もみさんの一日一冊遊書録( 2011年9月1日 スタート!: メメント・モリ ) ~たゆたえど沈まず~

年とともに人生はクロノロジー(年代記)からパースペクティブ(遠近法)になり、最後は一枚のピクチュア(絵)になる

150215 衆参両院の「テロ非難決議」を非難する!「テロの本質」を真面目に語る政治家はいないのか!

 真面目に「テロの本質」を考えれば、その原因が、決して宗教の違いにあるのではなく、世界的に広がる富の偏在、極端な格差拡大、差別構造の継承、及びパレスチナ問題、それらによる<若者たちの絶望>にあることは、実は誰もがわかっていることだろう! それを「世界には凶悪なテロリストが大勢いて、こいつらを叩き潰せばテロが無くなる」なんて話に無理やりすり替えている。誰も、「テロの本質が、日本・世界の社会構造が抱える富の偏在・格差の拡大及びパレスチナ問題の<野放し状態>にこそある」という本質を語らないし、見させようとしない。そして、凶悪なテロリストへの恐怖ばかりを煽りたてている。これはまさにオーウェルの「一九八四年」の世界と同じだ。今回の国会の「テロ非難決議」に社民党・共産党まで加わっていたのには、あきれ果てた。「誰も本質を見ようとしない。」「武力で世界中の<絶望した若者たち>を封じ込めるべきではないし、不可能だ!」

秋原葉月さん「Afternoon Cafe」ブログから

※(1)「もちろん、普通の人間は戦争を望まない。しかし、国民を戦争に参加させるのは、つねに簡単なことだ。とても単純だ。国民には攻撃されつつあると言い、平和主義者を愛国心に欠けていると非難し、国を危険にさらしていると主張する以外には、何もする必要がない。この方法はどんな国でも有効だ」byヘルマン・ゲーリング ※(2)いつの時代も大衆をファシズムに煽動する手口は同じ。なのに同じ手口に何度も騙されるのは過去に学んでいないから。格差を広げ、セイフティネットを破壊し、冷徹な自己責任論が横行する社会を継続させるのは簡単だ。今よりもっと格差を広げ、セイフティネットを破壊する政策をとればよい。そうすれば人々に自己責任論がもっと浸透し、草の根から勝手に右傾化してくれる。

辺見庸さんのブログから

・権力をあまりに人格的にとらえるのはどうかとおもう。口にするのもおぞましいドブの目をしたあの男を、ヒステリックに名指しでののしれば、反権力的そぶりになるとかんがえるのは、ドブの目をしたあの男とあまり変わらない、低い知性のあらわれである。権力の空間は、じつのところ、非人格的なのだ。だからてごわい。中心はドブの目をしたあの男=安倍晋三であるかにみえて、そうではない。ドブの目をしたあの男はひとつの(倒錯的な)社会心理学的な表象ではありえても、それを斃せば事態が革命的に変化するようなシロモノではない。権力には固定的な中心はなく、かくじつに「われわれ」をふくむ周縁があるだけだ。ドブの目をしたあの男は、陋劣な知性とふるまいで「われわれ」をいらだたせ、怒らせるとともに、「われわれ」をして社会心理学的に(かれを)蔑視せしめ、またそのことにより、「われわれ」が「われわれ」であることに無意識に満足もさせているのかもしれない。ところで、「われわれ」の内面には、濃淡の差こそあれ、ドブの目をしたあの男の貧寒とした影が棲んでいるのだ。戦争は、むろん、そう遠くない。そう切実にかんじられるかどうか。いざ戦争がはじまったら、反戦運動が愛国運動化する公算が大である。そう切実に予感できるかどうか。研ぎすまされた感性がいる。せむしの侏儒との「ふるいつきあい」がベンヤミンのなにかを決定した。そう直観できたアレントほどするどくはなくても、研ぎすまされた感性がいる。けふコビトがきた。ミスドにいった。(2015/11/11)

150802 SEALDsに連帯のエール! 再掲「140522 チェーン・メール希望!略、福井地裁判決文を広めましょう」

2015年08月02日 15時58分08秒 | <憲法の危機>は「戦後最大の危機」
8月2日(日):SEALDsに連帯のエールをお送る!
140522 チェーン・メール希望!大飯原発差止「控訴審」に勝つため、福井地裁判決文を広めましょうm(_ _)m
   5月23日<日刊ゲンダイ>:日刊ゲンダイさんは、いい記事を載せてくれる!

5月22日(木):         2014年05月22日 19時09分21秒 | <憲法の危機>は「戦後最大の危機」
                          2014年09月25日 00時53分21秒 | 考える資料

今朝の朝日新聞一面に「生存の権利と電気代 並べて議論できぬ」の見出しに驚き、昨日の大飯原発運転差止の福井地裁判決の記事と判決要旨を熟読した。原発再稼働を巡るニュース・報道に対してこれまでずっとわだかまっていた理不尽さに対する違和感を「やっぱりそうだよね」とすべてぬぐい去ってくれる内容の判決だった。「コスト論より<人格権>優先」という根っこの理念が非常にしっかりしているので、非常に格調高く、納得し腑に落ちる内容だった。「理の当然を、理の当然とできなかった」社会を明確に目覚めさせてくれる「コモンセンス(常識)」の内容だった。この福井地裁判決の内容を、本当に<常識>として社会で定着させることができれば、遅ればせながらだが、東日本大震災と福島原発事故の教訓に学び、よりよい社会の実現に向けて日本を立て直すことができるはずだ。ちなみに、2011.3.11震災・原発事故後、大飯原発3・4号機を再稼働したのは、「大きな音だね」の民主党野田汚物である。

「大飯原発3,4号機運転差止請求事件」に対する福井地裁の判決内容が<社会全体の常識>となるように「判決要旨」を<チェーン・メール>にして広げることで、関西電力、高裁、政府に圧力をかけましょうm(_ _)m。


大飯原発3、4号機運転差止請求事件判決要旨

主文

1  被告は、別紙原告目録1記載の各原告(大飯原発から250キロメートル圏内に居住する166名)に対する関係で、福井県大飯郡おおい町大島1字吉見1-1において、大飯発電所3号機及び4号機の原子炉を運転してはならない。

2  別紙原告目録2記載の各原告(大飯原発から250キロメートル圏外に居住する23名)の請求をいずれも棄却する。

3  訴訟費用は、第2項の各原告について生じたものを同原告らの負担とし、その余を被告の負担とする。

理由

1 はじめに

 ひとたび深刻な事故が起これば多くの人の生命、身体やその生活基盤に重大な被害を及ぼす事業に関わる組織には、その被害の大きさ、程度に応じた安全性と高度の信頼性が求められて然るべきである。このことは、当然の社会的要請であるとともに、生存を基礎とする人格権が公法、私法を問わず、すべての法分野において、最高の価値を持つとされている以上、本件訴訟においてもよって立つべき解釈上の指針である。

 個人の生命、身体、精神及び生活に関する利益は、各人の人格に本質的なものであって、その総体が人格権であるということができる。人格権は憲法上の権利であり(13条、25条)、また人の生命を基礎とするものであるがゆえに、我が国の法制下においてはこれを超える価値を他に見出すことはできない。したがって、この人格権とりわけ生命を守り生活を維持するという人格権の根幹部分に対する具体的侵害のおそれがあるときは、人格権そのものに基づいて侵害行為の差止めを請求できることになる。人格権は各個人に由来するものであるが、その侵害形態が多数人の人格権を同時に侵害する性質を有するとき、その差止めの要請が強く働くのは理の当然である。

2 福島原発事故について

 福島原発事故においては、15万人もの住民が避難生活を余儀なくされ、この避難の過程で少なくとも入院患者等60名がその命を失っている。家族の離散という状況や劣悪な避難生活の中でこの人数を遥かに超える人が命を縮めたことは想像に難くない。さらに、原子力委員会委員長が福島第一原発から250キロメートル圏内に居住する住民に避難を勧告する可能性を検討したのであって、チェルノブイリ事故の場合の住民の避難区域も同様の規模に及んでいる。

 年間何ミリシーベルト以上の放射線がどの程度の健康被害を及ぼすかについてはさまざまな見解があり、どの見解に立つかによってあるべき避難区域の広さも変わってくることになるが、既に20年以上にわたりこの問題に直面し続けてきたウクライナ共和国、ベラルーシ共和国は、今なお広範囲にわたって避難区域を定めている。両共和国の政府とも住民の早期の帰還を図ろうと考え、住民においても帰還の強い願いを持つことにおいて我が国となんら変わりはないはずである。それにもかかわらず、両共和国が上記の対応をとらざるを得ないという事実は、放射性物質のもたらす健康被害について楽観的な見方をした上で避難区域は最小限のもので足りるとする見解の正当性に重大な疑問を投げかけるものである。上記250キロメートルという数字は緊急時に想定された数字にしかすぎないが、だからといってこの数字が直ちに過大であると判断することはできないというべきである。

3 本件原発に求められるべき安全性

(1)  原子力発電所に求められるべき安全性

 1、2に摘示したところによれば、原子力発電所に求められるべき安全性、信頼性は極めて高度なものでなければならず、万一の場合にも放射性物質の危険から国民を守るべく万全の措置がとられなければならない。

 原子力発電所は、電気の生産という社会的には重要な機能を営むものではあるが、原子力の利用は平和目的に限られているから(原子力基本法2条)、原子力発電所の稼動は法的には電気を生み出すための一手段たる経済活動の自由(憲法22条1項)に属するものであって、憲法上は人格権の中核部分よりも劣位に置かれるべきものである。しかるところ、大きな自然災害や戦争以外で、この根源的な権利が極めて広汎に奪われるという事態を招く可能性があるのは原子力発電所の事故のほかは想定し難い。かような危険を抽象的にでもはらむ経済活動は、その存在自体が憲法上容認できないというのが極論にすぎるとしても、少なくともかような事態を招く具体的危険性が万が一でもあれば、その差止めが認められるのは当然である。このことは、土地所有権に基づく妨害排除請求権や妨害予防請求権においてすら、侵害の事実や侵害の具体的危険性が認められれば、侵害者の過失の有無や請求が認容されることによって受ける侵害者の不利益の大きさという侵害者側の事情を問うことなく請求が認められていることと対比しても明らかである。

 新しい技術が潜在的に有する危険性を許さないとすれば社会の発展はなくなるから、新しい技術の有する危険性の性質やもたらす被害の大きさが明確でない場合には、その技術の実施の差止めの可否を裁判所において判断することは困難を極める。しかし、技術の危険性の性質やそのもたらす被害の大きさが判明している場合には、技術の実施に当たっては危険の性質と被害の大きさに応じた安全性が求められることになるから、この安全性が保持されているかの判断をすればよいだけであり、危険性を一定程度容認しないと社会の発展が妨げられるのではないかといった葛藤が生じることはない。原子力発電技術の危険性の本質及びそのもたらす被害の大きさは、福島原発事故を通じて十分に明らかになったといえる。本件訴訟においては、本件原発において、かような事態を招く具体的危険性が万が一でもあるのかが判断の対象とされるべきであり、福島原発事故の後において、この判断を避けることは裁判所に課された最も重要な責務を放棄するに等しいものと考えられる。

(2)  原子炉規制法に基づく審査との関係

 (1)の理は、上記のように人格権の我が国の法制における地位や条理等によって導かれるものであって、原子炉規制法をはじめとする行政法規の在り方、内容によって左右されるものではない。したがって、改正原子炉規制法に基づく新規制基準が原子力発電所の安全性に関わる問題のうちいくつかを電力会社の自主的判断に委ねていたとしても、その事項についても裁判所の判断が及ぼされるべきであるし、新規制基準の対象となっている事項に関しても新規制基準への適合性や原子力規制委員会による新規制基準への適合性の審査の適否という観点からではなく、(1)の理に基づく裁判所の判断が及ぼされるべきこととなる。

4 原子力発電所の特性

 原子力発電技術は次のような特性を持つ。すなわち、原子力発電においてはそこで発出されるエネルギーは極めて膨大であるため、運転停止後においても電気と水で原子炉の冷却を継続しなければならず、その間に何時間か電源が失われるだけで事故につながり、いったん発生した事故は時の経過に従って拡大して行くという性質を持つ。このことは、他の技術の多くが運転の停止という単純な操作によって、その被害の拡大の要因の多くが除去されるのとは異なる原子力発電に内在する本質的な危険である。

 したがって、施設の損傷に結びつき得る地震が起きた場合、速やかに運転を停止し、運転停止後も電気を利用して水によって核燃料を冷却し続け、万が一に異常が発生したときも放射性物質が発電所敷地外部に漏れ出すことのないようにしなければならず、この止める、冷やす、閉じ込めるという要請はこの3つがそろって初めて原子力発電所の安全性が保たれることとなる。仮に、止めることに失敗するとわずかな地震による損傷や故障でも破滅的な事故を招く可能性がある。福島原発事故では、止めることには成功したが、冷やすことができなかったために放射性物質が外部に放出されることになった。また、我が国においては核燃料は、五重の壁に閉じ込められているという構造によって初めてその安全性が担保されているとされ、その中でも重要な壁が堅固な構造を持つ原子炉格納容器であるとされている。しかるに、本件原発には地震の際の冷やすという機能と閉じ込めるという構造において次のような欠陥がある

5 冷却機能の維持にっいて

(1) 1260ガルを超える地震について

 原子力発電所は地震による緊急停止後の冷却機能について外部からの交流電流によって水を循環させるという基本的なシステムをとっている。1260ガルを超える地震によってこのシステムは崩壊し、非常用設備ないし予備的手段による補完もほぼ不可能となり、メルトダウンに結びつく。この規模の地震が起きた場合には打つべき有効な手段がほとんどないことは被告において自認しているところである。

 しかるに、我が国の地震学会においてこのような規模の地震の発生を一度も予知できていないことは公知の事実である。地震は地下深くで起こる現象であるから、その発生の機序の分析は仮説や推測に依拠せざるを得ないのであって、仮説の立論や検証も実験という手法がとれない以上過去のデータに頼らざるを得ない。確かに地震は太古の昔から存在し、繰り返し発生している現象ではあるがその発生頻度は必ずしも高いものではない上に、正確な記録は近時のものに限られることからすると、頼るべき過去のデータは極めて限られたものにならざるをえない。したがって、大飯原発には1260ガルを超える地震は来ないとの確実な科学的根拠に基づく想定は本来的に不可能である。むしろ、①我が国において記録された既往最大の震度は岩手宮城内陸地震における4022ガルであり、1260ガルという数値はこれをはるかに下回るものであること、②岩手宮城内陸地震は大飯でも発生する可能性があるとされる内陸地殻内地震であること、③この地震が起きた東北地方と大飯原発の位置する北陸地方ないし隣接する近畿地方とでは地震の発生頻度において有意的な違いは認められず、若狭地方の既知の活断層に限っても陸海を問わず多数存在すること、④この既往最大という概念自体が、有史以来世界最大というものではなく近時の我が国において最大というものにすぎないことからすると、1260ガルを超える地震は大飯原発に到来する危険がある。

(2) 700ガルを超えるが1260ガルに至らない地震について

ア 被告の主張するイベントツリーについて

 被告は、700ガルを超える地震が到来した場合の事象を想定し、それに応じた対応策があると主張し、これらの事象と対策を記載したイベントツリーを策定し、これらに記載された対策を順次とっていけば、1260ガルを超える地震が来ない限り、炉心損傷には至らず、大事故に至ることはないと主張する。

 しかし、これらのイベントツリー記載の対策が真に有効な対策であるためには、第1に地震や津波のもたらす事故原因につながる事象を余すことなくとりあげること、第2にこれらの事象に対して技術的に有効な対策を講じること、第3にこれらの技術的に有効な対策を地震や津波の際に実施できるという3つがそろわなければならない。

イ イベントツリー記載の事象について

 深刻な事故においては発生した事象が新たな事象を招いたり、事象が重なって起きたりするものであるから、第1の事故原因につながる事象のすべてを取り上げること自体が極めて困難であるといえる。

ウ イベントツリー記載の対策の実効性について

 また、事象に対するイベントツリー記載の対策が技術的に有効な措置であるかどうかはさておくとしても、いったんことが起きれば、事態が深刻であればあるほど、それがもたらす混乱と焦燥の中で適切かつ迅速にこれらの措置をとることを原子力発電所の従業員に求めることはできない。特に、次の各事実に照らすとその困難性は一層明らかである。

 第1に地震はその性質上従業員が少なくなる夜間も昼間と同じ確率で起こる。突発的な危機的状況に直ちに対応できる人員がいかほどか、あるいは現場において指揮命令系統の中心となる所長が不在か否かは、実際上は、大きな意味を持つことは明らかである。

 第2に上記イベントツリーにおける対応策をとるためにはいかなる事象が起きているのかを把握できていることが前提になるが、この把握自体が極めて困難である。福島原発事故の原因について国会事故調査委員会は地震の解析にカを注ぎ、地震の到来時刻と津波の到来時刻の分析や従業員への聴取調査等を経て津波の到来前に外部電源の他にも地震によって事故と直結する損傷が生じていた疑いがある旨指摘しているものの、地震がいかなる箇所にどのような損傷をもたらしそれがいかなる事象をもたらしたかの確定には至っていない。一般的には事故が起きれば事故原因の解明、確定を行いその結果を踏まえて技術の安全性を高めていくという側面があるが、原子力発電技術においてはいったん大事故が起これば、その事故現場に立ち入ることができないため事故原因を確定できないままになってしまう可能性が極めて高く、福島原発事故においてもその原因を将来確定できるという保証はない。それと同様又はそれ以上に、原子力発電所における事故の進行中にいかなる箇所にどのような損傷が起きておりそれがいかなる事象をもたらしているのかを把握することは困難である。

 第3に、仮に、いかなる事象が起きているかを把握できたとしても、地震により外部電源が断たれると同時に多数箇所に損傷が生じるなど対処すべき事柄は極めて多いことが想定できるのに対し、全交流電源喪失から炉心損傷開始までの時間は5時間余であり、炉心損傷の開始からメルトダウンの開始に至るまでの時間も2時間もないなど残された時間は限られている。

 第4にとるべきとされる手段のうちいくつかはその性質上、緊急時にやむを得ずとる手段であって普段からの訓練や試運転にはなじまない。運転停止中の原子炉の冷却は外部電源が担い、非常事態に備えて水冷式非常用ディーゼル発電機のほか空冷式非常用発電装置、電源車が備えられているとされるが、たとえば空冷式非常用発電装置だけで実際に原子炉を冷却できるかどうかをテストするというようなことは危険すぎてできようはずがない。

 第5にとるべきとされる防御手段に係るシステム自体が地震によって破損されることも予想できる。大飯原発の何百メートルにも及ぶ非常用取水路が一部でも700ガルを超える地震によって破損されれば、非常用取水路にその機能を依存しているすべての水冷式の非常用ディーゼル発電機が稼動できなくなることが想定できるといえる。また、埋戻土部分において地震によって段差ができ、最終の冷却手段ともいうべき電源車を動かすことが不可能又は著しく困難となることも想定できる。上記に摘示したことを一例として地震によって複数の設備が同時にあるいは相前後して使えなくなったり故障したりすることは機械というものの性質上当然考えられることであって、防御のための設備が複数備えられていることは地震の際の安全性を大きく高めるものではないといえる。

 第6に実際に放射性物質が一部でも漏れればその場所には近寄ることさえできなくなる。

 第7に、大飯原発に通ずる道路は限られており施設外部からの支援も期待できない。

エ 基準地震動の信頼性について

 被告は、大飯原発の周辺の活断層の調査結果に基づき活断層の状況等を勘案した場合の地震学の理論上導かれるガル数の最大数値が700であり、そもそも、700ガルを超える地震が到来することはまず考えられないと主張する。しかし、この理論上の数値計算の正当性、正確性について論じるより、現に、全国で20箇所にも満たない原発のうち4つの原発に5回にわたり想定した地震動を超える地震が平成17年以後10年足らずの問に到来しているという事実を重視すべきは当然である。地震の想定に関しこのような誤りが重ねられてしまった理由については、今後学術的に解決すべきものであって、当裁判所が立ち入って判断する必要のない事柄である。これらの事例はいずれも地震という自然の前における人間の能力の限界を示すものというしかない。本件原発の地震想定が基本的には上記4つの原発におけるのと同様、過去における地震の記録と周辺の活断層の調査分析という手法に基づきなされたにもかかわらず、被告の本件原発の地震想定だけが信頼に値するという根拠は見い出せない。

オ 安全余裕について

 被告は本件5例の地震によって原発の安全上重要な施設に損傷が生じなかったことを前提に、原発の施設には安全余裕ないし安全裕度があり、たとえ基準地震動を超える地震が到来しても直ちに安全上重要な施設の損傷の危険性が生じることはないと主張している。

 弁論の全趣旨によると、一般的に設備の設計に当たって、様々な構造物の材質のばらつき、溶接や保守管理の良否等の不確定要素が絡むから、求められるべき基準をぎりぎり満たすのではなく同基準値の何倍かの余裕を持たせた設計がなされることが認められる。このように設計した場合でも、基準を超えれば設備の安全は確保できない。この基準を超える負荷がかかっても設備が損傷しないことも当然あるが、それは単に上記の不確定要素が比較的安定していたことを意味するにすぎないのであって、安全が確保されていたからではない。したがって、たとえ、過去において、原発施設が基準地震動を超える地震に耐えられたという事実が認められたとしても、同事実は、今後、基準地震動を超える地震が大飯原発に到来しても施設が損傷しないということをなんら根拠づけるものではない。

(3) 700ガルに至らない地震について

ア 施設損壊の危険

 本件原発においては基準地震動である700ガルを下回る地震によって外部電源が断たれ、かつ主給水ポンプが破損し主給水が断たれるおそれがあると認められる。

イ 施設損壊の影響

 外部電源は緊急停止後の冷却機能を保持するための第1の砦であり、外部電源が断たれれば非常用ディーゼル発電機に頼らざるを得なくなるのであり、その名が示すとおりこれが非常事態であることは明らかである。福島原発事故においても外部電源が健全であれば非常用ディーゼル発電機の津波による被害が事故に直結することはなかったと考えられる。主給水は冷却機能維持のための命綱であり、これが断たれた場合にはその名が示すとおり補助的な手段にすぎない補助給水設備に頼らざるを得ない。前記のとおり、原子炉の冷却機能は電気によって水を循環させることによって維持されるのであって、電気と水のいずれかが一定時間断たれれば大事故になるのは必至である。原子炉の緊急停止の際、この冷却機能の主たる役割を担うべき外部電源と主給水の双方がともに700ガルを下回る地震によっても同時に失われるおそれがある。そして、その場合には(2)で摘示したように実際にはとるのが困難であろう限られた手段が効を奏さない限り大事故となる。

ウ 補助給水設備の限界

 このことを、上記の補助給水設備についてみると次の点が指摘できる。緊急停止後において非常用ディーゼル発電機が正常に機能し、補助給水設備による蒸気発生器への給水が行われたとしても、①主蒸気逃がし弁による熱放出、②充てん系によるほう酸の添加、③余熱除去系による冷却のうち、いずれか一つに失敗しただけで、補助給水設備による蒸気発生器への給水ができないのと同様の事態に進展することが認められるのであって、補助給水設備の実効性は補助的手段にすぎないことに伴う不安定なものといわざるを得ない。また、上記事態の回避措置として、イベントツリーも用意されてはいるが、各手順のいずれか一つに失敗しただけでも、加速度的に深刻な事態に進展し、未経験の手作業による手順が増えていき、不確実性も増していく。事態の把握の困難性や時間的な制約のなかでその実現に困難が伴うことは(2)において摘示したとおりである。

エ 被告の主張について

 被告は、主給水ポンプは安全上重要な設備ではないから基準地震動に対する耐震安全性の確認は行われていないと主張するが、主給水ポンプの役割は主給水の供給にあり、主給水によって冷却機能を維持するのが原子炉の本来の姿であって、そのことは被告も認めているところである。安全確保の上で不可欠な役割を第1次的に担う設備はこれを安全上重要な設備であるとして、それにふさわしい耐震性を求めるのが健全な社会通念であると考えられる。このような設備を安全上重要な設備ではないとするのは理解に苦しむ主張であるといわざるを得ない。

(4) 小括

 日本列島は太平洋プレート、オホーツクプレート、ユーラシアプレート及びフィリピンプレートの4つのプレートの境目に位置しており、全世界の地震の1割が狭い我が国の国土で発生する。この地震大国日本において、基準地震動を超える地震が大飯原発に到来しないというのは根拠のない楽観的見通しにしかすぎない上、基準地震動に満たない地震によっても冷却機能喪失による重大な事故が生じ得るというのであれば、そこでの危険は、万が一の危険という領域をはるかに超える現実的で切迫した危険と評価できる。このような施設のあり方は原子力発電所が有する前記の本質的な危険性についてあまりにも楽観的といわざるを得ない。

6 閉じ込めるという構造について(使用済み核燃料の危険性)

(1) 使用済み核燃料の現在の保管状況

 原子力発電所は、いったん内部で事故があったとしても放射性物質が原子力発電所敷地外部に出ることのないようにする必要があることから、その構造は堅固なものでなければならない。

 そのため、本件原発においても核燃料部分は堅固な構造をもつ原子炉格納容器の中に存する。他方、使用済み核燃料は本件原発においては原子炉格納容器の外の建屋内の使用済み核燃料プールと呼ばれる水槽内に置かれており、その本数は1000本を超えるが、使用済み核燃料プールから放射性物質が漏れたときこれが原子力発電所敷地外部に放出されることを防御する原子炉格納容器のような堅固な設備は存在しない。

(2) 使用済み核燃料の危険性

 福島原発事故においては、4号機の使用済み核燃料プールに納められた使用済み核燃料が危機的状況に陥り、この危険性ゆえに前記の避難計画が検討された。原子力委員会委員長が想定した被害想定のうち、最も重大な被害を及ぼすと想定されたのは使用済み核燃料プールからの放射能汚染であり、他の号機の使用済み核燃料プールからの汚染も考えると、強制移転を求めるべき地域が170キロメートル以遠にも生じる可能性や、住民が移転を希望する場合にこれを認めるべき地域が東京都のほぼ全域や横浜市の一部を含む250キロメートル以遠にも発生する可能性があり、これらの範囲は自然に任せておくならば、数十年は続くとされた。

(3) 被告の主張について

 被告は、使用済み核燃料は通常40度以下に保たれた水により冠水状態で貯蔵されているので冠水状態を保てばよいだけであるから堅固な施設で囲い込む必要はないとするが、以下のとおり失当である

ア 冷却水喪失事故について

 使用済み核燃料においても破損により冷却水が失われれば被告のいう冠水状態が保てなくなるのであり、その場合の危険性は原子炉格納容器の一次冷却水の配管破断の場合と大きな違いはない。福島原発事故において原子炉格納容器のような堅固な施設に囲まれていなかったにもかかわらず4号機の使用済み核燃料プールが建屋内の水素爆発に耐えて破断等による冷却水喪失に至らなかったこと、あるいは瓦礫がなだれ込むなどによって使用済み核燃料が大きな損傷を被ることがなかったことは誠に幸運と言うしかない。使用済み核燃料も原子炉格納容器の中の炉心部分と同様に外部からの不測の事態に対して堅固な施設によって防御を固められてこそ初めて万全の措置をとられているということができる。

イ 電源喪失事故について

 本件使用済み核燃料プールにおいては全交流電源喪失から3日を経ずして冠水状態が維持できなくなる。我が国の存続に関わるほどの被害を及ぼすにもかかわらず、全交流電源喪失から3日を経ずして危機的状態に陥いる。そのようなものが、堅固な設備によって閉じ込められていないままいわばむき出しに近い状態になっているのである。

(4) 小括

 使用済み核燃料は本件原発の稼動によって日々生み出されていくものであるところ、使用済み核燃料を閉じ込めておくための堅固な設備を設けるためには膨大な費用を要するということに加え、国民の安全が何よりも優先されるべきであるとの見識に立つのではなく、深刻な事故はめったに起きないだろうという見通しのもとにかような対応が成り立っているといわざるを得ない。

7 本件原発の現在の安全性

 以上にみたように、国民の生存を基礎とする人格権を放射性物質の危険から守るという観点からみると、本件原発に係る安全技術及び設備は、万全ではないのではないかという疑いが残るというにとどまらず、むしろ、確たる根拠のない楽観的な見通しのもとに初めて成り立ち得る脆弱なものであると認めざるを得ない

8 原告らのその余の主張について

 原告らは、地震が起きた場合において止めるという機能においても本件原発には欠陥があると主張する等さまざまな要因による危険性を主張している。しかし、これらの危険性の主張は選択的な主張と解されるので、その判断の必要はないし、環境権に基づく請求も選択的なものであるから同請求の可否についても判断する必要はない。

 原告らは、上記各諸点に加え、高レベル核廃棄物の処分先が決まっておらず、同廃棄物の危険性が極めて高い上、その危険性が消えるまでに数万年もの年月を要することからすると、この処分の問題が将来の世代に重いつけを負わせることを差止めの理由としている。幾世代にもわたる後の人々に対する我々世代の責任という道義的にはこれ以上ない重い問題について、現在の国民の法的権利に基づく差止訴訟を担当する裁判所に、この問題を判断する資格が与えられているかについては疑問があるが、7に説示したところによるとこの判断の必要もないこととなる。

9 被告のその余の主張について

 他方、被告は本件原発の稼動が電力供給の安定性、コストの低減につながると主張するが、当裁判所は、極めて多数の人の生存そのものに関わる権利と電気代の高い低いの問題等とを並べて論じるような議論に加わったり、その議論の当否を判断すること自体、法的には許されないことであると考えている。このコストの問題に関連して国富の流出や喪失の議論があるが、たとえ本件原発の運転停止によって多額の貿易赤字が出るとしても、これを国富の流出や喪失というべきではなく、豊かな国土とそこに国民が根を下ろして生活していることが国富であり、これを取り戻すことができなくなることが国富の喪失であると当裁判所は考えている。

 また、被告は、原子力発電所の稼動がCO2排出削減に資するもので環境面で優れている旨主張するが、原子力発電所でひとたび深刻事故が起こった場合の環境汚染はすさまじいものであって、福島原発事故は我が国始まって以来最大の公害、環境汚染であることに照らすと、環境問題を原子力発電所の運転継続の根拠とすることは甚だしい筋違いである。

10 結論

 以上の次第であり、原告らのうち、大飯原発から250キロメートル圏内に居住する者(別紙原告目録1記載の各原告)は、本件原発の運転によって直接的にその人格権が侵害される具体的な危険があると認められるから、これらの原告らの請求を認容すべきである。

福井地方裁判所民事第2部

 裁判長裁判官 樋口英明

    裁判官 石田明彦

    裁判官 三宅由子



150802 SEALDsに連帯のエール! 再掲「141221 民主党再生の道は、鳩山政権の「包摂の政治」しかない!」

2015年08月02日 15時42分54秒 | <憲法の危機>は「戦後最大の危機」
8月2日(日):SEALDsに連帯のエールをお送る!
141221 朝日新聞【考論:長谷部恭男&杉田敦】。民主党再生の道は、鳩山政権の「包摂の政治」しかない!       2014年12月21日 14時22分10秒 | <憲法の危機>は「戦後最大の危機」
12月21日(日):

 【日刊ゲンダイ】

 今朝の朝日新聞朝刊の【考論:長谷部恭男(早大教授)&杉田敦(法大教授)】がとても良い。長谷部先生、初めて読んだ時は、朝日の記者と大人気ない喧嘩をしていて、「どうかな…?」と思ったが、その後の発言は僭越だが、なかなかどうしてしっかりしている。安倍自民を「保守ではなく、おっちょこちょい」と評するなど洒落っ気もあってとても良い。月一回の杉田先生との【考論】はいつも楽しみにしている。

 今の朝日新聞は、編集委員に曽我豪のような“安倍様のポチ”を抱えるなど、社と記者の力量が随分と落ちている。一方で、アウトソーシング(外注)の投稿・対談記事は充実している。外注記事で、社の気骨を何とか維持しているというのも情けない限りだが、この外注記事がなければ、俺はとっくの昔に朝日に限らず新聞購読自体を止めているだろう。

 今回の【考論:与党大勝と低投票率 衆院選から見えたもの】も良かったが、特に後段のやり取りが、心に響いた。今の民主党は、党再建を目指して、細野だ、前原だ、岡田だと、昔の名前ばかりが先行しているが、いずれも「<第二自民党>を目指す」方向性では、何も変わっていない。安倍自民を「観念的」保守だと批判した前原の民主党は「現実的」に総選挙で大敗したではないか!もうそろそろ目を覚ませよ! その路線では、ダメなんだよ! 

 国民が求めているのは、自民党の<分断の政治>に対抗する、「国民の生活が第一の<包摂の政治>」だ! これ以外には、国民の期待に応える民主党再生の道はない。「維新」という<第三自民党>と一緒になりたい奴らは、さっさと一緒になればよい。その代わりさっさとしてくれ。時間をかけるな、遅すぎる!

 そして、残った人々は、いっそ小沢さんの「生活」や「社民党」、さらに「オール沖縄」などと一緒になって、真の国民目線に立ち、歴史修正主義を明確に否定して、侵略戦争を認め、中韓・米との信頼回復に努めて、バランスある外交を回復し、東北の震災被害、福島原発の被害ときちんと向き合って、福島・沖縄・障害者他弱者・マイノリティを<棄民>化しない、人間本位の社会の構築に向けたビジョンを明示してくれれば、新鮮さとともに多くの国民に明確な政治的選択肢を提示することになるだろう。

 「立派な国に住めて、おまえらは幸せだ。感謝しろ。そして、お国のために生命・財産を差し出せ」という安倍自民の<国家主義>に対して、「幸せだと思える人がたくさんいる国こそが、良い国なのだ」として国民の福祉を第一に考える<リベラル・社会民主主義>の政治を回復して、政治的選択肢として国民に提示すればよいのだ。

 難しいことではない。2009年の鳩山由紀夫内閣のマニフェストと首相施政方針演説(本ブログのカテゴリー「考える資料」に掲載中)にもう一度立ち戻って、国民に再度「国民の生活が第一」の理念を掲げてくれさえすればいいのだ。そして、この次政権を取り戻したときには、霞が関の官僚やアメリカとの関係でもう少しずる賢く立ち回り、簡単に約束を反故にしたり、政権放棄しないことを国民に少しだけ丁寧に説明してくれればいいのだ。鳩山民主には高校授業料無償化政策など見るべき政策は、確かにあったのだ。

 2009年の鳩山内閣の政策は、確かに一度は国民の間に周知徹底され、支持されたのだ。もう一度勇気を持ってこの政策を盾にして、明らかに自民党とは違う政策を国民に提示してくれればよいのだ。そのためには、自民党と比べて何の新味もない「維新」と合流することを中止して、逆に「維新」内のリベラル勢力を吸収して、「生活」、「社民」と連立を組むのが理想だが、「生活」、「社民」との連立に反対する勢力とすっきりと袂を分かって、2009年の鳩山政権のマニフェストを掲げて、新しい「民主党(名前は何でもよい)」を旗揚げすればいい。繰り返すが、国民が求めているのは、自民党の<分断の政治>に対抗する、「国民の生活が第一の<包摂の政治>」なのだ!

 この際、<第二自民党>の野田汚物や前原詐欺師、長島戦争屋のグループには、お望み通り、すっきりと<第三自民党>の「維新」と合流してもらった方が良い。さもなければ民主党は、いつまでたっても国民の目から信頼できない<国民欺瞞の泥船>にしか見えない。次回の選挙も必ず負ける。間違いない。同じ負けるなら、未来のある負け方をすべきだ。あと、労働組合の本分を忘れた「連合」は、何を考えているのだろう。分からない…?。いずれにせよ、しっかりと新しい「民主党(名前は何でもよい)」を支えるべきだろう。

(※120929② 懐かしき鳩山総理大臣「施政方針演説」(2010年1月29日)  2012年09月30日 00時00分27秒 | 考える資料

【考論:与党大勝と低投票率 衆院選から見えたもの】      2014年12月21日05時00分 朝日デジタル

 14日投開票の衆院選は与党が大勝し、安倍晋三首相は長期政権に向けて足場を固めた。長谷部恭男・早稲田大教授(憲法)と杉田敦・法政大教授(政治理論)の対談では今回、記録的な低投票率となった選挙から何が読み取れるのかを語り合ってもらった。

 ■「無難にお任せ」消費者感覚 杉田/棄権の影響、有権者気づかず 長谷部

 長谷部恭男・早稲田大教授 衆院選直後に実施された朝日新聞の世論調査で、自民党が大勝した理由を二択で聞いたところ、「安倍首相の政策が評価されたから」は11%だけ。「野党に魅力がなかったから」が72%と圧倒的でした。低投票率の理由は「投票しても政治は変わらないから」が43%と最も多かった。
 杉田敦・法政大教授 有権者は政策よりも、「安定感」で自民党を選んだかのようです。これは、自分たちと意見が近い政治家を代表として議会に送り込むという、政党政治本来の姿とは違う。とりあえず無難な「業者」にお任せという消費者感覚です。
 政治の根幹は、限られた財源を何に使うか、つまり、パイをどう分けるかにあります。パイの分け方次第で社会は変わり、得する人も損する人もいる。自分の場合はどうだろうかと考え、より望ましい政策を掲げる政党に投票する。それが政党政治です。ところが自民党は今回、昔のように経済成長でパイを大きくできると訴えた。そして有権者も、パイが大きくなれば、分け方はどうあれ、その分け前にあずかれると期待した。これは分け方をめぐる政治を見えなくする、一種の脱政治化です。選挙戦術としては成功しましたが、先送りされた問題はいずれ露呈するでしょう。
 長谷部 与党の「熱なき大勝」と、戦後最低の投票率。これはやはり、選挙制度の影響が大きいと思います。自公の議席が定数の3分の2を超えたことを「多すぎる」と思っている人は59%。小選挙区比例代表並立制は、好みの政党に投票したり、入れたい政党がないと棄権したりしていると、思わぬ結果を招く。多くの有権者はまだそのことに気づいていないのではないでしょうか。
 杉田 しかし、そもそも消費者的な有権者には、特定の政党や候補者とつながる意識が低い。だとすると、制度の特性に気づいたところで、どこかを勝たせすぎないように戦略的投票をしようとか、投票に行こうという動機は生まれないのではないでしょうか。
 半数近い人が棄権しているのは極めて深刻な事態ですが、お任せでいいという消費者に、商品を選びに店に足を運ぶべきだと説いても、通じにくいでしょう。

 ■「何とかなる」の意識、根強く 長谷部/野党の役割、はっきりしない 杉田

 長谷部 日本の有権者は、憲法と市場という、政治に外側から枠をはめる二つのメカニズムへの信頼が高いのかもしれません。権力の均衡と抑制をはかる日本国憲法に任せておけば、極端な政治は行われないはずだ。市場メカニズムに任せておけば、効率的な富の配分が達成されるはずだ。自分たちが真剣に考えたり動いたりしなくても、きっと何とかなるはずだと。
 杉田 憲法や市場への信頼なのか、従来言われてきた「お上意識」なのかはともかく、「何とかなる」という漠たる感覚は確かにあって、それが、脱政治化に寄与しています。
 そこで、野党の役割をどう考えるかです。有権者は、野党はブレーキ役だけ果たせばいいと思っているのか。それとも、可能なら政権交代を望んでいるのか。どうも判然としません。
 長谷部 有権者の思いとは関係なく、政権交代は必要です。自らの権威主義的な体制の方が効率的だとアピールする中国に対して、日本が「我々の政治システムの方が優れている」と言うためには、政権交代がないといけない。民意によってチームを代え、別の政策を試すことができるのだ、これは権威主義的な体制ではできないだろうと。
 杉田 しかし現実はそう簡単ではありません。自民党に対抗する軸を見つけられない理由は、野党の無能さだけではない。経済がグローバル化し、一国の政治にできることが限られている中で、斬新な経済政策はなかなか打ち出せない。有権者にしてみれば、「だったら自民党でいいじゃないか」と。
 長谷部 とはいえ、違いがないわけではない。民主党政権時代の高校の授業料無償化が典型です。成熟した民主主義社会では、そうした細部を見つつ、政権交代を通じて中長期のバランスをとり続けるしかない。新しい人を出す。そこから新しいアイデアが生まれる。それを失ったら、デモクラシーの明日はありません。

■弱い部分に冷たい社会 杉田/「包み込む政治」提示を 長谷部

 杉田 気になるのは、生活が苦しい中で、人びとの関心が目の前の経済に集中していることです。エネルギーのあり方や財政赤字の解消など、負担を伴う長期的な問題は無視されがちです。皮肉なことに、改憲を目指す安倍さんたちにとっても、この国民の意識は「悩みの種」かもしれない。石原慎太郎さんも引退会見で、憲法に国民の関心がないと悔しがっていましたし、彼が率いた次世代の党は2議席しか獲得できませんでした。
 長谷部 日本の有権者にとって、ナショナリズムの優先順位は決して高くないということでしょう。
 杉田 ただ、極端なナショナリズムに向かうかは別にしても、人々が不安と不満を抱え、社会の弱い部分に冷たくなってきていることは否定できません。
 苦しい時には「横」や「下」と連帯するよりも、自分より「上」についていき、「おこぼれ」を期待するということでしょうか。パイの偏った分け方を変えるべきなのかもしれないのに。
 長谷部 「囚人のジレンマ」と呼ばれる状況と似ています。みんなで協力しあえば、全員がほどほどの利得を得られるはずなのに、切り離されたまま各自の利害だけ考えて行動すると、みんないいように扱われる。そのジレンマから抜け出すには、お互いに連絡を取り合い、共通の利益の獲得を目指して協力すればいいのです。私たちは独房に入れられているわけではないのですから。
 杉田 そうした連携や協力を社会に広めるのが政治家のひとつの役目ですが、いまは逆に、分断をあおる政治家の方が人気を得がちです。不安の時代だからか、リーダーシップのあり方が劣化している。逆説的にも、アベノミクスがもし成功したなら、政治のあり方も変わるでしょう。
 長谷部 良くも悪くも、政治はイメージです。相手が「分断の政治」なら、こちらは「包摂の政治」でいくと。そのイメージをクリアに提示できる政治家が出てくれば、政治の消費者を再び主権者に変えることができるかもしれません。
 杉田 朝日の世論調査では、首相が進める政策について「不安の方が大きい」が52%。「この道しかない」と笛を吹く羊飼いに、全幅の信頼を寄せているわけではありません。
 長谷部 そうですね。羊飼いに「白紙委任」した羊の運命はどうなるか、それは有権者の側も、十分わかっているでしょう。 =敬称略





150802 SEALDsに連帯のエールを送る! 再掲「140612 集団的自衛権解釈改憲強行を前に、正しい証言の記憶」

2015年08月02日 15時42分37秒 | <憲法の危機>は「戦後最大の危機」
8月2日(日):SEALDsに連帯のエールをお送る!
140612 集団的自衛権解釈改憲強行を前に、正しい証言の記憶を残しておく。本来の良識ある考え方の記録だ。
2014年06月12日 21時40分30秒 | <憲法の危機>は「戦後最大の危機」

6月12日(木):

※何故、当たり前の原点を忘れたのか…。A級戦犯は、石原、野田、橋下、安倍、朴クネいずれも二流・三流の政治屋だ。なぜ、こんな連中に戦後日本のコモンセンス(常識)が崩されてしまったのだろう。悔しくて悲しい。

以下、朝日新聞記事より

集団的自衛権、憂える歴代内閣の要 加藤、村山両氏語る  聞き手・伊藤智章 聞き手・安仁周
2014年6月11日23時27分

 関係の深い国が攻撃されたら、日本も一緒になって反撃する集団的自衛権。戦争に巻き込まれる可能性は高まるが、安倍晋三首相はその行使を認める閣議決定を、今国会中にも実現する勢いだ。かつて内閣の要職を務めた元国会議員に聞いた。「あなたなら集団的自衛権をどう考えますか?」

■加藤紘一元官房長官「外交は机上の空論でない」

 戦後日本の平和を守ったのは、田舎の保守系無所属の人たちです。惨めな戦場を経験し、戦後は黙々と地域に尽くし、この国を食えるようにした。世代交代で今、戦争を知らない政治家が国民をあおっている。

 僕の田舎の後援会事務長は16歳で少年兵になった。朝飯を一緒に食べた同期の仲間が隣で頭を撃ち抜かれて死んだ。いずれ自分も死ぬ。その前に恋がしたい。それで慰安所に行った。行列ができていて、「早くしろ」と後ろからせつかれる。ようやく順番が来てむしろの仕切りの中に入ったら、朝鮮の女性が死んだように寝ていたそうだ。「申し訳なかった」。戦後、心の中で女性に謝り続けていたんだ。

 僕は体験者から直接話を聞いた人間として発言し続ける。政府が与党に示した集団的自衛権などの15事例なんて、官僚の小細工だ。防衛庁長官や官房長官を経験したが、集団的自衛権を使えず、日本の安全が保てなかったという経験はない。米軍に紛争地から日本人を連れて帰ってもらおう、という話もなかった。その米軍を自衛隊で守るなんてあるわけない。

 尖閣諸島はヤギのすむ岩山。「安保がある」と言うけれど、尖閣を守るために、なぜ米国の若者が死ななきゃいけないのか。オバマが命じますか。外交は机上の空論じゃない。自分たちの家族の命をかけることとして考えるべきなんだ。

 中国の脅威というが、中国の観光客は増えている。もっと民間交流をすすめよう。日中とも外務官僚が仕切り、妥協の発想がない。

 日本を取り戻すというが、取り戻す日本とは何ですか。美しい、強い日本を構築しようなんていう論理では、人を説得できません。首相がこだわれば人気が落ちるだけだ。日本国民が許さない。
◇かとう・こういち 山形県選出で衆院13回当選。ハト派で知られる自民党宏池会の元会長。2012年の衆院選で落選、引退した。74歳。(聞き手・伊藤智章)

■村山富市元首相「戦争、自ら仕掛けるのか」

 村山富市 中曽根内閣の時、イラン・イラク戦争の機雷除去で、米国から自衛隊を出してほしいと要請があった。当時の官房長官だった後藤田(正晴)さんが断固として反対した。「いっぺん踏み出したら取り返しがつかない」と話されたことをよく覚えている。

 歴代の政権が守り抜いてきたものを、安倍政権になって見直すという。憲法改正は難しいから解釈改憲でやると。「これくらいなら」と認めた小さな穴が、いつの間にか大きな穴になる。太平洋戦争はまさにそんな戦争だった。再び過ちを繰り返すというのか。

 日本の安全保障が問われているというが、よく考えないといけない。今は戦争を起こさないように各国が努力している時代。もちろん国同士の小競り合いはありますよ。それをどうやって戦争にまで発展させないかが大事。それなのに、これでは自ら戦争を仕掛けにいくようなものだ。

 今、韓国との関係がよくないし、中国とはもっと悪い。原因を作り出したのは安倍さん自身だ。

 私が首相時代、戦後50年の節目に過去の戦争を総括し、アジア諸国の人々に謝罪した。それからもうすぐ20年、歴代の内閣が村山談話を継承してきた。安倍さんも第1次内閣では踏襲したのに、選挙に勝って自信を持ったのか、今回は見直したいようだ。侵略ではなかったと否定したいのだろう。靖国神社も参拝し、昔の日本に戻るのか、と非難を受けるのは当然だ。

 「備えあれば憂いなし」と言うが、地震と戦争は違う。戦争は人間がするから、防ぎようがあるんじゃ。日本は戦争をしないし、平和外交に努力していく、と胸を張って世界に言えばいい。理想や夢と言う人はいるだろう。でも、日本はこの平和憲法で70年近く生きてきた実績がある。
◇むらやま・とみいち 大分県選出で衆院当選8回。1994年に自社さ連立政権で首相に就任した。2000年に政界引退。90歳。(聞き手・安仁周)

京都)野中広務元官房長官インタビュー 聞き手・岡本智  
2014年5月29日03時00分

 他国のために自衛隊が戦争に加わる集団的自衛権の行使について、安倍晋三首相が憲法解釈を変えて可能にしようとしていることをどう見るか。「反対」の立場の野中広務・元自民党幹事長にその理由を聞いた。

 ――安倍政権は集団的自衛権の行使容認を、憲法解釈の変更で進めようとしています。

 内閣は憲法によってつくられている。その憲法を内閣の解釈で変えようというのは本来間違っている。日本国憲法は「アメリカが押し付けた」という表現を使う人もあるけれども、国会で議論をして最終的に世界に誇る憲法として作ったもの。それを簡単に条文を変更するとか、解釈で変更するとか、やるべき筋合いのものではない。この憲法があったから70年の平和があるんですよ。

 ――解釈改憲ではなく、憲法改正で対応するべきだという意見もあります。

 僕はそうは取らない。憲法は変えない。解釈(改憲)もダメだ。男女共同参画の問題のように、僕も憲法の中にはいくつか変えなきゃならんなと思うところもあったが、今の状況では絶対に憲法は変えてはならない。憲法の「平和」とか「人権」に手を入れては、絶対日本は正しい道を歩むことができませんよ。

 今の政治家は大体が戦後生まれ。戦争がいかに残酷で、中国や韓国、北朝鮮など近隣諸国にぬぐいがたき傷を残し、その傷が癒えていない状況かを知らないんですよ。靖国神社を首相が参拝するのは、犠牲になった国々の人たちから見れば許し難いことですよ。

 来日したオバマ米大統領は「中国の攻撃に遭った時は同盟国として攻撃に参加する」とは言っていない。「日米安保条約を適用すると言うから、中国、韓国との問題についてもっと勇気を持って自分で行動して解決しなさい」ということを言っているんですよ。

 ――米国には行使容認を歓迎する声もあります。

 米国は世界の警察官として活動していくうえでいろんな地域に軍隊を派遣しなきゃいけないが、経済的に非常に困難に陥っている。日本が補完勢力として協力してくれるのはありがたいということを言外に含んでいるんですよ。そのことを(安倍首相は)わからないんだ。

 ――安保法制懇の報告書は「必要最小限度の自衛権には集団的自衛権も含まれる」と解釈し、そのうえで安倍首相は「限定容認論」を主張しています。

 「必要最小限度の」というところがどの程度かわからない。そうやって日本が戦える国になることが彼の願望であるわけだ。

 ――連立与党の公明党に期待することは。

 平和ですよ。公明党は平和から一歩も踏み出さないという思いがあったから、野党の時に公明党と親しくなって協力をいただくようになり、村山内閣からずっと一緒に行動した。

 ――自民党にとって公明党はどういう存在ですか。

 自民党の制御装置。選挙で集票力になる。自民党と公明党がぶち切れたら小選挙区の7~8割は落選だ。公明党の存在は大きい。

 ――首相も公明党を説得するのは難しいようです。

 私もそれを期待している。今まで政教分離の原則で口を挟まなかった創価学会が(集団的自衛権の行使容認に反対する見解を示し)平和をめぐる憲法の基本を語ったのは大きい。党の存在そのものに関わると思ったから、支援団体の学会は言ったと思う。

 ――物言う政治家が少なく、自民党内が静かです。

 「我々は立法府の人間だ」という責任感をもっと持ってもらわないと困る。いかに官邸にじょうずして少しでもいいポストに就くか、ということばかり考えている。野党までそうだ。なんとかして与党と協力したいと考えている。

 ――自民党の次を担う人たちに一言を。

 やっぱり立ち上がるべき時に立ち上がらないと。今立ち上がらなくて、後でどうして立ち上がれるんだ?(聞き手・岡本智)

     ◇

 集団的自衛権の行使容認は、戦後日本の安全保障政策の大転換を意味します。推進、慎重、反対など、さまざまな立場の京都ゆかりの政治家らに話を聞き、動きを取材し、この問題を追っていきます。

◇〈のなか・ひろむ〉 1925年、旧園部町(現・南丹市)生まれ。同町長や府議、副知事などを経て、83年、57歳で衆院議員に初当選。93年に自民党が野党に下ると、翌年に自社さ連立政権で与党復帰を図った。98年、小渕内閣で官房長官。その後、自民党幹事長に就任した。自自公連立を誕生させるなど「政界のドン」と呼ばれる一方、戦争体験からハト派的な言動でも知られる。2003年10月、政界を引退。88歳。




150801 43万PV超:日刊ゲンダイ “憲法の意見番”高見勝利氏が警鐘「徴兵制も現実の話になる」

2015年08月02日 15時42分23秒 | 閲覧数 記録
8月1日(土):記録ですm(_ _)m。ブログの開設から1393日。

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大事なことは、「安保法案は、憲法違反だから成立しない!不可能である!」ということだ。

日刊ゲンダイ“憲法の意見番”高見勝利氏が警鐘「徴兵制も現実の話になる」  2015年8月2日
  「戦争法案」に対する、国民の反対の声が日増しに高まっている。憲法学界の重鎮で、05年まで国会図書館憲法担当専門調査員を務めるなど、国会の「憲法のご意見番」でもあった高見勝利上智大学大学院教授に話を聞いた――。
■「違憲の安保法案は国会を通してはいけない」
  私もこの法案がとても合憲とは思えません。なぜなら、条文を見ても判例を見ても憲法制定時からの議論を見ても、集団的自衛権がこの憲法で認められているという根拠が何ひとつとしてないからです。
  自民党の高村副総裁は砂川事件最高裁判決が根拠だと言いました。周知だと思いますが、あの判決を集団的自衛権を認めたものと読むのは明らかな間違いです。こうしたデタラメな判例の読み方や、内閣法制局長官の首をすげ替えて「違憲」を「合憲」と言いくるめるような乱暴なやり口を見ていると、徴兵制の問題も心配になってきます。
  今のところ政府は徴兵制は憲法18条で禁止されている「その意に反する苦役」に当たるから違憲と言っていますが、これもまた信用できるかどうか。
  「その意に反する苦役」が裁判員制度に関する事件で争点となり、11年に最高裁判決が出ました。裁判員は国民主権の理念に沿って司法の国民的基盤を強化するものだ、その職務は司法に参加する国民の権限だなどとして合憲としたものです。一定の辞退制度さえ整えておけば、この理屈で徴兵制も合憲とされかねないのです。石破茂さんも以前徴兵制は合憲と言ったことがありますが、砂川判決と集団的自衛権よりも、この裁判員制度合憲判決と徴兵制の方がよほど距離が近い。安保法制によって自衛隊員の生命の危険が増せば志願の隊員が集まらなくなる。徴兵制も現実の話として出てくるでしょう。
  内閣法制局の権威はすっかり地に落ちてしまいました。これまで内閣法制局が論理的に一貫した解釈で法案の憲法適合性を審査してきたから、内閣が出してくる法案には見るからにヘンテコなものはなかった。従来の法制局見解からして、徴兵制なぞありえないと思っていたが、その保証もなくなってしまいました。「法制局が権威を回復するには100年かかる」と言う識者もいます。代替システムが必要ですね。
  ひとつの可能性として最高裁判所による勧告意見の仕組みが考えられます。日本では裁判所が法律の合憲性を判断するのは訴訟が起きてからという「付随的違憲審査制」をとっています。ですが同じく付随的審査制をとるカナダには訴訟になる前に政府の照会に応じ最高裁判所が法律の合憲性を審査する制度がある。日本でも可能か検討の余地があると思います。
  もうひとつは国会内で法案の違憲審査を専門的に行う「憲法委員会」を作ることも考えられます。
  法案審議は参議院に移っています。参議院も本当に「良識の府」であるならこんな明白に違憲な法案は裁判所の判決を待つまでもなく、国会を通してはいけない。与党は「対案を出せ」などと政策論の方向に議論を引きずり込もうとしていますが、野党はこれに乗ってはいけない。あくまでこの法案自体を、違憲であるという原点からズタズタに論破していくことが必要だと思います。
▽たかみ・かつとし 1945年生まれ。74年東大大学院法学政治学研究科博士課程修了。九州大学教授、北海道大学教授、国立国会図書館専門調査員などを歴任。

150801 「SEALDs 7.24国会前抗議行動ほぼノーカット版2:14:47」動画で血が熱くなった。戦争絶滅受合法案

2015年08月02日 01時33分11秒 | <憲法の危機>は「戦後最大の危機」
8月1日(土):
 「SEALDs 7.24国会前抗議行動 ほぼノーカット版 2:14:47」動画を観ていて、血が熱くなる気分になった。もはや憲法違反の戦争法案反対と安倍晋三リコール運動は盛大過ぎる「祝祭(お祭り騒ぎ)」になっている。日本社会の岩盤が動いた。政治状況の次元が変わった。もはや供犠・生贄victimは安倍晋三の首と法案廃案しかない。安倍晋三は、もう終わった。さもなければ日本の次世代を担う大切な若者たちが深刻・無残な機能不全に陥るだろう。彼ら・彼女らを見殺しにしてはいけない!絶対に孤立させてはいけない!心ある大人はみんなこの運動を支持し、連帯すべきだ。「この闘いは俺たちの国の歴史と記憶を守る闘いなんだ」と最後に総括した青年の言葉はすごい。感動、感動、感動だった!パンドラの箱(壺)に残った「希望」が動き始めた。

 抗議集会に駆け付けた哲学者の高橋哲哉さんが、戦争法案に賛成した参議院議員と衆議院議員に対して「落選運動」を起こす提案をするとともに、「戦争絶滅受合法案」を紹介して、「まず自称権力者の安倍晋三が最初に戦場に行くべきだ!」と言っていた。「戦争絶滅受合法案」を是非拡散してほしいと思う。

 朝日新聞に巣食う安倍の犬、宦官・去勢豚アイヒマン曽我豪もこの動画を見て、自分の醜悪さ、恥ずかしさを思い知ってジャーナリストをやめろ!安倍に拾ってもらえ。お前の存在自体が、もはや朝日新聞の名を貶めるだけなのだ。ジャーナリストに、自称世渡り上手の大人は必要ではない。軽蔑と不信の対象だ。
      
戦争絶滅受合法案(せんそうぜつめつうけあいほうあん) 長谷川如是閑(1875-1969)
 第一次世界大戦(1914年〜1918年)が終結して10年後の1929年(昭和4年)、長谷川如是閑はせがわにょぜかんという人が、『戦争絶滅受合法案せんそうぜつめつうけあいほうあん』という一文を、デンマークの軍人が書いたものを紹介するという形で発表しました。
 その趣旨は、「戦争が始まったら10時間以内に、国家元首、大統領、国家元首の親族で16歳に達した男性、総理大臣・大臣・次官、戦争に反対しなかった国会議員、戦争に反対しなかった宗教家を最下級の兵卒として召集し、最前線で敵の砲火の下に実戦につくべき」というものです。
 また、女性では、「有資格者の妻、娘、姉妹などは、戦争が続く間、看護婦又は使役婦として召集し、最も砲火に近い野戦病院に勤務させるべき」 としています。
 「世界各国がこの法案を成立させれば、世界から戦争がなくなること “ 請け合い ” 」というものです。
 ここに、長谷川如是閑が書いた全文を紹介します。
 なお、長谷川は、「名案だが、これを各国で成立させるためには、もう一つホルム大将に、「戦争を絶滅させること受合の法律を採用させること受合の法律案」を起草して貰わねば」とも記しています。
 この一文に触発されたかどうかは定かではないが、 1982年の「広告批評」6月号に、コピーライターの糸井重里氏とアートディレクターの浅葉克己氏が作った『まず、総理から前線へ。』という作品が載っている。当時の編集長の天野祐吉氏(1933年4月27日 - 2013年10月20日)が、このいきさつなどを2008年1月のブログで紹介している。 ▶ 天野祐吉氏のブログ(2008-01-14)

戦争絶滅受合法案
 世界戦争が終つてまだ十年経つか経たぬに、再び世界は戦争の危険に脅かされ、やれ軍縮条約の不戦条約のと、嘘の皮で張つた太鼓を叩き廻つても、既に前触れ小競り合ひは大国、小国の間に盛に行はれてゐる有様で、世界広しと雖も、この危険から超然たる国は何処にある? やゝその火の手の風上にあるのはデンマーク位なものだらうといふことである。
 そのデンマークでは、だから常備軍などゝいふ、廃刀令以前の日本武士の尻見たやうなものは全く不必要だといふので、常備軍廃止案が時々議会に提出されるが、常備軍のない国家は、大小を忘れた武士のやうに間のぬけた恰好だとでもいふのか、まだ丸腰になりきらない。
 然るに気の早いデンマークの江戸ツ子であるところの、フリツツ・ホルムといふコペンハーゲン在住の陸軍大将は、軍人ではあるがデンマーク人なので、この頃「戦争を絶滅させること受合ひの法律案」といふものを起草して、これを各国に配布した。何処の国でもこの法律を採用してこれを励行したら、何うしたつて戦争は起らないことを、 牡丹餅ぼたもち 判印で保証すると大将は力んでゐるから、どんな法律かと思へば、次ぎのやうな条文である。
戦争行為の開始後又は宣戦布告の効力の生じたる後、十時間以内に次の処置をとるべきこと。
 即ち左の各項に該当する者を最下級の兵卒として召集し、出来るだけ早くこれを最前線に送り、敵の砲火の下に実戦に従はしむべし。
一、国家の××(元首)。但し△△(君主)たると大統領たるとを問はず。尤も男子たること。
二、国家の××(元首)の男性の親族にして十六歳に達せる者。
三、総理大臣、及び各国務大臣、并に次官。
四、国民によつて選出されたる立法部の男性の代議士。但し戦争に反対の投票を為したる者は之を除く。
五、キリスト教又は他の寺院の僧正、管長、其他の高僧にして公然戦争に反対せざりし者。
上記の有資格者は、戦争継続中、兵卒として召集さるべきものにして、本人の年齢、健康状態等を斟酌すべからず。但し健康状態に就ては召集後軍医官の検査を受けしむべし。
上記の有資格者の妻、娘、姉妹等は、戦争継続中、看護婦又は使役婦として召集し、最も砲火に接近したる野戦病院に勤務せしむべし。」
 これは確かに名案だが、各国をして此の法律案を採用せしめるためには、も一つホルム大将に、「戦争を絶滅させること受合の法律を採用させること受合の法律案」を起草して貰はねばならぬ。
ーーー 如 是 閑 ーーー (一九二九、一、一)

 ←現代社会で最も醜い生き物。朝日新聞のアイヒマン(ダニ野郎) 曽我豪「僕ちんは大して悪いことをしていない、権力者とお鮨一緒に食べただけ…、だってなにか僕ちんが偉くなった気がするんだもん」朝日新聞購読者激減の立役者!

150329 タガ外せば歯止め失う 長谷部恭男・早稲田大学教授/「未来志向」は現実逃避 杉田敦・法政大学教授

 杉田 先日ドイツのメルケル首相が来日しました。戦後ドイツも様々な問題を抱えていますが、過去への反省と謝罪という「建前」を大切にし続けることで、国際的に発言力を強めてきた経緯がある。「建前」がソフトパワーにつながることを安倍さんたちは理解しているのでしょうか。  / /長谷部 そもそも談話が扱っているのは、学問的な歴史の問題ではなく、人々の情念が絡まる記憶の問題です。記念碑や記念館、映画に結実するもので、証拠の有無や正確性をいくら詰めても、決着はつかない。厳密な歴史のレベルで、仮に日本側が中国や韓国の主張に反証できたとしても、問題はむしろこじれる。相手を論破して済む話ではないから、お互いがなんとか折り合いのつく範囲内に収めようと政治的な判断をした。それが河野談話です。  / /杉田 談話の方向性や近隣との外交について「未来志向」という言い方がよくされますが、意図はどうあれ、それが過去の軽視という「見かけ」をもってしまえば、負の効果は計り知れない。安倍さんたちは、未来を向いて過去を振り払えば、政治的な自由度が高まると思っているのかもしれません。しかし政治の存在意義は様々な制約を踏まえつつ、何とか解を見いだしていくところにあります。政治的な閉塞(へいそく)感が強まる中で、自らに課せられているタガを外そうという動きが出てくる。しかし、それで万事うまくいくというのは、一種の現実逃避では。  / /長谷部 合理的な自己拘束という概念が吹っ飛んでしまっている印象です。縛られることによってより力を発揮できることがある。俳句は5・7・5と型が決まっているからこそ発想力が鍛えられる。しかし安倍さんたちは選挙に勝った自分たちは何にも縛られない、「建前」も法律も憲法解釈もすべて操作できると考えているようです。  / /杉田 俳句は好きな字数でよめばいいのだと。  / /長谷部 あらゆるタガをはずせば、短期的には楽になるかもしれません。しかし、次に政権が交代したとき、自分たちが時の政府を踏みとどまらせる歯止めもなくなる。外国の要求を、憲法の拘束があるからと断ることもできない。最後の最後、ここぞという時のよりどころが失われてしまう。その怖さを、安倍さんたちは自覚すべきです。 =敬称略(構成・高橋純子)朝日新聞『考論』

0015 オルテガ「大衆の反逆 (桑名一博訳;久野収解説)」(白水社イデー選書;1930)評価5

以下は、オルテガ所論の久野収による抜粋の抜粋である:///  オルテガによれば、政治のなかで「共存」への意志を最強力に表明し、実行していく政治スタイルこそ、自由主義的デモクラシーである。共存は、強い多数者が弱い少数者に喜んで提供する自己主張、他者説得の権利である。敵、それも最も弱い敵とさえ、積極的に共存するという、ゆるがない決意である。/その意味で、人類の自然的傾向に逆行する深いパラドックス(逆説)であるから、共存を決意した人類が、困難に面してこの決意を投げ出すほうへ後退したとしても、それは大きな悲劇ではあっても、大きな不思議とするには当たらない。/「敵と共存し、反対者と共に政治をおこなう」という意志と制度に背を向ける国家と国民が、ますます多くなっていく1930年代、オルテガは、「均質」化された「大衆」人間の直接行動こそが、あらゆる支配権力をして、反対派を圧迫させ、消滅させていく動力になるのだという。なぜなら、「大衆」人間は、自分たちと異類の非大衆人間との共存を全然望んでいないからである。略。///  「大衆」人間は、自分たちの生存の容易さ、豊かさ,無限界さを疑わない実感をもち、自己肯定と自己満足の結果として、他人に耳を貸さず、自分の意見を疑わず、自閉的となって、他人の存在そのものを考慮しなくなってしまう。そして彼と彼の同類しかいないかのように振舞ってしまう。/彼らは、配慮も、内省も、手続きも、遠慮もなしに、「直接行動」の方式に従って、自分たちの低俗な画一的意見をだれかれの区別なく、押しつけて、しかも押しつけの自覚さえもっていない。/彼らは、未開人―未開人は宗教、タブー、伝統、習慣といった社会的法廷の従順な信者である―ではなく、まさに文明の洗礼を受けた野蛮人である。文明の生み出した余裕、すなわち、贅沢、快適、安全、便益の側面だけの継承者であり、正常な生存の様式から見れば、奇形としかいいようのないライフスタイルを営んでいる新人類である。略。///  「自分がしたいことをするためにこの世に生まれあわせて来た」とする傾向、だから「したいことは何でもできる」とする信仰は、自由主義の自由の裏面、義務と責任を免除してもらう自由にほかならない。/われわれは自由主義の生みだした、この「大衆」人間的自由、自己中心的自由に対し、他者と共存する義務と責任をもった自由を保全しなければならないが、一筋縄でいかないのは、この仕事である。(160626:イギリスEU離脱について思うところ=もみ=)