もみさんの一日一冊遊書録( 2011年9月1日 スタート!: メメント・モリ ) ~たゆたえど沈まず~

年とともに人生はクロノロジー(年代記)からパースペクティブ(遠近法)になり、最後は一枚のピクチュア(絵)になる

150215 衆参両院の「テロ非難決議」を非難する!「テロの本質」を真面目に語る政治家はいないのか!

 真面目に「テロの本質」を考えれば、その原因が、決して宗教の違いにあるのではなく、世界的に広がる富の偏在、極端な格差拡大、差別構造の継承、及びパレスチナ問題、それらによる<若者たちの絶望>にあることは、実は誰もがわかっていることだろう! それを「世界には凶悪なテロリストが大勢いて、こいつらを叩き潰せばテロが無くなる」なんて話に無理やりすり替えている。誰も、「テロの本質が、日本・世界の社会構造が抱える富の偏在・格差の拡大及びパレスチナ問題の<野放し状態>にこそある」という本質を語らないし、見させようとしない。そして、凶悪なテロリストへの恐怖ばかりを煽りたてている。これはまさにオーウェルの「一九八四年」の世界と同じだ。今回の国会の「テロ非難決議」に社民党・共産党まで加わっていたのには、あきれ果てた。「誰も本質を見ようとしない。」「武力で世界中の<絶望した若者たち>を封じ込めるべきではないし、不可能だ!」

秋原葉月さん「Afternoon Cafe」ブログから

※(1)「もちろん、普通の人間は戦争を望まない。しかし、国民を戦争に参加させるのは、つねに簡単なことだ。とても単純だ。国民には攻撃されつつあると言い、平和主義者を愛国心に欠けていると非難し、国を危険にさらしていると主張する以外には、何もする必要がない。この方法はどんな国でも有効だ」byヘルマン・ゲーリング ※(2)いつの時代も大衆をファシズムに煽動する手口は同じ。なのに同じ手口に何度も騙されるのは過去に学んでいないから。格差を広げ、セイフティネットを破壊し、冷徹な自己責任論が横行する社会を継続させるのは簡単だ。今よりもっと格差を広げ、セイフティネットを破壊する政策をとればよい。そうすれば人々に自己責任論がもっと浸透し、草の根から勝手に右傾化してくれる。

辺見庸さんのブログから

・権力をあまりに人格的にとらえるのはどうかとおもう。口にするのもおぞましいドブの目をしたあの男を、ヒステリックに名指しでののしれば、反権力的そぶりになるとかんがえるのは、ドブの目をしたあの男とあまり変わらない、低い知性のあらわれである。権力の空間は、じつのところ、非人格的なのだ。だからてごわい。中心はドブの目をしたあの男=安倍晋三であるかにみえて、そうではない。ドブの目をしたあの男はひとつの(倒錯的な)社会心理学的な表象ではありえても、それを斃せば事態が革命的に変化するようなシロモノではない。権力には固定的な中心はなく、かくじつに「われわれ」をふくむ周縁があるだけだ。ドブの目をしたあの男は、陋劣な知性とふるまいで「われわれ」をいらだたせ、怒らせるとともに、「われわれ」をして社会心理学的に(かれを)蔑視せしめ、またそのことにより、「われわれ」が「われわれ」であることに無意識に満足もさせているのかもしれない。ところで、「われわれ」の内面には、濃淡の差こそあれ、ドブの目をしたあの男の貧寒とした影が棲んでいるのだ。戦争は、むろん、そう遠くない。そう切実にかんじられるかどうか。いざ戦争がはじまったら、反戦運動が愛国運動化する公算が大である。そう切実に予感できるかどうか。研ぎすまされた感性がいる。せむしの侏儒との「ふるいつきあい」がベンヤミンのなにかを決定した。そう直観できたアレントほどするどくはなくても、研ぎすまされた感性がいる。けふコビトがきた。ミスドにいった。(2015/11/11)

150816一年前:140816民主党は分裂しろ。今集団的自衛権に反対しない前原・長島・野田を立憲主義否定で追放

2015年08月17日 01時42分57秒 | 一年前
8月16日(日):

気配を消している前原誠司は本当に何をしているのか。それほどまでに憲法違反であっても集団的自衛権の戦争法案の成立を求めているのか。疑心を受けているのに旗幟を鮮明にしないのは不誠実極まりない。本当に強い強い不信感を覚える。
再掲:8月10日(月):   戦争大好きです! 日本会議会員の前原誠司です。 お世話になった外国籍市民のおばちゃんもきちんと差別するよ! ハッシー(橋下)と仲良しだし、ほんとは維新と民主党をくっつけて党首になりたかったんだけど、どうも雲行き怪しいし、民主党に隠れてスキルスしてる方が得みたいなのでスキルスしてまーす。でも最近、変なオヤジに絡まれて困ってるんだ。この「もみ」たら言うオヤジなんなんや?!うっとしいなあ。気持ちよくスキルスして、集団的自衛権の安保法案成立後に、思う存分「現実的」に活用したいのに、ほんま邪魔やで! ってか

  憲法違反で立憲主義を否定した安保法案に対して野党、特に民主党が「相変わらず、枝葉の議論ばかり」をやって、安倍に塩を送ってしまっているのは、民主党内に前原詐欺師や長島戦争屋がのさばっていて、安倍政権に集団的自衛権の安保法案を作らせて、責任だけをとらせて立憲主義を否定した安保法案の成立を陰で望んでいる連中がいるからだ。この不純さが、民主党を信用できない政党にしているのだ。
「150717 安保法案強行採決、立憲主義破壊を前に声もあげず鳴りを潜めている前原誠司詐欺師が恐ろしい。」
「150718 立憲主義の否定、安保法案強行採決を一切批判・非難しない日本会議前原詐欺師が恐ろしい。その2」
「150718 記録です。906 PV、 199 IP:日本会議前原誠司詐欺師(民主党)への危機感が共感を得たのかな? 」

を読んで下さいませm(_ _)m。


140816 民主党は分裂しろ。今集団的自衛権に反対しない前原・長島・野田を、立憲主義否定の罪で追放せよ!
8月16日(土): 安倍自民による憲法の根幹である<第9条の平和主義>を手続き無視で否定した解釈改憲の暴挙(クーデター)に対して、正面から反対することなく、限定的に?集団...
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150816 一年前:140816 近代史上最悪の暗愚の宰相安倍晋三の正体。冷酷で浅薄な化け物。自民党は自民党の

2015年08月17日 01時39分43秒 | 一年前
140816 近代史上最悪の暗愚の宰相安倍晋三の正体。冷酷で浅薄な化け物。自民党は自民党のために存在する。
8月16日(土):一事が万事! 手遅れにならないうちに、国民・市民は早く気付いて引き返さねばならない。    以下、日刊ゲンダイの記事を掲載する。戦没者式辞から「自由」と「民...
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150816 『荒れ野の40年』(1985)ヴァイツゼッカー独大統領

2015年08月16日 14時48分24秒 | 考える資料
8月16日(日):

30年前世界中から尊敬されたドイツ大統領の演説です。安倍談話のお粗末さと比べてみましょう。この落差は決して戦後40年と70年の落差ではない。人間性の本質の落差だ。日本人としてこんなに残念で恥ずかしいことはない。

 『荒れ野の40年』(1985) ヴァイツゼッカー独大統領
『ヴァイツゼッカー大統領演説集』(ブックレットにもあり)岩波書店 

 5月8日は心に刻むための日であります。心に刻むというのは、ある出来事が自らの内面の一部となるよう、これを信誠かつ純粋に思い浮かべることであります。そのためには、われわれが真実を求めることが大いに必要とされます。

 われわれは今日、戦いと暴力支配とのなかで斃れたすべての人びとを哀しみのうちに思い浮かべております。
 ことにドイツの強制収容所で命を奪われた 600万のユダヤ人を思い浮かべます。
 戦いに苦しんだすべての民族、なかんずくソ連・ポーランドの無数の死者を思い浮かべます。
 ドイツ人としては、兵士として斃れた同胞、そして故郷の空襲で捕われの最中に、あるいは故郷を追われる途中で命を失った同胞を哀しみのうちに思い浮かべます。
 虐殺されたジィンティ・ロマ(ジプシー)、殺された同性愛の人びと、殺害された精神病患者、宗教もしくは政治上の信念のゆえに死なねばならなかった人びとを思い浮かべます。
 銃殺された人質を思い浮かべます。
 ドイツに占領されたすべての国のレジスタンスの犠牲者に思いをはせます。
 ドイツ人としては、市民としての、軍人としての、そして信仰にもとづいてのドイツのレジスタンス、労働者や労働組合のレジスタンス、共産主義者のレジスタンス――これらのレジスタンスの犠牲者を思い浮かべ、敬意を表します。
 積極的にレジスタンスに加わることはなかったものの、良心をまげるよりはむしろ死を選んだ人びとを思い浮かべます。

 はかり知れないほどの死者のかたわらに、人間の悲嘆の山並みがつづいております。
 死者への悲嘆、
 傷つき、障害を負った悲嘆、
 非人間的な強制的不妊手術による悲嘆、
 空襲の夜の悲嘆、
 故郷を追われ、暴行・掠奪され、強制労働につかされ、不正と拷問、飢えと貧窮に悩まされた悲嘆、
 捕われ殺されはしないかという不安による悲嘆、迷いつつも信じ、働く目標であったものを全て失ったことの悲嘆――こうした悲嘆の山並みです。

 今日われわれはこうした人間の悲嘆を心に刻み、悲悼の念とともに思い浮かべているのであります。

 人びとが負わされた重荷のうち、最大の部分をになったのは多分、各民族の女性たちだったでしょう。

 彼女たちの苦難、忍従、そして人知れぬ力を世界史は、余りにもあっさりと忘れてしまうものです(拍手)。彼女たちは不安に脅えながら働き、人間の生命を支え護ってきました。戦場で斃れた父や息子、夫、兄弟、友人たちを悼んできました。この上なく暗い日々にあって、人間性の光が消えないよう守りつづけたのは彼女たちでした。

 暴力支配が始まるにあたって、ユダヤ系の同胞に対するヒトラーの底知れぬ憎悪がありました。ヒトラーは公けの場でもこれを隠しだてしたことはなく、全ドイツ民族をその憎悪の道具としたのです。ヒトラーは1945年 4月30日の(自殺による)死の前日、いわゆる遺書の結びに「指導者と国民に対し、ことに人種法を厳密に遵守し、かつまた世界のあらゆる民族を毒する国際ユダヤ主義に対し仮借のない抵抗をするよう義務づける」と書いております。

 歴史の中で戦いと暴力とにまき込まれるという罪――これと無縁だった国が、ほとんどないことは事実であります。しかしながら、ユダヤ人を人種としてことごとく抹殺する、というのは歴史に前例を見ません。

 この犯罪に手を下したのは少数です。公けの目にはふれないようになっていたのであります。しかしながら、ユダヤ系の同国民たちは、冷淡に知らぬ顔をされたり、底意のある非寛容な態度をみせつけられたり、さらには公然と憎悪を投げつけられる、といった辛酸を嘗めねばならなかったのですが、これはどのドイツ人でも見聞きすることができました。

 シナゴーグの放火、掠奪、ユダヤの星のマークの強制着用、法の保護の剥奪、人間の尊厳に対するとどまることを知らない冒涜があったあとで、悪い事態を予想しないでいられた人はいたでありましょうか。

 目を閉じず、耳をふさがずにいた人びと、調べる気のある人たちなら、(ユダヤ人を強制的に)移送する列車に気づかないはずはありませんでした。人びとの想像力は、ユダヤ人絶滅の方法と規模には思い及ばなかったかもしれません。しかし現実には、犯罪そのものに加えて、余りにも多くの人たちが実際に起こっていたことを知らないでおこうと努めていたのであります。当時まだ幼く、ことの計画・実施に加わっていなかった私の世代も例外ではありません。

 良心を麻痺させ、それは自分の権限外だとし、目を背け、沈黙するには多くの形がありました。戦いが終り、筆舌に尽しがたいホロコースト(大虐殺)の全貌が明らかになったとき、一切何も知らなかった、気配も感じなかった、と言い張った人は余りにも多かったのであります。

 一民族全体に罪がある、もしくは無実である、というようなことはありません。罪といい無実といい、集団的ではなく個人的なものであります。

 人間の罪には、露見したものもあれば隠しおおせたものもあります。告白した罪もあれば否認し通した罪もあります。充分に自覚してあの時代を生きてきた方がた、その人たちは今日、一人ひとり自分がどう関り合っていたかを静かに自問していただきたいのであります。

 今日の人口の大部分はあの当時子どもだったか、まだ生まれてもいませんでした。この人たちは自分が手を下してはいない行為に対して自らの罪を告白することはできません。

 ドイツ人であるというだけの理由で、彼らが悔い改めの時に着る荒布の質素な服を身にまとうのを期待することは、感情をもった人間にできることではありません。しかしながら先人は彼らに容易ならざる遺産を残したのであります。

 罪の有無、老幼いずれを問わず、われわれ全員が過去を引き受けねばなりません。全員が過去からの帰結に関り合っており、過去に対する責任を負わされているのであります。

 心に刻みつづけることがなぜかくも重要であるかを理解するため、老幼たがいに助け合わねばなりません。また助け合えるのであります。

 問題は過去を克服することではありません。さようなことができるわけはありません。後になって過去を変えたり、起こらなかったことにするわけにはまいりません。しかし過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります。非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、またそうした危険に陥りやすいのです。

 ユダヤ民族は今も心に刻み、これからも常に心に刻みつづけるでありましょう。われわれは人間として心からの和解を求めております。

 まさしくこのためにこそ、心に刻むことなしに和解はありえない、という一事を理解せねばならぬのです。


 物質面での復興という課題と並んで、精神面での最初の課題は、さまざまな運命の恣意に耐えるのを学ぶことでありました。ここにおいて、他の人びとの重荷に目を開き、常に相ともにこの重荷を担い、忘れ去ることをしないという、人間としての力が試されていたのであります。またその課題の中から、平和への能力、そして内外との心からの和解への心構えが育っていかねばならなかったのであります。これこそ他人から求められていただけでなく、われわれ自身が衷心から望んでいたことでもあったのです。

 かつて敵側だった人びとが和睦しようという気になるには、どれほど自分に打ち克たねばならなかったか――このことを忘れて五月八日を思い浮かべることはわれわれには許されません。ワルシャワのゲットーで、そしてチェコのリジィツェ村で虐殺された犠牲者たち(1942年、ナチスの高官を暗殺したことに対する報復としてプラハ近郊のこの村をナチスは完全に破壊した。)――われわれは本当にその親族の気持になれるものでありましょうか。

 ロッテルダムやロンドンの市民にとっても、ついこの間まで頭上から爆弾の雨を降らしていたドイツの再建を助けるなどというのは、どんなに困難なことだったでありましょう。そのためには、ドイツ人が二度と再び暴力で敗北に修正を加えることはない、という確信がしだいに深まっていく必要がありました。

 ドイツの側では故郷を追われた人びとが一番の辛苦を味わいました。五月八日をはるかに過ぎても、はげしい悲嘆と甚だしい不正とにさらされていたのであります。もともとの土地にいられたわれわれには、彼らの苛酷な運命を理解するだけの想像力と感受性が欠けていることが稀ではありませんでした。

 しかし救援の手を差しのべる動きもただちに活発となりました。故郷を捨てたり追われた何百万人という人びとを受け入れたのであります。歳月が経つにつれ彼らは新しい土地に定着していきました。彼らの子どもたち、孫たちは、いろいろな形で父祖の地の文化とそこへの郷土愛とに結びついております。それはそれで結構です。彼らの人生にとって貴重な宝物だからであります。

 しかし彼ら自身は新しい故郷を見出し、同じ年配の土地の仲間たちと共に成長し、とけ合い、土地の言葉をしゃべり、その習慣を身につけております。彼らの若い生命こそ内面の平和の能力の証しなのであります。彼らの祖父母、父母たちはかつては追われる身でした。しかし彼ら若い人びと自身は今や土地の人間なのです。

 故郷を追われた人びとは、早々とそして模範的な形で武力不行使を表明いたしました。力のなかった初期のころのその場かぎりの言葉ではなく、今日にも通じる表白であります。武力不行使とは、活力を取り戻したあとになってもドイツがこれを守りつづけていく、という信頼を各方面に育てていくことを意味しております。

 この間に自分たちの故郷は他の人びとの故郷となってしまいました。東方の多く古い墓地では、今日すでにドイツ人の墓よりポーランド人の墓の方が多くなっております。

 何百万ものドイツ人が西への移動を強いられたあと、何百万のポーランド人が、そして何百万のロシア人が移動してまいりました。いずれも意向を尋ねられることがなく、不正に堪えてきた人びとでした。無抵抗に政治につき従わざるをえない人びと、不正に対しどんな補償をし、それぞれに正当ないい分をかみ合わせてみたところで、彼らの身の上に加えられたことについての埋合せをしてあげるわけにいかない人びとなのであります。

 五月八日のあとの運命に押し流され、以来何十年とその地に住みついている人びと、この人びとに政治に煩らわされることのない持続的な将来の安全を確保すること――これこそ武力不行使の今日の意味であります。法律上の主張で争うよりも、理解し合わねばならぬという誡めを優先させることであります。

 これがヨーロッパの平和的秩序のためにわれわれがなしうる本当の、人間としての貢献に他なりません。

 1945年に始まるヨーロッパの新スタートは、自由と自決の考えに勝利と敗北の双方をもたらすこととなりました。自らの力が優越していてこそ平和が可能であり確保されていると全ての国が考え、平和とは次の戦いの準備期間であった――こうした時期がヨーロッパ史の上で長くつづいたのでありますが、われわれはこれに終止符をうつ好機を拡大していかなくてはなりません。

 ヨーロッパの諸民族は自らの故郷を愛しております。ドイツ人とて同様であります。自らの故郷を忘れうる民族が平和に愛情を寄せるなどということを信じるわけにまいりましょうか。

 いや、平和への愛とは、故郷を忘れず、まさにそのためにこそ、いつも互いに平和で暮せるよう全力を挙げる決意をしていることであります。追われたものが故郷に寄せる愛情は、復讐主義ではないのであります。
     

 戦後四年たった1949年の本日五月八日、議会評議会は基本法を承認いたしました。議会評議会の民主主義者たちは、党派の壁を越え、われわれの憲法(基本法)の第一条(第二項)に戦いと暴力支配に対する回答を記しております。

 ドイツ国民は、それゆえに、世界における各人間共同社会・平和および正義の基礎として、不可侵の、かつ、譲渡しえない人権をみとめる五月八日がもつこの意味についても今日心に刻む必要があります。

 戦いが終ったころ、多くのドイツ人が自らのパスポートをかくしたり、他国のパスポートと交換しようといたしましたが、今日われわれの国籍をもつことは、高い評価を受ける権利であります。

 傲慢、独善的である理由は毫もありません。しかしながらもしわれわれが、現在の行動とわれわれに課せられている未解決の課題へのガイドラインとして自らの歴史の記憶を役立てるなら、この40年間の歩みを心に刻んで感謝することは許されるでありましょう。

 ――第三帝国において精神病患者が殺害されたことを心に刻むなら、精神を病んでいる市民に暖かい目を注ぐことはわれわれ自身の課題であると理解することでありましょう。

 ――人種、宗教、政治上の理由から迫害され、目前の死に脅えていた人びとに対し、しばしば他の国の国境が閉ざされていたことを心に刻むなら、今日不当に迫害され、われわれに保護を求める人びとに対し門戸を閉ざすことはないでありましょう(拍手)。

 ――独裁下において自由な精神が迫害されたことを熟慮するなら、いかなる思想、いかなる批判であれ、そして、たとえそれがわれわれ自身にきびしい矢を放つものであったとしても、その思想、批判の自由を擁護するでありましょう。

 ――中東情勢についての判断を下すさいには、ドイツ人がユダヤ人同胞にもたらした運命がイスラエルの建国のひき金となったこと、そのさいの諸条件が今日なおこの地域の人びとの重荷となり、人びとを危険に曝しているのだ、ということを考えていただきたい。

 ――東側の隣人たちの戦時中の艱難を思うとき、これらの諸国との対立解消、緊張緩和、平和な隣人関係がドイツ外交政策の中心課題でありつづけることの理解が深まるでありましょう。双方が互いに心に刻み合い、たがいに尊敬し合うことが求められているのであり、人間としても、文化の面でも、そしてまたつまるところ歴史的にも、そうであってしかるべき理由があるのであります。

 ソ連共産党のゴルバチョフ書記長は、ソ連指導部には大戦終結40年目にあたって反ドイツ感情をかきたてるつもりはないと言明いたしました。ソ連は諸民族の間の友情を支持する、というのであります。

 東西間の理解、そしてまた全ヨーロッパにおける人権尊重に対するソ連の貢献について問いかけている時であればこそ、モスクワからのこうした兆しを見のがしてはなりますまい。われわれはソ連邦諸民族との友情を望んでおるのであります。

 人間の一生、民族の運命にあって、40年という歳月は大きな役割を果たしております。

 当時責任ある立場にいた父たちの世代が完全に交替するまでに40年が必要だったのです。

 われわれのもとでは新しい世代が政治の責任をとれるだけに成長してまいりました。若い人たちにかつて起ったことの責任はありません。しかし、(その後の)歴史のなかでそうした出来事から生じてきたことに対しては責任があります。

 われわれ年長者は若者に対し、夢を実現する義務は負っておりません。われわれの義務は率直さであります。心に刻みつづけるということがきわめて重要なのはなぜか、このことを若い人びとが理解できるよう手助けせねばならないのです。ユートピア的な救済論に逃避したり、道徳的に傲慢不遜になったりすることなく、歴史の真実を冷静かつ公平に見つめることができるよう、若い人びとの助力をしたいと考えるのであります。

 人間は何をしかねないのか――これをわれわれは自らの歴史から学びます。でありますから、われわれは今や別種の、よりよい人間になったなどと思い上がってはなりません。

 道徳に究極の完成はありえません――いかなる人間にとっても、また、いかなる土地においてもそうであります。
われわれは人間として学んでまいりました。これからも人間として危険に曝されつづけるでありましょう。しかし、われわれにはこうした危険を繰り返し乗り越えていくだけの力がそなわっております。

 ヒトラーはいつも、偏見と敵意と憎悪とをかきたてつづけることに腐心しておりました。

 若い人たちにお願いしたい。
 他の人びとに対する敵意や憎悪に駆り立てられることのないようにしていただきたい。
 ロシア人やアメリカ人、
 ユダヤ人やトルコ人、
 オールタナティヴを唱える人びとや保守主義者、
 黒人や白人
 これらの人たちに対する敵意や憎悪に駆り立てられることのないようにしていただきたい。
 若い人たちは、たがいに敵対するのではなく、たがいに手をとり合って生きていくことを学んでいただきたい。

 民主的に選ばれたわれわれ政治家にもこのことを肝に銘じさせてくれる諸君であってほしい。そして範を示してほしい。

 自由を尊重しよう。
 平和のために尽力しよう。
 公正をよりどころにしよう。
 正義については内面の規範に従おう。

 今日五月八日にさいし、能うかぎり真実を直視しようではありませんか。
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150815 一年前:3 125 菅原文太と免許皆伝の達人たち「ほとんど人力」(小学館;2013) 感想3+

2015年08月16日 00時33分12秒 | 一年前
8月15日(土):      
3 125 菅原文太と免許皆伝の達人たち「ほとんど人力」(小学館;2013) 感想3+

8月14日(木):190ページ  所要時間 4:00    図書館菅原文太 80歳(1933生まれ)。大御所映画俳優。2012年12月「いのちを大切にする社会」をテーマとし...

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150815 終戦の詔書

2015年08月15日 14時44分23秒 | 考える資料
8月15日(土):        

NHKBSで「日本のいちばん長い一日」(1967)を観た。

[終戦の詔書]

朕深ク世界ノ大勢ト帝国ノ現状トニ鑑ミ非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ収拾セムト欲シ茲ニ忠良ナル爾臣民ニ告ク
朕ハ帝国政府ヲシテ米英支蘇四国ニ対シ其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ
抑々帝国臣民ノ康寧ヲ図リ万邦共栄ノ楽ヲ偕ニスルハ皇祖皇宗ノ遺範ニシテ朕ノ拳々措カサル所曩ニ米英二国ニ宣戦セル所以モ亦実ニ帝国ノ自存ト東亜ノ安定トヲ庶幾スルニ出テ他国ノ主権ヲ排シ領土ヲ侵スカ如キハ固ヨリ朕カ志ニアラス然ルニ交戦已ニ四歳ヲ閲シ朕カ陸海将兵ノ勇戦朕カ百僚有司ノ励精朕カ一億衆庶ノ奉公各々最善ヲ尽セルニ拘ラス戦局必スシモ好転セス世界ノ大勢亦我ニ利アラス加之敵ハ新ニ残虐ナル爆弾ヲ使用シテ頻ニ無辜ヲ殺傷シ惨害ノ及フ所真ニ測ルヘカラサルニ至ル而モ尚交戦ヲ継続セムカ終ニ我カ民族ノ滅亡ヲ招来スルノミナラス延テ人類ノ文明ヲモ破却スヘシ斯ノ如クムハ朕何ヲ以テカ億兆ノ赤子ヲ保シ皇祖皇宗ノ神霊ニ謝セムヤ是レ朕カ帝国政府ヲシテ共同宣言ニ応セシムルニ至レル所以ナリ
朕ハ帝国ト共ニ終始東亜ノ解放ニ協力セル諸盟邦ニ対シ遺憾ノ意ヲ表セサルヲ得ス帝国臣民ニシテ戦陣ニ死シ職域ニ殉シ非命ニ斃レタル者及其ノ遺族ニ想ヲ致セハ五内為ニ裂ク且戦傷ヲ負イ災禍ヲ蒙リ家業ヲ失ヒタル者ノ厚生ニ至リテハ朕ノ深ク軫念スル所ナリ惟フニ今後帝国ノ受クヘキ苦難ハ固ヨリ尋常ニアラス爾臣民ノ衷情モ朕善ク之ヲ知ル然レトモ朕ハ時運ノ趨ク所堪へ難キヲ堪へ忍ヒ難キヲ忍ヒ以テ万世ノ為ニ太平ヲ開カムト欲ス
朕ハ茲ニ国体ヲ護持シ得テ忠良ナル爾臣民ノ赤誠ニ信倚シ常ニ爾臣民ト共ニ在リ若シ夫レ情ノ激スル所濫ニ事端ヲ滋クシ或ハ同胞排擠互ニ時局ヲ乱リ為ニ大道ヲ誤リ信義ヲ世界ニ失フカ如キハ朕最モ之ヲ戒ム宜シク挙国一家子孫相伝ヘ確ク神州ノ不滅ヲ信シ任重クシテ道遠キヲ念ヒ総力ヲ将来ノ建設ニ傾ケ道義ヲ篤クシ志操ヲ鞏クシ誓テ国体ノ精華ヲ発揚シ世界ノ進運ニ後レサラムコトヲ期スヘシ爾臣民其レ克ク朕カ意ヲ体セヨ

御名御璽

昭和二十年八月十四日
内閣総理大臣 男爵 鈴木貫太郎
海軍大臣 米内光政
司法大臣 松阪広政
陸軍大臣 阿南惟幾
軍需大臣 豊田貞次郎
厚生大臣 岡田忠彦
国務大臣 桜井兵五郎
国務大臣 左近司政三
国務大臣 下村宏
大蔵大臣 広瀬豊作
文部大臣 太田耕造
農商大臣 石黒忠篤
内務大臣 安倍源基
外務大臣兼大東亜大臣 東郷茂徳
国務大臣 安井藤治
運輸大臣 小日山直登
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150814 安倍談話のニュースを見た印象=浅知恵、姑息、誤魔化し、意志薄弱、ヴァイツゼッカーの真逆

2015年08月14日 23時08分23秒 | <憲法の危機>は「戦後最大の危機」
8月14日(金):

安倍に深みを求めること自体が元々むなしいことだが、案の定誠意のない浅知恵の長ったらしいだけの声明だった。中身は、逃げ腰、姑息な誤魔化し、自分の言葉をできるだけ言わず、言ったかと思えば「これから先の世代が謝罪をしないでよいように」と一見かっこよく聞こえるが、すべてを台無しにする言葉を吐いてまとめられている。

これは世界中から称賛されたドイツのヴァイツゼッカー大統領の演説「荒れ野の40年」の真逆のことを言ってしまっているのだ。こんなに哲学のない笑いものの恥ずかしい声明はない。謝罪を続けることは、「二度と愚かな間違いを繰り返さない」戒めを繰り返すことであり、それはアジアの国々の信を得るだけではなく、先の世代の子供たち自身の身を護る知恵の継承にもつながっているのだ。安倍には奥行きのある理解力も思想・哲学も存在しない。

そもそもこんな覚悟も知性も堪え性もない愚か者に日本の戦後70年が頓珍漢に総括されてしまったのは質の悪い冗談であり、むなしさと残念さを覚えるのみだ。国民が胸を張れる歴史観も将来への見通しも何もない。逆に、今後歴史観も未来への見通しもいたずらに混乱していくことだろう。

リテラ「戦後70年談話」で妥協しても何の痛痒も感じず⁉ 安倍晋三の浅く軽薄な思想は戦前の軍部そっくりだった  2015.08.14. 
  本日、閣議決定後、発表された安倍首相による戦後70年談話。いろいろすったもんだはあったが、一応、「おわび」や「侵略」などの言葉は盛り込まれた。
  もともと安倍首相は日本会議や右派の意向丸出しに「侵略」「植民地支配」「痛切な反省」「おわび」の4点セットが入った村山談話を“上書き”すると意気込み、その後もなんとか、「侵略」「おわび」だけは拒否する方法はないか、と抵抗していた。それが、こういう結果になって、さぞ苦々しく感じているのではないか――。そう思っていたのだが、全国紙政治部デスクは苦笑しつつこう否定する。
  「いや、安倍さんはそういうメンタリティの持ち主じゃない。むしろ、安保法制成立のために勇気ある決断をした、と自画自賛していると思いますよ。そもそも、安倍さんは戦争認識についても、ネトウヨ陰謀論を聞きかじったようなレベルで、たいした歴史観があるわけではない。ただ、謝るのは悔しいというプライドがあるだけ。そういう意味じゃ、今回も自分が『おわび』を表明したというより、『歴代内閣が痛切な反省と心からのおわびの気持ちを表明してきた』と言ってるだけですからね。そういう形をとることでプライドを満足させたんでしょう
  たしかに、今回の談話を注意深く読むと、「侵略」「植民地支配」についても「二度とも用いてはならない」など、今後の決意表明という形で使い、巧妙に自分のプライドを守ろうとする姿勢が見え隠れする。
  また、安倍首相は今回、「おわび」「侵略」を盛り込む代わりに「積極的平和主義」を強く打ち出した。これはつまり、歴史修正主義者の正体を隠して、対米追従路線を鮮明にしたということだろう。
  実際、今回の談話で妥協したのも米国への配慮が一番大きかったというのは先の全国紙政治部デスクだ。
  「メディアは公明党への配慮といっているが、むしろ、官邸が恐れていたのは、安倍首相の歴史認識に批判的な天皇陛下のお言葉と、米国の反応です。とくに米国についてはせっかく集団的自衛権行使を容認して、軍事一体化をはかっているのに、ここで『歴史修正主義』の烙印を押されてしまったら元も子もない。それで、安保法制で支持率が急落する中、有識者懇談会とあうんの呼吸で『侵略』を認めるべきだとの報告書を出してもらい『おわび』を入れることになった。そして、そのぶん、安保法制を意識して、積極的平和主義を打ち出すことで、自分のプライドを満足させたということでしょう」
  なんともゲンキンな話だが、しかし、これが安倍晋三という政治家の本質だ。たいして深い考えもないまま勇ましい言葉を口走り、周囲がいかに論理的に説得をこころみても耳を傾けようとしない。ところが、自分に立場が危うくなったり、もっと強い圧力に直面すると、平気で態度を一変。今度は二枚舌を駆使してまったくちがうこといいはじめる。
  実は、70年談話の少し前にも同じようなことがあった。8月6日の広島「原爆の日」式典でのあいさつで非核三原則に触れなかった問題だ。
  安倍が挨拶をしたのが午前8時半ごろのこと。直後からネット上で非核三原則に触れなかったことが話題となって、批判の論調が増え始めた。すると安倍首相は、同日21時24分に首相官邸の公式フェイスブックにこう書き込んだのだ。
  〈広島市原爆死没者慰霊式並びに平和記念式に出席し、多くの犠牲者の御霊に哀悼の誠を捧げました。平和に尊さに想いを致しながら、改めて、核兵器の惨禍が決して繰り返されることのないよう、非核三原則を堅持し、核兵器のない世界の実現に向け、国際社会をリードしていくことを、お誓いしました。(後略)〉
  実際の挨拶では言わなかった「非核三原則を堅持」の言葉を、わずか13時間後に修正して、さも言ったかのように広報したのだ。しかも、その一週間後、長崎では、ちゃっかり「非核三原則」を口にする厚顔ぶりだ。これは、ネットで「史上最速の歴史修正主義」だと話題になっている。
  こうした安倍首相の姿勢について、まさしく昭和10年代の軍事指導者に酷似していると指摘するのが、昭和史研究の第一人者、保阪正康氏だ。近著『安倍首相の「歴史観」を問う』(講談社)で仔細に分析している。
  たとえば、安保関連法案に関する安倍首相の答弁はふたつの論理を盾に進められていると保阪氏は言う。
  〈そのひとつは、「国民の生命と財産を守るのが首相である私の役目」、もうひとつが「国家の安全を揺るがすか否かは首相の判断」という点である。ことごとく「私が中心」という発想である。首相が中心になることにより、行政府の責任者が統帥権を自在にふるえるといった錯誤がこれらに二つの論理の背景には見え隠れしている〉(同書より。以下同)
  〈安倍首相の発言を聞いているとわかるが、実はこの首相は相手方の質問や疑問に真正面から答えるのではなく、相手の言葉尻をとらえて開き直り、その一方で「問題を整理すると」とか「一般に」といった言い方で、論議そのものを避けているのが特徴だ。いわば相手に丁寧に説明しようとする姿勢がまったくないのである〉
  こうした態度は戦前の陸軍の軍事指導部の幕僚たちがたとえば国家総動員法などの審議のときに見せた開き直りとソックリだという。このときも、在留邦人の保護や石油資源の供給が不安定な状態から脱するための自存自衛の策だという言葉が連発された。そのことに国会議員が疑問を口にすると、軍人は「黙れ!」と怒鳴った。つい最近、まさに安保法案の国会審議の現場であったような場面が、戦前にもそのまま行われていたという話である。
  昭和10年代の軍人の議会答弁には3つの特徴があると保阪氏は言う。
  ひとつは、具体的な説明にはかならず大仰な形容句がつく。「皇国二千六百年、戦って負けたことのない皇軍は…」、あるいは「在留邦人の安全と生命を守るのが軍人の役目」「大御心を体して」などの語を乱発して、相手の質問にまともに答えない。これは、「日本を取り巻く安全保障環境は激変し、もはや一国で平和は守れない」とか、「積極的平和主義」「日本を取り戻す」「美しい国」といった麗句や結論を先に口にするのと同根だという。
  第二は、まともな立論がされていないので、その説明が5分と持たない。東條英機が首相、陸相として答弁に立ち、「戦争が終わったとき」というのはどういうときか、と戦時時限立法について尋ねられると、法律上の答弁をしなければいけないのに、「平和が回復したとき」と答えたことなどがその典型だという。安倍首相や中谷防衛相の答弁を聞く限りでも、まともな立論ができているとは思えないし、自民党が安保法案の説明のためにつくったアニメ「教えてヒゲの隊長」がパロディ版であっという間に論破されているのもそのためだ。
  そして、三番目の特徴は、軍人は軍事に偏った知識しか身につけておらず、社会科学、人文科学といった分野はまったくダメだったということだ。言葉に歴史的背景や哲学的意味合いが込められていない。安倍首相の「憲法は占領憲法、押しつけ憲法だ」「靖国神社はアメリカ国民にとってのアーリントン墓地と同じです」などといった言い方がこれにあたる。
  保阪氏はこれを「形容句」「立論不足」「耳学問」と言っている。安倍首相の答弁の枠組みは、当時の軍事指導者のそれそのものだとも。なかでもひどいのが「耳学問」による半可通の歴史観だ。なにより事実に基づき歴史を記録することを旨としている保阪氏からすると、これは耐え難い歴史への冒涜だという。
  〈安倍首相の歴史観はもともとかなりあやふやな論にもとづいている。すでにメディアにも紹介されているのだが、たとえば「侵略には学問上の定義はない」と言ってみたり、「首相として国のために生命を捨てた人を追悼するのはあたりまえ」と開き直ったり、はては平気で「わが軍は…」と弁じたりもする。はなはだしい例では、アメリカは原爆投下したあとに、さあこれを受け入れろと言ってポツダム宣言をわれわれの国に押し付けた、など歴史的事実の基本をまったく理解していない発言を平然と行ったりもしている〉
  〈首相の歴史観を耳にしていると、戦後民主主義をどのように捉えているのだろうかと疑問を覚える。保守でも革新でもいいが、例えば自民党の先達たちがいかに呻吟しながら戦後社会を作り上げてきたか、それを思う知的関心、畏敬の念を示す礼節、さらには先達の歩んだ道を点検しつつ教訓を汲み取っていく姿勢、それらに欠けているといっていいのではないか〉
  〈ここで私は、現憲法を作成するために当時の政治指導者がどのような努力を払ったか、単に占領憲法というだけでは彼らを侮辱していないかと指摘しておきたい〉
  安倍政権ほど、かつて自民党の重鎮とも呼ばれた先輩OBたちから批判されている政権はないのではないか。
  こうした歴史観の欠如や立論不足から、国会での審議がかつて例のないほどまったく論戦の体をなさないまま、惨憺たる状況で続いているというのである。特定秘密保護法については「とにかく国の秘密は守らなければならない」、安保法案については「とにかく日本を取り巻く安全保障環境が厳しさを増しているのだからやらなければならない」と、プロセスや道程をすっ飛ばして、結論のみが声高に語られるのが、この政権の、そしてこの安倍首相の特徴なのだ。
  基本的な勉強ができていない。そのうえ理念も信念もない。支持者や周囲に言われただけで、すぐに前言を翻す。そんな政治家がリーダーとして戦後日本が伝統的に守ってきた安全保障政策を根底から覆そうとしていることの恐ろしさを、我々もいま一度、しっかり認識する必要がありそうだ。(野尻民夫)
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150814 安倍は辞めろ!憲法守れ!戦争法案反対!【拡散希望】8・30国会10万人・全国100万人大行動

2015年08月14日 14時29分28秒 | <憲法の危機>は「戦後最大の危機」
8月14日(金):
 俺も必ず参加するぞ! 誤解のないように言っときますが、俺は組合や労働運動とは全く無縁の人間です。ただ、戦後70年の平和の価値を自覚し、それが憲法のおかげだと確信する者です。政党名を強いてあげれば、絶滅危惧種「社民党」を昔から支持し、比例区で投票しています。小選挙区は残念ながら社民党の候補者がいません。もちろん政治集会なんかには参加したこともありません(為念)。こんな人間が「絶対にデモに行く!」気になってるんだから、この集会はうまくいく!

 この集会が成功すれば、今後の選挙に長く影響し続ける。自民党と公明党(創価学会)はただではすまない。「国民からの不信」という致命的な傷を長く受けるでしょう。ひょっとすれば、今のままの政党名では続かず、政界大再編になるかもしれない。戦後史をそれなりに詳しく知る者から言わせれば、それぐらいの大変なことが今進められようとしているのだ。

 その政界大再編が、格差容認・大企業優遇の小さい政府の新自由主義勢力と格差是正・多文化共生の大きな(中ぐらい?)政府の社会民主主義の二大政党に収斂してくれることを俺は祈る。だいたい以下の感じで分かれてくれればわかりやすい。

 新自由主義勢力 :小さな政府、国家主義的傾向=格差容認・大企業優遇、アメリカ追従(戦後レジーム)固執、TPP賛成、軍備増強(経済的徴兵制)、原発継続、憲法改変に積極的、自慰的歴史修正主義、安倍政治を総括できず、思想信条の自由制限、表現の自由制限、一定のメディア干渉は当然、移民規制、家制度における女性の役割重視、女性のshine(輝く→ローマ字読みで〝死ね”)社会めざす、経済規模の維持困難、「公共による制限」拡大:価値の基準は「大企業にとっての満足」「大企業の発展が国家の発展」etc

 社会民主主義勢力:大きな政府、国民主権を重視=格差是正・中小企業・農業に配慮、日米同盟は重視するが「アジアの日本」意識を重視、TPPは農業・医療分野ダメ、経済と平和外交重視、原発廃止・再生可能エネルギー重視→イノベーション、憲法改変に消極的、歴史を誤魔化さない誇り、安倍政治を研究・二度と繰り返さない、思想信条の自由保障、表現の自由保障、メディア規制なし、多文化共生、移民受け入れ、女性の解放、労働力不足解消→経済規模の維持、「公共の福祉」に抑制的:価値の基準は「日本に住む市民一人ひとりの生活の安定・安心」「幸せと市民が思えることが国家の目標」etc

 安倍政権が2018年まで続くなどという戯言が流れてるようだが、そんなことはあり得ない。安倍は今年の秋まで、遅くとも年末までだ! 我々が懸念しなければならないことは、今安倍は少ない脳みそのお花畑で「60年安保で条約の自然成立後に岸信介が総辞職したように、自分も総辞職の前に「戦争法案」成立を花道にしよう」というムシのよいことを考えている。また、それに期待している民主党前原詐欺師グループや維新の党がいる、という事実だ。

 安倍が辞めるのは当然のことだが、その前に「戦争法案」を断じて再び衆議院で強行採決できないように国民的運動を盛り上げて、自民党と公明党に徹底的に怒りをたたきつける。さらには維新の党と民主党内の第二自民党グループ(野田、前原、長島)に「立憲主義尊重」「憲法違反の戦争法案反対」の明確な意志を恐怖心とともに刷り込んでおくことだ。

 万が一、戦争法案が強行採決されれば、総理が安倍以外になっても自民党と公明党政権は低支持率繰り返されるデモに押されてもたない。 勿論〝米騒動”の時のように国民に銃口を向けられるのならば別だが…。でも、安倍の好きな長州閥100年目の寺内正毅政権はこれで倒れて、本格的政党内閣の原敬政権になった。 替わった自公以外の政権は、憲法違反の「戦争法」の廃棄を条件に成立することを国民全体の記憶に刻み、銘記しておくことが大事だ!

 SEALDsの若者たちを絶望させてはいけない。日本の未来ために、彼ら・彼女らを機能不全に落とし入れてはならない。



        
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150813 東海テレビ「戦後七十年 樹木希林ドキュメンタリーの旅」動画で<鶴瓶さんの生の声>を聴いて下さい

2015年08月14日 13時17分01秒 | <憲法の危機>は「戦後最大の危機」
8月13日(木):

「健康になるためのブログ」の動画コレクションがとてもいいです。ぜひ「【拡散&必見】鶴瓶「安保法案には断固反対」テレビで断言!8月8日昼12時放送東海テレビ「戦後七十年 樹木希林ドキュメンタリーの旅」にて」の動画で<鶴瓶さんの生の声>を聴いてください。この人、やっぱり中身のある言葉を持っています。改めて好きになりました。
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150813 朝日朝刊に安倍の犬、アイヒマン曽我豪のコラムが出ていた。読まないが、一日が吐き気で始まった

2015年08月13日 22時33分06秒 | <憲法の危機>は「戦後最大の危機」
8月13日(木):

一日気分が悪かった。汚い空気を吸うような気がして、新聞を開いて読む気になれなかった。しかし夜、吐き気を抑えながら無理やり読んでみた。きちんとまとめるのもばかばかしく、時間がもったいないのでざっと印象だけ書き留める。

感想:

何が言いたいんやこいつ。偉そうに知識をひけらかしながら、結局は高いところから今の状況を喧嘩両成敗して見せて、若者に「君たちは我々大人のまねをしないでほしい」とまとめている。どの口が言うのだ!バカたれ!最大のポイントは、安倍の鮨友だちという自分自身のジャーナリズムのあり方を棚に上げてものを言っている醜悪さ、恥ずかしさ、滑稽さだろう。こいつは自己批判もできないのだ。それと気が付いてないのかもしれないが、自分を偉く見てほしい、偉く見せようとする意識が文章からぷんぷん匂ってくる。ゲロゲロ、ウゼー。

臍が茶を沸かすとはこのことだ。現在の状況は、両極端に分かれてることが問題だと言うが、このような状況になった責任がこいつの飼い主の安倍晋三の幼稚で拙速な国会運営にあること、メディアの代表である朝日新聞編集委員自身が追求すべき権力者と鮨を食ってることによって政権批判能力を極端に衰えさせていることによる責任・結果であることを認めることを避けている。そういったすべての責任を分明にしないまま、我関せずの第三者気取りでよく恥ずかしげもなくこんなコラム書けたものだ。本質を避けて法を説くな!卑怯者の恥知らず!そもそもこのコラムの中にこいつの飼い主の安倍晋三の責任を明確に指摘した部分が全くない。すべてが相対化され煙幕が張られ一般論のようにすり替えられ、誤魔化されている。こいつが天下の朝日新聞の編集委員ということこそが朝日新聞の凋落を象徴している。未来もない。

朝日新聞がもしも購読者を大事に思うならば、よもつへぐい」して、こんなに権力批判の切っ先の鈍ってしまった編集委員を断固切るべきだ。曽我某ももしも誇りが少しは残ってるなら、朝日を自分の意志で退社しろ。そして、そこらにごろごろころがってる政治評論屋になればいいのだ。安倍・麻生系の頭の軽い政治屋たちが拾ってくれるだろう。関西の読売TV「そこまで言って委員会」のひな壇にでも座ってろ!とってもお似合いだ!

 ←現代社会で最も醜い生き物。朝日新聞のアイヒマン(ダニ野郎) 曽我豪「僕ちんは大して悪いことをしていない、権力者とお鮨一緒に食べただけ…、だってなにか僕ちんが偉くなった気がするんだもん。でも一緒に食事するとちょっと悪口言い難いんだよな」朝日新聞購読者激減の立役者!「141220 安倍政権の鮨友だち、朝日新聞曽我豪編集委員の恥知らずなごま擦りヨイショ記事「ザ・コラム」」を読んで下さい。

↓安倍の鮨友達、幇間・宦官去勢豚メディアの恥知らずども↓ 絶対に赦さない!責任をとるまで、どこまでも追及する!(もみ)
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150812 勉強しよう!溝口 敦:戦争法案強行─学会員と国民の思いを見誤った公明党に終わりが始まる

2015年08月12日 15時10分32秒 | <憲法の危機>は「戦後最大の危機」
8月12日(水):

 俺もバカではないから、創価学会と公明党についてはある程度距離を置いてブログを書いてきたつもりだ。少なくとも、共産党に対する不信感、生理的嫌悪のようなものは表明してこなかった。しかし、ファシスト安倍を今最も強力に支えている基盤が公明党であり、公明党が離反すれば、間違いなく自民党内で地殻変動が起こり安倍でない自公政権が成立し、憲法違反の戦争法案が廃案になる。そして、公明党の支持基盤である創価学会員自身も戦争法案に反対の人々が多いのであれば、<戦後70年の平和>がたった一人の世襲の愚か者によって破壊されるかの瀬戸際であり、公明党の動向と本質に対して注目せざるを得ない。この戦争法案がもし可決したら、<戦後70年の平和>を破壊した手先として、俺は公明党と創価学会の政教分離問題に対して強烈な関心と怒りを持つことになると思う。公明党・創価学会よ、正気に戻って本来の平和主義を堅持してくれ。世襲の愚か者に追随して戦争法案に手を貸さないでほしい。難しいことではない。山口那津男代表と北側一雄副代表に勇退してもらえばよいだけだ。

 公明党よ、一過性の安倍の自民党が怖いか、説明不十分として戦争法案に反対する意識化(政教分離を含む!)された8割の国民の目が怖いか、まじめに考えてみろ!

 公明党と創価学会との戦争法案に対する現状について、お勉強しましょう。

「だが、ここまで国民の声が分かっても、参院の公明党議員は戦争法案で自民党に同調、賛成票を投じ、60日ルールを待つまでもなく、成立させるにちがいない。どう転んでも最終的に衆院で成立するなら、参院が造反し、自民党に憎まれるのは損と考えるからだ。/  だが、戦争法案が一度は成立しても、国民には再び押し戻す力があるはずだ。憲法改正なしの砂上の楼閣のような法制であり、国政選挙で反対派議員を多数派にすれば簡単にひっくり返せる話である。/  そしてこの時点から公明党と創価学会の絶対的な危機が始まる。彼らは危機に遭遇すると、ことさら分身の術を使い、悪いのは公明党、創価学会は健全と言い立てるだろうが、国民はもちろん、少数学会員の良識派も騙されまい。両者は同根の政教一体組織なのだ。」(溝口 敦)
       
Forum21:特集/戦争法案の衆院強行採決・成立に手を貸した創価勢力の罪深さ 2015年8月11日
溝口 敦(ノンフィクション作家):戦争法案強行─学会員と国民の思いを見誤った公明党に終わりが始まる
「学会員も反対デモ参加」は苦肉のガス抜き策
 戦争法案(安保法案)に反対する国民の声は日増しに高まっている。デモや反対集会は東京だけでなく、地方にも広がり、若者から高齢者までデモや集会に参加し、反対の声を挙げ始めた。
 創価学会本部の最寄り駅である東京・信濃町駅前でも戦争法案廃案の宣伝・署名活動が7月31日に行われたが、「創価学会員」と名乗る女性らが次々と署名に応じたという(「しんぶん赤旗」8月2日付)。
 この宣伝・署名活動は共産党系と目される新日本婦人の会東京都本部のメンバーらが行ったが、同本部の油ゆ原はら通江ゆきえ事務局は次のように感想を語ったという。
「各地から創価学会本部に来られた方々だと思いますが、予想以上の反応でした。創価学会のなかにも法案反対の声があることが分かりました。各地で自民、公明の支持者にも署名のお願いや、廃案への共同を申し入れていきたい」(同紙)
 7月19日、「大阪で行われた安保法案反対デモには多くの学会員が参加し、『バイバイ公明党』『仏罰→公明党』と書いたプラカードを掲げていました」(「日刊ゲンダイ」7月27日付)と伝えている。
 毎日新聞といえば、創価学会に頭を押さえられた新聞として知られるが、驚くべきことにその7月27日付は「安保法案:公明離れの学会員次々……自民と協調に『失望』」と見出しを立て、次のように報じている。
「自民と足並みをそろえる公明党の足元で、地方議員や支持母体の創価学会員たちの反発や離反が起きている。(略)
 愛知県武豊町の本村強町議(62)は創価学会員だが、公明党を離れ10カ月になる。『失望しました。平和の看板を掲げてきたのになぜだ、と』
 まだ党にいた昨年6月、集団的自衛権に反対する意見書を共産党議員らとともに議会に提出し、自民系議員らを説得し、1票差で可決させた。これが後に反党的だと問題視されたが、信念を貫き離党。今春、町議選に無所属で出た。学会関係者に『あなたの個人票は(学会票の)2%だ』と警告されたが前回並みの得票で3選された。一部の学会員も陰で応援してくれたという。
 和歌山県岩出市の創価学会員、春村徳龍さん(53)は19日、大阪での安保法案反対デモに家族で参加した。『法案は平和を求める学会の教えにそぐわない。「自民の歯止めになる」と公明党への投票を呼びかけてきたが裏切られた思いだ』
 デモ行進では、学会のシンボルの三色旗に『バイバイ公明党』などとプリントしたプラカードを掲げた。別の学会員がデザインし、ツイッターで配布していたものという。(以下略)」
 毎日新聞のことだから、創価学会本部の許諾を得た上でこうした記事が掲出されたものと見られる。つまり創価学会は公明党が自民党に同調して衆院で戦争法案を強行採決し、いずれ参院でも強行採決に加わり、法案の成立に手を貸す。このことで一部の心ある学会員を失望落胆させ、公明党、ひいては創価学会からも離反させかねない。こうした事態をあらかじめ見越し、学会員に「反対の声を挙げたのだから」「学会はデモへの参加を認めてくれたのだから」と弁明と慰め、ガス抜きの機会を与えたい。あくまでも道を外れたのは公明党であって、学会ではない。学会は池田先生の意を体して「平和」路線を守ったが、公明党の堕落した議員たちが勝手に自民党に同調、学会と学会員を裏切った、と思わせたい。あくまでも苦肉の策であり、創価学会がにわかに平和と良識路線に立ち戻ったわけではあるまい。
 池田大作が生ける屍と化した現在、創価学会内には路線をめぐる対立もあるだろうが、路線以上に創価学会の幹部たちにとっては、学会員の学会離れ阻止の方が喫緊の課題である。安保法案の扱いをめぐって学会員に愛想づかしをされてはならない。何とか引き留めて現有会員数を維持しなくてはならないというのが彼らの至上命題だろう。
 もちろん創価学会の幹部にとって、会員の反対デモへの参加や他党との共闘などを認めることは危険極まりない方策である。公明党得票数のさらなる減少をもたらすことは当然として、創価学会にさえ亀裂を走らせかねない。それを承知の上で一部学会員による戦争法案反対の声を認めることは、逆にいえば、創価学会がそれだけ危機的状況にあることの追認だろう。間違っても、創価学会が平和愛好の宗教団体などと錯覚してはならない。ただし平和愛好教団と錯覚している学会員が存在することは事実だが、そうした学会員が創価学会を現実に動かすことはない。

歯止め役ではなく強力に後押しした公明党
 公明党は自民党と選挙協力し、与党に加わるなかで戦争法案に対する学会員と国民の思いを完全に見誤った。もちろん公明党には自民党と連立を組み、政権の一角にあるからこそ、池田先生を守れるという自負と理屈がある。公明党は創価学会のための防波堤なのだから、政権参加こそ党の存立理由なのだ、と。
 そうだからこそ公明党は安保法制の実現に固執している安倍首相に対し、もっともらしく北側一雄副代表による「北側3原則」を案出、公明党が「歯止め」であることを喧伝した。連立の一角にある以上、突っ込み役を買って出て、劇を盛り上げる工夫ぐらいしなければならない。
 安倍首相は自衛隊の活動領域を戦前の日本軍並みに拡大したい。すなわち尖閣諸島に中国の武装勢力が上陸するなど、警察だけでは対応できない戦争一歩手前の「グレーゾーン事態」、中近東などで米軍の補給、輸送などを助ける「後方支援」、日本の存立が脅かされる明白な危険に対し、自衛隊が出動して米軍を守る「集団的自衛権」の行使などを実現したい。
 北側はこれに対し、自衛隊の派遣にはおのずと制限があるとして、①例外なき国会の事前承認、②国際法上の正当性、③自衛隊員の安全保障──などをぶつけてみせた。歯止めなどではなく、単に安倍が強調する粗雑で性急な必要論に対し、集団的自衛権を国会と国民に飲ませるためにはどのような論理と外見が必要か、智恵をつけたにすぎない。いわばオブラートに包むことの提案であり、真率な論議が行われているように見せるちょっとした差異の演出である。
 北側3原則などを参考に自民党と公明党は新規に3要件を決めた。①密接な関係にある他国が武力攻撃を受け、日本の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある(存立危機事態)、②日本の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がない、③必要最小限度の実力行使に留まる──である。
 こうした経緯を見れば、公明党が安全保障法案で歯止め役を果たしたのではなく、むしろ法案の実現に向け、強力に後押ししたことが明らかになる。公明党は国民レベルの感覚が麻痺し、いかに日本国民が戦争放棄の憲法9条を信奉しているか、見誤った。同党は安全保障法制は法技術的にごまかしが利く、国民に飲ませられると考えていた。だが、各種の世論調査で明らかなように日本国民の過半は戦争そのものが嫌なのだ。戦争を手段として他国に侵攻すること自体に嫌悪感と警戒感を抱いている。
 だが、ここまで国民の声が分かっても、参院の公明党議員は戦争法案で自民党に同調、賛成票を投じ、60日ルールを待つまでもなく、成立させるにちがいない。どう転んでも最終的に衆院で成立するなら、参院が造反し、自民党に憎まれるのは損と考えるからだ。
 だが、戦争法案が一度は成立しても、国民には再び押し戻す力があるはずだ。憲法改正なしの砂上の楼閣のような法制であり、国政選挙で反対派議員を多数派にすれば簡単にひっくり返せる話である。
 そしてこの時点から公明党と創価学会の絶対的な危機が始まる。彼らは危機に遭遇すると、ことさら分身の術を使い、悪いのは公明党、創価学会は健全と言い立てるだろうが、国民はもちろん、少数学会員の良識派も騙されまい。両者は同根の政教一体組織なのだまして池田はほぼ生体としての活動を止め、日ごとにカリスマ性もリーダーシップも、会員統合の結節点であることも止めている。組織的にガタが来ている上に、今回の戦争法案での醜い役回りは学会票が離れるに十分な理由になる。公明党に終わりが始まり、創価学会に「普通の新興宗教団体」への道が開け始める。(文中・敬称略)
溝口 敦(みぞぐち・あつし)ノンフィクション作家、フリージャーナリスト。1942年生まれ。早稲田大学政経学部卒。出版社勤務などを経てフリーに。宗教関係をはじめ幅広く社会問題を扱う。『食肉の帝王』(講談社プラスα文庫)で第25回講談社ノンフィクション賞、日本ジャーナリスト会議賞、編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム大賞の3賞同時受賞。『堕ちた庶民の神』(三一書房)『歌舞伎町・ヤバさの真相』(文春新書)『パチンコ「30兆円の闇」』『生贄の祀り』『あぶない食品』(小学館文庫)『武富士 サラ金の帝王』『池田大作「権力者」の構造』『中国「黒社会」の掟』『細木数子 魔女の履歴書』(講談社プラスα文庫)『暴力団』『続・暴力団』(新潮新書)『抗争』(小学館新書)『やくざの経営戦略』(文春新書)など著書多数。
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150810 44万PV超:リテラ「ついに鶴瓶が安保法制と安倍政権にNOを突きつけた!」 鶴瓶さん、えらい!

2015年08月11日 15時21分02秒 | 閲覧数 記録
8月10日(月):記録ですm(_ _)m。ブログの開設から1402日。

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  昨夜(8月10日)のNHKニュース9での、政権支持率世論調査結果の報道ぶりには苦笑させられた。読み上げ音声が抑揚のない情緒を排した電話受付での機械的音声を演じているのだ。安倍政権にとって不利な世論調査内容を報じるのをびくびくと懼れているのがよく伝わってきた。
  キャスターの二人は能面のように無表情で全くコメント無しだった。あたりさわりなしでもなんか話せたはずだ。別のコーナーで男のキャスターが「(今の)日本は表現の自由があるのが本当にありがたい」旨のコメントをしているのを見てさらに苦笑した。この男は、当然一般以上の知性を持っているはずであり、自分のコメントが如何に滑稽で醜悪で矛盾しているか、よくわかってるはずだ。 笑えない現実だ。

リテラついに鶴瓶が安保法制と安倍政権にNOを突きつけた!「お前なにをしとんねん!」「変な解釈絶対したらあかん」  2015.08.09. 
 「俺、なんでこんなこと、テレビで喋ってるんか。いまもわからへん!」
  「(こんな話)放送で言おうとは思ったことないです。一回もそんなこと言ったこともないし、そういう仕事じゃないから。そういうプロはそういうのに任しといたらええって言うけど、もう、そういう人に任せてたらあかんと」
 昨日、放送されたテレビ番組で、あの笑福亭鶴瓶がこのように吠えた。鶴瓶が意を決してテレビで口にした話──それは、安保法制へはっきりとNOを叩きつける内容だった。
 鶴瓶が出演したのは、東海テレビが制作・放送した『戦後70年 樹木希林ドキュメンタリーの旅』でのこと。この番組は、関西テレビが2009年に制作したドキュメンタリー『父の国 母の国─ある残留孤児の66年─』をテーマにして、女優の樹木希林と鶴瓶が対談するというチャレンジングな内容だったが、残念ながらキー局であるフジテレビでは放送されることがなかった。だが、この番組で繰り広げられたトークは、普段、目にしたことがない鶴瓶の一面がよく表れていた。
 まず鶴瓶は、残留孤児だった人びとが日本で苦労を強いられている現状に胸を痛め、「戦争って、普通のことが普通じゃないんだっていうね。普通がいいんですよ。普通が」と戦争がもたらす不幸に言及。樹木が「(戦争は)人間の世界で止めることができるはずなのに、そりゃ止めなきゃいけないですよね」と返すと、「当たり前ですやん。そんなこと……なんのための戦争なんですか? なんのための……意味わからんな、ほんまに」と怒りを滲ませた。そして、安保法制の問題に自ら切り込んだのだ。
 「国の言うことを、この歳になって信用したらあかんと思う、60過ぎてね、全部が国の言うことこれ、大丈夫かいなって思うようになるって……」
 「いま、法律を変えようとしているあの法律もそうでしょうけど、それも含めて、いまの政府がああいう方向に行ってしまうっていうね、これ、止めないと絶対いけないでしょうね」
 「これ、へんな方向に行ってますよ。そら変えなあかん法律はいっぱいあってもね、戦争放棄っていうのはもうこれ謳い文句で、絶対そうなんですが9条はいろたら(いじったら)あかんと思うんですよね」
 強い語気と、いつにない真剣な表情で語る鶴瓶。じつは鶴瓶は、昨年も「しんぶん赤旗 日曜版」のインタビューで「僕らの世代が戦争に行くことはないでしょうけど、僕の孫の世代が戦争へ行かされるなんて道理に合わない。日本は絶対憲法9条をなくしちゃいかんと思います」と話している。しかし、全国ネットの番組ではないとはいえ、テレビでこのように政治を語る鶴瓶の姿は目にしたことがない。実際、鶴瓶本人も、「ほんまに、こういうところで、こんなこと言ったことないけど。アホなことばっかり言う商売ですから」と、テレビで政治的な発言をすることがはじめてなのだと番組中に何度も言葉にしていた。
 自分の本分は笑いにある。笑いという本分をきっちりさせるために、いままで政治的な話は避けてきた──そう話す鶴瓶が、いま、口を開いたのはなぜか。その理由は、きっと“怒り”なのだろう。それくらい、鶴瓶は憤慨していた。
 「こんだけね、憲法をね、変えようとしていることに、違憲や言うてる人がこんなに多いのにもかかわらず、お前なにをしとんねん!っていう」
 「僕なんか微力ですけど、やっぱり違う!っていうのは言いつづけなあかんですよね」
 「民主主義で決めるんなら、違憲がこんだけ多かったら、多いほうを取るべきですよ、こんなもん。でないと、おかしいですよね」
 「変な解釈して向こうへ行こうとしてるけど、絶対したらあかん」
 さらに鶴瓶は、安倍首相が言う「後方支援」に対しても、「だいぶアメリカに乗せられてね、後方支援、後方支援言うてるけど、ほんなもん、なんもせんでええねん。全然なんもせんでええねん。したらあかん。したら“した”っていう事実が残ります」と明言。その上、話題が“政治家の顔つき”に移ると、「いま、穏やかな顔やん。菅さんでもそうやし、安倍さんでも……でも、あのままで進んでいったらえらいことなりますよ」と言い、表面に騙されてはいけないと警鐘を鳴らした。
 いくら戦後70年をテーマにした番組で、かつホスト役が芸能界の先輩である樹木だったとはいえ、ここまではっきりと政権の批判を繰り出すのは、なかなかできるものではない。この清々しいまでの鶴瓶の態度には、さすがの樹木も「非常にこういう仕事をしている人の、いい意味で、責任の取り方っていうのが、ちゃんとしていらっしゃるような気がする」と鶴瓶を称賛していた。
 逆にいえば、自由奔放な樹木にしても、芸能人がテレビで政治的発言を行うことがいかに難しいことなのか、それをよくわかっているからこそ、鶴瓶の態度に感心したのだろう。もちろん鶴瓶も、そんな芸能界における暗黙のルールは織り込み済みだ。現に、鶴瓶はこうも言っている。
 「(自分が政治的な発言をして)怒らはる人いても、『お前なに言うてんねん。ド頭も悪いのにそんなことだけぬかしやがって』って言う人もおるやろうけど、しかし、ただ、俺はそう(いまの政治状況はおかしいと)思います」
 おかしいものにおかしいと言って、なにが悪い──。この勇気ある発言が全国に流れなかったことはつくづく残念でならないが、鶴瓶と樹木、そして東海テレビには拍手を贈りたい。
 ちなみにこの『戦後70年 樹木希林ドキュメンタリーの旅』は、箭内道彦やスタジオジブリの鈴木敏夫らをゲストに迎え、10日、12日、13日、14日、15日にも放送される予定だ。樹木は番組内で、「戦後80年って番組はつくれなくなるかもしれない」という危機感を口にしていたが、そうさせないためにも、ぜひ多くの人にこの番組を観てほしいと思う。(水井多賀子)
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150810 小沢一郎:国会議員はもっと闘う姿勢を見せるべき!憲法違反の安保法案廃案、ファシスト安倍退陣!

2015年08月10日 22時58分55秒 | <憲法の危機>は「戦後最大の危機」
8月10日(月):   戦争大好きです! 日本会議会員の前原誠司です。 お世話になった外国籍市民のおばちゃんもきちんと差別するよ! ハッシー(橋下)と仲良しだし、ほんとは維新と民主党をくっつけて党首になりたかったんだけど、どうも雲行き怪しいし、民主党に隠れてスキルスしてる方が得みたいなのでスキルスしてまーす。でも最近、変なオヤジに絡まれて困ってるんだ。この「もみ」たら言うオヤジなんなんや?!うっとしいなあ。気持ちよくスキルスして、集団的自衛権の安保法案成立後に、思う存分「現実的」に活用したいのに、ほんま邪魔やで! ってか

  憲法違反で立憲主義を否定した安保法案に対して野党、特に民主党が「相変わらず、枝葉の議論ばかり」をやって、安倍に塩を送ってしまっているのは、民主党内に前原詐欺師や長島戦争屋がのさばっていて、安倍政権に集団的自衛権の安保法案を作らせて、責任だけをとらせて立憲主義を否定した安保法案の成立を陰で望んでいる連中がいるからだ。この不純さが、民主党を信用できない政党にしているのだ。
「150717 安保法案強行採決、立憲主義破壊を前に声もあげず鳴りを潜めている前原誠司詐欺師が恐ろしい。」
「150718 立憲主義の否定、安保法案強行採決を一切批判・非難しない日本会議前原詐欺師が恐ろしい。その2」
「150718 記録です。906 PV、 199 IP:日本会議前原誠司詐欺師(民主党)への危機感が共感を得たのかな? 」

を読んで下さいませm(_ _)m。
 小沢一郎氏(C)日刊ゲンダイ
日刊ゲンダイ:安保法案を潰す秘策を話そう/小沢一郎 <第6回>国会議員はもっと闘う姿勢を見せるべき  2015年8月10日 
  沖縄県の米軍普天間基地の辺野古移設で、政府が工事の1カ月中断を決めた。これは安倍政権が追い込まれていることの表れだと思う。あれだけ強行に進めてきたのに、中断せざるを得なくなったのは、県民だけでなく、国民全体が、安倍首相の強権的な姿勢と戦前回帰的な思想に、どんどん批判的になってきたからだ。安保法案で「潮目」が変わった。辺野古の問題がそれに重なって、安倍政権にいま、大きな逆風が吹き始めている。工事中断は1カ月と言っているが、いったん止めたら、再開は難しくなるだろう
  とにかく安倍首相には信念や理念というものがないのだと思う。自分の頭で論理的に考え、結論を出していないから、いざ逆風が吹いてくると、どうしても気持ちが揺らいでしまう。強気も弱気も風次第。情緒的な感覚で政治をやっているように見える。辺野古移設や安保法案の是非は別として、国のため、国民のために、何としても必要だと思うのなら、自らの主張を貫き通せばいい。途中で腰折れになってしまうようでは、トップリーダーとして失格。安倍さんにトップリーダーは、荷が重すぎるのではないか。
  首相補佐官の暴言などもあり、安倍政権に対する国民の視線は、ますます冷ややかになっている。野党にとって、いまは攻勢をかけるべき時だ。ところが国会では、相変わらず、枝葉の議論ばかり。後方支援での弾薬の提供をめぐって、「手りゅう弾はいいのか」「ロケット弾はどうなのか」などと野党が質問している。これでは安倍首相の思うツボで、ごまかしの言葉遊びに引っ張り込まれてしまう。何度も言っているが、どうしてもっと本質的な議論ができないのか
 委員会で安倍首相に「ポツダム宣言を読みましたか」と質問したらいい。安倍首相の強権的で戦前回帰的な発想の裏には、ポツダム宣言を受け入れず、極東軍事裁判をはじめとする戦後体制に懐疑的な姿勢が透けて見える。ここを突くべきなのだ。必ず答弁で立ち往生する。
 日本はポツダム宣言を受け入れ、全面降伏して、戦後体制が始まった。安倍首相は戦後体制に否定的な考え方だから、「70年談話」でも必ずごまかそうとする。閣議決定をしないで、私的な談話にするという話が出たのもそうだ。総理大臣の談話に公的も私的もない。どうしてそういう姑息なやり方をするのか。
 国民がこれだけ批判を強めているのだから、国会議員も、もっと闘う姿勢を見せて攻めないといけない。以前、不信任案の連発で衆院の再議決を阻止できるという話をした。他にも、村山富市元首相が「与党が法案を強行に成立させるならば、野党全員が議員辞職を」と言っていたが、国民に覚悟を示すには、例えばそういう方法もある。安倍政権に対する国民の批判がこれだけ高まっているのだから、絶対に廃案にできる。いま野党の本気度が問われている

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150810 一年前:140809 憲法で保障された「健康で文化的な生活」を解釈変更する違憲政治屋の片山さつき

2015年08月10日 15時12分12秒 | 一年前
8月10日(月):

片山さつきは、現代日本に棲息する生きた悪魔だ! 次回の参院選挙では絶対に落選させなければいけない! こいつのことを考えると正直心が汚れてくたびれる。うんざり。

140809 憲法で保障された「健康で文化的な生活」を解釈変更する違憲政治屋の片山さつきを全面糾弾する!
8月9日(土):「憲法第二十五条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」「健康で文化的な最低限度の生活」とは、<生きるか死ぬかのレベル>では断じて...


以下、Afternoon Cafeから引用:
“生活保護キラー”片山さつき氏の人となりを示すエピソードをメモ  2013/06/04 13:00
  自分のなかにある思い込みや願望を正当化するため、目も耳もふさいで事実を見ようともしない。憎悪にまみれた妄想がまるで現実であるかのように結論ありきでまくし立てる(前の記事参照)「生活保護キラー」の片山さつき氏はそういう人物の代表格に一人にあげられると思います。

  片山氏と安田浩一氏の生活保護に関する対談をまとめたtogetterがあります。(「生活保護 激論120分 蔓延する「不正受給」は本当か」週刊朝日 2012年07月20日号 122-125頁の内容の一部ツイートです)
そこからいくつかピックアップしてみましょう  http://togetter.com/li/511918#

「本当に困窮して三食食べられない人がどれくらいいると思う?ホームレスが糖尿病になる国ですよ」「ホームレスの血糖値を測ったら高かったと言うのは有名な話」安価な炭水化物を摂っているから血糖値が高いhttp://t.co/WkVfttcAAA

片山:大阪西成で65人の居住者のうち64人が受給者だというマンションを見てきましたが、一部屋が4畳半か6畳一間とか。私が82年に大蔵省に入省したときの寮なんてそれより狭かった
安田:そのことを生保の受給者と同列に語るのはおかしいですよ
片山:でも私は自力で大蔵省に入りましたよ

片山さつき、安田浩一の生活保護に関する対談より
片山「怠けている人が生保を受けて年収4百万の人より良い暮らしをしているんですよ」
安田「年収4百万どこから来た数字ですか?」
片山「税金も払わないでしょ」
ずっとこの調子話がかみ合わない

片山さつき「日本の生活保護受給者は旅行にも行くしお酒も飲んでいるでしょう。生活保護を受ける人は自立してないんだからある程度の不自由は(あるべき)」「私は自力で大蔵省に入りましたよ。問題は自力で頑張った人と頑張らなかった人に差がつかなかったら、誰も頑張らない」安田浩一との対談で

片山さつき:(話を聞いた医者が)受診する生活保護受給者の身なりや生活ぶりは決して困窮していないと言ってますよ
安田浩一:誰もが分かりやすく困窮状態であることを示さない限り受給できないというのでしょうか
片山:じゃ、見に行けば?
安田:見に行ってますよ。取材してますから

片山さつき 生活保護受給者は「税金医療費もNHK受信料もタダ。その他色んな公的料金がタダと考えると実質年収4百万円で色んな税金を払うよりいい暮らし。日本の生活保護のように何の義務もないのって仏で言えばチャリティー(慈善活動)。教会に駆け込めばパンとスープが食べられるという。」

片山さつき:逆に聞くけど生活保護を受けられなくて、困っていてよろよろ倒れそうな人がいっぱいだという調査結果はあるんですか
安田浩一:実際受給できずに餓死した人もいるじゃないですか。研究者もいろんな調査をやってますよ…略 
片山:あなた、派遣村に行きました?  安田:取材しました

安田浩一:生活保護受給者の大半が高齢者。傷病障害世帯の33%と母子世帯の7・7%を合わせ全体の8割
片山さつき:高齢者でも年金少ないし息子とも離れて住んでるからと生活保護をもらって毎日ゲートボールをしてる人はいる
安田:だから、それはどんな手法で調査をして出てきた結果なんですか。

片山さつき:外国人に支払われる生活保護費1200億円の内3分の2は朝鮮半島出身者向け。韓国なんて1人当たりの名目GDPが2万ドルを超えているんだから自国で面倒をみていただきたい
安田浩一:歴史的背景から在日コリアンの人数が多いのは当然、納税者としての側面も見ないとフェアじゃない

安田浩一:生保バッシングと在特会の思考様式は共通している。保守としての矜持をお持ちであれば、生保の議論を在日批判、レイシズム(排外主義)に回収するのはやめてほしい
片山さつき:私はレイシストではありませんし、国籍や参政権で区別することは、保守のオーソドックスな考え方ですから。

片山さつきの「韓国なんて1人当たりの名目GDPが2万ドルを超えているんだから自国で面倒をみていただきたい」が叶ったとして、在日コリアンの納税先はどこ?韓国に?まさか日本に納税だけして、社会保障は韓国で受けろと?大蔵省出身の政治家らしく具体的な政策を持って発言してほしい


  片山氏は生活保護受給者というものはおよそ怠惰な性格の持ち主であり、保護費で図々しくも左うちわの贅沢三昧をしている、そして不正受給が氾濫している、という都市伝説をまるで見てきたかの如くまくし立てます。こういう人はいくら生活保護の実態を突きつけてもそれを頑としてシャットアウト、なかったことにしてしまえるのが特徴です。働けるのに働かない怠け者ばかり、贅沢三昧な生活、というのは実態調査に基づいてはなく片山氏の想像に基づいているとしか言えません。貧困者は高カロリー低栄養の安価な食品しか口にできないため、アメリカでは低所得者層ほど肥満や糖尿病が多いというのは有名だというのに、不正受給件数が全体に占める率は1.8%、不正受給額は0.3%ほどしかないというのに、全てスルー。
  そして、何故か自分が大蔵省へ入ったときの話と生活保護を並べて話すという意味不明な比較をしたり、在日コリアンへの排外主義に誘導したりするのも怠りません。いかにも“片山さつきらしいお仕事”をきっちりこなしていますね。残念なことに片山氏のようにネームバリューがある政治家が行うこのような誹謗中傷・デマは、まことしやかに世間に浸透してしまいます。このようなデマを広めて憎悪を掻き立てるような人物は政治家になってはいけません。  
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150810 一年前:3 122 赤坂真理「愛と暴力の戦後とその後」(講談社現代新書;2014/5月):感想5

2015年08月10日 14時27分18秒 | 一年前
8月10日(月):

3 122 赤坂真理「愛と暴力の戦後とその後」(講談社現代新書;2014/5月):感想5
7月9日(土):301ページ  所要時間 4:10     図書館著者50歳(1964生まれ)。16歳の日本人少女が「昭和天皇は戦争犯罪人である」を論題にアメリカの高校でデ...
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150810 一年前:140805今の天皇のことを思い、泣きそうになった。朝日新聞夕刊の池澤夏樹【終わりと始まり

2015年08月10日 14時06分23秒 | 一年前
8月10日(月):

140805 今の天皇のことを思い、泣きそうになった。朝日新聞夕刊の池澤夏樹【終わりと始まり】
8月5日(火): 朝日新聞夕刊の池澤夏樹【終わりと始まり】で、  これはどういうことだろう。我々は、史上かつて例のない新しい天皇の姿を見ているのではないだろうか。(略)...


 俺は「天皇制」に批判的な考えの持ち主である。しかし、現天皇夫妻とその意思を大切にする皇太子には強い敬愛心を持っている。この人たちの弱い立場にある人たちを理解しよう、寄り添い、少しでも勇気づけたいという努力には頭を下げざるを得ない。一方で、天皇家とのつながりを強調してナショナリズムを煽るバカどもを見ると強烈な軽蔑心と敵愾心をどうしても抑えられない。天皇夫妻や皇太子の努力を無駄にするバカどもに対して憎悪と怒りを禁じえない。
        
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150329 タガ外せば歯止め失う 長谷部恭男・早稲田大学教授/「未来志向」は現実逃避 杉田敦・法政大学教授

 杉田 先日ドイツのメルケル首相が来日しました。戦後ドイツも様々な問題を抱えていますが、過去への反省と謝罪という「建前」を大切にし続けることで、国際的に発言力を強めてきた経緯がある。「建前」がソフトパワーにつながることを安倍さんたちは理解しているのでしょうか。  / /長谷部 そもそも談話が扱っているのは、学問的な歴史の問題ではなく、人々の情念が絡まる記憶の問題です。記念碑や記念館、映画に結実するもので、証拠の有無や正確性をいくら詰めても、決着はつかない。厳密な歴史のレベルで、仮に日本側が中国や韓国の主張に反証できたとしても、問題はむしろこじれる。相手を論破して済む話ではないから、お互いがなんとか折り合いのつく範囲内に収めようと政治的な判断をした。それが河野談話です。  / /杉田 談話の方向性や近隣との外交について「未来志向」という言い方がよくされますが、意図はどうあれ、それが過去の軽視という「見かけ」をもってしまえば、負の効果は計り知れない。安倍さんたちは、未来を向いて過去を振り払えば、政治的な自由度が高まると思っているのかもしれません。しかし政治の存在意義は様々な制約を踏まえつつ、何とか解を見いだしていくところにあります。政治的な閉塞(へいそく)感が強まる中で、自らに課せられているタガを外そうという動きが出てくる。しかし、それで万事うまくいくというのは、一種の現実逃避では。  / /長谷部 合理的な自己拘束という概念が吹っ飛んでしまっている印象です。縛られることによってより力を発揮できることがある。俳句は5・7・5と型が決まっているからこそ発想力が鍛えられる。しかし安倍さんたちは選挙に勝った自分たちは何にも縛られない、「建前」も法律も憲法解釈もすべて操作できると考えているようです。  / /杉田 俳句は好きな字数でよめばいいのだと。  / /長谷部 あらゆるタガをはずせば、短期的には楽になるかもしれません。しかし、次に政権が交代したとき、自分たちが時の政府を踏みとどまらせる歯止めもなくなる。外国の要求を、憲法の拘束があるからと断ることもできない。最後の最後、ここぞという時のよりどころが失われてしまう。その怖さを、安倍さんたちは自覚すべきです。 =敬称略(構成・高橋純子)朝日新聞『考論』

0015 オルテガ「大衆の反逆 (桑名一博訳;久野収解説)」(白水社イデー選書;1930)評価5

以下は、オルテガ所論の久野収による抜粋の抜粋である:///  オルテガによれば、政治のなかで「共存」への意志を最強力に表明し、実行していく政治スタイルこそ、自由主義的デモクラシーである。共存は、強い多数者が弱い少数者に喜んで提供する自己主張、他者説得の権利である。敵、それも最も弱い敵とさえ、積極的に共存するという、ゆるがない決意である。/その意味で、人類の自然的傾向に逆行する深いパラドックス(逆説)であるから、共存を決意した人類が、困難に面してこの決意を投げ出すほうへ後退したとしても、それは大きな悲劇ではあっても、大きな不思議とするには当たらない。/「敵と共存し、反対者と共に政治をおこなう」という意志と制度に背を向ける国家と国民が、ますます多くなっていく1930年代、オルテガは、「均質」化された「大衆」人間の直接行動こそが、あらゆる支配権力をして、反対派を圧迫させ、消滅させていく動力になるのだという。なぜなら、「大衆」人間は、自分たちと異類の非大衆人間との共存を全然望んでいないからである。略。///  「大衆」人間は、自分たちの生存の容易さ、豊かさ,無限界さを疑わない実感をもち、自己肯定と自己満足の結果として、他人に耳を貸さず、自分の意見を疑わず、自閉的となって、他人の存在そのものを考慮しなくなってしまう。そして彼と彼の同類しかいないかのように振舞ってしまう。/彼らは、配慮も、内省も、手続きも、遠慮もなしに、「直接行動」の方式に従って、自分たちの低俗な画一的意見をだれかれの区別なく、押しつけて、しかも押しつけの自覚さえもっていない。/彼らは、未開人―未開人は宗教、タブー、伝統、習慣といった社会的法廷の従順な信者である―ではなく、まさに文明の洗礼を受けた野蛮人である。文明の生み出した余裕、すなわち、贅沢、快適、安全、便益の側面だけの継承者であり、正常な生存の様式から見れば、奇形としかいいようのないライフスタイルを営んでいる新人類である。略。///  「自分がしたいことをするためにこの世に生まれあわせて来た」とする傾向、だから「したいことは何でもできる」とする信仰は、自由主義の自由の裏面、義務と責任を免除してもらう自由にほかならない。/われわれは自由主義の生みだした、この「大衆」人間的自由、自己中心的自由に対し、他者と共存する義務と責任をもった自由を保全しなければならないが、一筋縄でいかないのは、この仕事である。(160626:イギリスEU離脱について思うところ=もみ=)