■恋人 / 森山良子 (フィリップス)
掲載したのは昭和44(1969)年末に発売された森山良子の大ヒット「恋人」をA面に入れた傑作シングル盤なんですが、特筆すべきはアメリカのナッシュビルで録られた、所謂海外レコーディング盤であったという大きな話題でした。
皆様ご存知のとおり、この昭和44(1969)年は、それまでカレッジフォークの女王であった彼女が歌謡曲の分野でもスタアとして認められた、大ブレイク期でしたから、お若い皆様にすれば、海外レコーディングも普通だったと思われるかもしれませんが、まだまだ当時は事件扱い(?)に近い話題になっていた記憶があります。
もちろん、その背景には、日本人の若者層に根付いていたアメリカへの盲目的な憧れがあったわけですし、アメリカのナッシュビルと云えばカントリー&ウエスタンや白人ポップスをメインに扱う音楽産業の聖地という信仰(?)も広まっていましたから、森山良子がレコーディングに赴いたとしても、その成功は半ば約束されていた気も致しますが、それにしても作詞:山上路夫&村井邦彦が提供の「恋人」は、ソフトロック歌謡の極み!?
おそらくは古くからの森山良子フリークにとっては、こ~ゆ~シャリコマ路線に違和感を覚えていたのかもしれませんが、同年春から連発された「禁じられた恋」「まごころ」、そして「恋人」と続く大衆路線(?)のヒット曲は完全にサイケおやじの心を鷲掴みでしたねぇ~~♪
そして中でも、この「恋人」はバックの演奏もアレンジも本場アメリカのミュージシャンだった事もあるのでしょうか、なかなかオシャレなA&Mサウンド系の音作りがイカシているんですが、そこはナッシュビルというアメリカの地方都市、もしもハリウッドで制作されていたとしたら、もっと軟弱な仕上がりなっていたと思いますし、逆に言えば、だからこそ「フォークの女王」という森山良子のイメージは保たれているんじゃ~ないでしょうか?
ちなみに、この年の森山良子は流石に大ブレイク期だった証という事でしょう、前述の大ヒットシングル三連発と共にアルバムもカバー曲集をメインに4~5枚は制作発売されていて、レコード屋の壁には、それが優先的に飾られていたものでした。
ということで、森山良子は翌年からも歌謡フォークや洋楽カバーを同時並行的に歌いながら、現在でも聴き継がれている名唱名曲のレコードを残していきます。
しかし、それでも森山良子をカレッジフォークの女王というイメージに繋ぎ止めているのは、その登場の鮮烈さが、あまりにも凄かったからだと思えば、それにダイレクトな影響を受けなかったサイケおやじが、「恋はみずいろ」とか「悲しき天使」等々のカバー路線の洋楽ポップスと「禁じられた恋」から本格化する大衆歌謡(?)路線の両方を愛でるなんて事は、許されない邪道なんでしょうか……。
でも……、サイケおやじと同世代の皆様であれば、そんな偏向したファン気質(?)も、ご理解願えるのでしょうか……?
尤も、そんな屁理屈なんて、彼女の歌声の前じゃ~、無関係なんですけどねぇ~~♪
あらためて、自らの天邪鬼を認めざるをえず、自嘲です (^^;
2.1967年5月25日 ふたつの手の想い出 FS-1019
3.1967年8月25日 恋はみずいろ FS-1021
4.1968年1月25日 愛する人に歌わせないで FS-1034
5.1968年5月25日 小さな貝がら FS-1043
6.1968年9月25日 夜明けの子守唄 FS-1057
7.1968年11月25日 お山の子守唄 FS-1066
8.1968年12月25日 悲しき天使 FS-1068
9.1969年3月25日 禁じられた恋 FS-1076
10.1969年8月25日 まごころ FS-1091
11.1969年12月20日 恋人 FS-1107
日本ビクターのフィリップス(Philips)レコードから’60年代11枚のシングルがリリースされてました。
私は1、3、7、8の4枚持っています。
1969年(昭和44年)は好い時代でした。毎日がレコードずけでした。