OLD WAVE

サイケおやじの生活と音楽

これをやって、ふっきれた思い出

2012-07-27 15:54:16 | Pops

花はどこへ行った / Kingston Trio (Capitol / 東芝)

サイケおやじが高校生の頃は何度も書いていますが、とにかく歌謡フォークが全盛でしたから、エレキでロックバンドを学校でやろう! なぁ~んてことは、大人の先生達から白眼視の対象でありました。

しかし現に同好会とはいえ、所謂ケイオンはフォークソングサークルという実態で存在し、その中で肩身の狭い思いをしていたのが、サイケおやじが入れてもらっていたバンド組とあっては、学校側の指導要求に逆らうわけにはいきません。

例えば発表会というライプの場においても、顧問の先生から意味不明の理由で演目が指定されたり、あらかじめ演目を届け出て、許可を得るなんて愚行を繰り返させられたんですから、これは全然、ロケンロールじゃ~ありません。

そこでバンド組の意地というか、時には発表会で予定外の事をやらかすのが確信犯的行動であり、例えば本日ご紹介の有名フォークソング「花はどこへ行った / Where have all the flowers gone?」の日本語バージョンをギンギンのロケンロールでやってしまった事も、懐かしい思い出です。

皆様もご存じのとおり、この「花はどこへ行った / Where have all the flowers gone?」は反戦歌の代表的名曲として、PPM森山良子、ザ・リガニーズ、最近ではキヨシローまでもが十八番にしていた、シミジミ系のせつない歌詞とメロディが人気の秘密なんですから、それに従えば決して喧しい演奏にはなろうはずもありません。

ところが一応はオリジナルヒットとされる1961年のキングストン・トリオのバージョンは総じてアップテンポで、アコースティックギターをメインにしたアレンジも、強いピートを伴ったストロークや歯切れの良いリードのリックが良いですからねぇ~~♪

もちろん最初、「花はどこへ行った / Where have all the flowers gone?」を課題演目にされたバンド組は不貞腐れていたんですが、それに気がついてからは敢然と蘇生したというか、これって、本当はフォークロックじゃ~ねえの!?

と、それは些か勘違いしたような浮かれ気分でしょうねぇ~♪

ちなみに歌詞はザ・リガニーズのバージョン、つまり、おおたたかしの訳詞をそのまんま使わせてもらう事だけは、学校側との「約束」を守る最低限の義理を果たしたというところでしたが、その時にリードボーカルを担当していた上級生は岡林信康の影響で、やたらに「日本語のロック」を歌いたがっていたんで、まさに渡りに船!

率先してノリノリだったことも、ヤル気に火がついたというわけです。

さて、そこで本家キングストン・トリオなんですが、このグループの歴史を調べてみると結成されたのは1957年のアメリカ西海岸ということで、実は既にR&Rがブームの頂点を極めていた時期なんですねぇ。

定説として言われているフォーク・リヴァィバルという言葉も、それを知ってみると意味が分かってくるような気も致しますが、フォーク=フォークソングという歌そのものは民間伝承歌の事であり、つまりは職業作家の手が入っていない歌詞やメロディを愛好する作業なのでしょうか。

とにかく当時のアメリカでは大学生を中心としたフォークソングの流行が確かにあって、既に1940年代から活躍していたウディ・ガスリー等々の有名(?)歌手を差し置いて、キングストン・トリオがヒットチャートに名を連ねるという現象こそが、ブームの証だったと思います。

メンバーはボブ・シェイン、ニック・レイノルズ、デイヴ・ガードでスタートし、1961年にはデイヴ・ガードが脱退して、代わりにジョン・スチュアートが加入していますが、同年に発売された「花はどこへ行った / Where have all the flowers gone?」が、どちらのトリオで録音されたのかは、ちょいと微妙です。

ただし様々なキングストン・トリオの音源を聴いてみると、初期には多くの歌が陽気で勢いのあるアレンジで演じられる事が普通ですからねぇ。

そのあたりは考慮すべき点かもしれませんが、とにかくキングストン・トリオの「花はどこへ行った / Where have all the flowers gone?」には、シミジミ感が薄いのは確かです。

そして結果的にバンド組の歌と演奏は、これがヤケッパチ気味に走った仕上がりになっていて、実は二十数年後、その時に録音したテープを聴いてみると、ほとんどこれが所謂パンクになっていたんですから、額に汗が滲みましたですねぇ……。

しかし、同時にその時は、何かふっきれたような気分になっていた事が確かであって、リアルタイムの論争であった「日本語のロック」とか、「ロックは英語が本筋」という難問に対し、自分達なりの理論武装が出来たような感じでした。

つまり以降、バンド組は「日本語のロック」をやる事に対しても、卑屈な言い訳を弄する「うしろめたさ」が無くなったというわけです。

それは頑固で天の邪鬼なサイケおやじにしても、これでGSが心置きなくやれるっ! という、これまた完全なる勘違いと後ろ向きな理論の擁護に他なりませんから、お笑い下さいませ。

ということで、掲載したレコードは学校の放送室の備品を顧問の教師を通じてバンド組が借用したまんま、今に至ってサイケおやじの手元にあるという、半ば永久(?)貸与盤ですから、何時かは返さないとなぁ……。

そういう事態に時効はあるのか?

この文章を綴りながら、そんな事も思っています。

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