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プロレスリング・ノアの元リングアナウンサー、仲田龍さんが亡くなりました。

2014-02-18 23:48:10 | プロレス
馬場さん時代の全日本プロレスとプロレスリング・ノアでリングアナウンサー、また団体フロントとして、
ジャイアント馬場さんの、三沢光晴の片腕として活躍した、
仲田龍さんが亡くなりました。

まだ51歳。
そんなに焦って馬場さんや三沢、鶴田、ジョーさんやラッシャーに会いにいかなくてもいいじゃないか、
という年齢です。
心筋梗塞との発表がありました。最近寒かったから・・・
15日の逝去だったとのことです。
原因(死因)はもうその発表がすべてだと思います。
そう思いたくない人もいるかもしれませんが。


全日本プロレス四天王時代の日本武道館での、「三冠統一ヘビー級選手権60分一本勝負をおこないます」
のコールは、今でも耳元から離れません。武道館の光景とともに深く脳裏に刻み込まれています。
発音的には「さぁんかぁんとういつ」と聞こえていたように思いますが、
太く、厚みのあるその声は、全日本、ノアになくてはならない「声」でした。
馬場さん「引退試合」の涙まじりの声は特に忘れられません。


また馬場さんの秘書として、三沢のブレーンとして、
団体の運営に尽力し、プロレスを大いに盛り上げました。
馬場さんには和田京平レフェリーと共に「助さん格さん」と言われましたね。
年が近い三沢とはNOAH旗揚げに構想から参加、もはや「戦友」でした。
その功績は大きく、ファンとしても様々な思い出は尽きることがありません。
仲田さんの著書(共著)でもある『NOAHを作った男』を読めばその苦労がよくわかります。


と同時にとりわけNOAHが隆盛を極めていた頃は他団体ファンからは嫌われることも多く、
またNOAH内でも特にKENTAからの攻撃にさらされることもあり(NOAHが低迷に向かうところで悪者にされてしまった)、
さらには反社会勢力との付き合いが発覚して一般社員へ降格されるなど、
不祥事や良くない評判も抱えた人でした。
特に反社会勢力との付き合いに関することは某ムック本に書かれたりもしましたが、
そこは残念ながら彼のキャリアの大きな汚点となりました。不祥事は擁護できるものではありません。


ただ、一般社員降格後も、NOAHの裏方として懸命に働いていたのは、
試合会場に足を運んでいるファンなら見ていると思います。
逆にNOAHの会場に行かない人にはわからない話だと思いますが、
売店で会場内で、かつてのリングアナ時代では考えられない仕事をしていました。
ツアーバスの運転手もしていましたね。
降格後はNOAHを出て行く選択肢もあったと思いますが、
三沢と創ったNOAHのために文字通り死ぬまで、どんなポジションになっても働いていきました。


個人的には去年、ほぼ1年前になりますが2・23ディファ有明大会で、
小橋引退試合のチケット会場先行発売が行われたとき、長い長い列を整理し、捌き、
アリーナ席のチケット購入者にはそれ専用のレーンへ誘導しと、ディファのロビーで動き回っている姿、
それが印象的でした。並んでるうちの数秒間は仲田さんの横に立つ状態にもなったっけ。
この時、「ああ、この人は心入れ替えて真面目に働いているんだな」と思いましたね。


NOAHにとって損失かもしれませんが、仲田さんが裏方に回っても、
(表向きは、かもしれませんが)仲田龍抜きのフロント体制で去年の「方舟新章」からいい状態は維持しています。
特にリングアナとして後を任された大川リングアナが頑張っています。
そのあたりは仲田龍が残した財産だと思います。
今のメンバーは良い部分は継承し、悪い点は残さずに、
三沢と、仲田さんと、他のメンバーで創り上げたNOAHを、復興させ、さらに大きくしていってほしいと思います。


ご冥福をお祈りいたします。
天国でまた、馬場さんの、三沢のコールをしてください。

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