■恋のクンビア / 弘田三枝子 (日本コロムビア)
弘田三枝子と言うよりも、ミコちゃんと呼ぶに相応しい魅力は、やっぱりパンチの効いたボーカル炸裂の元祖ポップス歌謡でしょう。
まあ、それについては異論もございましょうが、例えば本日掲載のシングル盤A面曲「恋のクンピア」は有無を言わさぬパワフル唱法が全開した痛快作!
まさに発売された昭和40(1965)年という、高度成長期の日本にあっては、ジャストミートのラテンビートが血沸き肉躍る快感であり、加えてグイノリのバック演奏と粘っこくて溌剌としたミコちゃん節の両立が楽しめるんですねぇ~♪
そうです、これはポップス歌謡というよりも、ラテン歌謡であり、曲タイトルの「クンピア」とは中米コロンビア~カリブ海域に伝播していたリズムの総称らしいんですが、そんなのカンケ~ねぇ~~♪
実際、リアルタイムで小学生だったサイケおやじは、そんな事を知る由が無くとも、
グンピァ~~ 燃やせ恋の炎を~♪
グンビァ~~ リィデムッ!
と、一緒になって歌っていましたですねぇ~~♪
なんたって、「リズム」じゃ~なくて、「リィデム」ですからねぇ~、ミコちゃんの巻き舌節回しも絶好調♪♪~♪
あぁ~、体感としてはノーテンキな歌であり、これにテレビやラジオで接する度に音量を上げては叱られていた当時を今でも思い出すんですが、そういう衝動に駆られてしまうのは、所謂パブロフの犬とばかりは言えないでしょう。
だって、ミコちゃんの歌いっぷりは、本当に強烈なんですよ!
ちなみに作詞:三浦康照、作曲:和田香苗、そして編曲:河村利夫というソングクレジットを確認すれば、これはカパーではなく、きっちり日本の歌謡曲と確認出来ますが、おそらくは演奏パートに参加しているであろう、その頃の我国では第一線のジャズプレイヤー達が作り出しているグルーヴは最高級♪♪~♪
ということで、現在のようにデジタルで何でも作っているような世相には、こういうアナログなビート感、ある意味では人間味に溢れた、バネの効いた歌と演奏が必要な気がしますねぇ~~~。
確かにサイケおやじは古いタイプの人間ですが、良いものは時代を超えて美しく、輝きは失せることが無いという真実は言わずもがな、とにかく素敵な音楽を聴ける幸せは、大切にしたいものです。
youtubeのビデオはたぶん紅白だと思うけど
チラッと客席のファイティング原田?が映ってました。
子供のころ笹崎ジムの近所に住んでいたので、よくサンドバッグを叩かせて貰ってました。
ある日「リングに上がれっ!」と言われて、逃げて帰りました。
整形前の弘田三枝子さんのことは、あまり知らないと思っていたのですが、調べたら、レナウン「ワンサカ娘」やジャングル大帝「レオのうた」を歌っていらっしゃることが判明。幼少時から、御歌声は随分と耳に馴染んだものだった訳です。
それにしても凄い歌唱力です。ステージングもプロそのもの。あらためて感服いたしました。
コメント感謝です。
弘田三枝子の全盛期を何時にするかは意見の分かれるところだと思いますが、仰るとおり、昭和30年代末頃は、ひとつのピークだったんじゃ~ないでしょうか。
好きな歌手のあれこれを聴いていけば、自ずと好きな時期に個人的な趣味性が重なっていくものと思います。
正直、一生ついていける憧れの人ってのは、少ないような(自嘲)。
コメントありがとうございます。
ご指摘のネット映像、拝見してみたら、確かにミコちゃん節が爆発していましたねぇ~♪
そういえば往年の紅白は南極観測隊から応援の電報が届いたり、国民的な盛り上がりが纏まってひとつの方向を見ていた気がします。
また、当時のプロスポーツ選手、特にプロレスラーやボクサーは青少年の憧れでしたよねぇ~♪
良い時代でした。
コメント感謝です。
弘田三枝子の歌唱力は凄いの一言で、それゆえに持ち歌が限られたような、逆説的な魅力があったと思います。
所謂ぶりっこボイスも得意でしたし(笑)。
今はアンドロイドみたいですが、コロコロしていた頃の彼女は可愛いというファンが今も多いです。
(バックにブルーコメッツも参加)
http://www.youtube.com/watch?v=CQR9NjA9M3A
日本ではこの年、ビートルズのアルバム「フォー・セール」が発売、同曲が大ヒットしていますから、その影響でしょう。
太めのミコちゃんも参加、ゴーゴーが少しズレているところがご愛嬌。
こういう紅白なら絶対毎年見ます!
1964年東京オリムピック成功の翌年、日本が元気だった頃のお話・・・と思っていたら、2020年大会の招致に成功!との一報が。
夢よ、再び。東京での二度目のオリムピック開催を、全国民で、喜びたひと思います。
おめでたいご紹介、感謝です♪
前回オリンピックの時は小学生でして、その時は作文や図画もそれ一色でしたが、先生は「もう、二度と日本ではオリンピックが無いから」云々、そんな話をして、貴重な体験を無にしない教えをしていました。
そういうばミコちゃんは万博の歌だった「世界の国からこんにちは」をやっていましたが、オリンピックの歌も聴かせて欲しかったなぁ~。
もしかしたら出していたのかもしれませんが(笑)。
あの頃の高揚感、再び到来せよ!