■ミニミニデート / 山本リンダ (ミノルフォン)
アイドル時代の山本リンダが昭和42(1967)年夏に出したシングル曲ですが、なんといってもジャケ写とデザインが秀逸♪♪~♪
曲はタイトルどおり、その頃から流行となったミニスカートをテーマにした歌ということで、山本リンダも大サービスというか、如何に最先端のファッションと言えども、これは当時の常識では相当に過激な衣装とポーズでした。
ただし、ご存じのとおり、彼女はローティーンの頃からファッションモデルとして売れっ子であり、ハーフ特有の面立ちとスタイルの良さがありましたから、こういう仕草もフェロモン過剰と批判されるよりは、イヤミの無い雰囲気でした。また歌手としてデビューする以前から既に特定の人気があったことも幸いしています。
それでも、今回はお叱りを覚悟で書いておきますが、昭和40年代頃までの我国では「混血」という存在が、現在からみれば想像も出来ないほど侮蔑の対象であり、彼女も子供時代は苛められていたと告白しているほどです。
ところが同時に「混血」には、一般的な日本人には逆立ちしても敵わない雰囲気のカッコ良さやスマートな印象がありましたから、山本リンダにしても十代になって素晴らしく目立つ容貌を活かさないのは、逆にバチアタリだったと思います。
その意味でアイドル歌手やモデルとしての活躍は、天職といって過言ではないでしょう。
それはこのジャケ写が本来、縦位置で撮影されたものを斜め横に使うという、実に分かっているデザインにもジャストミート♪♪~♪
楽曲そのものは、例の舌ったらずな水気の多い口調で歌い回すという初期の「リンダ節」なんで、個人的には好きではないのですが、とにかくこのジャケットで全てを許してしまいますし、リアルタイムでは買えなかったところを後に中古盤をゲットした情熱も、それに準拠します。
ちなみに昭和40年代には彼女の他にも青山ミチ、小畑ミキ、泉アキ、小山ルミ等々、多くの女性「混血」タレント&歌手が登場し、日本男児を惑わせる人気を得ているものの、そういう人気者達を「ハーフ」と呼称するようになったのは、おそらくはゴールデンハーフ以降じゃないでしょうか。
まあ、それはそれとして、山本リンダは昭和41(1966)年秋に出したデビュー曲「こまっちゃうな」のウルトラメガヒットゆえに、この「ミニミニデート」も含めて、常に王道アイドル路線を強いられていたわけですが、しかし彼女の存在があればこそ、少し後のハーフ第二世代とも言うべき辺見マリや前述のゴールデンハーフ、ケイ・アンナ等々が堂々とブレイク出来たように思います。
そして彼女はその頃、アイドルから驚愕のセクシー路線へと転身し、昭和47(1972)年には社会現象ともなった「どうにもとまらない」を大ヒットさせ、以降もヒットを連発♪♪~♪ またしても同系歌手&タレントの先駆として芸能史に名を刻んだのは、皆様がご存じのとおりです。
もちろんデビューから今日まで、山本リンダは公私ともに波乱万丈というか、山あり谷ありでした。ヘアヌード写真集で世間を騒がせたのも、記憶に新しところでしょう。
しかし山本リンダという存在には、絶対に否定出来ない何かがあると、サイケおやじは思うばかりです。
告白すれば、前述の写真集もしっかりゲットしていますし、レコードも歌よりはジャケットが魅力で、けっこう集めたりもしています。
ということで、彼女については、いずれまたご紹介する所存です。
おっしゃるようにこのジャケは魅力的、構図が秀逸ですね(当時は気がつきませんでした)。
日本人まんまの名字にリンダ、とはまさにハーフそのものでしたね。でも当時はご指摘のとおり「ハーフ」という言葉は馴染み薄でしたね。あのゴールデンカップスも「混血」をウリ(?)にしていたように思います。
久しぶりついでにYouTubeで鑑賞。
「ミニミニミニ~♪」連発で、当時テレビの前で味わった気恥ずかしさがよみがえりました(笑)。
コメント、感謝です。
この曲のイントロから歌い出される「ミ~ニ、ミ~ニ」の男性コーラスは、鬱陶しいほどじゃないですか(笑)。
そして、その分だけ、リンダの甘えた口調が活きてくるという、絶妙のプロデュースだったと思います。
それにしても当時のテレビ番組には、お茶の間に気まずい雰囲気が流れる場面が多々、ありましたですね(笑)。
それも、今では懐かしいです♪