アフガン・イラク・北朝鮮と日本

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続・JCO事故と六ヶ所村の悲劇から何を学ぶか

2011年06月30日 22時39分05秒 | 福島の犠牲の上に胡坐をかくな


 先にJCO事故の事を記事で取り上げましたが、この時に被曝したのは何も会社の作業員だけではありません。周辺住民も被曝していました。
 東海村在住で、当時JCOの事故現場から約120mの距離にある自動車部品工場で働いていた大泉昭一さんも、その一人です。彼は、当日10時半過ぎに起こった臨界事故の事も知らされないまま、午後3時過ぎに事故の第一報が飛び込んでくるまで、工場で働いていました。
 事故のあらましも、自分の方から村役場に問い合わせて、初めて知りました。その後も、当日の夜に簡単な被曝線量検査を受けただけで、「問題なし」として放置されました。

 しかし、事故の翌月ぐらいから、「週刊フライデー」4月15日号に掲載の上記写真のように、身体の皮膚のあちこちがかぶれ出し、背中までボロボロのようになっていったのです。医師から処方された10種類の薬も全然効かない中で、かゆみと痛みで夜も寝されない日々が続きました。
 大泉昭一さん夫妻は、2002年9月に、JCOとその親会社の住友金属を相手取り、約5760万円の損害賠償請求訴訟を起こします。しかし、その裁判も、2010年5月に最高裁によって、「被曝と体調変化の因果関係は認められない」と不問にされてしまいます。そして失意のうちに、東日本大震災が起こる僅か1ヶ月前の2月7日に、享年82歳でお亡くなりになりました。

 この事からも明らかなように、上記写真に見られるような明白な被曝がありながら、行政はまともに被曝線量検査も実施せず、線量データも開示しないまま、証拠不十分という口実で、事実を闇に葬ってきました。
 行政の姿勢は、この様に今も昔も全然変わりません。かつて、広島・長崎の原爆被爆者に対しても、熱線・爆風の直撃を免れた人や、被爆後に肉親の安否を尋ねて広島・長崎入りした入市被曝者については、その被害を認めず、補償にもなかなか応じてきませんでした。今回の福島原発事故に際してもそうでしょう。表向きは盛んに「震災復興で力をあわせよう」と言っておきながら、いざ実際に被曝認定や補償の話になった途端に、「人命よりも原発のほうが大事だ」と言わんばかりの態度に終始しています。

 よく原発擁護の御用学者たちが、「今でも日本人の3分の1や半数がガンで亡くなっている」「仮にこのまま原発を存続しても、ガン発生率が今よりも0.0・・%ほど高くなるだけだ」という類の発言をよくします。この発言についても、なるほど言葉だけで捉えれば一見何気ない発言の様に見えますが、実はこれこそが、数字のトリックを悪用した「被曝者見殺し」以外の何物でもありません。幾ら大泉昭一さんのような例が露呈しようとも、「0.01%だか0.0・・%だか」の中に埋もれさせてしまえば、幾らでも事実を「無かった事」にしてしまえるのですから。
 絶対にそのような事を許してはいけない。その為にも最低限、「かつてJCOで何が起こったのか」「今も福島で何が起こっているのか」を、各人はっきりと目に焼き付けておいて下さい。健忘症にだけは、くれぐれもなってはいけません。
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番組紹介:「脱北者たち 大阪・八尾に生きて」(関西テレビ)

2011年06月28日 00時15分14秒 | 北朝鮮・中国人権問題
※超久しぶりに北朝鮮関連の話題をアップします。内容は標記テレビ番組の紹介・告知です。かつて私も何度かお会いした事のある山田文明さん(北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会・前代表)による、大阪を舞台にした脱北者支援活動がテレビで取り上げられます。放送時間帯が時間帯なので、私自身も見れるかどうか定かではありませんが、もう明日深夜(明後日未明)に放送されるとの事なので、とりあえず告知だけ先にしておきます。

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第20回FNSドキュメンタリー大賞ノミネート作品
『脱北者たち 大阪・八尾に生きて…』
(制作:関西テレビ)
大阪府八尾市には約30人の脱北者が、支援者を頼り、ひっそりと暮らしている。彼らは「地上の楽園」と宣伝された「帰国事業」で、北朝鮮に渡ったものの、食糧不足や政治弾圧に絶望した在日朝鮮人や日本人だ。最近、脱北した夫妻は、八尾での生活をスタートしたが、日本語も話せず、仕事もない日本社会の厚い壁に直面している。彼らを取り巻く日常を通じて、日本で暮らす脱北者の日常を描く。

<2011年6月28日(火)26時45分~27時40分>

 大阪府八尾市。今この街で、約30人の脱北者たちが身を隠すかのように、ひっそりと暮らしているという事実は、あまり知られていない。彼らは1959年、朝鮮総連などが「北朝鮮は地上の楽園」と宣伝した「帰国事業」に乗じて北朝鮮に渡ったものの、北での食糧不足や政治的弾圧に絶望し、命がけで脱北した在日朝鮮人や日本人妻たちだ。第20回FNSドキュメンタリー大賞ノミネート作品『脱北者たち 大阪・八尾に生きて…』(制作:関西テレビ)では彼らを取り巻く日常を通じて、日本で暮らす脱北者の現実を描く。

 日本政府は人道的立場から、脱北した帰国者たちの日本への入国と定住を受け入れてはいるが、日本語の習得や、日本社会への適応、そして就職など、多くの壁に直面する彼らに対する公的支援は、事実上、生活保護以外には行われていない。脱北者たちが八尾で暮らす理由、それは彼らを献身的に支援してくれる山田文明氏(大阪経済大学准教授)がこの街に住み、心の支えになってくれるからだ。山田氏は、脱北者支援のための非政府組織「北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会」の副代表として、これまで十数年にわたり、中朝国境での脱北者の保護や、八尾で暮らす脱北者たちの生活自立のため、尽力してきた。大学准教授としての収入は、ほぼ全て脱北者支援のために使い果たし、自らの生活は、妻の収入に頼っているのが実状だという。山田氏の過去を探ると、2003年には中国・上海で脱北者とともに公安当局に拘束され、国外退去処分を受けたほか、2006年には北朝鮮の人民保安省から「北朝鮮人拉致・誘拐の罪」で逮捕状が出されるなど、学者に似つかわしくない、勇ましい経歴がある。山田氏は、「1990年代、北朝鮮の実態を知り、自然と脱北者支援を始めるようになった」と話す。帰国者の家族から、北の惨状や帰国者に対する差別・抑圧の実態を直接聞いたことが、活動の原点だという。

 つい最近、山田氏を頼って、また新たな脱北者夫婦が八尾にやってきた。呉さん(仮名)夫婦(夫:60歳代、妻:50歳代)は、中朝国境を越えて脱北した後、アジアの第三国を経由して日本にたどり着いた。呉さん(妻)は幼少期まで、西日本のある街で過ごしていた在日朝鮮人だ。1960年代に、家族とともに北に渡り、その後、北朝鮮で現地の夫と結婚。子どもも生まれたが、夫が北で不法逮捕されそうになったことをきっかけに脱北を決意。しかし、何度か脱北に失敗し、夫婦ともに逮捕され、政治犯収容所では拷問も受けた。当初、支援者の家に身を寄せていた呉さん夫婦は、日本での自立をめざし、つい最近、アパートを借りて、八尾での生活をスタートさせた。しかし、日本に来てまもない二人は、日本語を十分に話すことができず、就職もできないまま、日本社会の「さまざまな厚い壁」に直面しながら、日々を過ごしている。呉さん夫婦を支援するため、日本語の習得には、先輩格の脱北女性が協力しているほか、山田氏も、呉さん夫婦の日本での就職のために、日々奔走している。

 この番組では、八尾で新しく生活を始めた呉さんや、彼らを助ける、別の脱北者たちの「生きざま」を描く。なお、ナレーションは、同じ脱北者の一人で、関西在住の女子大学生、リ・ハナが担当する。

■リ・ハナ氏 プロフィール
大阪在住。1980年代半ば、北朝鮮で生まれる。両親は帰国者で、2005年日本にやってくる。
アルバイトをしながら夜間中学校に通い、日本語を勉強して2009年、大学に合格。現在通学中。

■井筒慎治ディレクターコメント
 「脱北者」とは、「自分とは関係のない遠い世界にいる人たち」と、考えていましたが、自分たちの取材エリアである大阪府八尾市を拠点に、山田文明氏らが、 15年以上も前から、脱北者の日本への入国、そして定住のための支援活動を行っていると知ったとき、己の無知を恥じました。理不尽な「金王朝の独裁」を乗り越え、命がけで脱北した彼らは、日本に入国後も、日本語の習得や就職など、「日本社会の厚い壁」に直面して、苦しみ悩み続けることになります。番組に登場する呉さん夫婦が取材中に漏らした「北朝鮮でも中国でも死にたいとは思わなかった。日本に来て初めて死にたいと思った」という言葉は、実に重いと感じました。事実上の「難民」である彼らに対し、今後どのような支援策を構築すべきか? 番組を通して、考えていただければと願っています。

■番組概要
◆番組タイトル
第20回FNSドキュメンタリー大賞ノミネート作品『脱北者たち 大阪・八尾に生きて…』(制作:関西テレビ)

◆放送日時
2011年6月28日(火)26時45分~27時40分

◆スタッフ
 プロデューサー 土井聡夫
 ディレクター  井筒慎治
 撮影      孝岡則夫(エキスプレス)
 編集      中島福夫(TEFU2)
 監修      徳永俊彦(関西テレビ社友・芦屋大学講師)
 MA       中嶋泰成(テレコープ)
 効果      西原長治(テレコープ)

 http://www.fujitv.co.jp/b_hp/fnsaward/20th/11-137.html
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(過去の参考記事より)
・どちらも国家犯罪の犠牲者だ(2009年12月01日)
 http://blog.goo.ne.jp/afghan_iraq_nk/e/da29ccc84888d8ef20ca94a49b6a8bd4
・クロッシングの絶望と希望(2010年05月10日)
 http://blog.goo.ne.jp/afghan_iraq_nk/e/3592751ce14fdec3381ba1ffdcdb305d
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JCO事故と六ヶ所村の悲劇から何を学ぶか

2011年06月26日 23時43分44秒 | 福島の犠牲の上に胡坐をかくな
六ヶ所村ラプソディー [DVD]
クリエーター情報なし
紀伊國屋書店


朽ちていった命―被曝治療83日間の記録 (新潮文庫)
クリエーター情報なし
新潮社


 この前の休みに脱原発映画の「六ヶ所村ラプソディ」を観た帰りに、本屋で偶然見つけた文庫本の「朽ちていった命」を買って読みました。当初は「六ヶ所村ラプソディ」の感想だけをブログにアップするつもりでしたが、後で買った文庫本のほうに惹きつけられて、当日のうちに一気に読み終えてしまいました。だから、まず最初に後者の「朽ちていった命―被曝治療83日間の記録」(新潮文庫)のほうから、読んだ感想などについて書いてみたいと思います。

 この文庫本は、JCO臨界事故を取り上げたものです。当該事故は、1999年に茨城県東海村にあるJCOという会社で起きた放射能被曝事故です。高速増殖実験炉「常陽」で使用されるウラン濃縮燃料を、規定外のバケツと漏斗を使っての手作業で製造した為に、臨界(核分裂反応が持続する状態)を引き起こしてしまい、二名の作業員の方が致死量の放射線を浴びて亡くなりました。
 しかし、この作業員の方は直ぐに亡くなった訳ではありません。当初は目立った外傷もなく、意識もはっきりしていて、看護婦さんと冗談も交わしたりしていました。ところが実際は、体内のDNAや染色体が、被曝によって悉く破壊されてしまっていたのです。これは新たな細胞が再生されない事を意味します。
 その結果、当初は元気だった作業員の方も、身体が内部から壊れていくように、皮膚・内臓器官・免疫機能・造血機能が徐々に失われていき、散々苦しみぬいた末に、変わり果てた姿で死んで行きました。その時に、作業者のひとり大内さんの治療に携わった医療関係者の挑んだ壮絶な記録が、この「朽ちていった命」です。同様の内容が下記動画の形でもアップされています。まずはそちらからご覧下さい。全5編に分かれた長い動画で、中にはショッキングな映像も出てきますが、どうか目をそらさずに全てご覧下さい。

東海村JCOバケツ臨界ウラン放射線・放射能被爆事故 1


東海村JCOバケツ臨界ウラン放射線・放射能被爆事故・2


東海村JCOバケツ臨界ウラン放射線・放射能被爆事故・3


東海村JCOバケツ臨界ウラン放射線・放射能被爆事故・4


東海村JCOバケツ臨界ウラン放射線・放射能被爆事故・5


 どうです、ご覧になった感想は。私がまず思ったのは次の二点です。まず最初に押さえておかなければならないのは、これは「決して個人の不注意による事故ではない」という点です。
 「規定外のやり方で作業が行われていた」と書きましたが、実際は当初のマニュアルが有名無実化してしまっていて、作業員への安全教育が全く為されなった中で、違法で危険な我流作業が「会社ぐるみで」まかり通ってきたのです。何故このような事になったのか。恐らく、当初のマニュアル自体も、決して現場の実情を反映したものではなく、所詮は「見てくれ」に過ぎなかったのではなかったか。
 これは大なり小なり、どこにでもある話ではないでしょうか。過去の幾多の食中毒事件や食品公害の例でも明らかなように。原発関連産業と言えども例外ではなかった。それどころか、寧ろ秘密のベールにつつまれた原発産業だからこそ、「原発ジプシー」に象徴されるような暗部が、これまで明るみに出なかったのではないでしょうか。

 もう一つは、放射能の汚染や被曝が、実際にはどれだけ恐ろしいものかという事を、初めて白日の下に曝け出されたという事です。日本は「唯一の被爆国」と言われるだけあって、放射能汚染の恐怖は国民一人一人に浸透しています。でも、それは長年に渡る政府の「核隠し」政策の影響もあって、「科学的裏づけ」「被曝者連帯の精神」「核を弄ぶ者への怒り」等を欠いた、単なる忌避感情に止まってしまっていました。だから、「唯一の被爆国」であるにも関わらず、被爆者へのいわれなき差別や、根拠なき「原発安全神話」がまかり通ってきたのです。

 これを木っ端微塵に打ち砕いたのが、スリーマイルやチェルノブイリの事故であり、このJCO事故や今の福島原発事故ではないのか。なるほど、放射性物質は目には見えないし臭いも無い。よっぽど大量に被曝しなければ、身体に直ぐに変化が現れない。この東海村臨界事故でもそうだった。しかし、身体はその後どうなっていったか。身体を貫いた放射線の影響で、身体は免疫機能や再生機能が失われ、徐々に壊れていった。現代医学の粋を以ってしても、それに太刀打ち出来なかった。
 では、致死量の放射線さえ浴びなければそれで良いのか。実際には、致死量の8シーベルト(8000ミリシーベルト)と1ミリシーベルトの違いは、後者は前者よりも死ぬ確率が、何十分の一か何百分の一か小さいというだけで、決して後者が安全という訳ではないのです。それが証拠に、レントゲン技師などの医療被曝の問題が、今までも問題になってきました。


 その事実を、日本のマスコミは今まで隠蔽し、代わりに原発や核兵器の「安全神話」を撒き散らしてきたのです。「核の平和利用」だとか「管理さえすれば安全」だとか詭弁を弄しながら。でも実際の原発は、「トイレ無きマンション」「海暖め装置」と揶揄されるように、再処理技術も未確立のまま、放射能・核廃棄物・温排水を地球環境に放出してきました。燃料がそのまま核兵器製造に転用できるからこそ、公害垂れ流しで経済コストもかかり、一旦事故があれば取り返しのつかない事になる原発に、ここまで固執してきたのでしょう。実際には、代替エネルギーの開発をサボりまくってきたくせに、二言目には代替エネルギーが確保出来ないと言いながら。
 そうして、下記の映画「六ヶ所村ラプソディー」予告編動画にもあるように、核燃料再処理工場を金の力で地方に受け入れさせてきた。「工場を受け入れたら、役場や図書館もキンピカのものに作り変えてやる」とか「工場で雇ってやる、仕事も回してやる」といって、地元の反対運動を金の力で押し潰してきた。

六ヶ所村ラプソディー予告編 Rokkasho Rhapsody


 その結果どうなったか。青森県六ヶ所村では、「むつ小川原」の巨大コンビナート開発計画が惨めに頓挫し、石油備蓄基地でも穴埋めが出来ずに、国策に翻弄された挙句に、核燃料再処理工場を呼び込んでしまったのです。
 その結果、工場のお零れで地元は多少潤った代わりに、丹精込めて作った花卉栽培や有機農法の野菜も、風評被害で徐々に売れなくなってしまった。豊かな漁場も、工場から出る廃液の所為で衰退してしまった。そんな歴史が、今まで六ヶ所村では繰り返されてきたのです。
 農地や漁場を奪われた住民は再処理施設で働かざるを得なくなりました。かつて反対運動に立ち上がった住民も、貝のように口を閉ざしてしまいました。「安全神話」を無理やり自らに言い聞かせながら。

 しかし、福島ではその結果どうなってしまったか。今般の原発事故で、故郷そのものを捨てざるを得なくなってしまったではないか。今までの「原発のお零れ」なんかでは到底穴埋めできない程の、甚大な被害を蒙ってしまったではないか。「奴隷根性」の見返りに、何百倍、何千倍もの「しっぺ返し」を蒙る破目になってしまったではないか。その責任は一体誰が取るのか。
 これは何も日本の例だけではありません。英国セラフィールドでも、六ヶ所村に先立つ形で再処理施設が作られました。その結果、地元のアイリッシュ海が「死の海」と化してしまった末に、セラフィールドの再処理施設は閉鎖へと追い込まれてしまいました。

 まずは、その事実から出発するしかありません。それこそが、六ヶ所村やJCO事故から私たちが学ぶべき事ではないでしょうか。そういう意味では、これらの事故の悲劇は、決して過去の話なんかではありません。今も現在進行形の事態なのです。昨日の六ヶ所村・東海村・セラフィールドが今の福島であり、それを未来の日本にしない為に、私たちが今何が出来るかを考えなければならないのです。
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産経記事の人間不在

2011年06月26日 14時19分00秒 | 福島の犠牲の上に胡坐をかくな
 産経新聞の下記の記事には流石に呆れました。

・作業員69人はどこに? 所在不明、偽名登録疑い、核防護上の問題も(産経新聞)
>東京電力福島第1原発で進められる事故収束作業に従事したはずの作業員69人の所在が分からなくなっている。臨時雇用が終わって連絡が取れない人がいるとみられるが、偽名登録が疑われるケースも目立つ。原発への立ち入りは厳重な管理が求められていることもあり、専門家からは「テロ対策上の不備をさらけ出した」との批判も上がる。(原子力取材班)
>東電のずさんな管理態勢が明るみに出たのは初めてではない。5月には、宮城県での仕事に応募したあいりん地区(大阪市西成区)の男性が、求人内容と異なり、同原発敷地内での作業に従事させられていた問題が発覚している。
>「どんな事態であっても身分確認は重要だ。労働基準法違反などのレベルではない。テロを想定した武力攻撃事態法にも抵触しかねず、原子力施設の安全防護上、看過できない」
 こう指摘するのは、京都大学の神田啓治名誉教授(核物質管理学)だ。
 http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110624/dst11062421260024-n1.htm

 福島第一原発の初期の復旧作業に携わった作業員69名のその後の消息が掴めないという記事ですが、こんな事は別に今に始まった話ではなく、また原発だけに限った話でもない。日本の非正規労働者全体が似たような境遇に置かれている事は、既に数年前の「派遣村」の事例などでとっくに明るみになっていました。でも、産経のこの記事では、大阪・西成の「あいりん地区」の労働者が騙されて連れて来られて福島原発で働かされていた事例も引き合いに出しながら、その事には軽く触れるだけで、それよりも偽名登録の横行による原発テロの脅威のほうを言い立てていました。
 「労基法違反よりもテロ対策上問題あり」という御用学者の発言要旨まで引いて。
 私、あまり腹が立ったので、自分のブログの原発関連記事に、下記のコメントを自分で書き込みました。

>物凄い発想だな。東電が原発下請け労働者の労務管理・健康管理を等閑にしてきたのは、産経的には「労基法違反よりもテロ対策上問題あり」なのだと。「労働者よりも原発のほうが大事」だと、公然と言っているようなものじゃないか。
 原発の下請け労働者が、如何に騙されて原発に連れて来られようが、賃金ピンハネされようが、酷使されようが、被曝させられようが、そうして使い捨てされた挙句に、リストラされて路頭に迷おうが、そんな事は知ったこっちゃ無い。しかし、その為に逆恨みされて原発が狙われてはかなわんのだと。なら、逆恨みされるような事をしなければ良いだけの話だろう。
 毎回毎回、下らん記事ばかり書きやがって。反吐が出るわ。(以下略)(2011-06-24 23:12:37投稿「人命よりも原発のほうが大事なんだと」 )
 http://blog.goo.ne.jp/afghan_iraq_nk/e/e066ddd6d432ac15d9961e4c6603f9a7

 この記事の例でもそうですが、産経新聞の近年の論調は、単に右翼偏向というだけでは済まされないものがあるように感じます。右よりとか左よりとかいう以前に、人間不在というか、ただただイデオロギー優先というか、ひたすら相手を貶めるだけの、血の通ったものが全然感じられない記事が目につきます。この記事にしてからがそうでしょう。「作業員の安全や健康よりもテロの脅威のほうが心配だ」なんて、とても常人の感覚とは思えません。
 この調子では、仮にこの記事を書いた記者の息子さんが原発で働いて被曝事故に遭ったとしても、事故の事はそっちのけに「原発の評価が下がったら大変だ」と書きかねません。
 だから「支持する、しない」や「好き嫌い」以前に「反吐が出る」と書いたのです。

 同じような事は、他のブロガーの方も少なからず感じられているようです。例えば、下記の村野瀬さんのブログで紹介されていた指摘などがそうです。

・日の丸君が代強制当然論と、脱原発懐疑論と。(「スーパー小論文ハイスクール」から)(村野瀬玲奈の秘書課広報室)
 http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-2627.html

 これは、shiraさんのブログ「スーパー小論文ハイスクール」で取り上げられていた、産経新聞のダブル・スタンダードの事例です。「日の丸・君が代の強制」については、さも「時流の大勢」「世の常識」であり「疑う事は許されない」と書いておきながら、話題が「脱原発」に移った途端に、「時流の大勢に流されるな」「世の常識を疑え」と、正反対の事を書いているのですから、開いた口が塞がりません。ニュース・ソースが自社の政治的主張にとって都合が良ければ「世の常識」「疑う事は許されな」いが、そうでない場合は「世の常識を疑え」と。こういうのを世間では「ご都合主義」と言うのです。産経新聞が、如何に特定のイデオロギーに凝り固まった偏狭メディアであるかがよく分かります。

 産経記事のこのような偏狭性や人間不在は、別に今に始まった話ではなく昔からそうでしたが、それでも唯一の「効能」として、朝日新聞や赤旗にはまず載らないような、北朝鮮関連の話題を割りと詳しく取り上げているというのがありました。勿論、その大半は北朝鮮や中国の脅威をダシに軍備増強を説く「為にする記事」や、「嫌韓流」漫画の出来損ないのような孫引き記事ですが、それでも中には石丸次郎さんやアジア・プレスの北朝鮮レポートのような優れたものもありました。私が産経新聞を今までこっぴどく批判しながらも、唯一その点だけは僅かに「評価」してきたのですが、ここまで「右翼イデオロギーまず先に在りき」の「ダブル・スタンダード」や「ご都合主義」「人間不在」が酷いとなると、この評価も早晩見直さなければならないかも知れません。
 いずれにしても、読売や日経なんかと比べても、余りにも酷い記事が多すぎます。もう、どうしようもないメディアである事は確かです。かと言って、朝日新聞や毎日新聞も、決して褒められたものではありませんが。後者2紙も、財界にとってはそんなに大した問題ではないが、世論がとかくエキサイトしやすい歴史問題や領土問題などでは、産経との違いを若干見せているものの、消費税やTPP、小泉構造改革の是非といった(財界にとっての)本筋問題では、産経と「瓜二つ」の「同じ穴のムジナ」にしか過ぎませんから。
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発送電分離に関する覚書

2011年06月23日 08時42分17秒 | 福島の犠牲の上に胡坐をかくな
 脱原発との絡みで再び議論が盛り上がっている「発送電分離」の是非について、積極的評価の新聞社説と消極的評価のツイッターまとめを、こちらに転載しておきます。 この問題の是非については、正直言って私も判断を迷っています。だから両論併記の形で、自身の覚書(メモ)として保存したのですが・・・。
 私について言えば、少々電気料金が高くなっても、脱原発への転換が促されればそれで良いと思っています。地球環境保全や公正経済確立の為には、それが避けては通れない道なのですから。
 今の電力各社による地域独占が、形は「分割民営」でも実際は「国策民間企業」による「営利優先の殿様商売」に他ならず(つまり今のJRや郵便局と同じ)、それを是正して自然エネルギー企業の参入を促す為にも、「発電部門を送電部門から切り離して完全に自由化する」というのが「発送電分離」の趣旨なのでしょうが。しかし、それが「安かろう悪かろう」や「電力格差」に堕してしまっては何もならないと思うのです。

●発送電分離/新たな社会基盤を築こう(神戸新聞・社説)

 日本のエネルギーのあり方をめぐり、電力会社から送電部門を切り離す「発送電分離」の議論が活発化してきた。
 原発中心に形作られてきた電力事業の見直しを求める声が強まっている。自然エネルギーの本格普及に向け、問題点を検証し、改革に踏み出したい。
 地域ごとの電力会社が発電から送電までを担う電力事業の形は戦後の1951年に出来上がった。しかし、電気料金が他の主要国に比べて高いことが問題となり、日本でも90年代後半から発送電分離を含めた電力自由化が議論された。
 この時は、電力会社が「電力の安定供給ができなくなる」と強く反対し、一部を除いて自由化は見送られた。
 だが、東日本大震災によって地震に対する原発のリスクの大きさと、原発に依存した電力供給のもろさが明白になった。議論を先送りしているときではない。
 送電部門を開放すれば、新規事業者が競い合って電気料金を安くすることが期待される。
 以前に議論された時と違い、自然エネルギーに蓄電池を組み合わせた次世代送電網(スマートグリッド)の開発が急速に進んでいる。
 太陽光、風力、バイオマスなどの小規模電力を地産地消する分散型システムは、災害に強い社会づくりのためにも導入を急ぐ必要がある。
 こうした新しい技術を生かした電力システムは、電力会社が追求してきた発送電施設とは発想も姿も全く異なる。
 例えば、原発には、数百キロ離れた大消費地に電力を送るための巨大な鉄塔や超高圧送電網が不可欠だ。出力調整が難しい原発には夜間の余剰電力の受け皿となる巨大な揚水式発電所も欠かせない。
 電力会社はこれまで、夏のピーク時の電力消費量に対応するために巨大な発電所を増設してきた。しかし、電力を自力でまかなうスマートグリッドを備えた住宅やまちが増えて最大消費量が下がれば、比例して不要な発電所も出てくる。膨大な送電施設の維持管理費もいらなくなり、電力コストを下げられる。
 太陽光発電、蓄電池やスマートグリッドは世界中が注目している日本の得意分野である。しかし、活用しなければ宝の持ち腐れになりかねない。地域に合った自然エネルギーを生かす発電事業は、各地に平等に雇用機会ももたらす。
 新しい送電網は、国際競争力のある技術開発と地域活性化のための社会インフラとなる可能性を秘める。電力事業の新たな形を国民参加で描いていきたい。
 http://www.kobe-np.co.jp/shasetsu/0004187079.shtml

●Togetter―発送電分離に関する田中辰雄准教授の整理

(1)原発事故を受け、電力事業の自由化提案が見られます。送電部門はこれまでどおり公的な独占とし、発電部門を切り離して誰でも発電できるようにするという提案です。消費者は複数の発電会社のどこかと契約して電気を購入します。回線はNTTを使いながらISPは好きなところを選べるとの同じです
(2)発・送電の分離は電力市場に競争市場を入れる事になり、競争による価格低下が期待できます。欧米で導入例が多く、経済学者の支持も高いです(たとえばhttp://bit.ly/efosXa)。ただし、市場に委ねるので電力供給が不安定化しがちで、実際、欧米では大規模停電が起きています
(3)送発電分離の賛否はここでは問いません。ただ、送発電分離が、原発問題と計画停電への対策であるかのような登場の仕方をしているのはおかしいです、今回の巨大津波は仮に送発電が分離していたとしても防げなかったし、計画停電も起きていたでしょう。原発事故と送・発電分離は関係ありません。
(4)また、送・発電分離したら脱原発になるものでもないです。たとえば英と米は送発電の分離が進んだ国ですが、米国は原発を維持し、英にいたっては温暖化対策のために原発新設を計画していました。つまり、原発を推進するかどうかは国のエネルギー政策で決まるので、送・発電分離とは関係ありません
(5)どの国でも原発をやるかやらぬかは国、したがって最終的には国民が決めるものです。これは原発のリスクが高く、一民間企業ではそのリスクを背負えないからでしょう。
(6)まとめると送・発電分離のメリットは競争による電力価格低下です。電力価格低下のメリットが大規模停電のデメリットよりも大きいと国民が思えばやる価値があります。ただし、それはいま我々の憂鬱の源である「原発事故リスク」と「計画停電の混乱」を解決してくれる魔法の杖ではないでしょう
(7)ちなみに送発電分離後の電力価格低下はhttp://bit.ly/eJyW7lによると5%位のようです(最大で10%くらい)。大規模停電が起こったカリフォルニアでは2006年になっても、総停電時間は日本の10倍近いというデータがありますhttp://bit.ly/eOVci8
(8)5(~10)%の電気料金低下なら、いらないから停電をなくして欲しいと思うか、それとも少々の停電は気にしないから電気料金が5(~10)%下がったほうがよいか、で選択すればよい話になります。いずれにせよ原発問題と震災による計画停電とは関係しない話です。
捕捉を二つ述べます。ひとつめ。送電と発電を分離したとして東電がはらう補償金はどちらが払うのでしょうか。送電は薄利でもうからない商売です。発電会社は成功すれば儲かりますが競争市場なので、巨額の補償金があると新規参入者との競争が成立しません。補償財団でも別途つくるのでしょうか・・。
二つめ、他の電力会社への影響。送・発電分離をすると、原発事故を起こすと会社は解体されるという前例ができます。原子力損害賠償法の免責事項は反故になるので、他の電力会社はいますぐ原発を止めたいと思うでしょう。脱原発のためにはよいシナリオですが、計画停電が全国に広がるかもしれません(終
 http://togetter.com/li/123385

●発送電分離だけでなく、通信電力融合を(原 淳二郎)

菅政権が電力の発送電分離を検討する。福島事故以降、あちこちで議論されている問題だが、ただ原発事故補償金目当てだけの発送電分離では不十分である。
電力送電網には巨大鉄塔で高圧送電をする部分と消費地の都会で小口に分けて配電する部門がある。それらを一体で分離するのか。送電と配電を分けて分離するのか、まだ語られていない。高圧長距離送電部門は設備投資が巨大で、新規参入が難しい。配電も新規参入は難しいといわれるが、電力会社の配電部門と同じように電柱や地中配管 を持っている企業がある。NTTである。かつてNTTの地域通信網が新規参入を難しくしているといわれたが、電力は自らの設備、電柱や地下配管を利用して通信に参入した。その逆をやればいいのである。NTTが長距離送電に進出するのは難しいかもしれないが、配電分野なら成功する可能性は高い。もともとNTTは電力の大消費者の代表的存在である。太陽光発電などで自ら発電部門に進出するメリットもある。そのための研究もしている。
発電市場では工場の自家発電で余った電力を売りたいという企業が多く、これが発送電分離の発想の原点だった。送電部門を分離したら発電市場で新規参入は相次ぐと期待された。
送電部門は地域独占性が強く、仮に配電と送電部門を一体で分離するとその独占性は不変である。送電部門だけ規制下に置き、配電部門を発電部門と同時に自由化すれば、電力販売の自由度も増すはずで、発電の新規参入が促進される。
NTTの電力参入を促す理由はもうひとつある。スマートグリッドの建設促進である。もちろん他の通信事業者やIT関連事業者が参入してもいいのだが、通信と電力を融合させ、効率的な発電送電配電システムができれば、送電ロスを減らせるし、太陽光など小口の自然エネルギー発電を大量にネットワークで結んで、大規模発電に匹敵する電力供給源にすることもできる。電気自動車の蓄電池を電力ネットワークに組み込むことも容易である。電力の品質が低下するからという理由で電力会社が買電を拒否するなどということもなくなるはずだ。
送電配電の分離は技術的に無理だという反論があるかもしれない。仮に無理だとしても、送電配電の要素ごとにつまり変電所配電所ごとに会計を分離透 明化を図ることで、発電の新規参入を促すことも可能だ。かつてNTTの独占を排除、自由化を進めた経験が電力自由化にも生きるはずだ。
長期エネルギー計画の中で、これらの構想を具体化し、自然エネルギー市場を大きく育て、脱原発の道筋をつけることが、福島後の最も重要な政治経済課題である。
 http://agora-web.jp/archives/1331049.html 
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在特会こそ原子炉の中に叩き込め!

2011年06月20日 00時35分12秒 | 福島の犠牲の上に胡坐をかくな
 6月11日(日)の脱原発デモは大成功に終わって何よりでしたが、その後の1週間については、私事で何かとありました。
 まずデモ翌日の月曜日に、親父が再び心筋梗塞の発作を起こし、今も入院中です。但し、詰まった血管が前回とは違う所だったせいか、幸い今回も大事には至りませんでした。お陰さまで術後の経過も順調で、今の所は見舞いだけで済んでいます。
 しかし、今度は入れ替わりに、私のほうが体調不調に陥ってしまいました。この間の気候の変わり目で腹を冷やしたのか、この数日下痢が続き、それがようやく治まりかけたと思えば、今度は土曜日に腰痛を再発。あいにく土日で医者は休み、月曜日からまた仕事、果たしてどうしたものかと。但し、こちらも幸い、ぎっくり腰までには至らず、次の休みまでは湿布薬で何とか凌げそうです。
 だから、今日は本当は、大阪でも上映が始まった反原発映画「六ヶ所村ラプソディ」を観る予定だったのですが、この調子では、次の休みに鑑賞できるかどうかも分からなくなりました。

 そういう事で、ブログ更新の間がまた暫く空いてしまいましたが、これだけは書いておかねばと思う事を、遅ればせながら書いておきます。それが、「在日特権を許さない市民の会」(在特会)と称する「外国人排斥」を主張するネオナチ集団による、先の脱原発デモに対する挑発・敵対行為です。
 この「在特会」の事については、既に脱原発100万人アクション(大阪)報告記事の中でも少し触れましたが、実際には次のような感じだったようです。

原発と日の丸は要らないと主張する反日左翼デモに突撃?


 上記の動画を見ると、お決まりの罵倒文句「反原発=反日左翼」や「生活保護を貰いながら政治活動するな」だけでなく、「こいつらは朝鮮人か」とか「電車やバスに乗るな」とか、果ては「弁当・日当貰って参加しやがって」とか、もう支離滅裂な事を言いたい放題ですね。
 一体誰が「弁当・日当貰って」参加しているのか。私の様な飛び入り参加組も含め、殆どの人間が手弁当での参加でした。「朝鮮人」も大嘘で、周囲の人間はみんな日本人でした。第一どこの国の人間がデモに参加しようが関係ないでしょうが、アパルトヘイト(人種隔離政策)時代の南アフリカじゃあるまいし。我々が訴えているのは、あくまで「脱原発」であって、「電車やバスをなくせ」なんて誰も言っていません。「生活保護」受給者にも政治活動の自由や基本的人権はあります。それを否定する「金権政治」擁護者が、幾ら小沢一郎あたりを批判した所で、「目くそ鼻くそ」でしかありません。

 それ以上にむかっ腹に来るのが、こいつらネオナチ集団「在特会」が、原発が「地方・下請け搾取」の象徴である事を百も承知の上で、その搾取の上に平然と胡坐をかき、自らは安全な所に身を置きながら(放射能汚染が全国に広がった今となっては、それも実際は、はかない願望にしか過ぎなくなったのだが)、脱原発運動に敵対し続けている事です。
 私が脱原発に本格的に目覚めた理由は、勿論最初は、この度の福島の原発事故で、放射能汚染の取り返しのつかない危険性・巨大性が露になったのが直接のきっかけでした。しかし今は、その理由も然る事ながら、それ以上に、ここまで地方の「原発銀座」を地場産業衰退と裏腹の原発依存に追い込み、下請けの「原発ジプシー」労働者に被曝を強いながら、それを必要悪と居直り、自社の営利追求の為には労災隠しやデータ改竄などの不正行為も厭わない、電力企業の姿勢にこそあります。

隠された被爆労働~日本の原発労働者1


 「そのような不正義で不公正な経済システムから、出来るだけ早く脱却しよう」というのが、脱原発運動の究極の目的です。勿論、今の経済システムを根本から見直そうとしているのですから、おいそれとは行きません。今の日本の実際の原発依存率は18%であり、電力会社のいう3割依存は明らかに誇大宣伝ですが、それでもそれなりの苦労は求められます。それが、庶民にとっては節電やクール(ウォーム)ビズなどであり、企業にとっては省エネや自然エネルギーへのシフトなどです。簡単には出来る事ではない。でも努力すれば充分可能であるし、何よりもやらなければならない事である。それをハナから「無理」だの「反日」だのと難癖をつけてやらないのは、為にする批判にしか過ぎない。

 それに、脱原発を主張しているのは、何も「反日左翼」だけではありません。ソフトバンクの孫正義社長や、大阪府知事の橋下徹も、今やれっきとした「脱原発」論者です。それは、単純に経済合理性から考えても、今や原発が割に合わない事が、この福島の事故でハッキリしたからです。原発燃料のウランのほうが石油などより先に枯渇し、熱効率も悪く発電コストも実際は割高で、放射能・核廃棄物・温排水を撒き散らし、一旦大事故になれば国土全体がダメになる(詳しくは下記アフェリエイト著書など参照の事)。
 だから、脱原発デモには従来の労働・環境団体だけでなく、何の組織にも属さない一般市民や財界人、右翼の一部すらも加わってきているのです。脱原発デモには、今や赤旗を掲げた左翼だけでなく、日の丸を掲げた右翼も少なからず参加しています。
 大阪府知事の橋下徹についても、その他の「日の丸・君が代」強要や道州制・大企業本位の開発推進などの彼の施策に対しては、私は批判・攻撃の手を緩めるつもりは毛頭ありません。でも彼の「脱原発」姿勢については、それが一時の人気取りによるものか否かについては不断に警戒しながらも、言った事については一歩前進と看做します。少なくとも、今も原発搾取の上に胡坐をかく輩よりは、まだナンボかマシです。
 http://www.nikkansports.com/general/news/f-gn-tp3-20110618-792065.html
 http://blog.goo.ne.jp/afghan_iraq_nk/e/1251c95c9c62e2888166e9e84475ec20

原発のウソ (扶桑社新書)
クリエーター情報なし
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 これは今まで無かった事ゆえに、行き違いやトラブルも当然あるでしょう。東京・新宿の脱原発デモ出発集会でも、右翼参加者からの挨拶を巡り、左翼側から異論が出たようです。これに対し、あくまでも私個人の感想を言わせて貰うならば、その挨拶が「脱原発」の趣旨に沿ったものである限り、日の丸を掲げながら電力大企業による国土破壊に反対する右翼にも発言権はあります。それと同時に、電力大企業と国家による地方・労働者搾取に反対するアンチ日の丸の左翼にも、同等に発言権があるという事も、ここではっきりさせておきます。その上で、左翼・右翼も、そのどちらでもない多くの一般市民も、「脱原発」の一致点でデモに参加しながら、異論については平和的に話し合っていけば良いと思います。
 但し、これはあくまでも私の個人的な感想であって、それを他のデモ参加者にまで押し付ける気はありません。
 http://otakuofantifainfo.blog49.fc2.com/blog-entry-66.html

 只はっきり言えるのは、「脱原発はみな反日左翼や朝鮮人の陰謀であり、こいつらはみんな東京湾に叩き込んでしまえ」なぞと叫び、日の丸の旗竿をゲバ棒の凶器代わりに使うようなネオナチ・カルトに、前述の脱原発運動内部の「行き違い、トラブル、異論」の存在を批判する資格なぞ、これっぽっちもないという事です。今ある矛盾や不合理を乗り越えようと努力しているものに対して、その矛盾や不合理の上に胡坐をかき居直り続けているものが、足を引っ張る資格なぞ在ろう筈がありません。

 しかも、このネオナチ・カルト「在特会」は、あろうことか、同じ6月11日に東京で開催された、「北朝鮮に拉致された日本人を救う会」(救う会)主催の国民大集会においても、主催者を無視して「朝鮮人を海に叩き込め」などの不規則発言を繰り返した挙句に、それを批判した「救う会」一部地方組織有志や水島総・チャンネル桜社長にまで、攻撃の矛先を向けているそうではないですか。勿論、こんな「在特会」である事を百も承知の上で、員数合わせの為に利用してきた「救う会」の「ご都合主義・無原則性」や、今も原発擁護を主張し続けている水島総や、北朝鮮・拉致問題に託けての年来の右翼的主張(破防法適用・憲法改正・日米安保増強など)を続けている「救う会」についても、私は「在特会」とは逆の立場から別途問題にされるべきだとは思っていますが。しかし、だからといって、「在特会」のこのような傍若無人な態度や暴力性・差別性が免罪されて良い筈はない。
 http://nyt.trycomp.com/modules/news/article.php?storyid=8677
 http://www.youtube.com/watch?v=aUZcui2E5TA&feature=player_detailpage#t=679s

 このような「在特会」の傍若無人な態度や暴力性・差別性については、何かそれが既成の運動のマンネリ性を打破するものであるかのように、寧ろ肯定的に評価する向きすら保守派の中にはあるようですが、何をか況やです。所詮ファシストはファシスト、ネオナチはネオナチでしかありません。
 「在特会」の見かけの「過激さ」も、彼らが一般市民のみならず、今まで身内と看做してきた右翼内部でも孤立を深めている事の証に他なりません。かつての連合赤軍やオウム真理教、アルジェリアのイスラム原理主義ゲリラのように、「民衆が我々を支持しないのは、我々ではなく民衆が悪いからだ」と言って、民衆にまで無差別テロの牙を向けた末に、内ゲバで自滅していったのと、早晩同じ道を歩む事でしょう。

 「尖閣守って福島守らず」のエセ保守。北朝鮮や中国の人権問題を云々しながら、実際には北朝鮮や中国の政府も人民も一緒くたにしての、「朝鮮人・シナ人は海に叩き落せ」と言った薄汚い罵倒しか言えないネオナチ。こんな奴らが仮に中国人を追い出しにかかった所で、今度は中国政府に代わってこいつらネオナチが、チベットやウイグルを弾圧するに決まっています。今も在日のフィリピン人や日系ブラジル人を排斥しているように。それに対して、「朝鮮人・シナ人を海に叩き落す」という物言いが許されるのであれば、そして、そんなに原発擁護をいうなら、こいつらこそが福島原発の人柱になれば良いのです。

※記事のタイトルを若干手直ししました。(6/21 22:34)
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611脱原発100万人アクションの記録

2011年06月16日 08時38分02秒 | 福島の犠牲の上に胡坐をかくな
<大阪・東京デモの動画>
 まず最初に私も参加した大阪の御堂筋デモ(主催者発表で4500名)と、全国・世界各地で同日に取り組まれたデモのうちで、一般市民・若者中心だった東京・新宿2万人デモと、労組・環境団体が中心だった同じく東京・芝公園6千人デモの動画を、ここにアップしておきます。
 私自身の感想では、大阪はもっと参加者が多かったような気がするのですが・・・。しかし、1梯団約200名×20梯団との見積もりや、淀屋橋・難波間約4キロ区間を平均1メートル間隔で数珠繋ぎに行進しても、それ位の数字にしかならない事から、「案外そんなものだったのかなあ」「それでも4千人と一口に言うが、実は凄い数字だったのだ」と思っています。

611脱原発100万人アクション 大阪デモ


脱原発百万人アクション@新宿へ20.000人が結集


6.11脱原発百万人アクション@6.000人が結集


<611当日の新聞報道から>

●震災3カ月、各地で脱原発デモ 福島・新宿・フランス…(朝日新聞)
 東日本大震災から3カ月の11日、「脱原発」を訴えるデモやイベントが全国各地で開かれた。
 東京・新宿では、インターネットでの呼びかけなどで集まった多くの人たちが午後3時すぎから行進。ロックやちんどん屋の生演奏を先頭に、休日の繁華街を約3キロ歩いた。主催者によると約2万人が参加したという。
 都内の会社員、斎藤誠さん(43)は、妻と2人の息子と参加した。こうしたデモ行進は初めて。「子どもの将来が何より気になる。原発は即停止しかないだろう」と話した。
 百貨店で買い物をしていた都内の杉本則子さん(60)は飛び入りで加わった。「原発がないと生活ができないでしょ、と問われても、今までは返す言葉がなかった。その答えを真剣に考える責任があると思う」
 福島県内の各地でもデモや集会があった。郡山市では約200人が「ノーモア・フクシマ」「ふる里をかえせ!」などと手書きしたプラカードを掲げながら歩いた。
 福島第一原発の事故の影響で、郡山市内の放射線量は今でも、東京の20倍以上。同県須賀川市の主婦橋本円香(まどか)さん(36)はマスクに「深呼吸も出来やしねえ」とのメッセージを貼りつけて歩いた。「本当はデモなんかしたくない。でも、地元から、原発反対の声を上げないといけないと思いました」
 この日の行動は、福島第一原発の事故が起きてから東京都内でデモを主催していた環境保護団体「グリーンピース」やリサイクルショップ「素人の乱」の関係者らが話し合い、「6・11脱原発100万人アクション」と題して世界各国にも呼びかけて実施した。
 世界有数の原発大国フランス・パリや豪メルボルン、香港、台北などでもこの日、集会やデモがあった。
 パリでは、中心部の市庁舎前に数千人が集まり、脱原発を訴える日本の人々との連帯を表明。脱原発の方針を打ち出したヨーロッパエコロジー・緑の党をはじめ、原発を推進する姿勢を崩さないサルコジ政権と対立する野党各党の議員らが次々に演説した。
 主催したNGOメンバーのシャルロット・ミジョンさんは「各国は原発の安全性検査を実施すると言うが、原発を続けるための言い訳に使われかねない」と指摘した。
 http://www.asahi.com/national/update/0611/TKY201106110405.html

●脱原発:全国130カ所で市民グループがデモなど(毎日新聞)
 東京電力福島第1原発の事故を受け、各地の市民グループが連動して脱原発を訴える「6・11 脱原発100万人アクション」が11日、全国約130カ所であった。事務局によると、事故後、脱原発を目指す全国一斉の行動は初めて。
 東京・新宿の繁華街では、市民有志が「原発やめろデモ!」を行い、楽器を持ち寄り即席でつくったマーチングバンドが先導。プラカードを掲げた人々が「原発いらない」「子どもを守ろう」と呼びかけた。出発前の集会でスピーチした作家の雨宮処凛さんは「(原発事故で)命と健康がおびやかされている」と話した。
 福島県南相馬市に実家がある保育士の青田典子さん(37)は「4月から東京で仕事をしているが両親は滋賀県の知人の家に避難している。一日も早く故郷にきれいな空気と水を」と訴えた。
 http://mainichi.jp/select/science/news/20110612k0000m040095000c.html

●震災3か月、各地で原発反対デモやイベント(読売新聞)
 東日本大震災による東京電力福島第一原子力発電所の事故から3か月となった11日、原発に反対するデモやイベントが全国各地で行われた。
 東電柏崎刈羽原発がある新潟県では、市民団体などで構成する実行委員会がデモを企画。約200人の参加者は「柏崎刈羽原発を止めろ」などと声をあげながら行進した。東京・代々木公園では、地震発生の時間に合わせて黙とうした参加者が、渋谷、原宿駅周辺で、脱原発や自然エネルギーへの転換などを訴えてパレード。夜には新宿駅前で原発反対集会も開かれた。
 http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110611-OYT1T00718.htm

●全国で「脱原発」訴え集会 東京でも若者らパレード(産経新聞)
 東日本大震災から3カ月を迎えた11日、「6・11 脱原発100万人アクション」を合言葉にした集会やデモが全国各地であった。東京でもさまざまなイベントが開かれ、若者たちが脱原発を訴えながらにぎやかにパレードした。
 渋谷・代々木公園で開かれた集会では、震災発生時間の午後2時46分、犠牲者の冥福を祈って黙とう。加藤登紀子さんの娘で歌手のYaeさんが歌声を披露し「どれだけの人が悲しい思いをしたかと思うと胸がいっぱいになる。プラスのエネルギーで日本を変えていこう」と訴えた。
 集会後「バイバイげんぱつ」「福島を守ろう」「原発はもうこりごり」と書かれたプラカードや風船、ヒマワリの花などを持った子ども連れの家族や若者らが、音楽を鳴らしながら渋谷の町をパレード。主催者側によると約1500人が集まった。
 http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110611/dst11061121070042-n1.htm

●日仏団体が脱原発デモ パリで数千人(共同通信)
 パリ拠点の日仏交流団体「エコー・エシャンジュ」やフランスの「脱原発ネットワーク」など両国の団体が11日、パリのレピュブリック広場などで「脱原発」を訴える集会とデモを行い、数千人が参加した。
 福島第1原発事故を受け、デモでは日本語で「原発いらん」「さよなら原発」と書かれたプラカードも掲げられた。「即時脱原発は可能だ」「安全な核は存在しない」などとフランス語で書かれた横断幕と共にパリ市役所まで練り歩いた。
 http://www.47news.jp/CN/201106/CN2011061101000934.html
※ブログ「イル・サンジェルマンの散歩道」さんのレポート記事
 http://billancourt.blog50.fc2.com/blog-entry-477.html
 
 いつもはスポンサーの電力会社や大企業に頭が上がらない商業メディアも、今回ばかりは黙殺は出来なかったようです。特に、いつもは黙殺か揚げ足取りに終始している御用右翼の産経新聞が、割とまともに報じていたのが目を引きました。
 もはや、デモはフランスやドイツの専売特許でもなければ、日本は奴隷根性の国でもない。日本人も、立ち上がるべき時には立ち上がるのだ。

<マスコミが報じた 6.11 脱原発デモ参加者数>
 以下、CML記事より引用します。

全国  40カ所以上(福井)100か所(TBS)130か所(毎日)
    140か所以上(京都)150か所(TV朝日)150か所以上(読売)

道内  8カ所(毎日)
札幌  600(毎日)
函館  400(毎日)
旭川  (毎日)
釧路  (毎日)

青森  50(東奥)60(毎日)
秋田  50(秋田魁)
郡山  200(朝日・TV朝日)
前橋  500(毎日)
つくば 320(読売)500(毎日)550(朝日・茨城)
さいたま120(東京)    

都内  9か所(フジTV・日本TV)7つの市民グループ2400(NHK)
芝公園 6000(共同・東京・中日・福井・中国)
新宿  3300(フジTV・日本TV)数千(時事・中日)2万(朝日)
渋谷  1000(日本TV)1500(朝日・TV朝日・共同・産経・東京・中日・福井・
        沖タイ)
練馬  150(TV朝日)
国立  700(朝日)
横浜  3000(神奈川・TBS・毎日放送)

新潟  200(毎日・読売)
松本  200(信濃毎日)
長野   80(信濃毎日)
信濃大町 70(信濃毎日)
下諏訪 150(信濃毎日)

富山  100(朝日・チューリップTV)
金沢   [シールで投票](朝日)
福井  100(福井・毎日)150(朝日)
高島 100(朝日・中日)
大津  100(朝日)120(中日)
岐阜  400(毎日)500(岐阜・中日)
名古屋 300(毎日)
伊勢   70(伊勢)
    
京都  600(京都)640(毎日)
大阪  4000(毎日)
神戸  500(毎日・神戸)

岡山  500(毎日)
福山  (中国)
山口  (中国)
広島  270(産経)300(中国)
鳥取   [署名](朝日)
松江  (中国・毎日)
高知  180(高知)200(毎日)
四万十 (高知)
松山  200(愛媛)

福岡  1000(西日本)
熊本  100(熊本日日)100以上(毎日)
長崎  170(西日本)
鹿児島 100(西日本)150(毎日)
奄美  40(読売・南日本)50(毎日)
    
パリ  1000(日本TV)数千(朝日・共同・北海道・河北・茨城・東京・山梨日日・
    富山・北國・福井・中日・京都・神戸・四国・山陰中央・西日本・徳島・宮崎日
    日)5000(TV朝日)
    
ニューヨーク 60(共同・日本TV・北海道・河北・茨城・東京・新潟・北国・山梨日  
    日・中日・福井・富山・神戸・西日本・山陰中央・四国・徳島・宮崎日日・長
    崎)
メルボルン (朝日)
香港  (朝日)
台北  (朝日)
 http://list.jca.apc.org/public/cml/2011-June/010029.html

<職場での反応>

 今回の有休を取ってのデモ参加の件は、職場の仲間にも何人かには言っています。そのうちの一人K君(既に今までもブログ記事をワードに落として配布してきた)からは、「マスコミでは大阪は6千人参加と言っていたで」「日本の電気料金は世界一高かったのか」という感想を聞いています。
 後、これは原発問題に限りませんが、自民党などが菅内閣不信任案を出した時にも、別の方から「自民も民主も所詮は同じ穴のムジナ」「今選挙やっても自民党は勝てない」「アンチ菅の小沢も、所詮は田中角栄のカバン持ちだったじゃないか」という感想を聞いているし(但し最後は「誰に入れても一緒」という悲観論・諦観論に行き着いていたが)、それ以前の「原発賠償に消費税増税も不可避か」とのニュースが流れた後も、ロッカールームで「何故俺らが東電の尻拭いをさせられなアカンねん、勘弁してくれよ」との声が上がっていました。勿論これだけが職場の声ではありませんが、「案外みんな見るべき所はちゃんと見ているな」と感じています。
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原発の嘘を打ち破れ―6.11脱原発アクション(大阪)参加報告

2011年06月12日 17時44分30秒 | 福島の犠牲の上に胡坐をかくな
  
 6月11日の全国一斉「脱原発100万人行動」は、私は地元・大阪のものに参加した。当日14時からの中之島剣先公園での出発集会には、労組・生協・環境団体以外に、大学自治会や学生有志、病院看護婦の人たちも大勢来られていた。集会には、宮本岳志(共産党:右側)・服部良一(社民党:左側)の元・現参院議員が駆けつけて下さった(右上写真)。新左翼の一部(革マルなど)も会場周辺でビラを撒いていたが、そんな場違いで鬱陶しいビラは全部途中で捨てた。
 
 
 同じく出発集会でのひとコマ。左上写真はアースデー、右上はチェルノブイリ救援関西の垂れ幕。
  
  
  
 上の続き。一番左上の写真は壇上での西アフリカ・セネガル民謡の演奏風景。曲名は忘れたが非常に元気の出る曲だった。
 
 
 いよいよ15時からデモ行進出発。心配だった雨も降らず、逆に薄日が差し始めるまでに。私がいたのは先頭に近い部分だったが、それでも前にこれだけの人がいた。後ろは終わりが見えず。デモは淀屋橋から御堂筋に入る。

  
 純粋に考えれば、原発が割に合わない事は誰にでも分かる。だから最近は、保守系や財界の一部人士も脱原発を言うようになった(左上写真の橋下徹以外にも、河野太郎・孫正義・鈴木邦男など)。
 でも依然として原発に固執する人たちは、放射線規制値を緩めるなどの辻褄合わせに終始し、更に事態を悪化させている(真ん中上の写真)。
 危険なのは浜岡だけではない。福井県若狭湾岸の原発群も「地震の巣」の上に立地している。とりわけ中でも高速増殖炉「もんじゅ」は、事故続きで再開の目処も立たず。こんなのが事故ったら、琵琶湖は一発でアウトだ(右上写真)。

  
 デモは心斎橋・大丸の前をかすめ、やがてゴールの難波へ(左上写真)。近鉄難波駅前交差点の阪神高速ガード下では、「外国人排斥」を呼号する右翼(在特会)が、10名ばかり「日の丸」を掲げながら、「生活保護もらいながら政治活動なんかするな!」と、デモ隊に意味不明の罵倒を繰り返していた。じゃあソフトバンクの孫や大阪府知事の橋下も生活保護受給者かよ?寧ろ、行政を脅かしてタクシー代にまで生活保護を使いまくっていたのは、右翼崩れのヤクザの方だろう。そうやって、生活保護切捨ての口実にうまく利用されているのも知らずに、バカな奴らだ。
 第一「生活保護」が「反原発」と、どう関係あるのか?それ以前に、こんな「貧乏人には人権がない」と言わんばかりの事を、堂々と言える無知が凄い。今から90年も前の大正デモクラシーの時代に、普通選挙権獲得の闘いを始めた先達も、当時こんなバカを相手にしていたのかと思うと・・・(わら)。この右翼については、警察も正直持て余し気味で、押さえ込むのに苦労していた(右上写真)。

  
 ゴールのJR難波近くの公園では、人数が余りにも多すぎて、まとめの集会は各団体ごとに簡単に。私のような飛び入り参加の人たちは、適当に流れ解散。帰りの道すがらも、次から次へと後続の隊列が。デモの最後尾は、まだ淀屋橋で足止めを食っているそうな。そんな訳で、参加人数については一切分からず。ただ、大盛況だったのは確かだろう。後日の発表に期待したい。

 ここでひとつ「原発の嘘」について考えてみた。
 その1「安全の嘘」。そもそも地震大国の日本に54基も原発を作って、安全な訳がなかろう。幾ら安全装置を備えても、電源が途切れたら全く用なしだ。
 その2「エコでクリーンの嘘」。実際の原発は、「トイレ無きマンション」「海暖め装置」の異名通り、放射能も核廃棄物も温排水も垂れ流しだ。CO2もウランの採掘・精錬の過程で大放出。そもそも温排水で周囲の海水温を7度も上昇させといて、「温暖化防止の切り札」も糞もあるか。その核廃棄物(プルトニウムなど)処理の決め手として推進されてきた高速増殖炉やプルサーマル計画も、相次ぐ事故で頓挫したまま、今や再開の見通しすら立たなくなっている。
 その3「安心の嘘」。本来「これ以下なら安心」という絶対的な放射線量許容値(しきい値)なぞ存在しない。それでも「せめてここまでに」という事で定められたのが、1人年間1ミリシーベルトの従来規制値だった。それを根拠も曖昧なまま、福島の子どもは20ミリ、原発作業員は何と250ミリシーベルトにまで引き上げられた。50ミリシーベルトの被曝で白血病を発症した作業員も現にいるというのに。 
 その4「低コストの嘘」。実は原発ほどコストのかかるものはない。熱効率は最低だし(火力4割に対し原発は3割)、出力調整もままならないのだから。原子炉の制御棒は、謂わばコンロの元栓と同じで、フル運転か全停止かの、どちらかしか出来ない。チェルノブイリ事故も、それを無理に手動で出力調整しようとしたから起こったのだ。日本の電気料金が世界一高いのも、地域独占の料金体系と共に、高コストの原発建設にまい進してきたからだ。
 その5「電力不足の嘘」。「原発がなくなれば電力不足になる」どころか、寧ろ原発こそが電力不足の元凶。石油・石炭より埋蔵量が圧倒的に少ない核燃料の方が先に枯渇する。また原発は、先述したように出力調整(融通)が利かないし、電気自体も貯め置きが利かないので、余剰電力は遊ばせておくしかない(火力発電の休止)。だから「日本は電力の3割を原発に依存」も大嘘で、実際の依存率は18%ぐらいしかない。それ位なら節電努力や企業保有の自家発電、今後も拡大一途の代替エネルギー(風力・地熱・潮力など)発電で充分対応可能だ。計画停電は、原発の巻き返しを狙う電力会社の世論操作に他ならない。
 その6「情報公開の嘘」。今までの大事故は全て情報隠蔽やデータ改竄の結果だ。チェルノブイリ・スリーマイル・東海村JOCの事故然り。中越地震から未だに復旧出来ない柏崎刈羽や、「もんじゅ」のナトリウム冷却材漏れ、美浜2号機の全体の1/3にも及ぶ細管破断、そして過去にその脆弱性が国会質問で指摘されながら、「想定外のウソ」で誤魔化そうとした福島、然り。
 その7「行政規制の嘘」。政府も裁判所も、原発を規制するどころか、一緒になってもみ消しに躍起となっている。そもそも原子力安全委や保安院からして、経産省の一部局にしか過ぎない。これでは泥棒に警官をさせているようなものだ。
 その8「賠償の嘘」。当然ながら、公害等のツケは当事者企業がその責を負う。その上で今回の福島事故のように、賠償額が巨額に上る場合は、当事者企業にトコトンその責を負わせた上で、不足分を保険や公的資金から拠出する場合もあるだろう。ところが原子力損害賠償法(原賠法)には、「異常に巨大な天災地変又は社会的動乱によつて生じたものであるときはこの限りでない」とする抜け道が用意されていた(第3条)。その場合は、「異常に巨大な天災地変や社会的動乱」の定義も曖昧なまま、被災者はただ泣き寝入りさせられて終わりだ。
 その9「生活向上の嘘」。迷惑施設の原発誘致と引き換えに下りた電源三法交付金で、地方の地元自治体には、過疎地帯には不釣合いなまでの役場の建物や公民館、図書館などの巨大な箱物が次々と作られた。全国から来る作業員目当てに、旅館や飲食店の開店なども相次いだ。でも、その好景気も、地場産業の発展に支えられたものではなかったので、一時のバブルで終わってしまった。後に残ったのは汚染された環境と、衰退する地場産業、ますます原発依存にはまり込んで行く自治体財政だけだった。その挙句に、今回の事故で全てを失ってしまった。原発で潤ったのは、大都市にある電力会社とその社員だけだった。
 その10「平和利用の嘘」。原発の歴史はそのまま核開発の歴史だった。原子炉を実用化したのは米国の軍需企業GE(ジェネラル・エレクトリック)とWH(ウェスティング・ハウス)、それを戦後日本に持ち込んだのも防衛族の中曽根康弘と読売社主の正力松太郎。核保有国やイラン・イスラエルが原発に固執するのも、ひとえに核開発に転用できるからだ。
―以上、小出裕章「原発のウソ」(扶桑社新書)、安斎育郎「福島原発事故」(かもがわ出版)、久米三四郎「科学としての反原発」(七つ森書館)などから参照。

 これが原発の正体だ。その犠牲になるのは、今までは地方過疎地帯の住民や、仕事にあぶれた日雇い労働者などに限られてきた。しかし、福島第一原発の事故以降は、もはや「勝ち組」も無傷では済まなくなった。放射線は人を選ばない。格差社会の壁も、放射能を完全に食い止める事は出来ない。
 放射能の前では、もはや「右」も「左」も、「勝ち組」も「負け組」もない。「左」であっても、中国や北朝鮮が未だに「核」に固執する一方で、逆に「右」の保守派・財界人でも、多少とも目端の利く人間は、次々と反・脱原発にシフトしてきている。未だに原発に固執しているのは、「反原発=左翼」との固定観念に凝り固まった「化石右翼」(石原慎太郎・産経新聞・在特会など)と、それを陰で操る原発利権族(電力企業に天下る官僚、軍需利権に群がる兵器産業、スポンサーと一蓮托生のマスコミ)だけだ。
 重ねて言う。放射能の前では、もはや「右」も「左」も、「勝ち組」も「負け組」もない。みんな一刻も早く「原発の嘘」に気付かなければならない。
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6.11脱原発アクション・埼玉での取組み

2011年06月09日 08時04分56秒 | 福島の犠牲の上に胡坐をかくな
※以下、ブログ仲間の方からの告知メールをそのまま転載します。「脱原発宣言」埼玉市民連絡会からのお知らせです。当日は、東京での3つのデモにそれぞれ参加したのち、地元の埼玉でも夕方から引き続き行動するとの事。元気あるな~!
※【訂正】集合場所:浦和駅東口駅前(×)→同西口駅前(○)。解散地点は東口のままでOK。以上、当該ブログ仲間からの依頼により訂正済。
 
 

××です

「6.11脱原発100万人アクション」に間に合わせるといことで、
http://nonukes.jp/wordpress/?page_id=87
やっと『脱原発埼玉宣言』も作り上げて、賛同人の募集も始まりました。

(注)脱原発埼玉宣言(以下、メールに添付の上記チラシより引用)
 東日本大震災で亡くなられた方々、家や家族、職場を失った方々に心からお悔やみ、お見舞いを申し上げます。
 この大災害をもたらした地震・津波にともない、以前から危険性が指摘されてきた東電福島第一原子力発電所で史上最大の事故が起きてしまいました。原発周辺の地域では、住民が地震・津波によって行方不明になった人々の救出もできないまま避難せざるをえませんでした。事故から3ヶ月になりますが、依然として放射能は空気中に出続け、福島・東北・日本全体そして世界の空を汚しています。また、注入された水は高濃度の汚染水となって、地下水を汚し、世界に繋がる海を汚染し続けています。ひとたび起きてしまうと、「取り返しがつかない、封じ込めが極めて困難」なのが原発事故です。
 私たち埼玉の市民は、「危険な原発を無くし、現発に頼らない社会をここに作っていくこと」をここに宣言します。
(引用終了)

添付の『宣言』への賛同をお願いいたします。
その場合、名前の公表の有無、連絡先(電話)公表の有無を書き添えて下さい。
賛同カンパとして「一人1000円以上」をよろしくお願いします。

★6.11は、東京で3つの集会デモが行われます。
「脱原発宣言」埼玉市民連絡会としては、それぞれが自由に参加して、
夕方、浦和に再結集していただくという事でお願いしています。

☆☆★☆☆☆★☆★☆☆☆★☆★☆☆☆★☆★☆☆☆★

【 6.11脱原発100万人アクション埼玉行動 】

日時:6月11日(土)17時00分--19時30分
場所:浦和駅西口駅前
 17:00~18:00 リレートーク
 18:00~    県庁へ向けたデモ
    ~19:30 浦和駅東口解散

詳細:
・6.11に県内各地で企画されている講演会等、東京のデモに参加した人たちが
浦和に再結集してデモを行います。
・どなたでも参加できます。もちろん無料です。
・埼玉から脱原発の流れをつくり出しましょう!
・プラカード・楽器・鳴り物等を持ち寄って、にぎやかにデモをしましょう!

主催:「脱原発宣言」埼玉市民連絡会
連絡先:048-834-1232(市民じゃ~なる)
問い合わせメール:shininj@jca.apc.org

☆☆★☆☆☆★☆★☆☆☆★☆★☆☆☆★☆★☆☆☆★

【6.11脱原発100万人アクション東京】

★★くり返すな! 原発震災 つくろう! 脱原発社会 6.11集会&デモ

◎日時:6月11日(土)集合13:00 集会13:30 デモ出発14:30
◎場所:東京・芝公園23号地 (東京タワー下・地下鉄三田線「御成門駅」5分)
◎デモコース:芝公園 → 経産省前 → 東電本社前 → 銀座 → 東京駅前 → 常盤橋公園(流れ解散)

※雨天決行 参加費無料 どなたでも参加できます。
※プラカードや横断幕、楽器などいろいろ工夫してご参加ください。脱原発のシンボルカラーとして、いま世界的に《黄色》が流行しています。お越しの際には、《黄色》を取り入れたコーディネートをおすすめします!

呼びかけ団体:原水爆禁止日本国民会議 03-5289-8224/プルトニウムなんていらないよ !東京 03-5225-7213/原子力資料情報室 03-3357-3800/日本消費者連盟 03-5155-4765/ふぇみん婦人民主クラブ 03-3402-3244/たんぽぽ舎03-3238-9035/福島老朽原発を考える会 03-5225-7213
協賛:WORLD PEACE NOW

★★6.11 新宿・原発やめろデモ!!!!!
http://611shinjuku.tumblr.com/

日時:6月11日(土)14:00 ~
@新宿中央公園・多目的運動広場に集合
(主催):素人の乱
14:00 新宿中央公園・多目的運動広場に集合
15:00 新宿1周・超巨大サウンドデモ出発
雨天決行。ただし、雨の降り方によっては、サウンドカーが出動出来なくなる可能性があります。

★★エネルギーシフトパレード

日時:6月11日14:00~17:00
@代々木公園ケヤキ並木入口付近[CCレモンホール前交差点] 雨天決行
(主催):エネルギーシフトパレード
(問合せ)03-5338-9800 FAX: Email:
コース(約3Km):代々木公園ケヤキ並木入口― 渋谷駅前―明治通り―原宿駅前―代々木公園

14:00~ オープニング・トーク(呼び掛け人などによるトークイベント)
14:46~ 黙とう後、パレード出発(代々木公園ケヤキ並木入口、CCレモンホール前交差点スタート)

「エネルギーシフトパレード」では、2つの願いをこめて歩きます。犠牲になった方々への祈りを捧げること。そして、福島第一原子力発電所事故からの放射能漏れの被害を繰り返さないよう、もっと安心でやさしい自然エネルギーへのシフトを求めること。
http://www.enepare.org/
賛同人:坂本龍一、小林武史、河野太郎、加藤登紀子、C.W.ニコル、飯田哲也、田中優、辻信一、湯川れい子(順不同)
呼びかけ人:羽仁カンタ(FLAT SPACE)、南兵衛@鈴木幸一(アースガーデン)、佐藤潤一(グリーンピース・ジャパン)

【3つのデモが集合!】

★6.11脱原発新宿アルタ前アクション
日時:6月11日18:00~20:00
@新宿区東京・新宿東口・アルタ前
(主催):6.11脱原発100万人アクション・東京
(問合せ)080-5491-3899、090-1548-5929
コメント (8)
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キタ━(゜∀゜)━! 自己責任論の被曝バージョン!

2011年06月09日 08時03分10秒 | 福島の犠牲の上に胡坐をかくな
 以前このブログでも取り上げた、藤波心さんのブログ記事「批難覚悟で・・・・」の中に、こんな一節がありました。

>テレビはこんだけ安全・大丈夫って言い続けているので
そのうち、
「放射能を跳ね返す!! スーパー健康法」
とか
「放射能にも負けない!! 体質改善・げんき体力づくり」
特集とかやりだすんじゃないでスカ???・・・( ̄ー ̄;
>そんなの、いくら頑張っても
跳ね返したり、勝ったり出来ませんから。
なんてったって、相手は放射能ですからね。
 http://ameblo.jp/cocoro2008/entry-10839026826.html

 私も、この国のマスコミの普段の報道姿勢からは、それは大いに在りうる事だと思っていましたが。しかし、それでもまさか、下記の様なトンデモ記事のような形で、それが現れてくるとは思ってもみませんでした。

・放射性セシウム減らす調理法は?(産経新聞)
>東京電力福島第1原子力発電所の事故の影響で、各地の農作物から放射性セシウムが検出されている。市場に出る食品は国による放射性物質(放射能)の暫定基準(規制)値を下回っているが、中には自家栽培の野菜や海や川で釣った魚に問題がないか心配な人もいるだろう。食品の放射性セシウムを減らす調理法を紹介する。
>放射性セシウムの構造はカリウム(ミネラルの一つ)と似ており、筋肉を中心に均一に体内に行き渡る。
>食品のセシウムを減らすにはどうしたらいいのか。
 放射能に詳しい滝澤行雄・秋田大学名誉教授(78)=医学博士=によると、セシウムは水溶性のため表面をよく洗い、煮物や煮付け、酢漬けや塩漬けなど食品から水分が出る調理法で、ある程度除染できる。逆に焼いたり、揚げたり、蒸したりして水分を食品中に閉じ込めてしまう調理法は避けた方がいいという。
 http://sankei.jp.msn.com/life/news/110607/trd11060714370009-n1.htm

 セシウムは、煮物や煮付け、酢漬けや塩漬けなど食品から水分が出る調理法で、減らせば良いんだと。あほらし。
 以前に一時流行ったバナナ・ダイエットや納豆健康法と同じ論理ですな。確かにバナナや納豆も、摂らないよりは摂る方が良いでしょう。でも、それは所詮は気休めにしか過ぎません。いくらバナナや納豆を摂取した所で、悪い空気を吸って、ジャンクフードばかり食って、ろくでもない環境の中にいたら同じ事です。食生活や環境を変えない事には何もなりません。
 「核爆発に遭遇しても地上に伏せれば被害は軽減できる」との物言いも、これと同じです。中国の軍事用テキストに、この種の記述があると聞きます。この日本でも、右翼の一部が同じ様な事を吹聴していますが。確かに、ボーっと突っ立っているよりかは地面に伏せた方が、100%の火傷を99%ぐらいに軽減は出来るかも知れません。でも、100%が99%になった所で、焼け死ぬ事に変わりはありません。根本的な解決法は、核戦争を防止する以外にはありません。

 こんな事は、誰が考えても直ぐに分かる事です。にも関わらず、こんなヨタ記事をわざわざアップするとは。自分たちのバカさ加減を晒す事にしかならないのに。でも、それは普通の人の感覚で、産経信者の感覚はまた違うようです。
 菅内閣の失政を攻撃する材料なら他に幾らでもあるのに、わざわざ今の天皇が第何代目か答えられなかった事を、まるで鬼の首でも取った様に大はしゃぎして(6月8日付産経抄)。今日び、そんな質問には答えられない人の方が圧倒的に多いって(わら)。戦後、天皇主権から主権在民に代わってから、もう60年以上経ち、今や21世紀だというのに、未だにこんな戦前と同じ感覚が今も通用すると思う方が、よっぽどどうかしている。道理で、同じ「大勢順応マスコミ」仲間の読売・日経からも内心バカにされる筈です。
 寧ろ問題なのは、こんなヨタ記事やヨタ質問でも、全国紙の論調として堂々とまかり通ってしまっている、日本の現状なのでしょうが。 
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