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OLD WAVE

サイケおやじの生活と音楽

身近でいて、高みにある自由

2015-11-08 15:18:33 | 日本のロック

それで自由になったのかい / 岡林信康 (URC)

今春から仕事が現在の立場になってみると、まさかこれほど束縛が多いとは全くの想定外でした。

中でもツライのが、その日のスケジュールが自分の意思とは関係の無いところで決められ、しかも「軽い神輿」を強要される事も多く、そりゃ~、確かにサイケおやじも昔は監視役もそれなりに務めた過去があるとはいえ、ここまでタイトな仕事じゃねぇ~~~。

で、そんなこんなから、思わず口ずさんでしまうのが本日の1曲、我が国ではフォークの神様だった頃の岡林信康が昭和45(1970)年春に出した「それで自由になったのかい」です。

ご存じのとおり、この曲は所謂プロテストソングというよりも、権力や既存価値に対する反逆の意気地を歌っていますから、やはり極度にロックへと傾斜した音楽性が熱いばかり!?

そして当然ながら、スタジオバージョンの他にライブバージョンも幾つかレコード化されているほど、やはり岡林信康の代表作であろうと思います。

ちなみにサイケおやじが高校生の頃に入れてもらっていた学内同好会のバンド組では、ボーカル担当の先輩が岡林信康の熱心な信者だったんですが、その頃はロックは英語が基本という姿勢が強かったもんですから、こういう日本語のロックは敬遠され、結局は件の先輩がひとりで「それで自由になったのかい」を、もちろんアコースティックギターの弾き語りで歌うという、なかなかシビアな状況がありました。

ただし、レコードになっていた岡林信康の歌と演奏は流石にカッコE~~!

まずスタジオバージョンでは中川イサト(g)、矢部雄一(key)、谷野ひとし(b)、つのだひろ(ds) 等々の面々がエレクトリック&ロックなバックを担当し、それゆえに曲調はボブ・ディランの「Like A Rolling Stone」がモロっ!?

いゃ~、思わず「How does it feel」と歌いたくなっちまうのは、聴く度に高まるサイケおやじの偽りの無い心情ですが、それでもイイじゃ~ないですかぁ~♪

なぁ~んて居直って(?)しまうのは、実は告白すると前述した先輩の弾き語りが失礼ながら、あんまりにも的外れな印象だったからで、流石にプロのバンドバージョンはっ!

尚更に痛感させてくれるのが、はっぴいえんどがバックで共演した同年8月の中津川で開催された第2回全日本フォークジャンボリーでのライブ音源で、これは非常に熱いっ!

率直に言わせていただければ、スタジオバージョンよりも遥かにワイルドなグルーヴが噴出した仕上がりは、鈴木茂のロックがど真ん中のギターワークに依存するところが大きいのでしょう。

不肖サイケおやじは、そのライブバージョンを聴いて後、初めて件の先輩がやりたがっている真相に触れた気分でした。

ということで、肝心の収録レコードは最初に掲載したジャケ写がスタジオバージョン、下段に掲載したのが、そのライブバージョンを入れたシングル盤なんですが、演奏そのものが両方共9分以上なので、結果的に33回転でカッティングされているのがミソでしょうか。

 

つまりヒットするか否かよりも、この歌を少しでも大勢に聴かせたいという意思の表れと、サイケおやじは思いたいです。

考えてみれば、この世の「自由」なんてものは、生きている限り「息をする」事ぐらいにしか適用されないんじゃ~なかろうか……。

そう思えば、「自由」の価値はますますの高みにあるようでいて、すっごく身近にもあるわで、文字どおり「息が出来なくなる」時は現世とおさばら!?

あっ、この歌を高校の時にやれたかって?

へっへっへっ、とんでもない話ですよ。

顧問の教師から、校内の公の場(?)での演奏に対する禁止令が出ましたからねぇ~~~!?! やっぱり「自由」は、程遠かったんですよ、当時から。

さあ、気持ちを切り替えよう!

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秋の夜長のカルメン・マキ

2015-09-21 14:07:28 | 日本のロック

午前1時のスケッチ c/w きのう酒場で見た女 / カルメン・マキ&OZ (ポリドール)

現在の日本にロックが根付いていると思えば、洋楽スタアの人気貢献も当然ながら、我が国のボーカリスやバンド、そして裏方スタッフの活動だって、決して侮れないものがありました。

本日掲載のシングル盤は昭和49(1974)年晩秋に発売された、まさにそうした証拠物件の1枚になりうるブツでしょう。

何故ならば、カルメン・マキという、それまではフォーク歌謡のスタアであった美人ボーカリストが幾分の逼塞を経て後、敢然と本物のロックに挑戦し、堂々と結果を出した記録に他ならないのが、このA面に収録された「午前1時のスケッチ」ですからっ!

ご存じのとおり、以降のカルメン・マキは我が国女性ロックシンガーのトップランナーとして広く認知され、人気実力共に揺るぎない地位を固めたわけですが、リアルタイムでは前述したとおり、全く商業的に先の見えない「日本のロック」に身も心も捧げていた時期で、「歌謡曲」から足を洗った(?)ここまでの2年間ほどは、一般的に知られる事の少ない空白期でした。

もちろん不肖サイケおやじにしても、それは同様であり、歌謡スタアとしてのカルメン・マキは大好きな存在ではありましたが、それにして傑作「ノイジー・ベイビー」を契機としてロックに没入した彼女の活動がどのようなものであったのか、その現実は知る由も……。

ですから、とにかくこの「午前1時のスケッチ」を初めて聴いた時の衝撃は絶大というか、正直呆気にとられたのが本当のところです。

なにしろイントロからブリティッシュロック丸出しのギターリフとヘヴィ&タイトなビートが炸裂し、日本語の歌詞を伸びやかに聴かせる女性ボーカルが、まさかカルメン・マキだなんてっ!?!

それが友人の車のカーラジオから流れてきた真実であり、後部座席で半分居眠りしていたサイケおやじを現世に引き戻したパワーでもあり、それゆえ翌日、慌ててレコードに駆けつけた事は若気の至りと笑われてしまうでしょうか。

そしてジャケットにはカルメン・マキの美しすぎる佇まい共々、一歩下がって控えめに写る野郎こそが、当時二十歳前後だったギタリストの春日博文なんですねぇ~~。

つまりレコードの名義はカルメン・マキ&OZとされていながら、バンドであるはずのOZの実態は春日博文だけだったのが、その頃の事情であり、したがって後ろ向きで登場している数人は所謂影武者というあたりが、如何にも苦節を表していたのです。

しかし、作り出されたサウンドは完成度が高く、カルメン・マキ(vo) と春日博文(g) 以外のレコーディングメンバーは深町純(key)、成瀬ヒロ=鳴瀬喜博(b)、西テツ=西哲也(ds) という凄腕揃いだったのが、ここでのOZということになります。

もちろん、ライブステージでの顔ぶれも流動的でしたよ、少なくともサイケおやじが翌年早々に接した時には。しかし極言すれば、そこにマキ姐さんが登場し、美しも力強く歌ってくれれば、それで良かったのがカルメン・マキ&OZの真実であった事は確かです。

ただし、春日博文の存在も、そのギターワーク共々に決して無視出来ない存在感があるのは言わずもがな、この「午前1時のスケッチ」を作曲したのも本人の力量の証明であり、アレンジはOZとされているようですが、終盤のアップテンポのパートで如何にものフレーズを弾いてくれる潔さには感銘するばかりです。

また作詞を担当した加治木剛は当時のマネージャー兼ローディというメインスタッフであり、B面に収録された「きのう酒場で見た女」も作詞作曲している才人なんですが、ご存じのとおり、加治木剛は後にダディ竹千代の芸名で「東京おとぼけCATS」率い、ロックもソウルもファンクも民謡もゴッタ煮の歌謡曲的展開でファンキーに演じてくれた偉人ですので、要注意!

あくまでも個人的な推察ですが、ダディ竹千代&東京おとぼけCATSが出なければ、一時は爆発的な人気を集めた米米CLUBが失礼ながら、あそこまでアイディアを練り上げられたかは、ちょいと疑問符というところです。

閑話休題。

で、その「きのう酒場で見た女」は如何にもホンキートンクな歌謡ロックであり、往年(?)のカルメン・マキのイメージをここで楽しめるのがニクイですよ♪♪~♪

ということで、バンド形態のOZは以降も度々メンバーチェンジを繰り返しつつ、カルメン・マキは春日博文と共に本物の日本のロックをぶっ通しました。

あの時代、既に爆発的な歌謡フォークのブームがあったおかげでしょうか、それまで論争が様々にあった「日本語のロック」という命題の意義が少しずつ免疫性を増していたように思えば、カルメン・マキ&OZがやってくれた「午前1時のスケッチ」は、なかなか忘れられない道標になりましょうか。

演じてこそ楽しみも倍加する、この曲のギターリフをなぞりながら聴くのも、また別格ですよ♪♪~♪

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受け入れる日々

2015-04-23 12:06:28 | 日本のロック

少女へのソナタ / ザ・フィンガース (キングレコード)

だいたい人生は自分の望まない方向へと流れるのが、世の常でしょうか。

少なくともサイケおやじの場合は、その道筋に従う他はなかった事の繰り返しで、ここまで来てしまっています。

もちろん、そんなこんなをすんなりを受け入れてはいたわけじゃ~なくて、ど~にもならないことについては我慢と忍耐、そして自らの欲望を追及するという言い訳にまで、それを転用してきた点については、悪因悪果と申せましょうか……。

しかし、今となっては所謂「年貢の納め時」というか、父の病気の重篤も自らの仕事の重責も、家族や親戚一同のあれやこれやも全て含めて、いよいよ「受け入れる」覚悟を決めなければならないようです。

そう、全ては望まない方向なんてすけど、それでも後々に結果オーライとなれば、それはそれで納得という人生の味わいになれば、なぁ~んて自分に言い聞かせている次第です。

さて、そこで本日掲載の1枚はGSブーム全盛期の昭和43(1968)年晩秋に発売されたフィンガーズの、おそらくは5枚目のシングル盤なんですが、ご存じのとおり、フィンガーズは看板ギタリストの成毛滋の超絶テクニックをウリにしていたインストバンドだったところから、この頃にはレコード会社の移籍とメンバーチェンジにより、典型的なアイドルグループ路線にシフトしていましたから、殊更ここにA面収録の作詞:なかにし礼&作編曲:村井邦彦が提供の「乙女のソナタ」は、ストリングスをたっぷり入れた甘々の少女趣味が全開しています。

ちなみに当時のメンバーは成毛滋(g)、高橋信之(g,vo)、蓮見不二男(key)、シー・ユー・チェン(vo,b)、松本幸(ds) という顔ぶれで、特にシー・ユー・チェンが女の子にダントツの人気を集めた所為でしょう、ここでも堂々のリードボーカリストとしてアイドル王道の節回しを披露すれば、ストリングスに埋もれるようなリズムプレイが成毛滋の仕事だとしたら、それはあまりにも「受け入れられない」仕儀……。

しかもリアルタイムじゃ~、決して大きなヒットにはならなかったのですから、我が国屈指のロックギタリストであった成毛滋の信奉者の胸中如何ばかりか、というのはサイケおやじの本音に他なりません。

このあたりの状況について、ご本人はどのように思っていたのかは、もちろん知る由もありませんが、それがなんとっ!

今日では「ソフトロック歌謡」の人気曲となって、この時期のフィンガーズには後追いのファンが増え続けているらしいのですから、時の流れは偉大です。

う~ん、確かに今聴くと、妙に微笑ましい気分にさせられるんですよ、この「乙女のソナタ」には♪♪~♪

ということで、「受け入れる」には相当にハードボイルドな作業(?)でも、後からついてくる結果の良し悪しは分かりません。

それとこの機会に書いておきたいのが、サイケおやじが成毛滋に憧れていたという告白で、最初に手にしたエレキがグヤトーンだったという共通点にも嬉しさを感じてましたが、後に憧れ天才が宣伝していたグレコの「EG-420」という、レスポールっぽい国産ギターを買って、愛用しまくったのも、それに所以するところです。

もちろん当時としては4万円ほどの学生にはバイトが必要な価格でしたが、「鳴り」そのものはギブソンにも負けない「らしい」音が出せたんですから、成毛滋は流石と思うばかりでしたよ。

なんでも「受け入れる」という姿勢が、人生楽しくやれる秘訣かもしれないと思っているのでした。

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加瀬邦彦、逝く…

2015-04-22 15:33:13 | 日本のロック

愛するアニタ / ザ・ワイルド・ワンズ (東芝)

ワイルド・ワンズのリーダーにして、素晴らしい作曲家でもあった加瀬邦彦の訃報に接しました。

どうやら最近は闘病中だったとの事で、なにやら様々な憶測的報道もありますが、言うまでもなく病魔との対峙は苦しく、現代の医療では難しいところも、実は本人の気持ちの問題も無視出来ないのが実情でしょう。

つまり気持ちが萎えてしまえば、それで終わりという厳しい現実があるように思いますし、当然ながら、周囲よりも本人の気持ちは絶対的に尊重優先されなければならないはずです。

それが寿命を全うする生き様とは一概に申せませんが、しかし逝きぬいた証にはなるような気がしています。

さて、そこで本日掲載したのは故人が率いていたワイルド・ワンズが昭和43(1968)年新春早々に出したシングル盤で、特に作詞:山上路夫&作曲:加瀬邦彦によるA面収録の「愛するアニタ」は、リードを歌う植田芳暁の湿りっ気のある節回しとキメのブレイクで島英二が絶叫する「アニタァァ~~」というフレーズが今も忘れられないという大ヒットでしたねぇ~~♪

しかも楽曲そのものがワイルド・ワンズにしては相当にロック寄りで、それはレコードよりもライブステージやテレビ出演での歌と演奏の激しいノリ、そして要所に入る「オゥッ!」というメンバーの合の手、さらにはその場面における振付アクションのカッコ良さ!

恥ずかしながら当時のサイケおやじは学校の掃除の時間、箒をギターに見立てては、件の足でキックするアクションを真似ながら、「オゥッ!」なぁ~んてやっていたもんですから、周囲からは完全に軽く見られていたという、いやはやなんともの次第であります。

緩和休題。

また、忘れてはならないのが、以降に正式メンバーとなる渡辺茂樹(key) の存在で、ここでは未だジャケ写に登場していませんが、レコードトラックにはきっちりオルガンの響きが入っていますし、同時期のライブやテレビ出演の現場では既に一緒に行動していたことは、当時残されたライブショットや映像で明らかです。

それと今や有名な逸話として、本来この「愛するアニタ」はタイガースに提供されるはずだったという真相もあるんですが、リアルタイムでは発表されず、後に特典盤レコードやボックスセットに収録されるというレア音源!?

しかも他にテンプターズのカバーバージョンやフラワーズの公式未発表テイクも存在しているというほどで、それもこれも、楽曲の持つロックっぽさの所業かと思います。

ということで、加瀬邦彦といえば、もうひとつ、エレキの12弦ギターというイメージも忘れられず、前述の如く「愛するアニタ」におけるキック入りアクションでの踊り弾きも、サイケおやじの目に焼き付けられた雄姿です。

お疲れさまでした、加瀬邦彦……。

合掌。

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ネクラも癒しに変えちまう彼女

2015-03-09 14:20:59 | 日本のロック

からっぽの世界 / 小林啓子 (キングレコード)

ジャックスも、殊更彼等の代表曲のひとつである「からっぽの世界」も好きではありませんが、それを小林啓子が歌っているとなれば話は別!

例によって、それはサイケおやじの節操の無さを証明する言動とはいえ、どんな事象にも「例外」があるのは、この世の真理!?

等々、ノッケから苦しい言い訳を弄しつつ本日掲載したのが、その小林啓子の「からっぽの世界」をA面に入れたシングル盤です。

発売されたのは昭和47(1972)年、今も人気が高い彼女の名作LP「かなしみごっこ」からのシングルカットではありますが、結論から言わせていただければ、如何にも45回転の特性を堪能出来る、エグ味の効いたロックサウンドが小林啓子ならではの清涼にして深い声質にジャストミートしていますので、これはアナログシングルで持っていたいコレクターズアイテム♪♪~♪

と常々、サイケおやじは周囲から大顰蹙の持論を展開しては、人望を落とし続けているのが本当のところ……。

それでも肝心の歌と演奏は、やっぱり「日本語のロック」という、リアルタイムの論争に鑑みても、これがなかなか素晴らしい仕上がりで、なにしろバックを担当したのが鈴木茂(g)、新井由美=荒井由美(p)、小原礼(b)、高橋幸宏(ds) という強靭なリズムセクションですからねぇ~♪

さらにはアレンジャーが元フィンガーズのメンバーにして、確か小林啓子と結婚していた高橋信之となれば、実弟の高橋幸宏も心置きなく実力を発揮出来たのかもしれません。

そして、やっぱり気持ち良いのが、こんな暗~い歌なればこそ逆説的に輝く小林啓子のクールなポップスフィーリングでしょう。

極言すれば歌謡曲的な味わいさえも包括しているあたり、決してマイナーではありません。

だからこそサイケおやじは、失礼ながら、こんなネクラな歌である「からっぽの世界」を真正面から聴けるわけです。

ちなみに前述のアルバム「かなしみごっこ」には、現在までのニューミュージック創成に関わって来たガロやキャラメル・ママの面々、そしてここでもピアノで参加しているユーミン、はたまた「ケンとメリー」の大ヒットでお馴染みの BUZZ 等々、そういう興味も深い楽しみがありますので、ぜひとも皆様もお楽しみ下さいませ。

確か、CD化されていると思います。

ということで、何を言われようとも、サイケおやじは小林啓子が好きです、とっても♪♪~♪

最近は公私ともに不調続きの自らの身の上には、心地良すぎるのが彼女の歌声であり、そういう至福がなければ、この世は闇ですよねぇ~~~~。

あぁ~、からっぽの心身が満たされていく気がします。

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こんなに心地良い四人囃子って!?!

2015-02-28 16:08:07 | 日本のロック

レディ・ヴァイオレッタ / 四人囃子 (CBSソニー)

やっぱり疲れ切っている現在のサイケおやじには、優しく心に滲みる音楽が必要みたいなんで、本日は朝っぱらから掲載のシングル盤A面曲「レディ・ヴァイオレッタ」に癒しを求めてしまいました♪♪~♪

う~ん、安らぎのメロディと心地良く緩んだリズムが絶妙の緊張と緩和を醸し出してくれますねぇ~~♪

ギターインストでもあり、環境音楽でもあり、ある意味では甘美な麻薬的嗜好品として、この「レディ・ヴァイオレッタ」はサイケおやじには必要不可欠な1曲である事を再認識させられました。

しかも演じているのが我が国のロックバンドとしてはプログレ系の最高峰のひとつであった四人囃子ですからねぇ~~~♪

実は告白すると、初めてサイケおやじが「レディ・ヴァイオレッタ」を聴いた時、まさか四人囃子が演じているなんてこたぁ~、想像も出来ず、しかし嘘でも無いその現実を知ってみれば、驚かざるを得ないほどでした。

だって、その昭和51(1976)年春の四人囃子のイメージは所謂アングラであり、ニューミュージックなぁ~んて便利な業界用語で括られる以前の歌謡フォークの流行とは一線を画した日本のロックバンドだったわけですから、こんなシャリコマ=売れセンの音楽に転向(?)したなんて、あまりにも現実離れしていたんですよ……。

ところが、やっぱりこれは四人囃子の演奏であって、しかも当時はメンバーチェンジがあっての新作レコードだった事を鑑みれば、それも結果オーライと納得する他はありません。

なにしろ既に述べたとおり、「レディ・ヴァイオレッタ」は本当に心地良く気持ちが和まされる演奏なんですからっ!

森園勝敏(g,vo)、坂下秀実(key)、佐久間正英(b,vo)、岡井大二(ds) の顔ぶれになっての四人囃子には、こういう流行最先端のフュージョン志向も当たり前だったのかもしれません。

そして森園勝敏が書いた「レディ・ヴァイオレッタ」こそ、同時期に世に出た四人囃子の2ndアルバム「ゴールデン・ピクニックス」からの先行シングルという扱いでありながら、実際はそこに収録のアルバムバージョンとは異なる別バージョンでしたから、速攻でこれを買ってしまったサイケおやじは大満足♪♪~♪

大きく異なるのは、シングルバージョンは演奏時間が短く、しかも森園勝敏のギターが大きく前に出た仕上がりですから、要注意ですよ。一方、アルバムバージョンはフルートソロも入って浮遊感が強いので、これも素敵ではありますが、やはり個人的にはシングルバージョンが好きですねぇ~♪

ちなみにサイケおやじが初めてエレキギターを自分のものにしたは高校入学の時で、しかも夏休み前頃には様々なスケールやコードをスイスイと覚えられたもんですから、もしかしたら自分はプロになれるのではないかっ!?

なぁ~んていう恥ずかしい勘違いをしていたんですが、その自惚れから目を覚まさせてくれたのが同年秋に接した四人囃子のライブステージであり、同じ高校生という立場でありながら、全く別次元のテクニックと感性を会得し、披露していた四人囃子のメンバー各々の凄さには絶対に勝てないと思う他はありませんでした。

つまり若気の至りというか、一生懸命に練習すれば、寺内タケシやジミヘンには叶わないにしろ、それなりにプロのレベルには追いつけるだろうという安易な思い上がりがあったわけで、もちろんプロになれるのは技術と感性のバランスが突出している者だけという真実は普通の努力では越えられるものではありません。

特にサイケおやじは、死にもの狂いで練習したとしても、絶対に足元にも及ばないと痛感させられたギタリストが森園勝敏という存在だったのです。

閑話休題。

ところが、その森園勝敏は件の新作を出して後、四人囃子を脱退してしまうという衝撃が!?!

そして尚更にフュージョンに接近する活動に入ったのは、嬉しいような、せつないような……。

そのあたりの私情は追々に書いてみたいと思いますが、とりあえば本日は疲弊した自らの心身を回復させるべく、「レディ・ヴァイオレッタ」に縋っているというわけです。

さあ、これから本サイト「サイケおやじ館」の移転作業をやらないとっ!

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本当は理屈なんかいらない栄光の朝

2015-02-19 15:32:44 | 日本のロック

栄光の朝 / フィフィ・ザ・フリー (アルファ)

レコードが発明されてから今日まで、夥しく作られたブツの中から埋もれていた名品を発掘する作業もまた、音楽鑑賞の楽しみでありましょう。

それは現実的に全てを聴く事が叶わなかった時間的制約、あるいは経済的な問題等々をクリア出来るという、まさに記録メディア本来の役割の確認ですから、後追いも尚更に潔いわけです。

なぁ~んて、本日もガチガチの書き出しではありますが、例えば昭和44(1969)年晩秋に本日掲載のシングル盤を出したフィフィ・ザ・フリーは、リアルタイムでの大きなブレイクは無く、それでもアングラフォークのグループとして、前年に発売した「おやじのロック」というサイケデリック曲をラジオの深夜放送で小ヒットさせていた存在です。

しかし後に知ったところでは、フィフィ・ザ・フリーは決してフォークグループではなく、自前の演奏で上手いコーラスワークを聞かせるバンドだったそうですし、そういえば前述「おやじのロック」にしても、変則リズムが入ったり、ES使用のボーカル&コーラスには、アングラブームに便乗した作風とは一味異なる「何か」が感じられるわけで……。

そんなこんなも、まあ、後追いであれこれ推察夢想出来る楽しみかと思います。

で、ここでのA面曲「栄光の朝」は、経緯諸々を吹き飛ばすが如き快作として、リアルタイムよりは相当後の昭和50年代中頃から、しかもどちらかと言えば洋楽ポップスやソフトロックを愛好するマニアの間で人気が高まったところに特徴があるほど、イカシたセンスが全開の逸品♪♪~♪

とにかく作詞:山上路夫&作曲:村井邦彦、そして編曲:川口真の黄金トリオが企図したのは、あきらかにアソシエイションや同系のコーラス&ハーモニーが織りなす精神的高揚感と和みの世界観でしょう。

ご存じのとおり、当時の村井邦彦は、そうした路線を歌謡曲に活かすべく、様々なプロジェクトを遂行していましたが、もしかしたら、この「栄光の朝」は最初に楽曲があって、それを実演出来るグループとして、フィフィ・ザ・フリーが起用されたような気がするほど、仕上がりは秀逸ですよ。

しかも、当然のようにスタジオミュージシャンが参加して作られた演奏パートのグルーヴ感が強烈無比とあっては、ひたすらに歌いまくるフィフィ・ザ・フリーもリスナーに納得の名唱を聴かせてくれるんですから、これが大ヒットにならなかったのは時代に対する先進性とツケ入るスキの無さ!?

結局オシャレ過ぎて、肝心のレコードがそれほど売れなかったのは必然であり、だからこそ後世への宝物を残してしまったのだと想えば、妙な罪の意識さえ感じてしまいます。

そしてサイケおやじは、決して賛同するわけではなく、むしろ大衆音楽に潜む下世話さを好む傾向にありますから、入手に苦労しまくった掲載盤よりも、今は前述した「おやじのロック」収録のシングル盤を探しています。

ということで、フィフィ・ザ・フリーは他にも素敵なレコードをあれこれ残していて、マニアックなGSやソフトロック歌謡の復刻コンピレーションにそれらが入れられてのCD化は、逆に尚更の高みに彼等を祀り上げている感があります。

残念ながらサイケおやじは一度もフィフィ・ザ・フリーのライブステージに接したことがなく、またテレビでも見たことがないので、メンバー構成や担当楽器についても全く知りません。

ですから、この「栄光の朝」を存在をサイケおやじに教えてくれた先輩マニア諸氏が熱っぽく語るフィフィ・ザ・フリーのあれこれよりも、制作スタッフ、つまりソングライターやアレンジャー、参加スタジオプレイヤーの仕事っぷりが気になるばかりで、それを邪道と言われれば反論は出来ません。

そうしたところも洋楽ファンには抜け出せない魅力と思うばかりです。

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永すぎた春の思い出

2015-02-17 13:27:40 | 日本のロック

永すぎた春 / バンバン (CBSソニー)

さて、首尾よく高校を卒業し、いよいよ花の学生生活に入れた幸運を活用すべく、サイケおやじは幾つかのサークルに混ぜてもらったんですが、中でも映画鑑賞の会と音楽趣味のグルーブには積極的に顔を出していました。

で、その音楽サークルは言うまでもなくロックの学生バンドであり、勇んでエレキギターを抱えて参加させてもらったものの、当然ながら先輩諸氏は皆上手く、最初っからレギュラーになれません。

しかし、新入りだけでショボショボとパートの練習をやったり、臨編のバンドを組んだりするだけでも、それはそれで楽しくて♪♪~♪

ですから、そうした努力が認められたというか、初めてレギュラーに入れてもらえた時には、足が地につかないような浮かれた気分になりましたですよ。

ただし、だからといって、すぐにバリバリと弾かせてもらえるはずもなく、ほとんどリズムプレイばっかりという丁稚奉公……。

ちなみにやっていたのはブルースロック経由のサザンロックや流行のウエストコーストロックが主体で、だからこそサイケおやじは入れてもらったんですが、そんな日々の中、先輩の奔走により、初めての晴れの舞台(?)が某女子大でのダンパだったんですから、下心は隠しようもありません。

ところが、やらなければならない演目ときたら、その頃に知られていた歌謡フォークなんかの要望ばっかりだったんですから、なんだかなぁ……。

なにがダンパなもんかっ!?!

それでも滅多にないチャンスですから、ムシを殺してとまでは言いませんが、井上陽水やガロあたりのヒット曲を前向きなロックアレンジで練習してはいたものの、案の定、一番に真っ直ぐなギターの先輩のひとりが不貞腐れ、辞めると言い出したから、さあ、大変!?

そこで急遽、サイケおやじが初めてリードを弾くことを許されたのが、本日掲載のシングル盤A面曲「永すぎた春」だったというわけです。

もちろん、件のレコードでお手本を演じていたバンバンとは、昭和50(1975)年発売の「いちご白書をもう一度」のヒットで知られる歌謡フォークのグループなんですが、この「永すぎた春」を出した昭和48(1973)年頃は全く売れていなかったのが実相で、それじゃ~、ど~してアメリカンロックを標榜していた自分達のバンドがコピーカバーするかと言えば、イントロからアップテンポのドゥービーズ系歌謡ロックになっていたからなんですよっ!

これは失礼ながら、前述「いちご白書~」のバンバンしかご存じない皆様には、なかなか違和感があるはずと推察可能なほどに痛快で、作詞作曲:ばんばひろふみ&編曲:木田高介によるそれは、なんとなく吉田拓郎みたいな感じもしないではないんですが、当時のサイケおやじは前向きに取り組んでいましたですよ。

なんたって、ド頭からギンギンにエレキを弾きまくれるんですからっ!

しかしながら、告白すればサイケおやじはバンバンのライブには一度も接したことがなく、このジャケ写に登場している4人組時代の彼等、つまり今井ひろし、ばんばひろふみ、高山弘、高尾稔のそれぞれがどんな楽器を担当していたのかは知る由もありません。

もしかしたら演奏パートには助っ人が参加している可能性も感じられます。

でも、良いんですよ、それでも。サイケおやじにとっては思い出深い1曲になったんですから♪♪~♪

そして結果は皆様ご推察のとおり、気持ちが入り過ぎていたのは言うまでもありませんが、基本的な技量に欠けているサイケおやじの事ですから、当日に録音していたカセットには走ったあげく、1カ所で思いっきり音を外してしまったという大恥が……。

ははははははぁぁぁ、それも青春の迸りと笑ってごまかすしかぁ~、ありませんでした。

ということで、これも結局は売れなかったバンバンが既に述べたとおりの「いちご白書~」でブレイクした時には、ばんばひろふみ&今井ひろしのコンビだけが残っていたという、なかなか世間の厳しさがあるものの、高山弘は後に高山厳と改名し、近年では「心凍らせて」のウルトラなメガヒット歌謡を出す等々の活躍から,ついにはバンバンのリユニオンや当時のフォーク系スタアが集ったスーパーグループみたいなバンドまでやっているのですから、流石に業界で生き残ってきたしぶとさはリアル感がありますよねぇ~。

でも、ばんばひろふみがサイケおやじの大好きな平山三紀と結婚した時は、逆上しそうになりましたけど……。

う~ん、今日はお粗末、すっかり遠くなった、若き日の思い出であります。

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シーナに出会えた幸せに感謝

2015-02-15 15:37:28 | 日本のロック

太陽のバカンス / Sheena & The Rokkets (Speedstar)

Sheena & The Rokkets=シナロケのシーナが天国へ召されました……。

昨年の夏頃から重病説の噂が耳に入っていたとはいえ、やはり享年61歳は早すぎる突然の悲報としか言えません。

ご存じのとおり、故人は夫君の鮎川誠と共に結成したシナロケで昭和53(1978)年に公式レコードデビューし、こういう言い方は好きではありませんが、我が国の女性ロックボーカリストとしては最初に売れたひとりとされています。

しかし、これもまた知られているように、シーナにはそれ以前にミュージシャンとしての履歴が無く、如何にもトーシロなボーカルスタイルと強い印象を残すファッションセンス&ルックスがあればこそ、ロックが基本的に持っている分かり易さをアピールするには絶対の存在であったことは確かです。

それはレコードよりもライブの現場における圧倒的なスタア性に殊更顕著であり、イベントに出演すれば、他のバンド以上の盛り上がりを作ってしまうナチュラルな高揚感こそが、シーナの最高の持ち味であったように思います。

それは失礼ながら、何度もシナロケのライブに接したサイケおやじが僭越にも言えることではありませんが、決して歌が上手いとは言い難い彼女のイメージを逆手に活かした鮎川誠のコラボレーションの勝利でもあり、これほど共稼ぎが最良のベクトルを描いていた夫婦は珍しいと羨んでしまいますねぇ~~~。

もちろん鮎川誠についても、所謂スーパーテクニシャンのギタリストではないわけですから、その成果に関しては全くフィーリング優先だと思えば、完全な本物のロックをやれたのがシーナと鮎川誠の神髄と思うばかりです。

さて、そこで本日掲載したのは昨年の夏に大手レコード販売店のタワーレコードが独占企画で出したアナログ盤シングルであり、サイケおやじとしてはジャケットを見た瞬間、いきなりお買い上げモードに入ってしまったという、なかなか素敵なブツであります♪♪~♪

特にシーナの如何にもの佇まいとアンプに直結したレスポールで構えた鮎川誠のツーショットは、シナロケの永遠を表しているに違いないっ!

今となっては、そう思う他はなく、しかし現実的には彼女は冷酷な病魔に侵されていたんですから、涙が滲んでまいります……。

ちなみにA面「太陽のバカンス」は作詞が鮎川誠のサンハウス時代からの仲間である柴山俊之、そして作曲がシーナによるイタリアンツイスト調のハードロック♪♪~♪

故人の冥福を祈りつつ、これから再度、針を落とす所存です。

最後になりましたが、サイケおやじは幸運にもシーナの隣でコーヒーを飲んだことがあります。

まあ、実際は同じ店のフロアの隣のテーブルで通路を挟んで着席していただけなんですが、狭い場所だったことから、素敵な至福の時間を過ごせたというわけです。

ありがとう、シーナ、合掌。

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和製カントリーロックは冥途の土産に

2015-02-14 15:38:52 | 日本のロック

冥途イン・ジャパン / ジプシー・ブラッド (日本フォノグラム)

サイケおやじにとってのジプシー・ブラッドは、一度でいいから生ライブに接したかったバンドのひとつです。

ご存じのとおり、ジプシー・ブラッドは1970年代の最初の頃の2~3年しか活動せず、それでもレコードを残してくれたことは大変に喜ばしいわけですが、実はサイケおやじが冒頭に述べた気持ちになっているのは、昭和47(1972)年頃にラジオで放送された彼等の公開録音かスタジオライブでの歌と演奏を聴いてしまったからでして、いゃ~~、本気で上手いんですよねぇ~、ジプシー・ブラッドはっ!

やっていたことは日本語の歌詞によるカントリーロック、あるいはアメリカン&ウエストコーストロックという範疇なんでしょうが、ボーカルもコーラスもなかなか澄み切って、しかも絶妙の湿っぽさを隠し味にしていたあたりは、独特の個性だったように思います。

ちなみにメンバーは中村ひろあき(vo,g)、速水きよし(g,vo,etc)、永井充男(g,vo)、藤井真一(b)、司英一(ds) という5人組らしいんですが、とにかくギターがメインのバンドアンサンブルが抜群で、ヘダルスチールが不在でありながら、似た様なフィーリングのサウンドを出せていたのですから、これは実演が大いに気になるところでした。

そして皆様ご推察のとおり、速水きよしは後に井上堯之のウォーター・バンドや様々なセッションで活躍する凄腕の速水清司であり、また藤井真一もミッキー吉野のグループ等々で十分な働きをした名手であれば、さもありなん!

で、本日掲載のシングル盤は、その昭和47(1972)年に発売された彼等のデビュー盤とされる1枚で、なんとっ! 「冥途イン・ジャパン」とは本場アメリカのカントリー界の大スタアであったバック・オーウェンスが同年に大ヒットさせていた「Made In Japan」の日本語カバーというよりも、その真相はメンバーの中村ひろあきが作詞というか、替え歌にしてしまった、これが刹那の和製カントリーロックですよ♪♪~♪

 死にかけた街に 朝は来ない
 光のない朝が 来るだけだ
 光途絶えた積木の間で
 迷いかけた子どもは メイド・イン・ジャパン

あぁ、ギターのゆったり感も素敵ですが、オルガンも心地良く、また成田賢が参加したと言われるコーラスワークもニクイばかりです。

う~ん、このあたりの感覚はプロデューサーのミッキ・カーチスの良い仕事なんでしょうねぇ~♪

それはB面に収録された同曲のインストというよりはカラオケバージョンが、一緒に歌うには鉄板というあたりにも、仕掛けの妙があるわけです。

ということで、確か近年はジプシー・ブラッドの音源は纏められていますので、気になる皆様は聴いてみて下さいませ。

あぁ~、当時の未発表音源が出ないかなぁ~~~

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