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サイケおやじの生活と音楽

The Beatles Get Back To Let It Be:其の七

2020-08-30 09:45:49 | Beatles

聊か確信犯的な書き方ではありますが、今日の歴史では「ケット・バック」から「レット・イット・ビー」へと衣替えされたアルバムの功労者はフィル・スペクター!

という事になっている様ですが、しかし同時に無視出来ないのが、最初に1月のセッション・マスターを託されたグリン・ジョンズの仕事でありましょう。

なにしろそれは既に述べたとおり、約28時間超と云われる正式なマルチトラックで録られた音源に加えて、映画用に撮影されたフィルムのシンクロ音源が、なんとっ! 96時間を超えていたそうですし、さらに現在までのリサーチによれば、さらに集められた音源を総計すれば、140時間以上!?

何故にそんなに多いのかと言えば、殊更映画用のシンクロ音源は撮影に複数のカメラを用いた事から、その台数個別にテープが回されていたという事情があるらしく、当然ながら映画用はモノラルなのに対し、レコード用に録られた音源はステレオミックスが可能なんですから、きっちりこれを全て聴き、精査(?)する作業の困難さは、その現場に立ち会っていたグリン・ジョンズでなければ無理難題というものでしょう。

そして悪戦苦闘の末、1969年1月30日までに、下記のラフミックスを仕上げていた様です。

  01 Get Back #-1
  02 Get Back #-2
  03 Teddy Boy
  04 Two Of Us #-1
  05 Two Of Us #-2
  06 Dig A Pony
  07 I've Got A Felling #-1
  08 I've Got A Felling #-2
  09 The Long And Winding Road #-1
  10 The Long And Winding Road #-2
  11 The Long And Winding Road #-3
  12 Let IT Be #-1
  13 Let IT Be #-2
  14 Rocker
  15 Save The Last Dance For Me
  16 Don't Let Me Down
  17 For You Blue
  18 The Walk
  19 Lady Madonna
  20 Dig It #-1
  21 Dig It #-2
  22 Maggie Mae
  23 Medley:Shake,Rattle And Roll / Kansas City / Miss Ann etc.

ただし、そこにビートルズのメンバーは誰も立ち会っていなかったと云われていますから、全てはグリン・ジョンズの独断先行による作業だったわけですが、とりあえず上記したトラックを入れたアセテート盤が作られたからこそ、ジョンとポールはグリン・ジョンズに後事を託す決断をしたものと思われますし、こ~ゆ~「叩き台」が無ければ、フィル・スペクターが後に速攻で「レット・イット・ビー」を仕上げる事は難しかったんじゃ~ないでしょうか?

ちなみに、このセッション音源は今日までにブートとして相当に纏まった分量が流通しており、ちょい前には、83枚組CDの「Complete Get Back Sessions (Moon Child)」なぁ~んていう化け物セットが廉価で売られていたんで、サイケおやじも思わず入手してしまったんですが、とてもとても、死ぬまでに全てを聴くほどの気力も時間もございません……。

閑話休題。

こ~して抽出された曲の中からとりあえず4月の契約を履行するために、「Get Back」と「Don't Let Me Down」がシングル盤のカップリングとして発売されるのですが、それでは誰がその決定をしたのでしょう?

通常であればビートルズ本人達とプロデューサーのジョージ・マーティンの意思が最も大きく作用するはずですが、今回のプロジェクトの仕上げの部分は完全に他人まかせの状態です。そこに間違いなくあったのは、4月に新曲を発売しなければならないという契約だけでした。

普通に考えれば「Get Back」は、今回のセッションがポールの発案で原点回帰をベースにしていたのですから、それに合わせて書かれた曲を選んだという解釈が出来ます。

一方、「Don't Let Me Down」はセッション中では出来が良いし、グループ内のバランスを取る上でジョンの曲を選んだのだろうと推察出来ますが……。

このあたりがウヤムヤになっているからでしょうか、4月11日に発売されたこのシングル盤にはプロデューサー名の記載が無く、その代わりにビリー・プレストンの名前が共演者として特別にクレジットされております。

また、この発売に合わせて行われたプロモーションでは、後に映画「レット・イット・ビー」として公開される映像の一部がテレビ放送されました。ちなみに、この当時の本篇タイトルは「ゲット・バック」とされていた様です。

そして特筆すべきは、このシングル盤はイギリスでは従来どおりモノラル仕様でしたが、5月5日に発売されたアメリカ盤はステレオ仕様でした。

これがビートルズの公式シングルとしては初めてのステレオ盤という事になっております。

もちろん6月1日に発売された日本盤もステレオ仕様でしたが、実はそれに先立ち、日本では3月10日に「Ob-La-Di, Ob-La-Da / While My Guitar Gently Weeps」が独自企画のシングル盤として「ホワイト・アルバム」からカットされて発売、これがステレオ仕様になっておりました。

そのあたりは当時の事情として、家庭用ステレオ装置は1960年代初頭から一般的になっておりましたが、ロックやジャズを好む若者、あるいは黒人層にはまだまだ普及しておらず、公共放送にしても、モノラルがほとんどという事で、欧米で発売されるレコードはモノラルとステレオの2種類が当たり前でしたから、製作段階では両ミックスのマスター・テープが存在しており、しかもモノラルは単にステレオをモノラル処理したものではなく、ちゃんとそれなりに音のバランスを整えて作られておりました。

ご存知のとおり、その頃のステレオ盤は左右に音の広がりを求めるあまり、真ん中から音がしないというレコードが沢山あり、反面モノラル盤は出力の小さいポータブルのプレイヤーで鳴らされる場合が多い事から、音圧レベルが高く設定されていたので、迫力のある音が楽しめます。

特にシングル盤は完全にモノラルの世界でした。

ところがアナログの世界ですから、あまり重低音を強調したり、音の強弱がキツイと、一般家庭にあるレコードプレイヤーでは針飛びをおこしてしまいます。

したがって製作者側は出来上がったマスター・テープが実際に針を落として聴かれた時、どの様な雰囲気になるのかを掴むために、アセテート盤という簡易レコードを作ります。これはカッティング・マシンで直接アセテートに音を刻んでいくもので、片面しか溝がありませんし、普通のレコードに比べて厚みはありますが、通常4~5回かけると溝がダメになってしまう代物です。

それでも当時は未だカセット・テープが音楽用としては使い物になっていなかったために、ラジオ局等へのプロモーションにも、これが使われておりました。

そして……、1970年代初頭から活発になる海賊盤ビジネスのネタ元のひとつが、このアセテート盤の流出でした。

もちろんそれが「レット・イット・ビー」の混迷にも一役買っていたのは、言うまでもありません。

【参考文献】
 「ビートルズ・レコーディング・セッション / マーク・ルウィソーン」
 「サウンド・マン / グリン・ジョンズ」

注:本稿は、2003年9月25日に拙サイト「サイケおやじ館」に掲載した文章を改稿したものです。

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