アフガン・イラク・北朝鮮と日本

黙って野垂れ死ぬな やられたらやり返せ 万国のプレカリアート団結せよ!

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 アフガン・イラク戦争も金正日もNO!!搾取・抑圧のない世界を目指して、万国のプレカリアート団結せよ!

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コンビニの外国人店員に勝手にクレジット払いにされてしまった

2023年09月27日 09時20分32秒 | 身辺雑記・ちょいまじ鉄ネタ
 
少し前の話になりますが、これも私が実際に体験した事なのでブログに書いておきます。大阪市内のファミリーマートで買い物した時の話です。そのファミリーマートはウインズ(場外馬券売り場)の近くにあります。ウインズに近いので競馬開催日には私もよく立ち寄ります。いつも、そこでアイスコーヒーとシュークリームを買い、イートインコーナーでシュークリームを食べながら、予想紙を広げて競馬予想するのが、私のささやかな楽しみの一つです。
 
その日も、私は競馬予想のお供に、アイスコーヒーとシュークリームを買いました。商品代金はいつも現金払いですが、ポイント付けてもらう為にTポイントカードをレジ前のカードリーダーに挿入します。その日もポイントを付けてもらおうと店員にカードを提示したら、店員の方でカードを取り込んでしまい、勝手にクレジット払いにされてしまいました。
 
この店では以前から外国人の店員が、カードを挿入したらいつもクレジット払いにしようとします。その都度、「現金払いで良いよ」と言って事前に訂正させて事なきを得るのですが、その時は訂正が間に合わず、本当にクレジット払いにされてしまいました。私が幾ら「現金払いに戻してくれ」と言っても埒(らち)が明かず。たかだか300円前後の買い物の支払いの為に、言葉の通じない外国人のバイト相手に、またイチから説明するのも面倒だったので、もうカード払いのまま店を出ましたが。
 
どうしても納得がいかなかったので、ファミリーマート本社に苦情のメールを送りました。「ポイント付与のみ希望の客もいるのに、カードを機器に挿入したら全てクレジット払いだと、勝手に決めつけるのは止めて欲しい」と。そうしたら当該店の店長からお詫びのメールが来ました。「今後は店員教育をちゃんとする」と。
 
 
下記が店長からのお詫びメールの全文です。
 
ロロ ロロ様
2023年9月6日
 
 拝復 平素は、格別のお引き立てを賜り誠にありがとうございます。
 私は、ファミリーマート〇〇店、店長の△△と申します。
 この度は、当店舗へご来店頂いたにも関わらず、スタッフのオペレーションミスによりロロ様にご不快な思いをさせてしまい誠に申し訳ございませんでした。
 スタッフは、ロロ様へクレジット払いかどうかも確認することなく、勝手な判断でクレジット払いにしてしまったことは、完全にオペレーションミスであります。
 これは、私の教育不足であり、誠に申し訳ございません。
 該当スタッフへは、商品のお支払方法は都度、どのお支払方法か確認すること、特にカード、携帯をお出しになる方へはよく確認するように指導し再発防止に努めて参ります。
 本当に申し訳ございませんでした。
 最後にロロ様の益々のご健勝をお祈り申し上げメールにてお返事させて頂きます。
 
 敬具
 ファミリーマート〇〇店 店長△△
 
私は最初このお詫びメールを読んで喜びました。ここまで丁寧なメールでお返事してくれるなら、もう安心だろうと。でも、その安心もぬか喜びに終わりました。何故なら、その店長はその後も一向に店に現れず、カタコトの日本語しか喋れない外国人店員だけが会計していたからです。多分、店長と言っても個店の店長ではなく、いくつか複数の店の店長を掛け持ちしているのでしょう。フランチャイズチェーンではよくある話です。そんな店で、また一方的にカードを取り込まれ、勝手にクレジット払いにされたら…そう思うと、もう、その店で買い物する気になれなくなりました。
 
私の自宅の近所にもファミリーマートがあり、日本人の店員がいます。私はその日本人の店員に、先日、同じファミマの店で、外国人の店員と、商品代金の支払い方法を巡りトラブルになった事を言いました。すると、その日本人の店員も「外国人の店員にも最低限の教育は行っているが、言葉の壁もあるので、教えられる内容には限界がある。基本的なマニュアルについては教える事が出来ても、ケースバイケースの細かな対応までは教えられない。お手紙に書かれたような細かな内容については、日本人の店員に頼まないと無理だ」と仰っていました。
 
その店はウインズの近くにあり、非常に便利なのですが、もうそこで買い物するのは止めようかと思っています。買い物するたびに、前述のような目に遭ってはかないませんから。もし買い物する場合でも、もうカードは一切提示しないようにしようと思います。コンビニのカードはスーパーのカードとは違い、ごくわずかなポイントしか付きません。これが普通のスーパーなら、ある程度買い物したらポイントが溜まり、次からはポイント払いと併用で買い物が出来るのですが、コンビニのカードは、幾ら買っても、ごくわずかのポイントしか付きません。並べている商品の数や種類も、スーパーの方が圧倒的に多いので、予想紙以外はなるべくスーパーで買い物するようにしています。
 
以上の話を知り合いにしたら、「低賃金が諸悪の根源だ」と言われました。コンビニの仕事は、時給が安い割にはやる事が多過ぎると。たかだか時給千円程度の安い賃金で、レジ打ちだけでなく公共料金の支払い対応から、郵便・宅配の取次、商品の発注・補充、おでんや唐揚げの調理、果てはウーバーや出前館などのデリバリーの対応まで、こなさなければならないのですから。余りにも分が悪すぎます。
 
「そんな日本人がやりたがらない仕事、外国人でも敬遠する」と。最初は日本の国内事情に疎く、「仕事に就けるだけでも有難い」と思っていた外国人でも、他にもっと分の良い仕事が幾らでもあると分かったら、そちらにどんどん流れていきます。かくして、そんな分の悪い仕事に留まっているのは、外国人の中でも日本語が喋れず、日本の事情にも疎い、「格下」の外国人ばかりになってしまうのです。
 
私の職場も実状は同じです。最低賃金ギリギリの時給しか出せないので、バイトを募集してもなかなか集まらない。その分の穴埋めは派遣会社に頼らざるを得ない。それではどうしても、高齢者か外国人しか集まらなくなる。勿論、高齢者や外国人の中でも仕事の出来る人はいます。しかし、そんなツブシのきくような人は、他にも転職口があるので、条件の良い求人が見つかれば、辞めてそちらにどんどん流れてしまう。
 
最近になって私の職場でも外国人の正社員が配属されるようになりました。外国人労働者の中でも、「特定技能」の資格を持つ人には正社員で採用されるケースが増えて来ました。しかし、私の職場の場合は「特定技能」と言っても通訳です。日本語が分かる外国人を通訳として採用し、他の外国人の教育係として配置しているのです。
 
しかし、そんな事するぐらいなら、既に在籍するベテラン従業員に、その外国人の国の言葉を教え、通訳として配置した方が、理にかなっていると思うのですが…。少なくとも、仕事に関しては、新人の外国人社員よりはベテランの日本人社員の方が、よっぽど仕事に精通しているのだから。そのベテランに外国語を教える手間を惜しんで、同じ国の人間に外国人の面倒見させた方が楽だし、安い時給で雇えるからと、会社は考えているのでしょうか?もしそうなら、そんな安直な考えで外国人を雇うから、何でもカード払いにしてしまう先のコンビニ外国人店員みたいなバイトばかりになってしまうのです。
 
ひょっとしたら、日本の企業は、外国人を安い給料で雇いながら、仕事だけは責任もってやってもらおうとしているのでしょうか?そんな虫の良い話が通用する訳がなく。逆に通訳係を別に雇わなければならなくなったり、客離れを引き起こしているのですから、本末転倒も甚だしいと言わざるを得ません。単に、物価高対策だけでなく、お客が安心してコンビニで買い物できるようにする為にも、今や賃上げは待った無しです。
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下請け搾取に胡坐をかく労働貴族に鉄槌を!

2023年09月23日 12時45分41秒 | 貧乏人搾取の上に胡坐をかくな

昨夜(9月22日)放送のNHK「かんさい熱視線」は非常に見ごたえがありました。番組では物流業界の「2024年問題」を取り上げていました。来年の2024年4月からドライバーの残業規制が強化されます。残業時間の年間960時間上限規制が新たに設けられ、拘束時間の上限規制も年間3516時間から3300時間に短縮されます。この「2024年問題」に対応する為に、運送便のドライバーは途中で休憩を取らなければならなくなりました。しかし、大型トラックの駐車出来るパーキングエリアには限りがあります。おまけに渋滞に巻き込まれたりして、拘束時間は逆に長くなってしまいます。

他方で、運送会社は荷主に頭が上がらない上、何重にも下請けを抱えているので、下に行けば行くほど労働時間は増え、給料は逆に安くなります。そんな「踏んだり蹴ったり」の状態なので、幾らドライバーを募集しても人が集まりません。もはや、どこの運送会社も中高年のドライバーばかりになってしまいました。人手不足と長時間労働の悪循環です。そのうちに、幾ら荷物を発注しても届かない日が来るかも知れません。

勿論、運送会社も手をこまねいている訳ではありません。荷主と交渉して運賃を上げてもらったり、荷受け時間を予約できるようにして無駄な待ち時間をなくすように努力しています。しかし、立場の弱い運送会社に出来る事には限りがあります。消費者も、いたずらに商品の鮮度や値段の安さばかりを追い求めるのではなく、ドライバーの労働条件改善の為に何が出来るか考えるべきではないでしょうか・・・大体そのような放送内容でした。

私も、身をつまされる想いで、この番組を観ました。この番組で言っている事は全て本当です。ドライバーだけでなく、荷物を仕分けしてトラックの積み下ろしを手伝う私たち物流業界の会社も、幾ら人を募集しても全然来ません。私たちも荷主には頭が上がらないので、賃金も最低賃金ギリギリの安い給料に抑えられたままです。こんな所に日本人の若者はほとんど来ません。従業員の多くは高齢者と外国人ばかりになってしまいました。

これは一体誰が悪いのでしょうか?私たちが仕事をサボっているからでしょうか?違うでしょう。下請けが何も言えないのを良い事に、労働者や中小企業の立場をどんどん弱めて、「規制緩和」や「グローバリゼーション」の名の下に、無理な価格競争や労働ダンピング(労働力の安売り)を推し進めてきた政府・財界、資本主義万能論に立つ自民・公明与党や維新の会、国民民主党などの「御用野党」の連中でしょうが!

「残業規制で逆にドライバーは拘束時間が長くなった」と番組は言います。確かに現象面だけで見ればその通りです。では残業規制をしなくなったらどうなります?過労死するドライバーが続出し、無理な運転で交通事故も激増しますよ。今まで残業規制がなかった事自体が異常なのです。ようやく始まった残業規制も上限が年間960時間。月に換算すると80時間。過労死ラインぎりぎりじゃないですか!

これはもはや人権問題です。それを「コスト」、つまり「カネ勘定」の問題としか捉えていないから、「労働時間短縮のコストをどこかでひねり出さないといけない」という発想になってしまうのです。確かに「ひねり出す」努力は必要です。しかし「ひねり出せない限り、過労死に甘んじなければならない」という発想自体がそもそも間違っています。「ひねり出せない」なら「出せる」ようにするのが、政府や政治家、労働組合の仕事です。

そう考えれば、やり方は幾らでもあります。独占禁止法や公正取引法を改正して不当なダンピング競争を規制する。労働基準法の骨抜きを止めて残業規制を強める。最低賃金法を改正して最低賃金を大幅に引き上げる。防衛費や海外援助のバラマキにばかり税金を垂れ流すのではなく、中小企業を支援して、労働者にまともな賃金と労働条件を保障できるようにする。そうすれば人なんて幾らでも集まります。わざわざ言葉の通じない外国人を雇う必要もありません。今のままでは外国人も、労働時間ばかり長くて給料は安い日本に愛想を尽かして、よその国に行ってしまいますよ。現に、そうなりつつあるじゃないですか。

人手不足に悩まされているのは、何もトラックのドライバーだけではありません。大阪府富田林市の近郊で路線バスを運行する金剛バスが事業からの撤退を決めたのも、赤字経営だけでなく、バス運転手が確保できなくなったからです。赤字とは言え、まだそこそこ通勤・通学の需要はあるのに。他に並行する鉄道やバス路線もないのに、バスがなくなったら一体どうやって通勤すれば良いのでしょうか?皆が皆、マイカーを所有している訳ではありません。それに、マイカーにばかりに頼っていたら、交通渋滞は更に激しくなるし、排気ガスで更に地球温暖化も酷くなります。

私の勤務先も某スーパーの物流センターです。私はそこの下請け会社で契約社員として働いています。その物流センターにも某スーパーの労働組合があります。社員食堂の横には組合の掲示板もあります。その掲示板に定期大会の議案書が吊るしてありました。その議案書によると、今期のテーマは「現状打破」なのだそうです。

私はこれを見て呆れました。「何て抽象的なテーマなんだろうか!」と。私の職場の状況は今まで書いた通りです。人手不足に長時間労働、低賃金・・・今すぐにでも取り組まなければならない課題が山積しています。それを認識していたら、こんな「抽象的」で「中身スカスカ」の「ポエム」にうつつを抜かしている暇なぞないはずです。もっと具体的な要求課題を掲げるはずです。

おそらく、この組合幹部には現状が見えていないのでしょう。又は見えていても知ろうとしないのでしょう。自分たち大企業正社員の、組合幹部の利益さえ守れればそれで良いと。この労働組合も連合(日本労働組合総連合会)やUAゼンセン(商業労働者の組合で作る連合体)に加盟し、国民民主党を応援しています。先日、国民民主党の元・副代表の矢田雅子が岸田内閣の政務官に抜擢された事が話題になりました。国民民主党の玉木代表が最近とかく政府寄りの発言を繰り返しているのも、こういう事が背景にあるのでしょう。

こんな「御用組合」なら不要です。こんな「労働者の敵」を休ませる為に、こいつらが休んでいる盆や正月も、私たちは休みもなく働かなければならないのです。政府の言う「働き方改革」は、こいつらだけが対象なのでしょうか?違うでしょう。下請けも含めて、全ての労働者に、人間らしい労働条件と、別に残業しなくても食べていける賃金を保障するのが、本当の「働き方改革」ではないのですか!

先月、西武そごうの労働組合がストライキを打ちました。親会社のセブン・アイ・ホールディングスが東京・池袋の西武百貨店を一方的に外資に売却し、それを買い取ったヨドバシカメラに売り場を占拠されるのを嫌って。勿論、赤字だからと言って、勝手に百貨店を外資に叩き売り、労働者を路頭に迷わせるような事があってはなりません。しかし、それに反発してストを打った西武そごうの労働組合も、「量販店のヨドバシと一緒にされては堪らない」という気持ちがあったからではないでしょうか?

その「ヨドバシ」を「下請け」に置き換えたら、もう「下請け差別」そのものじゃないですか。労働者が資本家の横暴と闘う時は、全ての労働者が一致団結して闘わなければ勝てないのに。同じ労働者同士で「量販店だから」「下請けだから」と反目し合って一体どうするのですか?

ところが、私の勤務先の労組掲示板には、西武そごう労働組合のストライキに対する連帯表明すら掲示されていませんでした。議案書以外に掲示されていたのは共済や旅行の割引サービスの案内だけでした。これではただの互助会です。健保組合などと同じ、ただの正社員互助会。同じ労働者なのに、自分たち大企業正社員の利益さえ守ればそれで良いのか?大企業と一緒になって、下請け搾取に胡坐をかくだけの労働組合なら、もはや「百害あって一利なし」です。下請け搾取に胡座をかく労働貴族に鉄槌を!

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年金も支給せず介護保険料も勝手に滞納扱い

2023年09月20日 20時13分00秒 | 当ブログと私の生い立ち
 
今年8月分に支給されるはずの厚生年金が支給されていなかった事が分かりました。通常なら今年も偶数月に支給されていなければならない年金が、6月を最後に支給がされず、8月分が銀行口座に振り込まれていませんでした。
 
これが給与の未払いなら、たちまち生活に支障を来たすので、給与支給日に給与が振り込まれていなければ、速攻で会社にクレームを入れるのですが、年金が支給されなくても当座は給与だけで食べていけるし、年金の事なぞ普段余り意識する事がないので、支給されていない事に今まで気付きませんでした。
 
8月に支給されていなくても、「あれ、給与はちゃんと振り込まれているのに年金はまだ振り込まれていない?ひょっとしたら来月の振り込みかな?」てな具合で、別に深く気には留めませんでした。でも、2ヶ月たっても振り込まれなければ、さすがにおかしいと気付きます。そこで、昨日の仕事帰りに、管轄の年金事務所に立ち寄って、未支給の原因について調べてもらいました。その結果、次の事実が判明しました。
 
私は数年前に親父と喧嘩して実家を飛び出し、一人暮らしを始めました。その為に、親父に今の住所が知られるのが嫌で、今も住民票は実家に置いたままにしています。そして、実家を出た後も、西成区のホテル住まいから近くの賃貸へ、そこからまた住之江区の今の賃貸というように、何度か転居を繰り返しています。
 
その中で、私も満65歳になり、基礎年金に加え老齢年金も支給されるようになりました。しかし、実際に年金を受け取れるようになるには、自宅に届いた年金請求書に、年金繰り下げの有無を記入して、年金機構に返送しなければなりません。「年金繰り下げ」とは、年金の支給開始年齢を後にずらす事です。満75歳までずらす事が出来ます。その反対に、年金支給年齢を満60歳まで前倒しするのが「年金繰り上げ」です。(上の画像がその年金請求書のサンプルです)
 
ところが私は、住民票を実家に置いたままにしているので、転居するたびに、住所変更届を年金事務所に出さなければなりません。私も最初はそうしていたみたいです。ところが、転居を繰り返すうちに、住所変更届の事はすっかり忘れてしまっていました。会社に出す住所変更届の方は、通勤手当支給の関係もあるので、こまめに出していましたが、年金なんて普段は余り意識しない為に、住所変更届の提出を忘れてしまっていたのです。
 
今の住所に移り住む前に住んでいたのは西成のあいりん地区です。あそこは人の出入りも激しい地域で、宛先不明の郵便物が届いても、きちんと郵便局に届け出る人ばかりではありません。西成に届いた年金請求書も、新しい住民によって、そのままゴミ箱に捨てられてしまったのでしょう。年金請求書の「繰下げを希望しない」欄にチェックを入れてを選んで返送しなければ、「繰り下げ待ち」扱いにされ、以後の年金支給がストップしてしまう仕組みになっていたのです。
 
確かに、これは私のミスです。しかし私にも言い分があります。年金を受け取るのは「お恵み」でも何でもありません。正当な権利です。その為に、今まで厚生年金保険料も払ってきたのです。だったら、受け取る権利がある人全員に、何もしなくても自動的に受け取れるようにするのが筋でしょう。そうであるにも関わらず、何故、自分の方から改めて請求しなければ受け取れないような仕組みに、わざわざしたのか?そんな面倒な事したら、私のように、請求手続きするのを忘れてしまう人たちが他にも大勢出てしまいます。
 
しかも、大多数の人が希望するはずの「自動継続」ではなく、例外措置に過ぎない「繰上げ」や「繰下げ」を基準にして、それも国にとって都合の良い「繰下げ」を基準にして、「繰下げを希望しない」を選んで返送しなければ支給を停止してしまうなんて。それでなくても、年金事務は煩雑で、「消えた年金」問題で過去あれだけ大騒ぎしたのに、わざわざ、それに輪をかけるような事してどうするのか?そこまでしてまで年金を支給したくないのか。国民の生活を保障するのが国の仕事なのに。
 
 
それでも、年金支給が停止されていた事が早めに分かったので、まだ良かったです。私は年金事務所で住所変更届を提出したので、未支給の年金も後日に支給される様になりました。但し、次の10月支給にはもう間に合わないので、2回後の12月に、8月・10月・12月の3回分をまとめて受け取る事になります。(上の画像が、その時に年金事務所からもらった受付控え)
 
私の場合はそれに加えて、昔1年間だけ私立高校で社会科の講師をやっていた事があるので、厚生年金以外に、私学共済の年金も受給しています。しかし、こちらも8月から支給されなくなっていました。たった1年間の講師生活の共済年金なので、わずか数千円の支給額ですが、それでも年間に換算すると数万円になります。
 
こちらは、私の方から今朝、私学振興事業団の共済業務課に電話して、転居届と年金請求書を現住所に送ってもらう事になりました。これらの書類が届き次第、今の住所への変更届と、「繰下げを希望しない」を選択した請求書を先方に返送して、手続きが済み次第、未支給の年金が振り込まれる事になります。
 
 
年金制度がややこしいのは、これだけではありません。実は介護保険料の支払い方法も、満65歳を境に変わります。それまでは健康保険料などの他の社会保険料と同様に、給与から自動的に引き落としされていたのが、以後は住民票の住所地の役場(私の場合で言えば実家のある市町村の役場)に、わざわざ自分の方から払いに行かなければならないのです。数年後には年金から自動的に引き落とされるようになるそうですが、今はまだその準備が整っていないので、市町村から数ヶ月おきに送られて来る「介護保険料支払い督促状」を添えて、コンビニの窓口で支払う事になります。(上の画像が、その時に市役所から届いた介護保険料支払い督促状)
 
それでもまだ、年金支給の遅れについては、住所変更届を出し忘れた自分のミスもあるので、まだ一定「仕方ないな」と思う面はあります。でも、介護保険料まで督促状で支払わなければならない事については、絶対に納得できません。国や役所の都合で、勝手に支払い方法を変更しておきながら、何故、一方的に「滞納者」扱いされなければならないのか?しかも、通常なら介護保険料の支払いだけで済むのに、督促状だとその分の「督促」手数料や「延滞」利息まで払わなければならない。それに反発して支払いをボイコットしようものなら、介護保険サービスも受けられなくなり、最悪、財産まで差し押さえられてしまう。これではまるで「犯罪者」扱いではないか。
 
この年金支給や介護保険料支払いのトラブルから透けて見える事があります。それは、国民の権利が一応は法律で保障されているような体裁を取りながら、いざ権利を行使しようとしたら、自分からわざわざ申請しなければいけなかったり、その申請手続きがことのほか煩雑で、申請方法も勝手にコロコロ変えたり、申請できる人たちの範囲を狭めたりして、権利保障を単なる「お飾り」や「絵に描いた餅」に留めようとする国や行政の姿勢です。
 
それは何も年金や介護だけに限った話ではありません。生活保護がその「お飾り」の最たる例です。憲法や法律には「誰でも健康で文化的な最低限度の生活を送る権利がある」と謳いながら、いざ生活保護を受けようと役所の窓口に行くと、「まだ働けるだろう」とか「親に養ってもらえ」と言って追い返される。いわゆる「水際(みずぎわ)作戦」で、生活保護の申請をさせないようにしている。それを潜り抜けて、ようやく保護費を受給できたとしても、役所と裏で結託した貧困ビジネスの家主によって、生活保護費の大半を巻き上げられ、そこから抜け出せないようになっている。こんな事例が横行しています。
 
「働き方改革」の問題でもそうです。「流通業界で働く労働者の長時間労働を是正する」と言いながら、大スーパー正社員の休日だけ増やして、その分の負担は全て下請けの社員やバイトにしわ寄せ。労働組合に加入する大スーパー正社員の声だけ聞くふり。大多数の下請け労働者は、たとえ同じ物流センターで働いていても、所属会社も勤務場所も、勤務時間も仕事内容も、時給も身分も千差万別。こんな状態では労働者の団結なんて到底無理です。それを分かった上で、「組合も作らず、声を上げない奴らが悪い」と知らんふり。
 
私も、今の年金制度のままで良いとは思っていません。どうあがいても、今後日本は、少子高齢化で人口が減少していくのだから、現役世代の保険料で高齢者の年金生活を支える今の仕組みのままでは、早晩行き詰ってしまうのは目に見えています。しかし、だからと言って、こんな人の無知や錯誤(勘違い)に付け込んだり、自分達で勝手に制度をいじくりながら、それに対応できない人を一方的に「滞納者」「犯罪者」扱いするようなやり方が、通用して良いはずはありません。
 
本当は、こんなプライベートな事なぞブログに書きたくありませんでした。自分の年齢が分かってしまうのでw。でも、黙っていたら、いつまでもこんな道理のない事がまかり通るようになってしまいます。いずれも、実際にその場で当事者にならないと分からなかった事ばかりです。そこで、恥を忍んで、敢えてブログに公開する事にしました。
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魚は缶詰、野菜は味噌汁で取れば良い

2023年09月15日 20時26分31秒 | なにわB級グルメ探訪
昨夜の夕食。いつも安い肉系のおかずばっかりだったので今日は魚系のおかずに。私は肉より魚の方が好きなのですが、魚は割高なので、ついつい肉系の、しかもキッチンには冷凍室も野菜室もない小さな冷蔵庫しかないので、どうしてもハム・ソーセージや餃子などの加工肉中心のおかずになりがちです。
 
それではいけないと思い、今日はストックに買いだめしていた鯖水煮缶を開け、大根おろしをかけて食べる事にしました。副菜は、前日と同じオクラとブナシメジの味噌汁に、大根おろしの切れ端を入れて。
 
味噌汁には他に乾燥揚げと天かすを入れます。これを入れる事で、オクラのネバネバと天かすの油が相乗効果を発揮して、より円やかな味になります。今まで、味噌汁に天かすなんて入れるのは邪道だと思っていましたが、それが間違いである事が分かりました。
 
そして、鯖缶と味噌汁のどちらにも大阪府産の薬味葱を掛けました。地元産の葱なのでナショナルブランドの葱より2日日持ちがします。それに加え、今日は久しぶりに納豆をご飯に掛けました。わさび風味の納豆です。山葵の風味がきいて非常に美味しかったです。
 
今日は、普段は滅多に目にしないほうれん草の少量パックも売っていたので、トマ玉炒め用のトマトと一緒に買って来ました。だが、冷蔵庫には野菜室がないので、野菜の痛みが早いのが玉に瑕(きず)。その為に、今までも野菜は濡れ新聞紙に包んで保存する等、それなりの工夫はして来ました。その中で、もっと良い方法を思い付きました。
 
ワンドアタイプの古い冷蔵庫なので製氷室から水滴がしたたり落ちて来ます。その水滴を利用する事にしました。霜取り用のウレタンシートを製氷室の下に敷き、その上にほうれん草とトマトを置く事にしました。即席の野菜室の完成です。使うのはウレタンシートなので、ほうれん草を包む新聞紙を替える手間が省けます。
 
玉葱・馬鈴薯も、スーパーで買った時のビニール袋に入れたままでは、痛みが早くなるので、袋から出して、床に置いた三角コーナーに入れて保存します。網目の三角コーナーだから風通しが良く、玉葱等の痛みも大分防ぐ事が出来ます。三角コーナーに入れているので、床に直置きした時の様に、玉葱等がキッチン横の三和土(たたき=玄関先)に転がり落ちる事もありません。
 
栄養は缶詰と味噌汁から摂るようにしています。どちらも保存がきくし、調理も簡単なので、魚系のおかずは大抵これで調達します。これは知人のアドバイスと料理本の記述を参考にしました。
 
ついでに久しぶりに冷蔵庫の棚卸しをしました。やはりたまには棚卸しも必要です。棚卸しして初めて、前日に使った胡瓜がまだ余っていた事と、まだ日持ちすると思っていた塩蔵ワカメの賞味期限がとっくに切れていた事に気が付きました。
 
この二つは最優先で処理しなければなりません。当初は、胡瓜は翌朝の朝食のパンに挟んで食べて、ワカメは夕食の味噌汁に入れようと思っていました。でも、料理本を見たら、胡瓜とワカメの酢の物のレシピが載っていました。レシピには「三杯酢で作る」とありましたが、もう面倒なので、ポン酢で作る事にします。
 
で、今日は卵焼きと冷奴、胡瓜とワカメの酢の物、大根と揚げの味噌汁。酢の物は三杯酢で作るとレシピにあったが、ポン酢でも十分美味しかった。(最初は間違えて麺つゆを掛けてしまったので掛け直すアクシデントもw)
卵焼きも味醂を入れて円やかな仕上がりに。これからは酢の物のおかずも作るようにしよう。
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福田村事件の犠牲者は決して少数派ではなかった

2023年09月09日 16時34分51秒 | 映画・文化批評
 
今、話題の映画「福田村事件」を観て来ました。1922年(大正12年)9月1日に起こった関東大震災の直後に、多数の朝鮮人や社会主義者が、震災のどさくさに紛れて、警察や自警団の手で殺された事は、私も歴史的事実としては知っていました。ネトウヨ(ネット右翼)や小池都知事が、その事実を無かった事にしょうとしている事も含めて。しかし、実は殺されたのは朝鮮人や社会主義者だけではありませんでした。日本人の地方出身者も、都会で孤立する中で、方言を理解してもらえず、朝鮮人やテロリストと間違われて、殺されたりしていたのです。
 
千葉県福田村(今の野田市の一部)で殺されたのは、香川県の行商人たちです。全員が被差別部落の出身者で、小作農だけでは食べていけないから、全国各地を渡り歩き、薬売りの行商を行っていたのです。その彼らが、震災からわずか6日後に、福田村郊外の利根川の渡しにさしかかったところで、讃岐弁が分からない船頭たちによって、朝鮮人と間違われて、15人中9人も殺されてしまったのです。
 
勿論、行商人たちは自分たちが日本人である事を必死になって説明しました。行商の鑑札も見せて、求められるまま君が代や歴代天皇の名前もそらんじて見せました。それでも「その鑑札は偽物だ」と言われ、警官が鑑札の真偽を確かめに本署に一旦戻った隙に、皆殺しにされてしまったのです。警官が再び現場に到着した時には、もはや手が付けられないほど殺戮(さつりく)は進行していました。村の自警団が10人目に手を付けようとしたところで、鑑札が正規のものである事が証明され、そこでようやく殺戮を食い止める事が出来たのです。
 
ところが、隣村の住民も含めて、数百人もの村人が虐殺に加わったにも関わらず、起訴されたのはわずか数名。その数名に対し、村当局は弁護士費用を立て替え、見舞金まで支給しています。数名には実刑が下されるも、後の昭和天皇即位に伴う恩赦で、全員が釈放されています。加害者の中には戦後、地元の市会議員になった人間もいます。
 
それに対して、殺害された行商人の方たちには、謝罪も補償も一切ありませんでした。ようやく香川県に戻る事の出来た生存者も、後難を恐れて固く口を閉ざしてしまいました。その為に、この事件は長い間、日の目を見る事がありませんでした。最近になってようやく、地元の教師や歴史家の尽力によって、事件の全貌が明るみになりつつあります。これが1923年9月6日に実際に起こった福田村事件のあらましです。
 
 
それを踏まえた上で、映画「福田村事件」のストーリーを解説します。大事な事なのでネタバレになるのも承知で書きます。まず最初に、朝鮮から故郷の福田村に舞い戻って来た教師とその妻が登場します。教師の名は澤田智一(役者は井浦新、以下同じ)で妻の名は静子(田中麗奈)。智一は朝鮮にほれ込み朝鮮語もマスターしながら、堤岩里事件(1919年に、日本軍が3.1独立運動掃討作戦を進める中で、朝鮮人の村人が教会の中に閉じ込められ焼き殺された事件)に遭遇してしまったショックで性的不能に。
 
村に戻った智一は、幼なじみの村長や在郷軍人会分会長による教員復職の薦めも断り、慣れない手つきで農業を始めます。そんな夫に我慢できなくなった妻の静子は、利根川の渡し守の船頭、田中倉蔵(東出昌大)と船の中で肉体関係を持ってしまいます。静子がそこまで追い詰められても、夫の智一は川べりの木陰から見つめるだけ。
 
次に映画は福田村の村人の日常生活の場面に変わります。村では軍服姿の在郷軍人会が威張っています。軍人会分会長の長谷川(水道橋博士)はことあるごとに村長をこきおろします。村の青年の出征祝いの席でも、大正デモクラシーにかぶれた田向村長(豊原功補)を「腰抜け」と非難し、「忠君愛国」の教えを盛んに説きます。
 
しかし、その「忠君愛国」の教えとは裏腹に、村人の性生活の奔放ぶりが次々に登場します。例えば、戦争未亡人の島村咲江(コムアイ)も、夫を戦争で亡くした寂しさから、倉蔵と不倫関係に。井草家の妻マス(向里祐香)も夫の茂次(松浦祐也)をさておいて祖父の貞次(柄本明)とセックスにふける日々。貞次が亡くなった時も自分の乳房で貞次を抱きしめ。
 
ただ、この村人の描写については、私はむしろ省いた方が良かったのではないかと思います。福田村事件を、被害者だけでなく加害者の視点からも描きたかったという映画監督の森達也さんの意向で、この場面が挿入されたらしいのですが。これがある為に、話のストーリーがやたら煩雑になり、私は映画を観ていて訳が分からなくなりました。後でネットで調べて、ようやく理解できるようになりましたが。その為に、朝鮮人や部落民に対する差別を告発するという、映画本来の主題がぼやけてしまっては、本末転倒ではないでしょうか。
 
やがて映画は後半のクライマックスに向かいます。震災後、「朝鮮人が井戸に毒を投げ込んだ」との流言蜚語(りゅうげんひご=根も葉もない噂)が、福田村の中にも流れるようになります。左翼劇作家の平澤計七(映画に登場する唯一の実在の人物)も、そのどさくさの中で、亀戸警察署に連行され、署内で拷問の末に虐殺されてしまいます(亀戸事件)。内務省の通達に沿って、村にも自警団が組織されます。在郷軍人会は今までにも増して勢い付きます。
 
しかし、3日後からは次第に形勢逆転。諸外国の目を恐れた政府は、今度は一転して噂の火消しに転じます。「通行人をやたら不審者扱いしてはいけない。勝手に武器を持ち歩いてはいけない。自警団は解散しろ」との通達で、はしごを外された在郷軍人会は意気消沈。しかし、村人の中に深く根を下ろした朝鮮人やよそ者に対する警戒心が、この程度の事で鎮静化するはずがありません。
 
その中に、香川県の被差別部落を旅立った行商人の一行がやって来ます。彼らも村人と同様に千差万別です。まず行商人のリーダー、沼部新助(永山瑛太)にしてからが、矛盾だらけの人物です。「わしら貧乏人は、自分よりさらに貧しい奴らを騙して、金をむしり取らなければ生きていけないんだ」と、怪しげな薬を道端で皆に売りつけます。醬油工場のストライキの場面に出くわしても、「お上に楯突いたらろくなことがない」と眉をしかめます。この辺の描写は、まるで「闇金ウシジマくん」そっくりで。その一方で、貧しい朝鮮人の飴売り少女に同情して、飴を一杯買ってやり、お礼に少女から朝鮮の扇子をプレゼントされます。しかし、これが後に災いの元になります。
 
矛盾だらけと言う点では、行商人の他のメンバーも同じです。「わしら部落の人間は差別されても朝鮮人よりは上なんだ」と、「下見て暮らせ傘の下」よろしくヘイトスピーチを公言する輩もおれば、前年に結成された水平社(部落解放運動団体)の創立宣言をそらで暗唱し、それを他のメンバーに広めようとする秀才少年がいたり。この辺はもう完全に映画の作り話なのでしょうが。
 
これも作り話なのでしょうが、映画にはもう一つの重要なキャラクターも登場します。地元紙の編集長と女性新聞記者です。編集長の砂田伸次朗(ピエール瀧)は政府の意向に沿って「朝鮮人が暴れている」という記事を新聞記者に書かそうとしますが、女性記者の恩田楓(木竜麻生)はそれを決然と拒否します。「真実を報道してこそ新聞の値打ちが決まる」と。そして福田村の中でも、朝鮮人の飴売りの少女を何とか自警団の魔手から守ろうとします。この奮闘も空しく、少女は自警団に竹槍で突き殺されてしまいますが。
 
そして映画は遂にクライマックスを迎えます。まず利根川の渡しで、行商人の一行が、間男の船頭と船賃の交渉をする中で、讃岐弁が分からない船頭や他の乗客から、朝鮮人ではないかと疑われ始めます。村の半鐘が打ち鳴らされ、行商人一行は自警団や村人に取り囲まれます。後は先述の事件の経過と同じです。但し、その中で、行商人のリーダー沼部が、それまでの矛盾だらけの姿とは打って変わって、「朝鮮人やったら殺してもええんか!」と村人に凄む姿には、私も鬼気迫る迫力を感じました。しかし、その行いも空しく、朝鮮人の飴売りの少女からもらった扇子が見つかった事で、事態はさらに悪化していきます。この辺のくだりは、完全に映画のフィクションなのでしょうが。
 
そこに、先述の澤田夫妻が登場します。船頭との不倫を機に、一旦家を出た澤田静子も、震災の混乱の中で、再び夫の智一の元に戻ります。そして紆余曲折を経る中で、偶然、虐殺の現場に遭遇した二人は、必死になって殺戮を食い止めようとします。ここでは夫の智一も、最初の不能の場面とは打って変わって、虐殺を食い止める側に回ります。この場面は映画のクライマックスの一つです。でも、私からすれば、いくら作り話にしても、いかにも話が出来過ぎているようで、幾分興ざめしてしまいましたが。
 
次のクライマックスは警官と警部が本署から再び舞い戻って来た時です。行商の鑑札が正規のものであり、行商人一行は日本人である事がここで初めて証明されますが、時すでに遅し。もう15人の行商人一行のうち9人までもが撲殺されてしまっていました。先の水平社創立宣言をそらんじてみせた秀才少年も、その餌食となります。警部たちが必死になって殺戮を食い止める事で、残りの6人だけがかろいじて殺戮を免れる事が出来ました。その時に、はしごを外された在郷軍人会の長谷川が、「朝鮮人をやっつけろと、最初に言ったのはアンタだろうが!」と、警部をにらみつける場面が、何やら今のネトウヨ(ネット右翼)の行く末をも暗示しているようで、「皮肉」感たっぷり。
 
最後のクライマックスが、現場に到達した新聞社の恩田記者が、大正デモクラシーかぶれの田所村長に、「朝鮮人暴動は根も葉もない噂であった事を、村長自ら証言してほしい」と頼んだ時です。「そんな事したら今度は自分が村八分にあってしまう」と、証言を拒否します。普段はリベラルっぽい事言っている人士も、一皮むけば在郷軍人くずれのネトウヨと、ほとんど大差がなかった事が、ここで余すところなくさらけ出されます。
 
以上が、私の感想も交えての映画のストーリーです。私がここで一番感じたのが、「虐殺の犠牲となった朝鮮人や部落民も、客観的に見れば、決して少数派ではなかった」という点です。勿論、映画はフィクションですよ。現実の場面はもっと凄惨であったであろう事は、十分想像が付きます。しかし、それでも、澤田夫妻に恩田記者と、真実に目覚めた人物が当時も既に3人もいたのです。その周囲には、「朝鮮人やったら殺してもええんか!」と凄んだ行商人リーダーや、水平社宣言をそらで暗唱できる行商人の少年も存在します。
 
その他の村人も、朝鮮人憎しの宣伝に踊らされてはいるものの、その内実は、不倫に明け暮れ、政府の宣伝する「忠君愛国」のかけらすらない。その中で、虐殺を扇動した在郷軍人会の分会長や警部は、時の権力の威光を嵩に着て「我が世の春」を謳歌してはいるものの、村の中ではむしろ少数派だったのではないか?だからこそ、形勢不利となった途端に、時の権力からはしごを外される目に遭うのです。
 
「この映画には希望も何もない、ただひたすら日本の闇を暴くだけだ」と言うのが、映画を観た人の大方の感想のようですが、私は逆です。澤田夫妻や恩田記者のような人がもっと増えれば、虐殺を食い止める事も出来たのではないかと思います。そこにこそ、この映画に「一筋の光」と言うか、希望を見出す事が出来るのではないでしょうか。
 
ほら、昔の中国の革命作家、魯迅(ろじん)も言っているじゃない。「最初から道がある訳ではない。歩く人が多くなれば、それが道になるのだ」と。
コメント (2)
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スリーマイルの教訓を生かせなかった福島の悲劇(烏賀陽さんのツイート)

2023年09月06日 07時09分54秒 | 福島の犠牲の上に胡坐をかくな
 
以下、烏賀陽(うがや)弘道さんのツイート(エックス=旧ツイッターのつぶやき)より。

①大切なこと。1979年のアメリカ・ペンシルバニア州で起きたスリーマイル島原発事故でも、汚染水は出た。そして日本のALPSと同じようにEPICORという核種除去装置をくぐらせて核種を規制値以下にまで除去した。しかし電力会社はサスケハナ川(同原発は河川の中洲にある)への排水はしないことに決定。

①に補足。
ここでスリーマイル島原発の電力会社は、放射線防護の鉄則の一つ「放射性物質は閉じ込める」(環境中に拡散させない)を守った。
 
これは日本政府・東電のALPS水とは正反対。
 
日本では
A 放射性物質を拡散した
B かつ公海に拡散したので、それまで国内問題だった汚染が国際問題になった。
 
②最初は電力会社(GPU)はEPICOR処理後の水をサスケハナ川に放出する予定だった。しかし、下流に上水道の取水口を持つランカスター市が川への排水の差し止めを求めて裁判所に提訴した。
 
③ランカスター市と電力会社の裁判は和解で終わった。しかし「たとえ環境基準を満たす水であっても、スリーマイル島原発由来の水はサスケハナ川に流さない」という和解条項を電力会社が受諾した。
 
④これがTMI原発事故で、電力会社がサスケハナ川へのEPICOR処理水の放流を取りやめて、自然蒸発に転換した大きな理由のひとつ。
 
⑤もうひとつは、電力会社、地域住民、エネルギー省などの同席する対話の場が13年間に80回以上開かれたこと。Citizen Advisary Boardという市民委員は12人。その中には反原発運動家・市民も入っていた。
 
⑥このCitizen Advisary Boardは、あくまで「対話」の場であって、日本政府や東京電力の「説明会」のような「政府・東電の方針を説明する会合」とは性質がまったく違う。Citizen Advisary Boardは合意を形成するための対話の場所だった。
 
⑦TMI原発事故の場合は政府・電力会社が地元住民の「合意」を作ろうと努力した。日本政府はあくまで「理解を求めた」だけで「合意」が必要とは最初から一言も言っていない。だから地元漁業者が反対するなかALPS水を排出しても「え?合意が必要なんて約束してませんけど?」と逃げることができる。
 
⑧13年間に約80回の「対話の場」を重ねるうちに、住民と電力会社・政府の間にも信頼が成立するようになった。EPICOR水の自然蒸発処理が始まったのは、事故発生後12年目の1991年。93年に完了。これは対話の後半で合意が形成されたから。
 
⑨この「市民アドバイザリー委員会」との対話の場は1993年、78回の会合を経て役割を終えた。1979年の事故発生から14年後である。
 
⑩事情の違いを述べると
 
汚染水の量=TMI:9000トン。福島第一:137万トン。
メルトダウンした原子炉=TMI:1つ 福島:3つ
デブリ=TMI:130t  福島:800t
 
つまり同じメルトダウン事故でも、事故のスケールが桁違いに大きい。
 
11)日本政府のミスはもっと早期に汚染水の処理方法を検討しはじめなかったこと。2013年12月まで汚染水タスクフォース(原子力工学者10人)は始動しなかった。事故発生から2年9ヶ月である。崩壊熱を冷やすために汚染水が大量に出ることは事故直後からわかっていたのに、時間を浪費しすぎた。
 
12)事故直後にヨーイドンで処理方法を検討し始めていれば、陸上処理の可能性やその用地確保などもする余裕があったはずだ。またTMIのような地元住民との「合意形成」の場もできたかもしれない。
 
13)そして重要なことを追記。TMI原発事故では、EPICOR,EPICOR2というALPSに似た核種除去装置を通した水を自然蒸発させた後のヘドロに、高レベルの放射性物質がまだ残っていた。たった9000tの汚染水でも100%除去は無理なのだ。
 
14)ひとつ訂正。この汚染水をEPICOR処理したあとに残ったヘドロの高レベル放射性物質は、ワシントン州のハンフォードサイトで処理された。アイダホ州の砂漠にある国立研究所(INL)に保管されているのは取り出したデブリだった。
 
15 ) TMI原発事故は、私も現場に2回行って当時の住民に話を聞いて回り、英語の資料もかなり読んだので、重要なことを書いた。日米の汚染水処理の違いである。
 
 
以上で烏賀陽弘道さんのツイート引用を終わります。福島の処理水(実は汚染水)放出については、「日本は環境基準を守って節度をもって処理水を放出しているのに、中国が日本からの水産物輸入を停止して嫌がらせに出ている」「福島の風評被害を煽っている」との報道が主流になっていますが。
 
実態はかくの如しです。
「日本では A 放射性物質を拡散した B かつ公海に拡散したので、それまで国内問題だった汚染が国際問題になった。」この指摘に尽きます。これは相手が中国であろうと他のどの国であろうと関係ありません。
 
「チャイナ・シンドローム」というブラックジョークがあります。米国の原発でメルトダウン(炉心溶融事故)が起こったら、溶け出た核燃料が原子炉の底を突き破り、地中深く潜り込んで、やがて地球の裏側にある中国にまで到達するかもしれない。それだけ甚大な被害が出る事をたとえたものです。このブラックジョークのモデルになったのが、1979年の米国スリーマイル島(TMI)原発事故でした。
 
そのスリーマイルの教訓も生かせずに、32年後の2011年に、今度は日本の福島第一原発で、更に酷い原発事故を引き起こしてしまいました。福島で出た汚染水の総量は、スリーマイルのそれの152倍超にも及びます。それまでも国会で野党から福島原発の津波対策に疑問が出されたのに、大丈夫だとゴリ押しして、後の東日本大震災で質問の指摘通りの事態になってしまったのです。それに対して、人体の許容放射線量をそれまでの年間1シーベルトから20シーベルトに緩め、福島で内部被曝が広がっても放射能被害を認定せず隠蔽。福島県内に設置された放射線測定モニタリングポストの数値に対しても改ざんの噂が後を絶たない。そんな政府の言う事なぞ誰が信用出来ますか。
 
それなのに、昨今のマスコミ報道と来たら。脱原発の世論が盛り上がった時は、国会前の反原発デモをあれだけ報道しながら、今はもうすっかり政府の宣伝に乗っかり、御用新聞と化してしまっています。おまけに「汚染水なんて言葉を使うのは中国の手先だ」と、「言葉狩り」に出る有様。日本の処理水(汚染水)は他国の処理水(原子炉を冷やした後に出る冷却水)とは違い、メルトダウンしたデブリに直接触れた水で、アルプスでも放射性物質を確実に除去出来たとは言えないのに。海水で薄めればそれで良しと。それでは水俣湾に有機水銀垂れ流したチッソと同じだ。廃炉作業も遅々として進まず、デブリの取り出しがいつ可能になるかも全く分からないのに。
 
戦時中の「大本営発表」と一体どこが違うのか?これでは昔の「非国民」が「親中」に変わっただけではないか。かつて反原発論デモで「(原発問題に)今まで無関心でスミマセン」というプラカードが登場した事がありましたが、今の世相を見ると、その反省も虚しく、今も無関心であり続けていると言わざるを得ません。「原発さえなければ」と畜舎の壁に書き残して、自殺してしまった福島県の酪農家の無念を、今の日本人は、いまだ踏みにじり続けるのか?
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