■蝶は飛ばない c/w もう一度、人生を / ザ・ゴールデン・カップス (東芝)
サイケおやじの最近の仕事は「情に流されている」と、周囲から言われています。
まあ、その点は多少の自覚症状が確かにあって、今更の言い訳も見苦しいだけなんですが、しかしそれを一概に否定されてしまうのは、何か自分の性分に合いません。
もちろん仕事は自分の為だけにあるわけじゃないんで、突き放す時には徹底する事が必要でしょう。ただ、思えばサイケおやじだって、その「情」に助けられ、甘えてきた過去に感謝する気持は有るんですから、分かって欲しいなぁ……。
それが今の正直な気持です。
さて、そこで本日の1枚は、そんな気分の中で口ずさむ事も多い私的名曲のカップリング盤♪♪~♪ 今日ではGSブーム期に一番の本物ロックと思い込まれているゴールデン・カップスの歌謡ロックの傑作が、これなんですよっ!
なにしろ両面2曲共に作詞:なかにし礼、作編曲:鈴木邦彦という黄金コンビの手となれば、発売された昭和44(1969)年夏のムードはジャケ写ばかりではなく、今となっては些か説明が難しいような独得の諦観と気だるさが、たまりません。
あの日から空には
黄色い蝶々が消えはてた
あの日からなんだか
悲しい毎日さ
そんなむなしさが 雲より重く
空をかくして 蝶々は飛ばない
という、最初っから諦めているような刹那の状況が、しぶとい味わいのオルガンで彩られながら歌われるA面「蝶は飛ばない」の正当性は、それが現在ではニッポンのロックに認められることが少ないという現実により、尚更に素晴らしさを増しているんじゃないでしょうか。
ジャケットには「アート・ロック」というウリ言葉もデカイんですが、個人的には「歌謡ロック」の真髄を感じてしまいます。
ちなみに当時のゴールデン・カップスのメンバーはジャケ写からも一目瞭然、エディ藩が脱退したことにより、林恵文=リン・ケイブン(b,g) が新加入し、デイヴ平尾(vo)、ルイズルイス加部(g.b)、ミッキー・吉野(key)、マモル・マヌー(ds,vo) という顔ぶれになっていましたが、歌謡曲テイストが濃いとはいえ、その基本的演奏能力の高さは極めてロック的であり、またリードを歌うデイヴ平尾の節回しも楽曲に合っていると思います。
一方、B面の「もう一度、人生を」はリアルタイムよりは時を経る毎に人気と評価が高まっているブルース系歌謡ロックの裏名曲!
道端に 小さな足跡を残して
すりきれた古い靴よ
歩くのに疲れて 傷ついた私に
新しい靴をおくれ
もう一度 もう一度人生を
涙と愁いの月日だけど
何処かに 落して来たらしい
自分をさがしに でかけたい
という歌詞そのものがブル~スしている事は言わずもがな、随所で粘っこく絡みつつ、間奏で思いっきり炸裂して聴かせるルイズルイス加部のギターが圧巻ですよっ!
しかもAメロをマモル・マヌー、サビをデイヴ平尾が歌うというツインボーカル体制が、見事にジャストミートしているんですねぇ~♪
昭和50年代頃から堂々と流行するようになった、所謂「歌謡ロック」永遠のアンセムじゃないでしょうか。
サイケおやじは大好きです。
なによりも、現在の自分の心境を鑑みて、琴線に触れまくりなんです!
ということで、最近は愚痴になってしまうことも多い拙プログではありますが、きっとそういう時期が自分の人生にやって来たのかもしれません。
そして、仮にもう一度、人生をやり直せるとしても、サイケおやじは決して上手くやれるとは思っていないのですが……。
コメントありがとうございます。
カップスのメンバーは自分達に求められている事を分かっていたと思うんですよ。それがファンであれ、会社であれ、案外と素直にやっていたんじゃないかと……。
ですから、何時までも人気が落ちないし、何よりも爛熟期GSを良くも悪くも体現出来たバンドは、カップスがイチバン!
それは今も変わらないはずです。
コメント感謝です。
虚しい心を癒してくれるのも、また音楽の大切な存在意義ですよ♪
そして自分の好きなもの、好きな人を確認出来るのも、好きな歌があればこそじゃないでしょうか。
歌に助けられる事だって、確かにありますよね。
大切にしたいです。