「遺産食いつぶした」 照屋氏が福島氏を面罵 社民
先日、古くからのブログ読者でもある友人が、大阪出張の帰りに私を訪ねて来ました。その友人とは新世界で酒を飲み、久しぶりに旧交を温め合いました。
その友人は、地元の名古屋で、社民党に入り活動をしながら、同時に立憲パートナーズとしても活躍されている方です。立憲パートナーズというのは、立憲民主党の協力党員の事です。社民党のような正式な党員ではないが、ある程度の党費を払い、後援会員的な役割を果たしている。そういう党員の事です。正式な党員ではないので、他党の党員でも協力党員にはなれます。
その方から野党共闘の舞台裏についても色々聞く事が出来ました。しかし、その話の内容は、共闘の行く末に暗雲を投げかけるものでした。
その方は、まず社民党が昨年11月14日の全国大会で、分党を決議した時の経緯について話されました。社民党はこの大会で、立憲民主党に合流するメンバーと、党に残留するメンバーで、党を分かつ事を正式に決めました。事実上の党分裂ですが、あくまでも「円満離婚」の形にする為に、このような手続きを踏んだのです。
ところが実際は「円満離婚」とは程遠いものでした。それは沖縄2区選出の照屋寛徳衆院議員が、福島瑞穂・党首に対して「この20年で党の遺産を食いつぶした」と、大会で痛烈に批判した事からもしのばれます。(上記動画参照)
しかし、そうして福島党首を痛烈に批判したはずの照屋議員は、なぜか引き続き社民党に残留する道を選びました。普通に考えれば、党大会で面と向かって党首を罵倒したのですから、てっきり立憲に合流するものと思われていたのに。
でも、その友人が言うには、照屋氏の残留は沖縄の選挙区事情によるものだそうです。沖縄ではまだまだ社民党の力が強く、照屋氏の後援会長も照屋氏の残留を強く望んだので、照屋氏は立憲に合流したくても出来なかったのだそうです。
友人に言わせれば、照屋氏の例なぞ、まだ可愛いものだそうです。友人が活動する社民党の愛知県連では、もっと驚くべき事が起こっていました。
その話によると、社民党愛知県連の代表を務めていた山 登志浩(やまとしひろ)という方が、県連の了承も得ず、勝手に県連代表の職を辞任し、同時に愛知県江南市の市議会議員も辞めて、それまで縁もゆかりもなかった富山1区の衆院選挙区予定候補に鞍替えしてしまったのです。
社民党は、中央組織も各都道府県連合の連合体にしか過ぎず、実際に候補者を選ぶのは地方の県連組織なので、このような事がまかり通ってしまうのです。これにはさすがに愛知県連も頭に来て、山代表を除名してしまったそうです。
なぜ、山代表が勝手に愛知県連の職を辞し、それまで縁もゆかりも無かった富山の衆院選挙区候補に鞍替えしたのか?その理由は今もはっきり分かりません。
富山は愛知に比べ、まだ社民党の力が強いからか?それとも、富山1区は県都の富山市が票田で、同市では政務活動費の不正流用疑惑で市議が大量辞職した事件もあったので、その政治的混乱の隙を突いて立候補に及んだのかも知れません。いずれにしても、憶測の域を出ません。
思えば、社民党が分党に至る経過も、よく分からないものでした。①社民党のままでは当選はおぼつかないので、立憲に合流する事は認める。②その一方で、党に残留して引き続き活動したい党員も少なくないのて、党自体は解散しない。③その上、立憲合流組と党残留組を繋ぐ社民フォーラム(社会民主主義フォーラム)という組織を立ち上げ、立憲合流組もその組織に属しながら立憲民主党の党員として行動する。こんな事まで昨年11月の党全国大会で決議してしまったのです。
そんな社民フォーラムなぞという分派組織を作るぐらいなら、社民党の中で頑張って活動すれば良いのに。また、社民党から立憲に移る以上は、分派組織を立ち上げたりせずに、あくまで立憲民主党の党員として活動すべきでしょう。分派なんて党内の派閥争いにしか過ぎず、有権者や支持者にとっては「はた迷惑」以外の何物でもないのですから。
外野の私なぞは、そう思うのですが。第一、そんな分派組織の存在を立憲民主党が認めるはずがない。「立憲に宗旨替えする以上は、立憲に忠誠を仕え。それが嫌なら社民党に留まれ」と。それが常識的な考え方だと思うのですが。
ところが、立憲はそんな分派活動すら黙認するようなのです。なぜなら、立憲民主党は、議員数こそ野党第一党ですが、まだ出来て間もない党なので、地方組織は無いに等しいからです。それなら、まだ小さいとは言え地方に党組織もある社民党の党員が加入してくれた方が、地方組織をそのまま引き継げるから良いのだそうです。
この立憲の裏事情は、社民党との関係だけに止まりません。右派の国民民主党や希望の党との関係でも、似たような事が起こっています。その典型的な例が松原仁・衆院議員の合流劇です。
松原仁議員と言えば、民主党・民進党時代から、憲法改正に積極的で、保守色の強い政治主張を掲げて来た人でした。今でこそ格差是正にも言及するようになりましたが、昔は拉致問題だけしか言わないような人でした。そんな、立憲よりもむしろ自民党や維新の会にいた方がお似合いの政治家が、なぜ希望の党から立憲民主党に移籍したのか?おそらく、他の国民民主党や希望の党の議員とは違い、労働組合に強い基盤を持たない為に、寄らば大樹の陰と、立憲にすり寄って来たのでしょう。
国民民主党を支持する労働組合も、実際は大企業正社員が中心の御用組合が大半です。原発推進の東京電力の組合を筆頭に。私の勤める大手スーパー物流センターにも、スーパー従業員の組合がありますが、春闘も会社言いなりの一発回答で終わりでした。その組合が加盟する上部団体(UIゼンセン)も、パートが低賃金に怒って労働組合を立ち上げたら、労働者よりも先回りして、会社に御用組合結成をけしかけるような所です。
そんな御用組合が大半なので、とても労働者の代表とは思えない国民民主党ですが、組合費はしこたま貯め込んでいます。だから立憲は国民にも頭が上がらないのです。
そう考えると、これらの議員達は、社民主義だの立憲主義だの、右だの左だの言った所で、思想信条や主義主張は二の次、三の次で、所詮は自分達の保身しか考えていないじゃないかと、思わざるを得ません。
これでは自民党、公明党や維新の会とも何ら変わらない。こんな体たらくで、自民・公明や維新の不祥事を追及できる訳がない。だから、幾ら自民党がデタラメな政治をしても、「野党も似たり寄ったりじゃないか」という事で、最後には数に勝る与党が選挙に勝ってしまうのです。
私は、それで良いとは絶対に思いません。たとえ不甲斐ない野党であっても、こんなデタラメし放題の与党や維新と比べたら、まだ数倍もマシです。野党共闘にも是非頑張ってもらいたいと思っています。でも、こんな体たらくでは、野党はいつまで経ってもアベ政治やスガ政治に終止符を打つ事は出来ないでしょう。
野党に今求められているのは、政権担当能力でもなければ、組織力でもありません。本当に親身になって庶民に寄り添い、庶民の命と暮らしを守ってくれるのか?その気構えを示せるかどうか?今年中に予定されている総選挙で、与党を過半数割れに追い込む事が出来るかどうかも、ひとえにその一点にかかっています。
今日は公休日で桜が見頃を迎えていたので、また近くの天王寺公園にお花見に行って来ました。但し、緊急事態宣言が解除されたとは言え、まだまだコロナが猛威を振るっていますので、短時間で密を避けながらのお花見となりましたが。
まずは、天王寺公園の横にある慶沢園(けいたくえん)の「逆さハルカス」の写真から。慶沢園は、元は住友財閥の邸宅内にある日本庭園でした。それを住友が大阪市に寄付して市設の庭園となりました。今では150円の入場料さえ払えば誰でも中に入る事が出来ます。最近は、近くの超高層ビル・あべのハルカスの姿が庭園の池に逆向きに映る「逆さハルカス」の撮影スポットとしても有名です。ここには今年の冬にも来た事がありますが、この時は風が強くて撮れませんでした。幸い今日は風も穏やかで、きれいに撮る事が出来ました。慶沢園の隣には洋風建築の大阪市立美術館が建っていて、桜が見頃を迎えていました。
庭園の池の周囲には散策路が整備されていて、小さな滝もあり、とても都会の中の庭園にいるとは思えません。周囲にはあずまや風の休憩所も2か所あり、そのうちの1つでは新婚さんと思しきカップルが記念撮影をしていました。池の周囲では写生している方の姿も大勢見かけました。
庭園の中にある長生庵という茶室も、以前来た時には平日で閉まっていましたが、今日は週末という事で、伝統工芸作家による和風のアクセサリーや着物、陶器の展示会が開催されていました。
この後、慶沢園を出て、隣の茶臼山古戦場に移動しました。茶臼山は標高26メートルの低山です。その成り立ちについては実は今もよく分かっていません。以前は古墳の跡だと言われていましたが、今では奈良時代に和気清麻呂が排水路を整備しようとして失敗し、工事を放棄した後に出来た山だという説が有力です。当時の大阪平野は、上町台地以外は辺り一面、低湿地でした。山の前にある河底池(かわぞこいけ、通称・ちゃぶ池)も、その時の排水路の名残だと言われ、池にかかる赤い橋には和気橋という名が付けられています。
ここは戦国時代の古戦場跡としても有名です。1614年の大阪冬の陣では徳川家康が、翌年の夏の陣では真田幸村がここに陣を構えました。山頂には大坂の陣や真田幸村の武勲を称える解説板が設置されています。河底池の噴水の周囲も桜が見頃を迎えていました。ここからは、あべのハルカスだけでなく通天閣も望む事が出来ます。あべのハルカスも通天閣も、ともすれば大都会の真ん中にある繁華街の象徴のように思われて来ましたが、そのすぐ近くには、こんなにも自然の風景がまだ残っているのです。
私の住んでいる大阪・西成のあいりん地区と、その周辺では、出店しているスーパー・コンビニも数社に限られます。スーパーはそのほとんど全てがスーパー玉出です。玉出は、現在、今池と萩之茶屋、花園町、岸里に店を出しています。但し、萩之茶屋にあるお店の名前は、何故か「天下茶屋店」になっています。実際に店があるのは阪堺線今池駅の横なので、どう見ても天下茶屋よりも萩之茶屋の方が近いのに、何故かそんな名前になっています。コンビニも、あいりん地区内にあるのは、そのほとんど全てがローソンとファミリーマートだけです。セブンイレブンは一つもありません。
スーパー玉出はド派手な広告と値段の安さがウリですが、弁当の味はイマイチなので、私は玉出にはほとんど行かず、全て周辺のイズミヤで買い物をしていました。イズミヤも、あいりん地区内にこそ出店していないもの、その周辺部には、第1号店の花園町店を始め、天下茶屋や岸里などに多くのお店を出しています。(上の写真左がイズミヤのレジ袋、その右がスーパー玉出のレジ袋)
玉出のウリである値段の安さについても、安いのは1円セールだけで、中にはイズミヤより逆に値段の高い物もあります。例えば、下の写真の「STカフェオレ大人のほろにが1箱30本入り」なぞ、イズミヤが448円なのに玉出は498円と、50円も値段が高いのです。(下の写真左がイズミヤ、右が玉出)
それで、「玉出の弁当は”安かろう、悪かろう”だ」とSNSに投稿したら、ある方から反論されました。「玉出で売っている商品の全てが”安かろう、悪かろう”ではない。中にはデパ地下の弁当ですら足元に及ばないぐらい美味しい弁当もある」と。「特に塩鯖弁当は絶品だ!」と言うので、私も、その塩鯖弁当を買って食べてみました。そうしたら、まさに”目から鱗”。デパ地下で700円前後で売っている弁当とも引けを取らないぐらい、鯖の脂が乗って美味しかったです。これで368円ですから、非常にお得です。
よくよく調べたら、スーパー玉出は、元は魚屋さんだったのですね。魚屋から始まったスーパーなので、今でも魚の旨さには定評があります。わざわざ玉出に材料の買い付けに来る料理人もいるぐらいです。現に、昨日買った焼トロ鯖棒寿司も、肉厚の棒鯖が1本8切れも入って、たった348円でした。単品の鯖の煮付けも、1尾たったの188円です。
しかし、それ以外の商品は余りお勧め出来ません。弁当はピンキリで、不味い物になると完食出来ずに残したりしてしまいます。鯖の醤油煮缶も1缶100円と安かったものの、味はイマイチでした。今日買ったオーストラリア産牛カレー肉も、165グラム227円と安かったものの、切り方も大雑把で、ドリップも出ていたりしたので、味も大味でした。これほど、商品によって差のあるスーパーは今時珍しいです。これからは、生身の魚はなるべく玉出で買い、それ以外の商品はイズミヤで買うようにします。
今日3月3日の公休日は、桃の節句という事で、和歌山市加太の淡嶋神社で行われた雛流しの神事を観て来ました。実はこの日は昨年も休みで、淡嶋神社の雛流しを観に来たのですが、モバイルバッテリーを忘れた上、スマホが途中でバーストしてしまい、電池切れで肝心の雛流しの場面を撮影出来ませんでした。それが唯一心残りだったのですが、運よく今年もシフト休みとなり、今年はバッテリーも持参したので、神事の一部始終を写真に収める事が出来ました。