アフガン・イラク・北朝鮮と日本

黙って野垂れ死ぬな やられたらやり返せ 万国のプレカリアート団結せよ!

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拡散:夢洲で開催する「大阪万博」の中止を求める要請署名

2023年11月29日 08時24分49秒 | 都構想・IRカジノ反対!

私たちはこれまで何年もの間、万博が夢洲で開催されるリスクについて、大阪府市や博覧会協会と協議を進めてきました。しかし、何ら改善されることないまま、問題がようやく報道されてきた状態です。

夢洲での万博開催は、海外パビリオンが遅れているだけではなく、さまざまな問題が山積しています。

万博を延期しても、コストが上がるだけ。
何の問題解決にもなりません。
夢洲での万博は中止すべきです。

夢洲のような軟弱地盤で万博を開催するとなると、地下に50mもの杭が必要で、終了後、その杭を抜く必要があります。
(イラスト略)

https://ameblo.jp/mori-arch-econo/entry-12820022722.html

以下要請署名文です。
博覧会協会と協議を予定しています。
中止を決定できる、BIE総会も11月末。
この署名は短期決戦です。

ぜひ皆さまのご協力のほどよろしくお願いいたします。


ーーーーーーーー
公益社団法人 日本国際博覧会協会  会長 十倉雅和様
経済産業大臣 西村康稔 様
大阪府知事 吉村洋文 様
大阪市長 横山英幸 様

 

夢洲で開催する「大阪万博」の中止を求める要請署名

 

大阪・関西万博の開催を1年数ヶ月後に迫っている中、以下の難問題は全く未解決のままであります。


1, 各種廃棄物、浚渫土砂で埋立した「夢洲」の土壌問題、地盤問題、環境問題などが全く未解決であり、また、台風対策、地震対策、緊急時の避難対策など安心できる具体策がないこと。


2, 国際物流拠点の夢洲を観光拠点に変更したために、土壌のかさ上げ、交通網の整備、既存道路の拡幅、などに巨額の公金・税金投資を要し、市民生活予算に多大な影響を与えること。


3, 会場建設費が当初予定の1,250億円が、1,850億円と増額され、更に上振れが予想されること。


4, 会場建設地の軟弱地盤対策として、50mほどの「杭」を何本も打ち、終了後には杭を抜いて「更地」とすることが必要とされており、僅か6ヶ月のイベントに全く合理性がないこと。


5, 更に深刻なのは会場建設を担う「建設労働者」、資材運搬の「運輸労働者」の労働者不足、時間外労働規制適用問題への解決策が全く見通せないこと。

6, 夢洲連絡道が2ルートしか無い中、会場建設時の工事車両と物流車両、期間中の観客輸送と物流車両、更にⅠR施設建設が万博開催と同時開始とされている「トリプル交通問題」の解決策がないこと。

7,「いのち輝く未来社会のデザイン」のテーマに全く合致せず、BIEの期待を裏切るものであること。

以上のことから、下記の要請をいたします。


■要請事項

1,日本国際博覧会協会及び地元自治体として現状の混乱状態を正しく認識し、BIE(博覧会国際事務局)と万博開催の「中止」を前提に早急に協議を始めること。

2,中止により、万博に予定されていた「国や自治体財源」を市民の生活・福祉・中小事業者対策、防災・防疫対策に充当すること。
 

■取扱団体 
署名集約先:どないする大阪の未来ネット
530-0041 大阪市北区天神橋2-2-9 プラネット南森町8階 http://donainet.seesaa.net/

 

夢洲で万博・カジノは危険だ

万博・カジノ推進派は完成予定図のきれいな青写真で誤魔化しているが、会場予定地の夢洲は元々、産業廃棄物の最終処分場だった。有害物質の六価クロムやカドミウム、ダイオキシンが地中に堆積し、今もメタンガスが噴出し続けている。

土壌も軟弱地盤で、今もどんどん地盤沈下中だ。夢洲の隅にはコンテナヤードがあるが、2018年の台風では完全浸水、コンテナが風に吹き飛ばされ大阪湾に流出。夢洲から退出する車両には汚染物質を外に持ち出さないようにタイヤ洗浄が義務付けられている。

それに対して、大阪府・市は、私企業の儲け仕事に過ぎないカジノに、750億円以上もの土壌対策費を、税金で支出しようとしている。中小企業振興予算や福祉・教育予算をどんどん削って。

それ以外にも、ハリボテそのものの木造の大屋根(リング)、バケモノみたいなキャラクターのミャクミャクと、突っ込みどころ満載の万博。その壮大な無駄使いの、とばっちりを受けるのは我々、大阪に住む人間だ。

維新の大阪市長や府知事は、「府市合わせ」と言って都構想を推進し、それが失敗に終わった後は万博・カジノに看板をかけ替えたが、これでは、将来の大阪はペンペン草も生えない「不幸せ」な街になってしまう。それでも良いのか?

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洞川温泉の旅(5) 再び洞川へ おもてなしの源流をたどる

2023年11月22日 16時40分13秒 | 身辺雑記・ちょいまじ鉄ネタ
 
先週に続き今週も洞川温泉にやって来ました。但し、今回は日帰り旅です。今回やって来たのは「泉の森大神(泉の森霊泉)」です。現在、「ごろごろ水」「新泉洞」「泉の森大神」の3ヶ所が、「洞川湧水群」として、環境庁によって「名水百選」に指定されています。
 
そのうち、「ごろごろ水」は既に堪能し、「新泉洞」は私有地で立ち入れず。残る1ヶ所の「泉の森大神」も、「ごろごろ水」に負けず劣らず風光明媚だと聞き、電車とバスを乗り継いで行って来ました。
 
洞川温泉のバス停を降り、龍泉寺の前を通り、「かりがね橋」と言う吊り橋の下を潜ると、まもなく川にかかった赤い橋が現れます。その赤い橋を渡り、赤い鳥居の下を潜ると、お稲荷さんを祀ったお社に行き当たります。
 
 
そのお社の奥に、洞窟から清水が湧き出ている場所があります。横には石で祭壇が設けられ、不動明王が祀られています。それが「泉の森大神」です。
 
この場所は、洞川の町から見て東北方向に当たる鬼門の位置にある為、魔除けも兼ねて、この湧き水を祀るようになったのではないかと言われています。私が帰る時も、地元の主婦と思しきご婦人が2人、お社に花を備えに訪れていました。
 
 
すぐ隣はキャンプ場です。夏には涼を求めた観光客で、さぞかし賑わった事でしょう。でも、今はもう晩秋。キャンプ場にはもう誰もいません。その隣にある、この神域も、木漏れ陽の中で、キラキラと輝いていました。
 
 
「泉の森大神」の帰りに、漢方胃腸薬の陀羅尼助(だらにすけ)を作っている工場の前を通りがかりました。聞けば、洞川温泉の旅館や薬局で売っている陀羅尼助は、全てこの工場で製造しているとか。他では売っていないこの薬を、私も一度試しに買ってみる事にしました。
 
どこで買おうか迷っていたら、ちょうどこのお店で、土産物と一緒に陀羅尼助も売っているのが目につきました。そこで、土産物の名水胡麻豆腐や名水葛餅と一緒に、陀羅尼助も少し買う事にしました。
 
 
その店では、おばあちゃんが1人で店番をしていました。そのおばあちゃんに、葛餅や陀羅尼助の品定めをしてもらっているうちに、すっかり意気投合。おばあちゃんに、おかきと葛湯(くずゆ)をご馳走してもらう事になりました。
 
確かに、このご馳走も、見ようによっては、客に商品買わそうとする店の魂胆かも知れません。でも、私は決してそれだけではないと思います。何故なら、この洞川温泉の成り立ち自体が、助け合いの中から生まれてきたようなものだからです。洞川温泉は「後鬼(ごき)の里」と呼ばれています。何故そう言われるようになったのか?簡単に書きます。
 
昔、生駒山に鬼の夫婦がいて、村の子どもを襲って食べていました。そこで、飛鳥時代に修験僧の役小角(えんのおづぬ、別名:役行者)が、鬼を懲らしめる為に、鬼夫婦の子どもを洞窟に閉じ込めてしまいました。そして、「子どもを返してくれ」と泣き叫ぶ鬼夫婦に、役小角は「子どもを取られた村人も同じ思いだ」と諭しました。
 
それを機に、鬼夫婦は、それまでの行いを悔い改め、役小角に弟子として付き従う事になります。そこで、役小角は、大峰山に修験道の道場を開いた後、鬼夫婦に、修行僧の世話をするように言います。
 
そして、夫の前鬼(ぜんき)には今の下北山村の前鬼集落に、妻の後鬼(ごき)には今の洞川温泉に、それぞれ行者の宿を作らせました。そして、後鬼には、陀羅尼助という漢方薬の製法を教え、修行僧にも勧めるように言いました。
 
残念ながら、前鬼集落は今や過疎化でほとんど人がいなくなりました。昔はここも大峰奥駈道(おおみねおくがけみち:昔の巡礼路)の中継地点にあるお宿として、多くの修行僧を迎え入れたのでしょうが。今は唯一の子孫とされる人物が、たった一軒だけ宿坊を経営されているそうです。(詳しくは前鬼・後鬼に関するウィキペディアの記述を参照)
 
それに対して、洞川温泉の方は、大峰山の入口に位置する事もあって、年々興隆を極め、今の温泉町に発展したそうです。つまり、洞川温泉の住民は後鬼の子孫と言う訳です。そういう言い伝えが残っています。
 
 
伝説の呪術師に仕えた鬼の末裔の秘境宿に泊まってみた。【前鬼】【後鬼】【役行者】【小仲坊】【大峯奥駆道】【前鬼山】【下北山村】【金峯山寺】【吉野山】
 
前述のもてなしも、修行僧をずっともてなして来た長い歴史が背景にあるからではないでしょうか。この世知辛い世の中に、そんな夢みたいな話が果たしてあるのか否か?書いている私自身も実は半信半疑ですが(笑)。少なくとも、おばあちゃんの親切には、「わざとらしさ」は全然感じられませんでした。それだけは確かです。
 
 
お昼は温泉街の一角にある和食屋さんで湯豆腐定食にしました。前回来た時は、どのお店も定食類は軒並み千円以上したので、お昼は数百円で食べられる別の店の丼物にしました。しかし、折角来たからには、普段食べる事の出来ない川魚や名水仕立ての湯豆腐も食べなければ。そう思い、今回は1,300円の湯豆腐定食を頼みました。
 
食べた感想ですが、やはり美味かった!まず湯豆腐の食べ応えが、普段スーパーで買って食べている木綿豆腐と全然違う。どっしりしていて、水っぽさが微塵もない。
 
 
卵焼きも、中に具がぎっしり入っていて、厚みがスーパーの惣菜とは全然違う。味も非常に甘くて円やか。自炊では、とてもこんな卵焼きは作れない。しかも、座敷の席の窓からの、街中を流れる山上川の眺めは絶品。
 
でも値段は総じて高め。比較的安い湯豆腐定食も、1人前で1,300円もします。他の商品を見ても、普通のざるそばが700円なのに、何故天ざるそばとなるだけで、倍の1,400円もするのか?(笑)
 
同じ事は旅館の宿泊料金についても言えます。実は洞川温泉にも、当日予約可で素泊まり歓迎の民宿もあるにはあります。一泊数千円で泊まれるので、貧乏で休みもそんなに取れない人には有難いです。
 
しかし、お世辞にもサービスは良いとは言えません。良くてビジネスホテル並み。悪ければ木賃宿も同然。当然トイレもバスも無し。そういう意味では、「後鬼の里」と呼ばれる洞川温泉も、世間並みに俗化はしています。それはある意味、仕方のない事かも知れません。それも有名な店ほど俗化しています。
 
だったら、もう後は中間で妥協するしかない。ほどほどに値段が安くて、ほどほどにサービスが充実している、そんな店や旅館を選ぶしかありません。それはグルメサイトのクチコミ投稿や星の数とは余り関係がありません。
 
昼食を食べた後は、村営スーパー銭湯の洞川温泉センターに入浴し、15時前洞川温泉発のバスに乗って帰りました。その時刻のバスに乗っても、大阪阿部野橋に着いたら、もう17時半を回っていて、辺りはすっかり夕闇に包まれていました。
 
大阪の近くにあり、往復の交通費も4千円以内で済みます。それでいながら、目的地までたどり着くには片道約3時間もかかります。しかも、冬はバスの便も激減し、マイカーで来ようとしても、路面凍結による通行規制で、なかなかたどり着けなくなります。逆に言えば、観光客が激減する冬こそ、俗化に染まらない洞川温泉本来の良さが楽しめるかもしれません。但し、足の確保と防寒対策だけは、くれぐれも忘れずに。
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洞川温泉の旅(4) 名水の里での感動の一幕

2023年11月22日 13時49分18秒 | 身辺雑記・ちょいまじ鉄ネタ

洞川温泉に一泊二日で旅行に来て、五代松鍾乳洞を見た翌日は、「ごろごろ水」に立ち寄りました。鍾乳洞のある所には、必ずと言って良いほどきれいな湧き水が湧き出ています。鍾乳洞を作った石灰岩の地層で濾過された地下水が地表に再び湧き出て来るからです。

「ごろごろ水」も、そんな湧き水の一つです。水が湧き出る際に「ごろごろ」と音がするから、「ごろごろ水」と命名されました。環境庁が指定する「名水百選」にも選ばれました。 ただ、源泉の方は飲用・採取出来ません。見た目はきれいでも、微量の生活排水・産業排水が紛れ込んでいる為です。

その代わりに、源泉のすぐ横にある駐車場で名水を採取する事が出来ます。駐車場の駐車スペースごとに水道の蛇口が設置され、機械で濾過された名水が採取出来るようになっています。採水料は駐車場料金込みで500円です。車ではなく歩いて来た人も、歩行者専用の蛇口で採取出来ます。 駐車場の奥には「ごろごろ茶屋」という喫茶店があり、名水で淹れたコーヒーを売っていました。

 
その後、「ごろごろ水」採水場に立ち寄った帰りに、その名水を濾過・殺菌・充填している工場の前を通りかかりました。工場を経営しているのは「株式会社名水の里」です。小さな工場ですが、ネット販売に力を入れているようで、宅急便で全国に商品を発送しているようです。
 
工場の前では商品の販売も行なっていました。 最初は前を素通りするつもりでしたが、工場の壁に貼られた広告を見て、名水を使った化粧水や石鹸も扱っている事を知り、俄然買う気になりました。 それと言うのも、私は今まで冬はよくアカギレや霜焼けに悩まされて来たからです。最近は霜焼けこそ、余り出なくなったものの、アカギレには今も悩まされています。
 
おまけに、物流センターに勤務している関係で、寒い冷蔵倉庫の中で、硬い安全靴を履いて、ずっと立ち仕事で荷物を仕分けしたり運んだりしているので、手のひらや足の甲はもうカサカサに干からびています。 そこで、モノは試しに、化粧水と石鹸を一個ずつ買ってみる事にしました。
 
 
値段はどちらも税込価格で、化粧水の「ごろごろ水配合美容液」が1,100円、「柿の葉配合洗顔石けん」が748円の、合計1,848円です。私が二千円を渡すと、店員の方は何と1,800円に負けてくれた上に、名水「ごろごろ水」500ミリリットルのペットボトルも1本おまけしてくれたのです。 感謝・感激。
 
事務所併設のプレハブ工場1棟と、その横にプレハブの倉庫があるだけの小さな会社ですが、私が買う事で、地域の雇用や産業振興に少しでも貢献出来れば、これほど嬉しい事はありません。 私は判官びいきなので、弱い者を搾取したり差別したりする公害企業やブラック企業は大嫌いです。しかし、こういう地道に商売している会社については、私も自分で出来る範囲で応援していこうと思います。
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洞川温泉の旅(3) 本物の癒しを求めて

2023年11月19日 09時44分08秒 | 身辺雑記・ちょいまじ鉄ネタ
 
実は、私が洞川温泉への旅行を思い立ったのは、ほんの偶然からです。今月、土日に有休取りそびれた私は、代わりに平日の11月14日(火)・15日(水)に有休と公休を繋ぎ合わせて一泊旅行を思い立ちました。たった一泊の急な一人旅なので、大阪から近鉄とバスで気軽に行く事が出来、温泉でゆっくり寛げる洞川温泉に行く事にしました。
 
洞川温泉には夏にも行こうと思っていたのですが、今年の夏は殊の外(ことのほか)猛暑で、「関西の軽井沢」と称される当地の旅館はどこも予約で一杯。「ならばオフシーズンの晩秋・初冬の平日なら、ひょっとしたら予約が取れるのでは?」と。そう思い、ダメ元で電話したら首尾よく予約が取れました。そんな「取り敢えずの骨休み」のつもりで来た洞川温泉なので、当初はそんなに期待していませんでした。でも実際に来たら大違い。いまだに残る昭和の旅情にいたく感激しました。
 
 
まず値段。洞川温泉の旅館はどこも一泊2〜4万円もする中で、私が今回泊まった旅館は1万3千円余りと比較的リーズナブル。それでいながら、晩は鴨鍋、朝は湯豆腐と、手作りの料理が一杯。葛湯も生まれて初めていただき、そのまろやかな味を堪能出来ました。地元の名水で作った豆腐は、普段、大阪のスーパーで買う豆腐とは違い、非常に味がまろやかで身が締まっていて、非常に食べ応えがありました。
 
しかも、泊まった和室は、畳敷きの部屋に、ストーブと炬燵(こたつ)があり。炬燵なんて見たのはもう何十年ぶりか。もうずっと家賃3〜4万円台の洋間6畳ワンルーム暮らしで、風呂も狭いユニットバスなので、広い部屋の畳の上で、炬燵に入って、ゆっくりとお茶やお菓子を食べ、ゆったりとお風呂に入れる、そんな昔の暮らしをもう一度追体験してみたかったのです。
 
ただ難点はエアコンの設備が全くない事。夏は大阪よりはるかに涼しいので、別に無くても構わないのですが。大阪より摂氏10度近くも下がる冬は、さすがに炬燵とストーブだけでは冷え込みます。洞川温泉は標高835メートルの高地にあるので、私もそれを見越して冬の装備で来たのですが。浴衣に着替えるお風呂上がりは、流石にエアコンが無ければ寒いです。
 
でも、そこさえ除けば、布団はフカフカで暖かく、提灯で照らされた旅館街の夜景も、提灯の灯が幻想的な雰囲気を醸し出して、非常に良かったです。それでいて、旧中山道の馬籠みたいに観光地化されておらず、路地には自家用車が止まり、電柱も移設されておらず、住民の暮らしも垣間見える。その事で更に親近感を持ちました。
 
 
しかも、元々は修験道の僧や行者が泊まる宿だったので、当時の面影がそこかしこに残っています。例えば、集団で大峰山に参拝する「講」と呼ばれるグループの額や提灯が、まだそこかしこに残っています。帳場の隅には、行者が重宝した「陀羅尼助(だらにすけ)」と呼ばれる漢方薬の売り場も併設されていました。実は、みたらい渓谷から洞川温泉に向かう途中にも、道沿いの電柱に平仮名で「だらにすけ」の広告が掲げられていて、「だらにすけ」とは何か?と思っていたら、何と漢方の胃腸薬だったと初めて知りました。こんな新たな発見も旅行の楽しみの一つです。
 
最近は、とかく旅行と言えば、外国人観光客や国内の金持ち連中ばかりが優遇され、彼らの好みに合わせた成金趣味の「和風もどき」「ぼったくり価格」の旅館ばかりとなり、私みたいな貧乏客は、満足に旅行も楽しめなくなってしまっていました。私の地元の大阪でも、大阪城や御堂筋のド派手なイルミネーション、軽薄な造りの民泊旅館には違和感しか感じず。西成あいりん地区に進出した星野リゾートに、一般数万円も出して泊まる観光客も、新世界だけ見て回って、あいりん地区には全く寄り付かず。「あいりん地区の活性化」は建前だけで、結局はホテル資本による「スラム街の買い叩き」「地上げ」でしかありませんでした。
 
「和風もどき」では癒されません。幾ら日本風の旅館を装った所で、「和風もどき」はすぐに馬脚を現します。それは今の大阪を見れば一目瞭然。そこでは、薄っぺらで騒がしいだけの「和風もどき」で「ぼったくり価格」のサービスばかりが幅を利かし、「古き良き日本」の風情はすっかり失われてしまいました。
 
洞川の菩提寺・龍泉寺の紅葉と庭園。
 
しかし、洞川温泉には、まだそんな「古き良き日本」の風情がまだそこかしこに残っています。それが炬燵であり、行者講の額や陀羅尼助の漢方薬です。そこには実際にそこに住んでいる住民の生活の息吹が感じられます。「和風もどき」には全然感じれなかった住民の息遣いが。
 
確かに、洞川温泉の旅館の宿泊料や定食屋の値段も、お世辞にも安いとは言えません。駅そばでは500円前後で食べられる「お握り・蕎麦セット」みたいな定食でも、洞川温泉では軒並み千円以上しますから。それでも、大阪の「和風もどき」民泊と比べたら、洞川温泉の旅館や定食屋の方が、まだはるかに風情があります。それを堪能出来たのが、何よりも良かったです。
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洞川温泉の旅(2) モノレールに乗って鍾乳洞探訪

2023年11月17日 21時47分40秒 | 身辺雑記・ちょいまじ鉄ネタ
 
旅行初日の11月14日は、みたらい渓谷から洞川温泉街に入り、近くの鍾乳洞を巡りました。
 
洞川温泉の近くには面不動と五代松の2つの鍾乳洞があります。どちらもモノレールで入口まで行く事が出来ます。モノレールもれっきとした鉄道の仲間です。まさか、こんな山の中で「鉄道」に出会うとは思っても見ませんでした。
 
面不動のモノレール乗り場は洞川の町のすぐ近くにあります。乗り場の券売機でモノレールの切符を買います。往復で500円。千円札でしかお釣りが出ないので注意して下さい。モノレールの車両は丸太をくり抜いた様な形の物が4両連結されています。車両の前面はビニールに覆われているので、動画は下る時に撮った方が臨場感が出ます。
 
左:ごろごろサイダー、右:面不動茶屋からの眺め。
 
モノレールの片道所要時間は約4分。終点には茶屋があり、ごろごろサイダーなどの物品も販売しています。鍾乳洞の入場料450円は茶屋で払います。茶屋からは洞川の町が一望出来ます。茶屋の前には朝降った雪がまだ残っていました。
 
鍾乳洞の中には色んな形をした鍾乳石があり、それぞれの形にちなんだ名称が付けられています。洞窟の天井から滴り落ちる地下水に含まれた石灰石が垂れ下がったのが石柱、その石灰石が下に積もって出来たのが石筍(せきじゅん)。石柱と石筍が結びついて初めて鍾乳石の柱となります。ライトアップされた鍾乳石がとても幻想的な雰囲気を醸し出していました。
 
面不動鍾乳洞の「金糸・銀糸の窟」。細い鍾乳石で中は空洞になっているので別名「ストロー鍾乳管」と呼ばれ、非常に珍しいものだそうです。
 
五代松モノレールの乗り場
 
それに対して、五代松のモノレール乗り場の方は、洞川の町から少し離れています。モノレールの運賃も600円と、面不動より100円高いです。券売機の設備はないので、乗る時にモノレールの運転手に運賃を払います。この運転手の方が鍾乳洞のガイドも兼ねています。このガイドの案内で鍾乳洞を巡ります。しかも、モノレールに乗って洞内を巡り、帰って来るまでの間はヘルメットを着用しなければなりません。リュックサック等のかさ張る荷物も、鍾乳洞入口の小屋に預けなければなりません。
 
この様に、五代松鍾乳洞の見学については、諸々の制約が付きます。でも、それを補って余りある魅力があります。それは鍾乳洞のダイナミックさです。洞窟の規模こそ面不動と変わらないものの、鍾乳石の大きさや多様さ、臨場感はこちらの方が遥かに大きいです。
 
五代松モノレールと鍾乳洞の入口・出口(それぞれ別の所にあり、営業時間外は施錠される)
 
諸々の制約が課され、洞内見学についてはモノレールの運転手兼ガイドの指示に従わなければならないのも、それだけ危険が付きまとうからです。実際、洞内の入口は面不動より遥かに狭く、何度も頭を天井にぶつけました。もしヘルメットを着用していなければ大怪我する所でした。モノレールの片道所要時間も約4分半と、こちらの方が若干長く、傾斜もこちらの方がきつかったように思います。
 
ガイドの説明は懇切丁寧で、鍾乳石の名前のいわれも逐一説明してくれるので助かりました。説明されて初めて「○○の形に似ているから○○石の名が付いた」のだと分かります。撮影に際しても「ここから撮った方が綺麗に写る」とアドバイスしてくれるので非常に助かりました。
 
五代松鍾乳洞の「鷲の鍾乳石」(左)と「大日如来」(右)。前者は、まるで鷲が急降下してまさに獲物を捕獲する瞬間のような形をしています。後者も、岩の上に小さな仏像のような形をした鍾乳石が形成されているのが分かります。
 
モノレールも面不動の様な観光アトラクションの要素は微塵もありません。もう作業用モノレールと何ら変わりません。それが却って逆に秘境感、臨場感をより引き立てています。これなら入場料が面不動より高いのも納得です。洞川温泉には昔、中学校の林間学校で来た事がありましたが、当時はこんなモノレールはありませんでした。鍾乳洞の存在自体も知りませんでした。今回初めて訪れて、洞川のまた新たな観光スポットを知る事が出来て、大変良かったです。
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洞川温泉の旅(1) みたらい渓谷でクマ警報に遭遇

2023年11月16日 22時49分13秒 | 身辺雑記・ちょいまじ鉄ネタ

11月14日(火)から15日(水)にかけて、奈良県の洞川(どろがわ)温泉に旅行に行ってきました。その旅の様子を「洞川温泉の旅」シリーズとして今後数回に分けて投稿します。

洞川温泉へは電車とバスを乗り継いで行きました。午前8時過ぎに大阪阿部野橋から近鉄電車で下市口まで乗り、そこからバスで洞川温泉に向かいました。最初は終点の洞川温泉までバスで行くつもりでしたが、折角来たのだからと途中の天川川合のバス停で下りて、みたらい渓谷も歩いてみる事にしました。その時点で時刻は既に午前10時15分頃。ここから洞川温泉まで7キロの道のりは決して楽ではありませんでしたが、吊り橋と滝の連続に驚かされました。

 

特に「みたらいの滝」の景色は素晴らしかったです。滝の上に岩だらけの河原があり、更にその上に滝があります(上2枚の写真)。そして滝の前に吊り橋があり(下左の写真がその哀伝橋。一見コンクリート橋のように見えますが実は吊り橋なんだそうです)、その下を滝から流れ落ちる山上川に横から白倉川、反対側から川迫(こうぜ)川が合流し、天ノ川となって川合方面に流れ下る様子は、まるで川が龍のようにうねっているようで圧巻でした(下左の写真ですが分かりにくいかも)。

川合や洞川の地名からも、川や尾根道が重要な交通路として、村人の生活と密接に結びついていた事が分かります。そして落石注意の看板と、湧き出る沢水で遊歩道が常にぬかるんでいた事で、自然の猛威を改めて思い知らされました。

そして、みたらい遊歩道から、観音峰登山口の休憩所に渡る吊り橋に、地元の天川村役場が設置した警告書が張り出されていました。その警告書には、今年6月27日にこの付近でクマが目撃された事が書かれていました(下2枚の写真)。

今や全国各地で、クマの目撃情報や、人間がクマに襲われたニュースを目にするようになりました。秋田県の方では、市街地にもクマが現れ、駅前のバス停でバス待ちしていた女子高生がクマに襲われる事態に。

この関西でも、大阪府北部の北摂山系や、兵庫県北部の山中で、クマを目撃したり、クマに襲われたりする事例が相次いでいます。だから私も、今回、洞川温泉に旅行する際に、クマよけの鈴やスプレーを購入する事も考えました。 でも、事前に宿泊先の旅館に電話で問い合わせると、「温泉街やその周辺にある鍾乳洞の探索ぐらいなら別に必要ない」との答えでした。

しかし、たとえそうであったとしても、万が一という事もあります。万が一の時にはもう取り返しが付かないのだから、たとえ旅館の女将が大丈夫と答えたとしても、クマよけグッズは用意しておくべきでした。それを用意しなかった自分の不明を今更ながら恥じます。

実際に奈良県のホームページを見ると、ツキノワグマの恒常的生息地域(旧西吉野村、旧大塔村、天川村、野迫川村、十津川村、下北山村、上北山村、川上村)に、黒滝村、下市町、旧五條市の吉野川以南および吉野町の吉野川以南の地域を加えた地域を、県はツキノワグマの保護管理重点地域として指定していました。洞川温泉のある天川村も、その中に含まれています。下市町では、町はずれの公園で、クマを目撃した事例もあったそうです。

駅前のバス停でクマに襲われた秋田県の事例は、関西でも決してあり得ない事ではなかったのです。かくなる上は、人の行かない所には極力立ち入らないようにするしかありません。みたらい遊歩道ならまだハイカーも大勢いるし、川の対岸には自動車道路も走っています。最悪、助けを呼ぶ事は出来ます。でも、人の少ない登山道に立ち入ってしまったら、もう助けを呼ぶ事も出来ません。

みたらい渓谷に入る手前でもう既に深山幽谷の趣が(上2枚の写真)

クマは人間よりも、はるかに聴覚や嗅覚が優れています。しかし、視力は人間より劣ります。つまり目が悪いのです。特に前後の遠近感、距離感が掴めないらしいです。

「クマに至近距離で出会ったら、絶対に背中を見せて逃げては行けない。前を見ながら、ゆっくり後ずさりしなければならない。それも無理な場合は、地面に伏せて手で後頭部や首を覆わなければならない」と言われるのも、走って逃げれば腕を左右に振らなければならないので、クマにその腕の動きを察知されて、襲われる確率が高くなるからです。クマは動く物に反応するから。

でも、実際問題、クマに至近距離で出会って、逃げずに地面に伏せる様な勇気は私にはありません。どうしても逃げたくなるのが人情です。なら、もう人の行かない所には、私も行かないようにするしかありません。クマは本来、臆病な動物なので、人が大勢いる所には現れないから。

それにしても、クマがこれだけ人里近くに現れるようになったのは何故か?主食のドングリが今年は不作だからだそうですが、それはあくまで一つのきっかけに過ぎません。より根本的な理由は、里山の宅地開発が進み、熊の生息域に人が住む様になったからです。

それに加えて、政府が長年、第二次産業や第三次産業ばかり優遇し、第一次産業を切り捨てて来た為に、山林や農地の荒廃が進み、耕作放棄地や廃村が増えたからです。残った農山村も高齢化が進み、三ちゃん農業が主流になってしまった為に、ますます山が荒れ果ててしまいました。

そう考えれば、最近のクマの目撃・襲撃事件の増加は、人間が自ら招いた結果だと言えなくもありません。そうなると、クマに出会わない様にするには、もう人の行かない所には立ち入らないようにするしかないと思います。

しかし、こんな大事な情報を、国や県、市町村は何故、観光客にもっと知らせないのか?この奈良県ホームページの情報も、私が旅行から帰って調べて初めて知りました。

以上、話が途中で脱線してしまいました。旅行とは直接関係ありませんが、旅行よりもはるかに大事な事なので、ここで紹介しました。

みたらい渓谷を歩いていた時は、はるか下に見下ろしていた山上川も、やがて遊歩道と並行して流れるようになります。そこまで来ると、もう洞川温泉はすぐそこです。村はずれの神社の前を通ると、ようやく洞川集落の入口が見えて来ました。もう午後1時を過ぎていいたので、おなかは腹ペコです。

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詐欺メールを晒し上げにする

2023年11月11日 22時26分00秒 | 身辺雑記・ちょいまじ鉄ネタ
「もうすぐガンで死ぬので9千万円譲りたい」という詐欺メールを真に受けた大阪の70代男性が5千万円騙し取られた、と。先日のニュースで報じていました。その詐欺メールがこれでは?私の携帯にもしょっちゅう、その手のメールが来ます。他の詐欺メールも含め、その都度、本文も見ずに一括削除しています。一度は迷惑メール防止の設定をしたものの、今度は必要なメールまで見れなくなるので元に戻しました。その為に、今でもせっせと削除しています。
 
「もうすぐがんで死ぬ」メールで詐欺被害 警察が注意呼びかけ(NHKニュース)
 
下記がその詐欺メールのタイトル・本文・添付写真と出会い系サイト(?)のURLです。しかし、こんな如何にも子ども騙しみたいなメールを真に受けるか?w(注:詐欺業者に勝手に写真に使われた女の子も被害者ではないかと、読者から指摘がありましたので、女の子の顔にぼかしをかけ、URLの表示も削除しました)
 
 
 
タイトル:無料でやり取りできる状態なので気兼ねなく連絡下さいね? 
 
21歳のひまりです。大腸がんで余命半年…お医者さんからそう言われた時はショックで数日寝込みました。
 
けど、そのままではダメだと思って今出来ることをやろうと、色々な事に挑戦しています。絵を描いてみたり、写真を撮ってみたり、スポーツをしてみたり…でも頭のどこかで「半年後には死ぬ」と言う言葉がよぎってしまい、凹んでしまう事が良くあります。
 
私みたいな女性は面倒くさい、あまり関わりたくないな、そう思うかもしれません。普通なら関わらない方が身の為、そう思うでしょう。でも私はあなたを信じて待っています。言葉では上手く表せませんが何かとても相性が良いと言うか…そんな気がしてるんです。
 
父が残した遺産は私が持っていても意味がありません。
 
どうせ半年後には死ぬ運命なのでただの紙切れになるくらいならあなたにあげたい、そう思って声をかけてみました。
 
今回の贈与の為の手続きをしてくれる【瀬尾さん】からも連絡が来ていると思うので連絡してくれると嬉しいです。
 
どうか、私の財産を受取って半年だけで構いませんのでメール相手になってくれたらと思います。
 
年齢とかは全く気にしませんし寧ろ、これまでのあなたが生きて来た人生を聞かせて欲しいです。勉強になる事もきっとあると思うので。やり取りは無料みたいなので安心して欲しいです。
 
それではお返事待ってますね。
 
ひまりより
 
「ひまり(浜園陽葵)」のパトロン「瀬尾光穂」からもメールが来ます。それが下記URLのメールです。メールの本文はもう省略します。そのメールでは、NFS(全国金融支援機構)なる架空団体をでっち上げ、芸能人のマツコ・デラックスの名前も出して「あなたに遺産の2億円を差し上げたい」とw。何でもマツコが「あなた様に眠る微かな気のようなものを頼りにあなた様を見つけ出した」らしくてw。もう書いている事が支離滅裂w。ニュースで報じた被害者もマツコの名前で信用してしまったのか?w。マツコに確認するなり、NFSの貸金業登録情報を調べるなり、幾らでも裏取りの方法があるだろうにw
 
 
偽のマツコ・デラックスからのメールも来ます。そのURLも貼り付けておきます。これらのメールの内容は全て詐欺なので、くれぐれも真に受けないように。でも、普通に考えたら、見知らぬ赤の他人に、こんなメールを送って、「遺産譲ります」なんて言うはずないのにw。
 
 
それにしても、この「浜園陽葵」の偽名はよく出来ています。いかにも芦屋のお嬢みたいな感じで。我ながら感心します。私はこの苗字を見て、甲子園浜や芦屋浜あたりの高級住宅地を連想しました。「浜園」の苗字も、この「甲子園浜」の地名から取ったのではないでしょうか?w
 
 
左:ヨルダン川西岸地区内のユダヤ人入植地(地図の青色の部分)。
右:ベルポート芦屋を上空から撮影した写真。
 
阪神工業地帯の埋立地の中に、あの辺りだけぽっかり高級住宅街が広がっています。「ベルポート芦屋」という高級住宅地です。会員制のヨットハーバーを取り囲むような感じで。あそこには一般人は立ち入る事は出来ません。警備員が常駐していて、そこの住民しか出入り出来ないようになっています。こんな閉鎖空間の住宅地の事を「ゲーティッドシティ」とか「ゲーティッドコミュニティー」と言います。
 
今、ニュースで報じられている中東イスラエル・パレスチナ自治区のガザも、ある意味そんな「ゲーティッドシティ」なのかも知れません。但し、隔離されているのは金持ち連中ではなく、イスラエルに土地を奪われたパレスチナ人です。そして、保護の対象としてではなく監視・抑圧の対象として、高い分離壁に囲まれて、イスラエル軍の空爆にさらされています。
 
パレスチナ自治区には正真正銘の「ゲーティッドシティ」もあります。それが悪名高いイスラエルの入植地です。元々パレスチナ人の土地なのに、イスラエルがパレスチナ人を追い出して、ユダヤ人を呼び込んで作った高級住宅地です。ゲートで隔離され、肥沃な農地を独占し、ヨルダン川から勝手に用水路を引き込んで、自分たちだけで水資源を独り占めしています。
 
その為に、パレスチナ人は、元々は自分たちの土地なのに、住宅を建てたり農業したりする事も出来ません。ヨルダン川西岸やガザの狭い一角に押し込められ、難民として生活する他ありません。乾燥地帯でありながら、自由に水も使えないので、衛生状態は最悪です。これではテロが起こるのも当然です。確かに、ハマスがやった事は、イスラエルの民間人を対象にした無差別テロであり、非難されて当然です。でも、その原因を作ったのはイスラエルです。より悪いのはどちらか?もう一目瞭然です。
 
話が脱線してしまいました。詐欺メールの話に戻します。「浜園陽葵」と言うのは非常によく出来た偽名なので、私もこれからは「プレカリアート」ではなく「浜園陽葵」の名前でネットに書き込みしようかしらんw。そして、あの女と窓の写真をプロフィール欄に貼り付けて、「パレスチナ人民の闘争断固支持!侵略者イスラエルのシオニストに死を!」とか言うメールをあちこちに送ったら、恐れをなして誰も寄り付かなくなり、詐欺の被害も無くなるのではないか笑v
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ガザとパレスチナの今~太郎太郎(ねんねん)さんのツイートより

2023年11月03日 21時49分48秒 | その他の国際問題

約10年前と6年前の2回、ヨルダン川西岸地区に行ったことがあります。その時私が見聞きした事実です。 まず、私はヘブロンという街に行きました。世界遺産の宗教的聖地。普通なら観光客で賑わう明るい街です。でも、そこは街全体がシャッター街になってしまった寂しい街でした。

理由は、イスラエルの入植です。軍事力で圧倒的に勝るイスラエルが街を空爆を含む手段で制圧し、パレスチナ人を追い出しました。それでも抵抗して街を離れなかったパレスチナ人は、入植者からひどい嫌がらせを受けているそうです。

写真は屋台通りであっただろう寂れた路地から空を見上げて撮った写真です。入植者たちが、買い物客を狙ってゴミや瓶などを投げつけたそうです。その対策として金網が張られていますが、それでもゴミが投げ込まれていました。

パレスチナは日本のように水に恵まれた地域ではありません。また、貧しい地域なので水道管などのインフラも整っていません。 では、日常生活で使う水はどうしてるか。それは、各家庭の屋上に水タンクで貯水し、そこから都度都度水を使っているそうです。

イスラエル軍はその水タンクに銃で穴を開けて回ったそうです。当然、水がなくなれば生活もできません。タンクを修理しようにも、武力制圧された街です。至る所に監視櫓があり、そこでは自動小銃を持ったイスラエル兵が目を光らせていました。

当然修理なんて不可能。どんどん住人が減っていったそうです。 最初にヘブロンを訪れた際は、まだ耐えている住人は残っていました。でも2回目は街全体が廃墟となっていました。 このヘブロンより、ガザは酷いと聞きます。退避することすらままならないでしょうから。だから『天井のない牢獄』なんです

私を案内してくれたタクシードライバーはこう言ってました。「俺も家族を殺された。でも抵抗する手段すらないんだ。イスラエル兵の自動小銃は何発でも打てる。でもパレスチナの自動小銃はコピー品。1,2,3発。それで壊れる。俺達にはなにもできない」

パレスチナにはインティファーダという抵抗運動があります。体の小さな少年が、イスラエルの巨大な戦車に石を投げつけてる写真が有名ですね。何も知らない方は「何故そんな無茶を?」と思うかもしれません。でも、彼らにはハマスのような武装組織に参加する以外、それしか選択肢がないんです。

家族を殺されて、住居を奪われ故郷を追われ、イスラエルに殺されるという可能性を身近に感じながらも、それ以外に選択肢がないんです。 だから、自殺まがいのテロが頻発する。全てを奪われてもなお、自分の命だけは最後に使えるから。

他のパレスチナ人はこう言いました。「壁の向こう側には俺達にとって大切な場所があるんだ。一度だけでも、どうしても行ってみたくてね、超えれないか試してみたことがある。捕まって拷問されたよ。電流を流された」

パレスチナは巨大な壁に囲まれています。その壁は、イスラエルが軍事力によって押し付けたもの。パレスチナ人のことは考慮されていません。国連の資料には、壁の向こう側にある学校へ、地下トンネルを通って登校しようとした子供が落盤により命を落とす事例もあるとありました。

ただでさえ絶望的な貧困の中、通学すらできない子供の将来はどうなるか。残念ながら、そんな将来すら閉ざされた。 なお、当然地下トンネルはイスラエルに見つり次第潰されてるとのことです。 ガザの地下トンネルも、ハマスのものだけではないでしょう。分離壁がなければそもそもなかったものですが

別のパレスチナ人はこう言いました「イスラエル人にもいい人がいるのは知っている。可能であれば仲良くしたいんだ。でも、俺達の声は壁の向こうに届かないんだ」

私が会ったパレスチナ人は親切な人ばかりでした。私が道に迷っていたら、通りすがりの人が声をかけてくれました。貧しいにも関わらず、私に晩御飯をご馳走してくれました。同じことで笑い、同じことで悲しめる人達でした。イスラエル人にも同じように優しい人がいました。

そんな人たちが、今、殺し合っています。イスラエルを恨む人も殺されています。そして、恨みを飲み込んででも平和を選ぶ人もまた、殺されています。命令を受けてガザに踏み込んだイスラエル人もまた、一定数殺されるでしょう。戦力が違うので、パレスチナ人の犠牲が圧倒的に多いでしょうが。

今回のハマスの攻撃及び誘拐に賛同するつもりはありません。言うまでもなく人道からは逸れていますし、汚職も指摘されていた組織です。イスラエル人の民間人だって人生があった。それを奪っていいとは決して思いません。

それでも、パレスチナに実際行ってみた率直な感想は「これでテロが起きないはずがない」でした。だってイスラエルが武力で制圧して抑圧して殺してるんです。恨まれないはずがない。 今回の事件は、本当にハマスを悪と断罪すれば終わるものでしょうか?ガザの人達は殺されても仕方ないでしょうか?

イニシアティブをとれるのは、軍事力でパレスチナを圧倒しているイスラエルです。そのイスラエルが変わらなければ、復讐に駆られた生き残りのパレスチナ人がハマスに参加し、またテロを起こす。それの繰り返しでしょう。

でもイスラエルの世論は容易には変わりません。パレスチナと融和政策をとった政治家を暗殺する極右もいますし、既に大勢殺してるのも自覚してる以上、今更後戻りもできない。本当に活路が見えないのがパレスチナ問題です。

それでも、国際世論が少しでも多くパレスチナに目を向ければなにか変わるかもしれない。そう思い、当ツイートを作成しました。 両国の間に、ほんのわずかでも平和の可能性が育ちますように。少しでも両国の犠牲が減りますように。僅かでも理不尽が減りますように。心からそう願います。

ヘブロンの穴を開けられた水タンクの写真と、分離壁、現地で出会った子供の写真を載せておきます。 水タンクは、私が見た限り全ての家屋に穴が開いていました。

1点訂正です。 6個目のツイートで「ヘブロンの街全体が廃墟になっていました」と書きましたが、正確にはヘブロンの街のH2と呼ばれる、世界遺産になったアブラハムの墓や旧市街を含む地域でした。

※太郎太郎(ねんねん)さんのツイートはここまで。ツイートの原文と写真はX(旧ツイッター)の投稿を参照。

※上記の「H2」について補足すると、そもそも、1993年のオスロ合意で創設されたパレスチナ自治区で実施されているのは、あくまで「暫定自治」に過ぎない。当初は5年後に恒久自治に移行するはずだったが、当時のイスラエル首相ラビンの暗殺、その後に首相に就任した極右政治家シャロンの挑発行為(イスラム教の聖地「岩のドーム」を訪問して「ここはイスラエルのものだ」と挑発)によって完全に暗礁に乗り上げ、現在では全く形骸化。あくまで不完全な暫定自治なので、自治政府の行使できる権限は限られている。

自治区内はエリアA(自治政府が行政権も警察権も行使)、エリアB(自治政府が行使出来るのは行政権のみ)、エリアC(自治政府の権限は全く及ばない)に分けられる。2000年においてもエリアAは自治区全体の17.2%に過ぎず、6割以上がエリアC(つまりイスラエルの軍政下)に留められている。(ウィキペディア参照

その中で、ヘブロン市では1997年の合意により、市内の8割を自治政府が治め(H1)、2割がイスラエルの軍政下に置かれる事になった。(ウィキペディア参照)。後者の軍政下に置かれた地域がH2である。

※それ以前に、「そもそもパレスチナ問題とは何ぞや?」という事も知っておかなければならないので、下記の解説も載せておきます。パレスチナ駐日代表部のホームページをそのままスクリーンショットで撮りました。この解説を読み、上記のツイートを読んで、私の補足説明も参考にしていただければ、「ガザやパレスチナで今何が起こっているのか?」大体の所は分かっていただけるのではないかと思います。

 

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天皇賞・秋の馬券買いそびれと謎のワイド10万男

2023年11月01日 07時11分36秒 | 身辺雑記・ちょいまじ鉄ネタ
 
天皇賞・秋の馬券を買いそびれてしまいました。
 
さる10月29日に行われた競馬GⅠレースの天皇賞・秋。ルメール騎乗の◎イクイノックスが断然1番人気。この馬は東京芝2千メートルのコース走破に必要なスタミナも瞬発力も十分ある。私もこの馬を本命にしました。その一方で、ダービーではイクイノックスに勝った武豊騎乗の〇ドウデュースも単勝一桁倍率の2番人気。逆転するとしたらこの馬が最有力。
 
この2頭に割って入るとするなら、両馬より前に出て逃げ込みを図る▲ジャックドールか、前走の札幌記念で並みいる古馬を下し1着に躍り出た★プログノーシス。
 
後は東京中距離巧者の△ダノンベルーガ、持時計ではメンバー最速の注ガイアフォース、長距離GⅠレースの天皇賞・春を勝ち持続力に秀でた注ジャスティンパレスが、1着は無理でも2・3着ならあるかもしれない。
 
次に馬券の買い方ですが、◎だけが人気を集めているなら、3連単は◎から流した上で、他の馬の中からも5頭ぐらいワイドのボックスで買って、抑えの馬券とするのですが。今回は◎だけでなく〇もそこそこ人気を集めています。〇も含めたワイドではいくらも配当は付きません。なら、抑えの馬券はワイドではなく、〇から三連複で流そう。仮にどちらか飛ぶことはあっても、◎も〇も飛ぶことはさすがにないだろう。
 
ゆえに印は、
◎イクイノックス
〇ドウデュース
▲ジャックドール
★プログノーシス
△ダノンベルーガ
注ガイアフォース
注ジャスティンパレスと打ち、
 
◎-〇▲★-〇▲★△注の三連単フォーメーションと、〇-◎▲★△注の三連複フォーメーションで、最低でもどちらか1つを当てて、あわよくば両方当たればそこそこの儲けにはなる・・・。
 
そう思って、予想を上記のノートのようにまとめ、さあ馬券を買いにウィンズ道頓堀に行こうと時計を見たら・・・なんと15時50分w。もう既にレースは終わってしまっていました。_| ̄|○
 
結果は◎イクイノックスの完勝。それも芝二千メートル1分55秒2のレコードタイムで。このコースは、スタート直後に最初のコーナーがあり、先行馬はそれを早めに回ろうとするので、どうしてもペースが速くなる。案の定、先行馬の▲ジャックドールが最初の千メートルを57秒7のハイペースで飛ばす。その後を注ガイアフォースが追い、◎イクイノックスが3番手をうかがう。この時点でもう◎の勝利はほぼ確定。
 
このハイペースの為に、◎以外の先行馬は後半失速。◎が独走態勢に入り、競馬中継の実況アナウンサーが「もうイクイノックスの前に敵はいない!イクイノックスは府中の風になった!」と叫ぶ中で、悠々凱旋。2・3着には差し馬の注ジャスティンパレスと★プログノーシスが入る。
 
2023年 天皇賞(秋)(GⅠ) | 第168回 | JRA公式
 
1着◎イクイノックス、2着注ジャスティンパレス、3着★プログノーシスの順にゴールに入ったので、三連単ではなく三連複で買っていたら当たっていました。でも、フォーメーションで買うので、買い目の点数も12点となり、下手すれば取りガミになってしまう。その為、三連複は○から流し、◎からは三連単で流そうと。ところが、単は2着がヒモ抜け、複は〇が馬券外にすっ飛びタテ目で外れに。
 
馬券を買えなかった事で結果的に損せずに済んだので、逆に良かったかも知れません。
 
今日は馬券を買いそびれたので、この後もウインズ近くのコンビニのイートインコーナーにいました。もしウインズに行っていたら、例の「謎のワイド10万円男」に遭遇していたかも知れません。ウインズ道頓堀には、毎週日曜日になるとその人が現れます。声のでかい中年男性で、何人かの仲間と一緒にウインズで見かけるようになりました。
 
私とその人とは面識がないので、私はその人の名前も素性も知りません。でも、でかい声でよく叫んでいるので、遠くに居てもすぐに分かります。だから、私は彼の事を便宜上そう呼ぶ事にしました。
 
その人は、仲間がワイドで馬券を買っていたら「ワイドなんか買って、肝っ玉が小さいのを~!」と言いながら、自分はワイドの1番ー2番人気の馬券に大金注ぎ込んだりするのです。10月15日開催の秋華賞でも、Ⅰ番人気リバティアイランドと2番人気ハーパーのワイドに10万円突っ込んでいました。
 
その人は何故か先週の菊花賞開催の時はウインズには現れませんでした。菊花賞は秋華賞とは違い、ガチガチの馬はいませんでした。一応、皐月賞馬のソールオリエンスとダービー馬のタスティエーラで人気を分け合っていましたが、それ以外にもサトノグランツやドゥレッツァなどの有力伏兵馬が多数いて、どの馬が勝つか良く分からないような状況でした。
 
そんな時は現れないのです。ただ闇雲に1番人気と2番人気の馬のワイドに大金注ぎ込むのではなく、堅いレースにだけ大金を注ぎ込む。そういうメリハリの利いた買い方の出来る人のようです。
 
その人が、今回の天皇賞・秋は1番人気のイクイノックス(ルメール騎乗)と2番人気のドウデュース(当初は武豊騎乗予定)のワイドに10万円突っ込みに現れるか、ドウデュースの騎手が武豊から戸崎圭太に代わったのを見て購入を見送るか、実に見ものでした。見る事が出来ず残念でしたw。
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