アフガン・イラク・北朝鮮と日本

黙って野垂れ死ぬな やられたらやり返せ 万国のプレカリアート団結せよ!

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参考資料:国外・県外を要求 普天間返還で県民大会(琉球新報・号外)

2010年04月26日 22時37分14秒 | 沖縄の犠牲の上に胡坐をかくな

(号外第1面)

 「米軍普天間飛行場の早期閉鎖・返還と、県内移設に反対し、国外・県外移設を求める県民大会」(同実行委員会主催)が25日午後3時すぎ、読谷村運動広場で始まった。これ以上の米軍基地の押し付けを許さない沖縄の民意を日米両政府に発信しようと、会場には県内各地から参加者が続々と集結。日米特別行動委員会(SACO)合意から13年余が経過しても返還が実現しない普天間飛行場をめぐり、初めて超党派で県内移設反対を訴える歴史的な大会となった。
 仲井真弘多知事はあいさつで、日米安保体制の下で沖縄が置かれている過重な基地負担の実態を訴え、負担軽減に向けた議論を深めるよう全国に呼びかけた。普天間飛行場を抱える宜野湾市や、県内の移設先として取りざたされる名護市、うるま市の首長らも決意表明。普天間飛行場の早期閉鎖・返還と国外・県外への移設を求める大会決議を採択する。
 大会は、共同代表の1人である翁長雄志那覇市長の開会宣言で幕を開け、高嶺善伸県議会議長が主催者を代表してあいさつ。県内全41市町村長(2市町は代理出席)をはじめ、大会の呼び掛け人である県議、県選出・出身国会議員も会場に駆け付けた。
 大会に集まった参加者は県内移設に傾く政府に「イエローカード」を突き付けようと、大会のシンボルカラーである「黄色」の衣服や小物を身につけ、会場を黄色一色に染めた。県青年団協議会のメンバーは、糸満市の沖縄平和祈念公園からの道のりを黄色のたすきでつなぐ「平和のたすきリレー」で会場に到着した。

大会スローガン

■日米地位協定の抜本的改定を求める。
■返還後の跡地利用を促進するため、国の責任で、環境浄化、経済対策などを求める。
■返還に伴う、地権者補償、基地従業員の雇用確保を国の責任で行うよう求める。

大会決議

 普天間飛行場の返還は平成8年日米特別行動委員会(SACO)合意から13年経過した今なお実現を見ることはなく、その危険性は放置されたままです。
 しかも、平成16年(2004年)8月13日に発生した沖縄国際大学構内への米軍海兵隊所属CH53D大型輸送機ヘリコプターの墜落事故は、市街地に位置し、住宅や学校等が密集する普天間飛行場の危険極まりない現実を明らかにしました。一歩間違えば大惨事を引き起こしかねず「世界一危険な飛行場」の存在を改めて内外に明らかにしています。しかも、平成18年(2006年)の在日米軍再編協議では同飛行場の全面返還を合意しており、県民や宜野湾市民は、最も危険な普天間飛行場を早期に全面返還し、政府の責任において跡地利用等課題解決を求めているのです。
 私たち沖縄県民は、去る大戦の悲惨な教訓から戦後一貫して「命どぅ宝」、基地のない平和で安全な沖縄を希求してきました。にも関わらずSACO合意の「普天間飛行場条件つき返還」は新たな基地の県内移設に他なりません。
 県民の意思はこれまで行われた住民投票や県民大会、各種世論調査などで明確に示され、移設先とされた名護市辺野古沿岸域は国の天然記念物で、国際保護獣のジュゴンをはじめとする希少生物をはぐくむ貴重な海域であり、また新たなサンゴ群落が見つかるなど世界にも類をみない美しい海域であることが確認されています。
 名護市長は、辺野古の海上及び陸上への基地建設に反対しています。また、勝連半島沖埋め立て案についてはうるま市長・市議会ともに反対を表明しています。
 よって、私たち沖縄県民は、県民の生命・財産・生活環境を守る立場から、日米両政府が普天間飛行場を早期に閉鎖・返還するとともに、県内移設を断念し、国外・県外に移設されるよう強く求めるものです。以上決議する。

 2010年4月25日
 4・25県民大会
 (あて先・首相、外相、防衛相、沖縄担当相、官房長官、駐日米国大使)


(同第4面)
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-161315-storytopic-220.html
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改めて普天間移設ではなく撤去を これは沖縄ではなく日本の問題だ

2010年04月26日 12時32分55秒 | 沖縄の犠牲の上に胡坐をかくな
 昨日4月25日は沖縄・普天間づくしの一日でした。
 当日は沖縄県読谷村で開催の普天間米軍基地撤去を求める県民集会(次回記事参照)に呼応して、全国各地で同様の集会・デモ・署名活動等が行われました(前回記事参照)。ここ大阪でも、午前11時から午後1時まで、大阪城公園森之宮ゲートで、市民団体による署名活動が取り組まれた訳ですが、そこに私も飛び入り参加してきました。
 大阪での署名活動に取り組まれたのは、「平和と生活をむすぶ会」「無防備地域宣言運動全国ネットワーク」「平和と民主主義をめざす全国交歓会」「ジュゴン保護キャンペーンセンター」の市民4団体で、それら諸団体による共催の形で取り組まれました。私は、前記の沖縄連帯行動には何らかの形で参加しようと、既に決めていましたので、たまたま旗旗さんのサイトでこの取り組みの事を知り、急遽そちらに参加する事にしたのです。

 現地へは11時20分前位に着きました。JR環状線森之宮駅を出て交差点を渡ればもうそこが現地なのですが、何とその交差点では、既に幸福実現党が政治宣伝を始めていました。何台もの車に分乗して、30歳ぐらいの信者と思しき男女が大勢やって来て、盛んにリーフレットを配布していました。
 私もそのリーフレットを一部戴きましたが、例によって例の如く、ミサイルと消費税とリニア交通網の話がない混ぜになった支離滅裂な内容に、読んだら直ぐに公園のゴミ箱に捨てました。顔だけはイケメン揃いの候補者に大勢の若い男女と真新しい宣伝カーと、とても泡沫政党とは思えない物量作戦に、資金の出所を訝しく感じながら。私たちがゲートで署名活動を始めてからも、天海祐希みたいな女性信者が、暫くはこちら側にも来て盛んにリーフレットを配っていました。

 やがて幸福実現党も去り、それとは10歳は平均年齢が上回ると思われる私たちでしたが、それでものべ20名位が集まって、沖縄連帯を表す黄色のリボンを着用して、ジュゴン保護と普天間撤去を訴える2種類の署名を集めました。GW間近の晴天に恵まれた日曜日という事もあって、大阪城公園に向かう若者や家族連れの行楽客が、JRや地下鉄の駅方向から、途切れてはまた次々とやって来る中での署名集めでした。その時の反応ですが、ビラも署名も受け取りを拒否する人>ビラだけは受け取ってくれる人>署名はしないながらも話まで聞いてくれる人>署名にも応じてくれる人、という感じで、行楽客が主体の会場での政治署名という以外に、やはり本土での反応の鈍さや一種の冷淡さがあるのを感じました。
 それでも、自分から進んで署名に応じてくれる人も決して少なくはありませんでした。大阪には昔から大正区を中心に沖縄出身者のコミュニティーがありますが、署名に応じてくれた方も大正区在住で、自分の署名とは別に、白紙の署名用紙も2枚ほど受け取って行かれました。また、自身の英語力を生かして、ソウル在住と思しき韓国人の方から署名を戴けたスタッフの方もいました。そんな感じで、2時間で2種合わせて400筆ほどの署名を集める事が出来ました。

  
 左上写真が私。同じく右上は、女性の市民団体会員が着ぐるみを着て、「ジュゴンで~す、どうぞ私を助けて下さい」と訴えている所。この着ぐるみが子どもたちには意外と受けた。
 
  
 左上写真は、「月桃の花」歌舞団の方によるギターの弾き語りで、摩文仁の悲劇について歌っている所。同じく右上は会場に張った垂れ幕の一つ。

 
 会場で配ったビラの一部。若し大阪市内の堺筋本町に普天間基地(面積約4.8km2、大阪城公園の約4倍)が移設されたとすると、東西は阿波座から森ノ宮までのビジネス・官庁街が、南北はOBPから松屋町の玩具問屋街までが、すっぽり占拠される形になる事が示されている。

 浅はかにも私は、それで沖縄に連帯したつもりでいました。これで昨日の休日を有意義に過ごせたと、当初はブログ更新に向かう筈でしたが、当日夜10時から同種のテレビ番組がある事を知り、そちらを見てから記事更新に取りかかる事にしました。ところが、そのNHK教育・ETV特集番組「本土に問う~普天間移設問題の根底~」の最終盤の場面で、自分の一知半解ぶりを改めて思い知らされる事になりました。
 当該番組は、大田昌秀氏の元沖縄県知事としての足跡をたどる形で、普天間問題の真相に探ろうとするものでした。知事在任中の1995年に起こった米兵少女暴行事件を機に、日米地位協定改定や普天間基地撤去が政治課題に上るも、それらが制度運用面の見直しや基地移設の問題に巧妙に摩り替えられ、次第に行き詰っていく中で、太田氏は次の知事選で、膠着状態打開を訴えた稲嶺恵一氏に敗れる事になります。真正面から基地撤去を掲げた革新の大田県政に対して、保守の稲嶺県政は、基地撤去を願う沖縄と安保維持の本土側との間で、一種の妥協策を探ろうとします。それが「普天間基地の軍民共用化」「15年期限の名護・辺野古への基地移設」という苦渋の選択でした。しかし、国はその苦渋の選択の上に胡坐をかく形で、更に基地固定化に突き進みます。自身の苦渋の選択も全て反故にされた稲嶺氏は、次第に基地反対に転じるようになります。

  

 沖縄では、現与党の民主党のみならず、前与党の自民・公明両党までもが普天間基地の完全撤去(県外・国外移設)を口にするようになり、今や基地撤去が保革を超えた県民の総意となりつつある訳ですが、私は単に、それは保守陣営の世論対策にしか過ぎないと思っていました。しかし、真相はもっと根深いものでした。確かに、基地撤去の筋を通す革新側に対して、保守側は実利優先で常に国と妥協を図ろうとしてきました。しかしそれは、地元保守勢力としての苦渋の選択にしか過ぎませんでした。基地撤去という究極の目標においては、革新側とも同じ思いを共有していたのです。それを国は、地元保守勢力を単なる国家権力の手駒としか看做さず、常に嵩にかかった態度で沖縄に接してきたのです。
 勿論、だからと言って、当時の稲嶺氏を初めとした沖縄保守政治家のやった事を、そのまま容認する事は出来ません。彼らの「策動」が無ければ、今の事態はもっと早く解決していたのですから。

 少なくとも、米軍支配に対して身を挺して闘ってきた沖縄の革新勢力には、上記の保守勢力を裁くだけの資格は充分あります。しかし、結果的に沖縄を見捨ててきた我々本土の人間に(革新勢力も含めて)、一体彼らを裁く資格があるのだろうか?
 これは言い換えれば、私を含む本土の人間が、その保革を超えた沖縄県民の思いを、どう捉えてきたかが問われている、という事に他なりません。一旦ジェット機が墜落したり暴行事件が起こったら、その被害は保革の立場に関係なく全県民に及びます。だから沖縄では、基地撤去は政治的立場を超えた県民の総意となり得るのですが、その思いをどれだけ我々が認識出来ていたのか。それが問われているのです。

 かつては本土にも、沖縄のような現実が、誰の目にも分かる形で広がっていました。だから、内灘・砂川等の基地反対闘争を初め、60年・70年の安保闘争、ベ平連・沖縄返還闘争・国際反戦デー、横浜でのベトナム行き戦車輸送阻止や「パパママ・バイバイ」の悲劇を許さない闘いが、今とは比較にならない位、旺盛に取り組まれたのです。それがいつしか、ベルリンの壁崩壊、社会党解体、北朝鮮・中国脅威論の流行、政治・社会の保守化・右傾化等の影響を受けて、次第に沖縄が顧みられなくなっていったのではないでしょうか。日米安保廃棄を目指すのでも、安保の負担を全国で分かち合うのでもなく、「日米安保が大事」だと言いながら、それを沖縄だけに押し付けてきた。そうして本土の人間は、常に自らを楽な「プチブル」の立場に置いて、しんどい事は全て沖縄に押し付けてきた。その姿こそが、太田氏や稲嶺氏が告発する「沖縄差別」ではないのか。

 その中で沖縄県民は、「今度は本土が苦しむ番だ」と、ネトウヨ橋下レベルの復讐心に身を苛まされるのを必死に抑えながら、「もう誰も沖縄の苦しみを味わうことがない様に」との立場で、基地撤去を目指す闘いに立ち上がっているのです。
 本土ではチヤホヤされている自民亜流の欲ボケ新党も、流石に沖縄では出る幕はありません。この違いは一体何なのか。普天間問題でも、他の例えばもっと身近な職場の労働条件改善の問題でも、何故、本土の人間はもっと本気で怒らないのか。それは、しんどい事は他の誰かに押し付けて、それで自分たちの当座の生存だけを確保しようと、心のどこかで思っているからではないのか。「それで自分たちだけは生き残れる」との錯覚に囚われているからではないのか。その意味では、これは決して沖縄の問題ではなく、寧ろ日本本土に住む我々の問題ではないか、我々の姿勢こそが問われているのではないか。それを今更ながら思い知らされた一日でした。
コメント (8)
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転載:4・25沖縄県民大会に呼応・連帯する東京集会とデモのお知らせ

2010年04月25日 00時04分06秒 | 沖縄の犠牲の上に胡坐をかくな
 最近のマスコミ(除・沖縄)は、普天間問題についても、米国ネオコン発のリーク記事をそのまま垂れ流すばかりで、安保や基地の実態をまともに取り上げようとはしません。下記の動きも殆ど報じられる事がありません。それではと、当日直前になってしまいましたが、その沖縄現地の動向を、こちらにも転載させてもらう事にします。
 下記の東京以外にも、全国各地で同種の連帯集会が持たれています。はっきり言って、「自民亜流」「欲ボケ」新党「狂い咲き」のニュースなんかよりも、こちらの方がずっと重要です。

【転送・転載大歓迎】

●4・25沖縄県民大会に呼応・連帯する東京集会とデモのお知らせ●

 沖縄では4・25「県内移設反対」県民大会に向けた準備が着々と進んでいます。たとえば名護市では稲嶺市長を議長とする名護市民実行委員会が発足し、大会に3000人が参加します。県内41市町村長についてはこうです。

◆県民大会、首長39人が参加へ=普天間県内移設反対で◆
 米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の県内移設反対をアピールするため沖縄県読谷村で25日に開かれる県民大会に、県内全41市町村から首長39人が参加することが23日、分かった。公務などで首長が参加を見送る石垣市、久米島町もそれぞれ教育長、副町長が代理で出席の予定。態度を保留していた仲井真弘多知事も同日、出席する意向を表明しており、大会は全県的な盛り上がりを見せそうだ。(4・23付時事) 

 またこんな情報もあります(4・21付琉球新報)。
◆那覇市は4月25日に読谷村で開かれる県民大会への市民参加を促すため、路線バスで大会会場に向かう市民に対し、往復運賃の半額にあたる千円を補助することを20日までに決めた。◆

 最近の沖縄タイムス社の世論調査によると、沖縄県内では普天間基地の県外・国外移設を求める人びとが急増し、「全体の約90%」に達しています。まさに島ぐるみで鳩山政権に「県内移設反対」を突きつけています。

 東京でも4・25県民大会に呼応して同日・同時刻に「“4・25沖縄県民大会とともに声をあげよう”東京集会」が開かれます。集会後デモをします。また同日夜には「NO BASE! OKINAWA ~キャンドルで人文字をつくろう!」が午後6時から明治公園で開かれます。
        辺野古への基地建設を許さない実行委員会
        沖縄・一坪反戦地主会関東ブロック

==========================
4・25沖縄県民大会に合わせ東京でもたくさん集まろう!
--------------------------
~米軍普天間飛行場の早期閉鎖・返還と県内移設に反対し、
                国外・県外移設を求める~
==========================
<名  称>
“4・25沖縄県民大会とともに声をあげよう”東京集会
<日  時>4月25日(日)午後3時開始
 ★県民大会と同じ日時です。集会後デモ行進をします。
<場  所>社会文化会館・三宅坂ホール
      東京都千代田区永田町1-8-1電話03-3592-7531
      http://www.syabunkaikan.org/Traffic.html
▼交通アクセス 地下鉄:有楽町線・半蔵門線「永田町」駅下車4分
<呼びかけ>沖縄・一坪反戦地主会関東ブロック/東京沖縄県人会/
      練馬沖縄県人会/千葉沖縄県人会
<共  催>辺野古への基地建設を許さない実行委員会
<連絡先>090-3910-4140
 ★案内チラシを印刷できます。
  http://www.jca.apc.org/HHK/NoNewBases/10NNB/4.25aseembly.pdf

【呼びかけ文】
 鳩山政権は、普天間基地問題でキャンプ・シュワブ陸上案とホワイト・ビーチ沖案でもって沖縄への基地の押し付け=県内移設へ突き進んでいます。政府案は「2 段階の移設」です。最初にキャンプ・シュワブの陸上部に500メートルのヘリパッドを建設し、徳之島にヘリ部隊の訓練を暫定的に移転し、ホワイト・ビーチ沖を埋め立てて10年後に完成させ、普天間の機能を集約するというものです。
 新しい基地は、航空自衛隊の基地も併設し3,600 メートルの滑走路を2本もつものです。さらに那覇軍港も併設します。埋め立て面積は現行案の6倍以上にもなるとのことです。米軍基地と合わせて自衛隊基地もつくるという、さらなる基地の強化・拡大です。
 鳩山政権のこの動きは、県内への移設に反対し続けている県民の声を踏みにじるものであり、かつ沖縄以外の県の拒否は認めて移設先として提案は行わず、沖縄の拒否は一切認めずに県内への移設を進めるという沖縄差別であり、絶対に許すことは出来ません。また「最低でも県外へ」との総選挙での発言や、「沖縄県民の負担軽減の観点から米軍再編や在日米軍基地のあり方について見直しの方向で望む」とした3党の連立合意にも反するものです。
 普天間基地の即時撤去を求め、キャンプ・シュワブ陸上案などの県内への移設に反対する沖縄県民の民意は充分過ぎるほどに示されています。1月の名護市長選挙での勝利、2月24日の沖縄県議会の「米軍普天間飛行場の早期閉鎖・返還と県内移設に反対し、「国外・県外移設を求める意見書」の全会一致での可決、3月8日の名護市議会の「キャンプ・シュワブ陸上案に反対する意見書」の全会一致での可決をはじめ県内の自治体での相次ぐ県内移設反対の決議の採択などです。沖縄では県民の総意を踏みにじる鳩山政権に対して日ごとに県民の怒りの声が高まっています。
 こうした中で4月25日に、沖縄県議会の超党派の呼びかけで鳩山政権に対し「県民の大同団結で県内への移設を許さない島ぐるみの声を突きつけていこう」と10万人規模の県民大会が開催されます。
 私たちは、沖縄県民大会に呼応して首都圏でも鳩山政権に対して、「普天間基地の無条件撤去」「沖縄県内への移設を許さない」大きな声をあげていくべく集会・デモ行進を行います。鳩山政権による県内移設の強行を許さないために、この間、辺野古への基地建設を許さない闘いを取り組んでこられた全ての団体、個人のみなさんへの総結集を呼びかけます。

★☆★☆
4月25日夜は~キャンドルで人文字をつくろう!~
☆★☆★
☆集会名:NO BASE! OKINAWA ~キャンドルで人文字をつくろう!
☆日 時:4月25日(日)18時~           ★
☆場 所:明治公園(新宿霞岳町、渋谷区千駄ヶ谷一丁目)
☆内 容:歌、スピーチ、キャンドルによる人文字     ★
※当日、キャンドル代(orペンライト代)として500円程度の
カンパにご協力を!
☆主 催:「沖縄に基地はいらない」全国同時アクションTokyo ★
☆協 賛:沖縄一坪反戦地主会関東ブロック/WORLD PEACE NOW
http://list.jca.apc.org/public/cml/2010-April/003762.html
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自立のネオコン右翼的解釈

2010年04月22日 22時12分14秒 | 貧乏人搾取の上に胡坐をかくな
 前回取り上げた右翼ネオコン新党の中で、首長連合(日本志民会議)については、記事執筆時点ではまだ党結成前という事もあって、簡単にしか取り上げていなかった。事実、くだんのHPを読む限り、「立ち上がれ日本」と似たり寄ったりの内容でしかなかったから。しかし、その後正式に「日本創新党」として、立党宣言や基本理念やらが発表されるに及び、改めて当該新党のHPを読み返してみた。その結果、この新党の理念・目標とするものが、この間続々と自民党離党組が立ち上げた右翼新党の、国家観・人間観を良く言い表したものである事が、今更ながら分かった。そこで、今回はこの新党に限って、もう少し書いてみたいと思う。

 この新党のHPには、「自立」「責任」「強い個人」といった言葉が頻繁に登場する。しかし、その言葉の意味する所が、どうも私が今まで抱いていたものとは違うのだ。若し仮に、この新党の党員・支持者と私が、ある問題で議論になったとしても、同じ「自立」という言葉一つとっても、双方で意味合いが微妙に異なる為に、多分いくら議論してもすれ違いにしかならないだろう、そんな予感がするのだ。
 私にとって「自立」とは、「ホームレスの自立」「障害者の自立」とかの用法で使われるものと、同じ意味合いのものでしかない。それは、一言で言えば「人間としての当たり前の、普通の生活が送れるようになる」という事でしかない。仕事や家を失ったホームレスが、再びそれらを取り戻せる事。事故で手足を失った障害者が、義足や車椅子の力も借りて、少しでも以前と同じ様な生活を送れるようになる事。一言で言えば、日本国憲法25条で言う所の、「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」が保障された状態に他ならない。

 しかし、この新党を始めとした、ネオコン(新保守主義者)やネオリベ(新自由主義者)といった右翼・資本家連中のいう「自立」とは、前述の私の意味とは、微妙に異なるようなのだ。普通に仕事して、普通に余暇を楽しみ、しかしその中でも人間としての喜びや誇りを失わずにいる。健康で文化的な最低限度の生活が営める・・・どうやら、それだけでは「ダメ」らしい。
 そんなものは、ただ安逸を貪るだけの、「社畜」「給料泥棒」の生き方でしかない。そんな事は人間として当然の事であって、全然「プラス評価」にはならない。人間として評価されるには、それ以上に秀でた業務遂行能力なり特殊技能なりを持っていなければダメだ。奥谷禮子・城繁幸・勝間和代・イチローみたいな人だけが評価されるのだ・・・と。そういう事のようなのだ。
 しかし、みんながみんな全員プロ野球選手みたいになれる筈もないし、その必要もない。若しそんな事になってしまったら、プロ野球選手も「プロ」でなく「只の人」になってしまうw。

勝間さん、努力で幸せになれますか
勝間 和代,香山 リカ
朝日新聞出版

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 勿論、当該HPでも、そこまで露骨な表現はしていない。しかし、例えば当該新党HPの「私たちのめざす日本の国家像」のページにある「自由で力強い日本」とか、「立党宣言」のページにある「「選ばれる国」になるために国際競争にしのぎを削」れだとかいう言い回しの裏に、そういう露骨な弱肉強食思想が透けて見える。
 ここで目指すべきとされているのは、あくまでも「普通の日本」ではなく、「強い日本」であり「選ばれし国」でなくてはならないのだ。そして、その為の「国際競争にしのぎを削」る事の出来ない「負け組・ワーキングプア」は、「死ね」とまでは言われないまでも、「しのぎを削って生きている勝ち組・資本家」の前では、小さくなっていなければならない、と。そういう価値観に貫かれている。

  
 ※真鍋昌平・作「闇金ウシジマくん」(小学館「ビッグコミックスピリッツ」連載)より

 勿論、最低限の独立も維持できないような国や、日々の生活にも事欠くような国民の暮らしでは、あってはならないと私も思う。だから、国民全てが「健康で文化的な最低限度の生活が営める事」が、国としての最低条件だ。その為には、国民も、読み書きや普通の計算が出来て、普通に仕事が出来て、普通に日常生活が送れなければならない。義務教育卒業程度の学力を兼ね備え、自分の頭で物事を考えられる国民でなければならない。
 その上で、メディアリテラシーの能力を身に付け、マスコミの情報操作や政府の嘘も見破る事が出来、万が一、生活困窮や不当解雇に晒されても、どういう権利や法律があり、どこに相談に行けば良いか理解できて、自分で行動できる、必要ならば周囲にも助けを借りる事が出来る。そういう「生きた学力」を体得出来れば、尚良し。そういう国民であってこそ、国としての独立も維持できる。何となれば、国民あっての国家なのだから。それが「国民の自立」であり「国家の自立」だ。少なくとも私はそう考える。

 その観点からすると、今の日本は、「独立・自立している」とは到底言い難いのは確かだ。但し、それは右翼がよく言う「憲法第9条の所為」なんかではないと思う。第9条でも、国民の自衛権までは否定していないからだ。他国の侵略に際しては、国民は抵抗する権利がある。これは現憲法の下でも同じだ。仮に非武装の立場に立つとしても、「非武装国民抵抗」という考え方もあるからだ。それ以外にも専守防衛という選択肢もある。
 今の日本の独立が損なわれているのは、寧ろ憲法9条よりも日米安保条約に因る所の方が大きいと思う。それが、在日米軍によるジェット機墜落事故やレイプ事件でも日本側に禄に裁判権が無い治外法権や、「思いやり予算」「核兵器の持込密約」や、普天間基地問題であろう。沖縄戦の最中に米軍がドサクサ紛れに強盗同然に作った基地一つ撤去出来ないなんて、他の米国の同盟国でも在り得ない話だ。米軍よりも遥かに軍備の劣るタイやフィリピンですら、とっくに米軍基地を撤去したと言うのに。非武装で米国の経済的従属下にある中米コスタリカでも、米国には是々非々の外交政策で臨んでいるというのに。

 その「国家・国民が自立していない」という話だが、それは決して「国民道徳の衰退」や「国への依存」に帰せられるべきものではない。そうではなく、戦後ずっと続いた自民党政治が、対米追従一辺倒で来たからだ。それは前述の安全保障の問題だけでなく、例えば国内農業の衰退についても言える事だ。
 農業衰退の原因は補助金依存に因るものか?違うだろう。仮にその様な依存体質があるにしても、そう仕向けてきた元凶こそが問題であろう。そして、本来食糧自給も充分可能であるにも関わらず、米国やWTOの言いなりに、減反政策やミニマム・アクセス米の義務的輸入、輸入自由化を強行してきた自民党歴代政府こそが、その最大の元凶ではないか。これは「食の安全」についても然りだ。米国や国際資本の言いなりに、BSE・遺伝子組換作物・食品添加物の規制をどんどん緩和してきたから、産地や日付の偽装も罷り通るようになったのではないか。
 その輸入一辺倒の犠牲は誰が払うのか。日本の農民・消費者であり、また、国際資本によって農産物を買い叩かれ、飢餓輸出を強いられている開発途上国の農民ではないか。それを「国家依存で公徳心を無くした国民が悪い」という右翼の言い草は、正に「白を黒」と言い換える詐術でしかない。

 しかし、ネオコン・ネオリベ右翼にあっては、絶対にそうは考えない。国や個人の自立を阻害しているのは、あくまでも国民の「公徳心の欠如」や「国への依存心」なのだ。そして、それを払拭する為には、「健康で文化的な最低限度の普通の暮らし」を追い求めたり、「国民みんながそこそこ食って行けて、他国の言いなりにはならず、他国を自分の属国扱いもせず、どんな国とも民主的に協調してやっていける国」であるだけでは、「ダメ」なのだ。あくまでも「強い個人」や「強い国」が求められるのだ。それが国家や国民の「自立」という事のようなのだ。
 だから、「国を当てにせず」(新自由主義)、逆に「国に尽くす」(新保守主義)事が求められるのだ。正に「帝国主義国における臣民の心構え」とも言うべきものだ。

 また、人間が自立するには、「自助」(自助努力、自己責任)・「共助」(助け合い、社会連帯)・「公助」(公的扶助、社会保障)の3つが共に必要なのに、この種の右翼にあっては、ひたすら「自助努力」だけが過度に強調される。
 そこでは、「共助」や「公助」は、あくまでも「自助」の「付け足し」であり、それも「強い個人」からの「思し召し、お情け」でしかない。これらの人士にとっては、社会福祉なんて、只の救貧政策でしかないのだ。それを、下手に「共助」や「公助」を求めようとしたり、況してや「社会保障は人権」なんて言おうものなら、途端に「バラマキ」だの「社会主義的」だのと罵り始めるのだ。
 今の米国が正にそうなっている。表向きの「自由民主主義国家」の建前とは裏腹に、国内では経済格差や産業空洞化が広がり、サブプライムローン破産で家を失う人々が続出し、まともな就職口もなく、生きていくためには兵士となって、アフガン・イラク侵略に駆り出されるしかない。満足な公的医療保険制度もなく、それを要求する人間としての当然の権利すら、「社会主義者」だの「アカ」だのと罵られるような、歪んだ競争社会。

ルポ 貧困大国アメリカ II (岩波新書)
堤 未果
岩波書店

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 それが、この新党のいう「自立」であり、他のネオコン右翼新党にも色濃く影を落とす「自立」観なのだ。道理で、「志民」とか「平成維新」とか、如何にもイッパシの「国士様」気取りで、「無責任で他力本願の下々の民を引っ張っていってやる」と言わんばかりの選民エリート意識が、HPの随所で鼻に付く訳だ。
 しかし、これではもはや、どこかの将軍様の国の「先軍政治」とも、そう変わらないのではないか。少なくとも、民主主義や人権とは相容れない感覚だ。こんな一握りの「強い自立した」選民エリートしか生き残っていけないような、殺伐とした社会なぞ、俺は御免蒙る。
 この新党のHPについては、他にももっと言いたい事が山ほどあるが、もう夜も遅いので、後は適宜、編集・追記やコメント欄での補足の形で、書き足していく事にする。
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どこに移設しようとダメなものはダメ

2010年04月18日 15時32分08秒 | 沖縄の犠牲の上に胡坐をかくな
 如何に「お上の命令」でも、一部バカウヨから「反日」「生活エゴ」と罵られようとも、人間として、嫌な物は嫌だし、納得できない事は受け入れられないのだよ。それは、沖縄でも徳之島でもグアムでも同じだ。以下、同じ御用メディアでも、ヘイト一辺倒の産経と比べたら、まだ多少はまともな記事も稀に載る事がある、読売新聞から転載。

--------------------------------------------------------
・普天間移設反対、徳之島で1万人規模の集会(読売新聞)

 米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設先として鳩山首相が有力視する鹿児島県の徳之島で18日午前、約1万3000人(主催者発表)が参加する移設反対集会が行われた。
 島民2万6000人余りの同島では異例の大規模集会で、地元3町長も主催者として参加。首相が「5月末までの決着」の前提条件とする地元の合意を得るのは、絶望的な状況にあることが改めて鮮明になった。
 集会は、3町長のほか、商工会や漁協など約60団体でつくる「米軍基地移設反対協議会」が主催し、徳之島町の漁港に特設会場を設けて行われた。島民たちは「絶対反対 NO BASE」「国は住民の声を聞いて」などと書いたプラカードを掲げ、気勢を上げた。
 高岡秀規・徳之島町長は「アメリカもノーと言った徳之島案はありえない。最後の最後まで、反対の輪を広げていこう」とあいさつ。農業や福祉、学生など16団体の代表が次々に移設反対を訴え、「長寿、子宝、癒やしの島に米軍基地はいらない」とする決議文を採択した。
 集会は当初、5月に計画していたが、政府が地元への説明をせずに移設案を検討していることに対抗し、前倒しで実施。予定していた1万人を大幅に上回る参加者が集まった。
 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100418-00000369-yom-pol
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右翼新党にたったひとつ期待する事

2010年04月17日 00時52分28秒 | 貧乏人搾取の上に胡坐をかくな
 今まで自民党にいた奴等が、今頃になって我先にと自民党を飛び出し、新党を立ち上げている。言わずと知れた、「みんなの党」や「立ち上がれ日本」、首長連合などの右翼保守系新党の事だ。
 それぞれ新党のホームページで各党の主張も読ませてもらった。但し首長連合については、まだ結党準備中との事なので、母体の「日本志民会議」の主張を参考にした。どの新党とも、主張している事は、これまで自民党が言ってきた事の焼き直しでしかない。消費税増税や自主憲法制定などがその典型で、いずれも自民党が本音ではやりたいと思っていた事で、国民の抵抗によってなかなか実施出来ないでいる、そういう政策ばかりだ。
 そこには、現実に国民が直面している生活苦や失業・貧困の打開策について、具体的に書かれたものは一つも無い。確かに一部には、それらの問題についても憂えているかの様な記述や、「スポット派遣規制」なども謳ってはいる。しかし、それらの処方箋として挙げられているのが、とっくに破綻済の「トリクルダウン」(大企業繁栄のお零れ頂戴)理論なのだから、お話にならない。実際には、利潤は全て大企業が取り込んでしまい、国民には殆ど還元されず、バブル経営の尻拭いだけを一方的に押し付けられただけだったにも関わらず。その挙句に、それに対する国民の苦痛や正当な怒りに対してまで、「生活エゴ」と罵る輩まで登場するに至っては(西村眞吾など)、もはや何をか況やである。

  

 もう少し詳しく各党について見ていく。
 まずは「立ち上がれ日本」だが、結党趣旨として、「打倒民主党」「日本復活」「政界再編」の3つを挙げている。鳩山政権・民主党への国民の信頼が失われつつあるのはその通りだが、それはこの政権・与党が、悉く「反自民」の当初の公約を反故にしつつあるからである。然るに、この右翼新党は、「反日・売国=反自民」公約こそが諸悪の根源と、事実を逆さまに捉え、後ろ向きの反動的な立場からの政権・与党攻撃に終始している。だから、「普天間基地撤去」「派遣法改正」問題でも後ろ向きの議論に終始し、逆に「米軍基地の永続・固定化」や「外国人参政権・夫婦別姓反対」などを言い募る有様で、現実離れした「伝統回帰」に活路を見出そうとしている。その挙句に「政界再編」、つまり「せっかく民主党の人気に陰りが出てきたのに、このまま落ち目の自民党に居たのでは一生陽の目を見ない」「ここは自分たちを高く売りつける事で、少しでも有利に事が運ぶ様にしておこう」という、さもしい個人的打算を公然と主張しているにしか過ぎないのだ。

 その辺の事情は「日本志民会議」も同じだ。「改革派首長たちの集まり」との前宣伝とは裏腹に、そこに掲げられている公約は、「立ち上がれ日本」と同様に、情緒的・復古的な「観念のお遊び」でしかない。この21世紀において、未だに「天皇」がどうたら「日本書紀」や「憲法十七条」がこうたらと、そんな事しか書けず、現実に生起する生活苦や失業問題について、何ら具体的な対案を提示出来ないのだから。凡そ民主主義や人権擁護などの現代的価値観とは全く無縁の、観念の世界に生きているとしか言う他ない。
 ここまで来ると、もう旧来保守の国民新党や自民党の谷垣・石破あたりの方が、そこまで現実から遊離していない分だけ、まだナンボかマシだ。道理で、幾ら産経新聞あたりが、休日に「赤旗」号外を配布したヒラ公務員の「政治的中立」を槍玉に挙げながら、公務を放り出して「新党ごっこ」に現を抜かす石原・橋下など現役知事の「政治的偏向」には諸手を挙げて賛成するという、露骨なダブスタぶりで支援しても、ドッチラケムードにしかならない訳だ。

 それと比べると、まだしも「みんなの党」の方が、一年先輩格だけあって、まだ見るに耐える面がある。「立ち上がれ日本」や「日本志民会議」の様な、自分勝手な願望だけを書き連ねてそこに至る道筋が何も提示されていない「綱領・宣言」とは違い、具体的な数字や財源論らしきものもそこには提示されており、前二者よりも遥かにマニフェストとしての体裁が整えられているからだ。
 党の役者も、「立ち上がれ」の様なアナクロ・ウヨ爺とは違い、イケメン風のチョイ悪オヤジが揃っている。党の公約も、前二者の様なアナクロ二ズムは影を潜め、「脱官僚」「地域主権」「生活重視」といった耳障りの良い言葉が並ぶ。実際に、「スポット派遣規制」や「日米同盟を基軸としつつも闇雲な対米追従姿勢は取らない」といった主張も、目くらましとして散りばめられている。成る程、川田龍平といった政治家や、その他の少なくない国民が、この党に幻惑されるのも、何となく分かる様な気がする。
 しかし、この新党もよくよく見れば、核心を為す主張は、いずれも悉く新自由主義的なものでしかない。公務員・国会議員の大幅削減、独立行政法人の民営化、企業・団体献金禁止と引き換えに政党法制定、ハローワークの民間開放、道州制導入、農業の民営化・株式会社参入、国連決議に基づく海外派兵のルール作りと、「主権在民」ならぬ「主権財界」「主権在米」ともいうべき謳い文句がそこには並ぶ。社会保障を人権としてではなく単に税金の対価としてしか捉えていない点や、公務員を住民全体への奉仕者ではなく単に政府(内閣・官邸)の手足としてしか捉えていない点を見ても、この「新自由主義」新党も、所詮は民主主義や人権とは相容れない存在でしかない事が分かる。

 この様に、「立ち上がれ日本」「日本志民会議」の2つがどちらかといえば右翼寄りであるのに対して、「みんなの党」はどちらかといえば新自由主義的側面が強く出ている。しかし元々は、右翼と新自由主義は、根本的に対立するものではないのだ。
 何故なら、新自由主義者の言う自由化・民営化というのは、「勝ち組」資本家による「搾取の自由」でしかないからだ。他方で、右翼が美化してやまない伝統とか日本古来の文化とかいうのも、家父長制や封建道徳の称揚を通した、「負け組」庶民に対する「奴隷根性」の押し付けでしかない。何のことは無い、「勝ち組」の「搾取の自由」を、「負け組」の「奴隷根性」で下支えさせようとしているのだ。
 劃して、失業・低賃金・労働強化・低福祉への怒りが、グローバル資本や政府・財界・特権官僚などの「真の敵」には向かわずに、自分と同等かそれより下位の、末端公務員・高齢者・非正規労働者・女性・アジア系外国人などへの「弱者叩き」や「自己責任」追及に摩り替わる事となる。外国人・老人叩きに狂奔する「嫌韓流」漫画家や、上には何も言えず同類以下に当たり散らすしか能のない勤め先のボンクラ社畜の様に。
 「みんなの党」が、官僚・公務員は熱心に叩いても在日米軍の特権については通り一遍にしか触れないのも、「立ち上がれ日本」で、郵政民営化賛成の新自由主義者(与謝野)とそれに反対した右翼(平沼)が野合出来るのも、新自由主義者と右翼が、たとえ女系天皇・外国人参政権・夫婦別姓などの個別問題で利害が衝突したとしても、根本において両者が相互補完の関係にあるからである。ネットでは最新・最右翼の「立ち上がれ日本」に注目が集まっているが、先行ランナーの「みんなの党」も含め、「新自由主義者と右翼の野合」という本質において、これらの右翼新党は全て同根なのである。

  

 この様な、新自由主義者と右翼の野合による、「憲法改悪と消費税増税」「国家主義と規制緩和」「軍拡と弱いもの虐め」の同時遂行という、超最悪な組み合わせの右翼新党でも、ただ一つ期待出来る事がある。それは、「自民党の別働隊を目指したものの、選挙で足を引っ張り、実際には民主党の別働隊のような役割を演ずる」(五十嵐仁の転成仁語)事を通して、自民党の解体を更に決定づけてくれる所にこそある。
 しかも、その余波は一人自民党だけに止まるものではない。先の総選挙で、政権を自民党からもぎ取った民主党も、小沢執行部による「左旋回」で左派層の取り込みに成功したとは言え、元々は自民党から分かれた新自由主義者と右翼によって取り込まれた党でしかないからだ。自民党が「立ち上がれ日本」に足をすくわれる形で民主党に敗北するのに対して、民主党は「みんなの党」に侵食され、自民党の後をなぞる形で解体を遂げていく事だろう。
 国民不在の小選挙区制・二大政党制を終わらせる中での、第一段階としての自民党の解体・終焉、次いで第二段階としての民主党の解体・終焉。それこそが、今度の参院選で候補者を乱立させるであろう幸福実現党や維新政党新風も含めた、右翼新党に課せられた真の歴史的使命なのだ。

(その他の参考記事)
・参院選10議席目指す 消費税10%公約にたちあがれ日本(産経新聞)
 http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/100411/stt1004111230006-n1.htm
・新党ラッシュで既存政党は? 自民は危機 公明・みんなは歓迎、民主は無警戒(同上)
 http://sankei.jp.msn.com/politics/election/100409/elc1004092306002-n1.htm
・新党を「立ち枯れ?」 喜美氏がチクリ(同上)
 http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/100407/stt1004071840011-n1.htm
・「旧党」「矛盾感じる」 平沼・与謝野新党に各党、冷ややか(同上)
 http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/100405/stt1004051936007-n1.htm
・自民離れた保守層を取り込め! 新党は憲法、消費税を二大政策に(同上)
 http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/100404/stt1004042304004-n1.htm
・「首長新党」4月中に結成、参院選に10人以上(読売新聞)
 http://www.yomiuri.co.jp/feature/20100105-807334/news/20100407-OYT1T01467.htm
・「趣味の政治ごっこ」としての保守新党結成ブーム(村野瀬玲奈の秘書課広報室)
 http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-1715.html
・毎日新聞が社説で「立ち上がれ日本」の大連立狙いを懸念(きまぐれな日々)
 http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-1064.html
・与謝野・平沼新党は本当に民主離反票の「受け皿」になりえるか(田中秀征 政権ウォッチ)
 http://diamond.jp/articles/-/7831
・くさい芝居はもう沢山だ!(拙稿)
 http://blog.goo.ne.jp/afghan_iraq_nk/e/c888796e5108f14991501cb3376e4bc6
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Sakura International 2010

2010年04月12日 20時56分44秒 | 身辺雑記・ちょいまじ鉄ネタ
 先週土曜日の定休日に、ふと思い立って、一人でぶらっとお花見に行ってきました。行って来たのは大阪市内の大川端。JR環状線を桜ノ宮駅で降り、そのまま大川端を銀橋(桜宮橋)まで、川べりの桜並木を堪能してきました。開花予想では、大阪はその前の週が満開だった様に思います。しかし、その後も寒い日が続き、その一週間後の先週土曜日でも、桜が散らずに残っていました。

  
 実は、その先週にも住吉公園の桜を見てきたのですが、やはり公園の桜よりも川べりの桜の方が絵になります。現地に着いたのは午前11時前。お昼には少し早かったのですが、近くのローソンで買った幕の内弁当で、早めの昼食を済ませました。しばらく行くと中州があり、そこにも見事な桜並木が。その美しさにつられ、私も橋を渡って中洲へ(上右写真)。
 
  
 大学の漕艇部と思しき男女のレガッタが川を行き来し(上左写真)、観光屋形船が銀橋の下を通り過ぎて行きました(同右写真)。実際、川べりには大阪市立大学や神戸大学の漕艇部の艇庫もあり、部員がレガッタの手入れを行っている風景に出くわしたりもしました。

 大川(旧淀川)の河川敷は、すぐ隣の造幣局の通り抜けと併せ、全国的にも有名なお花見スポットとなっています。その所為か、殆ど日本人だけだった先週の住吉公園とは違い、外国人の方も大勢お花見に来ていました。それも、白人や韓国人・中国人だけでなく、スカーフをかぶったイスラム系と思しきご婦人(多分インドネシア人?)や、東南アジア系と思しき留学生の集団まで多士済々。それらの方がみんな盛んに桜を愛でておりました。
 斯様に、最近は、有名なお花見スポットには外国人も大勢見かける様になりました。折角、それらの方たちもお花見にやって来る様になったのですから、ここは是非、日本の桜を心行くまで堪能していってほしい。また、日本人の我々の側も、外国人排除に走るのではなく、外国人を桜の虜にする位の気構えで臨まないと、仕舞には世界の何処からも相手にされなくなるのでは。
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今後の闘い方について

2010年04月11日 09時40分42秒 | 職場人権レポートVol.1
 この間の急激な労働条件改悪を契機に地域労組加入に至った私ですが、余りこの件ばかりに拘っていると他の話題について書けなくなるので、この辺で一旦まとめる事にします。今までの経過についてご存知ない方は、お手数ですが、「正しくなくても切れざるを得ない時もある」「呂月庭容疑者の気持ちが良く分かる」「奴隷は何故、奴隷なのか?」「反撃準備完了」の4つの記事(とりわけ前の2つ)を、予め読んで下さる様お願いします。

 当初私は、何の権限も無い「下請け」の、自分の勤めている業務請負会社なぞ相手にせず、「労働強化の諸悪の根源」たる「仕事発注元」の大手スーパーに、何とか直接圧力をかけられないか考えていました。しかし、労組関係者と話を詰める中で、やはり大手スーパーは、私との間には何ら雇用関係がなく「当事者」たり得ない、「当事者=交渉相手」は、あくまでも私を直接雇用している「下請け」の業務請負会社である、という所に落ち着きました。

 ここで少しマクロの話をしておきます。
 私の勤めている業務請負会社は、契約社員(バイト)も入れれば数千人規模の会社です。この大手スーパーに限らず、全国各地で各企業の物流・運輸業務を請負っています。その中でも、この大手スーパーは上得意先に当たります。構内作業員のバイトや配送のドライバーも含めれば数百人からの従業員が、主に関西圏を中心に、当該スーパーの物流センターで働いています。
 その一方で、このスーパーには、取引会社(大手食品メーカー)系列の別の業務請負会社が、主に関東圏を中心に物流業務を請負っていました。謂わば、系列を異にする2つの業務請負会社が、当該スーパーの仕事を東西で分け合って来たのです。
 それがここに来て、スーパーの方で「下請けの一本化」を図りだしました。取引先メーカー系列の関東圏の子会社の方に一本化し、私の会社を外しにかかり出したのです。それに対して私の会社は、当初は撤退も考えていたものの、やはり「背に腹は代えられない」と、一次から二次下請けへの格下げや、一次下請けの賃金ピンハネで時給20円ダウンなどの、労働条件引き下げも甘受して、ともかく雇用確保最優先で動いてきました。それが、この間の労働強化の背景です。

 次に少しミクロの話をします。
 そういう事で、私が当該請負会社の契約社員として働いている物流センターには、昼勤・夜勤併せて100名近くの従業員が、シフト勤務で働いています。そのうちで、低温物流部門の昼勤シフト勤務者が、私も含めて約40名。うち請負会社の正社員が約10名。残りは全て契約社員で、早朝6時、同じく7時、8時からそれぞれ8時間勤務のフルタイム出勤者と、10時から14時ぐらいまでの学生・主婦パートが主体の短時間勤務者が、入れ替わり立ち替わり仕事に就いています。
 ここで日常業務を主導しているのが、所長を中心とした正社員と、私と同じバイト身分でありながらも、今までの経緯から現場チーフとして遇されてきた(良い様にこき使われてきた)一人の古株の契約社員です。まず正社員の方ですが、半分「名ばかり」です。完全な「名ばかり」とは違い、ボーナスや退職金は一応あるものの、ずっと現場に張り付いてバイトと同じ作業をこなさなければならない上に、作業管理や労務管理の責任も負わされています。そして古株の方も、こちらは典型的な「団塊の世代」で、かつて百貨店のモーレツ営業課長として鳴らした自負もあるのか、既に還暦を越えた身であるにも関わらず、「根性論」だけで現場を回そうとします。
 くだんの「名ばかり正社員」も「団塊の世代」も、人間的には決して悪い人ではありません。「団塊の世代」に至っては、ここでも私が森にされたのと同じ目にあったバイトがいた様ですが、その時も当人は最後まで被害者を庇い、加害者に断固たる処罰を要求していました。今流行の小説「蟹工船」に出てくる鬼監督・浅川の様な冷血漢ではなく、あくまでも「会社存続と従業員の雇用確保の為」を思って、しかし結果的には、発注元の大手スーパーや一次下請けの取引先子会社には何も言えず、そのしわ寄せをこちらに押し付けて来ているのです。正に「分断統治」を地でいく話です。

 以上が私の職場の状況ですが、これは、労組の人からすると、なかなか難しいケースなんだそうです。何故なら、一日10数時間も働かしたり、残業代や有給休暇を支給しなかったりといった、タイムカードや給与明細などで比較的容易に足がつく様な、明白な不当労働行為ではないのですから。現象として現れてきているのは、あくまでも「労働密度の濃さ」であったり、社員や古株の「物の言い方」(所謂パワハラ)であったりするのですが、これらは人によってそれぞれ受け止め方が違うでしょう。ある人にとっては「許容限度外」であっても、他の人にとっては「気の持ちよう」で終わってしまい、証拠としては前者よりも遥かに劣る。
 但し、休憩については、「8時間以上勤務に付き1時間以上の休憩」(労基法34条)では現場が回らないという事で、閑散期以外は「前・後半に30分ずつ分けて付与」の形になっており、これを違法労働・不当労働行為として告発する手がありますが、如何せん、タイムカードには反映されないので、証拠を押さえる事が出来ない。
 そして何よりも、他の従業員が、依然として奴隷根性に囚われたままで、私一人が突出した行動をとっても、自爆にしかなりません。しかも、それでスーパーから業務委託契約を解除されて、従業員が失職しようものなら、虻蜂にも成りかねない。

 斯く言う私自身も、そこまでしてまで、休憩時間を一時間一斉付与の形にまで持っていく事は、現時点では望んでいません。今の現状でいる限り、どう見ても適わない相談だからです。それについては、地道に人員増を要求していくしかないでしょう。それよりも、今の労働密度を何とか緩和して欲しい、古株の上から目線の「物の言い様」を何とかして欲しいというのが、大方の本音ではないでしょうか。しかしそれも、「あの古株さんも良かれと思ってやっているのだし・・・」という同情論も一方である(私も労働強化以前はどちらかというとその口だった)。
 私としては、まずはその「労働強化」や「物の言い様」に対して、その都度(決して後回しにしたりせず必ずその場で)、「俺らは確かに下請けかも知らんが、決して奴隷ではないぞ!」「上に何もよう言わんと、俺らばかりに当り散らすな!」と声を上げ、「このままではいかん、何とかしなければ」という事を、社員や古株に身をもって分からせていこうと思っています。
 幸い今の私は、その気になればいつでも辞めれるアルバイト。もう「いずみ生協」時代の様な「奴隷の我慢」は沢山です。言って聞かないのであれば、「労働強化」や「物の言い様」の記録保存と然るべき場への告発に進むしかないでしょう。まずは、彼の人たちの意識が変わらなければ、全然話が先に進まないのですから。その他にも、具体的なアドバイスがあれば、コメント欄やメールで、是非投稿をお願いします。
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反撃準備完了

2010年04月08日 22時43分28秒 | 職場人権レポートVol.1
  

 前職退職して既に10年近く、業務請負会社の契約社員(早い話がフルタイムのバイト)として、労働組合とは縁の無い生活を送ってきた私ですが、つい先日、再び組合に加入手続きを済ませて来ました。但し、自分の会社には組合が無いので、一人でも入れる個人加盟制の地域労組に、自ら出向いて行って、ですが。
 加入動機は勿論、この間ブログでも取り上げてきた、私の会社の労働条件悪化に因るものです。具体的な経緯については、「正しくなくても切れざるを得ない時もある」「呂月庭容疑者の気持ちが良く分かる」の、2つの当該ブログ記事をご覧下さい。

 ただ、そこに至るまでは、結構迷いもありました。
 まず、労組加入の動機は、あくまでも個人的なものである、という事です。今まで業者に手数料払ってさせていた牛乳や冷凍商品の仕分けを、同じ給料のままで自分たちの仕事にされようとしたり、業務改善には程遠い欠陥だらけのシステム変更を、充分な説明もなしに一方的に押し付けられたりした。そんな非人間的な仕打ちをされても、下請けであるという理由だけで、何も言えずに(言おうとすらせずに)、非人間的な労働強化を強いられ、モノ扱いされている事への、個人的な怒りがありました。
 だから、怒り自体は社会性を帯びた正当なものであっても、出発点はあくまで個人的な動機がベースであり、「人民解放」とか「世のため人のため」という意識は希薄でした。当初は「こんな会社なぞ辞めてやる!」と息巻いていたものの、ハローワークで実際の就職難に直面する中で、「同じ辞めるにしても泣き寝入りだけでは終わらせない」という方向に次第に転換して、とうとう労組加入に至りました。その一方で、「そこまでしてまで、この職場に入れあげる必要はあるのか」という思いも、依然として私の中にはあります。

 また、ここ数年来のバイト生活に先立つ、それ以前の十数年に及ぶ生協職員の時期には、労働組合の分会長も歴任し、関西勤労協主催の労働学校も、何回か受講しました。その為、労組の活動経験はそれなりに持っていますが、今度加入した地域労組は、これまでの会社・職場単位の組合とは全く様相が異なります。役員や幹部と平の労組員との距離が小さい反面、会社の組合員は自分一人だけなので、具体的にどんな活動をすれば良いのやら、なかなかイメージが掴めない。
 また、理不尽な仕打ちへの怒りで、勢いだけで組合に入った事もあり、次に会社やその虎の威を借りた人物が何か言ってきたら、組合加入を盾にとって逆襲に転じてやろうと思っていました。しかし、それについても、加入時の説明で早々と釘を差されました。曰く、組合加入自体は、それをしたら不当労働行為になるので、会社はあからさまには拒否する事は出来ない。しかし、陰では何とか組合の力を弱めようと、色々と画策して来る。だから、今は、大っぴらには職場で、組合に加入した事は、言わない方が良い。中で様子を見ながら、最初は信頼出来る人間から、徐々に組合加入を勧めて欲しい、と。

 加入したのは、大阪市内はJR環状線天満駅近くの国労大阪会館(上記左上写真)に事務所を置く、「地域労組おおさか」(正式名称は「全大阪地域労組協議会」)という組合で、その傘下にある各地域労組の中の、「城北友愛会」という組合に入りました(同・右上写真)。その組合は、「城北」の名称からも明らかな様に、大阪市内東北部の都島・旭・城東・鶴見・東成各区を、主な活動エリアにしています。そうであるにも関わらず、何故私がこの組合への加入を勧められたかというと、市内にも幾つかある地域労組の中で、そのどこにも属さないエリアで就業している人たちが、みんな「城北友愛会」に加入する事になっているからだそうです。
 私が、数ある個人加盟の地域労組の中でも、この「地域労組おおさか」を選んだのは、事務所のある国労会館が、今まで前記労働学校の会場になっていた事もあったりで、私には馴染み深かったからです。それに、先にブログにもアップした「世界社会フォーラム」の大阪集会でも、「地域労組おおさか」の関係者が結構活躍していたのもあります。

 兎も角にも、「もはや賽は投げられた」。後は何があっても「当たって砕けろ」です。
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奴隷は何故、奴隷なのか?

2010年04月05日 23時25分11秒 | 職場人権レポートVol.1
 最初からやにわにお聞きします。「奴隷は何故、奴隷なのか?」と聞かれたら、みなさんなら、どう答えますか?
 最初、私はこう答えました。「奴隷である当人が、自分が奴隷である事に気付いていないから」と。しかし、その人は「違う」と言いました。
 次に、私はこう答えました。「人間であるにも関わらず、犬・猫扱いされても平気でいられるから」と。すると、その人は「それを奴隷という言葉を使って言えばどうなる?」と、聞き返して来ました。
 そして、私が答えあぐねていると、その人が答えました。「奴隷自身も、自分を奴隷だと思っているから」というのが、その人の答えでした。

 なるほど、確かに一理ありますね。
 犬・猫が犬・猫扱いされても怒らないのは、自分自身も犬・猫だと思っているからでしょう。若しそうではなく「自分は人間だ」なんて思っていたら、同じ様には行かないでしょう。
 DV被害者の女性が、暴力夫からなかなか逃れられないのも、「自分は夫の奴隷で、逃げる事なぞ到底適わない」という心理状態にまで追い込まれているからです。
 戦時中の日本人が特攻・玉砕を拒否出来なかったのも、治安維持法で政治的自由を奪われる中で、「戦争反対なぞ到底適わない」と思い込まされてしまったからです。
 北朝鮮の人々が金正日の独裁に抗う事が出来ないのも、「自分たちは金正日将軍の下僕であり、将軍様に反抗するなぞ在り得ない」と思い込まされてきたからです。
 今の多くの日本人が、普天間基地返還もイラク反戦も言えないのも、「アメリカ様に逆らうなぞ畏れ多い」と、自縄自縛に陥ってしまっているからです。

 例えば、イラク戦争一つ取ってもそうでしょうが。あんな、誰が見ても明白な米国によるイラク侵略戦争に、何故みんなもっと抗議しないのか。抗議しないどころか、「イラク侵略そんなの関係ねえ」の田母神の様な「エゴ・ナショナリスト」までしゃしゃり出てくるのは、一体何故か。それもこれも、「これが当たり前」と思っている「奴隷」だらけだからでしょう。
 しかし、対米従属というのは、核密約や普天間・日米地位協定の問題だけで終わるものではないのです。国鉄分割民営化や郵政民営化は言うに及ばず、消費税増税や食の安全(BSE・遺伝子組み換え作物など)、派遣労働自由化の問題に至るまで、そこには必ず、自民党だけでなく米国やグローバル資本の意向が反映しています。つまり、これらも全て対米従属と密接に関わっているのです。そんな事は、例えば日米安保条約米国の対日年次改革要望書の条文を読めば、直ぐに分かるのですが。
 それを、「これが当たり前」「北朝鮮問題があるから」「日本は未来永劫、米国の属国で行くしか無いから」という思考停止の奴隷根性のままで、いつまでもおれば、最後にはイラク派兵も断れなくなりますよ(自民党は徴兵制導入の是非を検討中)、労働規制緩和で過労死させられても文句の一つも言えなくなりますよ、それでも良いのですか、という事が、日本人一人一人にも問われているのです。
 「北朝鮮問題」があるから、「イラクの独立と自由を見殺しにしても良い」「過労死させられても仕方が無い」「自民党かその劣化コピー(民主党、みんなの党、平沼・与謝野新党)しか選べなくても仕方が無い」のか。若しそれらが「劣化コピー」で無いと言い張るなら、試しに小沢・渡辺・平沼・与謝野に、今まで挙げた問題の処方箋を聞いてみれば良い。それぞれに濃淡の違いはあっても、いずれも今までの自民党と同じ様な事しか言わないから。
 そうではないでしょう。北朝鮮の民主化も、イラクや日本の独立と自由も、両方達成する道を探るのが、人間としての当然の在り方ではないですか。それが、このブログのそもそもの根本命題であり、この「奴隷」談義でも問われているのです。

 何故こんな事を書いたかというと、前回前々回の記事でも取り上げた、自分の職場の労働強化について、持病の腰痛との絡みもあって、行きつけの鍼灸医さんに相談した時に、同様の指摘を受けたからです。
 何故、数千ケースもの牛乳の仕分けを、増員もされずにさせられようとしたのか。何故、実態にそぐわない「業務改善」を押し付けられるのか。それらが、何故いきなり、何の説明も無く押し付けられるのか。全ては、下請け業務請負会社幹部の「奴隷根性」の為せる業ではないか。いくら下請けだからと言っても、労働者として人間として言うべき事まで、自分から「遠慮」して言わずに来た結果、発注元や元請に良いようにあしらわれてしまっているのではないか。

 そこで私が、たとえ、自分のブログに実名をぼかして投稿したり、切れて退職したりしても、結局「愚痴」「鬱憤晴らし」で終わるだけで、事態は何も解決しない。それでなくても昨今の就職難に加え、私自身ももうそんなに若くないのだから、辞める場合も次の就職先を見つけてから辞めるべき。
 私が言っている事は悉く正論・正義であり、非は新自由主義的経営に走る発注元・元請や、それに言うべき事も言えない奴隷根性の下請けにある。それを容認したまま私が辞めた所で、所詮は「負け犬」で終わるだけだ。同じ辞めるにしても、絶対に「負け犬」だけで終わらせてはならない・・・と。

(この件については、プライベートな事ゆえに、以後は必要に応じて後日談で、という事で、ご了承願います)

 ちなみに、「奴隷」に関する世の名言・格言を検索したら、結構ありました。下記はそこからの抜粋です。アランも鍼灸医さんと同じ事を言っています。かと思えば、ゲーテの格言なぞは逆に、「奴隷は自分を奴隷ではないと思い込んでいる」と言っているし、レーニンなぞは「奴隷としての自覚こそは解放の第一歩」という趣旨の事を言っていたりしています。世の中には色んな解釈があるのだと思った次第で。

・植木枝盛「民権自由論」:
 卑屈の奴隷に安んじて共に満足する人民等は、これは国家の良民ではない。ほんに国家の死民でござる。
・アラン「精神と情熱とに関する八十一章」:
 実際に奴隷となるには、みずから奴隷だと信ずることでもって十分である。
・ゲーテ「格言と反省」:
 自由でないのに、自由であると考えている人間ほど奴隷になっている。
・レーニン「社会主義と宗教」:
 自分が奴隷であることを自覚し、自分の解放のために闘争に立ちあがった奴隷は、すでに半分は奴隷ではない。
・魯迅「諺語」:
 主人となってすべての他人を奴隷にする者は、主人を持てば己れが奴隷に甘んずる。
 http://www.oyobi.com/maxim01/07_12.html
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