申し訳ございません <(_ _)>
PCの不調を修繕していたら、ブログ用のストック文章とスキャン画像を消失させてしまいました (>_<)
正直、泣きそうです……。
でも、まだ復旧可能な部分もあるみたいなんで、明日は何とかしたいと思います <(_ _)>
申し訳ございません <(_ _)>
PCの不調を修繕していたら、ブログ用のストック文章とスキャン画像を消失させてしまいました (>_<)
正直、泣きそうです……。
でも、まだ復旧可能な部分もあるみたいなんで、明日は何とかしたいと思います <(_ _)>
■パーティーへようこそ / Carly Simon (Warner Bros. / ワーナーパイオニア)
ここ2日ほど、失礼致しました <(_ _)>
おかげさまでPCも体調も回復モードに入りつつあります (^^;
しかし、それにしてもコロナウイルス蔓延により世の中の疑心暗鬼は深まるばかりで、特に国民に宴会や忘年会等々の集まりを自粛要請していた政府の総理大臣ともあろう者が、率先して夜の宴会に浸りきっての居直りには、腹立たしくも呆れてしまったですよっ!
おまけに関連担当大臣までもが、「一律に5人以上がダメというわけじゃ~」云々ですからねぇ~~!?
また、マスコミも、それに対して寛容というか、そりゃ~、大物芸能人や政治ゴロ系の評論家、そして有名スポーツ関係者が絡んでいるんじゃ~、腰も引けるんでしょうが、それでもサイケおやじは、だったら件の総理大臣主催の宴会の様子を詳らかにして欲しいと願うんですよ。
つまり、どのような席次で、どんなふうに食事を楽しみ、酒盛りやって世間話(?)に興じていたのか、それを見本として国民に提示すれば、我々下々の者だって、堂々と歓楽街で宴会も開けるし、飲食業界の各店にしても、「総理大臣公認」という絶対の「お墨付き」を看板に出来るんですから、後は自ずとコロナは退散!
てなことになりませんかねぇ~~!?
結局、こんな暗くて鬱陶しい世相に求められるのは、裏晴らしって事ですからっ!
ということで、本日ご紹介するのはのカーリー・サイモンが1980年に出したアルバムの「パーティへようこそ / Come Upstairs」からカットされた同名タイトル曲です。
当時の彼女はシンガーソングライターという立場は崩さすとも、サウンドはグッとAOR~フュージョンロックに傾き、様々な憂いさえも明るさで隠してしまう持ち前のエネルギーが良い方向へと出ていた頃で、それは「You Belong To Me」「Jesse」等々、連発されていたヒット曲からの流れに位置する掲載盤A面収録「パーティへようこそ / Come Upstairs」の勢い込んだロックサウンドにもクッキリとっ!
もちろん、曲作りはカーリー・サイモン自らがやっていますが、今回のプロデュースを担当したマイク・マニエリはフュージョン界の大スタアにして名人プレイヤーという事から、作曲やアレンジにも参画していますし、バックを演じたセッションプレイヤーもスティーブ・ガッド(ds)、トニー・レビン(b)、シド・マクギニス(g) 等々の名手が集められており、本来がヴィブラフォン奏者のマイク・マニエリは特にシンセを含むキーボードで活躍するあたりも、なかなか時代にアクセスした仕事と思うばかり♪♪~♪
正直、楽曲そのものは平凡なんですが、サウンドプロデュースとカーリー・サイモンのボーカルのパワーで全ては結果オーライでありましょう。
う~ん、今なればこそ、こ~ゆ~力強さこそが求められるのであれば、為政者どもの居直りも大いに許せるのかもしれません。
そして……、況や我々国民も、ねっ!
多分……、神経痛だと思いたいんですが、両腕の肘がギシギシと痛み、真面にキーボードも打てません <(_ _)>
その一方、不調を極めていた私用PC、その原因が電力不足と判明!?
両方共に回復目指して、本日も……、ここまでとさせていただきます。
失敬致しました <(_ _)>
仕事は縺れる、PCは動かず、さらに持病の肋間神経痛で苦しんでおります (>_<)
本日は、これにて失礼させていただきます <(_ _)>
■酔っぱらっちゃった / 内海美幸(Epic)
楽曲そのものは遍く知られているのに、それを演じている歌手やミュージシャンについては知るところも少ないという、そんなこんなの事象は殊更カラオケ文化が普及した現代においては少なくない様な気がしています。
例えば本日掲載のシングル盤A面曲「酔っぱらっちゃった」は、のど自慢大会やカラオケの宴席等々では相当な人気定番になっているんですが、さて、それでは一応のオリジナルバージョンを演じていた内海美幸が、どれほど知られているのか?
そのあたりの不可思議現象をサイケおやじは全く解明出来ておりません。
個人的な記憶ではありますが、件の「酔っぱらっちゃった」は昭和58(1983)年頃には盛り場の有線からは頻繁に流れていましたし、既に同時期のカラオケでもプログラムされていたと思いますから、やはり昭和歌謡曲のヒット作に間違いはありません。
ところが、歌っていた肝心の内海美幸は後が続かず、所謂「一発屋」としての名前のみを残したのは、何とも残念です。
どうやら、詳らかなところは知る由もありませんが、結婚とかプライベートな内情もあったらしく、しかし、それでも「酔っぱらっちゃった」だけが独り歩きして現在に至っているのは、やはり名曲名唱の証なのかもしれません。
ちなみに掲載の私有盤は平成に入ってから、某ネットオークションで纏め売りされていた中にあった1枚でして、それを今回、拙ブログのネタにするべく取り出し、制作クレジットを確認したら、これが吃驚仰天!?
なんとっ!
作詞:千家和也&作曲:浜圭介、そして編曲:高田弘という凄い顔ぶれが名前を連ねておりまして、告白すれば、サイケおやじは今の今まで、これは阿木燿子&宇崎竜童からの提供だと、てっきり思い込んでいたんですねぇ~~。
だって、ここまで歌謡ロックスタイルの盛り場演歌なんてぇのは、前述のソングライター夫婦の十八番だと思いますからっ!
なぁ~~んていう言い訳を弄するのも、全くサイケおやじの不明であります (^^;
ということで、世間では現在、宴会モードは自粛という流れがありながら、総理大臣が率先して大物芸能人の連れ歩いては忘年会っていうのが本音の行動ですから、我々市井の一般人も、大いに酔っぱらって声高に放歌吟唱!
それが許されるとしたら、内海美幸の「酔っぱらっちゃった」はジャストミートの大ホームランと思うばかりです。
くうぅ~~!?
自宅のネットが全く繋がらなくて、焦っています (>_<)
仕事場からのリモートなんで、原因も理由も分からず、これから帰宅して確認しますが……。
嫌な予感が……。
ということで、申し訳ございません <(_ _)>
■悲しみのシーズン / 麻丘めぐみ (ビクター)
すっすり寒くなってきましたですねぇ……。
そして世間はコロナ禍で混沌としている所為もあり、人はだからこそ享楽と諦観の間で迷うのでしょうか……。
不肖サイケおやじにしても、仕事で関係先との連絡が上手く行かず、そんなこんなは、お互い様という現状の中、最近は――
いいことも 悪いことも
あなたが 教えてくれたから
明日から先のこと
怖くてたまらない
―― なぁ~んていう歌の一節が胸中を駆け巡り、ようやく今朝になって、それは麻丘めぐみが昭和49(1974)年秋に出した本日掲載のシングル盤A面曲「悲しみのシーズン」である事を思い出した次第です。
いゃ~~、流石に作詞;千家和也&作曲:筒美京平、そして編曲:あかのたちお!
この名匠トリオからの提供ですから、麻丘めぐみの歌いっぷりも、これまで以上に気持ちが入っているというか、おそらくは彼女のシングル曲ではデビュー以来の真正マイナー調の楽曲になりましょうか、それゆえに大人の世界を表現し、アイドルシンガーからの転身を図ったのかもしれません。
そんなふうに思い、あらためてジャケ写ポートレートの彼女を眺めてみれば、確かに大人っぽい雰囲気が滲み出ていますよねぇ~~♪
現実的には、この頃から人気は安定期に入り、歌手以外の活動も目立ってきた印象もありますが、シンガーとしては魅力的なレコードを様々残しているので、追々にご紹介していきますね (^^♪
ということで、為政者どもの無責任な馴れ合いは、もう……、たくさんですっ!
特に軽口ガースー総理とパフォーマンス優先主義を見せつける東京都知事のザマは、反面教師以上の存在感でしょう。
確かに、いいことも、わるいこと、あなたが教えてくれるわけですが、市井の我々は、そんな季節に悲しんではいられないと思うばかりです。
リモートバンド活動というか、そんなこんなへ挑戦していたものの、結局は技術と設備の不足から、ファイルを送りながら演奏を完成させるという事になりました。
具体的にはメールで届いた音源デジタルファイルに自分のパートをダビングしていくという作業でして、サイケおやじは決められたリズムにペースとリズムギターを重ねていったんですが、やり直しばっかりで、今の今まで取り組んで、未だ満足出来ず…… (>_<)
安易に考えていて、難しさにお手上げでございます (+_+)
ということで、本日は、これにて失礼させていただきます。
■俺たちの花 / 橋幸夫 (日本ビクター)
今年は公式デビューから「60周年」だったとかでテレビ出演も多かった橋幸夫は、それこそ名曲名唱を夥しく残しているので、代表作を選ぶ事は至難ではありますが、それゆえに強い印象を与えてくれた楽曲は十人十色でありましょう。
で、サイケおやじ的には本日掲載のシングル盤A面曲「俺たちの花」が、そのひとつとして大好き ♪♪~♪
なにしろ作詞:橋本淳&作編曲:筒美京平が企図・提供したのは、橋幸夫が十八番の民謡風味の正統派歌謡曲でありながら、全篇からに染み出て来るR&B~ソウルミュージックのフィーリングが、これぞっ!
ミスマッチな魅力を大いに発揮していると申しましょうか、具体的には祭太鼓やお囃子を随所に響かせながら、ソウルフルなグルーヴが隠し様も無いほどに溢れてくるんですから、たまりません ♪♪~♪
そして、これは昭和45(1970)春に発売されたものですから、歌謡界には洋楽ポップス調が既に蔓延(?)していたとはいえ、こんな奇態な楽曲を当然の如く普通に歌ってしまう橋幸夫の実力は怖いほどに最高だと思いましたですねぇ~~♪
もちろん、得意技の軽妙なコブシ回しをソウルミュージックに適合させたと言うよりも、最初っから存在感の強い橋幸夫のコブシ回しを活かしたソウル歌謡という深読みも可能かもしれません。
ちなみに、以下はサイケおやじの全くの独断と偏見ではありますが、我が国の歌謡界に「コブシ」を持ち込んだのは、もしかしたら橋幸夫だったんじゃ~ないでしょうか?
それは前述、昭和35(1960)年のデビュー大ヒット「潮来傘」で顕著に表れているわけで、映像では当時から顔を左右に振りながら回すコブシの潔さっ!?
正統派歌謡曲でありながら、強いビート感を表出させていたのはスバリっ!
橋幸夫ならではの「コブシ」だったと思えば、この「俺たちの花」におけるミョウチキリンとも受け取られかねない仕上がりだって、狙っていたと思う他はありませんが、いかがなものでしょう。
それと、うろ覚えではありますが、この年のNHK紅白歌合戦に出場した橋幸夫が、歌う予定だった「俺たちの花」を本番中に別の曲に変更させられたという演出(?)があった様な……?
なんとも不可思議な状況にテレビの前のサイケおやじは、青少年特有のシラケた気分にさせられたわけですが、今となっては、名曲には、そ~ゆ~逸話も必要なのだと思うばかりです。
ということで、今年はコロナ禍により、企画されていた慶祝行事の中止が頻発してしまい、殊更「周年祭」は、取り返しがつかないという残念な事態になってしまいました。
特に当事者や関係者にとっては不条理な痛恨事でありましょう……。
しかし、こんな時代であればこそ、何かしらの「花」を求めたくなるのでした。