■バイブレイション / 笠井紀美子 (CBSソニー)
笠井紀美子は一般にジャズシンガーという認識でしょうが、サイケおやじは日本語を歌う彼女が好きです。
つまり極言すれば歌謡曲をやっている笠井紀美子を愛聴しているわけでして、昭和40年代からジャズやボサノバを歌っていた活動の中に出していたそういうレコードしか持っていないのが、実情なんですよ。
そのあたりを「分かっていない」と失笑される皆様が、きっと大勢いらっしゃる事はサイケおやじも自覚してはいるのですが、まあ、好きなものは好き!
そう、居直ったところで本日掲載のシングル盤は、笠井紀美子が昭和52(1977)年に発売した傑作(?)アルバム「トーキョー・スペシャル」からカットされた1枚なんですが、やはりA面収録の「バイブレイション」が山下達郎の作曲!
今も昔も、その話題性が一番かと思います。
なにしろ、これは伝説化(?)しているエピソードなんですが、元々は細野晴臣がプロデュースしていた某女性歌手に書き下ろしで提供され、セッションも完了していたと言われながら、結果的に幻となった曲であり、それがどういうわけか、笠井紀美子が前述「トーキョー・スペシャル」の制作過程において、安井かずみの書いた日本語詞で歌ったという、なかなか興味深い経緯があるのです。
もちろん山下達郎本人も、これを「Love Celebration」とオリジナルタイトル(?)に戻し、英語詞の自作自演バージョンとして翌年、傑作LP「ゴー・アヘッド」のA面2曲目に入れた顛末を鑑みれば、その密度の濃さ(?)は充分に納得されるものと思います。
そこで肝心の笠井紀美子の公式初出バージョンは、バックの演奏が鈴木宏昌(key,arr) 率いるコルゲンバンド! ということは松木恒秀(g)、岡沢章(b)、市原康(ds)、穴井忠臣(per)、山口真文(sax) がメインで参加したフュージョン色の濃い仕上がりは言うまでもありません。
実際、アルバムを通して聴けば全篇、如何にも1977年らしい、その雰囲気が横溢した音楽が充満しているのですが……。
失礼ながら、現代の耳には、それが中途半端に懐かしい? としか感じられないのがサイケおやじの素直な気持ちです。
ところが、この「バイブレイション」だけは、そのクールなファンクフィーリングの魔法が消え失せておらず、笠井紀美子の持ち味のひとつである抑えた歌唱と蠢く岡沢章のエレキベースがジャストミート♪♪~♪
まさに歌謡ファンクの聖典でしょう、これはっ!
ただし、それでもイノセントなジャズファン、あるいは笠井紀美子の昔っからの熱心なファンは、こういう日本語の歌謡曲というか、発売されたリアルタイムでは「ニューミュージック」なぁ~んていう便利な用語があったとしても、それを許容出来ない事実は厳然としてありました。
結局、これを買っていたのは流行のフュージョン好き、あるいは これまで事ある毎に発売されてきた笠井紀美子の日本語の歌が好きだったファンだけだったようです。
ちなみに件のアルバムも含めて、全篇のプロデュースには笠井紀美子本人も関わっているのですが、そんなこんながあった所為でしょうか、以降の彼女は同系統のレコードは出していないと思われますが、どうなんでしょうねぇ……。
今となっては芸能界から引退された笠井紀美子に、もう一度を望むことは無理だという事だけは確かです。
ちなみに彼女の歌謡曲系レコードとしては、かまやつひろしがプロデュースした「アンブレラ」という超絶の名盤LPが昭和47(1972)年に出ていますので、機会があれば、ぜひともお楽しみ下さいませ。
ということで、最後になりましたが、このシングル盤収録の「バイブレイション」は、アナログの45回転レコード特有の音圧の強さがありますので、前述したエレキペースのグルーヴの凄さが尚更に堪能出来ますよ♪♪~♪
残念ながら、これまでCD化されてきたアルバム「トーキョー・スペシャル」は、うっ、何故??? と言わざるをえないほど、密着感の薄いマスタリングだとサイケおやじは思っていますので、ぜひとも皆様にはアナログ盤をオススメする次第です。
結果的に売れていたので、それも容易のはずですよ。
あぁ~、我知らず、腰が浮く感覚が最高であります♪♪~♪
山下達郎さんは、自作曲でも他人のカバー曲でも、歌唱力ゆえ、何でもござれの人ですね。
こんな魅力的なカバーもあります。
http://www.youtube.com/watch?v=tPRFm-GMQmk
「冗談は顔だけに」と歌詞を変更しているのは、ちょっと微妙ですが・・・。
コメント感謝です。
山下達郎は本当に奇特な人で、「ライド・オン・タイム」が売れるまでは苦節の連続だったと思うんですよ。今でこそ、シュガーベイヴは高く評価されているみたいですが、リアルタイムでは誰も相手にしていなかったのが本当のところでしょう。
ソロに転向してからもレコードは売れないし、ライブの評判も局地的でしたから、廃業しなかったのは意志の力とか言えません。もちろん当時は日本のロックなんて、まともに生活していけない代名詞であり、歌謡フォークも下火になり、そこで活躍していた人気者が業界の裏方に入りつつありましたから、未だ実績の無かった山下達郎が今日、絶対的な地位を確立しているのは奇蹟なのかもしれません。
このあたりについては、あらためて書きたいと思います。
それと笠井紀美子の「アンブレラ」なんですが、見つけたら即買いをオススメします。かまやつフリークなら、絶対マストですよ♪
当時、「この顔(すんまへん!)で売れるとは、余程実力があるのだ」と、変な感心の仕方をしていた憶えがあります。
昔、有名女性黒人歌手(名前失念)に、日本のアーティストを聴かせ、感想を述べてもらうという企画がありました。
山下達郎を聴いた彼女曰く、
「この人は、アメリカン・ポップスをよ~く研究している。」
勉強家・努力家であることを伺わせるエピソードです。
コメントありがとうございます。
山下達郎の最大の功績は「クリスマス・イヴ」でしょうが、仰るとおり、音楽的素養と歌の実力があれば、ルックスはそれほど関係しない売れ方が出来る証明作業だったかもしれませんねぇ。
尤も私の妹はテレビで「ライド・オン・タイム」を歌っていた本人に接してから、レコード買うのを止めましたが(笑)、それは個人の自由ですから。
それにしても山下達郎、頑固な長髪が憎めませんよ。