アフガン・イラク・北朝鮮と日本

黙って野垂れ死ぬな やられたらやり返せ 万国のプレカリアート団結せよ!

改めて「テロ」にも「テロとの戦い」にもNO!を表明する

2007年12月31日 00時19分02秒 | 二大政党制よりも多党制
・ブット元首相、暗殺 集会で自爆テロ 頭部銃撃の情報も(朝日新聞)
 http://www.asahi.com/international/update/1227/TKY200712270383.html
・ブット元首相、政治集会で狙撃され暗殺―パキスタン政局に激震(国際ニュース::Ishikawa-News.com)
 http://blog.ishikawa-news.com/ishikawa_mt/archives/2007/12/pakistans-bhutto-assassinated.php

 12月27日に、パキスタンの元首相ベナジル・ブット女史がテロリストの凶弾に倒れました。現時点では、テロの政治的背景については、政府側犯行説まで含め、様々な観測が為されています。その中で、それを行う事で誰が最も得をするかを考えると、一番可能性があるのは、やはりイスラム原理主義者によるものだと思われます。従って、本記事もその線に沿って論評を加えていきます。

 今回の事件に対する拙ブログの立場は、はっきりしています。「テロ」にも「テロとの戦い」にもNO!―これが拙ブログの基本的立場です。報復テロやその延長線上にしか過ぎない国家テロ(テロとの戦争)ではなく、あくまで国際世論の力でテロリストを追い詰め、それを司法の場で裁くと同時に、テロの温床となる社会的差別・抑圧の解消を図る、という立場です。

 まず、今回のブット暗殺に至る政治的背景について。パキスタンは1947年の独立以来、隣国インドとの対立関係の中で翻弄されてきた国です。インドの非同盟外交に対抗する形で、この国にはまず英米が、次いで60年代からは中印国境紛争との絡みで中国もそれに一枚噛む形で、それぞれ梃入れを図ります。その為にこの国は、米ソ冷戦時代は西側・中国主導による反共反ソ・開発独裁のショーウィンドウとして、冷戦終結後にイスラム過激派が台頭してくると今度はそれに対抗する前線国家として、ひたすら大国の駒としての役割を押し付けられてきました。
 その結果、パキスタンの国内政治は、西側大国に支援された封建領主・買弁資本家・軍人政治家が支配する所となり、軍事クーデターも頻発する事になります。国内では大地主制や封建的土地所有が温存され、政治の民主化は遅れ、労働・農民運動は徹底的に弾圧されてきました。それに部族・宗派対立も加わり、常にこの国は政情不安に苛まされてきました。そんな中では、押さえつけられた庶民の不満は、必然的にテロという形を取らざるを得なくなります。これが、テロのそもそもの背景です。
 そして、パキスタンを始めとする中東イスラム圏では、テロがイスラム原理主義の形を取る事が多いのは、(1)元々イスラム教徒が多数派で庶民の間に信仰が深く根を下ろしている、(2)過去の英仏による植民地支配や、パレスチナ問題での米国の親イスラエル姿勢などによって、根強い反欧米感情が存在している、(3)言論・集会・結社の自由が抑圧されている中では、宗教の形でしか民衆の意思を表明する手段が無い、(4)イスラム宗派勢力が前記の矛盾を勢力拡大に利用している―などの要因が絡んでいるからです。

 勿論、テロリストは民衆の困窮を自派の勢力伸長に利用しているだけであって、本気で国内政治の変革や民主化を追求している訳ではありません。若し本気で革命や民主化を追求する気があるのなら、こんな自爆テロや無差別テロではなく、民衆に根を張った統一戦線方式で政治変革を成し遂げようとする筈です。
 現代パキスタンの政治勢力は次の主要4党派から構成されています。(1)パキスタン・ムスリム連盟カイデ・アザム派(PML―Q、親軍政派与党)、(2)同ナワズ・シャリフ派(PML―N、軍政と袂を分かったシャリフ元首相の一派)、(3)パキスタン人民党(PPP、今回暗殺されたブット氏はこの党の党首)、(4)統一行動評議会(MMA、イスラム原理主義系)。
 確かに、欧米諸国では社民リベラル系に分類されているブット氏のPPPも含め、いずれも基本的には封建地主や寡頭支配層の利害を代表する勢力でしかありません。今回のブット暗殺も、ムシャラフ・ブットの二人の与野党親米政治家による大連立若しくは政権たらい回しに危機感を抱いたイスラム過激派が、先手をとって引き起こした可能性が濃厚です。
 しかし、パキスタン国内政治の動向をよく見ると、決して軍政与党のPML―Qが国内政治の主導権を握っている訳ではありません。寧ろこの軍政与党は、その他の野党勢力や貧困層に包囲されて、辛うじて政権の座についているというのが現状です。それならば残りの野党3派を、別に積極的に支持しないまでも、統一戦線に組織する、それが無理でもせめて政治的に利用するぐらいの戦略があって然るべきでしょう。
 http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/pakistan/kankei.html
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%82%AD%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%B3
 http://allabout.co.jp/career/politicsabc/closeup/CU20071129A/index.htm

 そうであれば尚更の事、テロリストを根絶するのに、その温床を為している軍部支配や封建寡頭制には一切手をつけずに、徒に「テロとの戦い」(それは、テロリストや庶民にとっては、もう一つのテロ、国家によるテロにしか他ならない)で決着をつけようとしても、問題を余計にこじらせるだけです。
 それに、「テロとの戦い」という言葉自体が、国によって、また時の為政者によって、自分達にとって都合の良い使われ方をされている、という問題もあります。実際に、ロシアのチェチェンに対する弾圧や、中国のウイグル・チベットに対する弾圧が、米国流の対テロ戦争の論理に便乗して、それを隠れ蓑にして行われている、という現状もあります。だから、私は安易に「テロとの戦い」という発想には組しないのです。
 インダス文明発祥の地・シルクロード中継地・民族興亡の坩堝としての長い歴史を有しながら、近代以降は英領植民地として辛酸を舐め、独立達成後も周辺諸国の情勢や大国の思惑に翻弄され続けたパキスタン。開発独裁、或いは対テロ戦争の前線国家としての役回りを押し付けられ、対外緊張や国内対立に不断に晒され、核兵器保持も不安解消の特効薬とは全然ならずに、その上にまだ「テロとの戦いに積極的に協力しなければ爆撃して石器時代に戻すぞ」と米国から脅されてきた国。しかしその国でも、生活向上・社会的不正義の一掃・民主化を求める人民の闘いは進んでいます。帝国主義者や宗派主義者・排外主義者の、いずれの介入・妨害・歪曲をも全て乗り越えて、その闘いがやがて勝利せんことを、つとに願って。

 もう年の瀬も押し詰まってきたので、もうこの辺でそろそろ今年も閉めようかなと思っていたのですが(本当は、書きたい事、書かなければならないと思っている事はもっと一杯あるのですが、余り根を詰めると身体がもたないので)、そこにこのブット氏暗殺のニュースが飛び込んできたので、最低限これだけは書いておかなければならないと思った事を今回は記事にしました。
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