、JR西日本の社長が、福知山線事故の遺族に対して、同じ様な事を言っても、それを認めるのでしょうか。自分が漁船乗組員や福知山線事故の遺族の立場であっても、「被害者が悪い」という発言を受け入れられるのでしょうか。

 私が2年前の事故当時にブログに書いた事が、今、再び問われているのではないでしょうか。

>流石にこんなムチャクチャな(注:ゴネ得などの)発言に対しては、同じ右派からも批判が多く上がっているようですが、ここまで酷くなくとも、この様な「お上言いなり」の事例は、他にも私達の身の回りにあちこちで見られます。年金問題や拉致問題などで、下っ端の公務員や朝鮮・中国人が相手の時はムチャクチャ嵩にかかった物言いをするくせに、国家権力や財界中枢が相手となった途端に、猫をかぶった様に大人しくなり、お上の弁護を買って出るような人が、私の身の回りにも結構いますから。
 例えば今回の事件でも、「軍事優先」をあからさまに口にしなくても、「小回りのきく漁船の方が道を譲るべきなのでは」という形で、そういう意見が出てきたりします。しかし、漁船も集団で延縄を仕掛けたり魚群を探知していたら、おいそれと簡単に針路変更などは出来ません。つまり、回避の困難性については一概にどちらが重い軽いと簡単には言えないのです。
 そしてより本質的には、あくまでも、「法律に照らし合わせてみて、どちらに回避義務があるか」という事に尽きます。その他の「回避の困難性」云々というのは本質的な要素ではなく、仮に考慮に入れるとしても、せいぜいが過失相殺や情状酌量の材料にしかなり得ないでしょう。
>ここまで書いて思い出したのが、1933年の大阪・天六で起こった有名なゴー・ストップ事件です。この事件は、交差点の赤信号を無視した兵士とそれを見咎めた交通整理の警官との間の諍いが、とうとう軍人と警察の対立にまで発展したというものです。軍人も警官の双方とも「天皇陛下の赤子」として譲りませんでしたが、最終的には警察の方が折れる事で決着を見ます。この事件を境にして、以後は軍部以外には誰も軍人の非行を見咎められなくなったという、戦前の軍事ファシズムへの傾斜を象徴する出来事でした。
 その当時と比べて、今の日本はどれだけ進歩したでしょうか。1988年の「なだしお」衝突事故の教訓が全く生かされなかった事や、かつてイラク日本人拉致事件被害者や北朝鮮拉致被害者家族会に加えられた醜いバッシングの事を思うと、日本人の「お上言いなり」意識は昔も今も全然変わっていないのでは、という気がします。
 http://blog.goo.ne.jp/afghan_iraq_nk/e/07ec12214a641a142fa2d4e6c7b559ba
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ワーキングプア解放新聞」のテーマソング

2010年08月23日 00時41分14秒 | 職場人権レポートVol.1
【BRS替え歌】姉がブラック★会社に勤めているようです【歌ってみた】


 マイミクさんからの情報で上記動画の存在を偶然知りました。動画のタイトルにある「BRS」というのは、初音ミクが歌っている「ブラック★ロックシューター」という曲の略で、その歌の替え歌なのだそうです。初音ミクの原曲には殆ど興味が無い私ですが、ユーチューブやニコニコ動画にアップされて大反響を呼んでいるこの替え歌については、私も今回初めて聞いて、マジで感動しました。
 ブラック会社の話は、既に「2ちゃんねる」の書き込みが文庫本になり、小池徹平主演の映画にもなりましたが、しかしこれらは、所詮は「愚痴」や「傷口の舐め合い」でしかありません。しかし、この動画は「そこで終わり」ではありませんでした。

♪わたしのなかの すべての勇気が 火をともして
 もう逃げないよ ブラック会社 告発しよう 実名晒されたって構わない
 ブラック会社 見ていろ社長 今からはじまるの わたしたちの物語
 「働くだけ働いて死ね」なんて 嫌なの (終了)

 これって、モロ私のバイト先の話ではないですか!
 そして、これぞ正に、現代日本の「蟹工船」であり、21世紀の「インターナショナル」ではないですか!
 これを早速「ワーキングプア解放新聞」のテーマソングとして、出来るだけ早く号外にして、職場のみんなにも広める事にしよう。

 そう言えば、ついこの間も、何かのニュース番組で、外食チェーンの「和食のさと」が、売上増と完全週休2日制の両方を達成していると、美談仕立てで取り上げられているのを偶々見ました。そして、「さと」の店長インタビューや社内会議の様子が映し出されていました。
 しかし、これもよく考えるとおかしな話です。完全週休二日制というのは週40時間労働に相当しますが、これって労基法32条で、「使用者は労働者に休憩時間を除き1週間について40時間を超えて労働させてはならない」と、明確に決められている筈の内容ではないですか。そんな、労基法に定められた最低限度の労働条件でしかないものを実現するのに、何で社員個人の「努力」や「責任」が求められなければならないのでしょうか。

 法律に定められた休日や1日・1週当たりの労働時間の基準なんて、業種や規模の如何を問わず、どんな企業でも「これを下回ってはならない」とする最低基準であり、労働者からすれば当然の権利ではないですか。これは、たとえ接客業であろうと例外ではありません。
 何故なら、これらは労働者が働く上で絶対に必要なものだからです。水や食べ物や空気が無いと人間は生きていけません。「水や食べ物も業績次第だ」「業績アップで水や空気を確保しよう」なんて話には絶対にならないでしょう。若しそんな事にでもなれば、人はやがて滅亡してしまいます。
 労基法に定められた基準もこれと同じです。しかし、それを先の「美談」の如く、まるで「努力目標」や「成功報酬」であるかのように、勘違いして捉えている人が余りにも多いから、直ぐに「自助努力、自己責任」や「会社の業績」如何の話にされてしまうのです。

 しかし、そんな私も、今から10年近く前に大阪いずみ市民生協の正職員として働いていた頃は、前述の「さと」の店長と同じで、「最低限の労働条件確保も業績次第」と、当たり前の様に考えていました。その自己責任・奴隷根性の呪縛が解けるまで、これだけの年月が掛かったのですから、げに洗脳とは恐ろしいものです。

ブラック会社に勤めてるんだが、もう俺は限界かもしれない (新潮文庫)
黒井 勇人
新潮社

このアイテムの詳細を見る

マンガ蟹工船―30分で読める…大学生のための
小林 多喜二,藤生 ゴオ,白樺文学館多喜二ライブラリー
東銀座出版社

このアイテムの詳細を見る

反貧困学習 格差の連鎖を断つために
大阪府立西成高等学校
解放出版社

このアイテムの詳細を見る

 この最後の書籍は、「高校生が卒業後に失業や不当解雇に遭っても困らないように」との立場で作られた自主教材の紹介です。それをもっと一般向けの形にした「<働く>ときの完全装備──15歳から学ぶ労働者の権利」という本も、同じ解放出版社から8月末に発売される予定です。遅くとも9月中旬頃には大手書店に並ぶだろうとの事なので、こちらも要チェック。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

現代版「バターン死の行進」

2010年08月19日 22時44分39秒 | 一人も自殺者の出ない世の中を
・猛暑 元ホームレス犠牲に 保護受けず自立も扇風機なく(毎日新聞)
 東京都内で先月、ようやく仕事を見つけた元ホームレスの男性(48)が、冷房のない部屋で熱中症とみられる症状で亡くなった。今月15日にも、電気代が払えないため、エアコンを使わずに暮らしていたさいたま市の無職男性(76)が熱中症で死亡したばかり。専門家は「生活保護受給者には、十分ではないにせよケースワーカーなどフォローの態勢があるが、何とか自立している低所得者層は猛暑対策の盲点になっている」と指摘している。(中略)
 駆け付けた救急隊員が体温を測ると、死後数時間が経過しているにもかかわらず、40度を超えていた。宮本さんは警察から「もうろうとした状態で誰かに助けを求めようとしたのか、携帯電話には亡くなった26日の未明に番号にならない数字を発信した履歴が残っていた」と聞いた。「なぜ、自立への道をまじめに歩んでいた彼が犠牲になったのか」。今でも悔しさがこみ上げるという。
 低所得者層が猛暑の犠牲になる背景には、生活保護の受給基準である「最低生活費」未満で暮らす世帯が少なくないことがある。07年の国民生活基礎調査を基に、厚生労働省が推計したところ、生活保護を受けている世帯は108万世帯だが、それ未満の収入で生活している世帯は597万世帯に上った。
 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100819-00000012-maip-soci

・クーラー使えず熱中症で死亡…10年間電気代払えず(スポーツ報知)
 記録的猛暑が続く中、さいたま市北区で電気代が支払えないため、クーラーが使用できなかった76歳の無職男性が、熱中症で亡くなった。16日、取材に応じた同居する無職の長男(48)によると、約10年前から電気とガスがストップ。自身も健康問題で仕事に就くことができず、父親の年金だけを頼りに2人で暮らしていたという。(中略)
 男性は2か月に1度、約15万7000円の年金を受給していたが、電気代を支払えず、約10年前から電気を使用していなかった。発見時も、長男がすぐに救急車を呼ぼうとしたが、固定電話も携帯電話もないため、公衆電話まで走って119番。死亡時、男性の財布には1000円札が2枚入っていたという。
 16日午後、自宅前で取材に応じた長男によると、隣の部屋にいた男性から15日午前に「暑い、暑い。氷を買ってきてくれ」と頼まれたため、近所で水割り用の氷と解熱剤とお茶を買い、男性の頭や首に氷をあてて熱を冷ましたという。「『冷たくて気持ちいいよ』と言っていたんですけど…」(後略)
 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100816-00000293-sph-soci

 「カネの切れ目が命の切れ目」とよく言いますが、それでも今までは、ホームレスや映画「SiCKO」の世界でしかないと思っていました。しかし、よく考えれば、「水際作戦」で生活保護を打ち切られて「おにぎり食べたい」といって死んでいった北九州市の男性も、同じ様な境遇にありました。
 その中には、上記新聞記事で取り上げられたよりも、もっと高齢の、戦時中を生き抜いてきた方もおられたかも知れません。若しそうならば、その方にとっては、戦時中にバターン半島やガダルカナル島の戦場で味わった炎熱地獄を、21世紀になってまた味わう事になったのではないか。
 これは、ワーキングプアの私にとっても、決して他人事ではあり得ません。何でこんな目に遭わなければならないのか。これは、もはや「熱中症格差、猛暑格差」とも言うべきものである。憲法14条や25条は画餅でしかないのか。前号記事で取り上げたネトウヨの跳梁跋扈を見てもそうだが、ひょっとして、この国は戦時中から一歩も進歩していないのではないか。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

帝国主義でも新自由主義でもなく人民の東アジア共同体を

2010年08月19日 13時43分47秒 | ヘイトもパワハラもない世の中を
 夏バテにパソコンの不調が重なり、ブログ更新がなかなか出来ませんでした。申し訳ありません。決して書く事がなかった訳ではありません。今から大急ぎで書いていきます。
 まずは、日韓併合から百年の節目に当たっての菅首相の談話から。右翼野党の自民党や「たちあがれ日本」が大騒ぎしているので、一体どんな談話を発表したのかと思いきや、何の変哲もない内容でした。今までの村山首相談話などと同様に、「かつては韓国を植民地にして悪うございました」「これからはお互いに未来志向で行こう」という事が書かれているだけではないですか。目新しい点といえば、「植民地時代に日本が韓国から奪った文化財をお返しします」という事が、新たに加わったぐらいで。
 その首相談話に対して、自民党や「たちあがれ日本」などは、「賠償問題は日韓基本条約で解決済」、つまり「迷惑かけた分の償いはとっくに済んでいるのに、何でまた今更そんな談話を出すのか」と、反対しているのです。但し、自民党については、終戦記念日の谷垣総裁談話では、「韓国には迷惑もかけた」と、菅首相談話と同じような事も書いていたりします。
 
 しかし、この右翼野党の対応、何かおかしいと思いません?菅首相談話には、賠償や日韓基本条約の事なんか、何も書かれていないのに。話を摩り替えているのは自分たちの方ではないですか。これらの政治家は、日頃はやれ「過去の戦争や植民地支配は正しかった」だの「従軍慰安婦や南京大虐殺はなかった」だのと、堂々とまくし立てて来たくせに、首相談話に抗議する段になった途端に、そんな事はおくびにも出さず(出せず)に、「謝罪は済んでいる」という形でしか抗議しないのですから。
 本当に「我々の先祖がやった事は正しかった」と思うなら、「謝罪は済んでいる」ではなく、「そもそも謝罪する必要はなかった」と言うべきでしょう。私は賛成しかねますが。しかし、そこまで言ってしまうと、韓国などの「特定アジア」のみならず、全世界からも爪弾きにされかねないので、こんな詭弁を弄しているのです。
 そして、「経済協力や有償・無償賠償の形で、既に賠償は果たしている」という事で言い逃れようとしているのです。実際は、その賠償もビジネスとして行われ、相手国政府や日本企業を肥え太らせただけで、個人補償については全然未解決なのに。
 つまり、問題は賠償や謝罪の有無ではないのです。私は、戦争・植民地支配の犠牲者への個人補償や、天皇も含めた戦争責任の清算まで為されてこそ、初めて戦後処理の解決がついたとする立場ですが、仮にそうではなく、今の日本政府のように、経済協力や村山談話などの形によって、賠償も謝罪も為されたとする立場に立つとしても、決してそこに問題がある訳ではない。
 幾ら「賠償」や「謝罪」がされても、その後も「賠償も謝罪も必要なかった、自分たちのやった事は正しかった」というような政治家の発言が次々と為され、それが堂々とまかり通ってきた所にこそ、真の問題があるのです。閣僚の靖国参拝や教科書問題一つとってもそうでしょうが。「過去の戦争は正しかった」というような展示を堂々と行っている神社が、慰霊施設なんかである訳がない。靖国神社は戦前から全然変わっていません。だから、アジア諸国からの抗議も止むことがないのです。
 そこを見ない事には、この問題を理解した事にはなりません。通り一遍の「賠償」や「謝罪」だけなら、過去の自民党政府でも行ってきました。「カネ」や「口先」で逃げおおせるなら、それに越した事はない。だから、ついこの間まで政権与党だった自民党も、正面切ってはそれを否定出来ないのです。問題は、そんな通り一遍の「賠償」や「謝罪」の有無にある訳ではありません。

 8月14日にNHKで放送された日韓討論番組「日本の、これから ともに語ろう日韓の未来」を、当日は残業で遅くなったので後半だけ少し見る事が出来ましたが、酷い内容でしたね。テレビをつけたら、いきなりネトウヨのガキが出てきて、「朝鮮人も日本軍として戦ったのだから、連合国には日本と一緒に謝るのが筋だろう」なんて事を、堂々と喋っていましたからね。当時は朝鮮は日本の植民地で、生き延びる為にはそうせざるを得なかっただけなのに。言わば、当時の旧仏領西アフリカの黒人部隊や、旧英領インドのグルカ兵と同じです。今で言えば、食い詰めてイラクに派兵されたプエルトリコやグアムの島民がそれに相当するかも。そんな「被害者」でしかない人たちが、何故「加害者」と一緒に謝罪させられなければならないのか。
 それで、彼は何が言いたかったかというと、どうやら「日本は朝鮮に鉄道も敷いて大学も作ってやった、ナチスほど悪くはない」という事のようでした。なら最初からそう言えば良いのに。勿体ぶって「日本と一緒に謝れ」なんて言わなくても。しかし、そもそも植民地支配に「良いもの」なんてありません。朝鮮が封建王朝のままでは、搾取の旨みがないから、日本に併合し鉄道や大学も作って、日本に従順な下級官吏や下士官を育成した。それを右翼は「近代化」と表層的に捉え、我々はそのまま「植民地化」と捉えた。それだけの事です。
 このネトウヨは、それ以外にも「日本はナチス・ドイツのようなホロコーストはやっていない」とか、「韓国は自ら望んで日本に併合された」とか、もう言いたい放題でしたね。じゃあ、ナチスは、日本がやったような創氏改名や同化政策を、ユダヤ人にはやっていないから正しかったと言えるのかよ。皆殺しにするかアイデンティティーを丸ごと奪い去るかの違いだけで、民族抹殺政策の本質については何ら変わらないのに。自ら日韓併合を望んだかのように言われる当時の一進会やその指導者の李容九にしても、その本心は将来の独立に向けての臥薪嘗胆でしかなく、それも結果的に日本に利用されて終わっただけなのに、何て事を言うのかと思いましたね。そのネトウヨに対して、映画監督の崔洋一さんが「歴史を語る資格はない!」と一喝した事が波紋を呼んでいますが、私も崔さんの言う通りだと思います。一喝ではなく説得すべきだったかどうかという議論はあるにしても。それをこのネトウヨは、歴史を単なる史実のパッチワークとしてしか捉えず、自分にとって都合良く断片を継接ぎして解釈する事しか考えていないから、こんな発言しか出来ないのです。

 だから、崔洋一氏だけでなく岡本行夫といった論客からも、このネトウヨは叩かれていたでしょう。岡本行夫なんて、イラク戦争も支持したような根っからの親米保守じゃないですか。その岡本氏が言ったのが次の二点です。一つは、「日本は既に賠償も謝罪もしている」という歴代政府の代弁発言であり、まあ、これは氏の立場からすれば想定内の答えです。そして二つ目が、「にも拘らず最近の若者は余りにも歴史を知らなさ過ぎる、戦前の歴史はどう見ても日本の侵略であり植民地支配でしかないじゃないか」というものでした。これは、明確に名指しこそしなかったものの、先のネトウヨ発言を意識したものである事は確かでしょう。ローソンの社長も同じ様な事を言っていました。
 しかし、その岡本氏も、結論はやはり「これからは日韓が協力して米国を支えていくのだ」というもので、氏の親米保守としての限界を露呈したものでした。岡本にしてもローソン社長にしても、「謝罪・賠償」や「友好・平和」を口にしても、その本音はあくまでも、「如何にアジア市場で大儲けするか」「アジアの低賃金労働力をうまく利用するか」という事でしかない。「インドネシア人看護婦の方が日本人看護婦よりも安い賃金でよく働く」という見方でしかない。その範囲内での「日韓・日中友好」や「日朝国交正常化」であり、菅首相談話や自民党の終戦談話なのです。
 他方でネトウヨはと言うと、「過去の戦争や植民地支配は正しかった」という、「首相談話・自民党談話」や「岡本・ローソン発言」よりも更に醜い物言いに終始しています。こんな輩が幾ら「中国のチベット・ウイグル民族弾圧」を非難した所で、全然説得力はありません。今度は自らが中国に代わってチベット・ウイグルを弾圧する側に回るに決まっています。過去の満州国が、その良い例じゃないですか。そのどちらでもない、真のアジア友好、東アジア共同体の創設こそが、今正に求められているのです。

(参考資料)
・NHK日韓討論番組、崔洋一監督の「歴史を語る資格はない!」が視聴者に波紋(サーチナ)
 http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2010&d=0815&f=entertainment_0815_012.shtml 
・戦争を考える季節2010年(たかしズム「ネトウヨ、バカウヨ、ネット右翼、恥さらし、売国奴、日本の恥」を語るための、たかしのブログ)
 http://takashichan.seesaa.net/article/159534841.html
コメント (9)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ワーキングプア解放新聞」遂に発刊!

2010年08月15日 15時05分02秒 | 職場人権レポートVol.1
  

 読者の方へ。長らくブログ更新が滞り申し訳ありませんでした。この間、職場新聞の編集に携わっていました。ブログ更新が出来なかった理由の一つも、実はそれがあったからです。
 職場新聞といっても大したものではありません。今までも、既に勤め先職場の同僚の何人かには、コピーの形で個人的に配布していたものです。それを改めて、「ワーキングプア解放新聞・縮刷版」と銘打ち、拙ブログの「職場人権レポート」カテゴリーの中から適当に選んだ記事を載せて、早ければ明日にでも職場配布する事にしました。
 職場新聞とは言っても、実際に配布するのは僅か4部だけです。自費・自力でコピー・製本にまで漕ぎ着けるには、これが限界でした。「次回はいつ発行するか?」以前に「発行する(出来る)かどうか」も、現時点では全く白紙です。

 最初は、そこまでやろうとは思っていませんでした。既にコピーの形で何人かには配布していたし、それをまた纏めて40ページにもなる印刷物の形で一遍にもらっても、恐らく誰も読まないであろう事は、直ぐに想像がつきました。しかし、読んでいる人は結構読んでいるのも事実です。政治的な箇所は飛ばしても、身近な話題については。この前も、その読者の一人が、映画「スーパーサイズ・ミー」(下記7月26日付記事参照)の内容について、改めて私に聞いてきました。
 また、職場読者の中には、パソコンを持っていなくて、紙ベースでなければ読めない人もいる。そういう人でも今まで取材に協力してくれたりしました。そういう方へのお礼と報告も兼ねて、全員が情報を共有出来るように、そして自分にとっても一つのくぎりとして、改めて職場新聞として配布する事にしました。

 尚、上記職場新聞に収めているのは以下の記事です。

・8月5日付「まだまだ続く職場人権レポート」
・8月1日付「で、奴隷根性で実際救われたのか?」
・7月30日付「ブログ読者拡大中」
・7月26日付「誰がN君の事を笑えるか」
・7月23日付「中国労働者の決起に続け!」
・7月16日付「そっちがその気なら」
・7月15日付「「我々の中に搾取されてない奴がいるなんて許せない!」」
・7月11日付「搾取ダイエット」
・7月7日付「人を減らしておきながら写真撮りなんかに現を抜かすな」
・7月4日付「資本家と労働者は基本的立場が違う」
・6月17日付「人よりトイレのスリッパの方が大事なのか」
・5月2日付「私の職場人権レポートが人気を呼ぶ?!」
・4月8日付「反撃準備完了」
・4月5日付「奴隷は何故、奴隷なのか?」
・4月1日付「呂月庭容疑者の気持ちが良く分かる」
・3月27日付「正しくなくても切れざるを得ない時もある」

※記事のタイトルを変更しました。(8月15日23時55分)
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夏のランチ保存法

2010年08月12日 09時42分12秒 | 身辺雑記・ちょいまじ鉄ネタ
   

 ちょっと訳あって、ブログ更新やコメント欄の返信が遅れています。大した理由ではありません。この間、パソコンの調子が思わしくなかったり、暑さに負けて更新の意欲が湧かなかったり、「職場人権レポート」絡みの野暮用でそちらに手が取られていたり・・・と、まあそんな所です。そういう状態がもう少し続きますので、暫しの間ご勘弁を。

 とりあえず今回は、繋ぎに夏場のランチ確保の苦労話でもしておきましょう。実は私は、大分以前から、昼食は弁当にしています。以前は会社の仕出し弁当を注文していましたが、余りにもご飯が不味いので弁当に変えました。もっとも、弁当と言っても自分で作る訳ではありません。仕事柄、朝がメチャクチャ早いので、前日に近所のスーパーで買った弁当を持参しています。
 コンビニ弁当なら早朝でも買えますが、これは食べたくないです。最初はそうでもなかったのですが、毎日こればかりでは、次第に食べ飽きて来ます。どれもこれも、やたらカロリーばかり高い割には、味は大味で。そりゃあ、あんなモンばかり食べていたら、誰でもN君や「スーパーサイズ・ミー」みたいになりますわ。巷の噂によると、味はファミマが最悪で、セブン・イレブンの弁当が一番マシだそうですが、結局どこも大同小異でした。それに、コンビニ弁当の製造工場で働いていた同僚の話によると、例えばオニギリや巻き寿司が消毒臭いのは、手をアルコールでベトベトに消毒して握るからだそうで、そんな話を聞くと、もう食べる気がしなくなります。常温で長期保存できる弁当もありますが、原材料表示を見た途端に食欲が失せました。

 ただそうなると、やはり気になるのが夏場の弁当対策です。私は上記写真のように、出来るだけ梅干の入った弁当を買い、保冷剤や保冷バッグを活用していますが、それでもなかなか。もっと有効な保存法はないものかと、調べたら色々出てきました。ご飯を冷凍させて職場で解凍する、真空の弁当箱に入れる、ワサビ・カラシなどの抗菌作用のあるものを活用する、冷凍ヒジキや冷凍大学芋など保冷剤代わりになるオカズを入れる、等々、結構ありますね。

(参考記事)
・折り詰め弁当の「錦糸玉子」による黄色ブドウ球菌食中毒発生の事例報告(食品安全ネットワーク)                            
 http://d.hatena.ne.jp/kanboku/20061001
・お弁当を朝作れない人の弁当保存方法(教えて!goo)
 http://oshiete.goo.ne.jp/qa/506617.html
・夏場のお弁当(同上)
 http://oshiete.goo.ne.jp/qa/2280348.html
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2010ヒロシマ平和宣言

2010年08月06日 22時26分25秒 | 戦争・改憲よりも平和・人権
平 和 宣 言

「ああ やれんのう、こがあな辛(つら)い目に、なんで遭わにゃあ いけんのかいのう」―――65年前のこの日、ようやくにして生き永らえた被爆者、そして非業の最期を迎えられた多くの御霊(みたま)と共に、改めて「こがあな いびせえこたあ、ほかの誰(だれ)にも あっちゃあいけん」と決意を新たにする8月6日を迎えました。

ヒロシマは、被爆者と市民の力で、また国の内外からの支援により美しい都市として復興し、今や「世界のモデル都市」を、そしてオリンピックの招致を目指しています。地獄の苦悩を乗り越え、平和を愛する諸国民に期待しつつ被爆者が発してきたメッセージは、平和憲法の礎であり、世界の行く手を照らしています。

今年5月に開かれた核不拡散条約再検討会議の成果がその証拠です。全会一致で採択された最終文書には、核兵器廃絶を求める全(すべ)ての締約国の意向を尊重すること、市民社会の声に耳を傾けること、大多数の締約国が期限を区切った核兵器廃絶の取組に賛成していること、核兵器禁止条約を含め新たな法的枠組みの必要なこと等が盛り込まれ、これまでの広島市・長崎市そして、加盟都市が4000を超えた平和市長会議、さらに「ヒロシマ・ナガサキ議定書」に賛同した国内3分の2にも上る自治体の主張こそ、未来を拓(ひら)くために必要であることが確認されました。

核兵器のない未来を願う市民社会の声、良心の叫びが国連に届いたのは、今回、国連事務総長としてこの式典に初めて参列して下さっている潘基文閣下のリーダーシップの成せる業ですし、オバマ大統領率いる米国連邦政府や1200もの都市が加盟する全米市長会議も、大きな影響を与えました。

また、この式典には、70か国以上の政府代表、さらに国際機関の代表、NGOや市民代表が、被爆者やその家族・遺族そして広島市民の気持ちを汲(く)み、参列されています。核保有国としては、これまでロシア、中国等が参列されましたが、今回初めて米国大使や英仏の代表が参列されています。

このように、核兵器廃絶の緊急性は世界に浸透し始めており、大多数の世界市民の声が国際社会を動かす最大の力になりつつあります。

こうした絶好の機会を捉(とら)え、核兵器のない世界を実現するために必要なのは、被爆者の本願をそのまま世界に伝え、被爆者の魂と世界との距離を縮めることです。核兵器廃絶の緊急性に気付かず、人類滅亡が回避されたのは私たちが賢かったからではなく、運が良かっただけだという事実に目を瞑(つぶ)っている人もまだ多いからです。

今こそ、日本国政府の出番です。「核兵器廃絶に向けて先頭に立」つために、まずは、非核三原則の法制化と「核の傘」からの離脱、そして「黒い雨降雨地域」の拡大、並びに高齢化した世界全(すべ)ての被爆者に肌理(きめ)細かく優しい援護策を実現すべきです。

また、内閣総理大臣が、被爆者の願いを真摯(しんし)に受け止め自ら行動してこそ、「核兵器ゼロ」の世界を創(つく)り出し、「ゼロ(0)の発見」に匹敵する人類の新たな一頁を2020年に開くことが可能になります。核保有国の首脳に核兵器廃絶の緊急性を訴え核兵器禁止条約締結の音頭を取る、全(すべ)ての国に核兵器等軍事関連予算の削減を求める等、選択肢は無限です。

私たち市民や都市も行動します。志を同じくする国々、NGO、国連等と協力し、先月末に開催した「2020核廃絶広島会議」で採択した「ヒロシマアピール」に沿って、2020年までの核兵器廃絶のため更に大きなうねりを創(つく)ります。

最後に、被爆65周年の本日、原爆犠牲者の御霊(みたま)に心から哀悼の誠を捧(ささ)げつつ、世界で最も我慢強き人々、すなわち被爆者に、これ以上の忍耐を強いてはならないこと、そして、全(すべ)ての被爆者が「生きていて良かった」と心から喜べる、核兵器のない世界を一日も早く実現することこそ、私たち人類に課せられ、死力を尽して遂行しなくてはならない責務であることをここに宣言します。

2010年(平成22年)8月6日
                    広島市長 秋 葉 忠 利
http://www.city.hiroshima.lg.jp/www/contents/0000000000000/1110537278566/index.html


 まずは、原水爆の犠牲となった被爆者の方のご冥福を祈り、黙祷を捧げます。
 また、今回初めて、米国のルース駐日大使が広島の慰霊式典に参加された事についても、余りにも遅きに失したとは言え、当時の対戦国であり今も核保有国として君臨する、米国における一つの前向きの変化として、歓迎したいと思います。
 その中で唯一残念だったのが、菅首相の記者会見でした。当日の慰霊式典では、さも「核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に向け、日本国憲法を遵守し、非核三原則を堅持する」かのような挨拶を述べながら、同日の記者会見では「核抑止力はわが国に必要」なぞと、挨拶の内容に真っ向から矛盾するような事を平気で言ってのけたのですから、呆れて物が言えませんでした。一体どちらが本心なのでしょうか。これでは、二枚舌を適当に使い分けてきた今までの自民党政権の首相挨拶と、何ら変わりません。
 しかし、現実は、前記の平和宣言にもあるように、「核兵器廃絶の緊急性は世界に浸透し始めており、大多数の世界市民の声が国際社会を動かす最大の力になりつつあ」り、それを米国のオバマ大統領や日本の菅首相も認めざるを得なかったからこそ、その様な「矛盾した事」も言わざるを得なかったのでしょう。そういう意味では、実際に世界を動かしているのは、一握りの核保有国の首脳などではなく、核廃絶を求める世論や市民運動です。そこに確信を持って、核も戦争も差別・抑圧もない世界を目指して行こう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

こんなマスコミならもはや不要だ

2010年08月05日 17時09分07秒 | 一人も自殺者の出ない世の中を
・高齢者不明:100歳以上の所在不明 各地で発覚(毎日新聞)
 http://mainichi.jp/select/jiken/news/20100804k0000m040126000c.html
・100歳以上の所在不明48人に…年金支給6件(読売新聞)
 http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20100805-OYT1T00007.htm

 今頃になって、何を取って付けたような事を言っているのか、行政もマスコミも。本当に高齢者の事が心配なら、下記転載でも明らかな、今のお寒い介護福祉や生活保護の現状を、一刻も早く改めるのが先決だろう。後期高齢者医療制度も、当初の公約通り廃止するのが筋だろう。マスコミも、それに向けてキャンペーンを張るのが筋だろう。
 それが何だ。そういう根幹の矛盾には目を塞いでおきながら、「100歳以上高齢者の所在不明」だけに問題を矮小化した上で、さも大仰に心配しているかの様なポーズでお茶を濁して。それも、どのメディアも「右へ倣え」の後追い報道ばかりで。それもこれも全ては、今回の件を人権問題としてでなく、精々「公務員叩きのネタ」としてしか捉えていないからこそ、こういう報道姿勢になるのだ。
 更に、人の生き死にに関わる生存権保障の問題を、年金不正受給や「税の使い道」の問題に矮小化するに至っては、もう呆れて物も言えない。僅か数年前の記事と比べても、最近のマスコミ報道の劣化ぶりは凄まじい。官邸機密費でマスコミも買収された結果か?

(以下転載:数年前の長文の記事ですが、今でも充分通用する内容です)

【転載希望】「たまゆら」火災の無縁仏ーきずな求め流転人生ー起こるべくして起こった人災(「軍事費削って!5秒に一人、飢餓で命を落とす子ら」ブログより)

●●●琵琶の独り言
3月19日、群馬県の老人ホーム「たまゆら」で10人の老人が焼死してから約1ヵ月がたった。当時こそ騒がれたが、今は、再び付近は静寂を取り戻した。

しかし、この事件はまさに起こるべくして起こった政治災害であり、関係自治体、わけても、都内の老人ホームの設置をおこたり、群馬・埼玉・千葉・茨城・神奈川・山梨などの周辺県に千人にものぼる孤独な老人たちを押し付けてきた都の責任は大きい。

時あたかも、今日14日、東京オリンピック誘致のための調査団が到着した。
それを迎える満面の石原東京都知事の顔は、自己の権力維持のため、民生を顧みない金正日の顔とだぶって見える。

以下、関係自治体の東京都墨田区の公式見解と、朝日新聞コラム、毎日新聞、しんぶん赤旗の記事の4本の資料を提供する。

経済大国2位どころか、福祉後進国日本の現状を直視するための資料として活用されたい。

【資料1-東京都墨田区公式ブログ2009年3月24日 掲載】
群馬県渋川市の「静養ホームたまゆら」火災についてー(見よこの冷たさを!)
1 経緯
  群馬県渋川市にある高齢者向け住宅「静養ホームたまゆら」で平成21年3月19日夜に7名が死亡する火災が発生しました。さらに21日には火災による火傷で入院中の方3名が死亡され、犠牲者の数は10名となりました。
  同施設には、墨田区福祉事務所の紹介で15名の方が入所されており、火災により6名の方の死亡が確認されています。―中略
5 今後の対応
  亡くなった方への対応に万全を尽くしています。(親族との連絡、ご遺体の引取り等)
  現在、無事が確認されている方7名の受入れ施設について、関係機関と協議を進めています。区としては今後の対応として、安心して生活することが可能な施設への転居を進めてまいります。


【資料2―朝日新聞コラムー2009/03/21 12:01】
東郷 幹夫の思いつくまま日記
『起こるべくして起こった事件』
この建物には高齢者や生活保護者で、身体不自由者が入居していたことが、被害を大きくした。このような形で人生の最後を迎えざるを得なかった7人の人々の無念さを思い、遺憾の意を表するとともに、ご冥福を祈るものである。

ただこの事件は起こるべくして起こったという側面を持っている。
●東京都墨田区は、入所先が見つからない生活保護受給者を、「たまゆら」に紹介するなど、「たまゆら」は都内の自治体の受け皿になっていたそうである。紹介するからには、紹介者側の東京都は、「たまゆら」の実情を把握していたはずである。

それならば、それなりに東京都から「たあゆら」に改善勧告を行うべきであった。入所者を紹介したからには、責任がある。東京都は2016年の東京五輪招致の運動費に55億円を計上し、すでにその多くを消費したと思われる。さらに東京五輪開催が決定すれば、何千億円もの金が消費される。

石原都知事の良識を疑う。それだけの金があれば福祉関係に回し、都の受け皿となっている他府県の老人施設を援助すべきであった。


【資料3―毎日新聞 2009年4月12日 東京朝刊】
ニッポン密着:
「たまゆら」火災の無縁仏
 きずな求め流転人生
 身寄りのない生活保護受給者の処遇を巡る課題を突きつけた群馬県渋川市の老人施設「静養ホームたまゆら」の火災。10人の犠牲者のうち確認できなかった4人の身元が分かったのは4月2日だった。その一人、久保田文雄さん(55)。遺体は生活保護費を支給していた東京都墨田区が引き取った。

■ことば ◇生活保護受給者の移管手続き
 生活保護は、居住地の自治体が費用の一部を負担し、保護に責任を持つ「居住地保護」の原則がある。東京都内の自治体から受給していた人を都外に転居させる場合、転居先の自治体と協議して保護の管轄を移す移管手続きが必要。

しかし、転居先の自治体に「保護費」として、新たな財政負担が生じるのがネックとなり、転居後も都内自治体が保護費の支給を続け、地元自治体が居住を把握していないケースが増えている。都内だけで今年1月1日現在約1000人(本紙調べ)いる。

【資料4―2009年4月7日(火)「しんぶん赤旗」】
特集ワイド:「たまゆら」火災の深層
 行き場を失った、
時代の犠牲者

●一時避難した人も、また戻って変わらぬ生活を送る
 東京から北上し、赤城山のすそ野に老人施設「静養ホームたまゆら」(群馬県渋川市)はある。3月の火災で10人が犠牲となった。多くは身寄りもなく、異郷で暮らした。赤城の山から関東平野に吹き付ける空っ風は、お年寄りにとってことさら強く、冷たかったのではないだろうか。【鈴木梢】

●自分の土地離れても空きベッドがあるならすがってしまうんです--認知症介護を経験、タレント・荒木由美子さん

 北の玄関口、上野駅で長野新幹線「あさま」に乗り込んだ。高層ビルが林立するコンクリートの街を抜け、高い山の峰が幾重にも連なる風景が見えてきた。群馬県境を越えたと気付いた。妙義山、榛名山、噴煙を細くたなびかせる浅間山の遠景も見えた。高崎駅で在来線「草津号」に乗り換えると、車内は温泉客の陽気な笑い声が響いていた。

東京から「たまゆら」の最寄り、渋川駅まで2時間。都会から山里へと移ろう車窓の景色をどんな気持ちで眺めていたのか。火災で犠牲になった10人のうち6人は東京都墨田区から紹介され、三鷹市と横浜市から来た人もいたという。

 電車を降り、渋川市街を抜け利根川を渡ると、「赤城山」の道標がある。ネギ畑が点在する山道の途中には「福祉の里まちづくり」と書かれた看板が立っていた。畑で種まき作業をしていた近所の男性(75)に、「たまゆら」までの道を尋ねた。男性は自身で母親を介護した7年間を振り返り、嘆いた。

 「あそこはうばすて山だもの、そうだんべ。年寄りの面倒を見なくなったってこと、困ったらほれほれって預けてしまうんだもの。シャバが悪くなった、シャバって社会よ、社会。物は豊かになったけど、心は貧しくなった」。施設との近所付き合いはなかったという。

 今村昌平監督が深沢七郎の小説「楢山節考」を映画化したのは83年だった。山に囲まれた信州の貧しい寒村の因習で、山に捨てられる老母とその息子の心の葛藤(かっとう)を描いた。70歳を迎えた老母が息子に背負われ、捨てられることを知りながら山道を登るシーンは、日本映画史に残る名場面とされる。

■火災現場では、焼け跡を覆うブルーシートが山から吹き付ける冷たい風にはためいていた。焦げた布団や車椅子が置き去りになり、焼けたにおいが鼻をつく。火災当時の入所者は16人。助かった6人のうち4人は東京から送られて来た。一時は別の施設に避難したものの、ここに戻るしかなかった。仲間が犠牲となった施設の敷地で、火災前と変わらぬ毎日を送っていた。

 現場から数十メートル離れたプレハブの事務所で、「たまゆら」を運営する特定非営利活動法人「彩経会」の高桑五郎理事長(84)が机に向かっていた。「特養(特別養護老人ホーム)からあふれた障害者や身寄りのない方がたくさんいる」。

火災前の「たまゆら」には認知症の高齢者のほか、脳梗塞(こうそく)の後遺症や精神障害のある人も暮らしていた。義足やほぼ全盲で手助けがないと生活できない人もいたという。

 認知症のしゅうとめを20年間介護したタレントの荒木由美子さん(49)は、テレビのニュースで火災を知った。新聞には連日、「ずさん運営」「無届け施設」の見出しが並んだ。

荒木さんは「亡くなられた入所者の方々は、時代の犠牲者ではないか」と衝撃を受けたという。思い浮かべたのは、介護施設満床で行き場を失った高齢者の姿だった。

 介護の講演のため全国を訪れる荒木さんは、家族だけでは担いきれない介護の窮状に直面している。
 「火災で命を失うなんて、とても悲しいことです。けれども、住んでいる土地を離れても、認可や届け出がなくても施設に入れてほしいと願う人もたくさんいるんです。みなさんベッドが空いていると聞いただけで、すがるように施設に行く。

施設入所の待機者が膨れ上がり、お国のお墨付きを待っているような実情ではない。この惨事は、重要な問題提起ではないでしょうか」

 映画「楢山節考」は信濃の古い因習を描いた。今、豊かになったこの国で「覚悟を決めて息子に背負われた老母」を救う場所さえない。

 「日本の福祉の根底にどんな問題があるのか。命を粗末にしないよう、家族の切実な声をくんで、考えてほしい」と荒木さんは訴える。

 今回亡くなった6人の連絡先は「東京都墨田区福祉事務所」。いずれも生活保護を受けていた。東京都の昨年1月の調査では、生活保護を受けている高齢者約500人が近隣の施設に移り住んでいる。

 06年1月に7人が犠牲になった長崎県大村市のグループホーム火災での取材が思い起こされた。海を望む高台の施設は出火当時、当直が「たまゆら」と同じ1人体制で、消火活動が難航した。その後、スプリンクラーの設置義務など福祉施設に対する規制が強化された。

 しかし、「たまゆら」は行政の網の目からもれた無届け施設だった。渋川市内の老人施設の責任者は「スプリンクラーのための資金が用意できる施設がどれほどあるのか。無届けが多い理由はそこにもある」と指摘した。

 介護保険制度が始まった00年、福祉経営は民間に開放された。財政的裏づけを得て、99年に303カ所だった有料老人ホームは今年4000カ所を超えた。

厚生労働省のまとめでは、老人福祉法に基づく届けがない施設は全国579カ所に上る。

■現場の焼け跡に入所者の男性がひとり、サンダルばきでふらりと近づいてきた。「仲間が1人、ここで亡くなったんだ」と、献花台で手を合わせ、ブルーシートをめくり中をのぞき込んだ。声を掛けてみたが、その答えは見当外れで、話はかみ合わなかった。

 献花台には和紙のカードが置かれていた。

 「深井隆次様 S6年3月25日生まれ 祝78歳 これからも深井さんの踊りを見せて、みなさんを楽しませてくださいね」。これを書いた介護士を訪ねた。「知らない土地で不安だったんでしょう。時々情緒が乱れ、ここが東京だと勘違いしていることはありました」。墨田区の紹介で来た深井さんの口から幼いころの思い出は聞かれたが、家族の話はなかったという。

 無残に黒く焦げた建物は、福祉を置き去りにした高齢化社会のひずみをあぶり出している。生活保護を受ける犠牲者は無言の帰宅さえ、かなわなかった。この日、現場の里山には東京から9日遅れてサクラの開花宣言が出された。

●「特集ワイド」へご意見、ご感想を
t.yukan@mbx.mainichi.co.jp
ファクス03・3212・0279
 http://blogs.yahoo.co.jp/biwalakesix/14772928.html
コメント (7)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする